「おひとつ、どうぞ」。の夏。

大阪のおばちゃんは、常に飴をバッグやポケットに忍ばせ、
会う人に「飴ちゃんでも・・・」と渡す習性があるとか。
そんな大阪のおばちゃんには、実際にはあまり会ったことが
ないが、そういうイメージは確かにある。大阪のおばちゃん
という親しみやすさ、人情・・が伝わる微笑ましい表現。
私は、大阪ではなく、岐阜のおばちゃん?ではなく、岐阜の
おねえちゃんであり続けたいが、ドラえもんと呼ばれること
が時々ある。何かしら、何でも?いつも持っている?という
感じ?いや、持ってはいないのだけれど。
ただ、その日に会う人に、何かしら・・・という気持ちは
常にある。これは遺伝なのか、習性なのか。
硬くなりそうな会議の前に、ちょっとキャンディを配ったり、
私なりのアイスブレーク。
そう、ここのところは、もう製造販売中止となった、チェルシー
を配ると喜ばれているが。

さて、季節は夏。今年も酷暑続き。
自分は室内での仕事時間も多く、冷房のおかげで快適に
過ごせているが、外で働く方、行き来が多い方は、本当に
大変だ。身近なところでは、配送会社の配達の方は、本当には
頭が下がる。重いものはなるべくネットで注文などしてしまうが、
暑い日でも、それを届けていただけること。有難い限り。
しかもちゃんとした配送会社であれば、指定時間どおりに
届けてくれる。最需要期でどうしても遅れるときでも、
指定時間に近い時間で、申し訳ない顔して、届けて
くれる。そんなとき、こちらが申し訳ない。ありがたいと
思う。
そんなことで、真夏の宅配の受け取り時には、
できる限り、ピノを用意しておく。
そして、ドア前に届けてくれるときに、
荷物を受け取るときに、そのお返しに、
一粒のアイスを渡す。
「暑い中、ありがとうね。これ、一口だけど、
よかったらどうぞ」
汗でつらそうな顔をしていた配達員さんの顔が瞬間で
ほころぶ。
「え?いいんですか?いただきますー」
それはそれは、大変喜んで受け取っていかれる。
きっとエレベーター乗っている間に、パクリと
いかれているだろう。
ゴミは自分持ちでごめんね。

暑い中、重いものを運んでくださる方は
私にとって、頼れる助っ人なのだから、
ささやかな感謝を込めて。

家人が、勝手にピノを食べ続けると、配る分が
なくなってしまうので、常に冷凍庫を監視?
とにかく、たった一粒でも、感謝を示したい。
これは、大阪のおばちゃんの気持ちに近い
かもしれない。
なごやのピノおばさん?とか呼ばれていないだろうな。
せめて、おねえちゃんと、呼ばれていたい。

早く、渡さなくてもいい季節が訪れるように。
今日もまだまだ厳しい夏。


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思わぬ初体験も楽しむ。

異常気象の影響、人的影響・・とにかく何が起きるかわからない
今日この頃。
電車ひとつ乗るにしても、緊張することが多い。
予報が出ていていなくても、電車に乗ってから、目的地に向かうまで
で事態が急変することもある。

昨日、たまたま乗っていた電車。
米原駅から大垣方面に向かっていたが、途中で、急に雷と大雨の
影響で途中で電車が止まっているため、遅れが出る見通し・・と
いうアナウンスが流れ、車内は少し緊張感に包まれた。
多くの乗客が下を向いて、スマホを見ているため、その瞬間、
JRのサイトを見始めていたかもしれない。
へ?電車が止まる?米原の手前で聞いていたら、新幹線に乗り換える
という手もあったが、もう過ぎてしまっている。
気が付くと、電車を黒い雲が包み、雷雨に襲われる、怖くなった。
ここで止まらないで~。
電車はそのままだんだん速度を落とし、ときに途中の関ケ原駅で長めの
停止、その後も速度を落としながら、大垣までなんとかたどり着いた。
まずは一安心。

