真なるマルチタレントのお方に。

久しぶりに尊敬するド・ロさま ゆかりの土地に足を運ぶ。
遠藤周作が、この海はポルトガルにつながっていると言い、自らの終の棲家にも
希望していたとされる、映画「沈黙」の舞台にもなった、長崎市のまさに最果ての地、外海である。
この地に明治時代、キリスト教が解禁されてから、フランスよりこの地に移り住み、生涯を長崎の人々、特に女性の自立(と信仰)について大きな導きをされたド・ロさま。下の写真の出津教会も、ド・ロさま自ら手掛けられた建築物であるが、建築のみならず、印刷・医療・教育にいたるまで、本当にマルチな才能を長崎の人たちのために発揮された。
マルチタレントとは、まさにこういう方のことを言う。
と、いつも、ド・ロさまゆかりのここに来ると、神様が与えた才能~ということ
について考えさせられる。
その下の写真は、ド・ロさまが母国から取り寄せられたオルガンと、時計。
いずれもいまだに現役である。一度、新潟の方たちを招いてここでコンサート
をした日々も懐かしい。
ド・ロさまは、今もここに眠っておられる。
豊かな才能を人々の幸せのため、世のために発揮された生き方は、本当に見習いたい。もちろん、才能がなくては何もできないが・・・。

さまざまなことに興味・関心をもち、アンテナを張って、教養を身に着け、実益に生かす。少しでもド・ロさまに近づけるように・・と、思うのは自由だと、赦していただけるだろう。
それにしても、出津教会を訪ねるときは、いつもこのような空。
青い空に教会の白がとても似合う。
真のマルチタレントはもしかしたら、空の色までコーディネイトしているのかも?
改めて、ド・ロさまに心より敬意と感謝を。

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挑戦した日を思い出し・・・

10年になろうか。フランシスコ・サビエルへの想いを曲にした日から、
そう、もう10年の歳月が経つ。ポルトガルのリスボンで生まれた
「フランチェスコの夢」・・・。フランシスコザビエルという名前を直接
名づけるのが恥ずかしいというか、恐れ多いというか・・・。ということで
そんなタイトルにした。今思えば、最近リリースした信長の曲も
「NOBUNAGAの夢」というタイトル。偶然というか、必然というか・・・。

話を戻す。とにかく10年前につくったこのザビエル讃歌を、ザビエルゆかりの
地で演奏したいとの妄想が生まれ、大分で開催されたザビエルサミットに足を
運び、その勢いで、平戸市に乗り込んだ。それが9年前の3月末。
年度末になると、この無謀な冒険を思い出す。
よく行ったなあ、よくやったなあ。
本当に平戸で演奏できるとは思っていなかったが、ザビエルが背中を押して
くれたのだと、今もそう信じているわが挑戦、わが冒険。

そして、久しぶりに訪ねた、平戸のザビエル教会。
16世紀半ばに来日、平戸でも布教活動をしたザビエル。実在し、ここに来たのだと
実感が湧いてくる。
久しぶりにこの立像を見ながら、ザビエルの人生と冒険を久しぶりに思い描く。
彼がここにたどり着いた日は、どんな天気だっただろうか?
写真のような青空の下、ザビエルは新たな土地での布教に燃えていただろうか。

時を越えて、わが人生にとって大切な存在のひとり、ザビエル。
誰も思わない挑戦をする。冒険をする。

いくつになっても忘れないで!
と、久しぶりにザビエルに再び背中を押された気持ちになった。
新たな挑戦を続けよう!と。

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悲しみを越えた優しさ

久しぶりに長崎の町を訪ねる。いい天気で清々しい。

一方、風が強く、見た目と違う厳しさも感じる。

宗教弾圧や原爆といった人類史上類を見ない苦難を背負って来た長崎。

この写真は16世紀に、キリスト教を厚く信仰する26名の方たちが殉死された西坂という場所である。殉教の地に立つということだけで、特別な感情になる。

そう、いつもここに来ると、為政者、権力者の非道を思い、ここで亡くなられ、聖人となった方々の思いを想像し、祈りを捧げる。

あってはいけないことが起きる。それを乗り越えて、先人たちは生きてきた。
この歴史から学ばなければならない。

長崎の街は 苦難を何度も乗り越えて来たからこその、優しさと強さがある。
だからここが大好きで、訪れるたびに新たな力がインスパイアされるのを実感する。

優しく、強い人になれるように、と長崎の空を見て思う春。

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アンクルの存在。

父の弟が二人。おじさんである。
二人とも、まったく個性が異なっているが、
それでも父の弟だということで、親しみを
もって子ども時代から接してきた。
とくに親の最期においては、お二人にいろんな
意味でお世話になってきた。
兄弟愛とはこういうものかと思うこともあった。

