好奇心と自由と調和と・・

法政大学前総長 田中優子さんの新聞の寄稿記事のなかで、ノーベル物理学賞を受賞された真鍋淑郎さんのことが書かれてあった。
真鍋さんは、強い好奇心によって研究を続けてきたが、日本に帰らない理由として「自分は調和のなかで暮らすことはできないから」ということを言われたという。また、別の話題として、とある学会で、「忖度」という言葉はドイツ語に訳すとき「先取的服従」という意味だということが書かれていた。

服従ばかりしていたら、調和ばかり気にしていたら、好奇心は発揮できず、
まともな研究、表現も発揮できず、人間性も育たない・・と、田中さん。
まったくその通りだ。聴いていて、読んでいていつも気持ちいい。

実は、私も最近、この日本的な調和?について違和感を感じることが多い。
この調和は私が目指す観覧車の発想とは、ちょっと違う。
ひとりひとりが自由な精神を持ちながら、それで全体のことも考えられる。
が良いと思っているが、自分を押し殺しての全体ありき・・では健全ではない。
そのことをしっかり見据えていないと、間違った方向に行きそうだ。
個性を大切にしながら、自立しながら、自由な発想を大切にしながら、全体バランスをとり、優位性を活かして、生きていく。
それがいいと思っている。

もちろん、日本の良さ、日本人の良さは大切にしたい。
しかし、あくまでも自由な精神が根底にあることで、ひとり一人の個性が活きる
社会になっていかねばと思えてくる。

話しを戻す。地球温暖化の見える化に貢献された、その真鍋さん。
とても素敵な90歳だ。こんな風に年を重ねていけたら・・と心から思う。
一生、好奇心で生きていける。なんと、素晴らしい人生だ。

いつも、ノーベル賞受賞者のニュースに触れ思うことは、功績はもちろん素晴らしいが、そのプロセス、いきざまこそが、光っている方が多い。
結果は結果。
それよりも、そこに向かう姿。せめて、姿勢は真似したい。
好奇心を大切に。今からでも遅くない。
そして、自由と調和も忘れずに。


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読譜、暗譜の秋。

読書の秋。確かに、もっと学びたい、もっと知りたいと知的好奇心に
満ち、本を開いてみよう。と思える季節だ。
ネット検索はほどほどにして、ちゃんと本と向き合う時間をもつことを
心がけたい。毎日の生活習慣にすると良いだろう。
この毎朝、ブログを書くように、決まった時間にラジオ体操をするように・・・。
本に向き合う時間、すなわち、自分と向き合う時間になる。

そして、それ以上に今、自分のすべき課題は「読譜と暗譜」だ。
実際にピアノに触る時間がとれなくても、
まずは楽譜を眺めて、それを覚えるようにする。
そして、暗譜を目指す。
思えば、子どもの頃、よく暗譜をした。
そのおかげで、今も楽譜なしで弾ける曲があるのはありがたいこと。
でも、もっとそれを増やし、確実にしたい。
暗譜はなかなか大変だ。
楽譜に縛られて、演奏できない・・・では、つまらない。
楽譜のひと見開きには、何小節かしか載っていなためページをめくる
作業が必要。でも、隣に誰がいるわけでもない。
自分で弾いて、自分でめくる。そのたびに曲が中断する。

そのことから解放され、自由に演奏するためには、楽譜を全部頭の中に
入れること。
子どもの頃にやっていたことが、今できないわけはない。
とちょっと無茶ぶりをしてみる。
ということで、この秋は読書以上、読譜に注力したい。
移動中にも、楽譜を開く。
文字を追いかけるより、音を想像しながら読み進めるので、
想像力のトレーニングにもなると思う。
ピアノがなくても、練習ができる。
そうイメージトレーニングの一種でもある。

挑戦の秋!楽しみながら、自分の豊かにしていきたい。

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期待する、しない。

企業では、経営者や上司の皆さんは、社員、部下に対して、
「期待しているよ!」と、鼓舞する。
がんばってほしいから、一緒にがんばりたいから。
一緒に目標に向かいたいから。
そして、社員、部下もその期待に応えようとがんばる。
という流れは、とても健全だ。
期待されるということは、モチベーションにつながる。
よし、がんばろう!と思う。
期待されるということは、自分の存在を認めてもらっているということ
にもつながる。

一方、日常をふりかえる。
人は、人に対して、つい期待をしてしまう。そんなことはないだろうか?
自分が思っているようにしてほしいと、相手にもそうしてほしい、
そうしてくれるもんだと、ついつい思ってしまう。
そして、そうならないと期待外れということで、
悲しい気持ちになったり、
ときには、裏切られた気持ちになることもある。
少なくとも、私の場合、恥ずかしいがこういう経験は結構ある。
身近な人であればあるほど・・・かもしれない。

