初めて足を運ぶ土地で、道の駅や、直売所に足を運ぶ。
これはとても楽しいリサーチであり、ミニイベントだ。
珍しい地元ならではの農作物に出会えたりする。
デパートや大型スーパーに並ぶ、カタチやサイズの整った
キレイな野菜よりも、
近所の農家さんがそのまま持ち込んできたような、
ちょっと土がついたままだったり、
形が不格好だったりする野菜の方が、断然愛着がわく。
また、普段売り場で見たことのない野菜をみつけると、
思わず購入してしまう。
「何?これ?」
世の中には、まだまだ知らないものがたくさんある。
大量に流通する世界では出会えない、小さな発見が直売所には存在する。
さらに、親世代の人たちが、よく食していたであろうものに出会うと、
なぜか懐かしくなってしまう。
貧しい時代に食していたものたち。ちょっと面倒ではあるが、
ちゃんと美味しく食べられるものたち。
たまたま、「いものつる」をみつけた。
芋づる式とはここから来ているのかどうかわからないが、
畑の様子を、想像するのが楽しい。(といいつつ、土いじりは苦手であるが・・・)
食べるには水にさらしたり、皮をむいたりと面倒ではあるが、
なぜか、しみじみとした気持ちになる。日頃の疲れも吹っ飛ぶのが不思議だ。
「あのさ、これ、どうやって食べてた?」
「へえ、きんぴらにするの?」
「ちょっと、めんどうくさいよね」
と、手を動かしながら、ひとりで話している。
そう、母に話しかけているのだ。
きっと彼女はこういった類の野菜に親しんでいたはずだから。
扱い方は聞いても返事はないため、ネットで調べるが、
とにかく対話をするのが、いい。
野菜を切りながら、皮をむきながら、母に声をかける。
きっと、これからもそうするんだろう。
野菜ダイアローグは、自分にとって一種の癒しでもある。
そんなひととき、悪くない。
ちなみに、写真の野菜ははじめて出会ったもの。
コールラビと呼ぶらしい。
母は知っていたかな。そんなことで野菜ダイアローグを楽しむのも
四季の歓び。
大地の恵みを、母の思い出とともに、ありがたくいただく。
野菜ダイアローグ。
分断を乗り越えて。
アメリカで中間選挙が行われる。
この結果が世界にもたらす影響は計り知れない。
世界のなかのアメリカの役割、存在力が変わりつつある中、
未来のリーダーがどうなるか?が見えてくるからだ。
もう20余年が経過してしまった21世紀を振り返る。
悲しいかな、同時多発テロにはじまり、そして現在も続いている
ロシアのウクライナ侵攻、大国の権威主義の強化・・・。
一人一人が自由に、平等に、平和に、安心してくらせる世の中とは
違う方向に進んでいるように思う。
SDGsを合言葉に、持続可能な取り組みを一生懸命やっている
多くの人がいる一方、自分主義で権力を押し続けている人もいて・・。
別の世界の話だろうかと思う今日この頃。
このように、世界が分断されていると思う、感じることが多すぎる。
アメリカでは分断がさらに進み、自分の主義主張、思考と相いれない
人を排除する傾向が高まっている。
もちろん地域差はあるだろうが。
日本でも安心はしていられない。
情報の受け入れ方によって、人は違う方向を向くようになる。
認め合う、赦し合う、思いやる、愛する。
そういった人として基本的なことを忘れずにいなければ、
人間社会は成り立たなくなる。
分断。
違う意見をもっていても、お互いに聞き入れ、話し合う。
そしてお互いのいいところを取り入れる。
コミュニケーションをしっかりとる。
それが民主主義でもあると思う。
分断を乗り越えたい。
まずは、相手のことを知ること、認めること。
そして、共通点を見出すこと。
安易に決めつけてはいけない。
アメリカの動向を見ながら、これから世界はどうなるか、
そのなかで、自分はどうするのか?をしっかり考えていかねば。
すべての動向、事象は他人事ではない。
全部、自分に跳ね返ってくるのだから。
老々の時代に。
老々介護が原因の痛ましい事件、事故・・・。
その報道に接するたびに、心が痛む。
老々でなくても、
両親の最期は、まさに真剣勝負で緊張の毎日であった。
「おまえに、わしがどんだけ痛いかわからんやろ。
もう殺してくれ~」
と、そんな言葉も生存確認の決まり文句のような朝も
多かった。
そんな言葉は母の訴えであったし、一生懸命生きている
証しであった。
こんな激しい暴言のあと、力抜けて
「昌子さんと喧嘩せなあかんで、長生きせなあかんな。」
と言ったこの言葉が、母から私への遺言となった。
もし、この生活があと10年も続いていたら、私も70歳前になり
体力気力もどうなっていただろう。
まさに、老々介護になる・・・。
