「ひまわり」に平和の願いを。

今、世界中で「ウクライナ」という言葉が、コロナ以上にヒット
しているかもしれない。
まさかの事態になってしまい、ウクライナの皆さんのことが
気の毒でならない。
なぜ、避難しなければならないのだろう。
また、ロシア兵も気の毒だ。なんのための戦争?
罪なき人々が傷つき、命をおとすことも・・・。
バーチャルな世界に目が向きがちなこの時代に、
超リアルな恐ろしい世界。戦術や武器は最新鋭かもしれないが、
今の時代にも、こんなことをするのだ・・・。
時代が戻った気すらする・・。
そして、
本当にいわれなき戦争というものが、存在するのだと、
まだ現実を信じることができないほどだ。
想像するだけで、身がすくみ、ものすごい恐怖を感じる。


そのウクライナ・・・。私の記憶でもっとも鮮明なのは、あの
映画「ひまわり」。
あのヘンリー・マンシーニの名曲中の名曲が流れ、広がる広大な
ひまわり畑。その場面を観た瞬間から、この映画に引き込まれて
いく。それぐらい印象深く、ひまわり畑のことがずっと気になる。
そんな名画であった。

映画を観てから、あのひまわり畑はどこなんだろう?と調べた。
ウクライナという地名はずっと頭に残っていた。
映画ができたのはもう半世紀以上前、時代も変わった。
改めて撮影地を調べてみると、
どうやら、旧ソ連時代のウクライナのヘルソン州というところにある
ひまわり畑だそうだ。キエフから500キロぐらい離れたところ
にあるそうで、今も夏には観光客が訪れる名所だそうだ。
そのひまわり畑も今は戦地となっているのだろうか?
今朝のニュースで、ヘルソンという地名が出て、まさか・・。

あの映画自体、悲しい戦争での別れを描いたものであり、そのひま
わり畑の下には、戦士した兵士たちが眠っていると、確か映画で
言っていた。かなしいひまわり畑だ・・・。

そんなことが絶対に、二度と起きないように。
昨日、その名曲を実家のピアノで、心を込めて弾いた。
どうか、早く終わりますように。早く平和が戻るようにとの
願いを込めて・・・。

まだ、今の季節はまだ咲いていないだろう。
平和に夏のひまわりを楽しめるように、終息してほしい。

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定年後、さらに輝く。

組織で働く人には、この節目が必ず訪れる。
最近も何名かの方より、定年退職をされるとの報せをいただいた。
本当に「長年お疲れ様でした!」の一言に尽きる。
会社の新陳代謝のためには、定年も必要なしくみである。
何十年もその日まで、その日のために会社に尽くす、と言う
人生の先輩を多く見てきた。
つとめあげて、卒業。定年は会社人の卒業だ。

この定年後のお付き合いはさまざまだ。
定年とともに年賀状も途絶え、連絡先もわからなくなり・・
という方もいる。仕事の上で出会ったつきあいは、定年とともに
全てリセット。そういう考え方もある。
きっと定年後は、何十年続けた仕事とまったく関係なく、
まったく新たな人生を進まれているのだろう。
ふと、今はどちらにお住まいだろうか?お元気かな?と思い出すこともある。

また、だんだんと連絡が途絶えていく場合もある。
仕事で頻繁に会っていたけれど、環境が変わることで、共通の話題も少なくなって、次第にご無沙汰・・・。
今年こそ会いましょう。と年賀状や久しぶりのメールで書いたものの、
なかなか会えずじまいで時間を重ねる・・。このパターンもある。

一方、定年されても関係が切れず、おつきあいが続くということもある。
その場合の多くは、定年されるまでに、定年後の計画をしっかり立てて、定年を第二の人生のスタートとして、新しい仕事や活動をしながら、元気に活躍されている方である。
組織の縛りや、かつての肩書がなくても、培ってきた経験、キャリアで充分社会に貢献できるという生き方をされている。
ブラボーである!
専門領域や豊かな人脈を生かし、
地域やその専門領域でいきいきと発信されている。
もっとも、こういう方は勉強熱心でもある。変化への対応も柔軟だ。
いつまでも学び、人と関わり、自分の人生を豊かに生きておられる。

