年賀状は2種。

年賀状。昨年を除き、気が付けば かれこれ数年以上、
毎年2種類用意している。
これまで香り付きの年賀状にも挑戦したが、香り付きは
別途企画中ということで、今年の年賀状は以下のとおり
久しぶりにカラー版にした。
上はまさに年賀状として、今年の25周年の感謝を伝える
内容。
下は1年間手元においていただくカレンダータイプで、
岐阜での定例コンサートの予定も入れてある実用版。

デジタル時代の年賀状の行方は気になるが、自分が必要
であれば続ければよい。
自分のコミュニケーションスタイルは自分が決めればよい。
伝えたい人に伝わればいい。
伝え方いろいろ。そのこと自体を楽しみたい。

今日から仕事はじめの方も多いと思う。
改めて、

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます!

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夢の年賀状?

久しぶりによく眠った。通常、睡眠時間は少なめであるが、
今日は久しぶりに10時間ほどの「寝だめ」をした。
年に一度ぐらいは許される?時間の贅沢かもしれない。
しかし、ずっと目覚めなかったわけではなく、二回ほど
起きた。
「まだ起きなくて大丈夫かな?」と普段の体内時計が自分を起こす
のだ。
「今日は、まだ大丈夫」安心して改めて眠る。

そして朝の目覚め前に、不思議な夢を見る。
元旦の夜も、2日の夜も夢を見なかったので、新年初めて見る夢を初夢と
いうならば、それがそうだ。
その夢は、久しくお会いしていない方や、先日定年を迎えられた
方や・・。これまで夢に登場することがなかった人たちと久しぶりに
再会する夢。どこか不思議な町のカフェで待ち合わせをしている。
夢ならではのカフェの描写がやたら詳細であるところが面白い。
そして会うはずの人に会う直前で目が覚める。夢は面白い。

仕事でお世話になってきた人達が夢に出てくるとは、珍しい。
それで目覚めて、その人たちのことを改めて思い出す朝となる。
ハガキではなく、メールでもなく、夢に出てくるというところが
かなり印象的だ。

お元気ならいい。
今年はぜひ再会してみるかな。
それにしても、自分の中の無意識のなかには、いろんなデータが
入っているのだと驚く。

夢の年賀状。
私ももしかしたら、だれかの夢に登場しているだろうか?
もし、そうであれば、笑顔で出演していたい。

さあ、睡眠もしっかりとれたし、そろそろ普段モードに。

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ピアソラ弾き初め、いい空気。

地球の反対側。日本から最も遠い国、アルゼンチン。写真は、ブエノスアイレス郊外の墓地。
もう10年近く前になろうか、やっと訪ねることができた、アストロ ピアソラが眠る
場所。街中の花屋でブーケを買っていった。ピアソラの眠る場所にたむけることができ、
ほんとうにうれしかった。今はあのマラドーナも同じ墓地に眠っているようだ。

当たり前であるが、まったく土地勘がないため、当時、市内のホテルからここに行くためだけに現地ガイドさんを依頼。なんとHITOMIさんという日本女性が担当してくださったことも今となれば、ほんとうにありがたく、素晴らしい出会いをいただいた。でも、その後は、約束しながら会えていない。
久しぶりに写真を引っ張り出したら、急に懐かしくてたまらなくなり、すぐにでも飛んでいきたい気持ちになる。

なぜ、新年早々に、これらの写真を引っ張り出したか・・・。
それは、ピアソラを弾き初めしたから。急にピアソラの墓地に出向いたころに戻りたく
なったのだ。
ピアソラといえば、30歳前後のとき、渋谷の文化村でコンサートに行き、生のバンドネオンを聴き、魅了された。昨年亡くなったミルヴァとの共演が素晴らしかった。
でも、ほんとうのすばらしさ、奥深さがわかるようになったのは、もっと大人になってからだ。

40代半ばから、アルゼンチンタンゴの音楽が好きになり、ピアソラの数々のタンゴに新世界を感じた。なんと物悲しく美しすぎるメロディーと、絶妙なハーモニー。コード進行がたまらなく、物語的なのだ。
日頃は、時間がとれず、リベルタンゴなど決まった曲しか弾けないが、今日は新年。
ピアノ弾き初めとして、ピアノの脇に積んであった楽譜を順番に音慣らし・・・。
そのなかに、ブエノスアイレスの楽器店で入手したピアソラ曲集があり、何も考えず
ただ、譜面を見ながらそれにあわせて指を動かした。不思議だ。初めての曲なのに知っているような気になる。ああ、なんて美しいんだ。なんて悲しすぎるのか・・・。
ピアソラの頭の中には、女神でも住んでいるのだろうか?と思えるほど・・・。

