悩みなき人生はなし。

日々、さまざまな職場で仕事をする人と会う機会
をいただいている。
それぞれの課題や悩みを共有させていただくことも
多いが、人との関わりがあればあるほど、人との関係で
悩むことも出てくる。
仕事での人間関係は、自分の好き嫌いに関わらず、
うまくやっていかねばならないから、その対応に
悩みもつきまとう。
日頃からよく話し合いができていたり、コミュニケーション
がとれているつもりであっても、実はそうでなかったと
気づくことや、ある日突然、部下から退職します!と言われてしまう
ことも・・・。
組織の上になればなったで人を育てることの大変さを痛感しながら
毎日直面する課題に向かう。
下にいればいたで、上や横を見ながら、不安を抱えながら毎日を
過ごす。

何も悩みがない仕事、人生はない。
一生懸命にやろうとすればするほど、壁にぶつかる。
そんなとき、相談できる人がいたら、きいてもらえる人がいたら
楽になる、光が見える。

悩みを共有いただくとき、解決の名案が浮かばないこともある。
でも、なるべく事態を俯瞰し、客観的にみつめながら、
解決のための抜け道を一緒に探るようにする。
そして、悩む人にとって、その悩みは必ずプラスになる、成長の
糧になるということも伝えるようにする。
そして、聞くだけきいて応援している。ということも口添えする。

人間、応援してもらっていると、力が湧いてくると思う。
自分が代わって悩みの解決ができないことが多いが、
心の伴走者でありたいと思う。
悩める管理職、悩める若き人・・・。
悩みなき仕事はない。

生きることは悩むことかもしれない。
でも、
悩みは必ずや、成長の糧になる。
後になってみれば・・という日のために
今を悩み、生きよう。
悩むとは、よく生きること。
悩むとは、人間が脳を使うこと。

まさに人間に与えられた能力。
そう思ったら、がんばれる!




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フィナーレを大切に。

コロナの影響はいろんな場面でまだまだ続いていると感じることが多い昨今。
もちろんコロナだけが理由ではないが、いろんな企業や組織の経営・運営判断
が何もなかった頃と比べるとよりシビアになっていると思う。
昨年末から、馴染みにしていた店舗が閉店される例が続いている。
また愛読してきた専門情報誌もこの3月で休刊となる。
情報誌は月刊発行の紙媒体。デジタル化への転換は難しかったようで、
大変残念である。毎月届くのを楽しみにし、新たな知に出会うのが歓びでもあった
ため・・・。

何でも始まるときはお祝いされ、歓迎される。
でも、終わっていくときは気が付けば姿を消していたということも多い。
人のいのちも、同じかもしれない。

最近、最後こそ、大切にしなければと思うようになった。
お店の閉店も、お世話になったお店であるならば、感謝を込めて、そして
頑張ってきた人たちにお礼を伝え、その店の存在をたたえたい。
書籍の休刊は、新しいコンテンツが毎月届かないことはとても残念であるし、
再開を願い続けるが、今後はバックナンバーを再度読み始めようとも思う。
その存在を忘れないために、改めて編集に携わった方たちの思いと苦労を
感じるために。

終わりこそ、その存在を大切にしたい。
そう、店にも本にもいのちがある。
それはかかわった人が命を吹き込んできたからだ。
そんなことを思う、1月後半。

予定され、計画のうちに終わることはまだ幸せなこと。
地震などである日突然、なくなってしまうことを思うと・・・。

だから、フィナーレを大切にしたい。

どんなこと、どんなときも、終わりこそ大切。
さあ、かけがえのない今日という一日も、いい終わりを迎えられるように。

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結局は「人」で買う。

パソコンは、今や仕事に不可欠な、自分にとっては従業員のような存在で
ある。パソコンががんばってくれないと、ネット環境がよろしくないと、
安心して日々の業務が回せない。
そのために、一台でなく常に複数台を使い分けるようにし、一台が
壊れても、すぐ仕事が再開できるようにしている。

そんななか、もう一台あった方が良いと、久しぶりに購入を考える。
愛用のパソコンの同等機種であれば、ある程度わかるし使いやすい。
ということで、まずはネットで店頭で比較して検討する。

