悔しさから、悔いなき人生へ。

サッカーファンというわけではないが、朝一番で
当然気になる結果。
今朝のサッカーの結果は、残念であった。
大きな期待を背負い、選手たちが全力で戦ったが、
次へ勝ち進むことができなかった。
期待とプレッシャーのなかの戦いとは、さぞかし
ものすごい緊張で、そんななかボールをパスしながら
ゴールに向かうことができる、世界中の注目を浴びながら
チームワークを発揮すること自体が私にとっては、
ただただ尊敬である。

勝負とは相手があってのこと。ターゲットがあってのこと。
その相手の研究、対策、実践。
その命題に向かって、選手たちは日々努力を重ねたことだと
思う。でも相手も同様だ。
スポーツには勝ち負けがある。実力だけでなく運もある。
だから、結果は仕方ない。
でも、ここまでやってきた。世界の強豪を打ち負かしてきた。
この経験、事実は間違いなく誇りである。

結果の分析はとても大切だ。そして次に活かしていかねばならない。
結果が出た以上、悔いがない。ということはないかもしれない。
周囲がどんなに「よくやったよ、がんばったよ」と言ってくれても
本人にとってみれば、悔しさは晴れないかもしれない。
でも、この悔しさが、次に活かされるのだと思う。
そして、さらなる努力をして、次の戦いに挑んでいく。
こうして、人は成長、パワーアップしていくのだと思う。

このように、スポーツは人生にもいろんな学びを与えてくれる。
悔しさをバネに。そして、最終的に悔いのない人生に向けて。

監督も選手も素晴らしい経験を、日本中に与えてくれた。
色んな不安の多い昨今、夢を元気を見せてくれた。
自分たちもがんばらなくちゃ!と思える瞬間をいただいた。

毎日が小さな勝負の連続だ。
多くは自分との戦いだ。
悔しさをバネに。そして悔いない人生に向けて。
今日も、元気いっぱいキックオフ!







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年賀状見直し時代に。

デジタルコミュニケーションへのシフト、普及。そして世代交代、
さらには環境への配慮という視点から、年賀状を出す人、企業が
近年減少し続けている。
実際、お世話になっている企業の何社かでも、年賀状を今後
出さないというケースもあり、世の中の季節のあいさつの変化を
実感する今日この頃。
確かに、企業が発送する年賀状は、その規模に比例して、膨大な
用紙の消費につながる。いろんな意味でよく理解できる。
一方、毎年受け取る歓びもあり、それがなくなっていく
のは、ちょっと寂しい気もする。
しかし、企業としてはそういう姿勢を示し続けることが
大切だ。習慣の見直しは、とてもいいことだ。

企業としてはやめる。でも、個人で出す人もあるかもしれない。
もしくは紙でのあいさつはなくなっても、違う手法で挨拶する。
というケースも出てくるだろう。
それを楽しみにしたい。
同時に、自分はどうするか?は、まだ考え中、迷い中だ。

それにしても、いただいた年賀状は基本何年かは捨てないで
保存してきた。そして、何かあると何度も見直したり
してきた。
そういう1枚は実は貴重である。
相手が自分に投げかけたくれた言葉や文字が消えない。
あの時代。こんなおつきあいがあったな~。と懐かしく
思い出すことも多い。
もう会えない人の年賀状も、遺言のように大切に残している。

年賀状を受け取るのが楽しみだった正月。
まさしく昭和のお正月であるが、それはそれでとても懐かしく、
私自身は。とても気に入っている。

令和の時代の新年の迎え方。
楽しみにしながら、感謝を忘れず、その日に向かいたい。

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言葉のギフトは永遠に。

昨日12月3日は朝から日付が変わる時間まで、各地から、メッセージを
いただいた。
SNSをやらないため、自分の誕生日を知っている人は確実に交流がある方
のみであるが、毎日のようにやりとりをしている人から、何年もお会いして
いない人まで。新潟、東京、千葉、埼玉、愛知、京都・・・。
たまたまどうしているかなと気になってブログを見て、メールしましたという
ミラクルな方まで・・。
そして夜遅く、観覧車の動画を作ったとメールで送ってくれた方も。
「誕生日祝いが間に合わなかったので・・・」と。
体調が悪くても、忙しくても気に留めてくださり、考えてくださって・・。
感激と感動で胸がいっぱいになる。

