今、いくつかの企業支援をしているなかで、管理職や係長を支援するコミュニケーション
プログラムが動いている。
部下たちの仕事をサポートしながら、目標達成できるように育成していく、そんな人材に育ってほしいと研修や個別・グループ面談を継続して行ってきた、
このコロナとともに、なんやかんやで1年が過ぎた。
1年前にはじめて会った係長たちと、久しぶりの個別面談を行う。
この1年の間に数回は個別に、グループでコミュニケーションをとってきた。
コロナで、しばらくリモートでも対面する機会がもてず、3か月ぶりぐらいの再開。
コロナ感染再拡大の夏、もろもろご苦労も多かったのではと思いながら、面談開始。
いやはや、彼らと久しぶりにあったせいか、その成長ぶりが目に飛び込んできた。
部下をもつ立場を自覚した人、コロナ禍でみんなに助けてもらったということで
愛社精神が高まった人、もっと部下にきちんと伝えたいと思うけれど自分にできるかな?
とにかく前向きな人が多く、最初、こんなに意欲的だったかなと1年前を思い出す。
1年前には言えなかったことが、今はこうしたらもっとよくなると思いますよ。
と言える間柄。信頼してくれているからだ。
とにかく、係長たちに火が付いた。
現場を知り、現場で働く人の上に立つ係長。
この上に行くかどうかは、分かれ目だ。大変重要なポジションにいる。
コロナという苦難が、助け合う苦労、歓びを与えてくれたのかも。
それを機に、大きく成長されている。
とにかく、彼らのキラキラ感がとてもうれしかった。
人づくりに関わる仕事は、ほんとうにうれしい。
さあ、次は?
今日も心新たに、次のチャレンジに向かう!
係長たちの成長。
ゴールまでとことん、やり抜く。
ある会社員の方から、連絡をいただく。
聞けば、あと2か月ほどで定年を迎えるとのこと。
え?そんな、あと少しなんだ。
そんなに長くこの会社でつとめてこられたのだ。
会社員には、節目がある。
気が付けば、その節目を前にした人との会話も増えてきたここ1~2年。
まさに自分と同世代でもある。
自分がもし今、会社員であれば、そんなステージか~。としみじみ。
その人は、差し迫る定年ではあるが、どうしてもそれまでに
やっておきたいことがあり、
そのことで、どうしたらいいか悩んでいるとのこと。
悩むというよりは、想いがあふれてきている。といった方が良いだろう。
自分が長年やってきた仕事を、こんな風に締めくくりたい。
感謝の気持ちを込めて、こんな形にしておきたい。
という熱き思いである。
お聞きしていると、そのこと自体が素晴らしいことで
その内容も、会社にとってもプラスだと思い、
ダメもとで提案してみたらどうですか?と背中を押してみる。
何も言わずに終わって、あとで悔いが残るといけないので・・・。
そういうと、その人は、
「じゃあ、そうしてみます。話せただけでも良かった」と笑顔の返答。
そのあとも、やる気に満ちたメッセージが届いた。
結果がどうであれ、
思ったら、気になったら
定年だからやめておこう。と引っ込むのも選択肢かもしれないが、
やりたいこと、やらねばと思うことは、ぜひ一歩踏み出すのが良いと
思っている。
定年。
おつとめ人の大きな節目。
その日に向かって、ぜひ自分の長き会社人生を振り返り、
やり残したことがないか見直して、これは!と思えば、
ぜひやりぬいてほしい。
我慢する必要はない。
存分に働き、しっかり着地する。
自分にはそういった定年はないけれど、私は毎日が定年のつもりで
悔いないようにやりつくしたい。
あとになって良かったと思えるように、
すべては、人生の思い出作り。
仕事もそのひとつだと思う。
おひとりさまの最期は、じぶんごと。
おひとりさま。これは今や、結婚するしないだけでなく、
いろんなわけあって、ひとりで生活をする高齢者、いわゆる独居老人のことも
含めての呼称として、すっかり世の中に定着してきているようだ。
そう、人間、誰しも生まれたきたときと同じく、亡くなるときも一人で
旅出つことに変わりがないが、家族が身寄りがそばにいない場合、
おひとり様は、どんな人生のしまい方をしたらいいのだろうか?
