町を支える人たちを大切に。

新聞が読まれなくなっている昨今。
とくに若い世代になればなるほど、である。
でも、地方の中高年が多く住む住宅街では、まだまだ新聞を購読するお宅は
少なくない。
最近、地元の新聞屋さんとのやりとりがあり、お店にもうかがうことがあり、
改めて、町の新聞屋さんの存在について、感じることがあった。
昔は、奨学生が朝早く自転車で新聞配達をする・・というイメージがあった。
今はちょっと違う印象だ。バイクで一斉に配達に出かける。
そういえば、各家庭に新聞を届けてくれるサービスは世界でも珍しい。
朝起きたら、すぐ新聞を読む。この習慣作りをはじめた人はすごいと思う。
そのサービス提供のため、毎日毎日、未明からの仕事。
そして日中も集金から、折り込みチラシの準備など他の業種とは違う
時間帯で忙しく動かれている。
今回伺った新聞屋さんたちは、店内がとてもきれいだ。
折り込み作業ができるように作業場もきれいに整っている。
中には新聞社の経営理念や、店主から従業員さんへのメッセージが掲示されていたり
働く人への共有にも心を配っておられる様子も伝わり、勉強になるなあと思わず、
きょろきょろしてしまった。
「以前、親が新聞とらせていただき、お世話になりました」
と、そんな話から会話が生まれる。
「ああ、そうなんですね~。それはそれは~」

新聞屋さんは地域に根ざす存在だ。
今、ネット社会になり、新聞はますます大変な状況に追い込まれているが、
新聞文化を大切に、楽しみに生きている人もいる。
私もそのひとりだ。
とくに岐阜は喫茶店文化がさかんであるため、新聞をゆっくり読みたい人が全国でも
多いのではと推察する。(今度、調べてみようと思う)

お店に寄ったついでに「今日の朝刊、まだありますか?」
昼を過ぎたのに、残っていた新聞を1部購入する。
そういえば、ここが扱う新聞は夕刊はもうないんだ・・・・・。
昔であれば、夕刊に向けての作業も忙しくなっている時間帯・・。

複雑な気持ちを抱えながら、
改めて、新聞屋さんにエールを送りたくなった。
専門店の生き残りが厳しくなっている昨今。

そんななか、頑張り続けているお店が、町を支えている。
忘れてはいけない。
地方では、学ぶことが多い。

懐かしく、愛おしく、絆を感じる。
町を支える存在に敬意を表し、感謝を込めて・・・。

そういえば、母は新聞を最後まで、占いを読むためと、
何かを包むため・・・に購読しており、それで喧嘩した
ことも今となれば、懐かしい思い出。地域への応援の
一環だったのかもしれない。

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しなやかに勝負する春!

選挙の季節が到来?街角に掲示板が設置された。そこに候補者ポスターが
掲示されるのも間もなくだ。
この掲示版という方法は、このデジタル社会でも尚、健在。
世界各地で普遍なる伝達手段なのだろう。サイズの違いはあれど、街頭
でのアピールは各国共通のようだ。
この看板は、かなり効果がある。歩けば目に付く。通り過ぎるときに目に
入るだけでなく、立ち止まってじっと見る。だからここに掲示するポスターは
とても重要。キャッチフレーズとともに、写真がポイントである。まず印象だ。
その掲示板にまもなく登場しようとしている人へのレッスンが本格的に始まった。
プレゼンテーションについての実践だ。
大きな組織に属さず、地元の人のつながりで乗り切ろうとする、ソフトな戦略。
お金や著名な存在をつかってではなく、地道に地元からじわじわ盛り上げていく作戦。
あるべき姿を実践しようとしている仲間たち。
その演説の内容、話し方、見え方・・・。お伝えできることは、惜しみなくお伝えする。
私ができることは、聴く相手の立場に立つこと。
こうしたら、伝わる、伝わらない。このやりとりを大切にするレッスン。
1時間のつもりがついつい熱が入って2時間になる。こんなことがしばらく続く。

春は勝負の時期だ。
相手がいる勝負には、それなりの作戦が必要である。
応援者をいかに増やすか。いかに心をつかむか。
クリーンにつなぐ。ここがポイント。

しなやかで、強くて、そしてやさしい。
ひとりひとりに耳を真剣に傾けることができる。
そんな存在なら、みんな求めてくれるのでは?

