泣けるオンラインコミュニケーション

コロナでしばらく開催できなかった、障がいをもつ皆さんとの
コミュニケーションの時間「マーサの会」をオンラインで再開。
生コミュニケーションを大切にしたいと対面で会うことに
こだわっていたが、なかなかコロナも終息しないため、
オンラインでやってみようということに。
サポートの皆さんも加わって約20名が、部屋を4つに分けて、
参加。そして私がそこに加わる。部屋を分けて会場をセッティングし、
それぞれが順番に発表できるようにするという準備自体も大変だ。
でも、それがコロナ時代の会議準備だ。お茶を全員に配るとかそういう
ことは、オンラインでは必要ない。
今回、皆さんオンラインでの集まりは2回目だそう。ちょっと緊張もする。

さて、本勉強会。3か月以上間が空いてしまったが、元気に再会。
画面越しに会っていると、リアルで会っているよりも近いような
感覚になる瞬間もある。画面に手を触れれば、そこにいるような・・・。
今回は、そんな感覚があった。
まずは、マスクをしての笑いの練習(目とまゆげをよく動かす)と、
手を使って大きなゼスチャーしよう!とやってみせる。
画面いっぱいで自己表現をすることを伝え、練習してから笑いの中
プログラムを開始。
まずは、それぞれが、夏の思い出を書いた宿題手紙を画面共有しながら、
発表してもらった。それぞれが一生懸命に書き、話して、聴いて・・・。
その一生懸命な姿勢に感動。コロナの中で、思うように動けない夏を、
それぞれがいかに過ごしたかを皆さん、自分が書いた私宛ての手紙を
画面共有しながら、一生懸命語ってくれた。
オリパラを一生懸命応援し、感動した。自宅でパソコンの課題をがんばった、
お墓まいりにいった、久しぶりに友達に会ってくだらない話をして・・
それぞれが「今年の夏」を思いを持ちながらも、楽しく前向きに
過ごした様子を見て、またひとりひとりが自分の思いを、
一生懸命文字や絵にし、言葉にされているそのさま、
そして、サポートスタッフの皆さんが、ひとりひとりちゃんと
発表できるように横で応援されている様子を見て、
なんども泣きそうになった。
後半は、私の夏とふるさとの話を、写真を見ながら時には
クイズを出しながら、心の旅を楽しんでいただき、
次の課題を出して、あっという間に閉会。
最後は集合写真も!そうだ。オンラインでも集合写真ができるんだ。

画面越しに分かれる時に何度も何度も手を振って
「マーサさん、元気でね、がんばってね」
と皆さんが声をかけてくれた。
リアルで会っていたら、こんなに手を振らないだろう・・。

オンライン会議を退出すると、そこは一人の仕事部屋。
ああ、東京にいたんじゃなかったんだ。
これが現実・・・。

何とも言えない気持ちにもなるが、
でもちゃんと盛り上がったのは事実。
東京の皆さんも同じ気持ちだろう。

次回は、秋本番の頃、東京で開催したい。
障がい者をもつ人々と、そうでない人。その境界線はない。
前にも書いたが、いつどこで、
私も障害をもつことになるかわからないから。
大切なことは、一緒に、同じ空のもとで生きているということ。

彼ら、彼女たちから学ぶことは大きい、多い。
純粋。きれいな心。まっすぐに生きる。

皆さんが会社で、社会で、のびのびともっともっと輝けるように、
コミュニケーションの面から、これからも応援を続ける。
そして、一緒に新しい世界を創れたら・・・と思う。

さあ、皆さんの宿題が楽しみだ。
この勉強会、私にとって最高の夏の思い出になった。

最後に撮った集合写真。
コロナに気を付けて、次回も全員集合!!!

