町のお医者さん、デイサービスの役割

いやはや、高齢化社会とはこういうことか・・・と新たな現実を知り、
学ぶことが多い今日。
高齢者が誰を身近な存在として頼るのか・・。

先日リリースしたアルバムは、いろんな方法で入手いただけるようにと
自分なりに工夫した。
直接お渡しする方法から、ネットでの配信サービス。それもプラットフォーム
を利用する方法から、自分のネットショップでの販売・・・。
地元ではお年寄り向けに、チラシの新聞折り込みも試みた。

ご注文方法も、実にさまざまである。
一番有難いのは、直接ご連絡をいただき、直接お届けすること。顔も見えるし
間違いがない。でも、メールはもとより、電話やファックスも利用されない方
もいる。

いつも演奏に出かけているデイサービスでは、私のCDを毎日流していただき、
皆さんの耳におなじみになった。さらに新しいアルバムも利用者さんに紹介し
ていただいた。希望される方にはデイサービスで注文をきいていただき、こち
らに連絡をくださる。なんとありがたいこと!

さらに驚いたのは、突然届いたファックス。
CDセットの注文だ。やったー!とよくその予約用紙をよく見ると、実家の
近所のお医者さんからファックスされているようだ。
最近、あつかましくもその医院の待合室にチラシを置いていただいたことで、
患者さんが申し込みたいけど・・ということになり、お医者さんが代行して
くださったようだ。

チラシを置いてもらうだけのつもりが、患者さんによっては、その要望に応えて
ファックス代行まで・・・。。改めて、町医者とは大変だなと思った次第。
「毎日来られる方ですので、いいですよ」直接ファックスできない、電話も
ちょっと・・という患者さんのため、医院の事務の方が気を遣い、サポートして
くださったのだろう。
いただいたファックスを見てから医院に電話をしてお礼を述べたあと、
ご本人に直接連絡をとる。

高齢者は身近な人に頼る。
家族はもちろんであるが、いつも行く場所、慣れた場所で、多少の無理を言って
助けてもらう。
町医者さんはここまでしないといけないのか・・・と頭が下がるが、
今どきはこういう場所も増えているのかもしれない。
助け合いの精神。高齢者のコンビニ的な存在。心のよりどころかもしれない。

介護と医療。高齢者の身近な存在。
確かに母も、両者にとどまらず、地元の喫茶店の方にも大変お世話になった。

当時をふりかえると、かなり無理を言ったな~。と
思わず、恥ずかしくなる。

高齢者の買い物。今回のアルバムの販売はある意味、いろんなマーケティング
リサーチとなり、また予想外の学びとなった。
ネット購入の対極の世界が、ここにある。それが現実だ。

マニュアルにはない、超アナログのサービスがあってこそ、医者もデイサービス
も地元の皆さんに長く、何度もご利用いただけるのかもしれない。

なかなか大変な世の中だ。

医院の先生、職員さん、デイサービスの皆様に改めて心から御礼をお伝えしたい。
私自身が助けられている・・、
ありがとうございます!


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雪国の春、懐かしき人を思う。

4月は新潟で出会い、何年もおつきあいを重ね、そして地元でのコンサート
実現にもご尽力いただき、たくさんの思い出をいただいた方を
思い出す月でもある。雪国で生きた強い女性。わたしにとっては、雪国おんなの
代名詞のような存在でもある。

コロナ禍、闘病生活の末、静かに旅立たれた。
その何か月か前に、最後のメールをいただいた。
ほんとうに、もう会えないんだと思う、その人が力を振り絞って
送ってくださったメッセージであった。

その何年か前、お元気な頃。
食事をして長岡駅で別れるときに、実はがんが見つかったと打ち明けられ、
抱き合って励まし合った。
闘病しながら、回復すると再会しようと駅のカフェや駅近くのレストランで
お会いした。
ご自宅の方まで出向いたことも、何度もある。
終活ノートや限定でつくられた家族の本も進呈いただいた。