値段はある程度、どこでも同じ、とくに最近の店頭では、他社がより
安いプライス表示をしていれば、下げてくれるので、値段は交渉可能。
では、どこで買うか。
今回は、ネットでの購入も考えたが、ネットで買うメリットもあまり
なかったため、近所の家電店舗に向かい、二店舗のパソコン売り場を
うろうろする。
まあ、モノによってはアウトレットで新古品でもあればと、そのフロア
もうろうろ、前来たときはあったけれど、欲しい機種がなかったため、
考えていたら、ある店員さんが近寄ってきて、声をかけてくれた。

彼はたまたま私が使っているパソコンと同じものを使っているそうで、
話が弾んだ。
「その機種はアウトレットではないですし、お安くしますから、通常売
り場をご案内しますよ。」とその前向きな姿勢が気に入ったので、一応
その案内に導かれ、通常の売り場に行き、検討している機種について
詳細の質問と値段交渉をした。
時々こちらが発する質問に、即答できず、
「ちょっとお待ちくださいね」
と他のスタッフに聞きに行くので、新人さんかなと思って、待った。

そのスタッフとのやりとりは20分ほど続いただろうか。
だんだん、他の店で探す気力もなくなり、こうここで購入しようという
気持ちになっていた。

「あなたの一生懸命な接客がいいので、ここで買うわ。なので、まけてね」
と言ったら、大変喜んで電卓をたたきはじめた。
結局はマイクロソフト社の製品を買うため、どこで買ってもアフターサービスは
変わらない。店頭でモノが売れなくなっている家電ショップの現状を思うと
彼らも売ってなんぼ、の歩合制かもしれないし・・・。

店舗で買う面倒くささはある。
パソコンを買うと、設定サービスやプロバイダーの契約、セキュリティ
のこと、ついでに携帯の乗り換え・・・。購入を決めた後に、次々担当者が
登場してきて、追加のサービスを受注しようとする。さすがの営業である。
それぞれにノルマがあるのだ。

それらをすべて丁重にパスして、レジで代金を支払う。
「あなた、がんばってるね。で、新入社員?」
「いえ、私はテレビ担当です」
「え?じゃ、途中でパソコン担当に変わったら良かったのに」
「いえ、自分もわかる商品だったので いいんです。
新人だったら、もっとあたふたしたと思います」

そうか、担当以外の人が対応してくれたのか。
たまたま出会ったお客さんとのコミュニケーションで、担当でなくても購入まで
持っていく・・会社としても、担当者としても悪い話ではない。

「テレビ、買うときまた相談するわ」
「ぜひ、ぜひ、お願いします。お安くしますよ
テレビ、売れないですよね~」
笑顔で応えてくれる。

結局在庫はなく、あとで送ってもらうことになったが、とにかくこの20代らしき
販売スタッフのマニュアル通りではない説明と対応に応じた形になった。

実は多店舗でも同じ商品に対して説明を受けているが、マニュアル通りで
得られるプラスの情報や感動がなかったのだ。

結局は人で売れる、人で売れない。

ネットで買うもの、店で買うもの。

モノによって使い分けているが
説明が欲しい商品は、信頼できる人がいるお店で購入したい。

店舗の存在。コミュニケーションの場。関係づくりの場。
メーカーの販売員か、店舗の社員か。
店舗写真はかなり少なくなっている現状であると思うが
担当を越えて、お客様に寄り添える販売力こそ、
店舗の存在に不可欠である。と感じたちょっと長かった
今回のパソコン購入。いい勉強になった。

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真ん中を楽しむ。

60歳定年と聞くと、正直びっくりする。
なんで?人生これからなのに?と。
前時代につくられた雇用制度が、長寿社会に合っていない。
徐々に見直されている例は増えてはいるが、もっと増えると
いいと思う。
もちろん年長者は、ただ生きるだけでなく、若い人たちに何を伝え
与えることができるかを考え、実践していかねばと思う。

改めて、60歳は中年であるという認識。
若い人にも、年輩の方にも寄り添える。両者のことが理解でき、
どちらのことも応援できる元気世代。
高齢者の入り口ではない。
そんなことで、今、自分は真ん中の人生を楽しんでいる。
ひとつは若い人との関わり。
若い人を育てようとしている企業とのかかわり。
世代交代をしようとしている組織とのかかわり。
そんな例が増えている。

