忙しくなるSEPTEMBER

BERが語尾につく月になると、牡蠣がおいしくなるんだよ。と教え
られた中学生の頃。
果たして、この地球高温化(あえて、温暖化ではなく)の今日も
同じだろうか。きっと違うだろう。
昔は、秋の訪れを感じるうれしい9月であったが、今はまだまだ
戦いの残暑。

その9月、今年はなぜか忙しくなりそうだ。
なんと、珍しく、1か月で5回のステージがありそう。
その規模、長さ、対象、目的はすべて異なるが、急に9月の
演奏依頼が舞い込んできた。ありがたいこと!
企業、組織の周年、定例のコンサート、敬老の日、お彼岸・・・。
連日出演という週もありそうだ。

なぜ、急に9月に?
9月はグラン・ルーのアニバーサリー。17日には27年を迎える。
私にとっては、おめでたい月。
なんだか、今回は記念すべき新しいスタートになりそうだ。
新たな出会い、長いおつきあい、意外な展開・・・。
とにかく、ご依頼をいただけるとは、大変ありがいこと。

思いがけないチャンスを多くいただけ、うれしい限り。
出前コンサートが意外と違う展開で広がってきているような。

今年の夏は、暑さに負けていられない!

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後輩の旅立ち。

今年2024年前半もそろそろおしまい。
なんと時間が経つのが早いことか。

会社員時代の後輩が、今日をもって卒業。
そして起業に向けての道を歩み始めるという。

自分の25年前のことを、くっきりと思い出す。
会社員最後の勤務日のこと。

最終日まで、得意先へプレゼンに行き、
そこで
「今日で私、会社を退職します。今日が最終日です」
といったときのお客様の反応が今も浮かぶ。
ほんとうに、今日でやめるのかなと思いながら過ごした最終日。
そして、最後は今とは違う、昔の京都駅のホームでの壮行会。

上司や部下たちが、送ってくれた夜行列車までの時間。
(なぜか新幹線ではなく・・。)
花束をいただき、駅のホームでみんなで撮影した1枚も懐かしい。
別れたあとの車内での脱力感と、達成感と・・・。

と、今朝そんなことを思い出した。
後輩は希望に満ち、まさに満を持しての今日であると思う。
彼は、今朝どんな気持ちかな。

昨日くれたメッセージは
「最後までつとめあげて、卒業しますね」
大人になったなあ。成長されたなあ。
新入社員の頃のとてもヤングだった彼を思いながら、
今日はなぜか自分も胸いっぱい。

終わりよければすべてよし。
まずは、今日が最高の最終日になるように、心から応援したい。


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知的時間を手軽につくる。

東京日本橋で、ほんの15分、20分時間ができる。
ちょうど、目の前に大きい本屋。
ああ、久しぶり。へえ、本屋は9時半からやっているんだ。
時間つぶしに入ってみる。
そういえば最近、本屋に改めて入るということが少なくなった。
本もAmazonで・・。ということも増えているため、
久しぶりに書店の空間の中に身を置くことは大変新鮮。
ついつい、仕事柄、本の作り手や、売りたい側の意図も考えて
しまうため、まっすぐにメッセージが入ってこないものもある
けれど、純粋に多くの本がずらり並ぶ環境は、タイトルやキャッチ
を見るだけでも、大いに勉強になる。
また、本のデザインを見るという点でも面白い。
ネットでは見ることができない、アナログな知的世界。
検索することももちろんできるけれど、一冊一冊を眺めることで
いろんな想像も膨らんでくる。

今取り組んでいる仕事のテーマに合った本を思わず探す。
ああ、こういう切り口があるのか、とタイトルを見るだけで
すでにヒントがみつかる。
勉強会に行く、講座に出るなど大人の学び方もいろいろ
あるが、本と向き合うだけでも十分勉強になる。

本を読む。
意識しないと、時間は作れないが、ネットに流される日々のなかで
しっかり活字と向き合う時間をつくりたい。
たとえ1日30分であっても・・・。
もちろん電子ブックもよい。けれど、たまに書店に足を踏み入れ
本たちに囲まれる時間も良い。