お母さまを送るのが最後のつとめ。とそれをしっかり実行され、
そのあと、ご自身も・・・。

公私を越えて、おつきあいいただいた。
今もその改札を通ると、そのときの場面がよみがえる。

お元気だったころは、地元のみなさんが尊敬するゴッドマザー、
時代を先取りしたキャリアウーマン(古い表現であるが)。地元の名士。
とにかく、カッコいい方だった。
私のことも、人一倍、応援してくださった。
尊敬するのはこちらなのに、講座を受講いただいたことが出会いの
きっかけだからというだけで、ずっと「先生」と呼び続けてくださったところに
これまた尊敬の念も沸いてくる。ちゃんとされているのだ。


昨日、その方が暮らし、仕事をされていた町に出張した。
ほんのわずかな空き時間、なんだかあの頃のことを思い出したくなって、
彼女と行き来した道をひとりで歩いた。信濃川を渡った。

道中、いろんなことが、思い起こされ、この町を知ったきっかけはこの方との
出会いであったと改めて、懐かしく強く思い出された。

信濃川は雪解け水で量も多く、雪国の春を感じた。
雪のおかげで、人々が豊かになれるんですよ。雪は吉なんですよ。
と笑顔で話してくれていた顔が浮かんでくる。

みちこさーん、みちこさーん。
心の中で呼びながら、懐かしい道を歩く。桜も満開。

会いたくても会えない。そんな人が増えてきている。
そんな人に会いたいときは、一緒に過ごした場所に行く。

雪国の春。新潟の空も鉛色から青空へ。春の証し。
前方に見える山々は?あとで仲間にたずねるとしよう。

小千谷。おかげさまで、あの方の想い出とともに、
今、新たなつながりが生まれようとしている。

これからもずっと見守ってくださることだろう。
雪解けを待つ、新潟の春。これから本番である。

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この一言があれば。

今、お世話になっている会社では大変ユニークな取り組みをされている。
「サンキューカード」を使った社内コミュニケーション企画、題してサンキュー
project。企画当初、会社が39期目とういこともあり、3と9で、thank you。
感謝の気持ちを社内でもっと伝え合おうということになってスタートした企画だ。
職場の人にお世話になったな~と思ったら、お礼を言いたいと思ったら、
匿名でもいいので、会社があらかじめ用意したサンキューカードに、その感謝の
気持ちを記し、社内のポストに入れる。1か月に一度、総務でそれを確認して、
カードに書かれたご本人にそのカードが届けられるというもの。
毎月その結果は、社内の食堂にも掲示され、また時々、この取り組みはプロジェクト
のニュースとして情報共有されている。
この企画は、1年間続けられ、先日1年間の報告があった。1年で380枚の
カードが贈られたとのこと。従業員数は80名ほどであるため、1名4~5枚程度は
書かれたことになる。
この度1年が経過して、たくさんカードを贈った人、贈られた人が発表された。

ほんとうに、とてもいい企画だと思う。「ありがとう」の言葉は、「有難う」であり、
本当はあり得ないこと、当たり前ではないこと。
しみじみ、深い言葉である。その意味を理解して、感謝すると贈る側まで、
心豊かになれる・・・そんなひとこと。
この一言さえあれば、人は幸せになれる。
と、そんなことを、日頃忘れがちであるが、この企画は人として最も忘れては
いけないことを思い出させてくれる、学ばせてくれる最高のコミュニケーションの
機会である。

ちなみに、社内の人間ではない私にまで、このサンキューカードを書いてくださ方が
おられて、ほんとうにありがたいこと。どんな気持ちで書いてくださったかなと
思うと、ああよかったと安堵の気持ちにもなり、その相手に感謝の気持ちも芽生える。

日頃、「ありがとう」の言葉をすぐに言えなかったりすることもある。
また思い出して、振り返ってからありがたいと思えることもある。
言いたいときに言える。いつでも歓迎の、自発性を大切にする企画だ。

この企画は1年で終わらず、新年度からも引き続きの実施となった。
直接「ありがとう」を口にすることが難しいときもあるが、書いてそっと
ポストに入れておく・・というのはなかなか粋である。
いつまでも、この純粋な気持ちを忘れず、ありがとう!の言葉を
遠慮なくかわしたい。
「ありがとう」は幸せを運ぶ、宝のことばである。

