追い込んでパワー炸裂!

今、大きな勝負に挑んでおられる方のプレゼンのレッスンを
続けさせていただいている。
その方は55歳。人生初の大きな転職である。
そのために、これまで考えたこともないことを考え、
やったこともないことをやってみる。やらなければならない
という現実に直面。
これまで人前で話すとか、人によく見られるということの
必要性も考えたことがなかった方が、この3週間の間に
みるみる変化!
発声練習から、写真での効果的な自分の見せ方、
演説の仕方、討論会での話し方、聴き方・・。
話す内容から、話し方まで、一緒にどうしたらうまく
伝えられるのかを考え、お伝えしながら、ときには
厳しく応援させていただいている。

人は本気になったら、本当に変わる。
今回、そのことを実感している。

長年つとめてきた仕事をやめて、新しい職業に転じる。
その勇気に敬意を表し、とにかく前に向かって毎日毎日
奮闘されている姿に、心動かされる。

ああ、がんばっておられるな。
私もがんばろう!

この転職にはひとつの乗り越えるべき勝負がある。
時間が迫っている。
あと2週間。
パワー炸裂、地域の皆様に思いをしっかり伝えていかねば。

毎日毎日をマラソンのように走り続けているこの方を
最後までしっかり見守り、応援し続ける。

人生を賭けた転職を応援する。
この仕事自体にも、やりがいを感じる。

転職に、コミュニケーション力、プレゼン力は必須である。
50代になっても、人はまだまだ変わることができる。
成長できる!!

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いのち、尊し。

子供の頃から とてもかわいがっていただいたおじさん。
89歳の誕生日を前に、人生の幕が下りた。

何年もずっと来て下さった地元でのコンサートへも、
この春以降、来場が難しくなった。
最後に来てくれた岐阜新聞での演奏のときは、
会場の皆さんの介助のおかげで、入退出。
そして、やっと車に乗せてもらうことができた。
「まあ、生きとるだけやわ。」
自分で動くことが難しくなったおじさんは、笑いながらそう言った。
その言葉が、今何度も蘇る。

それまでは、耳が悪くても、それでもずっと来てくださった、
ただ、ただ見守ってくださった方。
聞こえへんのに、何が面白いのかなと、いつも思いながら
ピアノを弾きながら、叔父さんに向かって
一生懸命、視線を投げかけていた。

そんな聴こえない人生を10年以上過ごされていたが、
いつも笑っておられたのも、印象的であった。
苦を苦と思われない強さ、しなやかさが好きだった。
食欲旺盛な元気な働き者のおじさん・・・。
「わしはな、学校いっとらんけど・・・」
時々そんなことを言われ、でも、生涯の働き者であった。
出世とか、名誉とか関係なくかかわる人へ優しさを
黙って投げかける、そんな人であった。

この夏以降、食欲が落ちて、寝たきりになり、
それでも何か栄養を・・・と思い、なんどか
レトルトのスープを差し入れていた。
美味しい!と、飲んでくれていたので、
先週も送ったばかりであった。

義理のおじさんなので、
血はつながっていないのに、
心がつながっている感じ。

幼い私を「まー」と呼んでかわいがってくれた。
地元で生まれ、育ち、働き・・・。
地味な、地道な人生を歩んだおじさん。
本当に純粋な、ある意味、世渡りは下手だったかも
しれないおじさん。

そんなところがとても好きで、
子供がおられないこともあり、
良くしていただいた。

人が毎日生まれ、亡くなっていく。
名もなき人がほとんどだ。
でも、ひとりひとりの人生は
それぞれの家族や身近な人にとって
本当にかけがえのない、
大切な存在だ。

「生きてるだけで、もうけもん。
何もできなくてもいいよ」
と、優しい奥さんに見守られて・・・。
「かわいい顔してたよ」
と、そんな訃報に接し、
なんともいえない気持ち。
自宅で、静かに一生を終えられたのは
幸せだったろうと思う。