そして、父がいなくなった後、この二人のおじさんは
役割分担を決めているわけではないけれど、
実家のゴミ出し、庭の手入れ・・といった役割分担を
もって、それぞれ日課のようにやってくださって
いる。

そして、一人のおじさんは、私のライブの機材搬入搬出
の手伝いをずっとしてくれている。
機材が必要な会場には、いつも一緒に運搬してくれる。
そのお礼は、毎回、喫茶店でのモーニング。

本当に毎回申し訳ないので、「悪いですね~毎回毎回」
と話すと、
「いいよ。自分の義務と思っているから」
と言われてぐっときた。
私の演奏機材を運ぶのが義務。ある意味、父の代役を
してくれているわけだ。

今、この二人のおじさんの健康が気になっている。
80歳に近づいてきている。気が付けば父の寿命に近づいている。
いつまでも、実家のことや、私のことで力仕事をお願いする
のもよろしくないかもしれない。

今はこの二人のおじさんがいつまでも元気にいてくれること
が大きな願いだ。

ふたりのアンクル。その名は、あきちゃんとかっちゃん。
父の記憶を共有できる、かけがえのない存在である。

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ふっとあの日へ。

目まぐるしく、毎日を過ごしている。
忙しければ気もまぎれ、寂しさも薄らぐと思ったのか、
とにかくこの三年は意識的に動く。
立ち止まらないように、ふりかえらないように・・・。

しかし、この頃になると、やはり母との最期の時間のことを
思い出してしまう。
3年前の今ごろは母が緊急入院して、コロナのせいで、
もう面会もできず、それにもかかわらず、用事をつくっては
病院のナースステーションまで出向き、ご近所さんからの
寄せ書きを届けたり、様子を聴いたり・・・。
そんな風に過ごしていた。

実家のカレンダーは、母と一緒に眺めたカレンダーが
そのまま掲示されている。
あの日をいつでも思い出せるように、思い出を消さないように
カレンダーは2021のまま。

あと1週間で、母が逝ってしまう・・・。
三年前の今日はそんなことも知らずに、せっせと病院に
通っていた。
息をしていた母がいた時間。
ふっと忙しさの合間に、そんなことを思い出す。

あれから3年、ふらふらしながら立ち上がり、そして
歩き始め、今日へ・・・。

ふっと思い出す。母との最期の時間。
3月後半はそんな時間
毎年、思い出しながら桜の季節に向かうのだろう。


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「普通」って何だ?

昔から、そして今も、いつも気になっている日本語がある。
それは「普通」の二文字だ。
いかにも、日本的な言葉かも?
英語でいうと、ordinary 。
この「普通」という言葉は日常生活によく登場する。

まず、高校などで「普通科」というクラスがあるが、一体何?
その言葉どおりでいくと?普通?平凡?ありきたり?と解釈
してはいけないだろうが、普通って?と思っていた。
私は幸いにして、「音楽科」であったので、専門性があり
何をやるのかわかりやすく、また個性的でもあり、その名称も気に入っていた。
普通科では、確かに成績がいい人もいるが、でも、しょせん「普通やんか?」
という感じで、ピンとこないし、ぱっとしない印象。
総合科とでも言った方がまだわかるのに・・。誰が、いつ名付けたのだろう?

電車を見てもいつも思っている。「普通」の二文字。
なんで普通なんだろう?各駅停車の方がわかりやすいし、
この場合なら英語もSTOPS AT EACH STATIONでわかりやすい。
普通となっていると、英語にしづらいのでは?

またアンケートや小学時代の時の通信簿でも、
「良い・普通・悪い」とか、「良い・普通・がんばろう」。
と、とにかく普通という二文字が、多用されている。
よくもなく悪くもなく、なのか、良くもあり、悪くもあり・・なのか
本当にはっきりしないこの「普通」という言葉。
ニュアンスで理解する言葉なのかもしれないが。

かなり昔になるが、
「普通のサラリーマンになりたい」
「普通のお嫁さんになりたい」
という言葉も聞いたことがあるが、その普通とは?
多くのみんながしている、どこでもいつでも多くのみんなが
していることをするのが、普通?なのだろうか?
平凡という意味だろうか。それは安心の印なのだろうか?