小さな取り組みが、人と人をつなぎ、組織を元気にすることも多い。
「ありがとう!」たった一言なのに、気が付けば大きな力になっていると
感じる。

世界どこでも、時代が変わっても、「ありがとう」は永遠に、最高の
コミュニケーションワード。


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「年のわりに」は、誉めことば。

最近、医療機関を利用するとき、若い医師に診察して
もらうことが多い。
自分が子供の頃は、お医者さんといえば、もちろん自分より
年上の人というのが大前提であったが、だんだん同世代の方に
診ていただくことも増え、最近はたまたま近所に大学病院と提携
しているクリニックがオープンしたこともあり、とてもヤング!
なドクター(もしかしたら なりたて?か たまご)に出会う
ことも多い。

正直、最初は言葉遣い含め、いかにも現代風で医者らしくない?
と思ってとまどったが、おかげでいろんなヤングドクターに
出会うことでこちらにも免疫ができた。
最近は、相手は専門家だと思って、とことん聞きまくることにしている。
さて、たまたま腰のレントゲンをとって、その画像を見ながら
担当医は「年のわりには、きれいですね~」と一言。
なぬ?年のわりには?
これまで、あまり言われたことがなかったが、確かに一定の
年であることは認めなければならない。彼らたちよりは、
確かに年上なのだから。
「年のわりには・・・」これはきっと誉め言葉だと理解する
ことにする。

おそらく、これからいろんな場面で
「年のわりには・・・」と言われることだろう。
特に医者には年齢が知られているわけだから、まあ、よし。

では、「・・のわりには」と言われ続けるようにがんばろう。

若いもんには負けへんで。と思うこと自体が、年であるが。
「年のわりには・・・」どんな場面で言われたいのだろう?


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さくら レクイエム。

さくら満開となったこの週末。
各地で花見を楽しんだという方も多かったことだろう。


私はどちらかというと、静かにひとりで愛でるのが好きだ。
少し風が吹いて、花びらが散り始める頃が、とくにいい。

桜の美しさは背景とともに変わる。
最初曇っていた空が、まさにスカイブルーになって、桜の花が映えてきた。
その瞬間に撮影。グレーより、薄曇りより、晴天が美しく見える。

幼き頃からの慣れた道、川の堤防。
地域の皆さんによる桜まつりのしつらえ。毎年、頭が下がる。
花が主役。通行客が歩きながら、愛でる。混みあうこともなく、いい。
まず私にとっての桜といえば、この場所であった。
駅まで歩く10分ほどの道中に老若のさくらの木々が並ぶ。
風が吹き、花びらが散って、川に落ちて流れる。花びらはどこまで流れて
いくのだろうか?
歩いていて、父の名前が入った提灯を今年も発見。
みつけたときは、心からうれしく、父に再会したような気持ちになる。
今年もあった、良かった良かった。

花は見事に咲きほこり、風が吹けば少しづつ散って、実に美しい。
でも、なんとも 悲しいような、さびしいような。
にぎやかに春の祭りに備える父と母の元気な頃を思い出してしまうのだ。
今は、残された提灯だけが ゆらゆらと・・・。

桜はレクイエムの花でもある。
今日は、お世話になっている方のお母様の旅立ちの日・・・。

なんだか、桜の花は、やはり人生そのもの・・・。

ぱっと咲いて、さっと散る。あやうさと、はかなさがあるから、美しい。
旅立つ人を桜が送る春の日。心から祈りをささげたい。

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知る歓び、学ぶ愉しみをずっと。

東京に住んでいた時代から、大学の社会人向け講座には時々顔を出して
いた。現役の学生に交じりながら、キャンパス内で自由な空気に触れながら
わが学生時代を思い出しながら、授業を聴き、普段と違う世界に触れ、
新しい知見に触れ、わが世界を少し広げる。
知るということ、考えるということは、やはりとても大切なことなのだと
思い、また講師の方々の話し方、教え方も学んだ。
こうやって話すと伝わる、伝わらない・・・・。そこも大変重要な学び。


とにかく普段接しているビジネスの世界と違う世界に身を置く時間は、
短くてもとても重要。
今は、オンラインで東京でも京都でもどこの学校の授業も受講できる。
コロナのおかげで、この点は大変ありがたい。

