幸運・強運に感謝し、平和を願う日

本日9月11日は私にとって忘れることのない記念日だ。
22年前。独立して3年。
ささやかながら企画していた3周年イベント直前のこと。
台風の成田空港を少し遅れて飛行開始した飛行機に乗り、
シカゴ経由のNY行きをわくわくしながら、機内で過ごしていた。

その数時間後、勃発した世界貿易センタービルの同時多発テロ。
1日出発が早まっていたら、間違いなくあの界隈を歩いていただろう
から、自分もまきこまれていた可能性は高い。

だが、飛行機は目的地に飛ばず、アラスカのフェアバックスに降り立った。
そこで3泊の足止め。命拾いをしたことに加え、毎日、アラスカの
空に描かれるオーロラを見ることができ、ニューヨークに向かえずに、
オーロラの町にいる自分はいったい何だろう?そして、同じ飛行機に
乗った人たちとも知り合いになって、結果的に長いおつきあいにも・・。
そこで、実にいろんな人生を知ることができた。

と、22日年前の今日のことをくっきりを今も思い出す。
あれから22年。世界は残念ながら、全体的に悪化している。
いろんな進歩もあるけれども、分断と利己主義に進んでいる。
あの事故がきっかけであるとも思う。
ではあるが、少なくとも自分はそこで命を落とさなかった。
ニアミスして、新たな体験をさせてもらい、そこからも幸運続きの
人生を送らせてもらっている。
「ほんとうに、強運だったね。」ニアミスした仲間からとは、そんな
言葉を掛け合って生きてきた。

そんな9月11日。
運命とは恐ろしいものだと思いながら、そして、自分は生かされていることを実感した日。

その思いを改めてかみしめて、本日の演奏会に臨みたい。
「911に改めて平和を願う」今日の岐阜新聞コンサートのテーマである。
総務局:ロビーコンサート | 岐阜新聞Web (gifu-np.co.jp)

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人を大切にする。尊重する。

人権について、今多くの問題が取りざたされている。
差別は人類史上、長く続く人権問題のひとつ。
わが青春時代にも、在日韓国人の友人との出会いや別れのなかで
越えがたい壁を感じることはあった。
「うち、在日やし~」
といきなり距離を置かれたり、別れを告げられたあの時のことを
今も思い出す。自分では感じたことも意識したこともない壁を感じながら
生きてきた人たちがいた。今から思うと、悔しい思いもある。
もっともっと仲良くできたはずなのに・・・と。
自分が深く理解し、コミュニケーション能力をもっていたら、
また違っていたかもしれない・・・と。

一方、まったく次元の異なる人権問題として、性被害の問題。
今は「性加害」として著名企業のトップの罪について、
メディアが今さら、熱く報じている。(本当に、今さらである!)

実はこのテーマについては、友人の脚本家が昨年すでに作品でとりあげ、
上演もしてきた。
次回公演情報 | B.LET’S (blets.net)
口に出すこともできない、とくに男性の性被害の実情をもっと社会に発信したい
と、強い意志をもっての発信であった。
今から思えば、彼女の着眼点は本当にすごい。社会を厳しく観察し続けてきたのだ。
今でこそ、であるがこの問題は顔を出すことができず、社会の地下にずっと葬られて
きていたのだ・・。

その作品を観てきていたため、今回の性加害報道についてはある意味驚かないが、
違う意味で、こんな社会ぐるみの問題が現実にあってよいのかと不安になってきた。

見えないところで、いろんな暴力が存在し、そこから虚構の夢の世界が
作られている・・・。

自分の欲望のままに、行動する。
強い者が弱い者に対して、NOといえないことをする。
自分中心の権力者と抗えない弱き存在。
地球を見回せば、この問題は多く存在している。男女問わず・・・。
思わず、この生きている世の中が怖くなる。

