今日はどんな出会いが?

先日ある勉強会をしたときに、参加者に最近うれしかったことを
尋ねたら、新年に新しいダイアリーを買って、毎日何を書こうかと
考えることが楽しみ!それがうれしい!との答えを得た。
いい話だ。私も毎年新しいダイアリーを取り寄せるが、新しい
ノートには何かわくわくすることを書きたいものだ。
1年間、わくわくをみつけようとの気持ちを維持するには努力も
必要であるが。

さて、その毎日のわくわくのひとつが、毎日の出会い。
今日はどんな人に会えるだろう?そんな出会いがあるだろう?
これは今日が始まってみないとわからない。
気が付けば、昨日まで知らなかった人と、知り合いになっていたり。
実は毎日その繰り返し、積み重ねで、日々多くの出会いをいただいて
いるのだ。
その出会いを見過ごすのではなく、なんとなく出会うのではなく
しっかりと出会い、それぞれの出会いを、大切に心に留めておきたい。

二度と会えない人もいるかもしれないからこそ、その瞬間の出会いを
大切にしたい。

今日も京都へ出向く。
今日は学生さんたち若い人たちとの出会いもありそうだ。

この人はどんな人生を生きようとしているのだろう。
そんなことまでちょっと気持ちを向けたら、会話のひとつも
変わってきそうだ。

今日はこんな人に出会った。出会えてよかったと思える一日に。
また、出会ってよかったと思っていただける一日にしたい。

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社長は会社の鏡。

十数年来の知り合いの、ある企業の社長さん。中小規模の製造業を担っておられる。
加工技術の専門会社の三代目である。
その方が社長に就任された頃に、町工場でも情報発信が必要と広報の勉強会に意欲的に
参加されたことがきっかけ。そこから細く長い糸でつながっている、そんな関係。
新潟で出会ってきた1000社以上の企業のなかでも、忘れることができない社長さんの
おひとりだ。
その方は、名刺1つとっても、当時はまだ珍しかった似顔絵のものを使用したり、
展示会にも早くから出展され、自らの技術力をアピールするべく、とにかく待ちではなく、仕掛ける営業を実践されてきた。
漫画を使ったPOPや、人の顔が見える技術紹介、とにかく一度見たら忘れない、
印象に残る工夫を続けてこられてきたのが印象に残っている。

社長自らが技術者でもあり、営業マンでもあり、そして広報マン。
展示会も県内や東京だけでなく、名古屋などちょっと意外と思われがちな場所にも
いち早く積極的に参加され、思わぬ現地で懐かしい再会をすることもあった。
さすが、情報収集も早く、うまく行政の力も活用しながら、中小企業としてできる取り組みをいち早く実践してこられた。
勉強熱心で、情熱にあふれ、迅速な行動。そして誠実。そんな印象の社長さん。

3年ほどお会いしていなかったが、コロナもあけて、展示会にも出店再開、そんな折、
モノづくりのDXの勉強会にお誘いしたら、ぜひ!ということで、おいでになり
久しぶりの再会、そしてその後、初めて会社に伺う機会を得た。

実はその会社のことは社長、名刺、ホームページ、展示会の様子から存じあげている
範囲で、どんな人がどんな風に働いておられるのだろうか?までは存じあげなかった。
そういう意味で、会社にお邪魔することは相手を知るという点でとても重要である。

今回会社に伺って思ったのは、社長は会社の鏡であるということ。
社長から受けていた会社の印象が、会社で感じた印象と同じであったのだ。
製造業の現場をきれいに保つことは手間がかかる。それをしっかりされており、床から
壁から機械から、そして働いておられる職人さんもみなさん綺麗にされている。
また挨拶もしっかりされ、しかも笑顔付。
これは社長の教育がきちんとなされている証拠だと即実感した。

コンパクトであるからこそできる距離感なのかもしれないが、
社長と社員の距離が近いのも、社長が会社の鏡であるポイントなのかもしれないと
感じた。

中小企業が生き抜くためには、自社が生き延びるための独自の技術力と
それを生かす市場開発力が必須だ。

社長に就任され十数年経過し、多くの試行錯誤を重ねながら、生き延びてきた
自信を一言一言発せられる言葉から、また熱く温かいまなざしから感じ取ることが
できた。

改めて挑戦を続ける中小企業の社長さんに心からエールを送りたいと
思った次第。

「刃物は製造の原点」・・。サイトで知ったこのフレーズも、気に入っている。
その道のプロたちによって、日本のモノづくりは支えられていることも、今回
再認識した。
https://www.kato-kk.net/