しかし、その先は運転を見合わせ。まだ見通しが立っていないそうだ。
駅には大勢の乗客があふれていた。大きなスーツケースを持っている人、
お土産を持っている人・・・。どうしたらいいか、運転再開を待つしかない。

さあ、どうするか?ここから順調にいけば30~40分で帰ることができる
のに、この状態ではいつになるかわからない。

さて、他に変える方法はないか?バス?他の電車??大垣に住む友人?
人間、いざとなったら、いろいろ考えるものだ。
大垣から名古屋までの移動手段。
JR大垣駅の外に出てみる。タクシー待ちの人も並んでいる。
ふと、養老鉄道の改札が視界に入った。そうだ、大垣駅からこういった
ローカル線も走っているのだ、乗ったことはないが、知ってはいた。
桑名行き?三重県か~。?もしかして、桑名から名古屋へ行けるのでは?
最近、近鉄もよく利用するため、三重県と愛知県が直結した。
早速養老鉄道の駅員さんにたずねると、
「JRが止まったままなら、確かのその方法もありますね。いつ動くかわからない
ならば、こっちがいいかもですね。」
大垣から桑名までは、なんと十数駅ある。しかももう夜だから、景色は見えないが・・。
意を決して、その方法で帰ろうと決めて、切符を買う。ICカードも使えない
本当に昭和のローカル鉄道に、乗るとは思ってもいなかったが・・。
コトコト揺れる養老鉄道に乗って、降りたことがない桑名駅で、JRに乗り換え、
そして無事名古屋駅へ到着。大垣から3時間近くかかったけれど、とにかく無事に
戻ることができた。東海道線は運転再開はしたものの、かなり遅れている様子で
結果的に乗り換えて正解だった。

今回、思いもよらず、初めて乗った夜の養老鉄道。
もしかしたら、鉄道ファンにとっては魅力的な電車なのかもしれないが、
景色が見えず残念ではあったが いつもと違うルートで帰るのは、ちょっと
異国情緒を味わうような不思議な感覚に浸るひとときでもあった。

常に想像力を働かせ、普段と違うルートを選ぶことも時には必要。
そして、その選択は、次の行動の役に立つこともあるかもしれない。
経験は何でもしておくべき。
それにしても、ローカル線の存在は、こういうときこそ役立つとも実感。

今日は台風のため、新幹線が計画運休とのこと。
大勢の人が移動するこの時期に大変なことだ。
違う方法で、違う時間で、いろいろ考えている方も多いことだろう。
意外な抜け道が見つかるといい。

被害がないように。祈るのみ。

昨日は、JRでも、ローカル線でも大変親切な車掌さんや駅員さんに
出会えて、心うれしい一幕もあった。
米原から大垣駅に向かう途中、親切にしてくれた車掌さん。
別れ際にお礼を言ったら「お気をつけて」を声をかけられたことも、
なんだかうれしかった。
人びとが休んでいるときにも、働いているインフラに携わる皆様。
改めて、お疲れ様です。

そんなこんなで、何があっても、小さな出会いと新たな経験を
重ねて、毎日を楽しみたい。

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79年という歳月を。


空襲、原爆・・・そして・・・。
まだ生まれていなかった、79年前の今日。
日本は終戦という結果を受け入れることになった。
親たちも幼かったから、あまりその時の話を聞いたことは
なかったが、さまざまな資料、その後の報道から、本当に
大変な時代を生きてこられたのだと、先輩方の苦労を思うと
頭が下がる。
遺族という方たちも高齢になり、これから、どんどん生き証人は
減り続け、語り継がれていかねばこの戦争の傷跡は、歴史の教訓に
さえされなくなってしまう。
今日が何の日か?を知らない若者が増えているのだ・・・。

では、その戦争は終わったか。いや、終わっていない。
結局、日本は敗戦国のまま。
であるという見方もしている。
戦争というモンスターは、長い歳月を経ても、カタチを変えて
戦争に関わった国々同士の関係性を維持し続けるのだ。
負けた国はずっとそのまま・・・これからも変わらない。
もちろん終戦後の日本中の努力のおかげで、今の日本の成長はある。
がんばった、頑張らざるを得なかった・・・。
その成長の結果の部分しか、戦後生まれの自分たちは知らない。
先人たちの苦労を知らない。これでいいのか?