ああ、こんな素晴らしい音楽家を知ることができ、生まれてきてよかったと
思った。
なぜかピアソラを奏でると、ブエノスアイレスの青い空が浮かんでくる。
いい空気が満ちてくる。

そんなこんなで、弾き初めで、とても幸せな気持ちに。
今年は、ピアソラ研究も進めていくとしよう。
そして、いい空気(ブエノスアイレス)な毎日を創造していくことを
目指すとしよう。

そして、久しぶりにHITOMIさんに連絡してみよう。
「そちらの新年は、いい空気ですか?」

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ぬくもり手書きのご挨拶。

毎年元旦の楽しみのひとつは、郵便受けの中に届く
年賀状を見ること。そしてそこから私の年賀状書きが
はじまる。
年末にはどうしてもできないため、年始に。
早々にお送りいただく方には申し訳ないと思いつつ
長年自分のスタイルになっている。

昨年は喪中であり、年賀状を遠慮いただく方も多かったため、
とくに私的な年賀状は少なく、一度途切れると、もう二度と
来ないのでは?、さらにデジタル化の影響や高齢化で年賀状
を省略するケースも増えているので・・・と思っていたが、
ありがたいことに今年も多くの賀状が寄せられた。

ああ、忘れずにいてくださる。ああ、今も心寄せていただいて。
ああ、ブログをずっと見てくださっているなあ。
ああ、再会したいなあ。ほのぼのとあたたかい気持ちになり
1枚1枚返事を書いていく。印刷物であってもそこに一言
手書きのメッセージがあると、とてもうれしい。自分にだけ
向けられた瞬間をありがたく思うのだ。
またこの時代になっても、すべて手書きで書かれている1枚を
見ると、姿勢を伸ばして気持ちを込めて書いてくださったのだ
と、本来の年賀状の目的や意味を思い、「こちらこそ、よろしく
お願いいたします!」とペコリ頭を下げたくなる。
会えないけれど、新年のご挨拶をする。その1枚なのだ。

誰かが新聞紙上で、年賀状は年に一度、相手との関係性を確認する
大切なコミュニケーションツールであると書いておられたが、
確かにその一面はある。
昨今は、SDGsの面から企業の年賀状は廃止の方向にあるが、
それとは別に、個々の関係において、この1枚のはがきは、つながり
を感じることができて、とてもいいのだ。

喪中の期間があっても、途切れない関係。ありがたい限り。
切れるときは切れていくが、つながり続けたい方との関係を大切に。

今年も、ひとりひとりとの関係を大切に生きたい!
幸せな1年のスタートとなった。


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希望の空を抱き続ける1年に。

新たな1年のはじまり。

今朝のパリはどんな空だろうか?
もちろん今はまだ夜明け前。闇の中で静かに1年の始まりを待つ時刻だ。
今朝、最後にパリに出かけ、撮影した1枚を選んだ。
コロナで世界が一時停止する直前に訪問したときのワンショット。
そうだ、ちょうど3年前の誕生日であった。
観覧車と冬空。パリらしい1枚。

ルーブル宮で初めてみつけた移動式観覧車にくぎ付けになり、これで独立の道を
決め、グラン・ルーを立ち上げたあの時から四半世紀。ここまでやってきた。
今年は、記念の1年である。これまで以上に大切に生きたいと思う。

さあ、今年はどんな年にしようか。
今日1日は、自由に楽しく、この1年についての自分の歩みについて思いを巡らせて
みたいと思う。

365日分の1がまた始まる。
カレンダーも取り替えた。気持ちが新しくなる。
さあ、また心新たに生きていく。
とっておきの一年にしたい。
希望の空を抱き続ける1年にするために、したいこと、できること。
今日はいっぱい考えたい。

平和で静かな元旦に感謝して。

皆さま 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

                           




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それでも私は生きている。今年の締めに。

2022年最終日を迎えた。
町のあちらこちらに、門松やしめ縄などが飾り始められると、
一気にお正月ムードが高まる。
食品売り場はおせちを求める人で大賑わいだ。
今日は最終日ということで、さらに大混雑になるだろう。
なぜ、みんなが駆け込んで混み合うことをするのか?は、毎年の
素朴な疑問であるが、それも年末ならではの風景。
一種の祝祭の姿なのかも?