いのち、尊し。
愛されて、見守られて逝ける
人生は、幸せ。

心で演奏を聴いてくれていたおじさんに、
心から感謝と祈りを捧げたい。

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改めて、旅立ちの送り火。

岐阜といえば、長良川の鵜飼い。
金華山の頂上にある岐阜城を仰ぎながらの
長良川はとても美しいが、夜の鵜飼いの風景も、
ふるさとでもっとも自慢したいスポットのひとつ。
鵜飼いの船に漁火が灯り、ひとつふたつみっつ・・・そしてむっつ。
船があつまり、漁火も並ぶ。これが「総がらみ」と呼ばれる鵜飼のクライマックス。
水面に映る灯りたちが、とても美しく、幽玄である。
そして、たちまち、火は消えて、観客の拍手も暗闇にとける・・。

と、まあ、そんな鵜飼い。
5月から10月まで毎年開催。
訪れる観光客たちを、じんわりともてなす岐阜の風物詩。
そして、昨日10月15日が最終日。
去年から、父の命日の翌日という新たな「記念日」にもなった。

父が倒れた3年前。倒れる直前の夜に、
この鵜飼をたまたま長良橋の上から見ていた。

おもしろうて、やがてかなしき鵜飼いかな・・。
は、ほんとうにそうだな・・・。

と思っていたら、そのあと父が倒れ、そのままフェイドアウトするように
一生を終えた。
松尾芭蕉が、鵜飼いを人生にたとえたのが、
よく理解できるようになった・・・。

鵜飼い最終日の前日に旅立った父。
これも意味があったのだろう。

今となっては、私にとっては、この鵜飼いじまいは、父と母への送り火だ。
最終日である昨日は、天気もよく、船で楽しむ観光客以外に、川辺や長良橋にも
多くの人々が集まり、最終日を見守った。
長良橋に多くの三脚が立ち並んでいた。一年にこんな多くのカメラが集まることは
ないだろう。
花火もきれいに打ち上げられ、観客の歓声と拍手が
夜空に舞った。
昨日は、空から、母と一緒に漁火を見ていただろうか。

山上の灯りは岐阜城。信長もこの鵜飼で多くの客人をもてなした。
もてなし、そして送る・・・。

おもしろうて、やがて かなしき うかいかな。
おもしろうて、やがて 涙 あふれてる・・・。(自作の「やがて・・・」より抜粋)

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ごめんなさい。ありがとう。

仕事でも、その他の人間関係でも、すべてコミュニケーション
があって成立する。
うまくいくこともあれば、歯車がうまくかみ合わなったり、
相手をいらいらさせたり、違う解釈をされ、怒られてしまうこともある。
もちろんその逆もある。

そうか~。そうとらえるのか。違うと思うけどな~。
でも、相手がそう思ったんだから、こっちが悪いかも。

と、思えば、謝っている。
先に謝ることが多い。そうしている。

そこで、どうのこうのと言ってぶつかり合っても、何の解決にもならない。
頭がカンタンに下げられば、それでいい。良い。

伝えたかではなく、伝わったか?が大切。
といつも、皆さんにお伝えしているが、私自身も、道半ばの日々だ。
こちらの意図どおりに伝わっていなかったならば、素直に認め
改善を急ぐ。

ごめんなさい。ありがとう。
謝罪と感謝。
いずれも「謝」である。
感謝するとは、詫びる気持ちを感じること?
「ありがとう」の言葉の奥には、本来深い意味があるのかも?と
気づかされる。

とにかくコミュニケーションは相手が主役。
と思うぐらいがちょうどいい。
自分中心にならないように、
謙虚に丁寧に、理解される、共感されるための工夫や努力は
永遠の課題。
生きている以上、続くことだろう。

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ラストDAYに感謝、そして新たに。

今日は父の旅立ちから1年の記念日になる。
そして、昨日は、父が生きた最終日。
1日頑張って息をして、そして終わった日。

父がお世話になった施設に顔を出してみる。
「お久しぶりです。その節はお世話になりました」
「もう1年ですね~。早いですね~・・」
ちゃんと覚えていてくださったことに感激する。

父が息をしていた日のことを思い出し、
最後の呼吸をしていた部屋を外から見て、
1年前が走馬灯のようによみがえった。
瞬間、胸がつまったけれど・・・。

いろんな場面が過去の想い出になっていく。
でも、やはり永遠の存在であることに変わりはない。
父も母も自分の心のなかにいる。

と、父が最後まで頑張った日をしっかり
意識して過ごすことは、意味がある。

今日は、新たな出発をする日。
残った人が、残してもらった思いを受け継ぎ、
新たに生き始める日。
だから、
普段通りに仕事をする。

ふと、両親につくった曲「ひと・もんよう』
が頭のなかに流れてくる。

いろんなことがありました
いろんな人に会いました・・・♪
La Grande Roue:Poem & Songs (mahsa.jp)
https://www.mahsa.jp/creation/