ではあるが、自分が相手のことをいくら期待しても、
相手が同じように自分のことを想う、行動するとは限らない。
一生懸命相手を想って行動しても、相手にはそのように響かないことも多い。

今、思えば自分の親たちが、私にとても期待していたのに、自分はそれに応えなかった・・とのことと同じだ。
期待した分だけ、がっかりされた。辛い思いをさせた時期があったと思う。
期待してきた親には、ある意味申し訳なかったと今になれば、
思うところもあるが、期待どおりにはしなかった。

人にはあまり期待をしないこと。
期待をしなければ、あてにしなければ、
その反応や結果が、その分うれしく思えることもある。
意外な展開に気づきもある。
過度に期待すると、ろくはことはない。
相手には、期待せず。でも思いがけない反応であれば、素直に喜ぶ。
これぐらいで、いいかな。
人と自分は違うのだから。

期待をする。
期待をしない。

この使い分け、とても難しい。
期待・・ときに相手にプレッシャー。
ときに自分のエゴになる。

相手の立場や考えも尊重しながら、そして
思いやって、協力しあえたらいい。

期待とは、
まず相手を信じることから・・。
どんなときも、相手がどう思うか。が
全てだ。
私自身も、まだまだ・・・だ。



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苦悩と創造力。

人間の力は本当にすごいと思う。
ちょうど、今はノーベル賞発表の時期であり、
発表されるたびに、いろんな分野で地道に努力された人たちの存在を知り、
感心する。
人はいろんな方面に才能の花を咲かせることができるが、
最近、改めて心うたれるのは、
長い時間を経ても、愛される作品を生む人たちのこと。

たとえば、
クラシック音楽の世界では、250年以上前から今も尚、愛されている名曲と
それを生んできた音楽家たちがいる。
本当に古典ってすごいと改めて思う。決して古臭くならない。
古いけど新しい。普遍だけどモダンや、挑戦も感じる。
優しい気持ちになったり、心揺さぶられたり、さまざまな感情の旅に
出ることができる。
人間の根底にある精神性を表現しているから、構成が建築的で緻密であるから
飽きることなく、人々を感動させるのだとも思う。

そんな素晴らしい作品を書いた人たち。
よく見ると、その人生は波乱に満ち、苦悩に包まれていた人が多い。
ベートーベン、ショパン、シューマン、リスト、ブラームス、チャイコフスキー・・・。
普通に生きる道を許されずか、自らそういう道を結果的に進んだのか、
幸せとは背中合わせの、世間ではマイノリティーな生き方をした人たち・・・。

純粋すぎる人たちだからこそ、そのように生きざるを得なく、またその悲しみや苦しみを乗り越えるため、曲を書き続けたのだろう。・・・と想像する。
作曲することで、自分の世界と向き合った、その人生。
さまざまな苦しい思いが美しいハーモニーを生んだ。
その曲は、長年、聴く人々の心をとらえ、感動を呼び続けている。

ただ平穏で幸せな人生を生きたならば、あのような深い、美しい、
作品は生まれなかっただろうと思う。

苦悩があるからこそ、人は純粋に愛を求め、その思いが美しい作品になるのだろう。

創造力の発揮というのは、楽しい世界ではなく、孤高であり、苦悩の日々があってのこと・・と思うと、改めて先人たちの素晴らしい作品への向かい方も変わってくる。
無駄にしてはいけない。
私たちが生きるために、活用させていただき、より内面を深く、強いものに
していかねばと思えてくる。

改めて、苦悩に満ちた芸術家たちに、心からの敬意を表したい。
今、これらの作品に触れているひとときが、とてもありがたい・・。

人はその一生で、何を残すのか・・・。今、とても考えさせられる。

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スティーブ・ジョブズさんのおかげで。

この2週間ほど、スマホはまさに、24時間携帯状態。
眠るときも、枕元に。着信はバイブになっていないことを確認してから
休む。
そして定期的に着信の履歴を確認する。
何もないことを祈りながら・・・。画面を見る瞬間がどきどきだ。
そんなこんなで、緊張の日々のなか、無事出張もできた。

いつでも電波環境さえ良ければ、どこからでも連絡がとれる、
この「携帯電話」。という存在。
半世紀前、緊急事態の連絡はどうなっていただろう。
黒電話の時代。しかも一家に一台なかった時代。
もっと前は・・・。もう、現場にいるしかない、離れられない。
だから、何かを諦めるしかない時代。