応援するときは、他人事ではない。自分だったらと思って本気でかかわる。
しなやかに挑戦し、笑顔で勝ってほしい。

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先生になっていたら?

現役の大学生たちに、広報やコミュニケーション力を実践的に学んでいただく
講座を、今年度も行った。といっても、ひとりで連続講座を行うのではなく、
企画制作の仕事をしている女性チームでのリレー講座で、私の担当は最終回。
留学生と日本人学生の混合チームの学生さんたち(理工学部)が自発的に、
一緒に考え、モノを作り上げるという共修プログラム。
成果物も大切であるが、何か月かかけて仲間と一緒に作り上げていくプロセスが
大変重要だ。

ミッションは、これから留学を考えている外国人に向けて、自分たちが学ぶ大学の魅力を
アピールするための広報ツールを考え、カタチにすること。結果的に留学生を増やす
きっかけになれば・・・。
クラスも学年も、国籍も言葉も違う学生同士が、限られた時間のなかで、自分たち
自らコミュニケーションしながら、計画をたてて、作りたいものを具現化していく。

昨年度も本プログラムに参加させていただいたが、毎年学生が変わるため、そのチーム
の雰囲気、空気も変わり、なかなか新鮮だ。
講義の前に、学生たちが自分たちが作ったツールについて、協力いただいた先生たちに
プレゼンする報告会様子も観察しながら、彼らのプレゼンテーションぶりを把握しながら、
午後担当の講座を行う。テーマは、自分たちで作ったツールをどう対外的に発信するか?
広報&コミュニケーションを学び、実践する。初対面の学生さん10名との時間。
あっという間の2時間ほどのレクチャー&ワークショップとなったが、学生たちがチームワークを発揮しながら、一緒に準備をして、皆でプレゼンする姿を見て、若い人に関わり、彼ら彼女たちに何かを伝える仕事は、やっぱり面白いと思った次第。
やっぱり、先生という仕事が好きだったんだ。
講義を終えての安堵感と、人の成長に関わる瞬間に立ちあえることの幸せを感じた次第。

学生さんたちのよき思い出の切れ端になれば、とてもうれしい。
あ、あんなこと言ってたな。あんな風にプレゼンしたな・・・。どこかできっと思い出すこともあるだろう。

40年前は、ピアノの先生でなければ、学校の先生になるしか親を納得させられないと
思い込んでいたが、いわゆる勉強嫌いの私は、結果的に教員免許はとったものの、
採用試験に一度トライしただけで、他の道に進んでしまった。その結果、現在がある。

もちろん、ビジネスパーソン向けの勉強会は、多数担当してきたが、
学生さんと向き合う時間は、これまた格別だ。
学生さんは、利害関係なく、自らの夢に向かって純粋に学ぶ。学ぶことが仕事。
そんな彼ら彼女らに接していると、自分の学生時代を思い出す。

そして、
学校の先生になっていたら?今の人生とは違う展開になっていただろう。
と、教育実習に行ったときの生徒たちは、どうしているだろう。
そんなことも頭をよぎった。

懐かしく新鮮な時間をいただいたこの機会に感謝。

未来を生きる若者たちに心からエールを送りたい。
そして大人も輝き続けないと!と思った次第。

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「思い出」の媒体づくり

昨日の岐阜新聞コンサートでは、コロナ前のように、お客様も多くおいでいただき
おかげさまで盛況に行うことができた。
マスクを外していたお客様はおられなかったが。

311をはじめ、忘れられない出来事や、別れが多いこの3月。
ひとり一人、それぞれの人生の大切なあのときを思い出し、
次に進むきっかけになれば・・。

そんな思いで、春にちなんださまざまな名曲とともに、
オリジナルのレクイエムレパートリーを演奏させていただいた。
「ANNEソロジー」「人生ななつ星」「レクイエム11」などなど・・。
会えない人のことを静かに思い出し、そして私もがんばるから見守っていてね。
そんな気持ちを添えながら・・・。

