ショコラはエナジー!永遠のパリ土産物語。

今日で、月めくりカレンダーの最終ページとなる。
カレンダーをめくる瞬間に、背筋が伸びる思い。
ああ、もう12月か~。
過去には、この12月が始まると、誕生月という理由も絡めて
ニューヨークやパリにバタバタと出かけた。
浮世を離れ、理想の世界に身をおいてさまざまな
発想をし、新たな1年を過ごすエナジーチャージをした。
そんな若い日々が、今は懐かしい。
ホテルから出かける朝7時でも、まだ夜明け前。そして寒い。
白い息が冬のパリの朝・・そこにあたたかいカフェオーレ。

浮かれ気分があったのか、一人旅の若い東洋女は狙いやすかったのか、
の地下鉄の改札で、スリに遭ったことを思い出す。
花の都は、犯罪の町でもあることを知ったあの瞬間。

世の中には、親切な人がいるもんだ。
地下鉄車内でバッグから財布を取られたことに気づき、
困っている私に声をかけてくれるマダムがいた。
そして、途中の駅、新凱旋門駅で一緒に下車。
警察に一緒に行ってくれて、そのあと、盗まれた航空券の再手配など
のやり方を教えてくれて・・・。そのあと、そのマダムは
元気をなくした私をマクドナルドに連れていき、
珈琲とチョコレート菓子をごちそうしてくれた。

どんなチョコレート商品であったかは定かではないが、
ショコラが好きなパリの人々には当時から必需メニュー
だったかもしれない。
見知らぬ東洋人の小娘を助けてくれたマダムは、ほんとうに
どこまでも人がいい。

「ここから見えるあのビルに、航空会社があるから
そこでチケット再発行してもらったらいいわよ。」
挨拶以外フランス語を知らない私が、彼女と英語で会話したのか
それも怪しいが、とにかくそのときは、よく理解できた。
人は生存がかかると、何か普段使わない力が湧いてくるのかも
しれない。

そして、
「ショコラはエナジーよ!」
と言って、元気を出して!と励ましてくれた。
その後、シャンゼリゼ通りで別れた。

と、今、今年最後の1枚をめくり、大好きなパリの絵柄が
変わったとたん、その彼女のことを思い出した。
あ、ルコントさん、お元気だろうか?
メールもない時代。別れ際にいただいた名刺。
帰国する前に、空港から名刺に記載の番号に電話をして、
「Merci!」
と言った記憶も蘇る。

これは、もう30年ほど前のことだ。
いい思い出。
素敵なパリの思い出。

今年もパリとの再会は、叶わなったが、私の中には
あったかい思い出がいっぱいだ。
12月初めに思い出した、ギフトストーリー。

ショコラはエナジーよ!

さあ、今年も最終ラウンドだ。
エナジーたっぷりで、快速・快適な時間を!



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元気をテイクアウト!はいかが?

11月29日。岐阜新聞でのミニコンサート、年内の担当分を無事終了。
コロナが落ち着いてくれて、予定どおり開催でき、良かった。
コロナ前と違うのは、ステージと客席の間の仕切りアクリルシートの存在。
嫌だけれど、仕方ない。演奏できる機会があるだけ、まだありがたい。
今回のコンサート、実は父も参加。またまたお寺からお骨をお借りして、
特等席に置いて、演奏開始。
そんなことは誰もご存じないけれど、常連さんからは、「お父さんもお母さんも見ておられるよ。喜んでみえるよ」と口々に言われた。
「そこに来てますけど」ステージ前には話せなかったので、終わってから懇意にしているお客さんにこっそり告げると、「やっぱそうか。そうかなと思った」
と誰も驚かず、好意的でありがたい。

そんな両親のことを思ってつくった曲も披露。
なんだか、落ち着いてしっかり演奏できた気がする。見守られているせいかもしれない。そして、拍手もいっぱいいただいた気がする。二人の分も入っていたのだろう。
父とのお出かけは、おそらくこれで終わりかも。
でも、実行できてよかった。コンサートに行きたかった父の気持ちに応えられたかと思う。