一方、人生の先輩に対しては感謝と恩返し。
会いたいと言われたら喜んで時間をつくり、
また今会っておかねばならない方とのかかわりを大切にする。
先輩とは、いずれ会えなくなってしまうという危機感を
もちながら、それも自然とわりきり、ときに諦め
とにかく今、会えるときにと交流の時間をいつくしむ。

真ん中。
経験も少し積んできた今、このポジションはなかなか楽しい。
上も下も見ることができる。
とてもいいところを、今生きている。

もうひとつの真ん中。
それは今自分が拠点とする名古屋。
日本のまんなか。東西南北とても便利な町。
「ちょっと名古屋で降りるので、打ち合わせお願いします」
と東京出張の帰りに、途中下車いただく京都の方や、
「ちょっと名古屋いくので、時間取れます?」
という東京の方。
さいはてであると、なかなかそうはいかないが、真ん中と
いうのは、なかなかいい。

ということで、いろんな意味で、今、真ん中人生を楽しませて
いただいている。上も下も、右も左もしっかり見ていこう。

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赤か黒か、を越える。

世の中、いろんな仕事がある。
収益性の高い仕事。常に利益を生み出す仕事。
これが多ければ多いほど、経営的には安定する。
そうありたいものだ。
一方、事業をする以上、新しい挑戦をしなければ成長・進化はない。
挑戦する場合、いきなり収益を出すことは難しいことも多い。

決めた課題に対して投資する。
その瞬間は当然、赤字になることもある。
それを覚悟して、取り組む。

でもその赤字が、他の案件で収益を生むことにつながることもあれば、
時間を経てしっかり実を結ぶこともあり・・。
やってみなければわからない、ということも多いのが現実だ。

「損して得とれ」
という言葉がある。
個人的には損得勘定という言葉自体はあまり好まないが、
目先の利益追求だけでは、仕事は継続できない。ということは
経験済みだ。

モスフードサービスの創業者が
「たらいの水」の話をよくされていたと関係者の方から聞くことが多いが、
これはもともと、二宮尊徳さんのお話しだとか。
改めて感動するし、共感するし、そういう生き方をしたいと思う。

仕事も含め、人生にはこの発想がとても重要で、
「利他の心」とも通じると思う。

ということで、今は赤字であっても、自らの意識と行動次第で
結果、黒字になることは多い。
小さな取り組みではあるが、自分もこのことは経験済だ。

25年間、この仕事を続けてこられたのも、
このような考え方が無意識のうちに支えになっているのかもしれない。

とにかく目先の利益にだけとらわれず、大きくいこう。
何がしたい、どうなりたい?
ここに向かっているのであれば、今は赤字でも、大丈夫。
目指す道が間違っていなければ、いずれ実を結ぶはず。

むしろ、見方を変えれば、数字の赤字は、心の黒字という
こともあるのだ。

ビジネスとは常に物心両面であるが、あえて心を大切に
していきたい。


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自由を維持するには。

昨年亡くなった作家の森村誠一さん。親世代の方であったこともあり、また
子どもの頃から「証明シリーズ」でベストセラーを世に出し、映画にもなって
・・ということで、その存在はもちろん知っていた。
ホテルマンという時代を経ながら、作家になる準備をされていたことは後で
知ったが、信念をもってまっすぐ生きた人として尊敬する。
ホテルという世界を作家になるために、素材の宝庫であるとしてフル活用された
とのことで、なるほど。。と、よくわかる気がするが、
自身が生きたどの瞬間、どのプロセスも無駄にしなかった人だと思うと、
学ぶことが多い。

作家になられた動機のひとつは、目の前で見た戦争の惨状。これをいつか絶対書かねば
ならないと思ったことだという。
戦争を二度と繰り返しては行けないと生涯、それを作品や発言で表現した。

生前のあるインタビューでのこと。その森村さんからみると、今の若者は戦争を知らず、
自由が当たり前だと思っている。今の日本は自由にあふれている。でも、この自由を維持するには、どれだけの努力が必要か・・。とのことを話されており、深く印象に残った。

自由・・・。本当にそうだ。私たちは自由に生きさせてもらっている。どんな統制もなく、
自由に考え、行動し・・・。これが当たり前だと思っている。
そうではない。ということを森村さんはおっしゃっている。
自由を維持することの大変さを知ろう。
確かに自分も努力をしなければ自由に生きることはできない。
また周囲も努力をしなければ、自由は失われてしまう。
お互いの努力が不可欠なのだ。
また、人間だけ努力をしても、今回の地震のように瞬く間のうちに自由が奪われることも
ある・・・。

