「一流」に触れる時間をつくる。

情報の量ではなく、あくまでも質。
どれだけ良質のものに触れているかが、人間の内面の成長や
心の豊かさに大きく関わってくると思う。
このネット社会で利便性優位が当たり前になっている今こそ、
少し不便であっても、
マイノリティであっても、心がふるえるような経験を
大切に、それをわが宝としたいと思う。

そんなとき、ふと小学生の頃にこっそり観ていた「日曜ロードショー」
のことを思い出す。
子どもが夜9時以降の番組を見てはいけない!と暗黙のルールのなか、
親たちが寝静まったのを見て、こっそりアランドロンの映画などを
観て、大人の世界、海外の暮らし、世界の歴史に触れ、こんな世界が
あるのだ~と心からわくわくしたあの頃。
淀川長治さんが、「映画って、ほんとうにいいですね」と言われていた
あの頃。自我の目覚めは、もしかしたらこの時期だったかも?
そして、当時から、音楽や映画を通じ、
世界を旅することへの憧れが芽生え始めたのかもしれない。

映画や音楽・・・。しばらく話題になっている仮想空間とはまた違った、
夢とロマンを豊かな教養を感じる、そして、希望が湧いてくる芸術の世界。
そして、タイムトリップがこの上なく楽しくなる世界。

さて、1945年に上映された「天井桟敷の人」という映画がある。
先日BSで4K用に加工され、放映。それを録画して、鑑賞。
一度に観るには長編であったため、何度かに分けて観る。

19世紀初めのパリを舞台に描かれた演劇をとりまく、愛の物語。
その時代のパリが再現されたような、自分がまさにそこにいるような
気持ちになる。フランス映画の最高峰と言われているのがよくわかる。
なんと美しく、なんと深く、悲しく、楽しく、余韻も消えない・・・。
世界大戦のさなか、ナチス占領中のパリでつくられたというから、すごい。
その時代性が、この作品を生み出し、人々を熱狂させたのかもしれない。

おそらく、半世紀前に日曜ロードショーでも放送されたであろうが、
子どもの頃にはわからなかった。が、今はよくわかる。
そして、また何度も観て、その世界に浸りたいと思う、
地球が存在する限り、人々の記憶に残っていてほしい名作だ。

コロナのうちに、一流に出会い、触れる時間を増やそう。
飛行機に乗るわくわく感は味わえなくても、瞬時に、行きたい
国へ、時代へ行き、会いたい人に会うことができる。
高齢になって、旅ができなくなっても、いながらにして世界に
ふれることができる。そんな手段があることを覚えておきたい。

とにかく、良質な情報を。一流を!
どんな情報にふれ、どんな体験を重ねたかにより、
人生は変わる。

一流の人には なれそうもないが、心豊かな人間は目指せる。

さあ、新たな1週間。良質な発信を目指していこう。




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半世紀前の感動と・・・。

今、「虹と雪のバラード」と言う曲を思い出す。
そう、あのトワエモアが歌っていた、名曲だ。
1972年の札幌オリンピックのテーマ曲に使われた。
その当時は、これを聴くと、大きな空と白銀の世界が広がり
未来を、希望を感じた。小学生であったのに、そう感じた。
前の東京オリンピックは幼すぎて、よくわからなかったが、
札幌オリンピックは、この曲のおかげでくっきり記憶がある。

50年経った今もこの曲の歌詞を見直し、メロディを口ずさみ、
時に演奏もしながら、
本当にいい曲だな~としみじみしながら、
半世紀前は、オリンピックが希望に、夢にあふれて
いたことを思い出す。
昭和の時代が、改めて懐かしい。

さて、お隣の大国で、オリンピックが始まった。
コロナ感染再燃のまっただなかの強行開催ともいえる。
人工的に雪を降らしてまで、やるという無理やりさには
慣れてしまったが、
今回、昨年終わった東京オリンピックのときと同じことを想う。
なんのためのオリンピック?誰のための?
純粋な世界平和のためのスポーツの祭典?

