オンラインで育んだ関係を次へ。

実際に会うこともなく、ひとつのチームが3か月、自分たちで立てた計画のもとに、オンラインでミーティングを重ね、チームプランニングをして、プレゼンに臨んだ。そのチームは全部で5チーム。全国から集まった印刷女子30名。
その工程を上司たちもフルサポート。約50名で手探りで進んできた研修プログラム。

一緒にひとつのことを成し遂げた。
この余韻が消えないうちに、プレゼン大会の後、クロージングミーティングと
して取り組んだチームごとに、再びオンラインで集まった。

「お疲れ様でした!」と、それぞれの努力をねぎらい、そしてプレゼンについて自分たちのチームの振り返りと、他のチームの感想などをお互いに述べ合う。
今回行った研修は、チームプランニング&プレゼンがメインテーマであるが、
プレゼンをよく聴き、次に生かす。というところも大切なポイント。
当日、他のプレゼンをどう受け止め、いいところをみつけられたか、そしてその中で、自分たちのことはどうであったか?
客観的にみつめることは、とても重要だ。

やったことのない、大きな仕事をやったという自信。
オンラインプレゼンははじめてやった。でもこれでわかった。
これから、自信をもってできそう。いろんな意見が出てくる。

コロナでなければ、思いつくこともなかったこの挑戦。
皆さん、本当に大変であったけれど、やってよかったと口々に言われ、
こちらもほっとする。

オンラインで出会い、生まれ、育まれた関係。
研修が終わったから、チームも解散。はい、お疲れ様!
では終わりたくない。

また、オンラインで培ったこそ、さまざまな配慮のもとで
丁寧に育んだ関係であるため、絆は深い。
ここで、終わりではなく、ここから新たに何かできるかも?

という次の希望も見えてきた。

オンラインから生まれた関係。どうかここで終わらせず
リアルにつなげたい。
コロナが終わったら、ぜひ会いましょう。
もっと、何かしていきませんか?

そんな思いを込めて、クロージングミーティングを終える。

オンラインは、何とも言えない余韻を残すものだ・・。

とにかく、皆さんの奮闘ぶりに頭が下がり、こちらが感動した。
どんな環境でも逃げずに前に進むと、
必ず、いいことがある。

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小さな腕時計。

「大きな古時計」という歌がある。
おそらく、どの人も小学生の頃に覚え、近年でも有名歌手がカバーしていたり・・・で、世代を越えて、お馴染みのメロディだと思う。
私自身も、ライブでよく歌う。歌いやすいというのもある。
大人になってから、だんだん意味がわかってきて、泣ける曲だ。

♪大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計・・・♪

で始まる。

さて、今、私の手もとにある、ひとつの時計。

♪小さなバンドの腕時計 としこさんの時計・・。♪

とこんな風に替え歌にしようか。

そう、よれよれバンドの古い腕時計。とても安価なものだ。
この時計を、母が救急車で運ばれた後、看護士さんから
貴重品として、受け取った。
「はい、こちらお母さんが付けておられた時計です。と
一緒についていた輪ゴムも・・・」
と思わず、笑えてくるあの場面。
今にも死にそうで、ハーハーと息している母の横で、
そんな風に看護士さんに渡された腕時計。

実は、私はその日から、葬儀の日も、いつもずっとポケットに
入れていた。
今は出張に行くときも近くに行くときも、バッグに入れて持ち歩いている。
「さあ、出かけようか」という感じで。


その時計。先日、動かなくなった。
母がしていた時計の時が止まるのは、困ると思った。
そして、電池を入れ替えた。
お店の人が、あまり古いので、
「電池を変えてももし、動かなかったら、お代はいただきません。
それと、ベルトもついでに変えておきますか?」
と親切に言ってくれる。

「なんとか、動くといいですが。ベルトは変えなくていいです」
と言って、預けた。
後で、受け取りに言ったら、時計が動いていた。
母が生き返ったような感じがして、うれしくなった。

そして、

大きな古時計のメロディが流れてきた。

♪百年休まずにチクタクチクタク、としこさんと一緒にチクタクチクタク・。♪

そう、この時計はずっと持っているつもりだ。
いつも一緒に出掛けるつもり。道連れ、という感じで。

今思えば、亡くなるニ三か月は、目の調子も良くなかったので、
もしかしたら、時計の文字盤も見えなかったかもしれないけれど、
毎日時計をしていた。
さあ、今日も出かけるぞ。
そんな意気込みだったのかもしれない。