人の生活空間、移動距離の増大にともない、連絡がとりづらくなるなか、
この通信機器が発達した。

そして、今やスマホのおかげで、
電話に限らず、メールをはじめ、
どこにいても、連絡がとれ、どこにいても仕事できる。
自分次第で、同時に、いろんなことができる。

本当にありがたい、このスマートフォン様!
もっと言えば、
父がもう少し若く、元気なときにスマホの使い方を覚えてくれたら、チャレンジしてくれていれば、コロナ期のコミュニケーションも多少は楽しめて、もっと元気にいてくれたかも・・。
今さら、「たられば」といっても、仕方ないが。

しかし、今、このスマホのおかげで、いろんなことが両立できる。
ジョブズさんに改めて、心から感謝の日々。この文明の利器を活用しながら、今日もせっせと・・。

この人こそ、ノーベル賞級の仕事をし、世界を変えたクリエイターだ。

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いっぱい「気」をおくろう!

「出張がこれから入ってくるんですけどね・・」
「そういうときは、『明日は出張だから、元気にして!』と、声をかけて
おくと、意外と元気でいてくれるもんですよ。そういうことよく聴きます」
看護士さんに、そんなことを教えてもらい、
父の耳元で何度も
「私がいないときは、元気にしててね」
「明日は出張に行ってくるから、元気にしててね。待っててね。たのむよ!」
と声をかける。
ほとんど眠っており、聴いているのかどうかもわからないことが多いが
それでも、声をかける。

心配してくれている友人によると、「声」や元気な「気」が、父にも伝わるそうだ。「気」が伝わると、元気になるそうだ。

人が生きるということは、「気」が通い合うということ。
不思議であるが、本当に「気」は大切。

この気持ちが伝わっていることを信じて、気合い入れて、GO!
ちょっと今日はリモートで「気」を送るとしよう!
元気にいて!
気を送ること、すなわち、いのちのコミュニケーション。

と、不思議な力を前向きに信じたい、今日この頃だ。


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どこでもいつでも、出会いの場になる。

自分が活動の世界を広げれば、そこには必ず新たな出会いがある。

たとえば、この2年間。
それまでは、病院や施設、医療と福祉の世界には、ほとんど縁がなかった。
ある意味、それらの領域と無関係に生きていけるということは、
幸せな時代だったのだろう。

ところが、ある日突然の父の入院から、新しい世界が眼前に現れた。
父はその日から、患者という立場で、周囲のお世話になることになった。
彼の回復のため、実に多くの人々が関わってくださった。

コロナであろうが、何であろうが、
人の命のために、尽力される医療関係の皆さま、
そして、人の人生の結びに向け、協力、支援してくださる介護関係の皆さま。
今思えば、
心に残るドクター、ナースから、ケアマネさん、施設管理者、ヘルパーさん、
スタッフの皆さん、薬局の皆さん、地域の支援センターの皆さん・・・。
などなど、2年前までは、まったく縁がなかった人たちと、急に出会いをいただき、お世話になって、そして、その施設を離れたあとも、つながっている方もいる。
今、報告と、御礼に会いに行きたいドクターもいる。

契約が終わったから、もう亡くなってしまった・・おしまいではなく、そこから関係が新たに始まったり、親しくなって、いつの間にかその方の仕事を紹介していたり・・いろんなことも起きている。

自分さえその気持ちであれば、どんなときも出会いは巡ってくる。
そして、どこか魅かれる、忘れがたい人とは、長いおつきあいになるものだ。

それにしても、ナースと呼ばれる人たちに、こんなに多く出会ったのは
初めてだ。
皆さん、よくお世話をしてくださる。
ありがたくて、毎日頭が下がりっぱなしだ・・。

いつでも、どこでも出会いがある。
今日ももしかしたら?
どんなときも、目と心を開いていたら、素敵な出会いにきっと
出会える。


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ともにアンダンテ、そしてカンタービレ。

日常のくらしには、公私含め、いろんな出来事が巡ってくる。
同じ日は1日として ない。
毎日、出会うさまざまな現象、変化の中、人はそれに呼応しながら生きている。
ときには大雨、ときには暴風。びしょびしょになって、傘が破れそうになることもある。前に進めないこともある。
そんなときは、しばらく雨宿りしながら、落ち着くのを待つ。
必ず、雨も風もやんで、晴れ間が出てくる。そこから、また歩き始める。

人生はその終わりの日が訪れるまで、
とにかく歩き続ける・・・そんな旅だと思う。
歩き方が、変わってきても、生きている限り、とにかく呼吸をしながら、
時を刻む。
そのこと自体が、歩いていることと同じ。

止まらないで、ゆっくりと歩くように呼吸をしよう。
止まらないで、わが人生を歩み続けよう。

毎日、父ががんばって呼吸をしている姿を見ながら、
生きているんだな~と、がんばっているな~と実感する。
そして、普段どおりに、私も歩こうと改めて思う。

そして、できればカンタービレのキモチをもって。
歌うように、表情豊かに歩こうと。

だから、歩きながら、歌う。
いろんな人生の情景を思い出しながら、そんな移動時間を歩く。

父も私も、アンダンテ。
そして、私はカンタービレ。

着信が鳴らなかった一晩を重ねていく朝への感謝を込めながら

今日も楽しくアンダンテ!

