深呼吸、冷静、俯瞰。

生きていると、どうしても日々いろんなことが次々起こる。
人生はドラマだと、本当にそう思う。
あっちでこっちで、いろんなことに巻き込まれる。

みんな、それぞれ一生懸命に生きているから、まっすぐ前しか見ていないこと
もあり、ときに大変狭い視野での判断や行動をしている場合もある。

それって大丈夫かな?

改めて、その狭い道に一緒に紛れ込まないように、事象を俯瞰してみる。
他の人の意見もきいてみる。
すると、いろんな見方も広がってくる。

そして、あまりに急いで行動しないためにも、とにかく深呼吸。
そして、冷静に事態をとらえるようにする。

とかく走りすぎて間違った方向にいくこともある。
そんなときに、それは違いますよ。少し考えた方がいい。
と、冷静に穏やかに言える人でいたい。

しんどいときこそ、深呼吸して、冷静に。そして俯瞰する。
このトレーニングをすることで、大きな心と、確かな判断をもつことができる。
急がば周れ、焦らず、冷静に。
観覧車は早く回すことが優先ではない。心豊かに楽しくハッピーに回すことが
大切なのだから。



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平和は祭典ではなく、日常であれ。

オリンピックも後半。
マスコミの過剰な反応を見るにつれ、早く平常モードに
戻ってほしいと思ってしまうのは、私だけか。
選手たちのがんばりは、素晴らしく、本当にえらいと思う。
ただ、国別にメダルの数を競ったり、また金メダルをとれなかった
からといって、「申し訳ない」と涙を流す選手を見ると、なんとも
複雑な気持ちになる。
スポーツって何のためにするのか?誰のためにしているのか?
すごい特別なことなのか?と、いろんな思いが入り混じる。

ある報道で興味深いことを伝えていた。
日本では、スポーツは「教育」。お国の管轄もそうである。
だから、こうしなければならない。勝たねばならない。
その道にいない人間からすると、息苦しい感じはする。
一方、アメリカでは「エンターテイメント」であり、フランスでは
「文化」であると。
なるほど、確かにと思う。

自由に自分を表現し、力を存分に発揮して、結果も出る。これが一番。
でも、何かを背負って結果を追い求めるために、歯を食いしばって・・・
というのはどうか?
自由に、自己実現、自己表現。そのための挑戦であればいいが、
何かしんどさがある。これはあくまでも自分の勝手な見方であるけれど。

一方、アーバンスポーツやイースポーツといったジャンルが注目される。
ゆるい感じもあり、またそれがスポーツ?と思う一面もあるが、
それでも障害やさまざまな壁を乗り越えて、「一緒に楽しむ」という
ところがとても良い。
そこが一番大切である。
となると、スポーツとは何か?オリンピックとは何か?
について改めて考えたくなる。

近代オリンピックの功罪については、学生時代に学んだ。衝撃であった。
それが今も続いているのかも。

また、平和の祭典といっているのに、この間も戦争が行われているのは
納得がいかない。オリンピックやっている場合か?とも思う。

なんのため?にやるのか?
世界の皆さんが、国を越えて、
仲良く楽しく、コミュニケーションをするための
ツールがスポーツである。
ただ、それだけでいい。思えてならない。

勝った負けた。
青春の一コマとみれば、それは美しい。
が、こんな大きな装置がなくても、十分に楽しめるはず。

と、毎日、どのチャンネルにも手が止まらず、早く平常にと
思ってしまう。

今日は、広島に原爆が投下された日である。
せめて、その時間に黙とうをささげる・・・オリンピックに
そんな時間が予定されているだろうか?
もちろん、一人一人がそこに気持ちを向ければよいけれど。

平和は日常であればよい。
平和は祭典でなくてよい。そんな特別なことでなくてよい。
何もなくていいから、日々、平和であるようにつとめる。
そのことが大切なのだ。
と改めて思う。
8月6日。今日は広島出身で原子力の研究を続けてきた知人と
再会する。
その方の気持ちに寄り添いたい。