これからも、この活動は続ける。
今回も満席で開催でき、新しいお客様も増えてきたことがうれしい。
「ずっと何回も来ています。最初来たときから、ファンになりました!」
と最高のお言葉をいただき、うれしさがこみあげる。
常連さんからも、ほっこりゆったり癒されました。歌もピアノも最高だった、元気をもらったと、さまざまに感想をいただき、両親も喜んでいるだろうと確信した。
「よかった、よかった」父にしてあげたかったことを、ひとつクリアできたことも大きな安堵。そして、お客様の大きな拍手が私の新たな活力になったことも間違いない。
2022年は、もっともっと、こちらの活動も推進していく。
「元気をテイクアウトいただけるように・・・」そんな演奏活動を続けていきたい。両親の願いとともに・・・。
当日の配布資料の一部をここに・・・。

コロナ感染が再拡大せず、世の中の生の演奏活動が、続けられるように・・・。


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「お父さん、一緒に来たよ!」

「ちょっと、また変なこと思いついたんやけど」
と、妹に言う。彼女は、時々私がそういうことを言うので、とくに驚かず
「何?」と聞いてくれ、
「いいねえ~」と合意を得て、実行することにする。

四十九日の法要後、お寺に預けてある父のお骨を、しばし外出させて
いただくことに。
「じゃ、まずは、あそこへ」
ということで、二年前、父が倒れる前日まで毎日通っていた、近所の喫茶店に
向かう。生前、なんとかもう一度、連れてきてあげたいと、介護タクシーの
予約まで考えていたが、実現せず。亡くなった夜、葬儀場へ向かう車にお願いをして、この店の前を通り、父の亡骸に「お父さん、ほら、来たよ」と声をかけ、その後、実家の前を通って・・会場へ向かったのが、昨日のよう。

そして、ふと、浮かんだのが、このお出かけだ。
お骨は世間様を驚かさないように、エコバッグに入れ、さりげなく移動。
「こんにちは~。ご無沙汰しています~」
妹と二人へ店内に。
コロナの影響が続いてか、その時間はちょうど、お客さんがいなかった。
「あのー、お父さん連れてきました~。一緒に来ました~。」
父のことを本当によくしてくださったマスター以下、お店の皆さんが
瞬間???となったが、
「ここに」
と言うと、皆さん、
「ああ、来てくれたんや~」
といって、エコバッグの中の父に、皆さん声をかけ、歓迎してくれた。
そして、以前と変わらず、コーヒーを飲みながら、しばしの時間をともに
した。
店の雰囲気もスタッフも変わらないが、変わったのは賑やかさと話題。
両親が生きていたころは、その話声で賑やかだった。その後、二人が
通えなくなり、代わりに時々私たちが訪ねるときの話題は、介護の大変さ・・・。
それが、今は、すべて思い出話になった。

そろそろ、次の目的地にということで、おいとますることに。
「納骨したら、またお墓にいますので、宜しくお願いします」
と言うと、みなさん、エコバッグの中の父を抱きしめたり、
「ヒロさん、小さくなってしまって~」と、別れを惜しんでくれた。

妹と、二人で、なんだかいいことをした気持ちになり、次はお墓へ。
母に父のお骨を見せながら、
「もうすぐ、そっちに入るので、もう少し待ってて~」
これもかなり変な会話であるが、妹と私はそういう感じで一緒に
親孝行もどき。

もっとこうしてあげたら良かったのでは・・と言い出したらキリがない。
今できることを。

「お父さんと一緒に・・」もう少し、このまま・・という気がしている。

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ポジティブ スリーピング!

「今日は、寝るぞ!」
本当に久しぶりに、これが睡眠。と思えるほど、しっかり休ませてもらった。
ここしばらく、ずっとショートスリーパーのライフスタイルが続いていたが、
本当に久しぶりに8時間ほど眠った。寝る子は育つというが、成人にとっては
長い睡眠時間かもしれない。
数年前に亡くなった、台湾人の親友は、「わたしは寝ないとダメなの」と
毎日7~8時間寝ていたようであるが、一日の三分の一も寝るなんて信じられないと思いつつも、アーチストであった彼女の豊かな創造生活の源泉は、睡眠優先暮らしにあったのかもしれないとも思っている。

私の睡眠といえば、もともと短くても平気ではあった。そして、さらに
ここ2年は、常に親の様態が気になりつつ、寝てはいるけれど、という状態。
そして1日24時間の帳尻を合わせるのが、睡眠時間になるため、少ない睡眠で
いかに元気をキープするか・・の日々であった。
たまに夢を見ると、寝すぎ!警告のアラームが体内に響き、さっと
目が覚めるのであるが、本日もそうだった。

普段は頭は休んでいない状況が続いており、連続した日々が流れていくのであるがが、今回は本当に眠ることによって、ちょっといつもと違う、新たな朝を迎えた感じ。パワーがみなぎり、いつものラジオ体操にも力が入る!