今、さまざまな差別、暴力の一部が見える化されることで、
人間の本性を感じ、人間という存在について考えさせられる。

経済力と権力と暴力と差別。
この現実をどう感じ、受け止め、活かすか。

一人一人が卑屈にならない、傷を負わない、自由で幸せな気持ちの
毎日をおくることができるように。

人間の性とあるべき姿。折り合いは難しいが、それも自分たち次第だと思う。
一人一人を大切に思う。尊重する。
そんな世の中になりたい。したい。

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未来に向かって走る人を応援。

官僚というと、自分とは違う世界を生きる人・・・そんな印象を
もっていたが、22年前の同時多発テロのニアミス時、同じ飛行機に乗って
いた人のなかに、そういうお仕事をされている方が同乗されており、その後も
人としてのおつきあいを続けてきたせいか、どんな仕事をしていても、最後は
人と人だということを学んだ。

そのとき、彼の言葉で忘れられない言葉がある。
「マーサさんの仕事は、反応や結果がすぐわかっていいね。僕の仕事は
それがわからない・・・」そう、世界を相手に調べたり、資料を作成したり
する仕事であるし、スケールが大きすぎる仕事をされているのだから、
反応や結果が見えないのも致し方ない。どっちが幸せかどうかは別の話。

また、「飛行機って、ファーストクラスが普通じゃないの?」とそんな言葉
も思い出し、やっぱり世界が違うな~。とエコノミーが普通と生きている自分と
の差を知り、刺激を受けた時代も今は懐かしい。

最近、また元官僚の方と出会う機会を得た。
その方は、自分の夢に向かって、新しい道を歩むため、誰もがうらやむ官僚
の仕事を50代半ばでご卒業された。
知り合ったのは実は最近。でも、実は高校の後輩ということもわかって、
なんとなく親しみも沸いて、交流がはじまった。
その方は、地元を元気に、未来の社会をより豊かなものにしたいと、
活動を始められている。
政治家にはなりたくない、地域の役に立ちたい。と今は各地での講演活動を
中心に、地元でのネットワークを育んでおられる。
純粋に未来のために、自分ができることを取り組んでおられる様子を見て
私も自分ができることで応援できたら・・と思い始めている。

さしで情報交換をした。
やっぱり、以下に伝わるか。伝えられるか。とコミュニケーションの話になる。
どんなにいいことを考えていても、伝わらなければ意味がない。
わかりやすさ、やさしさと説得力。
私が応援できるとしたら、その方面からのサポートになるかな。と思いながら
その頼もしい後輩にエールを送る。

いくつになっても、未来に向かって進む人は気持ちがいい。
ふるさとのために、お互いができることを。





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まだまだ、まったく。

フランスで活躍された女優、歌手のジェーン・バーキンさん。
直接お会いしたことはなかったが、子供の頃から、日本でも人気があり、
コマーシャルであの何とも言えないフランス語の耳障りの良い歌声を
聞きながら、勝手に名前だけは憶えていた。

そのバーキンさんが最近亡くなったとのニュースに接し、ああ素敵な人が
また1人・・と思っていた。
そんなところ、そのバーキンさんが生前、東日本大震災の直後から、被災地に
心を寄せ、現地に足を運び、数多くの慰問や演奏活動をされていたという
ことを知り、驚いた。
あの津波の惨状を見て、いてもたってもいられなくなり、すぐ飛行機の
チケットを予約したとのこと。
それから、何度も東北を訪れ、人々を励まし、コンサートを行い、
寄付をしてきたとのこと。

フランスから東北へ。
あの津波の様子には、世界中が驚き、日本に多くの方々が心を寄せてくださった。
そのなかでも、すぐに足を運び、活動をされたというバーキンさん。
恥ずかしながら、そんなことも全く知らず、最近の訃報に残念がっていた私。

その東北での活動の様子をニュースで知る。
なかでも、被災地のおばあさんたちと一緒に記念撮影しているバーキンさん
の様子が大変印象に残った。
慰問されている東北の方以上に、バーキンさんご本人が大喜びで、いい笑顔で
カメラに収まっておられた。本当に幸せそうで。まるで、「ああ、みなさん
元気で良かった」と、まるで家族と再会したような、そしてそれが人生最良の
幸せであるかのような・・・。ほんとうに自然ないい笑顔であった。