言葉のプレゼント。いろんな方がそれぞれのメッセージを寄せてくださった。
どれも、味わい深く、私と出会ってよかったと言ってくださる方もあり、
自分の存在を認めていただける歓びを感じた。

言葉のギフトは永遠だ。
心に刻まれ、自分次第で消えることはない。

いろんな方に見守られ、支えられ・・・。
ありがたい人生だと、改めて思う。

言葉のギフト。
大事にいただき、そして丁寧に届けたい。

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ありがとうのバースデー。

2年前までは、誕生日になると母にあさイチのメールか、電話で
「今日は、12月3日。誕生日ありがとう」と連絡をすると、
「もう何歳になったんかな~。もうおばんやな~」と答えて
くれた母。その突っ込みが聞こえない2回目の誕生日。
親がいなければ、誕生日もなかった。
だから、誕生日は自分がお祝いされる以上に、感謝をする日だと
ずっと思ってきた。
だから、その相手がいないバースデーは、何ともいえない感じだ。
でも、これにも慣れていくのだろう。
悲しみは涙から、カラダに沁み込んで、そして気体となって
大気に混じっていく。
それと同時に親という存在感も、空気中にちりばめられる。
だから、特定の場所にはいなくても、どこにでもいる、自分とともに
いる存在になっていくのだと、この1年あまりの間に自分なりに
そう思うことにした。
だから、あえて、寂しくはないと言おう。
何かカタチが変わっただけ、消えたわけではないと思えるように。

ということで、今日はおかげさまの誕生日。
そして、尊敬するフランシスコ・ザビエルが帰天された日。
このご縁を勝手に胸に刻ませていただき、
私の航海をこれからも、続けたいと思っている。
50代最後になる。
どう考えても、人生の後半である。
いつ終わっても悔いないように。
そして、周囲の皆様に、少しでもお役に立てるよう、
そして、愛と元気をお届けできるように、
しっかり生きていきたい。

改めて、誕生日は親への、そして今日まで支えてきていただいている
出会いをいただいた全ての方への、感謝の記念日だ。

誕生日、ありがとうございます!

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善人メガネでみる。

何かあると人のせいにしたり、文句を言う。
それはある意味、よくわかる。
そうしたくなる。よくわかる。

でも、それをしても、何も幸せにならない、気持ちが良くならない
ことに気づく。

人のせいにしても、何もはじまらない。
文句を言っても、相手には響かないかもしれない。
だとすると、そう思ったり、言った分だけしんどくて
重苦しい気持ちになる。

だから、できる限り、
自分がいたらない、まだまだと思っておけばよい。
そう思った方が気持ちいい。
もし、そうでなくても、そう思っている方がうまくいく。

と、最近楽に生きるには、
そんな方法も良いかと思うようになってきた。

自分次第で、世界は見え方が変わる。
善人メガネ。
これをかけると、心穏やかに世界が見える。
至りませんで。とにこにこ、そして最善の策を考えながら
前に進む。
悪人メガネ。「いいひとメガネ」と読む。
これをかけると、心不安で、不快になる。
これは要らない。

人のせいにしない。全部自分次第。
そのように生きることに責任をもつことが、
全ての基本と思いたい。
ただいま、修行中。

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ぬくもり勉強会~楽しく本気で、一緒に~

11月最終日。ある企業の従業員さんの永年勤続表彰の行事に参加する。
そこで勉強会の時間をいただく。
サービス業で日頃はそれぞれ違う職場で働いており、店相互のやりとりは少ない。
年に一度、全従業員が一堂に会し、表彰を受けたり、一緒に話をきいたり、
そして食事をしたり・・・。コロナでこういった社内行事も開催できない
3年であったが、今回久しぶりの開催となった。