「普通」とは・・・。普遍に通じる。と
自分なりに良い解釈をしてみようとする。
そうか、普通というのは本当はとても深い意味なのかもしれない。
でも、そんな風に考えて使われているだろうか?

と、日々の生活で「普通」という言葉に出会うと、ついつい
考えてしまうこの半世紀余り。
普通とは、「並」に近い?(この並みもわかりづらいが・・)
いずれにせよ、
なぜ各駅停車が普通であるか・・の答えにはなっていない。

さりげなく、なにげなく使われている言葉のなかで、時々意味が
わからないものもある。
言葉とは所詮、そんなものなのかもしれない。
普通の人々、普通の暮らしのなかでは・・・。

この一見、無表情であるけれど、とても受け皿の広そうな二文字。
普通・・・日本人には相性が良い言葉なのであろう。

普通の対極にある二文字。希少、特別、異常・・・。個人的には
こちらの方に興味があるが。



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学生時代にタイムトリップ

春といえば、終わりとはじまり、別れと出会いが交差する
季節でもある。日本ならではの年度末カレンダーがあるせいか。
卒業と入学・・・。
どちらにせよ、胸を膨らませて次に進む人口が日本中にあふれる
この季節。
先日、京都のある中学校の前を通ったら、その日は卒業式の当日だった。
正式には卒業証書授与式である。
大きな書で書かれたその看板の前を通った時、懐かしい気持があふれた。

最近、学生時代の恥ずかしい、懐かしい思い出に触れる機会が続いている。
たとえば、高校生のとき。仲良しの友達と出かけた高山への小旅行。
10代のころから旅が好きだったのだ。
高山の少し先にいくと、飛騨古川という城下町もあるが、そこにも立ち寄った。
たまたま、先日NHKの昔の番組の再放送でその古川のことを取り上げており、
まさに40年前訪ねた和ろうそくのお店、職人のおじいさんが映っていた。
あ、この人に会ったことがある。店先でろうそくを作りながら、解説されていた。
ふと、わが高校生時代のことを思い出した。
普通列車に乗って、時間をかけて出かけた楽しい旅。

また教育実習に来られた先生と、最近再会。当日の私のおてんばぶり?のエピソードを
お聞きし、背^ラー服姿のピアノ漬けの高校生である今尾昌子を思い出した。

春はそんな思い出にも多く出会う季節。自分が卒業したころ、入学したころ、引っ越した
頃・・・。
今は学生時代に比べると、3月末だからと格別な思いや変化はないが、
それでも、日本中が東西南北移動するこの風景を見ながら、
人が動くことで、新たな化学反応がこれから起きることへの期待感を抱く。

学生時代。まだ将来は見えていなかった。
迷いのまま、出発した。
そんなこと自体も、今は懐かしい。
学生時代。何十年も会っていない同級生は元気だろうか?

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うれしい春、そのための苦労。

ベースアップ、賃上げ・・・。春らしい話題のひとつかもしれない。
賃上げをすることが日本経済の活性化につながる。と言われて久しいが
なかなかそれが実現できず・・・でもこの春は様子が異なる。
大手の企業が次々と賃上げを発表している。
その組織で働く人にとっては、一番の歓びかもしれない。
組合がある組織は、労使交渉の結果、その成果であろう。
労働者という響きはあまり好きではないが、雇用され働く人にとって
は、賃上げは大きなモチベーションにつながり、組織の活性化にもつながる。
(もちろん、働く意欲はそれだけではないという方もおられるだろうが)
そして、日本の経済の活性化にもつながる。

と、うれしいニュースの一方、中小企業の経営者のことが頭に浮かぶ。
人の採用を考えた場合でも、賃金は最大の決め手になる。
安いということで、選ばれないということも多い。
だから、わが社もベースアップを・・・。と努力される経営者たち。
一時金とは違い、ベースアップはずっと続くのだから、覚悟が必要だ。
その上での賃上げ。
とくに中小企業でのそれは本当に大変な決断であることを、働く側も
心して、それを受けとめていただきたい。

そして、そうはいっても、賃上げは難しい。
という企業も多いはずだ。
世の中に明るいニュースが流れれば流れるほど、苦い思いをされる経営者
また、従業員の方もおられる。
そのことを忘れずにいたい。