古い腕時計とともに、母の意気込みも一緒に抱えていこう。
細いあの手首で、ずっと母を見守っていた時計には、
1日も長く、生き続けてほしい。



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海を越えたい、空を飛びたい。

NYのブロードウェイが1年半ぶりに再開したとのニュースに接する。やっとやっと、あのステージが戻ってきた。有名なロングランの作品がまず、上演再開となったようであるが、そのなかで、私が何度も何度も足を運んだCHICAGOもそのひとつ。
再開にあたって舞台裏と舞台、会場外の様子が短い時間であったが、ニュースで流れた。
あの懐かしい音楽とダンスが、演者と観客の熱狂のなかで、蘇った。
舞台下から眺め、大きな拍手をおくったあの歌手たちが、健在であったことを知ると心が震え始めた。
ステージと観客が一体となり、マスク越しの反応ではあったが、それはそれは
熱い様子が伝わり、こちらまで思いっきり泣けてきた。

それは、NYに活気が戻ってきてよかったということ、待ちに待ったステージが
再開されて良かったということ、そして、私も今すぐ飛んでいきたいのに行けないという悔しさと・・・。いろんな思いで、テレビの前で一人大泣きした。

同時多発テロから20年で世界は変わった。コロナで世界は変わった。
変わり続けるなか、やっぱりNYはいつものNYだ。

NYは、私のエネルギーの源泉のひとつ。
このままでは一生行けないのではと思うこともあったが、今は、何が何でも
もう一度、25歳で初めて訪れたときと同じように、NYに触れたい。
とにかく、全身で感動する、おもいっきり感じ合える。そんな経験が待ち遠しい。

今月の自分のミニコンサートもコロナで中止。
生の歓びを知るものにとっては、残念でならない。

ああ、感動したい。
ミュージカルだけでなく、クラシックコンサートも、アルゼンチンタンゴも・・・。
全身で感じることで、注入されるパワーがあるのだ。

これができなければ、死ぬわけにはいかない。
ネットではダメだ。
全身で思いっきり身を揺らし、拍手を思いっきりして・・・。
涙を流したい。

ああ、海を越えたい。
ああ、空が飛べたなら・・・。

と、そんな思いを抱きながら、
心は越境、空に夢を描きながら、前に進もう。



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小さな宝石に出会う喜び。

昨日書いたジャーナリスト横村出さんの講義の言葉でもうひとつ、大切にしたい言葉がある。
「どこの新聞とかではなく、どんな新聞であっても、そのなかに、キラッと光る宝石のような記事があると思います。それをぜひ探していただきたい・・・」

日々、私たちは、自分の考えと近い主張、論調の新聞を読むことが習慣となっている。そういう方が多いかと思う。
何新聞を読んでいると聞けば、ああこの人は・・・とその人の考え方を知ることもできる。

一方、あるメディア関係者は、自分の考えと共通する新聞と、反対のものを詠む。という人もいて、なるほど、そういう目はプロとして確かに必要だとも思っている。
また、どの新聞も目を通すという方もおられるが、それも大変良いことだと思っている。
まずは、現実をさまざまな視点から見ること、これを相対化し、自分の考え方をもつということが、重要。これしか読まない!となるのは、自分の世界も狭くなる。違う考え方を批判するにも、その相手を知らなければ、何も言えない。

そんななかで、
冒頭のことばにあるように、どこの新聞ではなく、どんな記事かが、が大事
という点に着目したい。

結局は、組織が記事を書くのではなく、記者個人が書く。もちろん社内チェックもあるため、個人の原稿そのままが公開されるとは限らないが・・・。
それでも、チェックも人がしている。
組織ではなく、人がする仕事。
だから、時々、きらり光る記事に出会えることがある。
一次情報であればあるほど、それをみつけることができる。

小さな宝石。
これは、メディア業界に限らず、どんな業界でもあてはまる。
組織はこうだけれど、あの人の仕事がいい。
あの人がいるから、商品が好きになる、店が好きになる、会社が好きになる。
そういうことは多い。結局、決め手になるのは、組織に属す属さないにかかわらず、個の仕事。
もちろん一人の場合もあれば、チームの場合もあるが、それでも人の仕事だ。