演奏後、初めておいでになったお客様が
「あのときのこと、思い出して、泣けてきました~」
と直接声をかけていただいたり。
「いろんなことがよみがえって、感無量。涙があふれてきました」
などメッセージを寄せていただいた。

音楽は大切な人、輝いていた時代を思い出す、思い出の「媒体」。
この媒体は、絵画も、写真も、旅、店も含まれる。

大切な人と別れても、失くしても、その媒体を通じて、記憶がよみがえり、
タイムトリップしたり、心の再会ができたりするのだ。

その媒体づくりを大切にしたい。
コミュニケーションクリエイターの使命とは、思い出の媒体づくりも
含まれるのだ。
最近、そんなことを思うようになった。
過去とのコミュニケーション。それは媒体があれば可能。
永遠のコミュニケーション。これも可能。

人生は現実の時計では過去には戻れないが、
この媒体があれば、何度もあの頃に戻ることができる。
今回の演奏を終えて、そんなことを考えた。

多くのご来場、誠にありがとうございました。

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同じく12年、の記念日。

50歳で脱サラされ、作家として活動開始・・・。私が35歳で脱サラしてからは、
起業家の先輩として、またひとりで仕事をするクリエイターとして、
同じくマーケッター出身として、本当にお世話になった野村正樹さん。
「相互マネージャーやな」と、お互いに仕事を作りあっていた。
一緒に講演したこと、本を作ったことも、今となってはすべて宝の思い出。

東日本大震災の翌々日に亡くなって、12年が経つ。13回忌。
今日は命日になる。
震災といえば、同時に野村さんのことを思い出す。
野村さんは最期に、あの震災をどう感じられただろう。
震災がなかったら、寿命も変わっていたかもしれない・・と勝手に想像する。
震災に続いて、旅立ってしまった野村さん。
何か次の時代、これからの世の中を予知されていたかもしれない。
これからデジタル社会になるのを心配されていたことが、今も強く印象に残っている。

野村さんは、とにかくたくさんの執筆をされた。
書きながら、広報活動も熱心であった。
勉強会やさまざまな会合では、自分のミニ広報誌を必ず配っておられた。
「人生は営業だ!」と言われていたが、本当に自ら実践されていた。

とにかく尊敬し、共感できた。愉快な人生の先輩であった。
「お~い、いまお~」
野村さんにはそう呼ばれても、何も違和感なかったのが不思議だ。

震災の日、自宅に帰ったら本棚から野村さんの本が大量に落ちていた。
「おれの本、ここやで~」
その翌々日に亡くなられたのは、何かのメッセージだったのか・・
今思い出しても、不思議である。

などなど、野村さんとの思い出はつきない。
そして、野村さんのために作った曲「人生ななつ星」。
鉄道マニアでもあり、そのジャンルの執筆も多かった野村さん。

今日は野村さんのことを久しぶりに思い出しながら、
コンサートでもこの曲を歌うとしよう。

忘れてはいけない大切な記念日。
この方の存在が、自分の独立を後押ししてくださったのだから。

野村さーん。よく書き、しゃべり、飲みましたね~。
何年たっても、ありがたい存在。感謝を込めて。

大切な方の命日が増えてくるのが、何とも言えないが・・・。

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それぞれの311

3月11日の祈りの様子を、報道により知る。

津波で家族と別れ、離れ離れになった方・・・。今だに行方不明の方が
2500名以上おられると聞いて、それぞれのご家族はこの12年間、
どんな思いで毎日を過ごしてこられたかと思うと心が痛む。
昨日、その家族が祈りながら、泣きながら
「忘れないからね~」
と言われていた言葉が、突き刺さる。
思ってもいない、突然の別れ・・しかも、まだ行方がわからないとは・・・・。
希望を持ち続け、待ち続ける12年間・・。どんな時間だっただろうか。