今は70歳を軸に、まだまだ活動できるという時代。
もちろんその人次第だと思う。
定年とともに、病魔に襲われる場合もある。
そうならないように、常に健康管理に気を配り、定年前も、その後も
自分らしく生きられるようにするための備えが必要だ。

今週は、新潟で定年後、肩書も新たに、さらにいきいきと活躍されている
方と再会し、いい生き方だな~と刺激をいただいた。
その方は、「災害と食事」がライフテーマ。
研究、現場の経験、そして講演、執筆。
その報告を久しぶりにきいて、定年後、より自由に輝いて活動される姿を
改めて、素晴らしく頼もしいと思った。

定年後、素敵に生きるには、もちろん現役時代の積み重ねが大切だ。

お手本となる先輩たちが、周囲にいてくださって、ありがたい。
肩書きが変わっても、年齢を経ても、ずっと続く関係。これが最高。

自分には定年がない。自分で節目を作りながら、最期まで生涯現役で
楽しく、元気いっぱいに生き抜きたい。



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いつもずっと平和を。

オリンピックが終わったら、平和はどうでもよいのだろうか?
もともと、そんなことはオリンピックと関係がないのだろうか。
終わるのを待っていたのだろうか?
水面下でいろんな画策がされていたのかもしれない・・。
と、ネガティブに現実を見るのではなく、前向きに素直にとらえたいのであるが
なんだか世界がとても怖い今日この頃。

情報が、平和を破壊に導いているかもしれない。という懸念もある。
結局、目の前で見えること以外は、すべて情報から知るほかないが、
何が真実か?がわかりづらい世界。
まさに、情報を受け取る力が試させる今日。

昨日の海外のニュースで、
ウクライナで、小学生たちが防空壕に避難するニュースを見て、まさかと思ったら、ロシアが侵攻しているとのこと。
銃を持った子供の訓練の様子も報道され、無邪気な子供が銃をもつとは
どういうこと?
愛する家族を守るために、やむなき手段として、武器を備える住民。

戦争って、何のため?
原爆はもちろん、どんな攻撃も、正しいものは何もない。
オリンピックが平和の祭典なんて、まったくおかしい。

とにかく、罪のない人たちが命を落としたり、傷つくのはたまらない。
いつも、ずっと平和を願いたい。

在日のウクライナの人たちが、ロシア大使館の前で、叫んでいたのが
悲しすぎる。
同じ人間が、国の利益、いえ、為政者の利益、野望のために、傷つけあう。
人間は、今の時代も、愚かだ。と言いたくないが・・・

いつも、心から平和を願う。
コロナも怖いが、戦争はもっと恐ろしい。

日本で、今、穏やかな朝を迎えつつ、何か胸騒ぎがする。
世界中が一日も、一刻も早く 落ち着いてほしい。
自分の周りだけ平和であっても、幸せな気持ちにはなりづらい。
ひとりの命より大切なものが、この世にあるのだろうか?

人々を脅かすさまざまな恐怖から解放され、
平和な日々が戻るように。
心から願うのみ・・・。

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名残惜しき、寒い朝

朝は新たな1日のはじまり。
一日生きた「いのち」が、睡眠からの目覚めによってまた新たな命として、
生まれ変わる。
ああ、朝が来て良かった。と思うこともこれまでに何度もあった。

とくに私の場合は、冬の朝が大好きだ。
この季節に生まれたからかもしれないが、寒い朝、一歩外へ出たときの
シャキーンとしたあの緊張感がたまらない。
白い息を吐きながら、寒さに慣れていく感覚も良い。

今、ふとフランスで活躍したサン・サーンスの曲(チェロの音色)を耳に、
20代から40代にかけ、冬のパリに旅したときの冬の朝を思い出す。
朝7時になっても、まだあたりは暗かった。
それでも、人々は動き始めている。暗い朝に慣れているのだ。

コート、マフラー、帽子を纏い、身を縮めながら、
地下鉄の乗り場に降りていく人・・。
一歩、外に出るだけで、身も心も覚醒した。

暗い朝。寒い朝。
私自身も、町ゆく人々と同じように、その寒いなか
通りを歩きながらカフェを探し、いい感じの店を探し、
そこであたたかいカフェオーレをいただく。
寒い朝の一杯は格別だ。
そんなひとときを思い出し、心が豊かになる。
何十年前のことでも、昨日のことのように思い出す。