もちろんアスリートたちは純粋に自己ベストを、金メダルを目指す。
そのことはもちろん純粋に応援したい。
でも、オリンピックだけが特別という
不思議な価値観はいつまで続くのか?
ということも強く思う。
いつまで、この浪費のイベントを続けるのだろうか?
お金をかけなくても、競技大会は開催できる。

今、コロナの撲滅が世界共通の早急なる課題であり、
そして紛争もなくさせばならない。
人権保護も大きな問題だ。
オリンピックにかかる費用をワクチンに回す、
貧困で困っている人を救う、
メダルの数よりも、紛争を解決するための
話し合いに注力する。
こっちの方がやはり大切ではないかと思えてならない。
また開催国の人が無理を強いられて、そのイベントだけが
特別な存在となっていることも、理解はできない。

いつまで、こんなことを続けるのだろう。
昨年の東京オリンピックの記憶が
すでに消えていることも
気になりながら、
「やることに意義がある。」
と、こんなことに大金を、労力をかけ続ける為政者には??

と。個人的には思えてならない。
国っていったい何だろう?
そんなことも、想う。
大切なことは、ひとりひとりのいのちが輝くこと。

とにかく無事に終わることを祈り、
またそれ以上に、純粋に世界の平和を、人権が守られる社会を
心から願っている。

半世紀前。懐かしく、まぶしい。
もう、時は戻らない。
そう、時は戻ることはなく、前に進むのみ。
せめて、良き方へ・・・。切に願う。

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ないなら、ないでやる。

早朝出張に出る直前まで、いつもどおりできたスマホのメール送信。
新幹線に乗って再度メール送信をしようと思ったら、うまく送れない。
ユーザー名かパスワードが違うという画面が出てくる。
おかしい。さっきまで使えていたのに。
たまにそんなこともあるため、そのときのことを思い出して、スマホを
ああでもないこうでもないといじくっている間に、新幹線は京都に着く。
「ま、いいや、仕方ない」
出張の日で良かった。明日が土曜で良かったと思うことにする。
内勤の日でメールが使えないとなると、かなり困るが、今日はどちらに
せよパソコン業務ができない。
急ぎの連絡は電話やショートメッセージでいい。
と、わりきって、メール送信はできない前提での今日1日のコミュニケーション考えて、行動することにする。
使えないとなると、そのことに費やす時間をとられず、メールにかける時間も
必要なくなる。
ちょっと自由になった気持ちにもなる。
いつも、連絡があったらすぐ返事せねばと思っているため、連絡できないなら
あわてても仕方ない。
と、受信したメールだけをチェックし、夕方まで過ごす。
さあ、帰ったら調べてなんとか復旧せねば、と思っていた矢先、プロバイダー
からメールが入り、メール送信できなかった理由もわかり、その対応に。
結局、京都出張を終え、自宅に帰る直前に、解決した。
メール使えない1日。不便と言えば、不便であっても、ないでも生きられる。

どんなときも焦らず、状況を冷静に受け止め、今できることをやる。
そうはいっても、ちょっと焦るが、まあ、やるようになる。できることをやる。
ネットが使えない日、メールが使えない日の不便さにときに触れることは
避難訓練のように、いざというときに役立つかもしれない。
とはいっても、いかにメールありきで生きているかを再認識した。
さあ、今朝は通常運転で開始。有難い限り!

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オンラインだから恥ずかしくない

2月といえば、バレンタイン。の前に、節分がある。
昔は豆まき、今どきは恵方巻商戦といったところだろうか?

