空の上の晩酌タイム。

両親が健在だった頃、家族でよく利用していた和食レストランがある。
久しぶりに、妹と二人で店をたずねる。
たまたまかかってきた電話で訃報を突然知って、驚き悲しんでおられたため、
気になって、元気な顔を見せるためランチに行くことにした。

事情を把握しているママさんは、突然の来店にこれまたびっくりされ、
改めて、両親の元気だった頃のこと、本当にお世話になった、いろんな
お客さんを連れてきてくれた・・と涙ながらに哀悼と感謝の言葉を
かけてくださった。
そこへ、何も知らないスタッフのおばちゃんが、お茶を運んできて
「お父さん、元気?」
と笑顔で、いつもどおり尋ねてきた。
「いえ、私たちは元気なんですけど・・・」
と切り出すと絶句され、まさか・・・と驚かれ、気遣いの言葉をいただいた。

両親がいかにこの店を愛用していたか、いろんな話をしながら
妹とこの1か月を振り返り、食事をした。
いつも、両親と一緒に来て、どんなに夫婦喧嘩をしていてもここに
来ると元通りになって・・・と、そんなこともくっきりと思い出した。

母がいつも団体の会食を予約していたが、コロナでそんな団体客もばったり。
そんななか、この年末に向け、母の代わりに仲間の方が30名の会食を
予約してくれたとママが感謝。
「おかあちゃん、天国へ行っても、店のこと心配してくれているんだわ」
そんな会話から、母が世話好きであったことも思い出す。
「お父ちゃんに、生ビールでもと思ったけどサーバの調子がよくないわ。
日本酒なら持って行けるね。時々日本酒も飲んでたしね」
と言って、ママは、私たちが食事をしているテーブルに、父用のお酒を
用意しようとされた。
亡き父へのおもてなしだ。
そして、帰り際に瓶入りの日本酒と、それとは違うものが入ったビニル袋を
厨房からもってきて、私たちに手渡す。
「これ、お父ちゃんとお母ちゃんに。お父ちゃん、カレイの煮つけが好きやったから、二人分。お父ちゃんとお母ちゃんに、あげて」
なんと、父の好物だった魚の煮付けをつくってくれたのだ。
確かに、ここに来ると、いつも必ず注文していた。

煮付けの汁がこぼれないようにそっと持ち運びながら、家族でこの店に通い、
父と乾杯し、ささやかな家族コミュニケーションを楽しんでいた頃を思い出す。空の上から、父は晩酌をしながら、母がしゃべり続けるのと、そうかそうかと
喜んできいていることだろう。

馴染であったお店に、こんな風にもてなしていただけて、本当に父も母も喜んでいることだろう。
幸せな時間を送っていることだろう。とあれこれ想像する。

空の上で、カンパイ。ほんとうに、長い人生、お疲れ様でした。
カレイの味が、なんだかしみじみ・・・。

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窓から願う「いい日、旅立ち」

父がお世話になった施設に、最後の物の引き取りとご挨拶に向かう。
ベッドもテレビも、なくなった部屋に入る。これが最後の入室となる。
片付けの途中で、写真を撮らせていただいた1枚。
窓の向こうには、地元の神社。前方には天気によっては伊吹山も見える
ナイスロケーション。
この窓がある、角部屋だったから、選んだこの部屋、この施設。
地元だから、窓から馴染の風景が見える。

父は、何度もこの風景を楽しんだだろうか。楽しめただろうか。
いや、そんな気持ちにはならなかっただろうか。
私はいつも、この建物の前を通るとき、外からこの窓に向かって
ひとり手を振っていた。

火祭りで有名な神社。今年もコロナの影響で開催されなかったため、残念であったが、祭りが開催されれば、ここから壮大な花火の技が見えた特等席。
「年末も、花火もあがるんですよ」
と施設の方が教えてくれた。


父の最後の住処であったこの部屋。
「ほんとうにいい部屋ですね。私も住みたいですわ」
「じゃ、20年あとか30年後にどうぞ。」
冗談交じりに、父がお世話になった1年間、
そしてこの半年、2か月、1か月を振り返る。

父が最後まで、息をしていた、がんばっていた部屋。
今日で10月が終わる。

旅立った日も、こんないい日だった。
「いい日、旅立ち」を窓から、改めて願い、部屋を出る。

お世話になった施設の皆さま、
本当に、ほんとうにありがとうございました。




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課長の仕事って。

最近、企業の管理職の皆さんと個別に話をする機会が多い。
一つの会社に、複数の管理職の方々がそれぞれがんばっておられるが、
同じ役職名がついていても、人それぞれにその役割への意識や、
担い方が異なる。
それは、経歴や得意分野、仕事観、性格、これまでの人間関係・・・
さまざまな要因による。もちろん会社からの日頃からの情報伝達や
教育の違いによっても、その差はある。