改めて、平和は非日常の祭典ではなく、
あくまでも日常であってほしい。

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若き人たちと出会い、交わる。

何年生きることになっているのかわからないが、
その間に、どれだけの新しい出会いをみつけ、そこからいかほどの
素敵な関係をいただけるか。
この先はわからないが、これまでいただいたさまざまな出会いを
ふりかえると、本当にいろんなケースがあって面白い。
仕事で出会う人がほとんど。上司・部下、取引先としてやりとりを
して、そののち、退職、転職されてもつながっているという方が多い。
それ以外には お店の人とお客さんの関係というのもある。
この関係のままでは、なかなかプライベートな関係にはなりづらい
昨今ではあるが、立場が変わってから、再び連絡をいただき、交流が
始まるということも多い。
最近では、個人情報の問題も厳しくなっているが、お店がなくなって
しまったり、転職されたり、それでもお互い意志をもって、連絡を
録り続けたいという気持ちがあれば、赤い糸は切れることはない。

出会いは、実にさまざまだ。
なかでも、同時多発テロのニアミスのときに出会った人たちとの
ことは今も忘れることができない。
緊急事態下での出会いは、格別なものになる。
もう会えない人がほとんどであるが、あの出会いは自分に大きな影響を
与えてくれた。みなさん、お元気であろうか・・とふと思い出す。

最近は、若い人との出会いが楽しみになっている。
お客として通っている店で、仕事先で、地元でのひょんなご縁で。
20代30代の人たちとのキャッチボールは意外と面白いものだ。
彼らから自分はどう見えているか?も気になり、会話を楽しむ。
年上の方との交流は存分にさせていただき、これからも消えないように
努力を続けるが、
若い世代との対話こそ、学びになることも多い。
不確実な時代を生きていかねばならない若者たちのしっかり前を向いた
生き様を知り、応援する。
自分の若かりし日を思い出しながら、今でも、今からでも決して遅く
ないと改めて前を向く。

先輩たちには、人生の終わり、結び方を学び、
若い人には 彼らに寄り添いつつ、未来への向かい方を学ぶ。

私もまだまだ前に向かっていかねばならないのだから。
出会いづくりを楽しみ、人生をより深く掘り下げる。
若い人が元気に生きられるように。
ほんの少しでも、いい影響が与えられるように。

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何よりうれしい言葉。

ほんとうに、今の仕事は天職だな~と思うことが多い。
やっていて、自分次第で、道が開ける。
自分の個性を生かすことができる。
一重に、それができるお客様と出会いをいただいている
からこそ、仕事ができる。
出会いがなければ、何もないのだから。
なんと幸運な人生なのだろうと思う。

最近、あるお客様から、あるテーマの会議のための事前資料を
送った。会議は翌日なので、責任者からそろそろ返事をいただいて
何かあれば再考せねばと思っていた。
「これでいいですか?」
「すみません。忙しくてほとんど考えられていないですが、
いただいた案で大丈夫です。今尾さんのことは信頼しているので
といったら失礼ですが、今尾さんに任せておけば大丈夫と思って
いますので、よろしくお願いします。」
とのお返事をいただき、思わず心の中でガッツポーズをとってしまった。
「あなたのことは、信頼している」
「あなたに任したら、大丈夫」
この言葉は、私にとって何よりもうれしい言葉である。

信頼されている。
この信頼は絶対に裏切ってはいけない。
期待に応え続けられるように、さらに努力しよう。

もっと喜んでもらえるように。

私はいいお客様に恵まれている。
ほんとうに、しあわせな人生。
ありがたい限り。
求められる限り、走り続けたい。

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浮かんだら、録る。

いつでも浮かんだアイデアを書き留めることができるように、小さな
メモノートを持ち歩く。そんな時代も今は懐かしくなった。
スマホにメモをする。あるいは、「忘れてはいけないから」として、
自分にメールを送る。そんな人もいる。
今はスマホが、日常の場面で自分のもうひとつの?脳として活躍して
暮れている。頼もしい限り。(頼ってはいけないが・・・)