改めて、母とずっと、楽しい旅を続けてほしい。

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お金の使い方。

最近、「いったい、誰のお金なんだろう」
と思うことが多すぎる。
オリンピックから、先日の武道館で強行された国の?行事。
さらに、急にはじまった旅行支援。
全部、膨大な費用が必要な取り組みである。

そのお金は湯水のように湧いてくるものなのか?
それは一体誰のお金なのか?
お金のなる木が、どこかにあるのだろうか?

コロナが落ち着き、経済の活性化のため、
ダメージを受けた観光業界を支援したい
という意図はわからなくはないけれど
お金の使い方は、気になるばかり。

安く旅行に行けるなら、ありがたいと思わなくては。
とは思うのであるが、
例えば、京都が、またあの騒々しい様相に戻ってしまうことに
心から不安を感じている。
昨日、すでに京都駅の回転寿司店に、外国人観光客が席を並べていた。
これから、爆発的に増えることが心配だ・・・。

住民の暮らしに悪影響が出るような過熱ぶりは勘弁してほしい。
と、思う方も少なくないかと思う。
早くこの支援が終わり、普通に旅したい人が普通に旅する状況に
戻ることを切に願っている。

お金の使い方。
もっと、困っている人に役に立つ使い方があるはず。
お金。無限ではない。
次代の皆さんが少しでも楽ができるように考えたら、
無駄遣いはしないだろう。

狂ってませんか?金銭感覚。
小手先の消費施策は、もったいないだけ。
あとでツケがが回ってこないかと心配だ。

ふと、
会社員時代のクライアントが
「売るより、買う方が難しいんだよ」
と言われていたことや、
昨日、ある企業で購買担当者が
「お金は大切に使わないと。一円でも安く仕入れないといけないので
交渉が大変です」
と言われていたことがよみがえる。
現実の社会では、ビジネスでも、暮らしでも
皆さん、お金の収支について真剣に考え、
やりくりをして生きている。

お金は稼ぐことも大切であるが、
使うことにも神経を使いたい。
資源は有効。
無駄使いをしないで、うまくやりくりしながら、
皆が幸せになれること。
そこに頭を使うのが、よい。

自分が汗水たらして働いたことがないと、
使う感覚も違うのか・・・。

もう一度、
限りある資源を大切に。有効に。
自分自身にも言い聞かせる。




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その人にとって、自分は。

最近、考えることのひとつ。
自分が人生の最後の最後に、問いたいことについて。
たとえば、妹に対して。
「私は、いいお姉ちゃんだったかな」。
と聞いたとき、彼女はどうこたえるか?

妹は、今となれば、ひとりの肉親ということになる。
生まれながらにして、いやおうなしに家族の一員同士であったから、
彼女には、「いいおねえちゃん」として、最後
終われたらいいと思っている。

同じように、愛する人にとっても、「本当にいい人だった」
と思ってもらえるといい。
出会った人みなさんに、「いい人だった」と思ってもらえる
ことが一番の幸せだと思っている。

そうなるためには、日頃からの積み重ねだ。
人のことを本当に思い、優しく、ときには厳しく・・・。
まごころで、接することができるかどうか。

自分自分ではなく、相手にとって自分ができることを
考え、手をさしのべ続ける。
自分ができることを精いっぱいにやり続ける。

「いいおねえちゃん」で締めくくれるように。
最低限、迷惑をかけない生き方、しまい方。

そしてかかわる人にとって、かかわった意味がある人に。

最後の場面を思ってみたら、
意識も行動もおのずと変わる。

その人にとって・・・。
その目線と行動を大切に。

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一番良かった時を残して。

まもなく父の旅立ちから1年となる。
もう?まだ?と、なんともいえない気持ちである。
ただ、そろそろ、と次の段階に移っていかねばという
自分がいる。

この1年間は、いろんな後処理をしてきた。
まだ途中である。おそらくずっと途中のまま生きていくのだろう。
そんななか、1年前は両親が亡くなる直前までの思い出も
大切に保管していた。
たとえば、施設や病院にお世話になっていたときの資料
やそこで使っていた道具など。
これらを親たちの最後までがんばって生きていたという証拠のためか
処分せず、そのままにしていた。
でも、この1年間。親たちが弱ったときの資料には目を向ける
ことがなかった。
それを見ると、そのあとお別れ・・まで思い出してしまうから。