居ても立っても居られない、すぐ行動しようと思う。
純粋な気持ちこそ、人の心を動かす。
亡くなった今も、実際にバーキンさんの歌声を聞いた人、会話をした人は
一生彼女の存在を忘れることはないだろう。

いい顔されていた。あの顔が忘れられない。
たまたまニュースで拝見しただけであるが、あんないい顔になれる
自分の心が現れる活動、行動をしたいと改めて思った。

自分はまだまだ、どころか、まったく・・である。

思い立ったら、すぐ動く。
その衝動こそが、生きごたえのある人生の原動力になるのだと思う。
「愛」が伝わる、素敵なお手本を見せていただいた。

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「スマイル係」という仕事

コミュニケーションクリエイターには、いろんな顔がある。
というと、なんだか大げさであるが、日々、日替わり?時間割で
さまざまな仕事に取り組ませていただく。
ある日はファシリテーター、あるときはプランナー、
あるときはディレクター、ミュージシャン、講師、応援団・・・。
とにかく心の観覧車を回すこの仕事は、日々新鮮だ。

ときには、撮影の立ち合いもさせていただく。
そのときは、私はカメラマンではないため、「スマイル係」
に徹する。お金をかければ、スタイリストを別途お願いする
こともあるが、企業の人物撮影であれば、そこまではしないため
ネクタイを選んだり、気づくことはお伝えしながら、とにかく
その撮影場面のムード作りにつとめる。

たとえば、経営者の撮影であれば、社長さんが和やかないい表情を
出されるように、話し相手をつとめさせていただく。
今回も、そんな場面があり、「スマイル係」をさせていただいた。
束の間の撮影時間ではあったが、笑顔づくりのための会話であったが
気が付けば、その方を知る貴重な時間にもなり、とても良かった。
結果、撮影した写真もいい表情に仕上がった。

いい会話をすると、人はいい顔になる。
コミュニケーション次第で、表情が変わる。
やはり、自然な笑顔が一番素敵だ。
ということで、時々させていただく「スマイル係」という役割は
好きな仕事のひとつである。

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ローリングストックと賞味期限

最近、この「ローリングストック」という用語をよく耳にするようになった。
個人的には1年以上前に、防災士の知人から教えていただいており、
とてもいいことだ!と思って、一部の人には話し伝えはじめている。

「いざ」というときの食事のために、缶詰やレトルトなど保存食を備蓄するだけ
でなく、定期的にそれらを消費して、また補充して日々の暮らしで有効活用
していこうというもの。それを習慣化すれば、保存食の賞味期限切れも
防げるだけでなく、いざというときの備えについての意識も日常的になる。
家のなかの在庫品が消費されつつ、新しいものを備える。
日常の暮らしで、非常時を考えるには、とてもいいきっかけになる考え方だ。

としっかりローリングストックのことは頭に入っているが、実践は?
というと、実はなかなかできていない。

缶詰やレトルトは長期保存ができるため、ついつい買い置く習慣はある。
でも、やはり保存してしまう。
気が付けば賞味期限がかなり過ぎていたという食品に出会うと、
しまった!と思い、急いで消費する。
そう、まだまだ置いてあるだけのストック状態。

今回、防災の日でローリングストックのことを思い出し、ついでに
冷蔵庫のなかも見てみると、賞味期限の切れた冷蔵食品がいくつか
出てきた。開封していないまま・・賞味期限が切れてしまっている・・。
ああ、またやってしまった・・・。

ローリングストックどころか、フードロスの原因をつくっているのだ。

ということで、在庫は持ちすぎず、程よい量で、とにかく消費して
回転させること。
人生は観覧車のように・・だけでなく、保存食品も観覧車のように
くるくる回していかないと。