仕事があればありがたい。
はもちろんであるが、もらえるものはもらいたい。
もわかるが、
そのために、経営者がどんな苦労や努力をされているかを
忘れずにいたい。

ベースアップは当たり前ではない、権利ではなく、
やはり感謝が基本だと思う。

いずれにせよ、今回のベースアップを機会に、従業員のみなさんが
これまで以上にいきいき頑張って仕事をしてくださることが
経営者の歓び。そして生産性も上がって、さらに・・と、未来への
発展につながれば、企業にとって意味がある。

今回の動きが組織の、社会の活性化になっていけばよい。

それにしても、世の中の社長さんたちのご尽力に頭が下がる。



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名は未来の体を現し・・・。

3月末で長年愛用してきたお菓子が終売になる衝撃については
前に記したが、存在がなくなるわけではないが、3月末をもって名前が
変わり、4月から新しい出発をするという商品や組織もある。
年度末とはそういう切り替えのタイミングでもある。

たとえば私が四半世紀前、お世話になっていた会社もこの3月末をもって
でその名を変え、新会社として4月からスタートする。
名前が変わるということへの想いは、長く働いてきた、関わってきた
人にとっては寂しいことである。その社名入りの名刺をもち、その名の看板
でもって仕事をしてきた。形は残るが名は消える。
そんな例はあまたあるけれども、やはり身近な存在であると、その変更への
想いはカウントダウンと共に募る。

はじめて社会人として働き始めた頃。すでに40年前になろうとしている。
その会社の看板を見て初めて面接に訪ねた日のことがよみがえり、当時の
面接官たちの顔を思い出す。もうお目にかかれない人たちのこと。
それから40年の月日が経ち、その組織は新たなスタートを迎える。

企業の名前はいろんな意味がある、創業者の名前であったり、社に込める
想いを詠ったものであったり、役割や機能を表現したものであったり・・・。
人の誕生時に親が子の名前をあれこれ考えるように、社名も熟慮の末、
決定され、長く使用される。
名は体を現し、名は体に近づく。だから名前はその存在にとってとても
重要である。しかし、時代の変化とともにその名を変えることで新たな
役割を担い、さらに世の中の役に立てるようになる。
そんな思いを込めての、名前の変更、業態の変更、サービスの変更。
すべて未来に向かい、その歴史を活かしながら生き続けるための、
前向きな挑戦である。

今日は現在の社名の会社に向かう最終日となるだろう。
次、足を運ぶときには、看板もすべて変わっている・・・と思うと
ちょっとこみあげるものがある。
もちろん私以上に、そこで社会人になってから長く働いてきた
人達の方がもっとその思いは強いはず。

伝統を生かしながら、変革を続ける。
企業とはそういう生き物である。
名は未来の体を現すのである。

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気合が良薬?

このところ、体がとても冷えるので・・ということで、取り急ぎ近所のクリニックに
駆け込みいい方法をたずねる。
とにかくこの季節、このお年頃のせいもあってか冷えやすい。でも原因はいろいろ
考えられるため簡単には治らないとのこと。まあ、それもわかる。

血管はちゃんと機能しているようであるから、では温めるのみ薬を処方しようかと
いうことになる。
なんとなく、こういった類の対応は、漢方がよいのだろうと思う。
医者も慣れない漢方情報を見ながら、薬を選択してくれた。選ぶことが処方?

なんとなくじわじわ効いてくるのだろう。と思い、何年ぶりかにその冷え性に効く
らしい漢方薬を試すとする。
お湯でといて・・・。
ああ、まずい。まずすぎる。
まずくて飲めないから、お湯でどんどん薄める。それで量は減らない。

とにかく1包を長い時間をかけ、飲み終えた。苦行である。
薬1種類、体に入れるだけなのに、なぜこんなに時間がかったか?
まずいから。まずすぎるから。である。

1袋目はがんばったが、もう次は無理だ。
こんな飲むのがしんどいならば、他の方法でがんばろう。
こんなまずいならば、まだ冷えている方がましだ。
と思ってしまったほどに、まずかった。

良薬口に苦し・・という名言があるが、そんなに良薬でなくてもいいから
口に苦しはなんとかしてほしい。と久しぶりに思った次第。

良薬とは、好きなように生きること。そっちの方が結局は健康的でもある。
苦しみながら薬を飲む?
そんなことで、2袋目からは、開封する気に慣れず・・きっとこのまま
だろう。
名言に、時に逆らってしまうが、まずいのは健康に悪い。
飲まなくても頼らなくてもいいように、自ら元気でいること。
気合が良薬か?

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