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空気清浄機な人、生ごみ箱の人。

昔、とにかく黙って人の話が聴ける方がいた。とある、女社長さんだ。
どんな相手の話でも、「あ、そう、そう」と静かに聞かれる。人の話を絶対に
否定しない。途中で遮らない。静かに「あ、そう、そう」。と頷いて受け入れておられた。周囲の人々は、その人を指して
「あの人は、ほんとうに空気清浄機のようで、人の話を聞いて、すっきりさせてくれるね」と評されており、なるほど。空気清浄機か。と納得し、またそんな風に自分もなれたら・・と思っていたが、当時はそんな風にはなれなかった。

そして、最近、私はいろんな企業さんとお会いし、お話しをお聞きする機会が
多い。おそらく30年前、20年前、10年前・・・。時間を重ねるごとに、人の話を聞くということが増えていると思う。
さまざまな仕事をする、いろんな人のいろんな言葉…。眼に耳に入ってくる。
それを受け入れ、戻す仕事。
その課題や悩みに対して、的確な答えを出すことは重要な仕事。
そして、その前にはしっかりよく聴かねばならない。
とにかくいろんな人生、仕事の断片が入ってくる。生の言葉。そして吐き出したい言葉は、言葉の生ごみ。
時にはそんなものも受け入れる必要がある。
もちろん単なるゴミ箱ではダメで、そのゴミをどうにかしないといけない。
リサイクル、リユースできるようにキレイにして戻していくことも時には必要。
なかなか、この言葉のゴミ箱は、回収が大変であるが、ゴミ箱がないと、
人の心が汚れる。
受け入れる力。これには大変なパワーもいる。タフでなければ、多くを受け入れられない。
もっと大きなゴミ箱にするか、素早く処理できるようにするか。
コミュニケーションに悩む人には、ときにはそんな役割も必要だ。

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主役のいない、バースデー。

今日9月1日は防災の日。1923年のこの日に、関東大震災があったことを受けての記念日だそう。
コロナ禍での全国規模での防災訓練も2年目になる。この大震災発生時よりも、
災害が増大した。日々備えておかねばと思う今日この頃。

その9月1日は、母の誕生日だ。
こどもの頃のことは思い出せないが、年を重ねるにつれ、誕生日には何かしら
してきた記憶がある。
遠くに住んでいるときは、電話、ハガキ、メール・・・・。プレゼントを贈ったり、一緒に外食したり・・・。とにかく忘れたことはなかったと思う。
昨年の誕生日は、施設に入っていたため、施設でお誕生会をしてもらった・・その写真が残っている。

まさか、それが最後の誕生日になるとは。
去年の今日、考えたこともなかった。
そして、考えたこともなかった記念日が増えてしまった・・・この1年。

今年は主役のいないバースデー。
母の存在に感謝する日にしたい。
そう、母がこの世に生まれたことで、自分がいる。
だから、誕生日は永遠に。
元気だったら、82歳の誕生日。
おめでとう。と言えないのは・・・であるが、
「ありがとう」は永遠だ。

あなたの存在に感謝のバースデー。ハッピーバースデー TO YOU♪

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求められる仕事をする人。

「こんな仕事がしたい、こんな仕事は嫌だ。」
求職をするときには、自分ができること、したいことから、探すだろう。
もしかしたら、条件面から探す人もいるかもしれない。
就職をするにせよ、起業するにせよ、どうせやるなら、人さまに喜んでいただける仕事がいい。
人さまに喜んでいただける仕事をする。言葉でいうのはたやすいが、とても難しいことだ。
心からあなたに頼んでよかった!と感謝される仕事ができるなんて、結果とてもうれしいが、その道のりは平易ではない。

最近、遺品整理をしたり、実家の片付けをする際に、自分たちだけではできないため、専門の業者さんにお願いをしている。
生前整理、遺品整理のプロである。
実は母の生前からも、少しづつお世話になってきたが、今回も炎天下のなか、
外での片付け作業を依頼した。
こんな暑い日、しかも力仕事、しかもキレイな仕事ではない・・・・。
でも、台風までには何とかしなきゃと思い、苦渋のお願いとなった。
専門家は、嫌な顔をしない。
すると決めたら、笑顔で受けてくれる。
そう、プロは笑顔が決め手。

