出張続きで、なかなか行けず、約1週間ぶりの実家のパトロール。
先週、咲き始めていたあじさいが、見事に咲いていて、感動のあまりじっと
見入ってしまった。
庭の手入れをしてもらっている叔父にきいたら、通行人の人に
「きれいなあじさいですね。と言われてうれしかった」とのメッセージが届き
こちらもうれしくなる。
少し花を切ってお墓にも持って行く。
そして、自分用にも・・・。
それにしても、マイソング「あじさい日記」を再現したような、咲き方で
あじさいが歌を聴いて咲いたのかと思うほど。
先日の長崎のあじさいも、きれいであったが、うちのあじさいには、格別の
想いがある。
こんなに咲いて、まんまるで。好きな紫色で。
なんだか父と母が笑っているようにも見えてくる。
ひとり、歌を歌いながら、
今年も咲いたね♪
感謝を伝える。
花のいのちが、永遠なるものを教えてくれる。
そんな気持ちになる。
今朝は自宅にかざった花を見ながら、今日もがんばる!と
元気にスタート!
うちのあじさい、親の笑顔。
余韻を楽しむ。
「まだ、余韻が残っています」
と、コンサートが終わった翌日、主催者からメッセージをいただく。
ああ、そうなんだ。それはよかった。感動いただけたようだ。
やった方も、それなりの余韻がある。これは達成感か、疲労感なのか
よくわからないけれど、何かをやった後はそんな状況である。
ジーンとしている。何かを成し遂げたあとのなんともいえない感覚。
そして、初めて演奏した曲は、初演のあと、ずっと頭の中で鳴り続けて
いる。演奏するまでは覚えられるか心配だった曲が、一度演奏すると
もうメロディは途切れなく、頭で鳴り響く。作った曲はこのようにして
自分のものになっていく。余韻のなかで、曲は完成する。と、そんな感じ。
改めて、「余韻」。いい言葉だ。
何かが終わった後に残る心の響き。「韻」というのは、いい音の響きの名残
といったところか。
生演奏は視覚に訴えるため、余韻に残りやすいのかもしれない。
もちろんその感動がなければ、後にも残らないが。
余韻。余裕。
心豊かに生きるために大切にしたい言葉。
改めて、楽しんでいただけて、良かった。
余韻のある暮らし、それは、人生の思い出づくりにもなる。
生き続ける商品たち
つい先日、「ハレの日の笑み子さん」という写真撮影サービス
のことを書いた。
人生の仕上げに、とっておきのほほえみを写真にしておきたい。
そんなニーズにこたえる撮影プラン。
当時、お互いの母親が存命だった頃、この会社の社長さんと
面談していて、「あ、これいいかも」と
笑いながら、提案したこの名前。ノリで走った。
最初のモデルは、社長さんのお母さまだった。
本当に素敵な写真が撮れた。まさに「ハレの日の笑み子さん」
にふさわしい1枚。今もサイトにアップされている。
終活とは言わないが、人生の仕上げの1枚。
いい企画だったと、今も思っている。
久しぶりに、このサービスを手掛ける企業さんにブログ掲載
の報告をしたら、お返事が届く。
この「笑み子さん」は爆発的ではないけれど、年に何名かは
撮影希望者がおられるとのこと。ああ、ニーズはあるのだと
安堵。
その報告に続き、当時、企業さんと一緒に考えた「レトロな
写真のブライダルフォトプラン」。こちらの近況も書いてあり、
なんとこのサービスが人気商品になっているのだそう。
「時代きもの写真婚」という。
明治、大正、昭和の各時代の和装、洋装から自分でその時代の
着物を選び、着付けをしてもらい撮影する。
カップル自身が主役となって、素敵なレトロな世界を表現できる。
まさにハレの日の特別な作品づくり。
今も、人気商品か・・・。そうきいて、胸が熱くなる。
発売当時は、ドキドキするだけで、本当にいけるのか・・と
心配もしていた。
でも、長岡の花火大会でのゆかた撮影や、若い人へのアプローチ
を地道に重ね、SNSの活用なども怠らず、とにかく地道に
活動を進めてこられての、結果であろう。
長岡で、東京で・・・まだZOOMもなかったコロナ前。