福島の双葉町では、11年半も町に帰ることができず、昨年やっと
避難解除になり戻ってくることができたけれども、その時間が長すぎて
もう帰ってこないという住民の方も多いとのこと。
そんななか戻ってこられた70代後半の方が、「避難してみて、離れてみて
ふるさとのありがたみがわかった、だから帰ってきた。何かしたい
と思ったから…」10年以上放置された町、復興どころか復旧もまだ
これから。人がいなければ何もできず、店もなにも生まれない・・・。
「コンビニがあればいいのに・・・」
不便で寂しくなってしまった故郷に戻ってこられたこの方の一言一言が
心に沁みた。
故郷が、普通にある。ということは決して当たり前ではないことを
知らされる。

広島出身で原子力の研究を専門とする友人がいるが、
昨日届いたメールに、「今日は『自然災害の日』と言われているけれども、
原子力に関わる者たちにとっては、今日は『人災の日』です。」とあった。

それぞれの311。
祈りを込めて・・・。
明日のコンサートでは、震災を機に生まれた作品たちを、
心を込めて演奏したいと思う。

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記念日の意味。

12年前の3月11日のことを思い出す。
午後3時前、打ち合わせをしていた銀座のカフェ。天井から吊るされた照明が
左右に大きく揺れはじめたあの瞬間、言葉を失い、その後、日本中がパニックと
なった。携帯もなかなか通じづらくなり、その日の約束のキャンセルの連絡が
とれなくなったこと、何が起きたかあまりよくわからずに、その後、銀座から
有楽町へ・・。駅の前でたたずみ、ぼーっとしていた。
その後、これまで見たことがなかった避難する人々の長蛇の列の合間を抜け、
1時間かけて、徒歩で帰宅。途中、竹橋の毎日新聞本社に寄って、そこで掲示さ
れているニュースでこのことを知った。
えらいことになった。相方は大丈夫だろうか?いろんなことが心配になった帰路。
自宅では、いろんなものが散乱していた・・・。まあ、それで済んだのは幸い。
そしてテレビであの津波を見て震えた・・・。津波の恐怖を初めて知った。
と、ここまで書きながら、さまざまな場面が次々とよみがえってくる。
コロナで世界が止まった頃に通じる、これまでに体験したことのない非日常
の世界。

あれから、12年。とても長い時間が経過したような気がする反面、まだ最近の
ことのようにも思える。
実被害がほとんどなかったのは、本当にありがたかったが、東北のみなさんにおかれ
ては本当に苦難の日々を過ごされ、その努力に頭が下がる。
ほんとうの復興はまだまだですよ。と最近でもそのような声を聞き、震災の影響の
大きさを改めて知った。
原発の問題は、今も解決されておらず、12年前の地震が改めて悔やまれるとともに
「想定外」は起きるということを、学ぶきっかけとなった。

家族と別れることになった方々におかれては、この記念日は何年経っても
変わらない気持ちでおられることと思う。
もちろん時間の経過の中で、変化したことはいろいろあっても、それでも
そのときの別れは永遠に悲しいものだと思う。

記念日は思い出し、改めて大切な人に心寄せる日。
そして、そのとき得た教訓を改めて思い出し、その経験を忘れないように気持ちを
引き締める日。

天災はいつやってくるかわからない。間違いなく、当時よりも起きる確率は高く
なっている。
今日、改めて、もし起きたら・・を考え、備えについて確認、できることはやって
おこう。

「自然は人間と違って、感情がないんですよ。」
震災後3年、再会できた大船渡の知人が現地で語ってくれた言葉が今も耳に焼き付いて
いる。
震災やパンデミックや・・・さまざまな脅威が人間世界を襲う。
いつ命が終わるかわからないから、備えをしつつ、ちゃんと生きていこう。

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コミュニケーションの量と質と「こころ」。

人間は、コミュニケーションなしで生きられない。
まさしく「人の間」という文字のごとく、人間同士をつなぐものは、
コミュニケーション。それによって関係が生まれ、社会が成り立っている。
この扱い方、とりかたによって、人生も仕事もずいぶん変わってくる。
コミュニケーションでうまく生きる人、うまくいかない人、さまざま・・。

いかにコミュニケーションを大切にするか、言い換えれば相手を大切に
するかで伝わり方も変わり、その後の関係にも影響が出る。
そんなことを、最近、改めて痛感することが多い。