最近、こんなことを決して他人事ではなく、わが人生の終わりについても
あれこれ考えるようになってきた。
多くは施設で最期を迎えるということを想定するが、
実は、おひとり様でも自宅で息を引き取ることもできる。
そういった支援をする医療・福祉の専門家がいるという報道に接し、
大変驚いた。
医師・看護士・ケアマネ・ヘルパーさんがワンチームとなって
そのおひとり様老人のお世話をする。
これは凄いことだと、その番組を見て、釘付けになり、なんと
録画を二回も見てしまった。
別居の家族がいる、誰もいないいずれの場合でも、この専門家チームは
それぞれの老人の方の最期をきちんと看取る。
治療、処置ももちろん必要であるが、ラポールいわゆる対話、
コミュニケーションでもって、おひとり様が寂しくないように
ケアしている。
来たる死を受け入れ、最後まで生き切って、
そして、笑顔でもって旅立てるようにと心がけておられる。
なかなかできない仕事だと、感心と感動と尊敬・・・。
さあ 自分の最期はどうなるのだろうか?
人に迷惑をかけないようにとは、常々思っているが、
どうしても、誰かにお世話になったり、ご迷惑もおかけするのだろう。
なるべく、そうならないようにと念じてはいるが。
私の場合は・・・。
と、考え始めていてもおかしくない。
終わりを考えつつも、今を大切に。
今できることを精いっぱいやりきること。
おひとり様。
そう、みんな生まれるときも、亡くなるときも一人。
でも、ひとりで生きるのではない。生きているのではない。
周りのさまざまな愛や応援があって、生かされている。
今日もその自覚をもって、感謝の気持ちで!
代役コミュニケーション。
月に何度か、必ず立ち寄ることにしている店がある。
地元のお米屋さん。
小学校時代の同級生が家族で経営している、半世紀以上つづく
地元では皆さんにとってなじみのお店。
そこの女将さんは、母の親友であった。
本当によくしていただいた。
子供の頃から、「おばちゃん、おばちゃん」
と、親しんでいた。町でも有名な働き者のおばちゃんだ。
そのおかみさんと親の関係。
両親が元気なころは、年末の餅つき等を手伝いにいったり、
休日には一緒にドライブや旅行に出かけたり、
日帰り温泉や外食を愉しんだり、
ときにはお互いの家の台所で、一緒に食事をとったり、
と本当に家族のように
大の仲良しであった。
母が亡くなったあとも、女将さんは気にかけていただき、
父の施設にも顔を出していただき、食事をとらなくなったときも
ジュースを差し入れてくださったり、父が亡くなる直前にも、
家族のように、お見舞いに来てくださった。
それだけ深く、濃くつきあっていただいたいた分、
両親亡きあとは、おばちゃんもお寂しくされていると思い、
また自分も母親に会いに行くかのように、お店を訪ねたり、
お宅に寄ったりしながら、声をかけ、なんやかんやと
差し入れや花を届けてきたこの一年半。
「おばちゃん、お元気ですか?まさこです~」
と電話をかけ、お変わりないか尋ねる。
「話せる友達がいなくなって、寂しいね。
行くところもなくなってねえ。
年を取るというのは、なかなか生きづらいね」
「おばちゃん、今度、一緒に○○へ行きましょうか。
たまには、久しぶりにお店でご飯食べるのもいいしね。」
立場も年代も興味関心も全く違うので、親たちの代わりには
なれないけれど、少しでも、親が仲良くしていただいた分
関わりを持ち続けたいと思ってしまう。
そう、
このおばちゃんには、母の分まで元気に長生き
していただきたいのだ。
時間の経過とともに、寂しさから新たな人間関係が生まれる。
母という存在を通じて、あの人に、この人にと、お世話になった
方への感謝のツアーをし始めている。
母にしてあげたかったことを、その代わりに・・という気持ちなの
かもしれない・・・。
代役にはなりきれないけれど、母との思い出が消えないためにも、
そんなプチコミュニケ―ションを大切にしていきたいとも