そして、戦うこと自体、何の得もない。
かけがえのない命が奪われ、大切な遺産が破壊され・・・
軍事産業が発展したところで、それは人の幸せにつながらないのだ。

今日、日本で、厳かに終戦の祈りをささげても、
世界では恐ろしい戦闘が続いている。

本当の意味で、終戦はしていない。ずっと繰り返されている。

ここのところ、自然災害の恐怖を感じているが、
人間同士の戦いの方がもっと恐ろしい。

と、そういうことをきちんと考える1日にしなければならない。

戦争は、絶対に!いけないことだ。
日本こそ、それを世界にしっかり伝える役割を果たすこと。
今日もそういう1日にすべきだと思う。

決して当たり前ではない、平和に感謝をする日にしよう。

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知る不安、知らない幸せと備え。

この1週間、楽しいはずの夏休みも、酷暑は覚悟の上であるとして、
台風に加えて、地震の不安。
そんな状況で、予定を変更した人もいるようで、影響を受けている観光地も
あり、なんとも気の毒な気持ちになる。

台風は。まだ天気予報があるため、あらかじめの対応もとりやすい。
地震もある程度予知ができるかもしれないが、台風のように、見えづらい面も
あり長期スパンでもあるせいか、不安が先行する面もある。

つい最近も、東北で震災を経験され苦労された方から、南海トラフに関して、
この日がXDAYだから、気を付けるようにとの情報が入った。
正直、こういう情報はありがたくもあり、戸惑いも・・・。
そうかもしれないから、気を付けるに越したことはない。
でも、それを自分からその先、人には言わない方が良いとも思った。
受け手によっては、不安になってしまうこともあり、そこから広がる
と良くない面もあるとも思った・・。

今の世の中、こういった情報は広がりやすい。
だから、危険な一面もある。
情報は入ってきたものは、仕方ないが、出すときにはくれぐれも用心せねば。

一度知ってしまうと、それにとらわれる。
知らない方が幸せ。ということもある。

いつ起きるかわからない。わかったら苦労しない。
わからないからこそ、いろんな情報が錯そうするのだ。
でも、あまたある情報に惑わされず、冷静に。
もちろんいつその日が来ても良いように・・・
きっと知人は、そういう意味も込めて、危険性を教えてくれたのだろう。
その点からは、感謝である。

備えあれば憂いなし。
今日か明日か10年後かわからないけれども、心の安全のために
準備、備えをした上で、今日を楽しむ。
それがよさそうだ、

とはいいつつ、まだまだ備えてないな~。今のうちにやっておかねば。
と、ありがたい知人のアドバイスをかみしめる。
「もしも、地震がきたら、どこで待ち合わせる?」
東京に住んでいた頃、東北大震災の後以来、そんな会話をした昨日。
少しは進歩したかもしれない。
とにかく備えて、今日という1日を楽しむとしよう。

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歌のこころ、合唱の力が平和への道。

この時期は、戦争、終戦にまつわる話題に良く出会う。
まだまだ知らないことが多いということにも気づかされる。
長崎の「わかば唱歌隊」の存在は今朝の報道で、初めて知ったが、長崎で
被爆された音楽家が指導された合唱隊のことだそう。
その先生は、戦後はふるさと福島に戻り合唱の指導を通じて、
音楽を通じて平和の大切さを伝えてこられた・・。

音楽で平和を。

昨日、約40年ぶりにふるさと岐阜で開催された歌のコンサートに
足を運んだ。「てんぐじょう紙~こころ~」という企画。
地元の言葉で、テーマで。歌を愛する人たちが、合唱で、朗読で、
ソロで、アンサンブルで、いろんなスタイルでバラエティに富んだ
プログラムを約二時間。
ステージの上で歌を歌うということは、ハレの日のお祭り。
きらびやかな衣装に身を包み、出演者が入れ替わり、それぞれの
歌を披露する。