とにかく、自由とは本当に尊いものであり、努力をしなければ得られないものであり、
それでも失うこともあることを覚悟していなければならないものである。
ということを、改めて大切にしたい。

一見、自由は楽で楽しそう。
でも、違う。自由とは自立していなければ得られない。

自由とは自分らしく生きることでもある。
それが一番の幸せ。そうできるように、嫌なこと、やりたくないことも、進んでしなければ。労なしに、楽はない。

自分らしく生きるために、自由を維持するために、さぼらず真面目に。
今日もコツコツとはじめよう。

森村さんの生き方に大変興味が湧いている。そのうち、まだ読んでいない
推理小説にも目を通し、森村さんの世界に触れ、その生きざまを知りたいと
思う。

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ともに・・。改めて被災地に心を寄せて・・

1月17日。この日が来ると、関空に戻る前に出張先のニュースで見た、
あの高速道路の衝撃映像をまず思い出す。

あの高速は日本では?え?えらいことが関西で起きている・・・。
阪神淡路大震災のことだ。

あれから、約30年。日本は大きな地震を何度も経験してきた。そして
このたびは、元旦の能登の地震・・・。
阪神でその恐怖を経験した方たちは、今朝改めてあの日を思い出して
亡くなった家族や友人への思いをかみしめておられることだろう。
そして今でこそ、神戸の街も元気によみがえったが、それまでの
長く大変な道のりを思い出し、このたびの能登の地震の惨状と重ね
合わせておられることだろう。
東日本大震災も、新潟での地震も・・・。
ほんとうに私たちにとって、地震は身近な存在になってしまった。

明日は我が身かもしれない。
そのことを改めて肝に銘じ、
今朝もあたたかい部屋で一日をスタートできていることに
心から感謝したい。

日常は尊い。
そのことに感謝し、自分ができることを続けていきたい。

改めて阪神地区の皆様のがんばりに敬意を表し、
そして今頑張っておられる能登の皆様に今日もエールを
送りたい。
小さいことしかできないけれど、今できることを、やり続けたい。

117,311。そして0101・・・こんな記念日はもう増えないでほしいとの
思いを込めて、ただ祈る朝。

「ともに」、がんばれ!のメッセージが心に沁みる。

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演歌・冬・日本海・・・。

演歌というのは、誰でもが口ずさめる、人生を描いた楽曲のジャンル。
喜怒哀楽、人の一生を情感溢れるメロディー、わかりやすいコード進行、
心のこもった歌唱で聴く人を魅了する。
昭和という時代は、この演歌も花盛りであった。
カラオケが流行った背景のひとつにも、演歌の存在があると思っている。

そして演歌とは、季節でいえば冬のイメージがある。
そして舞台は日本海、そして北国・・・。

先日のミニコンサートでも、一部演歌も歌った。
日本海に思いが届くようにと、心を込めて歌った。
なぜに、こんなに冬の厳しい日本海には、演歌が似合うのだろう・・。
歌いながら、改めて思っていた。

この冬の演歌は、いつも以上に心に沁みる。
地震のせいもある。
あの寒い日本海が・・・と思うと、悲しみ本線日本海や、越冬つばめ・・・
などなどのメロディが浮かんでくる。
そして、昨年末に亡くなった八代亜紀さんのことを思うと、
数々の名曲が浮かんでくる。
やはり、冬、北国のイメージだ。

冬はまだまだ厳しい。日本海の人たちのご苦労が気になる毎日。
1日も早く、日常が戻るように。

被災地でお亡くなりになった方、そして八代亜紀さん。
心からご冥福を祈り、自分が今できることを、改めて考え、
実行したい。

日本海に今日もエールを送りたい。

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理想のリーダー

台湾の総統選挙が終わった。今年は世界のリーダーの選挙イヤーとも言われ、
それにより、世界も大きく変わるだろうと言われている。これに続く、ロシア、
アメリカの選挙はとくに影響が大きい。
台湾は世界の大国との関係が不可欠な国であるため、その行方は注目された。
個人的には蔡総統のような方にはもっと続けてほしいと思っていたが、その後継者
に決まって、少し安堵した。
蔡さんは、強くてしなやかなリーダーであると尊敬していた。
そして、すでに引退したメルケルさんも大変尊敬するリーダーであった。
世界を見ながら、そして宗教的、哲学的な思想をきちんと持ちながら、世界の、自国
のあるべき姿を希求し、言うべきときは言うべき相手に立ち向かった。
また女性ならではの、やさしさやしなやかさも兼ね備えておられたと思う。
懐の深さも感じる安定感のあるリーダーであったと、私自身はそう思い、応援していた。

