愛の折り合い。

理想と現実のギャップの間で生きる。
それが、生きるということ、それが人生だと思う。
現実しか見ていないと、成長もない。
夢を見ることは、重要だ。

一方、現実を見据えて生きることもとても大切だ。
現実逃避の人生はありえないし、すべて現実から始まる。

だいたい、理想と現実は異なる。
でも、平行線ではない。
自分次第で近づくことができる。

しかし、人生には時間という現実がある。
限られた条件のなかで、最適な結果を出すためには

折り合いをつけること。

このことは大変重要だ。

相手にとって一番いいこと。そして自分にもいいこと。
お互いにとって、納得できる選択。

そう、愛の折り合い。と名付けてみよう。

日々、出てくる課題も、そんな気持ちで取り組みたい。
プライベートだけでなく、ビジネスでも生かせる。

今日もいい折り合いをつけて、現実から理想に向かっていきたい。

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決断と責任と時間と・・・。

人間、生まれてくるときに、自分の意志はあるだろうか?
今、生まれたいです!ここで生まれたいです!
そんなことはなく、生まれてくる。

そして生きる。

そして、もう人生がまもなく終わろうとしているとき、
これまた自分の意志があるだろうか?
とくに食べる気力も失せ、体力も低下してきたとき、
自分がどうしたいかを考えたり、伝えることもできなくなる。

元気があるときは、

こんなことは嫌だ、こんなとこにいたくない!
と抵抗もできるが、そんな元気もなくなる・・・
自分で自分の判断が難しくなる。

その代わりに家族が判断をしなければならない。
最期をどのように迎えたらいいだろう。
いろんな選択肢がある。
でも、それも一長一短。
ある選択が失敗に終わることもあるかもしれない。
人生の最期の選択はとても重大だ。

久しぶりに、コロナで会えなかった父と直接会えた。
深刻だから、再会を許されたという皮肉さもある。
父の手を久しぶりに握る。あたたかい。
小さくなった父は、つぶらな目で私のことをずっと
見ている。
言葉はほとんど出ないが、何を言いたいのかを
心の声を聞こうと思った。

長居はできず、数分で退室。
施設の皆さんのおすすめ、また、ケアマネさんの
おすすめ・・・。いろんな選択肢のなかで、
父の最期をどうしてあげたら、一番いいのか。

自分で決められないから、家族が決める。
自然ではあるが、なんという重大責任か。

どれをとっても、どっちに進んでも、元気いっぱいに復活!
とはならないだろう。
最期に向かう選択だ。

自分が決断しなければならない。
命を預かったような気持ちにもなる。
責任重大だ。

じっとみつめられ、手をにぎる。
このことが、一番大切なことのように感じた数分。
まだまだコミュニケーションができる。
このことを、忘れてはいけない。

時間がない。しっかり責任を果たしていこうと思う。

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あれから20年、そして・・・。

今、自分の手もとにあるこれらの写真。20年前の今日、あの同時多発テロで倒壊したNYワールドトレードセンターの在りし日のものだ。モノクロは私自身が20代のときに撮影したもの。あとはWTCの近所にある、教会の絵ハガキ。
ウォール街にそびえるこの高層ビルは、まさにアメリカの繁栄のシンボルであった。それが、20年前の今日、衝撃の終わりを迎えることになった。
あの様子は、世界中の誰もが瞬間、目を疑い、そして生涯忘れられない歴史的な出来事となった。

写真とともに映っているのは、20年前の今日、NYに飛ぶことができず、そのままアラスカのフェアバンクスへ飛んだ、その記念としてのエスキモーと犬のミニチュア人形。あの日以来、20年間、私と9月11日を結びつけるリアルな証拠として、存在している。

最近、これらを手もとにおいて、改めて眺め、この20年をふりかえっている。
「テロ」の名のもとに、戦争が繰り返されている。
世界的な分断が始まった日だったともいえるだろう。