この事業者さんとは、濃厚なコミュニケーションを交わし、
一緒に商品づくり、広報活動を行ったあの頃が懐かしくよみがえる。
メールにあったこの言葉。
「あの時期、次から次へと新商品を先生と一緒に考えて生み出しましたね。
濃厚な一年に先生と生み出した商品達は、今も変わらず大切な存在です。」
ああ、この仕事をやっていてよかったな。
商品が生まれ、育つ。人も育つ。会社も育つ。
そのことに少しでも関われていることが、本当に本当にうれしい。
大ヒットを仕掛けたとかそういうことではなく、
地道に、長く生き続けている商品に関われていること。
それが一番の幸せ。
これからも、喜んでもらえるアイデアを出し続けられるように
しっかり磨きをかけておきたい。
「こんなんどうやろ?」と、企画がポンポン湧いてくるように。
あじさいと空と、マイソング。
自宅の花瓶にさしたあじさいは、遠藤周作も愛した、長崎の外海
の道の駅で入手したもの。
紫のあじさい。1本のあじさいでも、まるで花束のよう。
まさにこぼれそうな・・・。とは、マイソング「あじさい日記」
にも綴ったが、ほんとうにそんな形容詞がぴったりな花。
これを新聞紙に包んで、飛行機に乗って持ち帰った。
あじさい運び人。どんな高価な土産物よりも、そこで咲いて
いた花を持ち帰ることができるのは、とても贅沢なこと。
しかも一束165円。都会の値段とはまったく違う。
あじさいをみつけると、この季節がやってきたのだ。と、
3年前の悲しかった日々が蘇る。
でも、あじさいはその悲しみを和らげてくれる存在でもある。
1年ごとに、そのこぼれそうな花びらたちを見ながら、
癒されながら、悲しみを梅雨の雨に薄めてきた月日。
いい歌をつくれてよかった。
悲しみという感情があったから、生まれた作品。
今は、おかげで少し俯瞰してその悲しみにも向き合える。
青い空に紫の花。
そんなに晴れなくていいよ。というぐらいに
海も空も青い、外海の6月はじめ。
雨に似合うあじさいを、青空の下で
みつけてきたのはちょっと変だけれど、
外海の空は、なぜかあじさいも似合っている。
悲しみを抱き続けてきた空だからかもしれない。
だからこそ、余計に美しいのだと思う。
遠藤周作は外海の海のことをあまりに蒼いと書いていたが、
空も透き通るように青く、心洗われる。
そういえば、この長崎外海の空をおもってつくった
「そらいろワルツ」もよみがえる。
今しばらくは、2つのマイソングを鼻歌に、
長崎のあじさいを愛でながら
あの「そら」を思い出すとしよう。
魂を未来へ伝えるプロジェクト発進
1枚目の写真は、遠藤周作も愛した長崎市の外梅の出津にあるド・ロ神父がつくられた
旧救助院という施設の中にある、まさにド・ロ様が母国フランスより取り寄せられたオルガンと置時計。そこにド・ロさまの肖像画も一緒にある。
このオルガンを使って以前ここでコンサートを行ったこともある、
私にとっては大変思い出深い場所。
そして、そこで出会ったシスターともご縁を長くいただいている。
https://shitsu-kyujoin.com/publics/index/3/
久しぶりにそのシスターに連絡をとると、見せたいものがあるということで、
今回ご案内いただいたのが2枚目からの写真。切り開かれた山から見える眺望に
心が開かれていく。
ド・ロさまのおかげで見ることができる、本当に美しい世界だ。
フランスの宣教師ド・ロ神父は明治時代、来日されその生涯を終えるまで、ずっとこの長崎のここにとどまり、地元の女性に教育を行いながら、地元の振興に尽力された。
キリスト教の禁教時代には信徒たちが長崎市内から逃げてきて、潜伏しながらも信教を続けた、決して肥沃な土地とはいえないこの一帯をド・ロさまは耕し、田畑をつくり、作物を育て、パスタなどの工場もつくり、その仕事を女性たちに教え、布教を行った。
印刷、建築、医学などの知識を有したド・ロさまはまさにマルチな才能をこの地区の繁栄に
