マラソンの束の間の・・・。

仕事もひと段落して、ちょっと時間ができて、久しぶりに好きな
カフェに行く。
いつも行く店舗はコロナも落ち着き、盛況のようで、
店の外に人が並んで待っていた。
待ってまで入る気もなく、ふとその隣にできた、
カウンター席だけの新館をみつけ、そこに入ってみる。
おばあさんが、ひとり、座ってケーキを召し上がっていた。
「お邪魔します」
声をかけて、離れた席に座る。
コーヒーを注文する。馴染のショパンが静かに流れている。
沈黙していても、美しい音色があるのは、心地よい。

この1週間、いやここ何か月か、ひとりゆっくり座ってコーヒーを飲む
ことを忘れていた。いや、できなかった。
味わうということが、実はなかったのかもしれない。
いつも、緊張していた。いつ携帯が鳴るかもしれない・・と
気がかりの日々であったから。

久しぶりのお気に入りの店。カウンター席に座り、静かに京の時間に触れる。
すると、10代からのさまざまなことが、次々思い出されてきた。
父や母のことをはじめ、今は亡くなった大好きだった人たちの
こと・・。京都を舞台にした、自分の若き日、つかのまの親孝行の日々・・・
とにかく思い出がどっと流れてきて、それを心に収めきれなくなってきて、
とても息苦しくなってきた。

「やっぱ、京都はいいねえ~」
隣に座っているおばさんとは、なんとなくの世間話を二言、三言
交わしていた。
このままいくと、
「実は・・・」と、親のことを話しそうになる。
いかん、いかん。この方の貴重なコーヒータイムを暗くしてしまう。
ぐっとこらえる。

と、少しゆっくり、立ち止まる時間があると、思いがあふれてくる。
この時間も、とても必要だけれど、今は、もう少し走り続けていたい。
立ち止まるより、前に進むほうが、楽だ。
そんなことを思いながら、淹れたての苦いコーヒーを味わう。

どこに行っても、気が付けば、親との関わりの時間を思い出す。
それは、これからもずっと続く。
そして、それはきっといいことだ。
どこにいても、親に会えるということ。思い出がいっぱいあるということ。
でも、今は沁みる。

今はそれらの思い出を楽しむより、前に進み続けたい。
そのうちに時が経って、思い出をゆっくりと楽しめる。

隣に座られたおばあさんが席を立って、行かれる。
「ありがとうございました。」
「こちらこそ。お気をつけて、またいつかどこかで・・・」
なんとなく、そのおばあさんを母に重ね、そんな声をかけて
見送った。

マラソンの束の間、京都でのカフェタイムをいただき、
また、マラソンの旅に戻る。

また、どこかで・・・。
その日まで、まだまだ走り続けるとしよう。






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父のお供と、お揃い。

父ががんばって生きているときから、父のお供について、考えていた。
万が一・・をどうしても考えざるを得ない日々であった。
いろんなものを少しづつ用意していた。でも役立つ日はずっと遠いといい
と思っていたが・・・。

そして、今となっては
父の旅立ちに用意したものと同じものが、急にほしくなってきた。

親愛なるアッシー君への感謝状は、前書いてくれた書家さんに
また同じものを書いてもらうことにしてあった。
マフラーは紫色で観覧車ロゴ付。追加で急いでつくってもらった。
帽子は、東京の仲間たちがなんと、プレゼントしてくれた。
そして、入院してから2年間、ずっとベッドの横に置いていたぬいぐるみ。
相方が調達してくれて、ずっとお守りのように置いていた。
これも同じものを取り寄せた。

こうして、父が持って行ったものと同じものをいくつか
手配して、揃ったら、少し寂しさがやわらいだような・・・。

父のお供と、永遠のお揃だ。
それぞれ、自分が思い入れのあるものばかりを
父に持って行ってもらったので、余計に思いが募るのだろう。
もちろん、父が愛用した思い出の品々は、母のそれとともに、たくさんある。
ぼちぼち整理をしながら、再び親の一生をたどる時間を過ごすことになる。

命果てても、ものが残る。
命果てることで、存在がより強く残る。

そんなことを想う、肌寒い朝。

さあ、今日は京都へ。

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たくさん、たくさんありがたく。

父の旅立ちから、まだ1週間経っていない・・。
それなのに、まったく世界が変わった、この不思議な経験。
ちょっと言葉で言い表せないものがある。
おそらく、経験しないとわからない感覚なのかもしれない。