私が受け持った勉強会についての社長からのリクエストは「社員が誇りをもって
働いてくれるようになってほしいです」。そのために、何を伝えるべきか。
生きる上で仕事とは?自分の会社、どんなところがいい?
そして、夢を語り合おう!と、普段考えないことを、普段話さない人
とペアで話し合ってもらい、発表してもらう。

そして、ああ、いい会社で働けているなと一緒に感じあってほしい。
そして、夢に向かって力合わせて明日からがんばってもらえたら・・・。
写真はそのときに出された意見をホワイトボードに書き出したメモ。

従業員さんも経営者も一緒になって、仕事について、会社について、夢に
ついて語り合ったら、なんだかみなさんの表情に笑顔が生まれ、会場が
一体となった。

最後は、社長から、これからの会社の目標を具体的に話していただき、
そして目標に向かって、今日からのために作った「みんなでやろう!5か条」
の発表。それを一緒に唱和。

その後は、懇親会。楽しい時間が共有された。年に一度のふれあい。
社長夫妻が、従業員をもてなしていた風景もあたたかく、感動的であった。

楽しく、本気で。そしてみんな一緒に。
誇りをもって仕事をする。そして豊かな人生を育む。
そのために気持がひとつになる、ひとときとなった。

今日からまた心新たに、誇りを、自信を、そして感謝をもって走り出して
いただきたい。もちろん、ずーっと応援している。


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セルフヒーリングと前進。

人は緊張の連続の日々・・だけでは生きていけない。
ときにリラックスすることも大切だ。
1年に何日かまとめて、1か月に2~3日、1週間に一日、
などそれぞれその時間の取り方は異なるが、1日のなかで数分
ということも可能だ。
緊張のなかの緩和、不自由ななかの自由。
緊張と緩和をうまく調和させながら、ほどよく生きる。
連続した緊張の時間から解放され、心からゆったりする時間をもてるのは
理想だ。

実は、私はこのあたりがずれているかもしれない。
もともと、あまりゆったりしない生活を送っている。
それでも平気であるが、
ここ1年余りの間に、自分なりの癒し時間がみつかって、
幸せを感じている。

それは、ピアノに向かう時間。
ショパンでもベートーベンでも何でもいいが、楽譜をぱっと開い
そこに書かれている曲を弾き始める。
あるいは即興で鍵盤の上を散歩する。
何時の間にか、その世界に入っていく。
ときに19世紀のヨーロッパに行ったような気になる。
最近は民族音楽には心惹かれるものがある。
たとえば、ポーランド人の心の音楽として知られる「マズルカ」
物悲しいかが、本当に美しいメロディーと和声が特徴だ。
難しい曲ではなく、簡単に弾ける曲はいいヒーリングになる。
世界の小旅行をしながら、そして自分が抱える現実の課題が
客観視でき、小さく見えてくる。
自分で自分が癒される。とても満足な気持ちになれる。

緊張から心身を解きほぐす。
毎日は難しいかもしれないが、意識的にそんな時間をとりたい。
そう、道を歩きながら歌うのは、もっとも容易かもしれない。

人に癒してもらわなくても、
自分で実行できるのは、とてもいい。

セルフヒーリングしながら、日々に挑戦する。

今日で11月もラスト。悔いのない1日をしっかり生きるとしよう。

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プロセスを元気に生きる。

生きているといろんなことがある。
自分の思い通りにならないことも、そりゃあ ある。
その方が多いかもしれない。
苦しいときは、今はすべて過程だと思うようにする。
出口のないトンネルがないように、いつか光が見える
ゴールに行きつくための途中だと思うようにする。