そして、作業日当日も三十数度の熱い中、朝から屋外で作業をしてくださった。
「いえ、外の方がいいんですよ。中だと、窓も開けられないですので、この方がいいんです」
汗をかきながら、笑顔で作業を続けてくれる。

ゴミの仕分け、撤収と、産廃の処理など・・・。
とても自分たちにはできないことを、スムーズにやってくださる。

人が嫌がる仕事。人ができない仕事。
「片付けること、好きなんです」
最近は大変忙しい業界のようだ。
何でも、納骨の代行や、片付けだけで終わらないサービスもときには舞い込むそうだ。
いろんな人生の終わり方に、モノの整理・処分は必ず必要だ。
これから、ますます忙しくなる業界だと思う。
求められる仕事。これはまさに、そのひとつだ。

この仕事の依頼を通じ、新たな仕事を知り、モノをつくる、使うだけでなく
その後処理をしてくださる方がいてくださる。
このことを忘れないで、消費をしなければいけない。ということを学ぶ。

やりっぱなしの人生。では終わらない。
求められる仕事とは、本当は人が嫌がる仕事。
それを笑顔でできる人たちに、出会えると、
自分は一体?と考えさせられる。


せめて、自分は自分ができるところで、求められる仕事をきちんと
していこうと思う。

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時代、社会、障がいのある人。

今、パラリンピックが開催されている。これから後半戦に向かう。
アフガニスタンの選手も、なんとか出場できるそうだ。それは良かった。
とにかくコロナ感染に気を付けて、無事に、各選手がそれぞれの力をフルに発揮され、無事に終了できることを祈るのみだ。
パラリンピックで、さらに感染者が増えないことを切に願う。

障がい者のスポーツ、そして障がい者のアート。
最近は、さまざまなジャンルで障がい者の皆さんの社会参加の機会が増え、
共生社会という言葉も、特別には感じなくなってきた。

ふと、自分の幼き日のことを思い出す。
障がい者・・・。日常のなかに、特別な存在として、差別的に隔離、あるいは冷たい視線を浴びていた時代を思い出す。
子どもの頃、当時のいわゆる精神病院に何度か見舞いについていったことがある。そして、そこでの運動会にも参加したことがあり、障がいをもった患者さん(当時は障がい者=患者)たちのあんぱん食い競争など・・を見たか自分も一緒に参加したか・・。今もその特別な場面を思い出す。
また、岐阜駅の地下道で、手足のない傷痍軍人らしき人が、地べたにはいつくばって、物乞いをされていた光景も忘れない。ときには、アコーディオンなど楽器を弾いていた人もいた。
戦後の日本の傷跡。障がい者を日常の中に入れることなく、高度経済成長の道を進む日本と障がい者の世界はパラレルな存在であったように感じ、いつも「なんで?なんで?」と思っていた。

そして、今もアフガン、イラクでの戦争、テロ、さまざまな内紛も含め、戦争が世界中で続いている。そこで必ず、障がい者が生まれている。

社会が進化して、障害ある人が、自分の能力を活かし、自らの道を開ける時代になった。幸せな時代になった。
この共生の意識と応援をしながら、
いかに戦争など人間の仕業で生まれる不幸を止め、罪のない人たちが、ある日突然障がい者になる日がなくなるようにできるのか。

私は、華やかなスポーツの祭典開催と同時に、今も世界で死傷者、障がい者を生み出す不幸なことが起きていることに注視したい。

一部の人にスポットが当たるよりも、戦争がなくなり、傷、後遺症を負う人がない世界。それこそを目指したい。
日本で起きている、このパラレルな世界は、世界で見ても、やはりパラレル。
今も地雷で、爆発で、手足を亡くしてしまう人たちがいる。そのことを
食い止めなければ。

運動会は、障害があってもなくても、みんな一緒に楽しめばいい。
と、いつも極論をもってしまう私には、子供の頃からの、障がい者への意識が消えない。という背景があるから・・・。