尽くされた。
そして、今、ド・ロさまの偉業を未来に伝えようということで、素晴らしい取り組みが始まっている。
ド・ロさまと歩くミュージアムづくり。
オルガンとの出会いをいただいたシスターたちの悲願のプロジェクトである。
ド・ロさまと地元のみなさんが切り開いたこの地区を今再び、多くの人に知っていただき
たい。生活に必要なものを自分たちで作る。SDGsという言葉がない100年以上前から、
持続可能な生き方を実践されていた先人たちの暮らしを知ることができる。
それは、ド・ロ様の教えによるもの。
ここを訪ねれば、その偉業をよく理解することができる。
今、ド・ロさまが作られてきた畑や作業所を整備しながら、
公開しやすい形へと工事も進み、近いうちに一般にも公開されることになる。
キャンプをしながら、自炊をしながら、ド・ロさまたちが生きた時代に思いを馳せる。
「多くの観光客に来てほしいのですか?」
「いえ、単に観光ではなく、ここにきてド・ロさまの遺されたこと、思いを知ってほしい。
そういうために皆さんに訪ねていただきたいですね」
と、案内してくださった赤窄シスターはおっしゃる。
意味のない利益権益まみれの無駄なイベントや施設の建設ではなく、
先人が残した大切なお宝を守り伝える事業こそ、行う意味がある。
ド・ロさまと歩くミュージアム。ぜひ応援したい。
そして、また近いうちに訪ねたい。
なぜか印刷にも精通されていたド・ロさまがこの出津の地区を
愛されたということや、あの素敵なオルガンを遺されたということで
勝手に親しみを持ち続け、そしてご縁を感じている。
そして、ド・ロさまの素晴らしい取り組みをぜひ、一人でも多くの方に知って
いただきたい。ご案内いただいたシスターのお気持ちに感謝し、
微力ながら応援を続けたい。
本プロジェクトの詳細はこちら
https://fr-doro.jp/
結論は先!まずは骨組み!
時々、リクエストをいただき、スピーチのレッスンを行っている。
今回は20分以内で自らの地域づくりについての考えを、地元の
ビジネスパーソンにお伝えするのがテーマ。
スピーカーの話を聞いてくださる方たちが、この人を応援しようと
思ってもらい、ともに力を合わせて地元を元気にするきっかけづくり
になればという主旨である。
想いがあふれて、言いたいことがいっぱいあると、
いきなり話してしまう。そしてそれが延々と続く。
「ちょっと待ってください」
「今日は何について話すんですか?」
「タイトルもですが、何が言いたいですか?言いたいことを
先に、『今日はこれについて話します』と、結論を先に話すと
相手にも聞く気持が生まれますよ。
たとえば、今日はこのタイトルに対して私の提案として
3つの◌◌について話します。という感じで。
それから、ひとつめ、ふたつめ・・・と話しを具体的にして
いったらいいですよ・・・」
「いきなり原稿を書くのはやめた方がいいです。
何を話したいのか?のプロットからですね。
話の組み立てをまずすること。骨組みが必要なんですね。
骨組みができたら、肉付けをしていけばいい・・」
とまあ、そんな話をしながら、構成についてこちらからの
アドバイスを伝えると、話す人も少しづつ変わってくる。
そんなこんなで、週末返上、出張先での途中下車もなんのその
で対応したこのレッスン、成果が出てきた。
今日は本番。うまく伝わりますように。
結論を先に。そしてわかりやすい構成で。
原稿をすぐ書きだすのはやめよう。
何を伝えたいか・・が大切だ。
人様に伝えながら、自分でも毎回自分のことを見つめ直している。
人に伝えるたびに、復習と確認。
自分はできているか?の確認。
コミュニケーションは、「伝わってこそ」である。
歴史ロマンを感じる1枚と・・
長崎に初めて足を運んだのは、農業青年の勉強会がきっかけで、
もう十数年前のこと。
そのとき偶然立ち寄ったカステラ屋さんとの出会いが、今に
いたっている。
気が付けば、長崎の親戚ぐらいの気持ちで、心あたたかい