さて、今日もめまぐるしく1日が始まる。
睡眠をとることで、どこかすっきりしている。やる気が自然にみなぎってくる。
もろもろ抱えている、さまざまな課題が、いったん、浄化されたような感じも
する。
やっぱり、寝るっていいね。と、その親友に語りかける。

日に一度、カラダをOFFにしてあげることで、睡眠により、新たな命が生まれる。そう、よく眠った朝は、プチプチを音を立てて、新たな細胞が生まれている感じ。

ときにポジティブスリーピングは良い。
眠れない夜はないが、たまには、よし!寝るぞ!の日をもうけよう。

次は元旦かな?
それまで、ポジティングムービングでいくとしよう!





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もうすぐ会えるね!

正確には、少し早いのだけれど、四十九日の法要をしていただいた。
都合が合わないから・・・みんなが忙しい現代社会では、そのあたりは柔軟に。
墓石にも、父の名前が刻まれた。すでにそこには、父の両親と、母が待っている。すでに刻まれた文字をよく見ると、父の両親も一人亡くなってから、1年ほどの間にもう一人が亡くなっているようだ。どちらかだけが長生き、という家系ではないのかもしれない。

正直、お骨に人格があるとか、そこに魂があるのかと問われたら、わからない。
でも、多分、会ったことのない父の両親に、母(のお骨)は墓の中で、一足先に対面し、ちょっと居心地が悪いのかもしれない。
だから、「はよ、きて~」と父を、母は呼んだのかもしれない。
と、そんな勝手な想像をしながら、見えない存在のつながりを感じる。

法要後、お寺から、お墓に出向く。
「もうすぐ、お父さん一緒に入るんで、待っててね」
「もうすぐ会えるよ~。」

とても不思議だけれど、とてもほっとした気持ち。もうすぐで大仕事をひとつ
終えられる。父が倒れてからの2年を思い起こしながら、妹と一緒に
よく駆け抜けた。ゴールとはこういうことか。と少し気が抜けつつも、
安堵しながら、墓を後にする。
「もうすぐ、会えるよ~」

いや、お骨はなくとも、すでに会って、いつものとおり口喧嘩を始めている
のかもしれない。
「遅いなあ~。」っと。


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人づくりは、サスティナブルコミュニケーションで。

組織を支えるのは、人である。そこで働くひとり一人である。
目標に向かって、一緒に進み、ともに成長する。
人が成長することで、結果、強い組織ができる。
そこで決めてになるのは、「育てる人」。

トップ(経営)と、現場の間に立って、進むべき方向に向かって
部下たちとコミュニケーションを図り、認めながら、
改善を促しながら、背中を押し続ける、地道な仕事。
そして、自らも人が育つことに喜びとやりがいを感じ、
この仕事やって良かったな~と、なれば最高。

この人づくりは、どうぞ自由に!ということでは実現しない。
育成者が現場で働く人たちに常に関わりをもち、一定の距離、
時間をもって、見守り、励まし、ときにアドバイスして・・の持続性が
ポイントになる。

そして、その育成者の活動を俯瞰して見守りながら、
それぞれの状況を共有しながら、育成者へもエールを送り続ける。
育成者が責任感を持って取り組み続けるには、経営側の
役割も重要だ。
育成者は経営者に成り代わって、現場に対面する
重要なキーパーソン。
それぞれの部署で関わる人同士が、それぞれの役割を発揮し、
関わり続けること。
それがあってこそ、はじめて人づくりができる。
地道ではあるが、大変重要な取り組みである。

まさに、サスティナブルなコミュニケーションを
続けることがうまくいくコツかもしれない。

最近、人づくりとは、この持続可能なコミュニケーションを重ね、
働きがいをともにみつける活動と思い始めている。
「みんなで良くなる。」
組織のいいところは、そこだ。
今、人づくり応援団をするなかで、こんなことを思い描きながら
組織内の観覧車が元気に回り続けるように、と願っている。