思っている。
このおばちゃんは、隔月実施している岐阜新聞のコンサートに
両親亡きあとも、欠かさず、仲間とともにおいでいただいている。
本当に、母の代わりに・・・ありがたい。
米屋の女将さん。母が大切にしていた人だから、
これからも できる限り、
関係を大切に、おつきあいしていければ・・と思う。
今だからこそ思うことを、無理なく実行していこう。
「楽しそう」に見える、魅せる。
朗読劇の本番から1週間。配信サービスも予定どおり開始され、早速ごらんいただいたから感想などをいただく。
「素晴らしいリーディングドラマでした。近くだったら駆けつけたかった~」
嬉しい限り。確かにライブの方が絶対に伝わり、五感で感動いただける。
一方、
「運転しながら運転しながら聴いて、劇と音楽がぴったりでとても楽しかった。
新たな楽しみをありがとうございます」・・など
朗読劇ならではの感想もあり、こちらも想像していなかった、新たな発見も・・・。
そう、朗読劇はラジオを愉しむように気軽に鑑賞することもできるのだ。
そんななか、
「マーサさん、後ろ姿しか見えなかったけど、楽しそうに演奏されていて
こちらまで楽しくなってきました~」その感想をいただく。
これは配信をご覧になった方から、会場においでになった方からも、
言われたコメントだ。
そうか!わたしは、楽しく演奏していたんだ~!
さて、あのとき、実際に私は楽しく弾いていたか。というと、そうではない。
とてもそんな余裕はなかった。
とにかくリズムをしっかりとらないと、リズムが崩れておかしくなったら
劇自体が壊れてしまうため、リズムに乗るために、ノリノリのパフィーマンスをして
弾いていた。内心はドキドキ。手は汗で鍵盤の上を滑りそうで、こわごわ・・・
(冬は寒さで、夏は汗で・・照明の当たった本番の鍵盤上はちょっと危険地帯だ)
など、見えている自分と、実際の自分は異なっていた。
楽しいよりも、必死である。間違えないように!!
いつも書くけれど、氷の上を優雅に舞うフィギュアスケート選手と
同じ気持ちなのだ。(と、思っている)
そんな状況で難しい顔、コチコチの表情で弾いていたら、お客様に伝わって
しまう余計間違える。どうせなら楽しく見えた方がいい。
ということで、
楽しく見せるのも、芸のひとつ。
実際、
楽しそうに見えていて、良かった!!
こちらが笑顔や楽しさをふりまくと、周囲もそれにつられるものだ。
それを実践するのが演奏者のつとめ。
顔が見えなくても、音とともに存在は伝えられたようだ・・。
多くの方にご鑑賞いただき感謝のひとこと。
週末ご覧になる方もいらっしゃると思いながら、
あっと言う間の1週間をふりかえっている。
いろんな四半世紀、そして。
京都駅にあるデパートの前を通ったら、
「おかげさまで25周年」というポスターが目に入ってきた。
ああ、京都駅がガラリ変わったのは、たしかこの頃だったか・・。
急に昔の京都駅が懐かしくなる。
あれはあれでとてもノスタルジックでロマンチックだった・・・。
だが、実はその形をもう思い出せない。
来年、グラン・ルーを設立して25周年になるが、
このデパートの誕生時はまだ会社員だったということか・・。
30代半ばの自分をふと思い出す。
続いて、戻ってニュースをながら見していると、
あのダイアナ王妃が亡くなって25年という話題も知る。
ああ、パリのあのトンネルでの突然死は、世界中を哀しみに
包んだ。パパラッチという存在を知ったのもあの時だった。
今も、彼女の存在を惜しむ人々の声を報道していた。
四半世紀・・。
人生では、いくつの四半世紀を折り返すことができるだろうか。
私の場合は、もう二回目を過ぎた。
3回目はあるかないか・・。
4回目はないとまあ、ないだろう。(そう思っているがわからない)
人生や企業は、10年ごとに、25年ごとに・・・それを節目として
存在する。
限りある短い時間ではあるが、また、人は企業と違い、ひとりで