それよりも、健康で元気いっぱいの頃の思い出を優先して
残しておこうと思い、写真やモノも選び、残すようになった。

両親たちにとっても、私にとっても
一番元気で、良かった時代。
このときのことを折にふれ、思い出したい。
悲しい思い出は、そっとしまっておく。
と思っても忘れられないのだが・・・。

親たちが50代前後から。
子供も独立して、自由に生き始めた時代。
そう、50代から70代までが、花盛りたったかも。

これからも毎日心のなかに住み続ける親たち。

一番威勢のいい時の、元気なときの・・・
がいい。

墓に行き、
「もうすぐ、1年やね~。どうやね、元気にしとるかね?」
と、元気だった二人の姿を思い出して話しかける。

不思議だ。時は流れるもんだ。

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難書との向き合い方。

久しぶりに、哲学系の書籍で、翻訳ものを入手した。
たまたま 売り場でその本が目立っており、タイトルと
表紙の色が自分を誘惑した。
なんだか、面白そうと思い、でも最後まで読めるかなと
何度か店頭で眺めた上で、帰ってから、よし挑戦するぞ!
とネットから注文。
哲学書は心に、時間にゆとりがないと、読めない。
さて、今日こそは、と本を広げる午後の時間。
本を開きページを最初からめくると、翻訳にあたってのまえがき・・
という まえがきのまえがき・・のような書き出しがあり、
そこから躓いた。なんだか面倒くさそうだな~。
知らない名前、修飾語が多すぎて、すんなりと頭に入ってこない。
いったりきたり、そして「ん?」と思って戻る。睡魔も襲ってくる。
読書では、文字が言葉となって、すいすい頭に入ってくる場合と、
何度もうろうろしてしまう場合がある。
今回は、後者か?悔しい。最後までなんとか読み通したいのに。
気合いで文章を追いかけるが、なぜか頭に入りにくい。
専門用語が多すぎるのか、訳文の個性によるものが、いやいや
こちらの理解力が乏しいのだろう・・。

諦めて、しっかり読もうとするのではなく、まずは流し読みを
しようと思った。
目で追いかけているうちに、気になる言葉が入ってくるのではないかと。
そして、最後までいく。
残念ではあるが、理解ができていないままだ。共感できるフレーズが
探せない。

悔しい。
でも、焦らず、一度本を閉じて、しばらく他のことに頭を切り替える。
しばらくしてから、もう一度その本を開く。
最初を読む。あ。少しは覚えている。
ということは、頭に入ったかな?

ということで、難書は焦らず、何度も何度も開きながら
ゆっくり読み進めることに。
この読書が楽しいかどうかは別であるが、
抽象的な表現や、自己満足的な描写も少なからずなので
一言でも、二言でも役立つ言葉に出会えれば良い。ぐらいの
気持ちで向かい合いことにする。

学生時代に向き合った哲学書も、本当にそんな本が多かった。
難しいことを、やさしく書いてほしいのだけれど。
哲学者には、サービス精神とか、顧客志向という発想は
ないのだろう。
すべては自分を疑うところから始めるぐらいだから・・。

などいろいろあるが、
たまには、難書も悪くない。
本を通じて、普段考えないことを考えてみる、
新しい発想に巡り合う、心の旅時間をもつことが何より大切だ。

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コロナで変わったことを改めて。

約3年ぶりか。コロナ前に似た、生活が戻りつつある。
ずっと受講してきている大学の講座も、コロナによりオンラインのみで
開講していたが、やっとやっと対面授業が再開となった。
でも、オンラインも可能という、ハイブリッド式に。
今の私にとっては、とても都合が良い。

