幸せの20分コミュニケーションリレー

今度は全員一緒ではなく、一対一でコミュニケーションをとろう。
障がいをもつ皆さんと何度かの集団研修を終え、個人面談を計画した。
十名以上いるけれど、出来れば1日でやりたい。
ということで、まずは、1名20分づつの12名様対応。
20分で何が話せる?とも思われるかもしれないが、
目的が明確であれば。20分でもちゃんと話せるものだ。

次の人が部屋の前で待って、交代するときに
タッチを行い、まさに、選手交代。
「お待たせしました~。こちらへどうぞ~」
わずか20分の面談でも、しっかり話しができ、いいキャッチボールができる。
それぞれ、これまで見えなかった、普段と違う一面も見えてきたし、
集中して真剣に向き合うことで、その人自身がよく見えてきた。
これまでコミュニケーションを重ねたことで、成長されている人も
いて、その確認もでき、本当にうれしい時間となった。
言葉が達者でなくても、目を見てゆっくり繰り返したり、伝わるまで言い方を
変えてみる。こっちが真剣であると、相手も真剣になってくれる。
離れない磁石のようになっているのが不思議だ。
わずか20分でもメモをとり、人の話を聞き洩らさないように集中してくれたり。
態度を褒めていると、嬉しそうに笑ってくれる人も。
すっかり仲間意識が高まる、とてもいい信頼づくりの機会となった。
20分×12名。
障害があろうが、なかろうがみんなそれぞれ一生懸命生きているかが
大切であることも学んだ。

愛おしい仲間たち。いい年をお迎えください。
今年いただいた素敵なプレゼント。それは、彼ら彼女たちと出会いである。

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ちょっとほろにがのクリスマスキャロル。

これは、まさに2年前のクリスマス前のドイツのボン。クリスマスマーケットの様子。今年のマイカレンダー12月用に選んだ1枚だ。
移動遊園地が設置され、人々はホットワインでカラダをあたため、笑顔で語らっていた。懐かしく思い出すと、胸が震える。ああ、あの頃は良かった。
今年もコロナの影響で、盛大な開催は難しくなっているだろう。

日本では、クリスマスで町が賑わい、盛り上がっている。
駅前にある、クリスマスツリーには多くの人が集まり、記念撮影を楽しそうに
行う人、人。
テレビではクリスマスケーキ、チキンのコマーシャル。
何があっても、クリスマス!は幸せな1年の結びのイベントなのだ。
そして、数々のクリスマスキャロルが流れ、その盛り上がりに花を添えている。

昨年までであれば、このクリスマスソングたちは、聴けばそのまま鼻歌になった
のであるが、今年はなぜか、そうならない。
この音楽を聴くと、ちょっとほろ苦い感じなのだ。
なぜか、いつものように、わくわく!とはならない。
いろんなこの1年の体験がつながっているのかもしれない。
むしろ、手をあわせたくなる心境になってしまう。

小学生の頃に子供会でもらった小さなバタークリームのクリスマスケーキ。
サンタのブーツに入っていたお菓子の詰め合わせ。
そんな子供の頃のクリスマスを思い出すのだ。
懐かしく、ほろにがい。
この苦さは、なんともいえない。
ちょっと静かに過ごしたいクリスマスかもしれない。

世界が無事に安全にいい1年を締めくくることができるように。
少し厳かな気持ちで、年末に向かうことにしたい。

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落ち積もる枯葉に学ぶ。

冬は枯葉が積もる季節。履いても履いても落ちてくる。
なんだか、高齢化社会みたいだな・・と思いながら、
箒でいろんな色の枯葉を集める今日この頃。

さて、そんな枯葉を見ながら、思うこと。
いつか、自分も枯葉のようになっていくのかな。
まだまだそんな日は来ないと思いつつ・・・。

意欲が萎えると、枯葉のごとく、命も枯れる。
自分にはそんな日はないと思いたいが、
きっとそんな日が来る。

自分は、いつまで、意欲をもって生きられるか?
できる限り、いのちある限り、そうでありたい。
両親の最期を見守り、改めてそう思う。

できれば意欲があるまま、生を終えたい。
だから、
出来る限り意欲が枯れないように、
生きる限り、毎日いろんな刺激を注入し、
人々とのキャッチボールを続けながら、
常に小さな夢を希望をもって、それに向かって進みたい。
そして、
できれば、誰かの役に立ち続けたい。
世間が、自分を必要としてくれる日を、一日も長く
生きていきたい。
何をもって? ここは毎日考え続けているところ。