人を国を率いるリーダー。
利他の心があることはいうまでもない。
私服を肥やすことばかり考えている人はリーダーになってはいけない。
リーダーは率いる組織や国が目指す方向に進めるように、対外的、内側の関係を
調和をとりながら、前進する。
正義の味方でなければならない。

歴史上、さまざまなリーダーが出現し、成功失敗を重ね、今日の世界ができている。
リーダーは今だけでなく、将来にも影響を及ぼす大きな存在である。
そんな大きな責任をもつ存在・・・。
ということを、日本のリーダー?と呼ばれている人達は理解しているだろうか?

発する言葉、表情、目線。どこをとっても、危なっかしいこの国のリーダー?は
理想のといえるだろうか?
次代の人たちが、理想のリーダーを描き、目指せること。
国単位でなくても、組織でもいい。
理想のリーダーについて、改めて考えてみたい。

リーダーとは、その字のごとく、あるべき方向を示し、きちんと導ける人。
導く・・。この言葉の意味は大変重い。

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同じ言葉、大歓迎。

今年初めて、いつも伺っている地元のデイサービスにお邪魔する。
母と親交のあった方たちがご利用されており、その時もそこに
滞在され、皆さん昼食後のくつろぎ時間を過ごされていた。

お年寄りのための喫茶店のような、そのデイサービス。
皆さん10年前、20年前と比べると会話は少ないが、それでも
定位置の椅子に座って、1日時間を穏やかに過ごしておられる。

そんな静かな時間には、不意の来客・珍客も歓迎というところか。
ちょっと出来上がったカレンダーを届けに来ただけであったが、
せっかくなのでと、皆さんのくつろぎスペースにお邪魔する。
みなさん、はっと我にかえって笑顔で挨拶をしてくださる。

とにかく日常の中のちょっとしたハレの時間は楽しいものだ。
「今日はコンサート?違うの?今度やってもらえるの?」一応、
私が演奏をしに来ている人という認識はあるようで、せっかく伺ったので
次のコンサート日も決める。
「あ、そうだ。2月14日はバレンタインだし、この日にやりましょう!」
と即決。そんなイベントが1か月後にあるのはうれしいものだ。

と、室内が盛り上がり、皆さんもそれぞれおしゃべりされる。
なかでも、母がお世話になっていたある方は、「お母さんに本当に
よく似てみえるね。お母さん、いい人やった。お母さんいつもお墓に
お参りに行かれて、いつもうちに寄ってくれて・・・」
と私の顔を見て母の話をされる。この話はもう何十回もお聞きしている話である。

でも、「前もいっておられましたね。」とかは言わない。
「ああ、そうですか。いつも思い出していただいてありがとうございます」
と、こちらも何十回も同じことを、新たな気持ちでお伝えする。
その方にとっては、私の顔=母のお墓参りと母のおしゃべり・・とつながって
おり、私を見ることで、母との思い出が毎回蘇るのだろう。
もう聞いたことだから・・ではなく、何回も思い出していただき、一緒に母の
ことを思い出せることに感謝する。
そう、同じ言葉はかえってうれしい。
と、そんな風に思えるようになってきたのでは、繰り返し施設にお邪魔して
いるせいかもしれない。

それぞれの時計、ときには止まった時計。
人生の時計は新しい時を刻むだけの存在ではなく、ときに前に戻ることも
ある。そして、楽しかった思い出であれば、何度も思い出せた方が良い。

同じ言葉を歓迎する。
その言葉で、母の存在がよみがえる。
「ああ、また思い出してもらって、幸せだね」と心の母に語り掛ける。

私もいつかそんな日がくるとしたら、
どこまで時計を戻して、どんな言葉を発し続けるのだろうか。

できたら、今はずっと自分で時計を回し続けたい。止まらないように、戻らないように。

さあ、今年のバレンタインはなんだか忙しくなりそう・・。

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