今回も私自身は、パソコンのモニターから、先生の話を聴く。
去年、一昨年前の授業は、毎回先生の仕事場からのリモート形式で
話自体はもちろんよくわかるが、2D故の不自由さも感じていた。
先生自体も、顔が見えない相手に向かって話をされて、大変だったと
思う。オンライン面談はまだしも、相手が顔出ししないで聴いているであろう
相手に向けて90分もの時間、一方的に話すのは、やりづらいはずだ・・
そんななかで一生懸命伝えようと工夫されている姿にエールをおくりながら、
受講していた日々。

ところが、今回からは違う。
先生は、出会った当初と同じく大学の教室で話されており、先生の前には
何十人かの受講生がおられるので、先生自体の熱、気迫を感じる。
言葉の力が違う。ああ、こういう授業だったと、懐かしく思い出す。
モニターを見てしゃべっているのでは、やはり伝わりづらい。

相手がいると場の空気が変わる。こちらがオンラインであってもそれが伝わる。
ただ、前回までは、先生の顔にマスクはなかったから顔全体が見えた。
今日の対面授業。先生の顔にはマスク。本当は顔全体が見えた方がもっと伝わる。
ここは残念。でもやむないこと。
とにかく、対面授業も復活でき、めでたしめでたし。
先生の冒頭の言葉より。
「コロナの前と今で、何がどう変わったかを検証することは大切ですね。」

世界の有識者たちが、コロナがはじまった頃、コロナは世界にどんな変化を
もたらすか・・・について、さまざま説を投げかけた。
その当時をふりかえり、そして実際にはどうであったか。という検証だ。
その予測はどの程度合っていたのかどうか?である。
そう、情報を受け取る側は、受け取りっぱなしではいけない。
それを比較しながら、実際どうであったかを考えなければいけない。

確かに世界にはさまざまな変化が見られたし、コロナによって
むき出しになった面もあったが、
世界を振り返る前に、まずは自分から。

コロナがもたらした変化についての総括。
ここは大切だ。なんとなく、流され忘れそうになっていたかもしれない。

私にとっては、最初に書いたように、コミュニケーション環境の変化が
大きい。行かなくても、コミュニケーションができるというメリット。
会えない苦痛の日々もあったが、移動しなくても伝え合うことはできるという
発見。これは通信技術の進歩のおかげともいえる。
一方、生で伝えたいことへの願望、欲求がさらに高まった。
感動はやはり、生に限る・・・と当たり前だった、ライブ感のありがたみを
痛切に感じた。
あと、日々の仕事に関して。おかげさまで、コロナによるダメージは最小限に食い止める
ことができたようだ。これはひとえに仕事の環境、相手先様の理解や協力のおかげ。
リモートでもできる業務が多かったことは、本当に救い。
もちろん小さなマイナスの変化はあっても、これは次に向かうために、
コロナが背中を押してくれたぐらいに感じている。

そして、自分の一番の変化は、
コロナ前には元気であった両親がこのコロナ禍で、いなくなったこと。
コロナが直接の原因ではないが、この時期でなければ、元気でいてくれただろうと
確信している。
この変化は、私にとって、一番大きく、重いし、一生、コロナの変化として
忘れない。

でも、私は元気にその経験の上に、変わらず元気に生きている。
生かしてもらっている。

コロナでいろんな変化があったけれど、それを乗り越え、こうして俯瞰しながら
ふりかえりができる、この「今」に感謝したい。

コロナにより、世界(国内含め)の動きにも、より敏感になったかもしれない。
これも自分のなかの変化かもしれない。
また、コロナを利用する政治の存在をより感じるようになり、
しっかり物事をみつめなければと コロナ前より、厳しい目をもつように
なったかもしれない。

間違いなく、コロナは現代を生きる世界共通言語のような存在になってしまったが、
人間社会をみつめる上では、本当に貴重な経験であった、今、まだ
終わってないから、経験まっただなかであるが。

と、久しぶりの対面授業の様子に触れ、ウィズコロナの生活がさらに
前に進み始めたことをうれしく思う。

近いうちに、久しぶりに教室に足を運び、3年ぶりに先生の生の声を
聴きたいと思う。
学べる自由。ありがたい。

コロナ前になかった戦争。この忌まわしい現実が早く終わるように。
その想いを胸に、感謝を忘れず、世界に目を向けたい。

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