そんなこんなで、ずっと気になっていた母校の土曜講座。
とにかく毎週土曜に開催されている社会人向けの講座。
私が現役のころから、地域に開かれた名物講座である。
が、その頃は行ったこともなく、社会人になってからは忙しいと
いう理由で遠ざかり、東京に行ってからは遠いからと・・・
とにかくご縁ないままここまできたが、
昨日初めて、土曜講座をオンラインで受講した。

本当は衣笠キャンパスまで行って受講できたらもっと雰囲気も
含め、学びの空気に身を置くことができたが、いやいやオンライン
でも存分に講座を満喫できた。
テーマは「AIの国際的なルールづくりに向けて」とまさに今知って
おきたいテーマ。これから、ますます学習能力を高めるAIと
人間はどのようにつきあっていくのか。
あくまでも使うのは人間。AIが提供する情報に対して、これはおかしい?
と思える、それがわかる人間でいなければならない。ということ、
そして、AIを活かすために、またリスクから身を守るためにも教育が
必要だということ。また国際的なルールとは国が単独で決められること
ではない、国際間でのコミュニケーション、また民間、教育各分野との
連携、協力が不可欠・・・などなど・・・。
足元をみる、ちょっと先を見るためにも、これらの考え方は大変重要。
ちょっとかみ砕きすぎな感想になってしまったが、若き学者(教授)が
思いをもって言葉を発し、学びを共有される姿にも感銘。

やっぱり、学びは生きる上で不可欠な活動。学びたいことを学べばいい。
知の探究心がある限り、人間は成長できるのではないかと思った次第。
それにしても、この長年続く、土曜講座は素晴らしい取り組みだ。

オンラインで聞こえた質疑応答。自分よりかなり高齢の方のお声と
お見受けしたが、なかなかの本質的な問いかけをされ、この方はきっと
常連さんだと思った。
大学のファンづくり。こういった取り組みも大いに関係がある。
今後も、これに限らず、積極的にもっと受講したい。
いろんな学びの選択肢がある現在の環境に感謝して・・・。

開講講座一覧 | 立命館土曜講座 (ritsumei.ac.jp)

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関係は途切れずに育む。

台湾の地震・・・。
現地に住む、日本人の知人とは連絡がとれた。
揺れはあったが、無事であるとのことでひとまず安心。
一方、何名かの知人の顔が浮かんでは消える。

あの人は元気なのか?あのファミリーは大丈夫か?
何名かの人が頭に浮かぶのに、数年以上連絡をとっていなかった
こともあり、次第に消息がわからなくなり(お互い)、
地震のお見舞いを伝えることができない・・・。

この2~3日、顔は浮かび、名も思い出すが、
連絡できず・・という事態に
少し後悔しながら、反省も・・・。
心のなかで無事を祈るばかりだ。

今回の台湾の地震に限らず、他の国、都市でも同じごと。
遠い国、町にいるあの人は、今どうしているだろうか?
元気だろうか?
SNSが主流になる前、メールを使って丁寧にやりとりを
重ねていた時代。
SNSの登場で、個別に丁寧にやりとりするよりも、手軽に
多くの人と交流することが便利で楽しいということで、
個別のコミュニケーションは少し停滞した。
そのうち連絡をしなくなった・・・。

ハリケーンのとき、ニューリンズの知人にすぐアクション
できたように、連絡先さえわかっていれば、いろんな
サポートができるのに。

台湾の王さんは、頼さんは、李さんは・・・みんな元気
だろうか?
今日にでも、コンタクトできる人に連絡をと思っている。

こういう時に、関係が続いていることは大切だと
改めて思う。

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台湾、加油!

人生のなかで、ある期間を〇〇時代と区切ることができるならば、
台湾時代という期間もあった。30代後半から40代前半のこと。
何年通っていただろう?7年か8年か?毎月1週間ほど。濃厚な期間で
あり、当時の羽田空港の国際線ターミナルが懐かしい。

脱サラしたばかりの自分を鍛えるいいきっかけになったあの時代。
その頃、出会った現地の人たちのことは、今も思い出すと懐かしく
一人一人に会いたくなる。
そのなかでは、すでに先に旅立ってしまった友たちもいるが、お世話に
なった方も数えきれず、そして消息が分からなくなった人もいて・・・。