その人生をまとめなくてはいけないが、
節目を意識しながら、足跡を確認しながら、意義ある時間を重ねる
ようにしたい。
ということで、25年前の自分を思い出しながら、いよいよ独立に
向かう自分を懐かしく思い出す。
30代の意気込み、今もはっきり、くっきり。
若い人と、通じ合う。
演劇の仕事の醍醐味は、普段と違う世界に足を入れることができること。
ひとつの作品の完成に向けて結成されたユニットは、本番に向けともにすすみ、
そして舞台が終われば、またそれぞれの明日へ向かう。
そのときに得た経験を、それぞれが次のステップに活かす。
異業種、異世代・・・。この世界に夢を持って頑張っている人がいるんだ!と
いうことを知り、ふれあうだけでも大いに刺激になる。
役者を目指して上京し、がんばっている若者との出会いは、いつもなんだか
うれしくて仕方ない。自分で選ばなければこの道には入らないはず。
強い意志をもって生きている、そして戦う日々もありながら、負けずに
がんばっている姿には、力強さを感じ、応援したくなる。
今回は10代の役者さんとの共演もあり、とても新鮮であった。
親子以上の年齢の違いがあっても、初対面であっても、すぐ打ちとける。
本番前の「お願いします!」というきらきらした、元気な挨拶は、
今もくっきり覚えている。
そんな若い役者やスタッフが、
「マーサさんの『みず・つち・ひと』めっちゃいいですよね。
オレ、気に入りました」
「『かもめりぃ』っていい曲ですね。泣いてしまいました」
と、本番中、劇のあとに歌った私の曲について、語ってくれた。
そうなんだ。10代や20代の若い人でも、私のような昭和チックな
曲をわかってくれるんだ。泣いてくれるんだ。
心からうれしく思った。間違っていないと改めて感じた。
本番が過ぎた今週のやりとりからも、
「マーサさんの歌はすごく好きなので、これからもチェックしますね。
これからも、お願いしまーす♪」
「YouTubeでも見ましたよ、この曲やっぱり好きです~」
とメッセージが届き、感動、感激。
自分の作品を若い人がわかってくれる。若い人にも伝わる。
これは励みになる。
そう、愛や人思う心は、世代を、時代を超える永遠のものだから。
今回、出会った若者のことを、これからもずっと応援し続ける。
そして、できれば何か、新しい面白いことを一緒にしたい。
と、新たな妄想も沸いてくる。
本番からわずか1週間。新たな出会いと感動を胸に、
細胞が新しくなっている自分に気づく。
未来を生きる人にバトンを渡す。
そんな生き方をもっと意識したいと、改めて思う。
若者目線で世界を見よう。
若者目線で生きることを意識しよう。
忘れない記念日。
9月になった。
2022年もあと、4か月。三分の一しか残っていないという
信じがたい状況。
こんなに時間が経つのが早いとは・・。
今日9月1日は、母の誕生日だ。
生きていたら83歳になるのだろう。
生きていたら、電話をして、
「ありがとう」と感謝の気持ちを伝え
何かしらのプレゼントを毎年送り続けた・・。
昨年から、そういう儀式も不要となって・・・・。
なんとも寂しい限り。
でも、この寂しさに慣れながら、改めて母への感謝を
捧げる1日にしたいと改めて思う。
母が生まれたおかげで、私もこの世に存在する。
だから、母の誕生日は永遠に大切だ。
人は生まれ、生きて、別れ、そして、心のなかで
生き続ける。
改めて、母と言う存在の誕生に感謝を込めて。
お誕生日、おめでとう。ありがとう。
さあ、待ちに待ったerが付く月がはじまる。
いい季節になる。
真に惜しまれる人。
あの、稲盛和夫さんが亡くなったとの報道に接し、
ああ・・・という声が、思わず出てしまった。
お会いしたことはない。
ただ、ビジネスに関わる人であれば、京都に関わる人であれば
みんな、知っている昭和、平成、令和を代表する経営者であり、
思想家であり、教育者であった。
伝統も大切にするが、新しい挑戦もいとわない。