そして、その途中を進んでいる人は、自分だけではない。
生きている人全員が、途中を生きている。
しんどいのは、決して自分だけではない。

だから、同じ空の下で頑張っている人のことを想うようにする。
あの人も、この人も、それぞれがんばっている。
ああ、だから自分もがんばれる。
人生は喜怒哀楽。いろんなことがある。
みんなそれも同じ。

人はひとりで生まれ、ひとりで終わっていくけれど、
それもみな同じ。
みんな孤独を背負って、自分のゴールに向かって
がんばっている。

そう思ったら、なんだか力が湧いてくる。
おかげさまで、思うと浮かんでくる顔がいっぱいある。
あの人も、この人も、みんながんばっている。

そう、みんな今日もやるぞ!と新しい1日をはじめることだろう。

毎日プロセスを生きている。
間違いなく、前に進んでいる。
今日もその手ごたえをしっかり感じながら
ゴールに向かうとしよう。

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自分ができること、もっと。

クリスマスツリーの美しいイルミネーションにカメラ
(ほとんどがスマホであるが)を向ける人でにぎわう週末の
マチナカ、エキマエ。広場には人々が集い、クリスマスソングが
流れ、日本独特のクリスマス商戦!がまっさかり。
これから12月に向け、ますます盛り上がるのだろう。
楽しそう、浮かれ気分、コロナはもう関係なし・・。そんな空気
も感じられ、それを横目にちょっと足早に、人混みを避けて歩く。

一方、報道からは、水も電気も不足するウクライナ情勢が伝えられ
これから酷寒に向かうその土地での年末年始が心配になる。
寒さで命をなくす人も多くいるのではないか。

同じ地球なのに、同じ世界と思えない。
でも、西側の戦争はさまざまなカタチで私たちの周囲に影響を
与えているから、やはり同じ世界の話。
他人事ではない。
なんとかできないだろうか?

自分がウクライナの人々が直面する問題に大きく貢献することは
できないけれど、一滴の行動はできなくはない。
だから、少額であっても寄付を続けている。
前にも書いたとおり、この戦争が終わるまで続けようと思っている。
ほんのささやかな話だ。

また国内に目を向けることももちろん。
国内でさまざまなことで、困っている人。
自力ではどうしようもできない人のためにも、できることを。
何か提供できること、もの、時間、行動があれば、こちらもやる。

今、自分にはおかげさまで仕事もあって、やることもたくさんあって
そしてインフラにも困らず日常を過ごしている。
そのことに感謝して、今、自分ができることをもっとしなければと
思う。
以前、クリスマスの日に、慰問に行っていいことをしたと話して
くれた金持ちの人に会ったことがあり、
「なぜ、その日だけするんですか?いつでもすればいいのでは?」
と疑問に思ったことがあった。
キモチがあれば、いつでもする。
今はそのときだと思う。

厳しい冬をあたたかくするものは何か。
真剣に考えたい。

ちょっと静かに過ごしたい師走、クリスマス、新年・・・。
同じ世界に目を向けたい。

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キモチ・コミュニケーション。

生きていく上で。「気持ち」は一番大切だ。
どこか気持ち悪いと、気分が乗らないと、不安定で行動にも身が入らない。
また、同じ言葉でも、気持ちがこもっているかどうかで、伝わり方もまったく違う。
「気持ち」とは、人が生きる上での一番大切な原動力。
気持ちだけあっても行動できないこともあるが、
それでも、気持ちがあるかどうか、はとても大切である。

「ほんの気持ち」といって、さまざまな気遣いをいただくことがあるが
その気持ちで、1日が幸せになる。
また、気持ちが乗った演奏は、感動も届けることができる。

気持ちよく生きたい。気持ち悪くならないように、心がけたい。
そのためには、気持ちを日頃からキレイにしておきたい。
「気持ち」とは心のこと。

心身のバランスをしっかりとって、裏表なく、
真の意味で元気にいきたい。

今日も気持ちよく1日をはじめ、終わることができるように・・・。

人はキモチで動く。
人のキモチは、それぞれ。
キモチ・コミュニケーション。これからも、大切にしたい。

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