さーて、と気合入れたオンラインミーティング。
オンライン会議のホストになって、時間より少し早目に入室した。
すると、なんとまあ、打ち合わせの相手が鬼のお面を付けて登場してこられた。
なんだかお面の向こうで何かを言っているようだったので、なぜか、
東北のなまはげのことも、ちょっと思い出した。
いやー、これから真剣な面談がはじまるのに、そんなに笑わしてくれなくていいのに・・・。
双方、大爆笑のあと、
お面をとりながら、「マスクと、メガネがあって、大変ですわ。」
と言われた。
と、そんな苦労してまで、お面付けて、ご挨拶してくださるとは。

「オンラインだからできるんですね。」
そう、これが対面だったら、絶対しないご挨拶だ。
オンラインは、羞恥心を忘れる?緊張をときほぐす?
とにかく、そのおもてなし心もうれしく、すっかり盛り上がって
ミーティングに突入。
ちょっとしたきっかけづくりで、場が明るくなる。
この会社では、節分にはちゃんと豆まきもするそうだ。
季節を感じ、ふれあいを大切にする会社。寒さも吹き飛ぶ温かさで
余韻の残る話題であった。




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念願の!新たな京都みやげ、できました!

この2年余り、コロナで旅行に行けない方が増えている。
私の場合は、まだ出張で東へ西へと行かせていただき、土地土地の季節を味わい
楽しく仕事させていただいているが、そうはいかないという方も多い。
そんなときは、自宅でそこに行ったつもりになれる、そんな機会があるといいだろう。
ちょっとした食べ物で、旅の気分を味わえたら・・・まずはプチ満足。

京都の会社のみなさんのプロジェクト活動をサポートしながら、約3年。
その間にコロナ感染もあり、なかなか新商品をつくることができなかった。
でも、やっとチームメンバーの思いをひとつの形にすることができた。
2月1日発売。京都のグッドネイチャーステーションなどおしゃれな専門店から
店舗販売はスタート、ネット販売も開始している。まもなくAmazonでも
購入できる。
京都らしいおいしいカレー。京都産のタケノコが入っていて、
シャキシャキ食感で食もすすむ。
だし汁の味がまろやかで、タケノコと鶏そぼろのマッチングもいい塩梅だ。
私的には、はんなりカレーという感じ。
そして、パッケージデザインも30年来おつきあいのある、
京都のデザイナーさんにお願いでき、デザインも京都産という点も、
個人的には気に入っている。

ごはんだけでなく、うどんやもそば・にゅうめんにも合うかも。
大人にも、子どもにも、お年寄りにも。また朝でも、昼でも、夜でも。
そんな優しいカレーだ。

チームに混じって、おせっかいババとして?一緒に進んできた。

みんなの思いがカタチになることは、本当にうれしい。
自分たちで作る京都みやげ。本当にうれしい。

これから、みんなでがんばって売っていく。
実はこの公式サイトはまだ未完であるが、それでもネットで
購入ができるため、早速自分で購入。作って買う?なんでもやってみる。

あまたある京都土産。それぞれ作り手には思い入れがあるだろう。
その気持ちが今回よくわかる。
チームで作ったということが、本当にうれしい。
みなさんお疲れ様でした。さあ、またここからがんばりまっせ!
ということで、
春を一歩先取りの、京土産ができました!
ブログをごらんいただいている皆さまも、ぜひおたべやす?

お求めはこちら タケノコと鶏そぼろの京風カレー

https://www.yoritoko.com/shopdetail/000000000016/

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動けば発見、感動、力になる。

オミクロンに負けないという勢いで、ドラマリーディング(朗読劇)公演が迫る。
まじで、できるんかいな。と思う気持ちを吹き飛ばし、
今、自分の精神世界は別世界に住んでいる。(そうじゃないと、進まない)
脚本がまだ完成ではないけれど、途中のものを受け取り、
イメージを膨らませる。
すでにある自分のオリジナル曲を使う、それ以外にもいろんな表現方法がある。
クラシックの名曲をうまくアレンジする、なかには自分の新曲を織り交ぜても良い。
生演奏がある朗読、演劇と、すでに録音された既成の音源を使うのとは、
臨場感やドラマの広がり方が違う。
なんといっても、役者と演奏者との息づかい、セッションのような空気感、
なんともいえない緊張感は、生でないと表現、体感できない。
オンラインの打ち合わせのとき、演出家が言う。
「ここのセリフは、ラップでいきたいんです」
ラップ?!あのラップか?!
確かに台本には、韻を踏んだようなセリフが続くフレーズがある。
ラップというと、スタジオでレコードをいじりながら リズミカルに発する
ヒップアップというイメージがあるが、朗読劇で?しかもピアノで?
そう、ピアノでもラップをやる。
その後、いくつか You Tubeでサンプルを見ながら、
ピアノを弾きながらセリフを発しているミュージシャンの存在を知り、
ああ、これか~。と新たな学び。