20年前と今。アフガニスタンのことが頭をよぎる。
結局、自分のことばかり。自国のことばかり。
権力者の欲望と、一般市民への影響。
どれだけ罪のない、多くの人々が命を落としてきただろう。
自由を奪われてきただろう。胸が痛む。

その事件にニアミスした自分はこの時、被害を受けなかった。
アラスカで足止めをくらいながらも、貴重な出会いと経験をして、
無事に帰国できた。多くの学びもあった。

おかげさまで、今も元気に生きている。
生きている者の責任を感じ、犠牲になった方々のためにできることを
しなければと思う。
小さなことでもいい。
まずは、この日を忘れないでいる。この日の意味を問い続ける。

20年経とうが、30年経とうが、日本でいえば、原爆と同じ。
忘れてはならない。
でも、それだからといって、報復をしては、何の解決にもならない。

改めて、20年前の今日の自分のこと、周囲のことを思い出し、
思いを巡らしたいと思う。

犠牲になった人々への祈りを込めて・・・。

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手のひらの世界を越えて。

つい最近のフランスのニュースで、子供たちにはスマホを長時間与えることは、健康上良くないということを、データを示しながら、説いていた。
大人も寝る2時間前には、電源を切るのがいいという。

スマホの世界進出、普及はこの15年間とくに目覚ましい。
多くの国々で、コミュニケーション、生活の道具として不可欠なものになっている。「手のひらのなかで、なんでもできる!」と発売当初、新しい遊び道具を発見した少年のように、目を輝かせていたビジネスマンの言葉を思い出す。

スマホの機能が増えるにつれ、自分の分身のようになる。
どこにいくにも一緒という人もいるかもしれない。
全ての機能をこの1台に集約させている人もいるだろう。

命より大切なスマホ・・・そんな状態になっている、今日。
とくに、日本人にはとくにこういった内向きのツールは性に合っているようで、
いつでも、どこでもそれを眺めている。電車内でのその光景を見た外国人が
異様に感じると言っていたことも、確かにそうだ。
Y〇〇ニュースなどにも 書き込みが非常に多いのも、皆さんずっと
スマホとともにいるからであろう。
情報源として、社会参加のツールとして、健康管理のツールとして
お財布として・・・・。

こんなに大切なスマホ。もし失くしたら大変なことになる。
最近は、財布だけでなくスマホも確認。いつも目の届くところに
ないと心配・・・という人も多いだろう。
私も同じだ。これがないと、いつでもどこでも仕事というわけに
いかなくなる。

・・・と、こんな生活をいつまで続けるのだろうか?
スマホが要らなくなる生活を目指すことが、最近必要だと思う。
できれば、もたない日を決めるなど。
現実的には難しいが、心がけることが大切だ。

小さい世界に目を向け続けると、どうも思考がこじんまりなりそうな
気がする。
そろそろ、小さな手のひらから抜け出そう。

そろそろ、そんなことをしなくてはと思う。
つまらない情報のゴミに惑わされたりしないで、もっと違う次元から情報を
得るようにしたい。

いのちより大切なスマホにならないように。

スマホから目を離すと、大きな世界が待っている。
せめて、移動中は車窓を楽しむことから、はじめよう。


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ドキドキハラハラは成長薬

コロナ禍が生んだ、新しいコミュニケーション様式。
オンラインでのビジネス、学習は、もはや常識として、世界中で受け入れられている。実際、今、東京に行かずしても商談やミーティングはできるし、学びたい講座も受講できる。
移動しなくてもできる。これは本当に便利。

そして、今回は、全国各地からオンライン上に集まっての、プレゼン大会。
しかもそれを聴いてもらう企業は東京からゲスト参加。
総勢50名近くが、同じ時間を共有する。
しかもほとんどが、面識がない者同士、しかも一人の話を全員が聴くのではなく、チームでプレゼンをする、それを聴き合い、それについてもコメントを言う。という双方向、まさにオンライン上でのコミュニケーションが飛び交う
研修の場。
そのナビゲーター兼コーディネイターという役割を担当。