昨日も歩いていて、今週起きたさまざな出来事を思い出していたら、
突然に、曲が浮かんだきた。
作曲は、実は瞬間芸で、浮かんだ!と思った時がすべてだ。

歩きながら、何度も繰り返し歌い続け、忘れないように・・・と思って
駅に入る。ああ、どこかで記録しておかねば・・・。
あまりの暑さに、とりあえず、来た電車に飛び乗る。
あ、しまった。電車の中では歌えないし、録音ができない。
どうしよう、どうしよう。

幸い、その電車はすいており、また駅ごとにさらに人がおりる。
気が付いたら、自分の周囲には人がいない。
「今だ!」誰もいないことを確認して、スマホに向かって、もちろん
他に聴こえないよう注意を払って、さっきから頭の中で鳴っている
メロディをささやき歌い、録音する。
はたから見ていたら、あの人何やってるんだろ?と変な人状態かも。
よし、とりあえず、録れたから、忘れても大丈夫。

そのあと、駅で電車をおりて、冷房の効いた、しかも人がいない
隙間の空間を探して、そこで車内で録ったよりも、少し大きな声で
唄い、再度録音。
誰もいないので、少し大きな声で録る。すると、車内でこそこそ
録ったときよりも、サビに磨きがかかる。いい感じかも?
よし、これで大丈夫。

まず、メロディラインが録れていれば、あとはなんとかなる。

と、突然浮かぶアイデアやメロディ。車内でも、どこででも
まずは書くから、録るへ。

浮かぶというこの瞬間に、生きていることを実感するのも
楽しい。
そして、早くお客さんの前で歌えるように。
酷暑でも、アイデアは生まれるものだ!

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車中で睡眠するなら

移動時間に休息、睡眠をとる。これは、私的には大変効率も良く、
良い手段だ。
車中でパソコン作業をすると、キービードをたたく音も迷惑がかかる
ことを気にしなければならないし、揺れながらの作業はカラダにも
あまりよくない。
何年か前までは、車中でも記憶が新しいうちにとすぐ報告書を書いたり
していたが、必要でない場合、今はあえてやらないようにしている。
むしろ、移動中は少しでも休んで、体力気力を養うために、ゆったりする。
しかし、新幹線では正直、休息ができない。
スピードが速すぎて体のリズムと合っていない感じ。
もちろん多少眠るが、乗り過ごしてはいけないと思いながらであり、
本当の休息になっていない。

一方、在来線の特急は、何かと良いことづくしだ。
スピードも安心できる快適な速さ。
昼間であれば、大きな窓からほどよいテンポで流れていく風景を眺める
のも大変、快適。
そんなこんなで、機会があれば、なるべく新幹線以外の手段を選ぶ。

名古屋を拠点にするようになってからは、とくに近鉄特急が気に
入っている。
とくに、「ひのとり」は最高だ。

移動の疲れを少しでも軽減する時間の工夫。
何に乗るかも、大切な選択。
リニアも長い時間をかけて、建設されているけれど、私には要らないなあ。
もうこれ以上、速いのは結構です。という気持ち。

価値とは何か。
時間の速さを競うだけでなく、時間の価値をもとめたい。
仕事であっても移動は、できる限り、楽しみたい。

それにしても、車中でまあ、安心して睡眠できるのは世界各国比べても
日本だけであろう。しかし新幹線もだいぶ危険になってきたけれど・・・。
そんな点からもローカルな鉄道に注目。大切にしたい。

車中で睡眠をとって、戻ってから夜中まで元気に仕事をする。
そんな日がたまにあるのも、悪くない。

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バラ色の時代よ、永遠に!