ああ、クラシックのコンサートってこういう感じだった。
とある種懐かしい気持もあり、また こちらも年を重ねたせいか、
歌の力について、いろいろ考える時間ともなった。

若い日の歌は、声の艶、はり、さらに若さ。そして技術。
年を重ねると、そこに経験が加わり、いい意味での成熟、そして
深みを感じ、意味がよくわかるようになる。
その歌の心がよく伝わるようになるのだ。

歌とは、心を伝えるものだ。
改めてそのことを確認。
そして。歌こそ、平和に直結するコミュニケーションツールである
とも改めて実感。

こんな厳しい時代こそ、悲しいときこそ、歌う、一緒に歌う。
そのことで、元気も出てきて、生きる歓びにも触れることができる。

歌は心。そして歌は伝える、伝わる、伝えあうもの。
そして、プロとはそれが導ける人。
自己満足の演奏ではなく、相手の心に沁み込む演奏ができる
これこそが、プロであるとも改めて。

一方、オリンピックがやっと終わった。
パリらしい祝祭であったと評されているようだ。
(私は開会式の「愛の讃歌」に感動したが)

さて、この豪華なオリンピック。平和への貢献は?
今こそ、貢献してほしかったが?

音楽は、歌は、お金をかけずとも、平和な世界につながる。
人と人がつながれる。
有名人がではなく、また点数を競わなくても、
普通の人が、楽しく歌う。歌いあう。
それだけで、平和の輪は生まれる。

この時期に、久しぶりに歌のコンサートを鑑賞しながら、
改めて 歌の力について、感じながら考える貴重な機会を
得た。

歌は心だ。
心を伝えること。

自分が歌うときも、そこをこれまで以上に大切にしたい。

歌のあとの拍手も心。今も余韻が残っている・・・。

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マイスタイルは、最期まで。


子どもの頃から、本当にマイノリティで・・・。
こればっかりは。という感じで、このおかげで、どれほど親に反抗して
きたか・・・。
「十人中、九人やることをやっていればよい」という父親の教えは、
私に反面教師としか映らず、
「一人一人違うのに なんで?おかしいやん」と言っては怒られた。
いわゆる、「親に口答えをする」扱いづらい娘だっただろう。
まあ、その先もいろいろあるが、今となっては、父の笑った笑顔を
思い出し、その頃を懐かしく思い出す。

世間が当たり前と思うことに対して、とにかくまずは疑う。
哲学に興味をもったのも、まずは疑うという目線が自分に合って
いたのかもしれない。

世間が当たり前と思うこと・・いろいろあるが、たとえば、健康診断。
人間ドックも然り。
あれは、病気を探すための検査。と思ってきた。
健康長寿であるために、その検査は重要という見方はわかる。
身体の状態をいち早く知って、メンテナンスすべきはして、元気に
長生きしましょう!というのはわかる。
でも、その検査自体が苦痛であれば、無理しなくてもよい。
これまでいろんな検査をやってきたが、なんで、こんな痛い苦しい思いを
して・・・と複雑な気持ちで帰ることが多かった
もちろん、経営者の方や一家の大黒柱の方など、多くの人に影響を与える
方は、もちろん検査もメンテナンスも必要だ。
でも、私のような場合は・・・。

病気は知らなくていい。
余命・・・といわれてもいい。
毎日悔いない人生を生きれば、それでいい。
と、やはり思ってしまう。

最近、腰の調子が気になって、医者にすすめられ、MRIをやってみた。
久しぶりだ。10年以上前に、頭の検査をやって、懲りたことをそのとき
思い出した。あの苦痛を忘れていたのだ。ああ、あれか~。やめとけば
よかった・・・。
あの何とも言えない苦痛。不自由さ。これこそ、自分はすでに違う世界に
逝ってしまったのではないかと思える時間であった。
苦痛の一言。