本番に向けての準備はしてきたつもり・・・でも、
うまくいくだろうか・・。回線が一番心配。
リアルの講演や研修会でも、パソコン環境のことが一番気になる。
今回オンラインで実施するということで、まさにネット、パソコンが命である。
目の前にいるはずの相手は、実は近くにはいない。個人個人に話しかけることも
できない。
リアルとはかなり違う条件のなか、かなりの気合いを入れ、緊張感でもってのぞむ。

おかげさまで、予定していたプレゼンは、全て予定通り進行。
質問応答も進み、ゲストからの講評もしっかりいただいた。
素晴らしい企画提案、そしてプレゼンテーションをお互いに披露してもらうことができ、模擬クライアントにもしっかり届けることができた。

時間通りにうまくいくように、なんどもなんども時計を見ながらの進行。
時間経過とともに、うまく進んでいることを確認しながら、
無事全プログラムが終わった時は、思わずガッツポーズ。

気がつけば、珍しくジャケットを着たままの奮闘であったため、
かなり汗をかいていた。本番中は無我夢中で気づかなかった。
オンラインの方が、リアルよりもパワーを要する。だから汗もかく。

このハラハラドキドキ。この緊張が、心地よい達成感に包まれる。

画面越しで会った皆さんにも、いい時間であっただろうか。
ひとつの画面に全員が入りきらず、全員の目の表情を見ることは
できなかったが、おそらくそれぞれが、「良かった」と胸をなでおろして
おられることだろう・・。
お互いに成長できるいいきっかけになっていたら、嬉しい。

今日は今日であらたな、はらはらドキドキ。
でも、今日はリアルコミュニケーションであるので、ずいぶんと
荷は軽い。

オンラインは見えない分、触れない分、人を動かす別のパワーが要る。
まだまだ道半ば。でも、まずはひと山、無事越えた。


ドキドキハラハラする瞬間は、時にいい。
自分を成長させてくれる。
次はもっとうまくいける。

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50年前の自分に会う

9月7日は幼き日にとてもかわいがっていただいた、叔母ちゃんの命日であった。
その日のことは、ずっと覚えていたが、大人になって、ふるさとを離れて
お墓まいりに行かなくなっていた。
亡くなって時間が経つと、だんだんに人はあまりお参りをしなくなる。
そんなもんだと思うが、
そんななか、母はせっせと自転車でこの墓に通い続けていた。
誰も行かなくても、わしだけは行く!という使命感をもっていた。
このお墓は坂道の上にあるため、自転車で行くのは年々大変になっていた
だろうが、元気なうちは、そんなことを続けていた。
そんな母もいなくなり、命日だからといって、お墓に行く人はおそらく
ほとんどいない。
よく考えてみれば、私が小学校一年のときに亡くなっているのだ・・。

そうか。50年だ。そう、五十回忌ということになるのか。
そう思ったら、どうしても今日はお墓には行っておかねばと思った。
母の代わりに行かねばと思ったのだ。
そして、50年前、なくなる前日まで大変よくしていただいた叔母に
報告しておかなくちゃと思ったのだ。

何十年ぶりのお墓。
うっすらとある記憶だけで、また妹にその場所を聞いて、ひとりで向かう。
このあたりだったような・・・。すぐみつかった。
子どもの頃にお参りしたお墓は随分と古くなっていた。
でも、そこに確かにあった。
花を供えて、おばさんに挨拶をしながら、手を合わせる。

五十年前、30代で逝ったおばちゃん。
本当に好きだった。怖い母と対照的でやさしかった。
ここの娘だったらよかったと、幼心に思ったこともあった。
おばちゃん、おかあさんも、そっちへ行ったよ。
そんな言葉を投げかけ、
50年前の自分の子供の頃をありありと思い出す。