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落語家と一緒。

いつの間にか、落語の世界に興味をもつようになってから
久しい気がする。
神楽坂に住んでいたときに、近所のお寺さんで定期的に寄席を
やっているとか、それこそ、同じ町内に有名な落語家の自宅があるとか
で、なんとなく落語について親近感を持ち始めたのがきっかけか。
とくに名古屋に移ってから、関西へ足を伸ばす(というほどの距離でもないが)
機会も増えて、南森町の繁盛亭にはなんどか訪問。
とくにコロナ禍で合間を見ての公演の時期にたまたま行ったせいか、観客が
少ないなかで奮闘する芸人さんたちの姿を見て、芸事はやっぱりお客さんが
いてなんぼやな・・と共感し、気になる落語家についてはその後も活動を
見守っていた。

その一人が、たまたまわがふるさと岐阜で落語をするというので足を運ぶ。
なんとカフェに高座をつくっての落語会。なんとも今風である。
場所柄もあって、若い女性が多数来場されていたのが印象的で、落語は
決して年寄りの、大人の趣味の世界ではないことを知る。

落語の世界は、コミュニケーションの仕事をする者にとっては大いなる学びの
場になる。落語家の話術そのものはもちろんであるが、お客さんの様子を見ながら
落語本番に向かう「枕」の入り方、持って生き方・・・これはとても参考になる。
今日の演目に興味を持ってもらうため、身近な話題から入る例も多い。
今回の公演も、楽しい枕からはじまった。
「つかみ」をとることが、重要。そこでお客さんの気持ちをひとつにして、
落語本体に流れていく。流れをつくるのが、冒頭の語り、枕である。

今回、聞かせていただいたのは笑福亭喬介さんという中堅・若手の落語家。
なんとも本場大阪の生まれらしい、ネイティブな落語家という印象。
話の流暢さだけでなく、思わず笑いを誘う、なんとも言えない三枚目感覚が
人気の秘訣かもしれない。
枕のわかりやすさも特徴かもしれない。
話をきいていると、最近見たこと、聞いたことをうまく取り入れて話している。
本当にあったことか想像の世界かは、本人のみぞ知るのであろうが、
おそらくリアルな話題であろう。常に話題を探しているという姿勢が会話から
伝わってきた。

話を聞きながら、自分の仕事と同じだと改めて思った。
常にリサーチしている。何を見ても聴いても、あ、これはあそこで使える。
ここで使える。と思いながら体験している。
それが仕入れでもある。

アウトプットする仕事をする人は、インプットの時間も大切にしている。
そんなことを感じながら、生身のパフォーマンスを楽しく学ばせていただいた。

落語家さんもコミュニケーションクリエイターである。

さあ、今日もネタになる話題を求めて 身も心も旅に出るとしよう。

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見えなくなるまで、手をふる。

切なく、何とも言えない気持ちが湧いてくる曲のひとつが、竹内まりあが
歌っていた「駅」。聴くたびに、カラオケで歌うたびに、その曲に描かれている
情景が浮かび、自分の青春時代と重なる。
何十年経った今も同じだ。
30年前、改札で挨拶を交わした人。もうそれ以来会うことはなく、本当に
あの曲のような感じで・・・、どこかしらドラマチックである。
自分が駅や空港を好きなのは、多くの出会いや別れを見てきたから・・・・という
一面もある。それぞれの人生のドラマを垣間見ることができるから・・・。

大好きな映画「ひまわり」のラストシーンもそうだ。列車に乗る元夫、駅で見送る
元妻・・・。それが本当に最後の別れ・・として映画はFINEとなる。
あれも、泣けた・・・・。

駅には無数のドラマがある。人が行き交う交差点、どこからきてどこへ行く・・・。
想像が膨らむが、自分のことになると、なんともいえない気持ちになる。

先日、ある方と新宿三丁目で会食したあと、改札の前で別れた。
30年以上の交流をいただいている人生の大先輩である。久しぶりのうれしい再会であった。
握手をして、お礼を言って、また!と言いながら、私は改札に向かった。
その方は、私が改札に入り。見えなくなるまで、ずっと見送ってくれた。
何度も何度も手を振ってくれていた。私も何度も振り返っていたが見えなくなって、
階段を降りた。
あんなふうに送られたら、たまらないなあ。
久しぶりに竹内まりあを思い出し、地下鉄に乗った。