自分は誰かの役に立っている、
誰かが自分を求めてくれている
という状態が続けば、生きる意欲は枯れない。

もういいかな。もう年だし。と思ったとたん、
自分が枯れていく。
もういいかな。と社会生活から後ずさりしたとたん、
生きる力を失いそうだ。

今は生きる限り、発信者でありたいと思う。
TAKEする人ではなく、GIVEする人でありたい。

いつまでも、ああなりたい、こうなりたい。と
妄想も含め、生きる希望をもって、意欲をもって
生き続けたい。

枯葉になるのは、最後の最後の瞬間でいい。
もちろん、桜が散るごとく生を終える・・・が一番いいけれど。



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生は瞬間、死は永遠か。

今年は、わが人生のなかで、もっともお墓通いをした1年だといえる。
昨年までは、ほとんどといっていいほどに、疎遠であった。
身近な人の旅立ちがあって、自らの行動がいやおうなしに変わる。
不思議なことだと思う。

墓の前で、お参りするというよりも、父に母に話しかけている
ときの方が多い。
「仲良くやっとる?喧嘩しとる?いいね。あんたらは・・」
と、まあ普通に話しかけ、
「ま、もう行くわ。また来るね。元気で」
もう見えない相手に、「元気で」と言うのもおかしな話。
実家では、写真に向かって、そんな風に話しかけている。
「あんたたちは、幸せやね~。」
「やれることはやるので、それでいいよね。」

今はそうする。自分が行ける間は、そうするだろう。
でも、いつか自分もいなくなる。
そのとき、墓や実家をどうするかの答えは、すでに頭の中にある。

ふと、見えなくなった両親の存在について考える。
すると、いろんな思いが広がってくる。
死んでも生き続ける。
誰かの記憶にある限り、その人の生きた証は消えない。と思う。
日本史、世界史、人類史を見る限り、そこに登場する人はすべて
もう生きていない。すでにいない、
ではあるが、知ることでその存在が蘇る。
生きた時間は限られた短い時間であったとしても、ずっと語り継がれたり、
学びの対象として、存在し続ける。
亡くなっても、後世の人々にその人生が確認され、生き返る。

生きる時間は短いが、その間に何を残すか?により。、
その存在は死から永遠のものとなる。
今、墓に行くのは、父母に会いに行くため。
亡くなっても自分のなかではすでに永遠。
こちらが忘れない限り、永遠に自分のそばにいてくれると信じている。

生きている時間を大切に生きることで、
作品やメッセージや子供などを残すことで、
それを通じて、
亡くなっても、永遠の存在になることができるのだろう。

生は瞬間。死は永遠。
これまで考えたことがなかった世界が見え始めている。

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楽聖誕生への感謝の朝。

今朝、テレビのチャンネルをBSに切り替えたところウィーンの街並みが映り、偶然、あの方の銅像の写真が飛び込んできた。
「あれ?そういえば・・」
そうだその銅像は、ベートーベン。
あれ、そういえばと思ったのは、確か昨日か、今日が誕生日では?
早速調べるとやはり12月16日。時差を考えたら(ドイツとの時差は8時間)
まさに今は12月16日。ベートーベンの誕生日に間に合った。ということになる。

ベートーベンが「忘れるんじゃないよ」と私の前に、現れたのだろう。
1770年12月16日にドイツのボンにて生誕。上の写真がまさに、ベートーベンが生まれた屋根裏部屋だ。(もっとも当時のままではないが)
コロナ禍で昨年の250年祭が影響を受けたことも記憶に新しい。
そして、下の写真は、その屋根裏でベートーベンを生んでくれた母親 マリアさんの墓地。こちら、生家から徒歩20分ぐらいの場所にある。