昨日は、結果的にある経営者の著作を1冊買ったけれど、すでに読む前に
得られた知的好奇心。

これを磨き、自分に火をつける。
図書館も本屋もどちらもいい。
夏休みに図書館に通った日々も懐かしい。
本屋では、今の世界が見えてくる。
その冒険を楽しみたい。

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休刊、廃刊、どこまで。

今年になって、愛読している広報誌・雑誌関連の印刷物の休刊、廃刊が
続いている。
昨日も、またひとつ、あるカード会社から最終号が送られてきた。
これもコロナの影響のひとつ・・か。

最後の表紙こそ、その広報誌らしく、きれいな写真を使って記念号にして
ほしかったが、まっしろな表紙に
「55年間、ご愛読ありがとうございました」
との文字が大きくあって、何とも言えない気持ちになった。
どんな気持ちで最終号をつくったのだろう。
本当に最後だからこそ、いつもどおりお客様がわくわくする表紙で締めて
ほしかった・・・といきなり残念な気持ちに。
それぐらい、終わってしまうということは、読者だけでなく、作り手にも
インパクトがある。いや、作っている方にこそダメージが大きいのだろう。

先日、長崎に生涯暮らし、聖書を印刷する技術を伝え、布教活動と
地元の繁栄のために命を投じたド・ロ神父の拠点に足を運んだが、
あの当時は、印刷はこれから!未来のコミュニケーションツールで
あったのに、100年以上が経過した今は、印刷よありがとう、さようなら!
の時代になってしまっている。
印刷はグーテンベルク以来、世界の三大発明と言われていたのも、
今は昔・・・か。

ではあるが、
デジタル中心の世の中が加速しても、、価値あるメッセージを伝えるため
に、紙媒体は、なくなってはいけない。
どうか、印刷に携わる皆さんも、ふんばってほしい!

一方、地方の新聞社につとめる記者歴のある知人が、新聞づくりに関わって
きたからこその何かをしたいと、今、挑戦を始めようとしている。
こういう人の活動も重要だ。新聞社にできること、記者にできることの模索と
実行!

休刊、廃刊。とても残念であるけれど、もしそうなってしまったら、
最終号こそ、絶対永久保存したくなるものをお願いしたい。
また、そうならないように、あって当たり前。と思わず
丁寧につくり、また作り手の心を大切にして、しっかり受け止めたい。

創刊が続いた昭和後期が懐かしい!
メディアのプロが元気だったころが懐かしい。

真っ白な最終号のページをめくりながら、いろんな思いが沸き上がる。

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葛藤、止揚、成長。

生きるって、なかなか。
と思うことは多い。
きっと自分だけではないと思う。
いいこともあり、そうでないときもあり。
そういうつもりじゃないのに、そうじゃないのに。
と、日々口には出さなくても、心の中で叫びたい
そんなことはある。

一方、やってよかったなあ。伝わってよかった。
ああ、うれしい。生きててよかった。
と思える瞬間もときにはある。

日々生きながら、自分と戦い、世間と戦い、
目の前の課題をひとつづつクリアしながら
次のステップに進んでいる。
毎日、24時間足踏みをしているのではなく
葛藤も含めた、多様な経験を積みながら、
気が付けば長い時間を生きていることに
気づく。
葛藤もせず、乗り越えもせず、であれば
一見、楽ではあるが、それでは生きる甲斐も
ない。

葛藤とは相手に、自分に向き合うところから
生じるもの。
また、意志があるからこそ、思いがあるからこそ
生まれてくるもの。
葛藤とは、生きている証しでもあるのだ。
と、前向きに考えたい。

葛藤しながら、成長する。
そんなことを考えていたら、久しぶりにヘーゲルの
「止揚(アウフヘーベン)」を思い出した。
正・反・合。と表現すればわかりやすいか。
正しいもの、そうでないと思うもの、それらを両方受けとめ、
客観的にとらえながら、さらに発展させること。
賛同できないことも、見る角度によっては、お宝になることもある。
そういう見方もあるのだ。と思えば、世界は広がるのだ。

久しぶりに思い出した。
日々の葛藤を越えて、より高みにいこう。
そう思えば、小さな悩みも成長のタネに思えてくる。

止揚。受け止めて成長すること。
悩める日、迷える日こそ、そんなことを改めて意識したい。

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何事にも終わりがあるから。

十数年ほど、一緒に仕事をしてきた仲間に、毎年一緒に出てきてきた会合の出欠を確認する。
「今年はどうします?」当然、今回も参加されると思ってたずねた。
「20年ぶりに欠席します。自宅で留守番です。どんなことにも終わりはありますね」
との返事。
そう、定年退職したせいで、その会にももう出席しないということだ。