本当に、多くの方がお悔やみや、励ましのお言葉をくださって、
こんなにも皆さん、心を寄せてくださること、心配してくださることに、
胸がいっぱいになっている。
みなさんの応援がすごくて、その気持ちに応えようと
元気が湧いてくる。

父も、母も幸せであったと、改めて思う。
今は、仲よく笑って話しているだろう。
天国でも、岐阜弁なんだろう。

そんなことを想像しながら、
今、私自身は、多くの方に支えられて、今日も存在している。
親がいなくなっても、こうして周囲の皆さんとともに
生きていける。生きていく。
ああ、ありがたい。

毎日、誰かが言葉をかけてくださって・・・。
心を寄せてくださって・・・。

楽しいことの共有よりも、悲しいときに心寄せてくださる方が
ありがたい。

今朝は、眠る父と母に、花を届けにいこう。

たくさん、たくさんの気持ち。このギフトを忘れず、前に、前に。

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やりきった感と・・・。

本当に皆さまが心配してくださる。
親が亡くなる、しかも半年あまりで、もう一人も・・・。
1年しないうちに両親が亡くなるって、そんなにあることではないのかもしれない。
だから、皆さん、かける言葉もない・・・と言われ、本当に心配していただき、
優しい言葉をいっぱいいただいた。自分ごととして、想ってくださる方も多くいてくださって・・。
本当に、本当にありがたいことだ。
昨日、ZOOMで会った新潟のある人は、
「大丈夫かなととても心配していたけれど、やりきった感じがして、充実した顔に見えた。」
と言われた。その言葉がまた、ありがたかった。

元気に見えることがとても大切だ。

無理をしているのではない、ただ普段どおりにしているだけ。
心の奥に、いろんな感情はあるけれど、それを乗り越えて
頑張って生きていかねばならない。
いつもどおり、そういった心持になっている。

なぜか元気で、笑顔でいられる。いようと思える。
自分でもわからないが、清々しい気持ちでもあり、
大仕事をしたあとのような気持ちでもあり・・・。

どんなときも、元気・笑顔でいたい。
多分、両親の応援がゆるぎないものとして、自分の中に
インプットされたのだと思う。

いないけど、いる。
これもポジティブ発想で受けとめる。

やりきった感・・・と、自分の心のなかにあるさまざまな感情を
感謝に変えて。
祭壇から持ち帰ったトルコキキョウが、私にやさしく微笑んでいる。
さあ、今日も元気にいこうか!



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父の帽子愛。

今回の葬儀でもっともよかったと思っていることは、
父が40年以上お世話になった会社の社長さんにおいでいただけたこと。
定年退職して約四半世紀経とうとしているため、退職後は、ほとんど
交流がなかった。
けれど、父が2年前、脳梗塞で入院したときに、病院の近くにその会社があったため、あまりにご無沙汰していたけれど、勇気をもって連絡してみると、
社長さんがすぐお見舞いに行ってくださった。

父よりずっと年下の社長さん。先代が亡くなって32歳で社長になられてから、
父が社長さんの片腕だったようで、一緒に仕事をしてきた。
年上の番頭はきっとうるさかったことだろう。先代に仕えた身として、息子である若社長に対して、上から目線だったかもしれない・・。

葬儀の席で、社長さんが、お別れの言葉ということで、スピーチしてくださった。
「お見舞いに行ったとき、半身不随にならないように、リハビリをがんばると、そんな話をしていたのですが・・・」とまずは、そのときの様子を語られた。
そして、父の現役時代の話に・・・。
父の若いときからの帽子づくりに対する情熱、技術について話してくださった。
参列者のほとんどが、知らない父の一面を初めて知ることになった。

若い頃は、業界主催の帽子コンクールで、毎年入選していたとのこと。
その創造力が素晴らしかったと社長さん。
なぜ、そんな帽子ができるのか?
と、不思議に思われていたそうだ。

そして、今回、斎場に来られ、父の遺影を見たら帽子をかぶっている。
そして、会場には私が贈ったり、父が愛用していた帽子もいくつか飾ったため、それをご覧になって、社長さんは、いかに父が生涯、帽子が好きだったか、帽子を愛していたか・・を改めて、理解されたのだそう。