今のところ、私には弾きながらラップを歌う世界は、
右手と左手に違う人格を持たせないと弾けない「ひとりボレロ」を演奏するように、
難しい世界ではあるが、なんだかできそうな気がしてきた。
今回の公演では、役者のセリフとピアノでラップを奏でる予定。(今のところ)
淡々としたリズムに乗せて、違うリズムのセリフが走る。
室内楽のような楽曲に合いそうだ。とイメージが湧いてくる。

この世界が朗読劇の世界を面白くする、立体的な空間ができそうに思う。
と、このように、
なんでも新しい挑戦をはじめると、新たなことに出会い、心動かされ、
カラダも動く。
この繰り返しで新たな才能を見出したり、乗り切る力や表現力が身についてくる。
音楽家としての活動も、限りなくオンリーワンを目指したいと思っている
私にとって、朗読劇の生演奏は、新たな世界との遭遇、
未知なる自分の発見につながる。

どんなことでも、恐れずやってみよう!挑戦は楽しく、創造的だ。
感動をつくる仕事は、不安より わくわくありき。



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365日分の32日目に突入!

カレンダーを1枚めくる。月初めのちょっとした儀式だ。
1月のカレンダーと別れ、新しい絵柄に出会うことで、
ああ、新しい月が始まったという気持ちになる。
今月もよろしく!という感じだ。
パリに行けないこの2年、カレンダーを見ながら
コスモポリタン気取りになる。

世界中が、コロナとともに毎日を過ごしているようなこの2年。
毎日のあの数字(どこまでが本当に正確なのかは??)を日課のように
報じるメディアに、今日もそれ?それしかない?いつまでやるの?
と思いながらも、
今年も2月になってしまった。
振り回されて終わっていないか、は要注意だ。

365日のうちの31日が終わってしまった・・。
月めくりカレンダーであれば、あと11枚しかない。
そう思うと、いろんな挑戦のペースを速めなければと思う。
と同時に
毎日毎日が単なる繰り返しではなく、かけがえのない1日で
あることをもっと意識して、行動していかねばならない。
今日という日は、二度とこない。

改めて、今日から365分のいくつ?を意識しながら、
進んでいきたい。

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「なんとしてもやる!」のリスクチャレンジ

バレンタイン朗読劇の準備を・・といっても、まだ脚本が全部できていない。
でも、半分は揃っているし、ということで、オンラインで脚本家
そして今回の演出を担う監督と打ち合わせをする。
まずは、コロナのことで、本当に大丈夫かな?という話題になる。
しかし、
「そんな心配していたら、何もできない!何としてもやるしかないわ!」
という話になる。

もちろん、役者さんは代役を立てる、万一の場合は、オンライン配信のみに
切り替える。などなど、当然のことながら、いろいろと備えは考えている。
「でも、さっちゃんと私は、代役ないね」
そう、役者さんは代役がいても、監督と私は、ひとりしかいないので、
「だから、私たちはコロナに絶対なってはいけない!!!」
と二人で団結心を強く結ぶ。
絶対と言えないが、絶対と言い切るしかない。

それぐらい、このコロナ共生時代は、進むか さがるか 
の選択を求められる時代でもある。
お店の営業にも共通している。
気を付けてやる。リスクがあっても対応してやる。
一方、やっぱりやめておく。延期する。という選択もあるだろう。

今回の場合、ちろん延期もありえるが、
今はとにかく前に向かって突き進む。
練習も全部オンラインでできるし、まあ、なんとかなるかな。

今年はリスクを考えながら挑戦する。
リスクチャレンジするしか、前に行けない。
そんな進み方、生き方をまっとうしたい。

やると決めたら、やる!