働く一人ひとりも、
企業も、この小さな宝石をなくさないように意識してほしい。
効率や生産性のみを優先し、個性をなくさないように・・・。

この宝石探しは、これからの希望につながっていくものだと思う。

そして、私自身も、誰かがみつけてくれる、「小さな宝石」になれるように
自分から光を放つことができるように、日々自分磨きを心がけたい。

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絶望からの希望と、学び続けること。

9月11日NYの同時多発テロから、20年。
この機会に「テロとの戦い」と国際報道について、学べる機会があった。
最終回がまさに、9月11日当日であったが受講できず、1週間遅れで聴講した。
オンライン講座は、遅れても受講できる点が大変ありがたい。

長年、戦地に赴き取材を重ねてきたジャーナリスト横村出さんが今回の講師。これまで見聞きしてきた世界での体験の一部を公開されながら、講義は進んだ。普段日本のメディアがあまり触れることのない、アフガン、イラク、チェチェンでの惨状にふれ、NYのあの惨劇からの20年、世界で起きてきたこと、大国がしてきたこと、そしてこれからのこと・・・について、熱く語っていただいた。
世界情勢が気になる人、テロとの戦いについての問題意識を持っている人、国際報道に関心がある人などが受講されている講座であるが、オンライン開催になる前は、大学の会場に大勢の受講生が来られていたことを、懐かしく思い出す。
中には記者など、現役のメディア関係者なども来られていて、うれしく感じたものだった。
そう、このテーマへの関心は高い。意欲ある人たちが年代、職業、地域を越えて集まってきた。今はオンラインになり、さらに多くの方が受講されたことだろう。

講義の最後に受講生から、質問があった。
「人間は何度も同じ過ちを繰り返しているが、戦争や、テロをなくすにはどうしたらいいと思うか?」
との問いに、講師の横村出さんは、
「戦争も、テロもなくなることはないと思います。
 戦争は必ず誰かの利益になるものである限り、なくなることはない。
 残念ではあるが、なくすことはできない。
 絶望してしまいますね。でも、その絶望から希望をもっていうならば
 なくすことはできないけれども、防ぐことはできるはず。
そう信じています」
強く語られたその言葉に、こちらも胸がいっぱいになった。

人間にさまざまな欲望がある限り、なくすことはできない。
それが悲しいかな、人間社会。
そして、戦争は繰り返されている。
悲しいかな、それが人間社会。

でも、防ぐことはできる。防ぐ努力をすることはできる。
そのために、
現実を事実をしっかり見据え、俯瞰して社会を見据えながら、自分事として
世界をみつめながら、自分の意志をもって行動すること。

このことは、戦争を防ぐため・・だけでなく、これからの社会に
生きていく上で、大変重要なことではないかと思える。

あのテロから20年。何も終わっておらず、世界の緊張はますます
混迷の時代に突入する。

最後に講師が結んだ言葉も印象的だった。
「みなさん、これからも学び続けてください!」

いくつになっても、学び続けることを忘れずに。
世界を正しくみつめ、向き合い、その中で流されることなく
しっかり生きていきたいと思う。

絶望を感じることが多い今日ではあるが、
そこから希望をもつためにも、
生きる限り、学び続けよう。





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聞く賞味期限。

歩いて20分圏内に、一軒の豆腐の工房がある。
業務用・給食用にも製造しているが、直売所もあり、近所の人々が絶えず
買いにきている。一度買えば、直売所故の安心感、お手頃感で、なんども
買いに来たくなる。店の前に、自転車が止まっているのをみつけると、
今日も直売所、やっているなと、すぐわかる。
それが町の工房の魅力だ。

デパートや町に出れば、高級な豆腐も多く販売されているが、
それにひけをとらない、いいものが安く販売されている。
市価の3割は安い感覚だ。もめん、きぬごしだけでなく、くみ豆腐、おぼろ豆腐から、えだまめ豆腐、長いも豆腐と、バリエーション豊か。どれも美味であるが、とくに気に入っているのは、手作りゆば。あげも種類豊富で、あげだし豆腐にはたれまで付いて売っている。
親子夫婦二代でやっておられるご様子。
ご年配の男性(お父さん?)が店主だろう。