昨年の自分は、親の旅立ちが続き、なんという気持ちで大晦日を
迎えていたのだろうか。
今は、それすら思い出すことができない。
どこか、体の一部の力が抜けたような、何かが足りない、そんな
不安定な状態であったかもしれない。

あれから、1年を駆け抜けた。
途中、突然悲しみが迫ってくる日や、会えない寂しさを感じる
時もあったけれど、いつのまにか、それらも自分のなかに
うまく溶け込んで、気が付けば1年、元気いっぱいに生きてきた。
悲しみも寂しさも抱きしめて一緒に生きるのが人生だと、
そんなこともわかってきたように思う。

見えない親との会話も自然とできるようになった。
ある意味、どこにいてもいる。そんな気持ちにも慣れてきたのかも
しれない。

親がいなくても、生きる。生きなくてはダメ。生きられる。
ほんとうの意味での自立。
おためしの1年だったかもしれない。

生きられるのかなと思っていたのに、ちゃんと1年生きられた。
2022年とは、自分にとってそんな1年であった。

親がいなくても、何があっても、
それでも、生きている。
それが人生だ。自分が息絶える瞬間まで生きるのだ。

いろんな出会い、思い出がまた増えた1年。
今日は最終日。
悔いのないように365日目を終えるとしよう。

今年一年、大変ありがとうございました。
どうぞ、良いお年をお迎えください。

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昭和への思い、今新たに。

昭和生まれのせいなのか、それはわからないが、昭和の暮らしや文化、
ファッションが懐かしく、愛おしい。東京オリンピックは映像での記憶
しかないが、大阪万博のことはしっかり覚えているし、報道から知る
日本中の熱狂はすごかった。

最近行った、高齢者施設でのコンサートでは、昭和の曲を取り入れ演奏
することにしている。
誰しもが知っているから、音楽により一体感が生まれ、会場は瞬く間に
盛り上がる。
「昭和の時代は、良かったですね」というと、人生の先輩たちは目を
輝かせて大きく頷かれる。
もちろん戦争があり、ご苦労尽きない幼少、青春期を過ごした方
もおられるが、戦後の復興、そして日本の高度成長・・・。
がんばった時代、夢を描いた時代、そして生活が便利に、豊かになった時代。
現代日本が大きく変化、成長したのは昭和の時代であった。
与えられた幸せ、豊かさではなく、みんなでがんばった!という
生きごたえを感じられる時代でもあったのだろう。

そのとき生まれた数々の曲たち。
それらを口ずさむと、その頃がよみがえり、元気が湧いてくるのだ。
不思議なことに、昭和生まれのメロディにはドラマ、ロマン、そして
美しさがあり、聞けば歌えば魂が高揚するのだ。

現役で頑張った時代、夢を追いかけた時代。
昭和にがんばった人たちに接する機会が多いせいか、
改めて自分の昭和時代も思い出す。
そこには、やはり現役でパワフルな親も一緒に浮かび上がる。

昭和の時代。良かった、よかった。
ふと、全盛期のレコード大賞やあの頃の紅白歌合戦もよみがえる。
そうだ、年末も今とは違うハレ感があった。
なつかしいあの時代。
ふと、ユーミンの「あの日に帰りたい」がうかんでくる。

今日は少しでも、昭和の年末を感じられる場所を探しに行こうか。

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送る言葉。

毎年年末になると、今年亡くなった著名人のことを
振り返り、偲ぶというニュースに接する。
エリザベス女王が亡くなったことは世界最大の話題であった
かもしれない。
すごい存在がまたひとり・・である。

個人的にはイッセイミヤケさん、森英恵さんなどファッション業界
で活躍された方への思いは強い。
そして、京都を拠点に世界にといえば、京セラの稲森和夫さん。
本当に素晴らしい経営者、実践哲学者であった。お会いする機会は
なかったが、その功績はあまりに有名だ。そのフィロソフィーを学び
経営に生かす中小企業の経営者も少なくない。
さらに、同じく京都といえば服飾研究家の市田ひとみさん。
20代のころから、憧れの女性のひとりであった。
取材で一度お会いし、その後、先生のコレクションの展覧会に
お邪魔したときも本当にお美しくされており、仕事をする女性の
かっこよさを教えていただいた。と、そんな思い出がよみがえる。