まさに、京都らしい。
京都を代表する企業を一代で世界の企業に
成長させ、京都の産業界を活気づけた。
にとどまらず、KDDI設立、日航の再建・・と、他の誰もができなかった
偉業を次々と成し遂げられ、さらには地元の産業だけでなく、文化の発展にも、
そして日本内外の経営者の育成にも・・
と、限りなく、人生のなかで次々と、世のために尽くされた。
松下幸之助さんは昭和を代表する経営者であったと思うが、
稲盛さんは、それに続く、さらに大きな功績を残された歴史に残る経営者。
私がその名前を知ったのは、学生時代で、京都の会社といえば、京都を
代表する社長といえば・・と、まったくの一学生、一庶民であっても
その存在は知っており、敬意を持ち、その動きに注目していた。
第二のふるさと京都への恩返し。それから、利他の心。
この2点は、まさに自分もそうありたいと思っているところ。
また、出家された60代の頃の報道も、今は懐かしく思い出される。
普通の人じゃないな~。と世間を驚かせた。
そう、ほんとうに普通じゃなかった。
心からその一生に感謝と敬意を表したい。
真に惜しまれる方とは、こういう人を指すのだと思う。
今、稲盛さんに感謝される人はどれぐらいいるのだろう。
功績はもちろん、その存在に対して、
稲盛さんがおられたから・・という企業、人は計り知れないだろう。
お会いしたことはなかったが、心から尊敬できる経営者のひとり。
90年の人生。
現代の西郷さん、素晴らしい。
改めて。
私も、
第二の故郷、京都に恩返しを。
そして、利他の心で。
心からご冥福をお祈りします。
弔意と感謝の黒シャツ。
このたびの公演の衣装は、といえば黒と決まっていた。
今回に限らずだいたい、演劇の際の生演奏のときは、黒スタイルと決めている。
役者さんたちは白っぽい衣装で明るく、演奏側はまさに黒子で舞台を支える
感じだ。
この黒い衣装も選択が難しく、演奏しやすいもの、また扱いしやすい素材。
そして、会場の室温によって、暑すぎたり、寒すぎたり・・・。で困らないように
備えが大切だ。
いろんな面で、衣装選びは、難しい。だからいつもつい、多めに持参する。
さて、今回はこの季節だから、きっと冷房で室内は冷えて、寒くなるだろう。
と、気づいたのは移動しはじめてから。
ああ、1枚あった方がいいな。持ってくるのを忘れた・・・。
長時間じっと座って演奏するのに、寒暖の不安は禁物だ。
じゃ、仕方ない。出先で1枚何か買おうかな。
ふと、先日、亡くなったイッセイさんのことが頭に浮かんだ。
そして、そのまま宿泊先近くのデパート内の売り場に行った。
ないかな?と思ったら、偶然、シンプルな黒いシャツを発見。
私の方を向いているようにも、思えた。
「あ、これ!いいかも。」
時間もなかったため、瞬間の衝動買いをしてしまった。
1枚あれば、安心安心。
ちょっと張り込んでしまったが・・・。
宿泊先ではハンガーに吊るし、楽屋へも持ち込んで、
イッセイミヤケのことを、毎日思い出した。
この四半世紀、この衣装に支えられ、助けられたか・・・。
各お店のこと、そこで出会った多くのスタッフたち・・・。
たまたま舞台衣装としての黒シャツであったが、
実は弔意を込めての1枚でもあったのだ。
実は、今回、舞台中、寒くなることがなく、着る機会がなかった。
そのまま、持ち帰り、ずっとハンガーに吊るして眺めながら、
イッセイミヤケを偲び続けている。
もちろん、秋からのコンサートではこのシャツも、活躍するだろう。
これからも、イッセイの偉業に感謝し、かっこよくいい仕事をしたい。
衣装によって、働き方が変わる。
本当に、それを教えてくれたのが、イッセイさんだった。
次代にもその精神をきちんと受け継いでほしい。
黒いシャツ。
弔意と感謝の一枚。
そういえば、黒シャツは、この1年、着る機会が増えている・・・。
哀しみを消して、寂しさを包み、
今日も明日も、強く、深く生きるための色。
そんな風にも解釈している。