社長とは、まさに会社の長であり、経営者。何があっても会社を存続
させなければならない最高責任者。
そのために日々奮闘されている。

そして、会社を存続、発展させるために、
経営者の思いを具体化するために、
知恵を出し、部下に伝え、行動を促し、理念を実現していく部門の
責任者が部長であり、課長。上司、部下とのコミュニケーションが
大変重要である。
この管理職の存在、役割こそが、
組織を健全に活性化させる重要なカギともいえる。

今回面談した、ある課長さんが
「課長とは、何だろう?何をする仕事なんだろう。ということをよく考えるんです。」と語ってくれた。
正直、ちょっと驚いた。
こんな話ができる人がいるんだ。ということに。その人は自分にまかされた役割を全うするために、本を読んだり、考えたり、勉強して自分がいいと思ったことを誰に言われなくても実践されているとのこと。
会社が何かを与えなくても、自分から自分が与えられた役割は何かを自ら
考え、それを実行しようと努力されている。
随分意識が高い方だと思った。理想の管理職だとも思った。
会社が考える機会をわざわざ与えなくても、みずから考え、勉強し、実行する。
自発的な行動が素晴らしいと思った次第。

会社はどの役割も重要で、どうでもいい人は一人もいないはず。
だから、今一度、なんとなく毎日を過ごしている場合でも、
社長とは、部長とは、課長とは、係長とは・・自らに課せられた役割の
意義を考え、あるべき姿に向かって進んでいただきたい。
部下をしっかり育てていきたい。自らも成長したい。
そんな思いの管理職の皆さんのがんばりを、応援し続けたい。

真ん中に立つ人こそ、コミュニケーションが大切、かつ大変だ。
頑張る人たちの見えない努力に敬意を表し、応援していきたい。

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ひとつ乗り越え、たおやかに。

コロナ前に歩いた、嵯峨の竹林のことを思い浮かべている。
寒い冬。日陰からしゅっと伸びた竹たちを見上げると、その先に空が見えた。
光を感じた。未来を感じた。

人生は、いくつもの節目を経て、成長していくものだと。
節目を越えると、まるでトンネルを越えたように、光がさすのだと。
そんなことを、その竹林と重ね合わせて考えている。

節の数が多いほど、その竹は強いのだと聞いたことがあるが、
人の一生もそうなのかもしれない。
喜怒哀楽、全ての感情を抱きながら、またそれらを糧にしながら
今日へ、明日へと進んでいく。
深い悲しみは、大きな節目となる。
それを乗り越えることで、人はしなやかに、たおやかになれるのだと
思う。

最近、とある方が、「どうぞ悲しみを乗り越えてくださいね」
という言葉を投げかけてくださった。
おそらく、その方にも同じ経験があっての、思いやりの言葉だと
受けとめた。

人はその寿命が尽きるときまで、生きていかねばならない。
乗り越えていく。それが自然だ。
うずくまっているだけでは前に進まない。
前を向いて、上を向いて、乗り越えていく。

今、あの竹林の中を歩いているときの緊張感と感動を思い出している。
私の人生は、どの竹だろう?
と、今度歩くときは、そんなことを思いながら、竹の成長と自分の今と未来を
重ねてみたい。

乗り越えて、強い竹になる。
それは、しなやかで、たおやかで。
そんな存在になるには、大きな節目が大切なのだ。


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惜しいバースデー。

本日10月28日。
父が生きていたら、85歳の誕生日であった。
もう2週間がんばってくれていたら、お祝いもできた。
でも、
この2週間が待てなかった、もたなかった。

なんとか夏を乗り切って、
なんとか誕生日までは、
なんとか年内は・・・。

とこちらは勝手に父の寿命を想像し、
少しでも長く生きられるように願っていたのは、
つい最近までのこと。

できれば、今日新たな1年のために、ろうそくの火を
点けて一緒にお祝いしたかったが、
いのちのろうそくの火が、2週間前に、ふっと消えた。

今年の10月28日からは、新しい記念日となる。
父は、10月に生まれ、そして旅立った。

ちょっと、惜しいバースデー。ちょっと、複雑であるが、
でも、微笑んでいる、ひろさの顔が、すぐ浮かぶから、
それでよし!としよう。

ハッピーバースデー ひろさ。
父の誕生と、その存在に感謝を込めて、祈る。

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聞ける人に支えられ。

たとえば、ひとりの人生が終わる。
このあと、何をどうすればいいか。
その時になってみないと、いざ、その現実に直面しないと、
わからないことが多い。
親を送るということは、これまで知らなかった世界に足を踏み入れること
でもあると、改めて思う。
そして、このことは、自分の人生で、そう何度もないことだ。