身近なところでは、
私の会社員時代の恩師であり、上司。独立後もずっと応援団長を
してくださって、気が付けば35年以上、見守り続けていただいた。
コロナで会えない日が続き、ついに今年亡くなられたことを後で
知った。
そして、新潟柏崎の酒屋のおかみさん。
昨年、母が亡くなり、父も亡くなったとき、対面でお手紙で励まして
くださった。その激励の喫茶タイムが最期となるとは・・・・。
などなど・・・。
年を重ねるにつれ、お世話になった方とのお別れも増えてしまう。
悲しいけれど、年月とはそういうものだろう。

今年旅立たれた愛する先輩へ。
ほんとうに、ほんとうにお世話になりました。
出会いをいただき、学びをいただき、愛をいただきました。
この宝物を大切に、私の残された人生を無駄にしないように、
がんばって生きていきたいと思います。
出会えて本当に幸せでした、

幾名の方から、喪中はがきをいただいた。
昨年の自分の気持ちを思うと・・・である。

いろんな新年を迎える。
今年も、あと3日。
大切に、生きていこうと思う。

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納めない仕事、納まらない仕事。

多くのビジネスマンは今日で仕事納めだろう。
仕事での今年一年を無事に終え、そしてそれぞれの年末年始に
向かう。
休みになる人がどっと増え、町に、神社仏閣に、店に人が集う。
コロナで我慢していた何かがはじけたように、楽しもうとする
人がいる。
天災人災がなく、無事にこれらの休暇が終わればよい。

この間も、休まずに仕事を続ける人がいる。
サービス業、観光業、そして医療の現場、いわゆるエッセンシャルワーカーの皆さん、
運輸業界の皆さん。。。そして、経営者。
当たり前のように正月休み、イオンに買い物に行くけれど、その間、商品が
切れてしまったら店は成り立たない。外食もそうだ。原材料が届かなければ
お客様に来てもらえない。
休み休みと、報道されればされるほど、自分は違うけど・・・と思う人も
多くいることだろう。
そして、世の経営者や社員が休んでいても、休めない。
いつも休み明け、来月、来年のことを気にかけ、心配し、正月を越す。
社長がいるおかげで、会社は成り立っている。
経営者の苦労を知れば知るほど、そう思う年末年始。
この仕事に休みはない。

世間には、仕事納めがない仕事がある。
そのことを忘れてはいけない。
人が休んでいるときに働いてくれる人がいて、人は楽しい休暇を過ごせる。
だから、駅ででも、お店ででも、「ありがとう」の一言をかけるようにする。
社長さんにも「ありがとうございました!」ときちんとお礼を言う。

そんな人が増えるといい。
そんな風に切に思う、年末。


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未来を語る望年会。

今年の年末。コロナ禍で、大勢での会食、忘年会の機会は
減った。
クリスマスもおうち需要が多く、それを過ぎれば、もう
年末モードとなり、会食は減る。次はおせち追い込み合戦。
そんなわけで、飲食業界にとっての12月は、悲喜こもごもと
いう感じを受けている。
そんな、ほど静かなクリスマス明け、二人での会食の機会を
いただく。
長年お世話になってきた方とのありがたい機会だ。
乾杯をしながら、ずっと話をする。
出会いから約四半世紀。その間の共通の話題に花が咲く。
社会も、会社も、家族も、20年も経過すれば、それなりに
変化がある。そのなかをともに生きた。がんばってきた。
そんな時間をしみじみと振り返る。
そして、話題は過去だけでなく、未来へ。

「来年は干支。新しいことがはじまる。いい人生になりそうで
楽しみだな~」
これからの夢について語り合う。
70代になっても、夢が語れるなんて、とても素敵だ。

無事に過ごせた1年を振り返り、感謝。そして次へ向かう。
それが望年会だ。
しっかり3時間語り合って、いっぱい笑って、何度も握手して
別れる。
来年も、よろしく!これからもよろしく!
肩書が変わっても、何が変わっても、変わらない関係。
そんなことも確認できた、約束の時でもあった。

いつまでできるかわからない。でもいつまでもこんな機会が
もてるように・・・。

ずっと前向きに人生を楽しみ、創造していくプロセスや
そこに向かう心持が、健康長寿の秘訣かもしれない。

大切な人と改めて話す。
これはぜひ、年の瀬にやっておきたい。
まだ、間に合う。


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