おかげさまでというと罰当たりかもしれないが、
そこまでいかないうちに、旅立ってしまった。
でも、何十年も介護をしなければならないとしたら、
介護者である家族の負担は計り知れない。
仕事も好きなこともできない。どこにも行けない。
経済面の不安も絶えない。
介護は本当に大変な人生の仕事だ。
他人事ではない、老々介護。
人生を「ありがとう」と笑顔で終えたいが、
そのためには、まずは今できることをやり、
人に迷惑をかけない生き方をしっかり準備しておくこと。
生きることは、本当に難しい。
このたびの悲しい事件のこと、他人事とせず、
どうしたらこういうことがなくなるのか、
をしっかり考えなければ。
加害者、被害者で人生が終わらないように。
「ごめんね」ではなく、
「ありがとう」で終えたい。
食べ物にも人格がある。
久しぶりに新潟駅に降り立った。
20年前に通い始めた頃から比べ、随分と駅も変わった。
新潟駅は大規模工事の真っ最中で、馴染みの土産物店や飲食店も閉店。
ああ、これから新潟も変わっていくのだと、寂しいような頼もしいような・・。
そんな気持ちで駅ビルを歩いていたら、懐かしい駅弁売り場だけは残っていた。
あ、懐かしい。思わず立ち寄り、弁当の什器を覗き込む。
あ、みつけた。あったあった。
抱きしめたい駅弁。そんなフレーズはないかもしれないが、私が日本で一番好きな駅弁は
このゆきだるま弁当だ。雪国新潟らしいお弁当で、容器は貯金箱にもなる。
そう、通い始めたころは、これが珍しくてよく買ったものだ。
本当に微笑ましいお弁当。「がんばってね。」「お疲れさん」と語りかけてくれているような気持ちになる。お弁当の中身もやさしい内容で、本当においしい。
思わず、10年ぶりぐらいに買ってみた。
車内で食べずに、持ち帰り、開封してずっと眺めていたら、
新潟での思い出が走馬灯のように浮かんだ。あの駅弁売り場で出会った人、
そこから仕事につながった出会い・・・。いろんな人にお世話になったなあ。
駅弁は、私にとって30代・40代の思い出のアイテムのひとつ。
台湾の仕事、新潟の仕事・・・。いろんなドラマがあった。
あまたある駅弁。
そのなかの代表格が、思い出いっぱいのゆきだるま弁当だ。
企業にも人格があるというように、食べ物にも人格がある。
パッケージや器、盛り付けなどの見せ方で、いのちが吹き込まれる、
そんな感じがする。
ゆきだるま弁当。雪国のみなさんのやさしさが、じんと伝わってきた。
ありがとう、にいがた。
厳しい雪国くらしが、こんな風にしてあたたかいものになる。
わたしの秋の感謝祭
秋というのは、人恋しい季節でもある。
真夏、真冬では、暑さ寒さの厳しさに負け、
久しぶりにあの人に会いたい、連絡をとってみよう。
とはなりづらいが、しのぎやすい季節、また忙しくなる手前のあたりは
少し、そんな気持ちにもなる。
とくに、お世話になってきた諸先輩の近況を想像すると、
思ったらすぐ会いに行くぐらいにしないと、悔いが残るため、
会える方には、積極的に!と思う今日この頃。
とくに自分が20代、30代でお世話になった方たち。その頃の社長さん、
部長さんとなれば、今は80代の方が多い。
急がねば!時間がある限り、会いに行くと、心に決めている。
ということで、30年ぶりにある方にお会いすることができた。
もともと出版の編集をされ、のち社長、会長になられ、そして今は相談役。
80歳になられた今も、毎日会社に出勤され、経営者や幹部にさまざまな助言を
されているという。
半世紀以上ご無沙汰していたが、私がお世話になっていた時代と、変わらぬ
あたたかい表情で迎えてくださって、一気にわが若き日の恥ずかしい時代が
蘇った。
よく30年経っても覚えていてくださるもんだと、改めてその記憶力に
頭が下がり・・・。
いい再会の時間をいただき、30年前と同じく、駅の改札で別れた。
時代が変わっても、ご無沙汰の時間が流れても、
変わらずお元気にお仕事される姿に感動し、胸がいっぱいになる。
改めて、自分はどれだけの方に支えられて今日まできたのだろう。
岐阜で、京都で、東京で、新潟で・・・・。
とくに自分で飛び込んできた京都では知り合いゼロからの出発であったため、
そこで出会えた人との思い出は抱えきれないほどにある。
お礼を言いたい人がまだまだたくさんいるのに、
思っている人全員に、それが伝えられるだろうか。
早くしないと、会えなくなってしまうかもしれない。
秋は人恋しい季節。
あの人にも、この人にも会いたい、会わねばならないという
想いが募る季節。
そして、感謝をしっかり伝えたい。
おかげさまで元気にやっています。