おつきあいを続けさせていただいている。
そのお店は、本店のみで製造販売をしており、あとはグラバー
邸のカフェや、大浦天主堂下の店舗近くで営業する近隣のカフェ
での商品提供をするほか、あとは長崎県のECサイトへの掲載と
いった感じで、地道に営業を行っている。
華やかに宣伝活動をしていないところが、私としては大変気に
入っているところ。代々、職人の技を大切に誠実にモノづくりを
されている点が、本当に素晴らしいと思う。
どの方にここのカステラを勧めても、「ここのが一番美味しい!」
と言われる。なぜか自分までうれしくなる。
さて、店内は昔ながらの立派なショーケースにカステラ商品のバ
リエーションが並んでいるが、私が気に入っているのが壁面に
掲げてあるこのイラスト。
当店のラッピングペーパーにも採用されているものである。
なんとも、南蛮文化の香りが伝わる1枚だ。長崎に異国の人たちが
訪ねてきた時代をイメージさせてくれる。
長崎に渡来した人たちのおしゃべりの声が聞こえてきそうだ。
この絵を見ると、さまざまな歴史をもつ長崎の楽しい面が
浮かびあがる。
聞いてみると、地元の幼稚園の先生をされていた方が描かれた
のだという。まだこういったイラストが主流ではなかった
時代に描かれたそうで、なんともノスタルジー漂う1枚であり
私はこの絵がとても好きだ。
悲しみと苦しみの歴史があって、一方、楽しさや美味しさの歴史
もあって・・・。
悲喜こもごも、なんとも味わい深い長崎・・・。
久しぶりにこのイラストを見ていたら、横に掲示されている
表彰状に目がいった。
なんとまあ、佐藤栄作の名前がある。約60年前の表彰状だ。
すごい賞状だ。日本の経済が発展をはじめる頃のものだ。
先代が努力されてきた味づくりを、今も誠実に守り抜いている。
時代が変わっても、普遍なるものとは?
世界と自分とのかかわりは?
長崎にはそれらのことをしっかり考えさせてくれる、
動機のツールが無数にある。
これからも、このお店を、そして、この町で頑張る人たちも
末永く応援していきたい。
急に思い出が蘇る瞬間!
週末に行ったコンサートのお客様。
50代以上の方が多かったように思う。
そして、最高齢は90代の方。
いずれも昭和生まれ、昭和育ちで、令和を生きるみなさま。
皆さん、とてもお元気で仲が良く、いきいきとされ、
演奏やトークには
熱心に耳を傾け、笑ったり、時々目を閉じながら聴いたり、
涙を浮かべたり・・
と実にみなさん表情豊かに楽しんでいただいていたようだ。
休憩時間、帰り際に90代の方から声をかけていただく。
どうやら、私の演奏で、海外旅行での珍道中を思い出された
ようだった。
「さっき弾いてくださった曲、ドイツへ旅したときに、
その町の居酒屋で皆で踊ったことが思い出されました。
忘れていたのに、突然よみがえったんです。」
とこちらにもその居酒屋での情景が浮かぶように、
思い出を語ってくださった。
さらに、わがテーマ曲である「人生は観覧車のように」を
初めて聴かれ、
「なんだか、パリにいるような感じになったわ。シャンソン
のような曲ですね」
そこから、ヨーロッパ各国をお友達と旅されたときのエピソ
ードを語り始められた。
「演奏聴いていて、急に思い出したんですよ。」
しばらく思い出すことがなかったご様子で、その様子を
語ってくださった。すっかりタイムトリップされたように。
音楽の力は本当にすごい。
忘れていた懐かしき時代を瞬時に思い出すのだ。
その時代は目に見えるように、浮かび上がるのだ。
私自身もそういうことがある。
そのため、お客様の言葉はとても心に響いた。
気のせいではないと思うが、皆さん、来られたときよりも、
頬を紅潮させ、にこにこ、そして少し若返った感じで、
笑顔でお帰りになった。
今回の出前、寄り添いコンサートのミッションは
無事果たすことができた。
アンコールの声もうれしかった。
お客様が喜んでくださると、ほんとうに、ほんとうに
うれしい!