結果は思っていたとおりのことで、それを見える化していただいたこと。
まあ、あの苦痛の時間がなくても、検査したから・・といって、得たことは
あまりなかった。

やはり、これからも検査はしない。を改めて。
検査しましょう!が主流の世の中の動きに、やっぱり逆らっている。

明日のことよりも、今日の自分をまず・・・。
明日地震が来るかもしれない。今かもしれない。
と思うと、ますますそんな気持ちになる。

マイスタイルを最後まで貫くことが一番!
妥協せず、悔いなく生きたい。そして逝きたい。

もちろんスタイルを変えたいと思ったら、変えればよい。
それ自体も、マイスタイルだから。



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日本人の責任感と誇り。

近年、台風、地震さまざまな災害が増え続け、公共機関や物流の流れも
予期せずストップすることも珍しくなくなってきた。
数年前、台風が迫るなか、福岡から名古屋へ向かい新幹線に乗った際、
大雨のため山口あたりの駅で運転休止。その可能性はあると言われての
出発であったし、覚悟していた。
しかし、他の乗客の中で、車掌さんに「いつ運転再開するんだ~」と、
詰め寄る人がいて、そのことに対してご自身もわからないはずなのに、
とにかく謝罪されていたのが痛く心にしみた。そのことは今も鮮明に
記憶に残っている。なんで、車掌さんにそんな風に言うんだ。と、
私はそのお客に対して怒っていたな・・と。

昨日、生ものが届くはずだった。受け取れる時間も指定して、待っていた。
届かないのでネットで検索すると、動きが止まっているようだ。
生ものなので、ちょっと気になってきた。もしも、遅れて不在のときに
持ってきていただくと悪いので、運送会社に問い合わせをする。
最近のコールセンターはAIに移行しつつあるようで、今回も電話受付は
しっかりAI窓口が対応。その後 担当者が折返し連絡してくれるというので
待つこと1時間。

専用携帯から電話が入る。今度は生身の人間担当者が登場!
その方が一昨日の地震により、高速が不通となって、その荷物も遅れて
いるとのこと。すぐ営業所に荷物が届き次第、配送します。このたびは
ご迷惑をかけて大変申し訳ない・・・と説明され、謝罪された。
「いえ、もしそのとき不在で、生ものだからといって再配達になったら
また来てもらわないといけないので、宅配ポストに入れてもらったらいい
ですよ」と言ったら、「いえいえ、生ものですので、直接お届けして、
一緒にご確認していただきたいので、再配達させていただきますので・・・」
と言われる。あ、そこまで責任をもつのだ。
その対応ぶりに改めて、その会社に信頼の気持ちが高まる。

地震、高速道路の閉鎖と、まったく自社に責任がないのに、荷物が届かない
ことについて、とにかく何度も何度も謝罪され、丁寧に対応をされるその
担当の方に頭が下がった。

日本のサービス業は素晴らしい。自分が悪くないのに、謝罪し、丁寧な対応を
する。それが日本の良いところ。相手の立場に立ち、対応できる。
海外で飛行機や電車が遅れる・・・ということはよくあり、そのときに謝罪は
なく、当たり前のことのように、乗客は待つのみ。
と比べると、日本は凄い!
責任感ある仕事をしている、というその姿勢に改めて誇りを抱く。
そういえば、30年前、ある取材に行ったとき「定時運行」は、日本が誇る
琴だと言っていた人がいたことを思い出す。

このお盆休み、そんな対応に追われるサービス業界の皆さんに改めて
感謝したい。

利用者も自分都合で、詰め寄るよりも、「大変だね~。」と、休日に働く人たちに
理解を示し、協力をお願いしたい。(最近は、増えていると思うが)

日本人の責任感。これはこれからも、いい意味で大切にしたいことだ。
とにかく無事に、皆さんが楽しみにされていた夏休みを過ごせるように。

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自分から創り出せる力とモチベーション。

作家としてがんばっている友人との時間は、本当にかけがえのない
楽しみの時間だ。
話題が尽きず、いつまでも話して、いつまでも飽きないで過ごして
いられる。
お互い、言葉のキャッチボールする仕事に関わっているせいか?
価値観の共有をしやすいため、どんな話題でも深く話し合えるせいか?
おそらく、根底に何か通じるものがあるのだと思えてならない。