毎年、年末になると第九の演奏をよく聴いた。また小学・中学時代は大人に混じって合唱にも参加した。あまりに壮大で、歌いながら涙があふれ、演奏が終わると満足感と、生きる喜びに満たされる命のシンフォニー。
ベートーベンの耳が悪化しているなか、作曲された驚きの作品だ。
なぜ、聴こえないのにあんな素晴らしい曲が書けたのだろう。
歌やピアノだけの曲ならば、まだしも、オーケストラと合唱が調和する壮大な
スケールの交響曲である。不思議で仕方ない。

かつて、元京大総長をつとめられた平澤興さんが、若き失意の日々、救われたのはベートーベンの夢だったという。
自分には能力がない、と落ち込んでいるところ、枕元にベートーベンが現れたという。
彼は耳が聞こえなくてもあんなに立派な曲を残している。それにひきかえ、自分は五体満足ではないか。もっとやらねばならない!と決意し、そこから猛勉強し、自身の道を切り開いたという話は有名だ。

そう、今でこそ、パラリンピックや障がい者との共生などと言っているが、
200年以上前に、不自由があっても、限界まで努力し、後世に素晴らしい作品を残した偉大な人がいるということを、忘れずにいたい。

ベートーベンの存在。
私にとっては、初恋の人と言うほどに、本当に大切な存在だ。
小学校の頃、図書館から何度も何度も伝記を借りて、若き日のベートーベンの肖像画に胸をこがした日々を思い出す。

ベートーベンに感謝、そして偉大なる存在を世に送ってくれたマリアさんに感謝。
さあ、今日という大切な1日。自分も全力で、自分ができることを全うしよう!

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発想から数年。一歩一歩、育つ歓び。

写真は開店前の誰もいないときに撮影したものであるが、このアート作品が楽しめる新しい店が原宿表参道にオープンした。
障がい者アートをもっと町に!をスローガンに作品のレンタル事業をスタートするというチャレンジングな経営者に新潟で出会い、そこから数年。この活動を新潟から東京へと広げる活動をお手伝いしてきた。
とくに、SDGsに積極的に取り組む企業にこの取り組みを提案し、コラボがはじまり・・・コロナ禍を乗り越え、今回のアートギャラリー的な店舗の開店につながった。思えば長い道のりでもあり、あっという間の数年であった。

障がい者アートがもっと町に!そして障害を持つ人ももたない人も、一緒に暮らせる共生の社会を目指して、関係者が、皆同じ気持ちで取り組んできた。
私は関係者のつなぎ目、結び目。やったことのないことをやる!試行錯誤の繰り返し。そして、気が付けば、スタッフと一緒に走り続けていた。

短期間のレンタルではなく、長期にわたるまさに、店内空間の一部として存在感を見せるアート。
作家さんたち、そしてご家族はお店でこの作品をご覧になったら、この空間に立たれたら、どんなに喜ばれることだろうか。そして、創作活動が単なる趣味ではなく、社会に役立つお仕事になる・・・。なんて素敵なことだろうか。

ふとしたきっかけから、こうしたい こうなったらいい。という思いが広がり、
事業も発展し、関係もより深くなっていく。
コラボを思いつき、実現させることの歓びを改めて実感するとともに、
続けながら、お互いに育っていくことのすばらしさも感じている。
協力があってこそ、活動が生まれ、育っていく。一人の力ではなく、みんなの
力というところが、大切だ。