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ほんまに、いい人ばっかり。

「先生、店のスタッフ一人がコロナにかかってしまって、今日、週末で保健所休みで・・電話通じなくてどうしたらいいかわからなくて・・店は休んだ方がいいですよね。」
ある経営者の方から、突然電話が入る。
平日であれば、まだしも、この状況しかも週末で・・ということで、焦って、誰に聞いたらいいかわからず、連絡がこちらに入ったのだろう。
私も正直、焦った。自分自身にその経験がないからだ。
「土日の対応窓口ないかな。ちょっと待ってくださいね。ひとまず、お店は休んだ方が安心ですね。売り上げもったいないけど。ちょっと調べてみるので、自分たちでできることやってくださいね」
そこから、自分なりにネットで調べ、関連しそうな情報をすぐに送る。
こういう時は手分けも必要だ。
と同時に、同じ業界の経営者の顔が何人か浮かんだ。
その人に、すぐメールやメッセージを送り、情報を求める。
すると、ありがたいことに、皆さん、電話なり、メッセージなり、メールなり
すぐ反応をくれる。ある人は、その件に関して自社の場合の対応策や保健所への休日対応の具体的なアドバイスにいたるまで・・何度も何度も情報を送ってくれた。その都度、本人に情報を伝え、電話で焦らないようにとも伝える。
そんなことに振り回されているうちに、保健所と連絡がついたとの報告。
まずは、良かった。
お世話になった皆さんにもお礼を伝える。

一番大切なことは、
信頼をなくさないように きちんと対応すること。
また、感染されてしまった方へのケア。
誰にも起きうること、また誰のせいでもない。
みんなで守り、助け合う心が大切だ。

困ったときはお互いさま。
わからないことは、経験者に聴いてみる。
みなさん、本当に親切でありがたい。
本当に、いい人ばかり!
いざというときに助けてもらえて感無量。
情報や知恵だけでなく、元気ももらえる。

こんなことが、日々、日本中で、世界中で起きているのだ。
とにかく、1日も早く、この異常時、非常時を脱したい。
助け合って、乗り越えよう!



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撮る、残す、見る、思い出す、遺す。

デジタル。平成の時代は、この技術により、大きな社会的変化を遂げた。
昭和までのアナログ、平成からのデジタル。
ここで、社会、世界は大きく変わった。
社会構造も、モノづくりも、そしてコミュニケーションも・・・・。
そのなかで、もっとも象徴的なのは、「写真」の役割だと思う。

今、合間を見ながら、実家の片付けを続けているが、
一番、そのボリュームに驚いているのが、「写真」。
母は、隣町の写真屋さんに半世紀以上、せっせとプリントをオーダーし、
何かコトあるたびに写真をとっては、同じ写真を何枚も焼いてもらって、そして近所の人に配る。たとえば、旅行にいっても、その写真を配るところまでやって、ようやく旅行が終わる。ということをくりかえしていた。

そして自宅でも多数、保管。アルバムに入っているものも、袋のままになっているもの、いかに整理できていないかは一目でわかるが、そのときそのとき、気が向けばアルバムに日付やタイトルがついていて、でも未整理で意味不明。
いかに気ままに、写真で、日々のちょっとしたイベントの余韻を楽しんでいたかがわかる。
母自身が若き日までの写真もある。当時はモノクロでサイズも小さい。
昭和40年代ぐらいからカラープリントが登場しはじめる。そして素人でも簡単にとれる時代になり、写真が身近なものになり・・・。
そこからの写真の数もどっさり・・。晩年になっても、旅行を続けている間、写真屋さん通いは続いていた・・・。

ということで、今、親の人生は山盛りの写真とともにある。
正直、最初は丁寧に1枚づつ見て、「これは、あの人に、この人に」と
分けて機会あれば、その人にさしあげようと思っていたが、あまりの量の多さにだんだん面倒くさくなってきて、とくに集合写真や似たような写真は廃棄・・。