改めて、この寒い朝がとても好きだ。
だんだん、春の訪れとともに、朝の様相も変わってくるだろう。
新しい季節がうれしくもあるが、今しばらく、このままでいてほしいような・・・。
まもなく、別れることになるこの瞬間を大切にしながら、
想像をめぐらし、心豊かに春を迎えたい。
シャキーン。さあ、やるぞ!
の1日がはじまる。
毎日の時を重ねて、季節を巡り・・・。
次の冬が来たときの自分はどうなっているだろう?
早くもそんな想像を働かせている。


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往復8時間、弾丸出張を癒すもの

久しぶりに二週続けて、新潟へ向かう。
いずれも日帰り。仕事以外の準備が不要で、泊まるより楽であるから。
となるべく1日をフル活用する。
東京に寄って一仕事したのち新潟へ向かうか、朝のうちに新潟へ
一気に移動して、そのまま午前、午後、夕と三部構成で仕事をして、
移動するか。
と、いろんな組み合わせが可能であるが、いずれも始発で行って、
最終で帰るということになる。
しかも東京駅での新幹線乗り換えは10分ほどだ。
前に乗る列車が遅れるとドキドキする。
と、こんな生活を名古屋に拠点を移してからずっと繰り返してきた。
東京~新潟は隣町。しかし、名古屋~新潟はちょっと?遠い・・・。

東京から新潟に通っていた12年間、そして名古屋からの5年・・・。
その間にコロナ・・・。オンラインも増えて、回数は減ったが、
それでも17年間、本当にこのホームに足を運び、列車を待った。
このホームでは、到着する列車を待って直ちにお掃除にとりかかる
スタッフの姿も印象的だ。

出発して1時間余り、
今週も越後湯沢を出てトンネルを越えると・・・。
先週以上に魚沼地区は真っ白。
車窓に列車内の明かりが映りこんでいるが、やむなし。
目が覚める銀世界を抱くこの瞬間。やっぱり新潟は雪がないと・・。
と、苦労もわかっていないくせに、新潟通のふり。

今回もがんばる新潟の皆さんにお会いでき、
ともに考え、いろんなことをお伝えし、春に向かう締めができたかな。

そうそう、弾丸出張の疲れを癒してくれた、1枚のウェルカムボード。
この色といい、観覧車といい、来社する客のことをよく理解し、
用意してくれる。こんな会社が新潟にある。
今日のためにつくってくださる。毎回日付入りのおもてなし。
新潟へこんなに長く通えたのは、こうしたさりげなく、
あたたかい気持ちを感じることが多くあったからかもしれない。

寒いのに、あたたかくなって帰ることができる。
心地よい疲労感でほっこりして帰ることができる。
そんな弾丸出張。長い1日がやっと終わる。
日付がしっかり変わっているが・・・。あれ?1日27時間?

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オンラインで手をふる。

長年担当してきたある業務が、今年度をもって満了となる。
そして、その業務の最終日はオンライン対応。
この満了とコロナの影響はわからないが、まあ、どんなことも
何でもいつか終わりは来る。
永遠に・・ということはない。

コロナの影響はわからないが、私自身、コロナによって
人生観や仕事観は少し変化したかもしれない。
何がおきても不思議ではない。
これまでの当たり前が、そうではなくなる。
絶対はない。
だから、今間の前のことを一生懸命やるだけ。
結局は、以前と変わらないが、より一層、今を大切にという
気持ちが強くなったのかもしれない。
どんなことも、はじまりがあり、終わりがある。
だから、何があっても、平常心。

「先生には、本当にお世話になったので~」
と言ってくださる方。悪天候にもかかわらず、最終回だからと
参加していただいた方。
もちろん最終回ということを知らずに、
「では、また~。お元気で~」
と、いつもどおり終わった方もいる。

十数年取り組んできたこと。
いろんな企業さん、それぞれの立場に寄り沿って
一緒に考え、行動すること。
本当にカウントできないほどの企業さんと出会って
きたが、いろんな思い出がよみがえり、胸がいっぱい
になる。