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荷物を運ぶ旅。

人生は旅である。
その旅には、それぞれいろんな荷物を持ったり、背負ったり・・。
ひとつ荷物をおろした、と思ったら次の荷物を手にすることも。

手ぶらで好きなところへ旅をする、好きなように生きる・・という
ことはなかなかむつかしく、
ほとんどの人が何かしらの荷物を持ちながら、背負いながら
日々生きている。
その荷物は、ある日突然、背負うことになったものもあれば
生まれてからずっと持ち続けているものもあれば、
そして背負う荷物の大きさ、重さ、また持ち歩く時間もさまざまである。
自分で選んで持ち始めた荷物もあれば、意図と関係なく、
持つことになっていた・・ということもあるかもしれない。
ときには肩も凝って、ときにはストレスも抱えることもある。

ある時期が来たら、ある場所で、その荷物を降ろし
身が軽くなった。と思ったら、
しばらくして、新たな荷物を受け取ることもある。
とにかく、人生は、ずっと何かしらを運び続ける旅。

運命と、宿命。
どこかで荷物を背負い、おろす。
ずっと背負いっぱなし。
どちらもありえる。

自分の人生は?
「運命は変えられる」と自らの経験をもとに、そう言ってくれた
心友を思い出す。
背負った荷物を早く降ろそう、と努力すればできる。
荷物を運ぶ。運を運ぶ。

宿命は変えられないが、運命は変えられる。

人生は、荷物を背負う旅。
重いなあ。つらいなあ。
そんな日もあるかもしれないが、
背負い方を考えたり、持ち方を考えたら、
軽く感じ、早く運べることもある。
そして、何より
運ぶ旅で、体力もついてくる。

と、この旅を苦行と考えるよりも、ゴールに向かって
進む楽しい道と心得て、
今日通る道を、楽しみたい。

そして 重い荷物を背負った人には
応援の声をかけ、ときにはお手伝いも。
お互い様の旅だから・・・。

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続ける約束。

隔月で続けてきたミニコンサートの本番が、またやってくる。
コロナも落ち着いて、再開できることは、ありがたいこと。
ふるさとで、音楽での恩返しを・・と思って始めて
もう4年。
最初は東京から通い、途中から名古屋から通い・・・。

私のコンサートを誰よりも何よりも楽しみにしていた両親。
なんといっても、ふるさとでの開催だ。
最初は夫婦で来ていた。
そして、父が倒れて、母がひとりで・・・・。

そのときの写真を見てみると、客席に、両親が座っていた
ものもあり、もうこういう日はかえってこないのかと
実感がないまま、ためいきが出る。

でも、このコンサートはこれからもやめないで続ける。

ここでやめたら、寂しがるだろう。
毎回、一番奥の席に座って、聴いてくれていた。
そのことは、これからも変わらないと思うことにする。

これは、続けるからね。
これは、約束。
小さな約束だけれども、大切な約束。
まずは、果たす。

本番まで数日。練習時間をどうやって確保するかな。
まずは今朝のイメージトレーニングから。
歩きながらできることを実行する。



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私の朝のために・・・への感謝。

早朝のスタートはもう慣れた。夜型の暮らしは20代で卒業。
思えば30歳になった東京時代から早起きになり、
その頃暗いうちに届く新聞が楽しみで配達してもらえることに感謝し、
朝を迎えていた。
夜型だった頃こそ、目覚ましが枕元にあったかもしれないが、
この何十年か、その時計にお世話になったこともない。

環境の変化とともに、年齢とともにライフスタイルも、変わるものだと
しみじみ若き日を振り返る。その積み重ねから、今の自分の生き方様式が
生まれてきた。

毎朝、世間の始まりの時間には、一区切りできるところまで
先に進めておくことで、1日が余裕をもって過ごせるようになる。
周囲と同じときに、同じことをやっているようでは、多くのことをこなせない。
と、こんな考え方もすっかり自分の中に浸透している。

とにかく、朝時間は宝ものだ。
1日24時間しかないならば、どこからどうやりくりするのが、一番有効かを
考えると、ポイントは朝時間だ。朝は活力がある。いい発想も生まれやすい。

そんな朝にするために、目覚めたら、自分をすばやくスィッチオンにする。
その秘訣はいろいろある。
珈琲も紅茶もいただくが、いずれも淹れたての香りは目覚めに最高だ。
その湯気を楽しむときには、そのコーヒーをブレンドしてくれたマイスターの顔、紅茶を送ってくれた専門店の馴染のスタッフの顔が浮かんでくる。
それぞれ、思いをもって、こだわりのブレンドを提案してくれる。
私の朝のために・・・。と、そう思うと、朝が宝物に思えてくる。
一番のお気に入りの珈琲は、やはり Cafe La Grande Roue.