ぜひ、原宿を若い人たちにも、素敵な空間でのひとときを楽しんでいただきたい。
今、素敵なクリスマスプレゼントをいただいた気持ちになっている。

こちらの店舗の詳細は、https://www.mos.co.jp/company/pr_pdf/pr_211209_1.pdf

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喪中はがきコミュニケーション。

喪中はがきというのは、考え方によってはその取扱いが難しい。
訃報を知れば、知らぬふりもできず、何か気を遣わせてしまうのではとか
余計なことを考え、でも、お知らせせず、年賀状も届かないことで
ご無礼なことになるから・・・。
これまでも、お世話になった方が亡くなったと、そのご家族からハガキが届くと
何らかの返信をし、お会いしたことのない先様に、お悔やみの気持ちを届ける
ことはあった。

と、これまでは、受け取ることしかなかったこのハガキ、今年は、人生初の喪中はがきを出すことになった。

届いた直後から、いろんな反応があり、正直驚く。
お手紙が届く、メールが届く、宅急便が届く、いきなり携帯へ電話もかかって
くる。「これで、お花を供えてください」との郵便も届く。
とっさに行動された方、思わず筆をとられた方・・・。
皆さま本当にそれぞれにご心配いただき、また両親の冥福を祈ってくださる。
喪中はがきの反応のほとんどが、親と面識がない方だ。

ある方からは、ピアノの絵柄が入った紫色のかわいらしいクッキー缶が届いた。
中に入っていた手紙によると、親と私の共通の思い出はピアノだから、何かないかと探していたらそれをみつけたから・・ということだそうで、
添えられていた手紙を読んだら、思わず泣けてきた。

どれもこれも、本当にありがたいお言葉、お気持ちで、
今回の親のことに際し、いかに皆さんが優しい気持ちで、接してくださっているるかということがじんわりと沁みてくる。

喪中はがき1枚でそこから新たなコミュニケーションがはじまることもあり、
改めて、その相手の懐の深さを知るきっかけにもなる。

このように、この1週間、とても幸せな、心あたたまる
ありがたい時間を過ごさせていただいている。

「このハガキ、いい匂いしますね~。私も紫好きなんですわ~」
ちょっとしたことで、新たな関係がはじまる。

そこはかとない悲しみは、これらの優しさによって、生きる力に昇華されて
いく。



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後で、語られる思い出の人に。

人生。
終わったあと、残された人同士での交流が始まる。
話題がある、思い出が多い人ほど、その人生は幸せだったのだと
改めて思う。
両親のことでお世話になった方々へのお礼、ご挨拶などが続いているが
口々に、生前の思い出について話してくださる方が多い。
「いつも、元気に自転車で走ってみえて、すぐわかった。どこに
  いてもすぐわかる人だった」
「一緒に旅行に行った思い出がたくさんで、本当に懐かしい」
「口は悪いけど、職人としての手先は最高だった。あの器用さが
 昌子さんのピアノの指先に受け継がれているのかもしれんね」
「よく、柳ケ瀬に飲みに行った。無礼講だった。酒を飲んだら
 よく話していたなあ。ほんとうによく飲んだわ」
「仕事が終わってから、毎日名古屋までレッスンの迎えに行って
 おられたこと、お父さんは一言も話されなかった」
「いやー、ほんとうに立派な人だったよ。」
などなど、最近聞いた話の一部であるが、この会話の断片から、自分が知らなかった親の素顔が見えてきて、改めてその存在に感謝の念が生まれる。

亡くなったあと、語られる人になること。
思い出になる人。
そうなるためには・・・。

最近、そんなことを考え、道々で空を見上げながら、親の笑い声を
思い出している。

それにしても、思い出が多すぎる人たち。
そして、皆さんに愛された人たち。
これからも心に生き続けることだろう。
両親と関わりをもってくださった全ての方に、心からの感謝を込めて。

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親世代の友達急増中。

母が亡くなってから、生前親しくして頂いた方々との交流を
切らさないように心がけている。
母がいなくて寂しいと思ってくださる方、とくに家族のように
仲良くしていただいた方たちには、何かあれば声をかけたり
差し入れをしたりしている。
まるで、母がその方にしてきたことの一部を継承している
という感じだ。
「あ、おばさん、お元気?
 ちょっと長崎からカステラ送ってきたので、食べます?」
「あ、おばちゃん、今いいですか?
 弟さん日本酒飲まれる?いやー、新潟からお酒たくさん送って
きたから、飲まれるならもっていこうと思って」
と、こんな感じだ。