ついに来てしまった。
わがふるさと岐阜の繁華街を約半世紀にわたって支えてきてくれた
高島屋岐阜店が昨日、7月31日閉店となった。
出張と重なり行けないため、1日前に、私なりの最後のショッピングを
心置きなくさせていただき、よく通った店の人には、お礼のあいさつをし、
ひとり名残惜しく何度も何度も振り返って、別れを告げた・・・。
本当になくなるのかな・・・。半信半疑の1日前。

そして、昨日の閉店当日朝から、「ああ、今日は高島屋最終日だ。ああ、
最後なんだ」とずっと気になっていた。
催事が終わるのではなく、お店が終わる・・という実感はなかなか湧いて
こない。

今回、この閉店がきっかけで出会った知人(彼とはタカシマヤフレンズである)
が、なんと閉店時間直後に、閉店の様子を画像で送ってきてくれた。
この写真がその1枚。
すごい人が集まって、高島屋の最後を見送っておられる。
「悲しくも美しい終わり方でしたよ。あとで、動画も送りますから」
そして、フレンズは最後の店内の様子や、閉店の瞬間など撮影した動画も
送ってくださった。

 動画はこちら。撮影されたご本人の許可もいただいたため、ここに共有させていただく。                        

高島屋20240731 (youtube.com)

動画を見たら、いやー、泣けてくる。
自分の子供時代からのこと、とにかくいろんな思い出が・・・。
集まられた皆さんも、きっと同じだろう。私は途中、岐阜を離れていたから、
私以上にずっとこの町に住んでおられる方には、本当に身近な存在であった
だろうから、それがなくなる!とはどんなに寂しく、悲しいだろう・・。

「最後に店内に流れていた曲は、
エディットピアフの La Vie En Roseでした。
まさにバラの髙島屋にふさわしく、岐阜がもっともバラ色だった時代が思い出に
なってしまったようです。」
(撮影者のフレンズやっちゃんの言葉)

動画を見たら確かにピアフのラビアンローズ。この閉店の様子を
見たら、胸がいっぱいになってきた。
なるほど、悲しくも美しい終わり方とは、そういうことだ。 

下は7月に入ってから、お客さんが書かれたお店への感謝のメッセージ。
日ごとに増えていった。寂しくなります。ありがとう。1枚1枚見ていたら
これも泣けた。       

                  
商店街を彩ったこの垂れ幕。
お店にご苦労様でした。という言葉。
お店は、生き物だ。街と共に生きる存在だ。
そして
お店は、時代を超えて、お客様に夢と思い出を与えてくれるものだ。
そんなことを、改めて思った7月31日。

名残惜しい。
父や母にとっては、敷居の高かったバラのマークの百貨店。
だから、ハレの日の楽しみでもあったこのお店。
やっぱり、百貨店は楽しい。

終わりは始まりにつながることを信じて。
まずは、心からの感謝を込めて。


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半世紀ぶりの体育館で

母校。地元の小学校。岐阜市立長森南小学校。卒業してもう半世紀になろうとしてい
る。卒業してから、入門した記憶はなく、まさに卒業式以来の登校?。
母校の体育館に伺う。
なんと9月16日の敬老の日に、お祝いコンサートを!という依頼をいただいたのだ。
実は、これは親が元気だったころからの悲願のひとつであった。
「おまえがやればいいのに、やってくれたらいいのに」と何度も母はこぼしていた。
残念ながら、生きている間には実現しなかったが、今年お声がかかった。
もしかしたら、出張・出前コンサートのチラシの効果もあったのかもしれない。
両親がいなくなったあと、地道に行ってきたことがいろんなところで、つながってき
たのかもしれない。
その敬老の日コンサートは、母校の体育館で。ということでピアノの調子をみるため
に訪問した。
なつかしの校舎、思い出の体育館。あの頃歌った、校歌の歌詞も掲示されており、
ああ、校歌とは時代を経て歌い継がれるものなのだと自らのその時代を懐かしく思い
出し、思わず口ずさんだ。
写真はステージ上にあるピアノ。もしかしたら、自分の卒業時に使われたときのもの
かも。
もしかしたら、演奏したのは自分だったかも?もう記憶もあいまいであるが、とにか
くここで行われた卒業式のこと、もっとさかのぼって少女時代の自分が頭に浮かんで
きた。
ピアノ、エレクトーン少女の時代。親が必死にレッスンに通わせてくれた時代・・・。


そんな思い出いっぱいの体育館で、そのピアノで、両親と仲良くしていただいた80
歳の方に長寿のお祝いのコンサートができるとは、本当にうれしいことだ。
両親も、にこにこ、会場で一緒に見てくれることだろう。

酷暑のなか、向かった母校では、時代を経ても変わらぬ地元愛と、そこに育つ子ども
たちを熱心に育てる先生たちのご尽力を感じることができた。
昨年150周年を迎えたとのこと。200周年もその次もぜひ残ってほしい。
自分が地元にできること。感謝をこめて。熱い夏。元気にGO!