「今尾さんは、帽子を愛しておられたから、素晴らしい帽子ができたんです。
 改めて今回、わかりました。帽子愛がある方だったんです。」

帽子愛・・・。初めて聞く言葉だった。
制帽会社を先代から受け継ぎ、帽子づくり一筋に生きてこられた社長さんにとっては、この仕事仲間の変わらぬ「帽子愛」こそが、一番の誇りであり、喜びであっただろう。

父のつくった創造性豊かな帽子・・・。もう、ほとんど記憶にないが、
父はもしかしたら、クリエイターだったのだろうか?
その血はひいているのだろうか?と思いながら、社長さんのお別れの言葉を
聞かせていただいた。

人生の結びに、その人の魅力を知ることもある。
ありがたい。


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旅立ちのお供に・・

10月14日に安らかな眠りについた父を、昨日16日無事に送ることができた。
あと2週間がんばってくれたら満85歳になったのに、享年85歳として、この世での人生を終えることになってしまったのは、ちょっと惜しいけれど。
コロナのせいで、なかなか会えなかったこの1年半。そういう意味では、十分に父にすべきことができたか・・というと、完ぺきというわけにはいかず、複雑な思いであるが、妹とふたりで、とくに母がいなくなってからは、父に集中することができたかなと思う。
夏を何とか乗り切りつつも衰弱していくなか、最期の居場所を探していた2週間前のこと、これからも毎日点滴を続けてくださいと医者に相談に行った1週間前のこと、面会に行って、言葉はないけれども、ハーハーがんばって呼吸していた父を見届け、出張に出た日、そしてその夜・・・のこと。
2週間前、1週間前から今・・・。
いろんなことがあったけれど、父は旅立った。

母に会いに行く旅のお供は・・・。
家族での思い出の品々・・。父が愛用していた帽子をはじめ、免許返納した年の誕生日に渡した感謝状、夫婦の元気な頃のツーショット写真、たいそう喜んでくれた岐阜新聞に寄稿した記事本、この1年間に父に書いた手紙などなど・・・。そして、実家の庭に咲いていたオレンジのコスモスを当日の朝、妹に摘んできてもらって、それも納めた。
2年間家に帰れなかったお詫びを込めて、せめてのお供に・・・。
旅に出かけるので、新しい帽子と紫のストールは母に見せるため?ちょっとおしゃれもして・・・。

などなど旅のお供は、私たちの気持ち。
今は一緒に行けないけれど、気持ちは一緒に・・。


母のときと同じように、そして父にふさわしい、いい見送りができたと
思い、静かな朝を迎えている。 安堵の気持ちと何とも言えない気持ちが混じりながら・・・。

父の生前、そして旅立ちに際し、本当に多くの皆様にご協力、ご支援、さまざまなお気遣いをいただきました。
いつもありがたく、本当に皆さまのおかげでがんばることができ、また無事に送ることができたと思い、感謝しています。
本当に、ありがとうございました。





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アディオス ヒロサ

父の名前は、「允碩(マサヒロ)」。
まず読めないから、昌弘というのが通称だったそうな。
そして、近所や地域の皆さんからは、「ヒロサ」と呼ばれていた。
ヒロさんの変形、方言か。

そのヒロサとのお別れの朝を迎えた。

尊敬するアストロ・ピアソラの作品の中に、「アディオス ノニーノ」
という曲がある。バンドネオンの奏者としても知られるピアソラが遺した、名作中の名作。弾くのも、聴くのも大好きで、聴くたびに、ピアソラの思いがあふれるハーモニーに胸がいっぱいになる。
この曲は、ピアソラのお父さんが亡くなったときに作られた曲で「さよなら お父さん」というタイトル。「ノニーノ」は、ピアソラがお父さんのことをそのように呼んでいた名前だそう。愛称だ。
この曲を聴くたびに、父親が亡くなったら、どんな気持ちになるんだ、こんなに広がる海のように、悲しいのだろうか。
といつも、勝手に想像してひとりで泣いていた。

そして、今日は、「アディオス ヒロサ」。
「さよなら、お父さん」、「さよなら ヒロサ」。

父の喜怒哀楽の人生に、万感の思いを込めて、「アディオス ヒロサ」。
私たちとの短い旅を終えて、
一歩先に出発した母、敏子に会うための 
新たな旅に出る父を、今日、しっかり送る。
父と母のためにつくった曲「ひと・文様」で、送る。

いろんなことがありました・・・。

感謝を込めて、
アディオス ヒロサ!