仕事柄もあるがついつい、購入までは積極的。そして保管というところで
行動が止まっているわが暮らし。

いざのためだけだなく、地球のためにも、ローリングストックを
心がけなければ。
と書きながら、防災士の知人の顔が浮かんできた。

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おかげさまで・・のお守り

コロナ・・・。今となれば、少し過去の思い出にも
なりつつあるが、
3年前は本当に大変な状況であった。

自分でも忘れていたが、お世話になってきた
ある飲食店の社長さんに、ささやかながら・・・と
以前お世話になった恩返しも含め、気持ちのしるしを
手紙とともに、お渡ししたことがあったようだ。
本当に、外食産業は大変で、倒産した例も少なくなかった。

その企業は工夫を重ねて、苦しかった時期を切り抜けて
今は以前のように繁盛店に復活している。
そう聞いて、本当にうれしく思っていた。

久しぶりに社長さんとお会いする。
こちらも会いたいと思っていたが、相手も会いたいと気にかけて
くださっていた。
そして再会、よもやま話をしながら、コロナ禍をよく乗り越えたね
という話をしていた。すると、その社長さんが改まって、
バッグから封筒を出された。

「本当にあのときは、ありがとうございました。
なんとか、あの状況から今日までがんばってこれました。
本当にあのときのことは忘れず、ずっとお守りと思って
がんばってきました。そして、早く元通りになったら、
この気持ちは必ずお返ししないといけないと思っていました」
と言いながら、3年前に渡した封筒を私に返された。
「このお手紙は、ずっとお守りですから、こちらはもらっておきますね」
ともうひとつの封筒は、ご自身が改めて持ち帰られた。

3年前のほんの気持ちをずっと胸にがんばってこられたのだと
思うと、思わず涙があふれそうになった。
自分ではこのことは忘れていたし、当時も、それまでお世話になったから
という気持ちだけで送ったが、ずっとそれをお守りにしてくださったとは・・。

返された封筒。
コロナではお守りとしてお役に立ったそうだ。
次は、困っている誰かに役立てるもことももちろん、
やはりこのお店のお役にも立てたい・・・。

コロナの間にしたささやかなことを、ずっと覚えていてくださったことが
本当にうれしかった。
ときに、誰かのお守りになれるなんて、なんと素敵なことだろう。

覚えていてくれた、気持ちを胸にいだき、頑張り続けてくださったことが
心からうれしかった。

二度とあの苦しい事態には戻らない。
活気に満ちた、元気な日々を感謝とともにかみしめたい。


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代役のない仕事をする人へ

自営業、フリーランス。その中身は俳優、作家、歌手、カメラマン、デザイナー、そのほかアーチスト、料理人・・・。代役がない、仕事をされている方はそのほかにもいろいろある。

身一つで、生計をたてる。これは、なかなか簡単ではない。
もちろん雇用関係のなかで仕事されている方のご苦労も計り知れないが、休む権利が確保
されているという点では、フリーの身は休んだらおしまい。ということもある。

であるため、自営業、フリーランスで生きていこうとしたら、まずは健康であることが
もっとも求められること。
代わりがいない仕事をするということで、本番の日に絶対に穴をあけてはいけない。
お客様にご迷惑をかけてはいけない。
これは、何があってもそうである。

這ってでもいく。
そんな気概でこれまでやってきた。だから、コロナになってはいけないと心してきた。
もちろん気合があっても、なるときはなるので、仕方ないが、とにかく人一倍
健康には気を付けなければ続かない仕事である。

数年前までお世話になっていたある方。また仕事の相談をと思い、久しぶりに連絡を
とったが、返事がない。メールが届かない。おかしいな。
共通の知り合いに尋ねてみると、どうやらしばらく体調すぐれず、お休みされていると
聞き、とても心配になる。
あんなに元気だったのに。
早く回復されることを心から祈るばかり。