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美しいディクレッシェンドを。

クレッシェンド(crescendo)とは、音楽用語。イタリア語である。
私が知る限りでは、クラシック音楽でよく使われてきた強弱記号。
だんだん強くという意味で、音楽を盛り上げるときに用いられる。
楽譜では、五線紙の上にcresc.と書かれたり<  の記号で表記される。
ああ、ここから盛り上げるんだな~。長く盛り上げるときこのマークは
長く書かれる。
その曲の抑揚を豊かにし、また、それがあることで作曲家の意図もよくわかる。
同じ音符が並んでいても、それがあるかないかで、まったく表情が変わる。

一方、ディクレッシェンド (decrescendo)は逆に、だんだん弱くと言う意味。
こちら>の記号か、decresc と表現されるほか、ディミヌエンド(こちらはだんだん少なく) dim.と記載されることも多いが、クレッシェンドの対比としては、ディクレッシェンドがわかりやすく、一般にも馴染がある。

さて、人間の一生に、このクレッシェンド、ディクレッシェンをあてはめる。

クレッシェンドは、どんどん成長していく過程に当てはまる。
青春時代、あるいは仕事に燃える中年期も、まだまだクレッシェンドなのかも
しれない。もっといえば、年齢は年齢に関係なく、夢が膨らみ続ける過程も
クレッシェンドだろう。
もしくは、情熱的な恋愛をしている上り坂?のときや怒りがこみあげ爆発するときも、クレッシェンドな状態かもしれない。
人生のクレッシェンドには、生きる力を感じる。

そして、一生を終えるときは、ディクレッシェンド・・・。

だんだん弱く、小さくなって・・・・やがて・・・静かに曲が終わる。

ここをいかに長く、そして美しく・・。

今、とても大切にしたいと思う。

人生はクレッシェンドとディクレッシェンドが交互に現れる交響曲。
多くの一生は、ディクレッシェンドで締めくくられる。
美しいディクレッシェンド。とてもいい言葉だと思う。
笑顔で、やさしい顔で・・・。お互い感謝をして・・。


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ギフトのお返しは、お早目に。

主のいない家の整理を少しづつ進めているが、
やはりわが家の最高のお宝は、コンサート用のグランドピアノと木製アップライトのピアノ。そして、古くてもう弾けないが、当時最高クラスであったエレクトーン。
それ以上のものはない。
合わせたら、うん百万もしたこんな高価なものを、よく買い与え、演奏できるために多くのお金をつぎ込んだ両親。
幼き日々に、母が力強い声で、
「おまえには、よくつぎ込んだ」「お父さんの新車は全部楽器になった」
と言ってことを思い出す。
まさに、私に投資をしていたのだ。

若い頃は、そのことが不快なプレッシャーで、本当に嫌で逃げ出し、
その結果、その期待を裏切ることになったが、
今となっては、こんな素晴らしい贈り物が、この世の中のどこに
あるだろうか。と思えてくる。
残されたピアノに込められた、親たちの人生にかけた願いが、
今、改めて蘇る。
結果、親が願った道からは、大きく外れたが、今ふりかえると、
最高のギフトを親は与えてくれていたのだ。
それは、ピアノというハードではなく、カタチではなく、
そのために「一生懸命働いた」「一生懸命尽くした」という
見えない苦労である。
本当のお宝、最高のギフトは、楽器の存在から透けて見えてくる
この「親心」だ。
「音楽に出会わせてもらった、習わせてもらった」ことが、
一番の贈り物である。
今となれば、親の命を越えて、届けられたお宝である。

このことは、同じ音楽をやってきた仲間には通じる話題だ。
「お返しをしなくちゃね!」
高校の同級生と、そんな言葉を掛け合う。
そう、少しは返せたかなと思いつつも、もっともっとお返しを
しないと。
しかも、急がないともう時間がない。

ギフトのお返しは、早い方が良い。

こんな風に、
人生において、いろんな方から、いろんなギフトをいただく。
そのギフトによって、自分の人生が創られることに気づくのは
時間が経ってからだ。
でも、気づいたら お返しはお早目に。
キモチを届ける相手が元気なうちに・・・。



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