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もう、会えるね。

写真は数年前の私のふるさとライブの休憩時間にとった
両親のツーショット。
なんだかいい笑顔だ。ちょっと照れている感じ。
今、この写真を見ると、なんとも言えない気持ちになる。
もう会えない。
でも、両親たちは、もう、会える。また、会える。

父は昨日10月14日の未明に、安らかな眠りについた。
残念ながら、その瞬間に立ち会うことはできなかったが
駆けつけたときの、父の安らかな清らかな顔を見て、
悲しさよりも、安堵の気持ちが湧いてきた。
苦しさをよく乗り越えたね。よくがんばってくれたね。
出張行ってくるから、待っててね。
という言葉にも応えてくれた。
東京駅から夕方、施設に電話したときは、安定していたのだ。
だから、ギリギリまでがんばってくれた。

一昨日の出張前日まで、毎日、往復三時間かけて
眠り続ける父の顔を見に行った。
この生活がどこまで続くかと思ったが、あっけなく終わって
しまった。

母が父を呼んだのだろう。
「もう、ええて。疲れたやろー、こっちで一緒に休みゃー」
と誘ったのだろう。

何かずっと張りつめていたものが、消えたような、おかしな
感覚。
父は、母に会いに行く旅に出た。
しっかり送る、笑顔で送る。
今日、長良川の鵜飼いが最終日だ。

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写真がない時代は。

写真の歴史はたかだか150年ほどか。

写真技術の発達により、記録が可能となり、今やデジタル処理も簡単。世界中の人々が自分で簡単に、撮影し、さらに発信できる世の中になった。人の命が終わっても、写真で在りし日のことを思い出すことができる。

では、写真のない時代、人は何をもって人を思い出すことができたのか?
肖像画・・・こちらは貴族や裕福な人のみができる記録であり、一般庶民には
何も残すものがなかったのでは?手紙や、愛用していた生活用品・・・などで
思い出すことができたのか?
書き残したもの・・・、そして言い伝え・・。
人の手によるコミュニケーションが、代々生きた人の存在を伝えていったのだろう。
写真がなく、視覚的に思い出すことができないのは、想像ができない。
今がすごい時代なのかもしれない。

今、元気だった母と父の楽しそうなツーショットを見ながら、
その日々を最近のことのように思い出している。



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「いのち」と経済。

コロナは本当に収束しただろうか?
理由はわからないが新規感染者が減少してきたということで、
これまで自粛していた飲食店の営業活動も再開、新しい生活様式の中で
経済活動が復活。どこまでどうなるか?は誰にもわからない・・・。
とにかくルールを守って、協力しあって、お店の活気を少しづつ取り戻せたら
と思う。経済といのち。この関係は、このコロナ禍で大変に考えさせられた
テーマであった。

今、私は違う局面で、経済と「いのち」について考えさせられている。
人の一生の最終章。
点滴などを利用することで、しばし、生命が維持される。
生きたいという人にとって、大変ありがたいことだ。
もう一日でも、がんばって生きてほしい。
口呼吸でがんばる父を見ていて、そう思う。
会話がおそらくもう成り立たないだろうが、がんばっているから。
と思う。
しかし、保険を使っての利用には限度がある。
それを越えると、自費での支払いとなる。
どこまでやるか、どこまでやれるか。
いのちと経済。この見極め、なかなかむつかしい。

今、自分では父のことについて、できることはしていこうと思っている。
一生懸命生きようと、口呼吸で、今もがんばっている父を応援したいと思う。
でも、どこまでもできるだろうか?
それはわからない。
最近思うのは、あまり先のことまで考えない。ということ。

目の前の現実を見て、判断する。
「明日と明後日は出張だから、元気でいてね。頼むよ」
ひたすら寝ている父に、声をかける。
明日明後日のこと。それしか今は考えない。
父も今しかない。今を頑張って生きているのだから。

同時にもしものことと、今のこと。
両方を頭に描きながら、今日のベストで前に進む。
それしかない。
「いのち」と経済。今の私にとって、もちろん「いのち」が最優先だ。
選べるのは贅沢なこと。

父も頑張っているから、私も!の朝がまた始まる。





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