翌日、メールでその時のことをその方にきいてみたら、
「もうそれが最後になることもあるかもしれないので、しっかり見送ろうと
思い見えなくなるまで、送っていました。もちろんまた会えるけどね。」
という答え。


やっぱりそうなんだ。
人はそれが最後になることもある。
その覚悟をした上で、人に会い、その時間を大切にする。

最後にならないように、また近いうちに会えますように。

それにしても、群衆の中に消えていく人を見送る改札口は、切ない・・・。

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愛について考えてみよう!

ある企業で、楽しいコミュニケーションの勉強会として、「マーサの会」
というのを年に何度かやっている。
20名ほどが働いているが、そして現場と事務所で仕事場が離れており
普段会うことができないため、この機会にお互いを知り、交流を
深め、一体感を醸成するというのも狙い。

今回はバレンタインも近いということで「愛について」をテーマに
グループでディスカッションしてもらった。
誰を愛する?何を愛する?
愛の対象とは実に多様であるが、やはり家族への愛が一番。
楽しい回答をお互いに発表しながら盛り上がる。
そのなかで、まずは自分を愛すること。という答えも出て、驚いた。
それを勉強会の結論にもしたかったのであるが、社員さんからも
その意見が出され、熱く語ってくださった。

そう、まずは自分を愛すること。自分を好きになること。
そしてその次は周囲を愛すること。
家族でも同僚でも・・・身近な人を大切にしよう。
みなさん恥ずかしかってあまり意見を言わないかもと思ったが
意外とそうではなかった。真正面から、「愛について」一緒に
考えてもらえたことは企画者としてもうれしかった。

さて宿題は、
その愛する人への手紙を書く。というもの。
一筆箋、和紙、便せん・・・。好きな紙を選んでもらって、
お手紙を書いてもらう、そして実際に渡していただく。

なぜか普段以上に、みなさんがいきいき、自発的で見ていて
うれしくなる。
インクルージョンな世の中。いろんな個性があるけれど、それを
認め、助け合って一緒に愛ある職場、人生を歩んでほしい。

チョコレートをプレゼントするのももちろん楽しい行事であるが、
改めて「愛について」考えてみること。
そんなValentineも、おすすめしたい。

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大きなサプライズが届く。

出張から戻ったら、小さな宅配の包みが届いていた。
いつもお世話になっている書家の方からである。
なんだろう?何か書いてもらうお願いしていたかな・・・。
そう思いながら開封したら、上の写真にある2枚のミニ色紙が出てきた。
右は、父が免許返納した後に、家族から父に贈ろうと書いていただいた
表彰状のミニチュア版。そして右は私宛に書かれたもの。
右の父宛て表彰状は、実際に当時オーダーしたものは
いわゆる表彰状のサイズ。それをこの日付(父の誕生日)に父に渡した、
そして、葬儀のときも飾り、そして父の旅のおともに・・・。
だからもう1枚もっておきたいとお願いしていた。
それが今、小さくなって送られてきたのだ。
墨も特別なもののようで作品にその説明メモがついている。
青と黄色の墨はウクライナ支援のものだそう・・・。

12センチ四方ほどの小さな色紙。
こんな風に書いてもらったことはないし、手にとったこともない。
いろんな思い出がよみがえり、そしてこんな粋な贈り物をしてくださる
作家さんの気持ちと行動にじーんと感動した。

今日はたまたま、「愛」をテーマに勉強会をする予定。
これもいい話題にさせていただける。
小さな世界に 大きな愛が込められている。

ひまわりの絵はウクライナ支援の墨で書いたもの。
私がウクライナに寄せて作ったひまわりの曲をイメージしながら
書いていただいたのかな・・と想像をめぐらす。

KOUSUIさん、大変ありがとうございました。

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辛抱強い日本海の人。

新潟に通っている時、雪国の人たちは辛抱強い、耐えることが
できる人たちだと感心することがたびたびあった。
雪に向き合い、雪とたたかい、雪と共に生きることの大変さを
当たり前のこととして、生きている。
大雪の朝、自宅の庭に積もった雪から車を救出し、職場へ行ってから
再び雪かき。そこから1日がはじまる、一汗かいてから、仕事。
大雪で外に出られないときはじっと、家で暮らす。
買い物にも行けないから、保存食をつくり、それで冬を暮らす。
黙っているけれど、強い。以前、新潟を襲った地震のあとも
そう思っていた。出会う新潟の企業さんたちはみんな、口数は
多くないが、黙々と働く。
その姿に尊敬の念が生まれた。親愛なる気持ちも芽生えた。