何十年経っても、いくつになっても、こちらが覚えているうちは
相手も自分の中に生きている。
しばらく忘れていたくせに、この記念日のおかげで、
改めて思い出した。

故人に会うということは、その時の自分にも会うということにもなる。
そう、その当時の自分との対話でもある。

そういえば、おばちゃんが亡くなる前の日。町で市が立つ日曜だった。
昭和45年。
そこに連れていってくれて、買ってくれたのが、ディズニーの腕時計に、
ひみつのあっこちゃんの鏡。おばちゃんは憧れのものを、親が買って
くれないものを私に買ってくれる、まさにひみつのあっこちゃんの
鏡のような存在だった・・・そんなことも思い出す。
そして、その帰りに寄った叔母宅で、いつもの、
しょうゆ味だけの玉子焼きを焼いてくれたのがごちそう。
それが、最後の晩餐になろうとは・・・。
と、そんなことをくっきりと思い出した。

50年前の私は、50年後の私を想像していただろうか?
それはない。でも間違いなく、ずっとずっと何かにつながって生きているのだ。
優しかったおばちゃんのことを思い出し、
若くして亡くなる人生についても、考えさせられる。
おばちゃん、おかあさんをよろしくね。と言いながら、母が自転車をひいて
下った坂をひとり、降りた。

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デジタル時代のプチアナ・コミュニケーション。

企業での勉強会などでよくアンケートをとったりする。
感想を書いてもらうこともある。
後者の場合、なんだか書きたくなるように そんなムード作り
も考えてみる。また長く書かなくてもいいと、プレッシャーを
与えないためにも・・とあれこれ、工夫する。
ということで、最近は感想文をオリジナルの一筆箋を使って
皆さんに書いてもらうようにしている。
パソコンで作成するアンケートもいいけれど、
まるで手紙を書くように、心を込めて、素直な気持ちで
自由に書いてもらえるので、とてもあたたかくて、とてもいい。
その感想を受け取ったときは、自分宛てにお手紙をもらったような
とてもやさしい気持ちにもなる。

また違う場面でも 一筆箋をよく使う。
ちょっとしたメッセージを添えたいとき、
請求書を送るときも、一言お礼を添えたいとき
一筆箋を使う。

また、手紙をいただくときにも、一筆箋で書かれる方が
多い。昔のように、便せんに何枚も・・というケースは
減っている。
日々、メールなどでやりとりをしていると、あらたまった
手紙ではなく、ちょっと気持ちを添える程度で充分なのか
もしれない。

手書きで気持ちを伝えるには、ちょうどいいサイズ。
私が子供のことは、なかったアイテムだ。
誰が最初に商品にしたのだろう。
改めて素晴らしいと思っている。

なんでもうまく使って、心の交流を楽しもう。
ちょっとした工夫で、満たされた気持ちになる。
もちろん1枚のはがきも同様だ。
デジタルのなかの、プチアナログ。とてもいい。

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同じ空を見ていて

父の施設、母のお墓、実家を巡る地元ツアーは最近の習慣。
その帰り道に撮った1枚。
もう夕暮れだ。これから、どんどん日が短くなっていくだろう。
日中はまだ暑さも厳しいが、それでも空は秋。うろこ雲が空いっぱいに
広がり、夕日が差し込んで、ちょっと幻想的でもある。
私は秋に向かうこの季節の空が好きだ。

この写真の奥に父が住む施設がある。
父の部屋からも窓を開けたら、同じ空が広がるはずだ。
見ているといいな。

コロナでまた何か月も顔を見れなくなってしまっている。
せっかくワクチンを打ったのに、緊急事態宣言下では、面会も禁止のままだ。
父が、せめて同じこの空を見てくれていたら・・・。と思い、足を止めた。

施設を訪ねるたびに、ひまわりの花と手紙を持参した、この夏。
手紙も、POP UP式のものや、食べ物の絵が描いてあるものなど、
見て楽しく、また食欲が少しでも湧くようなものを考えた。

プリンや やわらかいお菓子、好きな魚のカンヅメを
差し入れしていた何か月前かが懐かしく、
もう今は、そんな差し入れも必要なくなってしまった。

だから、今は、せめて・・・花と手紙。
「お父さんへ」とまだ書いて、出せる相手がいるだけ、幸せだ。

そんなことを思いながら、今、父と同じ空の下にいることをかみしめながら
うろこ雲に見守られながら、帰り道を急ぐ。

「お父さん、またね、またね。」
生きていているから、言える言葉。
同じ空のもとで、1日1日・・・生きてほしい。と願いを込めて。

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どこ向いて誰に、何を言う?