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マイノリティの輝きにエール!

バイデンは、偉大であった。よくバトンを渡してくれた。
これで風向きが変わったかと思われる、アメリカの大統領選。
隣国のことで、自分が投票できるわけでもないが、それでも
カマラ・ハリス氏には注目している。実は前回の選挙前から
ずっと注視してきたから、もう5年以上になる。
これから、投票日までいろんな事件も起きうるが、それでも
若者は女性は、そしてマイノリティとされてきた人たちは
それなりの行動を起こすだろうと期待している。

カマラ・ハリス。もちろんバックボーンは違いすぎるが、
それでも同世代であること、いろんな意味で(内容は違うが)
マイノリティのなかを生きてきたという女性、そして子どもを
持たないという点でも共通している。
一番大きいのは、ほぼ同い年という点。
まだまだ力が発揮できる、若さがある。
そして経験も重ねてきているから、説得力もある。
そんなことで、とても期待し、応援している。

裏金問題がどうなった?と言いたくなる日本社会。
不正を正し、悪をなくす。
裏も表もない、透明性ある社会。
そんなことは現実には難しいのかもしれないと諦めかけて
いた矢先のハリスの出馬!

マイノリティ。実は好きだ。ずっとその道を歩んできた。
もともと、メジャーが嫌いだ。束でかかってくる威圧感が嫌だ。
長いものには、巻かれない。
旧来の日本社会、男性がメジャーとされてきた時代に、
オンナとしてではなく、一人の人として、人生を賭けて
こられた各分野の女性先輩たちには心から敬意を、そして
感謝の気持ちを持ち続けている。
そういった開拓者はみんなマイノリティであった。

ぜひ、アメリカが再び、世界のリーダーになれるように。
自国ファーストではなく、自由で平和な世界に向かう
リーダーとして、再び!
そんな思いで、勝手に同級生を見守るように、
カマラさんにエールを送っている。

老害は不要、百害あって一利なし。
そういう意味でも、バイデンさんの今回の偉業は歴史に残るだろう。
だから、カマラ氏には絶対勝ってほしい!

マイノリティ。この視点を大切にしよう。

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世界はひとつ、ならば・・・。

開会式の愛の讃歌と気球には感動した。
歌の力を、改めて確信したから・・・。

そして現実に目を向け、改めてオリンピックのこと。
同じときに、戦争を続けている国のことや、血を流して息絶える子どもを
抱きかかえ困り果てている人のことや、飢餓状態の子供たち・・のことを
どうしても思ってしまう。
また、国別のメダルの数のカウントも、なぜ国で競うのだろう・・とも
思ってしまい、いつもオリンピックが開催されるたびに思う違和感を
今回も、今回は特に強く感じてしまう・・。

豪華なショーにしなくていいから、そこにかけるお金をアフリカの困っている
人たちに。戦争で被害を受けている人たちに・・・。
平和の祭典というならば、別世界の華やかさはほどほとに、本当に世界が
よくなることにもっと貢献を。と思ってしまう。

そんなことを思っているところ、南スーダンの陸上選手の存在を知った。
この方は、単に記録を作るために走りたいのではなく、自分が走ることで
内戦状態にある国がひとつになるきっかけになれば・・と思っての
オリンピック出場だという。
素晴らしい。こういうことこそ、意味がある。

世界はひとつ。ではないと思えることが多い昨今。
せっかくの機会である。世界がひとつになれるように、オリンピックには
その役割を担ってほしい。

オリンピックの歴史においては、開催中は休戦をして競技を行った時代も
あるそうで、素晴らしい。
そういう力こそ、持ってほしい。

経済効果以上に大切なこと。その使命を忘れずに。
どうしても、このことが頭から離れない。

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