そして、1か月前 能登半島や新潟を襲った大地震。
今なお、その被害の全容は明らかではなく、避難生活を続けている
方も多い、インフラもまだ整わないところも多い・・。
そんななか、あるおばあさんがテレビのインタビューに答えている
姿を見た。
「能登の人は、辛抱強いから大丈夫」
と言い切っておられたその言葉に感動した。強いなあ。
新潟の人と同じだ。

日本海の不便な地域に住む人は、自然環境の厳しさを受け留め
強く生きておられる。
だから、今回の地震のことも絶対に乗り越えられるとの確信を
もっておられるのだろう。だから家から出ないでじっとされて
いた方もおられるのだろう・・・。

日本海の荒波、陸の孤島、厳しい冬、そして静寂の世界。
それが日本海。
モノ言わぬ強さ、それが日本海に生きる人々の魅力かもしれない。

ある知人のおじさま、まさに能登にお住まい。
水道が思うように使えないが、自宅にある井戸水のおかげで
なんとか生活はできている、
つい、最近久しぶりに入浴ができたそうで、喜んでおられた
との話を聞いて、こちらが安堵した。

漁師であるその方は、毎日魚を捕りに行き、普段通りの
生活をおくっておられるとのこと。
もともと、そんな生活をされてきたとのことで、
今も変わらず、静かに暮らしておられるとのこと。
普段から買い物には時々しか出かけず、行ったときに
まとめ買いをするから、食べるモノには困らずこの1か月を
過ごされたとのこと。
不便があっても、生活力・生命力がもともと備わっているのだろう。
凄いなと感心し、頼もしいとも思う。

まだまだ寒さも厳しく、復旧までの道のりも遠いけれど、
どうぞ日本海の人ならではの辛抱強さ、忍耐強さで、この難局を
乗り越えていただきたい。

1か月。あっという間とはいいきれない。
早く、日本海に穏やかな日常が戻りますように。
そして、雪解けの春。
美味しい水、美味しいお酒・・・でもって、雪との闘いも
和解になる。
そんなときを楽しみにどうぞ、どうぞがんばっていただきたい。

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フルーツ盛で33年の感謝。

名残惜しい気持ちでつい、店外からではあるが、1枚失礼してしまったこのショット。
本日1月31日18時30分に、この店のシャッターは、従業員の感謝のお辞儀とともに閉まる。
明日10時になっても、もう上がることはない。


33年営業してきた地域密着の小型デパート。快速で隣駅になる名古屋のデパートに
比べればコンパクトであるが、地元の人々に愛されてきた。

私自身は、この数年のうちにこの存在を知り、途中下車をした際に立ち寄るなど
時々利用してきた。
いつでもある、いつでも開いている、いつでもすいている(混雑していない)から
便利・・とそんな存在であった。それなのに、閉店・・・。
何年か前に、名古屋栄の丸栄も閉店。昭和生まれとしてはデパートの閉店はとても
寂しいものがある。時代が移っていく証しのひとつであるから。
ああ、また昭和の文化がひとつ消えていく・・・。
そんな気持ちで駆け込むお客さん。今日は最後の営業日ということで、おそらく
にぎわうことだろう。店内の棚は日ごとに商品が減り、補充されないため、空き
スペースが増え…。閉店前の店は人は多いが、商品は少ない。こんな状態でも、
きっと最後にこのお店との思い出を胸に足を運ぶ方は多いだろう。
最終日には行けないから、と昨日立ち寄り、何か記念のものを・・・。
そうだ、あれだ!前から一度は買おうと思っていたもの。地下食フルーツ売り場
にあった、フルーツの盛り合わせ。
こちらでの最後の買い物はこちら。小さいのも1個購入して、母の代わりにお世話
になっているおばちゃんにも届けた。
「そう、閉店してしまうんかね~。」
とても名残惜しい。
ということで、閉店していくデパートで買ったこのフルーツを見ながら、いただき
ながら、デパート営業の最終日を思うことにする。
寂しいときこそ、華やかな気持ちで。
1月31日に閉店するお店はここ以外にもあり、今日はなんともいえない
1日のスタートであるが、これまでの営業に感謝して、ファイナルを心の中で
見守りたい。
18時半の閉店の様子は、きっと地元ニュースで流れることだろう。
ああいう場面は苦手だ。