そう、わがグランルーのオリジナルブレンド。世界でひとつの、そして
最高の珈琲だ。
そして紅茶はフランスブランドの、アールグレーとのブレンド紅茶。
とくに Paris Earlgrayは、お気に入りだ。
パリのマドレーヌ寺院界隈を思い出す、なんともいえない旅情が広がり、イマジネーションが膨らむ。

と、気ぜわしいはずの朝が、とても豊かな時間に変身する。
その一杯を入れながら、いただきながら、あれこれと今日の作戦を立てる。
私だけの朝。そんな私のために、いろんな方が思いを寄せてくださっている。

ところで、今日は、勤労感謝の日だそうだ。
働く世の皆様に感謝を込めて、そしてはたらく自分にもねぎらいを。

最高の一日は、朝で決まり!今日もいい感じだ!

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人生最後まで、安全運転を。

ここ何年か、高齢者の痛ましい交通事故のニュースに触れることが多い。
そのたびに、数年前の父とのやりとりを思い出す。
80歳になる前であった、車大好き、家族やご近所さんにとっても
便利なアッシー君であった父は、長年のドライバー歴、運転を誇りに思っていた。通勤をはじめ、車を使わない日はなかった。ドライブも大好きであった。
私も、幼い日々、若い日々、どれだけ父の送迎に助けられたことだろう。

しかし、高齢になるにつれ、その自慢の運転があぶないと感じるようになり、
警戒しはじめ、それとなく注意をし、いつかやめてもらわなければと思って
いた。でも、免許返納のことは、怖くて口に出せなかった。

そうこうしているうちに、対物の事故を起こし、私が父にと購入した車の前方が
凹んで、かなりダメージを受けた。修理会社の方から、父の事故についての連絡を受け、ビックリ。出張先からそこへ飛んで行ったことを思い出す。
父は事故を起こしたことについて、言い訳をしようとしていたが、
「相手が車で済んでよかった、人が相手やったら、人生おしまいだよ。
お願いだから、これで運転おしまいにして」

本当に苦しかったが、父にそうお願いし、事故を起こし、運転に自信をなくした
この瞬間、その勢いで、そのまま免許返納の手続きをした。

そのとき、父は
「おれの人生、これで終わりや」
と言ったことは、事故のニュースを見るたびに、鮮明に思い出される。
そして、車に乗らなくなった父の、その後の生活はかわいそうなものだった。
生活範囲は自転車で動ける範囲になり、だんだん歩くことも面倒になり・・。
でも、事故を起こす心配がなくなり、家族としては安心。でも複雑・・。

運転をしている人は、いつかは免許返納をしなければならない。
そのときのことを、イメージしながら、先を見ながら、計画的に運転を
続けていただければと思う。

そして、車社会で生きる地方の方々には、できる限り、歩く習慣を。
たとえ車がなくても、生活することを想像しながらの準備を。
いつまでも若い、いつまでも自分は大丈夫 という気持ちもわかるが、
せっかく頑張って長生きしたのに、事故を起こして人生が帳消しになって
しまっては、本当に本当に、もったいない。
交通事故のニュースに触れるたびに、高齢者ドライバーのことと、その
ご家族のことが浮かび、心が締め付けられるような思いになる。

写真を整理しながら、父の車を廃車に出す直前、父と車と一緒に映った
1枚が出てきた。
父は少し戸惑いの、寂しげな顔をしていた。
父の自由を奪った瞬間。今も心が痛む。
思い出せば、いろんなカタチで、言いづらいことをしてきた。
すべて父の人生、家族の明日を守るためではあったが、高齢になること、
高齢のまま生きていくことは、本当に難しいと思う。

社会から交通事故が、とくに高齢者の事故が1件でも減ることを
心から祈っている。

さあ、心新たに月曜のスタート!何事にも安全運転を!

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