もちろん、ここですべてが終わるのではなく、
新たな関係がはじまる。生まれる。
時の経過とともに、ホンモノの関係が残っていくのだろう。

「では、また!お会いしましょう。どうぞ、お元気で!」
オンラインのお別れは、湿っぽくならないのがいい。
画面いっぱいに手をふって、一区切り。

ひとつ終わって、ひとつ前に。
自分がやってきたことをふりかえり、
悔いがなければ、それでよし。




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春がくる。

春のおとずれを感じる京の週末。
鮮やかに咲く梅の花、ピークを過ぎた受験合格などへの願掛け、そして、町の各所に飾られはじめたおひなさん。町角でみつける引っ越しのトラック・・・。
雪が舞いながらも、太陽の光が降り注ぎ、季節の交代を感じる。

ふと、先日、東京行きの新幹線のなか、隣の席に東大の英単語の参考書
を手にもった親子連れをみかけたことを思い出した。
あの受験生、うまくいったかな。
2月後半は春に向け、新たなスタートに向け、人々が動き始める季節。
自然も動く。寒さのなかに、鮮やかな春を感じる瞬間。
緊張と希望、世代交代・・・。
四季を巡り、いのちが生まれ変わる。

ふと、早咲きの桜をみつけた。
「あ、もう咲いたんだ」
ふと、なぜか悲しい気持ちになった。
しばし忘れていた、1年前の母の旅立ちを思い出したのだ。

春は、別れの季節でもあった。
でも、あれから4つの季節を巡った。
だから、あのときと同じではない。新しい何かが私のなかに
芽生えてきているはず。

春をみつける機会がこれからますます増えるだろう。
新しくなる。新たにする。新たに生まれる。
新たに生き始めることができる1年の節目。

春がくる。





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眠ることも生きること。

どちらかというと、睡眠時間が短い方だ。
いつからかわからないが、朝型の生活を目指すうちに、
眠ることより、起きることを優先してきた。
気持ちが張っているから、そんなことも可能であったのか。
とにかく、1日24時間をどう過ごすかのなかで、寝ることは
二の次になってきたようだ。

「ながら睡眠」も自然と身に付いて、新幹線や飛行機などでの移動時間は
睡眠にも活用する。仕事の準備が終わったあと、少し目を閉じる。
短時間でも眠ることで、前の日の睡眠不足はいくらか解消でき、
すっきりする。

と、20年ほど、そんな生活を続けてきている。
すでに、亡くなってしまったが、台湾人の親友は、いつも
「私は1日8時間寝ないとダメな人なの。昌子は、よくやるね~。」
と言ってあきれていた。
彼女はよく眠り、そしてアーチストとしての創造性をはぐくんだ。
睡眠というと、彼女のことを思い出し、
「睡眠は大事だよ」
と言われているような気持ちになり、
「わかってるよ~」
とひとり返事。

そんな日々ではあるが、ハードな仕事やスケジュールが立て込んだあとには、
「明日は寝る!」
という日をたまに、もうけている。
親から、
「寝だめはできないよ」
と言われていたが、そうでもないと思っている。
ということで、翌朝、ちょっとゆっくりできそうな日は、
ゆっくり眠らせていただくことにしている。

そんなこんなで、たっぷり睡眠をとらせていただいた日曜の朝。
静かに1日がはじまる。この感覚も心地よい。
時間に追われない1日を迎えられることは、幸せだ。

ああ、1週間よく駆け抜けたなとふりかえりつつ、明日からの1週間を
イメージする。
1週間のはじめ。静かに過ごす。
生きるために、眠りは大切。心身のために。
みなさま、素敵な日曜をお過ごしください。

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みんなでわくわく初練習。

春に向けての新曲ができた。
障がい者の皆さんと交流し、声をききながら、
皆さんの仕事に対する思いや仲間意識などを表現したイメージソング。
まさに「みんなのうた」だ。
大急ぎで頭の中にあったものをアウトプット、形にして、
練習に突入。

初回の練習に、12名とお世話されるスタッフさんたちが集まった。
手持ちの楽器も持ち寄った。
私もはるばる?名古屋から新幹線に乗って持参した。
その楽器が入った袋を持って車内を歩くとき、
タンバリンや鈴の音がしゃんしゃん鳴るため、
そっと持ち運んだ。