周囲ではいろんな変化がおきている。
雇用延長の制度もあって、定年後もまだ一部仕事を続けているが、かつての現役時代とは、もう違うよ!という意味だ。

「何事にも最後がある」

最近、そのことについて、よく考える。
たしかにそうだ。
ものごと、はじまりがあれば、終わりがある。
今は終わりを意識することが増えている。
これは何とも言えないのだけれど・・・・。それが現実。

何事にも終わりがある。
終わったあとは、何かあるのか?_

と、自分の先を見ながら、どう着地させるのかを真剣に問いかける
自分がいる。

終わりがくるまでの間、どうする?
もちろん、終わりをどこに設定するか?によって、すべて変わってくるが。
でも、終わりは必ず来る。

映画でいえば、FIN、FINE.この言葉はとても好きだ。何とも余韻がある。
こんな言葉が似あうように、
人生もカッコよく終わらないと・・・。

いい結びにするために、今日も終わりを意識して過ごしたい。

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元気に旅立つ1枚のための助手?

母の写真が大変好評で、旅立って3年以上経った今も、「あの写真はいいね」
「私もああいうのが欲しい」という声をいただき、ついに、「いい写真屋さん
紹介してもらえないか?」との相談もいただく。
そんなこんなで、地元で時々ご無理いっているアマチュアのカメラマンの
方にお声をかけて、撮影会を開催することに。
私は今回は、そのモデルさんの表情を引き出す役。
ご本人の向かいに座って、会話をしている感じで、そして時々、「口を
閉じて。」とかいろいろ注文を付ける役。
最初、緊張されていたご本人も、撮影いただいたものを見せると安心して
表情が柔らかくなり、慣れてくる。
途中で衣装も変えたり、場所も変えたりしながら、撮影は順調。
おかげで無事終了。で終われず、「実は、親友が・・・」と、施設に住んで
おられるお友達の撮影の相談まで受けることになる。
「ああ、これで元気に、悔いなく旅立てるわ。娘たちと写真を選ぶわ」
とモデルさんは大喜び。いざというときに、いい写真が用意されていると
気持がずいぶん違うのだろう。
この写真は、モデルさんが着替えている間に、どんな風に映るのかと
試し撮りいただいた瞬間のショット。
人を笑わせていると、こちらも自然に笑顔になるもんだ。

さて、私の最後の1枚は?もう改めて撮らなくていいけれど、時々
撮っておくのも良いのか?それとも、若い時の一番気に入っている
写真がよいのか?まあ、そこに自分はいないから、何でもいいけれど。

元気に旅立つ、悔いなく一生を終えるために、1枚の写真の存在は
大きいようだ。

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若者と中年。

最近、ありがたいことに20代前半の人達とのやりとりが増えている。
新社会人の人と一緒に仕事をすることも多い。
仕事以外でも、年下の人たちとの接点が増えている。

いわゆるZ世代の人々。デジタルネイティブと言われ、私が生まれ育った
時代とはまったく違う情報、コミュニケーション環境の中で育ってきて
いる彼ら、彼女たち。
昭和生まれの自分など、うまく交流できるのかな?と思っていたら、
なかなかいい感じで協働できている。

確かに、ネット上でのやりとりは、シンプルであり、敬語で対応されない
ことも多く、そこは少しまだ戸惑いもあるが、「いいね」のワンクリックで
返事をすることに慣れている人たちであるので、礼儀を知らないとか
敬語をわきまえていないとか、そういうことではない。
改まったビジネスの場面に遭遇したことがない、経験がないから、知らない。
それだけのこと。だから、気づいたら教えてあげたらいいし、
物事の本質が理解できたら、その後の行動も早い。素直である。

そんなこんなで、今若い人達と一緒にやりとりするのが、楽しい日々を
おくっている。
彼らに発信する言葉には責任をもつ。
いい加減なことは言えない。背中を見られていることは間違いがない。
そのことはちゃんと意識して。大人としての彼らに丁寧に向かい合う。

次代を生きる人たちに少しでも役立つように。
何ができるのかを考え、楽しみながら仕事をさせていただいている。

先日、新入社員のひとりから、
「今尾さんから、モニター越しに、元気が伝わってきます」
オンラインミーティングをする際に、そんなことを言われたことを
思い出す。お互い画面越しに、スマイル交換。
そうか、画面越しにも、元気は伝わる、伝えられるのだ!