特別なこと。そして、それは、ある日、突然にやってくる。
悲しみの中、せねばならないことが多い。
悲しんでいるだけでは、何も進んでいかない。自分がやるしかない。
どちらかというと、感情は置き去りにして、まずすべきことをする。

母のときも、父のときも・・本当にいろんな方にお世話になっている。
生前からお世話になってきた皆さま。
そして、亡くなってから助けていただいている皆さま。
さまざまなお悔やみ、激励、応援のメッセージに加え、
困ったときに、知らないことを尋ねれば、すぐ教えてくれたり、
動いてくださったり・・・。
今、改めて思うのは、
聞ける人が周囲にいてくれることへの感謝。

その道の専門家がいろいろいてくださり、
助け舟を出してくれる。
聞ける人がいる。という安心を感じている。

おかげさまで、そんなこんなで、超スピーディーに物事が進んでいる。
することをしてから、ゆっくり感情と向き合うことになるのだろう。

毎日、いろんな方に無理を言って、助けていただいて・・。
わが人生は、本当に恵まれている。

私も聞かれる人になりたい と思う。

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そっと、見守る優しさを。

マスコミの役割について、考えさせられることが多い近年。
公器として、報道する立場としての思慮深さ、社会への影響を
よく考えて報じているだろうか?
興味本位や偏狭な解釈、あるいは操作的な意味合いを忍ばせて
発信してはいないだろうか?と疑問に思うことが多い。

もちろん反対に、共感できるメッセージを発信しているメディアや
コンテンツ提供者も存在はしているが、それはマイノリティで、
意識して、探そうと思わねば出会わないことも多い。

ネットで素人がつぶやきと称しながら、吠えているのとは違い、
プロであるならば、社会へのより良き影響、全方位的な幸せ、
平和を意識して発信すべきではと、広報の世界をしばらく垣間見てきた
立場としては、そう思えてならない。

コロナのことや、政治的なこと(この国のゆくえ)について、
この何年間かはそう思いながら、動静をみつめている。
そして、このたびの若きカップルの報道。
パパラッチ的な執拗な取り上げ・・・。事実は何であれ、報道されてしまえば、
それが事実として、認識されてしまう。
反論することもできない環境に生まれてきた方々にとっては、
一方的な報道は暴力であり、人権侵害である。お気の毒である。

今日は、静かにそっと見守り、新たな出発をお祝いしてあげればいい。
そっとしておく。ときには、そんなメディアがあっていい。
報じる側も、ときには配慮、遠慮、思慮を尽くして、
人として、の仕事をしていただきたい。

いろんな生き方があっていい。
人は人。
人のことを気にするよりも、自分のことをしっかり生きるように
そんなメッセージならば、歓迎だ。

報道関係の方へは、プロの仕事、後世に残る仕事、人々が感動できる
メッセージをぜひ・・・。そんな風に想う。

若きお二人の勇気ある選択。気持ちよく出発できるように。
ハッピーエンドになるように。

報道、発信という仕事も、持続可能な仕事になるように
心から願う。
そのためには、自らの考え、思い、哲学が必要だと思う。
そして、
愛と優しさも・・・。


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並んで、こっちを向いて。

母のときと同様、父の四十九日まで、何度かお寺に伺う。
亡くなってから納骨までの法要に関することを一通り体験したことが記憶に新しく、今度は何かとスムーズというか、段取りがいいといいうか・・である。
人間、不思議なものだ。経験すると慣れが生じる。今回はそのことで、
精神的に負担が少ない一面もある。

初七日後、初めてお寺に伺う。
実家は誰も住んでいないため、お骨はお寺にしばらく預かっていただいている。
これも母のときと同じ。

お寺の本堂に入ると、お参りの用意がされていた。
父の遺影と遺骨と本名が書かれた位牌。そして、父の写真の横に母の遺影も・・・。
お寺に預けてあったため、せっかくなので、と一緒に出してもらった。

夫婦並んで、私と妹の方を見ている。
この位置関係は、これまでなかった。
生きているときは、皆同じ方向を向いていたという感じ。
今は、父と母は、二人並んで、私たちと向き合っている。という構図。