さあ、次の旅、次の種まきに出かけるとしよう。
間に合ったギフトソング
おかげさまで、昨日の糸魚川での記念コンサートは
盛況のうちに、終わった。
25周年の記念コンサートであるので、何かオンリーワンの
ことをしたい、しなければ・・と思いつつ、日が近づいた。
なんとか、本番までに間に合わせたかったギフトソング。
発想する余裕すらなく、前日から焦り始めた。
絶対1曲つくっていかねば・・・。
メロディーが浮かぶのを待つ。浮かんだら構成する。
その上に歌詞を乗せる。
曲も歌詞も浮かんだらあとは早い。
前日の夕方メロディは浮かんだが、歌詞がまだ・・。
当日の未明にとりかかる。
なんとか出発する間際にできあがり、
といってもデスク上の完成。演奏は会場で直接。
移動中に何度も歌詞カードを見ながらイメトレ。
会場でのリハーサルのときは、誰にも気づかれないように
歌詞を唄わず、ハミングで練習。
本番は順調にプログラムをこなし、いよいよフィナーレ。
ここでサプライズのギフトソング・・・。
一番緊張した瞬間。
さあ、ちゃんとメロディと歌詞が、コードが合っているか?
唄い始めたら、止められない。
お客様も、主催者もオリジナル、出来立てと聞いて余計に
集中され、何とも言えない緊張感が会場を包む。
完璧とはいえなかったけれど、無事初演。
何名かのお客様も主催者も涙目になっておられた。
早速、楽譜がほしい、CDがほしい・・とのお声もいただいた。
ということで、今回の出前コンサートは無事に終了。
お客様にも、主催者にも喜ばれる時間になり、
本当によかった。
片道5時間はさすがに遠かったけれど・・・。
大満足の本番となった。
トップの写真は、横浜からおいでいただいた、マーサ応援団!?
のA.Tさんから早速お送りいただいたものから。
カフェでの演奏会であったため、演奏している自分の後ろに
カウンターが見えている。
初めて、こう見えていたんだ~。
なんとも雰囲気のある、いわゆる専用の会場でのコンサートとは
違う、出前コンサートとなった。
コンサートは、どこででもできるもの!
以下は、間に合ったギフトソングの歌詞。
(無断転載は、ご遠慮願います)
準備完了!出前コンサートにいざ出発!
「準備完了です!」昨日の午後4時ごろ、この言葉とともに届いた
写真。
本日午後開催する、糸魚川でのコンサート会場のものだ。
郷の茶店「えほん」さんの25周年を記念してのコンサート。
ほんわか手作り感満載の会場だ。
こういう感じなら、衣装はどうする?
今朝、思案しながら荷物の準備にとりかかる。
みなさんに協力いただいてご準備されたとのこと。
看板からそこに付けたお花から、会場づくりから・・・・。
すべて店主のお人柄とおつきあいの中から、今日のコンサートが
実現となった、30名ほどのコンサート。
一度伺ったことがあるお店であるが、本当に30名お店に入るのかな。
このお店は四半世紀も、地域の皆さんに愛されてきた。
店主ひとりで、いや、周囲の皆さんとともに重ねてこられた25年間。
少しでもお役に立てるように。
ドアからドアへ、片道約5時間かかるが、行はイメトレ、帰りはバタンキューか。
コンサートの後の途中下車と会議を忘れないように、
まずは出前コンサートに出発。
えほんさん、えほん応援団のみなさまのご準備に心より感謝を込めて
言い出しっぺのお祝いコンサート。オンリーワンの音楽の贈り物をお届けしたい。