開店して、そしていつかは閉店する。
やっぱりお店も「いのち」。
そして、街の看板、駅のシンボルであった昭和のドラマが
またひとつ幕引きとなる・・・。

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人生100年時代に向かう若者へ

最近、「人生100年時代を生きる」をテーマに授業をやっている
学校があるとのニュースを見た。
まずは100年生きるということはどういうことか?
社会背景から個人のさまざまな変化についてイメージしてみること
からはじまる。
きっと、二十歳前後の学生さんたちからすれば、これから80年も
生きる、生きなければならない・・・というのはある意味大変な
試練に思えるかもしれない。バラ色の人生と思う人はどれだけいる
だろうか?

もちろんバラ色の人生になるためにどのように人生設計をして
どう行動していくのかということを考え、実践するための学びの場
であるから、学生の皆さんも熱心に受講されていた様子が印象的であった。

100年人生を生きるためには、財産が必要。
それも有形の財産だけではなく、無形の財産づくり。
お金で買えないものが、無形財産。
まず健康、そしてさまざまな特技や趣味、人脈・・・。
お金があるだけでは、豊かな100年人生にはならないとの専門家の
話に思わずうなづく。
20代の若者よりも、100歳に近い自分はどうだろうか?
豊かに生き続けるための備えはあるだろうか?
そんなことを点検しながら、
二十歳前後の若者に出会う機会が増えているため、彼ら彼女らの
これからを思う。
今がんばって就活している学生さんたち・・・。彼らの頭の中に
100年時代の発想はあるだろうか?
夢は少し漠然としている方が楽しいかもしれないから、
あまり現実的すぎない方が良いのかも…と思いつつ、
自分が生きる時代より、さらに先が見通せない時間を生きる
若者たちに、今できることを手をさしのべ、応援したいと思えて
くる。

生きることは不安でいっぱいかもしれない。
でも、みんなそうして生きてきた。
ひとつひとつ乗り越えてきた。
だから、
先に生まれた人たちが見守り応援していく。

と同時に、わが人生のこれからも、しっかり!
今できることを、今やる。

人生100年時代。
コマーシャル的なキャッチフレーズとしてではなく
背筋が伸び、あれこれ考えてしまうこのフレーズ。

ほんとうは、そんなに長生きしたくないのだけれど・・。

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小さな力、小さな幸せを感じたい。

能登半島の地震からもうすぐで1か月になる。
なんという新年であっただろうか?
被災地の皆さんのご苦労、心労を思うと、という
時間を毎日過ごしている。
食事の心配、そしてトイレの不安、苦痛、入浴・・
日々のことから、住まい、仕事・・と生活全般の課題、
今後のこと・・・。
寒さや雪のせいで、なかなか復旧も進まないが、
それでも各地からの支援が集まり、ボランティアの参加も
稼働している。
それぞれ自分ができることを!という小さな積み重ねが
復旧につながるのだと思う。
まだまだできることはないか、気になっていることを
ひとつづつ片付けたい。
今は、連絡がとれていない石川の仲間に早くコンタクト
すること・・・。

一方、自分は今のところ、毎日平和に日常生活を満喫
させていただいている。暖房のある部屋、暖かい食事、
お風呂、快適なトイレ、普段どおりの仕事、仲間や家族
との会話・・・。
どれもこれも小さなことであるが、このことができない
方がおられると思うと、もっと感謝しないとな・・という
気持ちになる。
朝目覚めたときから、夜眠るまで・・・。
1日の営みは、小さなことの積み重ねであるが、それを
今日もできる幸せを胸に刻み、ひとつづつしっかりこなし
たい。

小さな力。小さな幸せ。
結局生きるということは、小さな力で小さな幸せをつくる。
ということ。
謙虚に、感謝を忘れず、今日も、今週も進みたい。

被災地の皆様に少しでも多くの安心がお届けできるように、
一日も早く、小さな幸せをたくさん感じていただける日常が
戻るように、今日も祈りたい。

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