よく考えたら、このおばちゃんたちは、ほとんどが私の同級生の親。
親の友達とは、まさに、子育てしながら 半世紀以上のおつきあいを
してきた関係。子どもの成長とともに、子育て仲間から友人へ発展。
助け合い、支え合う関係になってきた。
そんなことで、母の旅立ち後、
同級生のお母さまに、なぜか、私が親しくさせていただいている。

母の交友関係は大切にしたい。
母の代わりに、おばちゃんたちには元気に長生きしてほしい。
「あ、よかったら、ご飯食べにいこうか」
と思わず誘われ、誰の友達?と思えてくるほど、ちょっとボケも
入っているかもしれないが、微笑ましく、ありがたい。

母の存在、思い出を媒介として、新たなお友達が増えつつある。
そして、このようなやりとりをするなかで、おばちゃんたちは
母を忘れず、そして元気にいてくださる。
「お母さんの代わりはできないけど、たまに声かけさせて
もらいますね」
そんな風にお伝えしている今日このごろ。

本当に思議なことではあるが、
母がいなくなったあと、1年前まで想像もしなかった、
こんな新たな関係が生まれつつある。

「お願いだから、お母さんの分まで元気に長生きしてね」
別れる時には、いつもそんな言葉をかけている。

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GIFTFULな人生。

日々、日常生活を送りながら、親の残したてんこもりのモノを確認、処分しはじめている。
親の人生を、モノから辿る時間にもなっている。

トラック1杯や2杯では終わらない膨大な荷物について、目を通しながら、処分するしないを即時判断し、業者の方に手伝ってもらう。
この何か月か両親の荷物に向き合っているが、母の荷物が圧倒的に多い。
最初はモノの多さにうんざりしていたが、それを通り越して、今は修行のごとく、仕分けをしている。自分がやらねば終わらない。
最初は面倒だ、嫌だと思っていたが、今は亡き母が遺したものは、彼女が遺した人生を私なりに振り返る時間になり、あっという間に時がすぎる。

私や妹の成長の記録、通知表や卒業証書、さまざまな手紙、旅のリーフレットなど印刷物、そして写真の数々・・・。そして食器・衣類に雑貨、書類、カセットテープ・・・・。
さらに、人にあげるためのお土産類、そして人様からいただいた寝装品や雑貨、キッチンウェア・・・・さまざまなギフト品、そしていただいたものの包装紙や、紙袋・・・。
とにかく旅を楽しみ、その楽しみを人にお土産でおすそ分けしながら、そして、自らもいろんな福をいただく・・・。

ギフトを贈り、いただく。

そんな人生だったのだろうと、遺品整理をしながら、思えてくる。
何十年前のギフト品は、さすがに今は使えないものばかりであるが、その当時の日本のギフト市場の様子も見えて、現在との違いもわかって、勉強にもなる。
大きな寝装品や重いキッチンウェアが喜ばれた時代。大きいことはいいことだの
時代。婚礼から葬礼ギフト・・・。
パーソナルギフトは高度経済成長後に伸びた産業で、今もそれは日常化している。
また日本人には特有のギフト文化がある。
形は違えど、今もその心は生きているかもしれない。

ギフトのGIVE&TAKEを繰り返した母の人生。
そこから、ありがたい人とのご縁も多く育まれたことだと思う。
そうそう、とれたての野菜をいつももらっていたが、これもありがたい贈り物だ。

GIFTFULな人生。母はやっぱり、幸せな人生を送ったと思う。
遺された多くの昔のギフト品は、海外の人々に利用いただけるよう業者の方にお願いしている。使っていただければ、母も喜ぶだろう。最後までギフトだ。

まだまだ修行は続くが、発見や気づきが多く、人生に何度もできる経験ではない。そう思って、楽しみながら、疲れることにしよう。

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