そう、デジタルコミュニケーションに慣れている若者たちが
めいっぱい元気に生きること!へのヒントを示せたらいい。

異世代の出会いは、こちらも学びが多い。
そんな機会をいただき、ほんとうに、本当にうれしい。

先輩たちとのかかわりも大切にしながら、
若い人との出会いも楽しませていただく。
まさに、中年。
これからも、まんなかでいることを意識しながら
出会った人たちに、元気を届け続けたい。

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願いごとを改めて。

「短冊が書けた~」と、連絡が入る。
そう、先日行ったコミュニケーションの勉強会での宿題は、短冊にそれぞれの願いを
書くこと。そして7月に入ったら笹が届くそうなので、それを会社の受付に
置いてみんなで飾っていただき、会社の他の方にも書いていただくようおすすめ
する予定。そう、みんなでつくる七夕。会社での小さな恒例行事になればと思っている。

みなさんが書いた短冊を見ると、自分の個人的な願い事を書いている人、世界
平和を願う人、仕事の目標を書いている人、それぞれ個性が出ていて、顔が浮かび、
思わず笑みが出る。
改めて、自分の願いや思いを短冊に書いたり、神社で絵馬に書くときなど、
心の内を文字に表すとき、ちょっとだけ厳かで清らかな気持ちになれる。
そして、前向きになれて、とてもいい。

さて、今の、自分の願いごとはなんだろう。
・・・と考えてみる。
やっぱり、平和な世の中であること。そして、愛にあふれる社会であること。
と、大きくなってしまうけれど、それが生きる上で一番願いたいこと。
そうなるために、自分ができることをひとつひとつ、行動していくしかない。
そのためには、まず健康第一か・・。
なかなか願い事はひとつにまとまらない。

まずは、今日一日が、素敵な日であるように。

そして、毎日、願い事を描いて過ごすといいかも。

今回短冊に書かれた願い事が、全部叶うように、応援し続けたい。

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日替わりハッピーに感謝!

日替わりランチ、日替わりサービスというのはあるが、日替わりハッピーという
発想はどうだろう?
毎日いろんなしあわせに出会えるということ。
今日はどんなしあわせ?
どんな小さなことでも、毎日いろんな歓びがみつかれば、人生バラ色になる。
というのは言い過ぎだろうか?

一昨日もひょんなことから、素敵な縁をいただき、新たな仲間を得ることができた。
そして昨日は、久しぶりに劇団仲間との食事。
本当にゆっくり食事をするなんて、何年ぶり。
その間、コロナもあって、本当にいろいろあったが、
それを乗り越えて、久しぶりの三人での会食。作家と役者とわたし。

あっという間の二時間、
名残惜しいが、また会おう、京都で山口でまた演ろうと約束しながら駅で別れる。
帰宅する前に、久しぶりにあった役者さんから、こんなメッセージが入っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本日は食事会にお招きいただきまして本当にありがとうございました。

久しぶりの複数人での晩ごはんは、賑やかでとても楽しく美味しい時間を過ごさせていただきました。やはりワイワイと食卓を囲むって良いものだなと身に染みて実感致しました。
楽しい場にいられたことを感謝申し上げます。

リクエストを一曲。今、電車の中で女優のアヌーク・エーメが亡くなられたとニュースを見ました。彼女の代表作である映画「男と女」のテーマ曲をリクエスト致します。僕の大好きな映画の一つです。ダーバダ、ダバダバダ♪って曲も大好きなので是非コンサートでやって下さいませ。宜しくお願いいたします。それと、健康診断も宜しくお願いいたします。

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なんだか、役者さんらしい、セリフのような素敵な言葉だ。
部隊の上の彼の声を聴いているかのように、読めた。

元気でよかった、一緒にいたことを喜んでもらえてよかった。
男と女・・懐かしい。大好きな映画音楽。ぜひやってみよう!

と、昨日もこんな幸せをいただいた。
日替わりハッピー。今日はどんなしあわせに出会えるだろう。

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