いろいろ教えていただいて、本当にありがとうございます。
と、
お元気なうちに、ちゃんと言いたい。
わたしの秋の感謝祭。
さあ、会えるうちに、会いたい人に。
一人に会うと、そこからまたいろんな人を想い出す。
人から人へ・・。
今、30年前の観覧車が回り始めようとしている。
本当にお元気で良かった。
またお会いできますように。
人生の諸先輩に心から感謝を込めて。
社員が幸せになるために・・・
今、自分が関わっている企業の社長さんたちは、本当に素晴らしい。
ほとんどの方が、従業員の方や家族の幸せのことを最優先に考えておられる。
最終的には働いている人達が豊かに幸せになるために、まずお客様に喜んで
もらえる仕事をしようと社員たちに、ことあるたびに伝えておられる。
業界業種が違っても、規模はどうであれ
とくに中小企業の場合は、経営と従業員の関係がとても密接かつ重要である。
そして、会社で働く人が誇りをもてるように。
この仕事をしていてよかったと思ってもらえるように。
その点も、大切にされている。
ある社長さんは「企業は一つの生命体」という考え方を大切にされている。
そう企業は法人であるから、人である。
生きているのだ。
そんななかで、一人一人が命を活かすためのそれぞれの機能をしっかり果たす。
つながりを感じて仕事をする。
そんなことができたらいいと思う。
社員が幸せになるために。
経営者がそう考えていてくれることを、社員の皆さんには
ぜひ理解いただき、お互い感謝でいい仕事ができたら最高だ。
ステキな中小企業たちに毎日接することができ、私も幸せだ。
マイ クライマックスに向かう。
11月になった。
今年2022年、も残すところ、2か月。
今年も、なんと超高速な1年を駆け抜けてきたのか。と
自分に問う。
ここらで、四季を味わい、深呼吸してみたい。
英語でerが付く月が来ると、続くと
本当にうれしい。
Septemberから、Octoberを過ぎ、そして
Novemver,そしてわが誕生月Decemberへ・・。
語尾にerが付く月は、牡蠣がだんだん美味しくなる季節と聞いたことが
あったが、私にとっては。だんだん自分のクライマックスに向かう期間という
イメージだ。
1年間貯めてきた力を、誕生月に向かって、想いを結実させていく。
そんな時間でもある。味わい深いカウントダウン。
暗い朝は、白い息を吐いて町に出たパリの朝を思い出す。
シャンゼリゼ通りの眩しいイルミネーションと観覧車。
NYならば、ロックフェラーセンターの巨大ツリー。
ラジオシティのクリスマスショー。人々の幸せそうな街角・・・。
もう、懐かしいとしか言いようがない。
自分の大好きな町の風景が、浮かび、心か高揚する。
寒くなることは、歓迎だ。
背筋を伸ばして、自分の夢に向かって、元気に走る。
11月1日は、そんな出発の日である。
今年1年を素晴らしい年にするために。
いろんな寂しさや哀しみは、夢や希望に一緒に混ぜ込んで
元気に走り出そう。
今年は、クリスマスツリーを早めに出すとしよう。
心に賑わいを。
気分を盛り上げて。
クライマックスへの助走期間を元気に駆け抜けるとしよう。
カレンダーをめくったら、なんと観覧車の絵柄。
パリ万博のときの様子を描いたもののよう。
ますます、気持ちが盛り上がってくる。
今日は久しぶりに飛行機で新潟へ。
ぐるっと長い1日になる。
11月1日。いいことがいっぱいあるように。
夢も思いも観覧車に乗せて・・。
少しはお役に。
最近、自分のなかで常にある言葉。
「少しはお役に」立てていたら、うれしい。
ということ。
ここ1か月ほど、個人レッスンしてきた方の挑戦の結果が出た。
自分の町の未来を、自分で担いたいという夢、使命感が市民の皆さんに伝わり、
無事当選を果たされたという報せ。
ああ、良かった~。涙が出るほどうれしく、肩の荷がおりた。
選挙とは、キャンペーン、そしてコミュニケーション。
とくに市政の場合、小さな町の場合は、草の根運動、地道な応援者づくりが
キーになる。
今回は、話し方、伝え方、見せ方、見られ方について、一緒に取り組んだ。
その方の魅力を活かし、弱いところをどう改善し、カバーするか。
みんなで一生懸命取り組んだ。
仲間の皆さんの協力と、ご本人の努力。
そこに、私もほんの少し、関わらせていただいた。
ああ、伝わったんだ。ああ、良かった。
今、55歳で公務員から、その町のリーダーとして新たに出発される
ことに心から祝意を伝えたい。
近々その町にも足を運びたいと思っている。
今日で10月が終わる。
2022年。残された2か月、改めて
「少しはお役に。」
を胸に進みたい。
ああ、とにかくよかった!