ネット社会。SNSの時代。は当たり前。
今や情報発信は誰も可能も当たり前。
誰もが発信者になることができる・・という
ある意味公平、ある意味、恐ろしい時代だ。
自立した人間が目的をもって、意図と覚悟、責任をもって発信するなら、
賛成できるが、匿名の無責任な言いっぱなしの・・の発信の多さには、
危機感もを感じている。
このふわふわっとした、ライトな社会参加、でも、言うことはキツイ。
それに対して、そうだそうだ。と盛り上がるという現象。
もちろんネットから流行が生まれ、世論が形成されることもありえるし、社会に声を届けることもできるが、その情報に目を向けてほしい人が見てくれなければ、単なる毒のはき合い、愚痴の言い合い、傷のなめ合い・・になってしまうこともある。
匿名で、お互い「そうだそうだ!」と言っているだけでは、社会は変わらない。
書くことで満足し、ま、いいか。ということになっているのかもしれないが、
本当にそれでいいのかと膨大な書き込みを見て、感じる日々。

〇〇責任という言葉があるとすれば、自分の考え、意見を世に公開する以上は、本来は実名で、責任をもって発信することがいいと思う。まさにコミュニケーションの自己責任。

と、自分にも言い聞かせる。
コミュニケーションは目標をもって、具体的に。
そして責任をもって。
レスポンシビリティは、ひとり一人の行動から。

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学生さん、いらっしゃ~い。

今、支援企業にインターン生が来られている。
もともと、自分がその学校を紹介したいきさつもあり、その受け入れ前から
研修プログラムづくりから、レクチャーも含め、期間中の学生さん対応もお手伝いさせていただいている。
もともと、自分は教師志望という一面もあり、また日ごろから、研修をはじめ学びの場づくりは本業の一環でもあり、何かを伝える、一緒に成長できるチャンス!がまた増えると思うと、その出会いもわくわくする。

今回は18歳の女子学生たち。自分の年齢の三分の一!の若者たち。
平成生まれの、ミレニアム時代の彼女たちに、あえてコミュニケーションの体制さのことを伝える。
不思議なものだ。世代を越えても、コミュニケーションは永遠。
この課題は変わらない。
いかに伝えるか、伝わるかは共通のテーマである。
10日間で、数種類の課題を出し、毎日こなしてもらう。
なかなかタフで、真面目である。

私たちの時代には、インターンといえば医学生限定の世界のようなイメージがあった。
一方、自分が教育実習に学校に行ったときのことを何十年ぶりかに思い出した。
今改めて思えば、あれも、インターンの一種だったな・・。
現場に行った緊張感、母校の学生たちとの触れ合い、実習・・・。
形は違えど、現場体験は貴重であった。懐かしい。

話しを元に戻す。
今は、多くの学校がその経験を授業として活用している。
企業の地域貢献。いいことである。

最終日に向けての作戦会議と称して、どうしたら自分たちがつくる作品がうまく
プレゼンできるかについてアドバイスした。
まっすぐに受け入れて相手がいることは、とてもうれしい。

企業には、多忙であっても、インターン生を受け入れることをおすすめしたい。
企業の従業員にとっても、会社にとってもメリットは大きい。
ある意味、企業側のいい社内研修にもなる。
また学生さんも貴重なステイクホルダーだ。

学生さん、いらっしゃ~い♪

そんな気分で楽しいインターン時間をこちらもいただいた。
厳しい時代に生きていく、若者たちを応援していきたい。
彼女たちが、この10日のインターン時間の思い出を忘れないで
未来に向けて生きてくれるとうれしい・・・。



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