ちょっと不思議な感覚を抱きながら、
でも、二人一緒ということでの安心感はある。
父は、一歩先に出発した母にもう追いついたのかな・・とも。

お経の声を聴きながら、そんなことをずっと考えていた。

二人並んで。なんともいえない。寂しくも安堵。悲しくも幸せ。



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終わりよければ、次へ。

どんなことにも、始まりと終わりがある。
1日にも、ひとつの仕事にも、人生にも・・・。
そのプロセスはいろんな迷いもあり、途中で投げ出したいこともあったり、
まあ、一筋縄にいかないことも多い。
でも、やってみたら、なんとか着地する。
人は一生の間に、何回、始まりと終わりを繰り返すのだろう。
まさに、人生は観覧車だ。

今回、ひとつの企画がひと区切り。
まあ、こちらもプロセスはいろいろあったが、
それでも最後は、なんとかうまく着地。
終わりよければ・・・という結びにできたかなという印象。

さて、終わりよければすべて良し。
とは思わないこともあるが、
終わりが良ければ、次に向かうパワーもみなぎってくる。
心おきなく、次に進める、飛べるということだ。

だから、元気な限り 前向きでいる限り、
終わりよければ、次へ行こう。

どうぞ生きるならば、
ひとつひとつ終わりを見届けて、
次の始まりに向かうとしよう。

さあ、今日も新たなはじまりへ。

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家の前に新たな街が!

名古屋に引っ越してきたのが4年前になる。
いつか親のことが大変になるから、近くに・・という思惑は
結果的にそのとおりになってしまった・・・。

引っ越すときに「3年ぐらいしたら、前にショッピングモールができますから」
と不動産屋さんに言われて、ほんとかな?と思っていた。
コロナもあって、オリンピックの延期、リニアの工事は?などなど、
予想外の出来事が続き、こんな大変なときにSCなんてできないだろう。と
思っていたが、仮囲いの中の工事は着々と進んでいた。

そして、グランドオープンの前に営業の慣らし運転をする「ソフトオープン」
のチラシがポストに入る。
オープン後は混雑するに決まっているから、事前にリサーチに行こう!

と、出かけた。徒歩20秒。通りを1本またぐだけで、本当にSCがある。
できてしまったのだ。
建物に足を一歩踏み入れると、別世界。
一瞬、「ここは、どこ?」と不思議な感覚に陥る。ずっと昔、NYの郊外のSCに初めていったときの興奮を思い出した。

真新しい建物に、ぴかぴかのお店たち。業界の人もちらほらいるのが、いかにも
ソフトオープン中という感じではあるが、
チラシの効果か口コミか、もうずっと前から営業をしているように、地元の人でにぎわっている。楽しそうに皆さん見物しながら、利用している。
コロナも落ち着いてきたところで、人々は新しいもの、お出かけスポット、外食先を求めていたのか、とにかく盛況で、これがグランドオープンとなったらどうなるのだろうと不安になるぐらい。

これまで都心に住んで、車なし世界で生活してきたため、正直、SCは自分にとって身近な存在ではなかった。
改めてこの中にあるメインのスーパーマーケットは、これからリサーチに最適。豊富な品ぞろえ。こんな安くていいものを、SC利用者は購入していたのか。
PBの充実も含め、とにかく圧倒される品数、店づくり・・・いろんな意味で
私にとっては新たな仕事場ができた感じ。この面でうれしい。
また飲食店も、名古屋らしいお店も多く、回転寿司ならず、回転焼肉という業態には驚いた。などなど・・コロナが再び広がらないうちに、とこぞってお客さんが集中するのではと思うほどに、新しい店舗が立ち並ぶ。

家の前に突如現れた、新しい街。
1週間後がグランドオープン。
間違いなく、人の流れが瞬時に、大きく変わる。
家の前の道は、渋滞する。これは憂鬱。関係ないけれど、静けさがなくなることはうれしくない。
それよりも、
近所の商店街が心配になる。地道にがんばってきた、コロナでも営業を続けてきた地域のお店が、おそらくこのSCに飲み込まれていくことは間違いない。

突然できる新しい街と、歴史を重ねてきた古い街。
共存していけるのか、
渋滞とこの商店街のことが気になり、
次の引っ越し先もいつか考えることになるのか、いやはや・・・。

とにかく、家の前に、新しい街ができた。
ちょっとした衝撃だ。
今年は、悲喜こもごも、いろんなことが続く。

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