写真を見始めると、親の人生を垣間見ることができる点では楽しいが、時間もかかり、整理がはかどらない。
などなど、写真の処分には時間がかかりそうであるが、そのなかに、父や母の人生の輝きをみつけることもあり、ないがしろにはできない。と、矛盾の壁。

話を続ける。
あまたある写真と、人生。
今は写真を整理するプロも増えているそうである。
写真との付き合い方は、それだけ多くの人々の共通の課題であり、人生の整理ともかかわる、大切なテーマであるといえる。

50年後。人が大切な人の遺品整理をするときに、こんなに多くの山のような写真を目の当たりにする人はどれだけいるだろうか。
おそらく、プリントになっている写真は、選ばれた限られたものだけということになるだろう。
しかし、プリントにしないと、人は長くその写真を見ない。
長く写真を楽しむには、プリントというアウトプットが最適だ。

今は誰もが、いつでもなんでも撮って、瞬間楽しんで、公開して、シェアして・・。そして削除。大切な写真だけ保管・・でも、あまり振り返ってみることは少ないかも・・・。
今は、写真を撮る行為こそが、国民の社会参加、積極的なコミュニケーション活動のひとつとなっている。その場限りかもしれないが、撮ることと、すぐ共有することを楽しんでいる。

それよりも、できれば人生をふりかえるときに、写真を見ながら、しみじみ生きた道を味わい、
「ああ、こんな風に生きてきたね~」と自分も、残された人も思いをひとつにできる。写真がそんな役割を果たせるといいな、と思う。

隣町の写真屋さんは、
「あんたのお母さんのおかげで、うちはこれまで店をやってこれた。」と言い、葬儀にも駆けつけてくださった。
昭和の時代の、写真屋さんとの付き合い方。
しみじみする。

だから、捨てられない。でも、捨てなくちゃ・・。の日々は続く。
母が人に配りきれなかった、袋に入ったプリントだけは、
届けたかった人たちに、ちゃんと渡しておきたいと思っている。

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使って、書いて。マーサ流 応援のカタチ

応援する京都の印刷会社の企画女子で作っているオンライン情報誌
TKG press(on line)に新原稿を久しぶりにアップしました。
今回は、今、絶賛応援中!新潟の企業さんの愛の商品について書いています。https://www.taihei.co.jp/tkgpress/

この原稿を読まれた、文中に出てくるロシア人の社長は、たいそう喜ばれ
原稿を新潟への、カリンカへの(=ご自身への)ラブレターだと・・・。
そして、日本語ももっと上手にならなくちゃ!と超前向きに!
言われたことがとても印象的。

国籍を越えて、まさにボーダレスに、真心こめて応援したい。


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まさに「パラレル」

平和の祭典。そしてパラリンピック。
それ自体はいい。もちろん。
でも、今か?なんで今?
障がいをもつ人のことを、思うならば、余計になぜ今?
国際会議も今やオンラインで行う時代に、なぜわざわざ挨拶のために来日?
子どもたちの観戦こそ、感染ではと思えてならないけれど?
オリンピックに続き、負のレガシーが心配だけど?
でも、強行されている「平和の祭典」。
まったく意味不明。(私にとっては)

コロナで医療がひっ迫している。
もう医療機関もパンクしそうだと悲鳴を上げているのに、
今、いるか?そのイベント。

さらに世界に目を向ければ、
アフガニスタンがえらいことになっている。
カブール空港での騒動を見ると、日本人や関係者は無事
空港にたどり着いて、飛行機に乗れるのだろうか?と心配になる。

難民があふれ出している。
その受け入れで、各国はてんやわんや、
コロナ対策に加えて、そんな事態にある世界。

一方、コロナ急拡大しても、世界の運動会は続行。
パラレルすぎる。

これらにかける費用があったら、全部コロナ対策に、難民に、使った方が
世界を救うことになる。

パラレルすぎる。同じ地球上で起きていることなのに、まったく別次元。
交わり合って、助け合ったり、支え合ったりすればよいと思うが、
あれはあれ、これはこれ。
どんなメダルをとることよりも、
アフガンの女性、人権を守ることの方が価値がある。
と、想えてならない。
平和とは、平和ボケにはわからないことかもしれない・・・。
交わらないパラレルワールド。
今、この平和の祭りが、遠い国で開催されていたなら、
もっと違う感覚で受けとめているかもしれないが。