仕事についてもよく語り合い、何かしなくちゃ!と気が付けば
いつも言っている。
自分から何かをしないといけない。待っているだけの仕事では
ダメ。
依頼いただいて、それに出演するだけ。頼まれたことを書くだけでもだめ。
自分ですべて企画して、全部やり切る。公演はまさにその典型。
私も自分でライブやディナーショーをやるので、よくわかる。
そのしんどさ、その緊張、そしてやりがい。

いくつになっても、自ら創り出す仕事ができるのは、ひとつの
能力だ・・・と信じて、ふたりで、モチベーションを高め合う。

年末とお盆。なぜか東京でも時々あっているが、京都で年に二回
会うこと。これがお互い自らつくる仕事に向かうモチベーション
の機会になっているのかもしれない。

ずっと自分から動き出す。発信する。それがGIVEの人生。

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災いのない世界へ心からの祈りを。

今日は長崎に原爆が投下された日だ。もう79年になるそうだ。
近年、意識をもって関連する資料に接することも増えたが、
もし、今、自分の身の回りで・・と思っても、想像できない世界。
広島の方も、長崎の方も、本当によく耐えて、がんばってここまで
こられたと、頭が下がる思いだ。
長崎の鐘という歌があるが、原爆によってもたらされた影響、人々の
分かれ・・・。聴くたびに悲しみがおりてくる。

真面目に生きていても、ある日突然におとずれる災い。
原爆はあってはならない人災であるが、それ以外にも人びと
を襲う災いはさまざまだ。

昨日も九州で大きな地震。
まだ続くかもしれないと、警戒する。
自然がもたらす災いは、未然に防ぐといっても限界があるから、
完全に避けて生きられるかどうかは、賭けのようなもの。
人災も、遭わないようにしたいけれど、どこにその火種が
潜んでいるかわからないから、これも賭けのようなもの。

同時多発テロも、オウムのサリン事件も、ニアミスで、
なんとかすり抜けてきた。
でも、その危険性は0ではない、深刻な世界情勢である。

原爆投下から時間が経つ。
忘れてはいけないのだ、と長崎の仲間たちが
被爆された方たちの体験を語り続けようとしている。
時間とともに薄らぐ記憶。
人災は人の手で防ぐことができるのだから、
そのために伝え続けなければならない。

今日は、そのことを改めて意識し直す日だ。
長崎に行けないけれど、耳をすませば、
アンジェラスの鐘が聞こえてくるようだ。

あってはならない災いが二度と起きないように。
祈りをこめて。

長崎の友人たちの顔が浮かぶ朝。
苦難の歴史を生き抜いてきている人たちに
改めて敬意を表したい

長崎の空、海そして町は、あの日も今もずっとつながっている・・。

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信頼が一番。

企業にはそれぞれの理念がある。その実現のために、企業活動は日々行われている。
社名はその理念への思いが込められたものであるが、「この社名、よく見かけるな~」
という言葉がある。ネット検索すると、同じ名前の会社がいっぱい出てくる・・という
ケースが時にある。
たとえば「トラスト」という名前を検索すると、へえ、こんなにあるんだ。
とびっくりするが、各社ともそれぞれ命名されるときは、それぞれの思いでその言葉を
選ばれたのだと思うと、この「トラスト」という言葉は、多くの企業にとって大切な
ことなのだ、各社の社長さんはその思いで起業されたのだと、しみじみした気持ちになる。
トラスト・・TRUST とは信頼である。
お客様と信頼関係を育むこと、それを維持し続けること。
これは、表面的なおつきあいだけでは、続かない。
もちろん、出会いはご縁があっていただくものであるが、そこから信頼関係をつくって
いくこと。これが企業存続の要となる。
信頼・・・。私自身も、日頃から大切にしたいと思っている。
信じて頼っていただける関係。信じて依頼される関係。
まずは信じていただけること。
人と言葉が一致していないと、信じていただけない。
やっぱりコミュニケーションの問題にいきつく。
言動一致。信頼への道。
肝に銘じて。
ところで、世界中にこの社名の会社は、何社ぐらいあるのだろう。
興味がわいてきた。

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