初の練習がはじまる。オフィスの中では音を出しづらいため、
仲間のレストランにお願いし、営業前のお店をお借りした。
歌詞や楽譜を配り、楽器も好きなものを選んでもらう。
家からおもちゃのラッパ、木魚、ハーモニカなどそれぞれ
持ってきた人はそれを使い、それ以外は用意した楽器から
選んでもらう。楽しそうに皆さん楽器を手にとってくれた。
その後、
簡単に録音してきた音源を皆で聴いてもらう。
みんな、しっかり歌詞に目を通し、まずは聞く。
この3か月ほどかけて、皆さんと個別に面談をして、
いろんな思いや言葉をいただきながら、私の方でそれをまとめた。
だから、みんなの想いもぎっしり詰まっている。
だから、みんなが自分たちの歌として、真剣に
受けとめてくれている・・・・そんなことを感じながら
全員の表情を確認する。
音源を聴きながら、もうすでに歌い始めている人もいる。
その次に手拍子の練習を全員で行う。
最初は揃わなかったが、すぐに揃い始めた。
なんと皆さんのノリのいいことか。
歌の覚えも早い。
しっかり自分が選んだ楽器を、叩く姿が微笑ましい。

さらには、
指揮をやりたいという人も名乗り出て、何かと積極的、
自発的で、このプロジェクトはすでに成功していると
確信する。
初めてのレッスンは45分。あっという間に終わる。

練習後、皆さんから感想をいただく。
歌の出来上がりを喜んでくれたり、練習がんばる!の声が
あったり、間違えたと反省があったり、感謝の言葉が並んでいたり・。・・。
とてもうれしい声がずらり。素直な声にじんわり。
この言葉から、
みんな、このプロジェクトを楽しんでくれていることが伝わり、
やってよかったの気持ちでいっぱいになる。

まだこれから、何度か練習を重ねる。
そして春に初お披露目。その方法も皆で楽しみながら検討、準備する。

彼らの会社のうたとして、歌い継がれることを願っている。
元気が湧いてくる、いい歌ができた。
そう、みんなとつくったというところが、何よりうれしい。
みんなに出会ったから、発想できた。
みんなと話したから、この歌ができた。
歌は、まさに心の架け橋、笑顔のコミュニケーションツール。
発表が楽しみだ。



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闘いの日々が生きる。

オリンピックもそろそろ折り返しであろうか?
正直、あまりそちらにチャンネルを向けない。
華やかなことは、人工的なことは、どうも・・・。
いつまで、メダルの色や、数にこだわり続けるのだろうか?
政治がらみの、金欲まみれのイベントのまま、これからも続くのだろうか?

もし、オリンピックが100年後も残るとしたら、
それでも今と同じように金銀銅のメダルを求め競い続けるのか?国別に?
あちこちの都市で無駄な箱ものを作っては、無駄にし続ける?
サスティナブルとは程遠く?

時代が変わっても、人間が目指すゴールは結局変わらないのだろうと
つくづく思う。
いい記録を残したい。一番になりたい。勝負欲。
競争することが、生存である・・・。とても本能的である。
シンプルだ。

相対的な勝負、人との比較が嫌いで苦手で、そういう意味で受験なども
真正面から取り組んできたことがない、わが人生。
そんななか、毎年の行事として音楽コンクールにエネルギーを消費した
少女時代もあった。今から思えば、よくやっていたと思う、いい思い出。
岐阜や、東海、中部地区の代表として、全国大会に出演することが
親の誇りであったあの頃と、レベルこそ違えどオリンピックが重なる。
賞を取ることが目的。それで一年が過ぎたあの日々。

よく考えたら、それが何だったのか?と思う反面、そのときに弾いた曲は
40年以上経過した今も忘れずにインプットされている。
そして、今も練習せずとも勝手に指が動く習慣は、闘ってきた日々があった
からかもしれない。
努力したプロセスは、自分の体にしみついている。
勝負した時間があることは、実はあとに役立っているのかもしれない。

そういう意味において、今、この機会に限界に挑戦する選手の努力には
共感する。がんばってほしい。
その経験が、その人の人生にいい影響をもたらすと思うから。

がんばる時期にがんばる。
がんばれる時期にがんばる。
それは、今だ。

そんなことを教えてくれる。と言う意味でオリンピックは
意味はある。





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