とにかくすべてのことが、無事に、安心安全に、平和に結ばれることを
今日も願う。

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911に向け、ジャーナリストから再び学ぶ。

「真のジャーナリスト」という職業が好きだ。
真実を伝える仕事。自らが現地に赴き、綿密な取材を重ね、世界に知らせるべきことをきちんと伝える。ときに、命を懸けて・・ということもある。
もちろん、自己責任が伴う、大変重い仕事だ。
真実を、言葉や文字で伝える人もいれば、写真で伝える人もいる。

一方、マスコミは権力の監視をするのが、もともとの役割。
世の中の流れをしっかり見据え、正しき方向に向かっているかを冷静に見極めるのがお仕事。
でも、残念ながら、現代のとくに日本社会には、尊敬できるマスコミ人というのは少ない。
むしろ、組織から独立し、まさにジャーナリズムの精神をもって世界に出ている人を、心から尊敬する。

東京を離れる直前に知り、それ以来、ずっと国際報道について学んでいる講座があり、今もその講師の講義を受講している。
講師は、尊敬するジャーナリストのひとり。横村出さん。偶然にも新潟出身の方だ。もともと新聞記者であるため、文章表現はもちろんパーフェクトでよどみがいが、語り口も静かではあるが、信念を語る表情がとても魅力的。
この方を見て、真のジャーナリストとは何かを考えさせられるようになった。

ロシアでの記者キャリアが長く、この周辺での取材経験も豊富なこの横村氏から、「地政学的なモノの見方」も学んだ。世界とはこのように動いているのだ。これまで意識しなかった切り口を知った。世界をより俯瞰してみる必要があると思うようにもなった。

さて、今回受講中の講義は、あの同時多発テロから20年ということでの激動の世の中を見るという講義。なんというタイミング。まさに、アフガニスタンが今、激動の中にある。横村氏は、20年前のこのテロ後にアフガニスタンに取材に出向かれており、そのときの様子を生々しく、伝え、これまで知らされていなかた真実にも言及された。同行されたプロカメラマンの現地の写真も見せていただき、無残な現場の様子を垣間見た。平和な日本とは真逆な世界・・・。
その20年前と、今。何が変わり、変わらないのか。

講義を通じ、世界をちゃんと見ることの必要性について今回も学んでいる。

横村さんいわく、戦場での取材経験から学ぶ「取材のポイント」は3つ。
まずは現場を見る(データをとる、エビデンスを集める)、そして相対化する(客観視する)そして、主観で考える~自分ならどうするか~。

取材には客観と主観の両方が大切である。ということ。
そしてそのために、現場を見るということ。
今、行かねばならぬ。見なければ、伝えねばならぬ。
この使命感こそが、ジャーナリズムスピリットであろう。

もちろん、戦場に限らず、もしかしたら他の取材先であっても、同じことかもしれない。
現場を見る知る、相対化する、自分ならどうする?
全ての仕事に生かせるはずだ。

今、20年前のNYのことを思い出し、20年間の世界の動きをふりかえり、
社会は前進しているのか、本当にいい方向にいっているのか・・・
と自分なりに見つめ直す。
世界を多く見てきたジャーナリストから、学ぶことはやはり多く、いつも衝撃亭かつ、新鮮だ。
コロナの影響で、講師の熱い話を直接聴けないことは残念であるが、オンラインであることでのメリットも大きい。

真のジャーナリスト。受信者ではなく、発信者として生きるということ。

形は違えど、自分の根底にその想いはあるから、余計に共感、尊敬する。
9月11日に向けて、これを機会に、世界を見つめ直してみたい。

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