昨今、情報が大洪水、大量なゴミの山のごとく、あふれかえっている。
ほんとうに不要、それ以下のような情報もたくさんある。
何をもって「情報」というか・・の再確認も必要。人の心に届かないものは
もはや、情報とはいえない・・・。
コミュニケーションも自分の言いたい放題、拡散しっぱなし、無責任な
発言のたれ流し・・・。これでは本来のコミュニケーションではない
と思うことが多く、画面を閉じたり、スイッチを消したり、目を閉じたり・・。

一方、いい情報に出会った、いい話が聞けた、いい話ができた・・
という例は意識しないと巡り合えない。探しにいかないと、
相手を選ばないと出会えない・・と、そんなことも多い。
もちろん出会えたときの感激もひとしおである。

コミュニケーションのあり方について、今改めて問い続けたい。
流されていないか?相手の顔は見えているか?
相手の心は見えているか?

相手に満足いただくことが、自分の満足。
相手に良かったと思っていただくことが、自分の幸せにつながる。

この基本を今一度、確認しながら、
改めたり、再考したり、今できることをやっていこう。

そろそろ、情報との付き合い、コミュニケーションも
量は少な目に、質は高いレベルで。
そして、心を込めて。

生きている限り、コミュニケーションは続くから・・・。

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小さな本、できました。

てのひらサイズにすっぽり入る本。
とてもやさしく、愛らしい。
そんな大きさの歌詞集が完成。

グラン・ルー25周年の記念事業のひとつとしての企画。
新潟でお世話になり、またずっと応援している女性編集スタッフ
オンリーの自費出版会社、「ミューズ・コーポレイト」さんから
このサイズ本を教えていただき、自分の作品をまとめてみることに。
てのひら句集・歌集 | ミューズ・コーポレーション (e-muse.jp)

グラン・ルー25年の間につくった歌詞をここに収めた。
本のタイトルは
「人生は観覧車のように~心のふるさと 愛する人たちへ~」
歌うときに耳に入ってくる歌詞と、
文字でたどる歌詞は同じものでも、違うはず。
ぜひ、この手触り感と、文字を眺める楽しさを体感いただければ・・。

早速10冊まとめてオーダーいただき、「人にプレゼントしたいので」
と言って下さる方もいて、ありがたい。
こちらの本、売り上げの半分を、ウクライナの人道支援に寄付します。
また、お買い上げいただくともれなく、京都で生まれた友禅印刷による
香りのオリジナルブックマークをプレゼント。
こちらも限定。ぜひお楽しみください。

デジタルの時代にこそ、ぬくもりのある本を・・・。
詳細はこちらから、

25周年感謝の記念出版 いよいよ完成!受付開始 | La Grande Roue (mahsa.jp)

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いない時間に慣れる。

もうすぐ母を送ってまる2年。三回忌ということになるが、
実感はあるようなないような。
不思議な時間をただ、前に進んできたという感じか。
親がいない、喧嘩をしない、夫婦喧嘩を見ない、・・・そんな生活。
今は、かつて住んでいた場所に行き、その空間に触れ、写真を見て、
在りし日の記憶を
たどる。笑顔の写真に話しかける。
そんな暮らしに慣れるための2年間だったかもしれない。
そう、いないことに慣れる。

寂しさや悲しさと向き合い、いなくても生きていく。
このことに慣れ、本当の意味で自立する2年間だったのかも。
と、過ぎてみてそう思えてくる。

人間は、不思議なことに慣れていく、忘れていく生き物だ。
だから明日に向かって生きられる一面もある。

これから3月26日に向け、思い出すことが多くなる。
ああ、この日が喧嘩した最後の日。デイサービスに送った最後の日。
救急車で運ばれた日。見舞いできないのに病院に通った日々。そして・・・。
まだまだ鮮明な思い出をかみしめながら、変わらぬ寂しさのなかに
その存在に感謝の気持ちが湧いてくる。

今日は、少し早いが目を閉じて、ありし日の親に静かに思いを
寄せたい。

いない時間がこれからも続くが、それは、目で見えないだけのこと。
心の中では見える、会える。

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