夏の暑い日に寄ったときのこと。
「これから2~3時間歩くので、保冷剤入れてもらえますか?」
と言うと、
「これは、魚と違うから、それぐらいの時間は常温で大丈夫」
そうなんだ。豆腐って腐らないんだ。
なるほど。
ではそれに従い。そのまま常温で持ち歩いたが、確かに問題なかた。

次は、昨日の話。
「この豆腐、賞味期限っていつですか?」
商品のパックに何も書いてないので、きいてみると
「まあ、だいたい3~4日」
という答え。
なんだか大雑把であるが、カンタンには腐らないと言いたいようだ。
実は、この賞味期限、前にも聞いたが、一貫して同じ答えが返ってきた。

スーパーなどで買う商品には
シールがパッケージに貼ってあって、
原材料から賞味期限まで書いてあるが、ここの豆腐は違う。
シールも何もいらない。

店主のこの言葉を信じればいい。
こちらのお店の豆腐の情報は、店主からの一言だけ。

豆腐は、昔、鍋をもって買いに行ったり、車で巡回販売に来ていた時代もあった。そのときにパッケージにシール貼りなんて、存在しなかった。
作り手の存在が見える商品ということでの安心感があり、
何かあれば、聞けばよかった。

数少なくなってきた、町の豆腐やさん。
ここに、安心安全の食べ物の在り方が残っている。
信頼のモノづくりと 工房とお客の関係が続いている。

心から大切にしたいこの関係、この存在。

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私の観覧車が回り始めた日。

23年前の9月17日。
グラン・ルーは回り始めた。
まさに、人生は観覧車のように~そんな思いで、コミュニケーションの力で人と人、組織、社会を結ぶことを、生業として生き始めた。自分ができることを活かして、はじめた仕事。
35歳の誕生日までに独立しようと決めて、悔いなき(917)日を起業の日に
したことは、正解であった。

あれから、くるくる、時にはバタバタと回って、まる23年が経った。
まさに34歳の5月に、パリのこのルーブルの庭でみつけた観覧車に乗って
人生のコンセプトが生まれた。それから、今もぶれることなく、
止まることなく、回っていることは、何よりだ。

この写真は、2019年の12月初めに、フランクルトから日帰りで
パリに出向いた際、23年前と同じ場所に偶然みつけた観覧車。
まさに冬空に立つLa Grande Roueであったが、私にとっては、
天気も季節も越えて、これが人生のよりどころ、シンボル。

コロナで海外渡航できない現在、当時の写真やさまざまな資料を通して、
自分の
道をふりかえる。
改めて、この道を信じ。このまままっすぐ、そして、節目ごとに、
さらに磨きをかけて・・・。
生涯、心の観覧車づくりを続けることを、今日改めて自分に誓う。
もちろんそのアウトプットは柔軟に。

これから、あと何年回り続けるかわからないが、生き続ける限り、
回り続ける。

長くご支援、応援してくださっている方たちに、心から感謝を申し上げます。
ありがとうございます! !

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ならば、しっかりやろう。

介護の現場は大変だ。
本当にみなさんよくされると、頭が下がる。
なぜ、福祉の仕事につこうと思われるのか。
かなり強い意志がないと、長く続かないほど、ハードな世界。
ここ1年ほど親のことで、お世話になっているケアマネさんは
現場支援もされており、お年寄りや家族に寄り沿った仕事を
続けておられる。
なぜ、この仕事に就いたか・・・。その方のお母さまも同じ仕事を
されており、その背中を見て・・とのこと。
親がする仕事を見て、そうなりたい。と思うとは、すごい。
大変さも見ながらのご判断で、まさに頭が下がる。

介護保険のおかげで、介護者の家族は介護を専門の人に助けてもらい
自らの生活を続けることができている。
ひと昔前は、介護も仕事も・・というのは無理であった。
そういう意味でも、いい時代に生きていられて、ただ感謝だ。

今、自分は父に24時間付き添っていない。
もちろん気持ちはあるし、できることはやっているが、
同居しておらず、プロにお願いしている。
そのことについての自問が増える。

自分のやっていることは、正しいのか?
人としていいのか?