フリーランスで頑張り続けている仲間に、改めて。
自分しかいない仕事をしているのだから、本当に自分を大切に、健康第一で
がんばってほしい。
やりきって終わるならば、それはいいけれども、悔いが残るのは避けたい。
孤独な仕事であるが、自由な仕事。自己管理がいつまでできるかが、長続きの
秘訣かもしれない。

と、我が身も自分ごと。
代役のいない仕事のやりがいは計り知れないが、ご迷惑だけはかけないように
心したい。
健康で前進できる限り、現役でいられる。

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ゴールが見えれば

今日も地元では36度、37度の猛暑になりそうだ。
思えば、この2か月以上、この真夏日が続く毎日、本当によく耐え、がんばって
きたと思う。
私だけではなく、すべての人である。働きざかりの方々も、老いも若きも、お子さんもペットも・・・。
挨拶は「今日も暑いですね~」こればっかり。暑いといって、涼しくなるわけではない
けれど、そう言わずにはいられない毎日であった。
いつまで続くのか、と外出するのをためらう日々もあり、こんなとき、オンラインで仕事ができるのもありがたい選択のひとつであった。

さて、カレンダーのページが変わり、9月になったとたん、朝、夕が少しだけしのぎやすく
なった。そして、もうしばらくしたら涼しくなると、このしんどかった暑さも「残暑」と
受け留められるようになった。

ということで、夏の終わりが見え始めた。
ゴールが見えると、気持ちが楽になる。
いつまでも、先が見えないのはしんどいけれど、もうすぐ終わると思えば
この暑さも楽しめるかもしれない。

何事もゴールが見えると、新たな元気が湧いてくる。
さあ、ラストスパート。夏にやり残したことはないか?
そろそろ、そんな自己点検もしておきたい。

苦しかった分だけ、よくがんばったな~。と思えてくる。
暑さを生きるのは、実は大変なこと。
命がけの夏。というのも大げさではない。

とにかく、みなさん。元気に夏のゴールに向かいましょう。
実りの秋こそ、1日でも長く・・・。

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笑い雲に抱かれ、清流で心涼む

父が現役バリバリであった頃、週の半分は出張に出ていた記憶がある。
といっても、新幹線で都会への出張ではなく、車で1時間半はかかる飛騨金山に。
岐阜県の美濃地方と飛騨地方のちょうど真ん中、境界線になる町。
昭和40年代、そこに工場があり、地元の職人さん、パートさんと一緒に仕事をするため通っていた。当時は、制帽業界も活気があった。
父は、そこを任されていたのだろう。
とにかく「今日は金山の日」と言って弁当をもって出かけていたことを、最近、
ふと思い出した。
その金山とは、どんな街なんだろうか。
父が通っていたのはもう40年ほど前であるが
田舎町であれば、そんなに変わっていないのかも・・・。

急に父の足跡を辿りたい気持ちになって、免許をもたない私は電車で現地に。
木曽川の上流。ここでは飛騨川と馬瀬川の合流点。とにかくきれいな澄んだ水が
静かに流れる。釣り人もいる。
なんだか平和な景色。街も昔のまま、昭和がそのまま残っていた。

そのおかげで、父が通った頃のことがくっきり想像できた。
この道を通ったかどうかは定かではないが、間違いなく、この山、この川、この空を見ながら、仕事に通い、家路に着く。
そんな生活を繰り返していたのか・・・。冬は雪も降る地域。
よくがんばってくれたな~。

この日見事な晴天。さわやかな青空に、豪快な雲が浮かんでいる。
なんだか、その大きな空に浮かぶ表情豊かな雲を見ていたら、
父と母が「あはは、おほほ」と笑っているような感じがした。

笑い雲。そんな雲、あったかな?
しんどいことはきれいな水で洗い流し、上を向いて楽しく笑って生きよう。
と、両親はそんな風に生きていたのではないか。と
彼らの仕事ぶりを思い出したら、胸がいっぱいになってきた。
その日々のおかげで、ピアノがある。
笑い雲に感謝しながら、元気に秋に向かう。

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