他人事でなく真剣に取り組むと、歓びも自分事になる。
そこが嬉しい。人生が二倍幸せになる。
地球儀を回しながら、生きる。
数年来、「国際報道とジャーナリズム」という講座を受講し続けている。
秋の講座もあっという間に終了となってしまったが、
今回も、言葉に言い尽くせない気持ちでいる。
情熱的にジャーナリストという生き様を見せてくれる講師の
横村出さんへの感謝、感動とともに、
世界に生きるひとりとしての、果てしない責任感を感じるのである。
世界を見続けること。
その動きをしっかり把握すること。
いろんな客観情報を自分のなかに入れ、正しく判断する力をもつこと。
特定のマスメディアに惑わされないこと。
その惑わすメディア自体について、俯瞰してみる力をもつこと。
今、メディアの責任が問われている。
メディアの質が下がったとも言われるし、私もそう思っている。
とくに政治報道については、操作された情報が流出している。
だから、メディアが悪い。という前に、操作する側にこそ、責任がある。
でも、私たちはメディアから出る言葉、情報でしか 政治の正体を見ることは
できない。
だからこそ、しっかり目を見開き、情報を処理し、真実をみつけようとしなければ
ならない。言っていることが正しいのではなく、全てでもなく、言葉の裏や奥を
しっかり想像し、解釈できなければいけない。
鵜のみにしない、ということ。
報道との付き合い方は、難しい。たんに受容しているだけでは
自分のためにならないのだ。
自分の価値観をもち、どんな情報が前に現れても、自分が納得できる
態度、行動がとれることが、大切。
と、今回はそんなことも改めて思った。
生きていると、日々のことに追われ、近視眼的になりがちだ。
そうなりそうなときほど、世界にも目を向けたい。
自分が悩んでいることが、本当にちっぽけに思え、
この平和な朝に感謝の気持ちも芽生えてくる。
地球儀を回しながら生きる。
パソコン前で、ネットの情報を得るだけでなく
できる限り、立体的に世界を想像し、そのなかの自分を
確認するようにしたい。
世界のなかの小さな自分。
一人一人は小さいけれど、意識が変われば、それがまとまれば
大きな力になる。
それが平和や自由のために発揮されること。
お互いがお互いを思いやれる世界に生かされることが
大切だ。
次もこの講義は受講するつもりだ。
今回も、背筋を伸ばして生きるきっかけをいただいた。
コンペにならない仕事を
会社員時代を思い出す。今から30年以上前のことだ。
それはそれは、コンペ漬けの日々であった。
企業が新たな商品を出したり、キャンペーンをやる、
会社案内、学校案内をつくりとき・・
コンペになることは日常であった。
使命発注にはならない仕事も多い。とくに金額の大きい取引、
いろんなアイデアをもとに決定したいときなどは、そうなることが
多かった。
仕事の取り合いが当たり前。
広告代理店ともよく競り合った。
勝ったときも、負けた時も。
いろいろな結果を味わってきたが、
政治の力でコンペに負けた時ほど、悔しいことは
なかった。
また、独立してからは自治体の事業のコンペで審査員を
したことがあった。自分の採点が事業者の方の結果に
影響するという気の重い仕事。
準備するだけでも大変なのに・・・とコンペに負けた
人、企業に申し訳なく思ったこともあった。
今、自分の仕事ではコンペはない。
その分。毎日自分との戦いはあるが。
コンペにならない仕事の方が良い。
会話のなかで、関係性の中で相談されたり、そこから何か
提案が生まれ、仕事が進む・・という自然の流れがいい。
コンペに勝ち抜くための相談もある。
内容とプレゼン。両者の準備が必要だ。
でも、どれだけがんばっても、どれだけ知恵をしぼっても
勝てないときもある。
いろんな力が作用するプレゼン。
内容、関係性、そしてコスト・・・。
もちろんコンペで戦うからこそ、力がつくという面もある。
勝ったときの喜びは今も忘れられない。
と、
会社員時代のあの日々を思い出しながら、
あれがあったから、今があるのか・・と思いつつ。
今、その勝負に立ち向かう人達にエールを送りたい。
コンペは、オリエンの前からはじまっていると。
勝つとか負けるとか、戦うとか、そんな言葉は大嫌いであるが
ビジネスの世界では、それが日常。
本当に強い会社になるには・・。
コンペ対策ではなく、もっと根本的な課題である。