それでいい。覚悟を決めて、腹をくくって。

責任とリスク。行動にはいろんな備えと覚悟が必要だ。

2月11日~13日の公演詳細はこちら


Home | B.LET’S (blets.net)

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医療も介護もただ、ただ感謝の心で。

痛ましい事件が続いている。
おそらく、コロナの影響もあるのだろう。
世の中に、不安、不満、不信が広がっているような・・・。
先行き不透明な世の中、本当に信じがたいことが連発している。

とくに介護や医療の問題。追い詰められた人が凶行に向かう。
医療関係者のみなさんが、一生懸命、患者や被介護者、家族のことを考えて
取り組まれていても、理解されなかったり、それどころか逆恨みされ、
怪我をしたり、命を落とすことまで・・・。本当に悲しすぎる。

そんなことは、絶対にあってはいけない。
このコロナ禍で、自らへのリスクを顧みず、献身的に地域に貢献されている
医療、介護従事者の皆さまは、
いろんな患者、家族がいるから、本当に気を付けて対応しないといけない。
なんと、大変な仕事だろう。
自分がお世話になった頃も、ずっとそう思っていた。
今、改めて頭が下がる。

私は両親の介護、終末のことについて、専門家の皆様とよく相談しながら、
ときに無理もいいながら、コミュニケーションをとり続け、納得の上、
送ることができた。

感謝あるのみ。
それしかない。
と思える状態が幸せだ。

任せるしかない。、信じるのみ。
それしかない。

医師とはいのちをあずかる仕事だけに責任が重いが、
自分のいのちをとられては
本当に意味がない。
リスクがありすぎる仕事をされている 医師のみなさんに
改めて心から感謝したい。
使命感がなければ、成り立たない仕事だと思う。

事件の報道を知り、思わずお世話になった医師や、施設の顔が浮かび
メッセージを送った。
すると、「ほとんどの場合が感謝していただけるので、やりがいある
ステキな仕事ですよ」。と返事が届き、安堵する。

自分ではできないことをやっていただいている。という感謝。
これに尽きる。

人間、やはり信頼の絆。

世の中から不安や不満や不信がなくなるといい。
そのためには、やはりコミュニケーションだ。






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ええなあ。毎日、京都?

ここのところ、名古屋発6時36分発の列車に乗って京都へ行く日が多い。
7時半から京都駅で「朝カツ」と名付けているミーティングから
その日の京都業務がスタート。これが恒例化している。
さて、この新幹線での出来事。

山科のトンネルを越えたあたりから、大きなランドセルを
背負った小学生たちが何名か、次々と車内を移動し始める。
「ああ、きたきた。今日も一緒か」
その小学生たちは、エスカレーターか階段が近いドアから降りるため
停車前から、車内を移動し、京都駅に着いたとたんに、足早に降りて、
改札に向かっていく。

一見、普通の小学生に見えるけど、新幹線通学とは私にとっては特別だ。

しかもひとりではなく数名降りていく。

私の勝手な想像でいけば、この小学生たちは京都の学校に通う子供たち。
もう何十回も同じ電車でこの光景をみかけているため、そうに違いない。
小学生の新幹線通学か~。
ランドセルからはリコーダーとか顔出しているし、小学校に行くのに新幹線のって通うなんて・・・。

ええなあ。と素朴にうらやましい。名古屋からか、その先からかわからないが、とにかく地方から京都通学しているんだ。定期券持ってるんだ。
ええなあ。子どものうちから、しかも毎日京都の学校へ行けて・・・。
私の小学校時代は、京都と言えば修学旅行。特別すぎる町であった。

ええなあ。
いつも、この子どもたちを見ると、毎回そう思う。
私の小学生時代、ひとり名鉄電車に乗って岐阜駅から名古屋まで通っていた
ことを想い出すが、やはりランドセル背負って新幹線にて通学。
本当にええなあ。
と、それが当たり前のちびっこたちを見て、
「気いつけて 行くんやで~」
を後ろから見送る。
ええなあ。京都駅の朝。こんな光景も京都らしい。
思えば、京都には「ええなあ」がたくさんある。

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