親が食欲ないと言われているのに、
自分はおいしい食事をとっていて、いいのか・・。

などなど。
思うことは尽きないが、
でも、私は私ができることをする。

つきっきりの介護はできない。
ならば、せめて仕事や今すべきことをしっかり
がんばろう。
世の中のために、お役に立っていれば、
親も理解してくれるだろう。

仕事をさせてもらえる、好きなことをさせてもらえる
介護の時期にありながら、皆さんの力を借りて
変わらぬ生活ができていることに、改めて感謝をしながら
今自分がすべきことを、120%がんばらねばと
思う。

ならば、しっかりやろう。

今は、ただそれだけ。

もちろん。親に対しても、自分ができることを、しっかりやろう。

全ては、悔いのないように・・・。

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「ありがとう」の伝え方。

90歳を越える方から、きれいなハガキをいただく。
柿の絵が描いてある。「恥カキながら、ありがとう」
なんとも、ほほえましく、あたたかい。
なんども、このハガキをさすってみる。

絵手紙を書く人は、母のまわりに何名かおられた。
母が亡くなってから、時々、こちらに届くようになった。

このおばあさま、母の仲良しさんだ。
母が亡くなったあと、いろんなことが続いて、
元気がなくなりそうなときに、
「あかんよ、元気にいてくれんと。おばちゃんは元気にいてもらわんと」
と会いに行って励まし続けた。時には花を届けた・・・。
このハガキは、そのお礼のようだ。
元気でおられることを知り、うれしくなって電話をした。
まだ、自分が経営してきたお店の電話番をされている。
元気な声が受話器からこぼれてきて、安心した。

母が亡くなって、いろんな方にお礼を言うと、皆さんからも
「ありがとう」の声を多くいただく。
いろんなことで、ありがとう。
ちょっとしたことでも、ありがとう。
とにかく、「ありがとう」の威力はすごくて、
その伝え方、伝わり方で元気も倍増する。
今回の、このハガキもその一例だ。

どんな装飾的な、巧みな言葉よりも、ただひとこと
「ありがとう」
があればいい。

元気になったおばあさま(私にとっては大先輩)のハガキがうれしくて、
ここにちょっとご紹介。
周囲に感謝の気持ちを忘れることなく、日々変化する
これからの秋を一緒に楽しみたい。

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ちょっとした節目をきちんと。

節目は大切だ。
今日はここまで。これは、これをもって・・・。
日々をなんとなく過ごすのではなく、挨拶からはじまり感謝に終わる。
それを意識して行うことで、お互いのコミュニケーションが深まり、
信頼感が高まる。

今回インターン生をお迎えになった企業が、インターン期間終了後、
学生さんとの短時間の面談を実施、まさに節目の時間をもたれた。
学生さんからの報告書を受け取るという、郵便やメールでもできる
やりとりであったが、あえて、わざわざ会社へ足を運んでもらう選択を
され、その場にオンライン同席されていただいた。

ひとつの行事が終わると、そのまま時間とともに、その記憶は薄らいでいくが、
節目を大切にすると、いい思い出となって、長く深く心に刻まれる。
「今日はインターンの卒業式です」
と笑っていいながら、学生さんからの報告書を受け取り、企業側からは、
社員のアンケートの抜粋と最終日皆で撮影した記念写真のコラージュの
プレゼント。そして社長から、学生への手書きのお手紙。

学生さんたちは、そんなサプライズを受け取りながら、静かに感動。
郵便やメールでは味わえない感慨があったと思う。
ネットでのコミュニケーションが主流になりつつある若者の日々に、
生のふれあいがあること、そして、ちょっとした節目を感じることが
できることは、とても有意義だ。

普段の生活をふりかえってみよう。
なんとなく流されていくのではなく、ちょっとした節目を大切にすること
で気持ちが新しくなったり、毎日が豊かになっていく。

「インターンご卒業、おめでとうございます!」と締めの言葉。
わずか10日の経験であっても、永遠に刻まれる社会経験の終了。
ちょっとした演出、心遣いでみんなが達成感に包まれ、幸せになれた瞬間。

節目を心がけることで、人生も、竹のように強く、しなやかになれると
思う。

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