通っていた当時にも、大きな地震が発生した。
あのときは、急きょ、日本から知り合いのタオルメーカーの協力を経て
タオルを送って、お世話になっている会社で社内販売し、
それを役立てていただくようにした。
日本からのタオル…とても喜ばれた。
と、そんな思い出がよみがえった今回の地震。

昨日、台北に住む知り合いにコンタクトをとる。
大きく揺れたけれど、台北は大丈夫。という返事に安堵する。
しかし、震源地周辺はインフラも含め、被害も多く、これから
その影響が心配される。

台湾。いろんなピンチのなかを力強く生きてきている人たち。
歴史に翻弄されながら、自らの道を切り開く人たち、
日本にも統治された時代があったけれども、日本を愛してくれている人たち。
統治時代に、繁栄したこともあり、今も、台湾は昭和の日本を思わせる
一面もある。そう、兄弟のような懐かしい国、台湾。

今回のピンチも乗り越えてほしい。

台湾の仲間から教えてもらった言葉はいろいろあるが、
会話の結びに、別れ際に使う言葉は
「再見!」
グッドバイではない。さようならではない。また会いましょう!
である。と教えられた。
そして、相手を励ましたいとき、エールを送りたいときは
「加油!」
がんばって!という意味だ。自らに油を注いで!がんばろう!とはすごい
言葉であるが、本当にこの言葉をよく使った。

そして、今、まさにこの言葉を送りたい。
今、これを書きながら、ずっとお世話になってきたタクシードライバーの
鄭さんを思い出した。
今日、電話しよう!鄭さん、加油!って 声をかけたい。

台湾の友たちが、無事で、元気でいてくれるように。
台湾、加油!

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さすがチャンポン、和華蘭スピリット!

長崎は一度訪ねてから、ありがたいご縁がつづく町である。
ほかの町では経験できない、ユニークな出会い、おつきあいをいただいている。
歴史ある世界との接点、開港文化、キリスト教の悲しい歴史、原爆・・・。
明るいこと、楽しいこと、悲しいこと、つらいこと・・・。さまざまな感情を
「時」に収めながら、心にしまいながら、前へ前へと進んできた町。
そして新しい発想を常に取り込み、独特の文化を生み続けている町。
港町であり、郊外にいけば、最果ての地であり・・・。地形も歴史も本当に
塁をみない特徴をもった町。
初めて長崎をたずねた時から、かかわりのあるカステラ屋さんがある。
その名も長崎堂さん。大浦天主堂の坂下にある。
当時、レストランも運営されており、「トルコライス」という名の横断幕?が
目に飛び込んで、入店したのがきっかけ。今から思えば、カステラ屋で
トルコライスも出していたのだから、変わっている。
その後、レストランはなくなり、今は軍艦島のデジタルミュージアムになって
いるが、ビル内ではカステラの製造販売は今も変わらず行われている。
地元のカフェとの連携も多く、たとえばグラバー邸のカフェで提供されている
カステラは同社製と、宣伝はしていないが知る人ぞ知る長崎生まれ、育ち、
生粋の長崎カステラである。そんなお店とひょんなきっかけから、
いつのまにか、このお店の小さな応援団として、通い続け、また行かないとき
もずっとおつきあいをしている。長崎での演奏活動の応援もしていただき、
今や長崎の親戚のような関係である。
両親も大変ここの味が大好きであった・・・。

久しぶりに訪ねた。
店頭に小さな「軍艦島カフェ」が併設されていた。
そこではスペシャルティコーヒーを提供しつつ、ユニークなスイーツも用意している。
カステラも、ケーキもイートイン・テイクアウト可能。
もちろんカフェで使用しているカステラやケーキは長崎堂製。

ショーケースを見ていきなり目に飛び込んだのが、カステラサンド!
何だ?それ?一瞬目を疑った。
なんと、カステラのたまごサンドである。(上の写真)
思わず、「これ、何?」とたずねる。
見た目から頭からは理解できるが、そんな食べ物が成立するのか?という素朴な問。
「はい、そうなんです=。カステラのたまごサンドです。」
「おいしいの?どんな味?」
「そうですね。カステラの甘さと、たまごとマヨネーズのしょっぱさが
楽しめる。あまじょっぱい味ですかね。わたしは、はまってます!」
とのスタッフの説明に、
「じゃ、だまされたと思って食べてみるわ」と購入する。
ドキドキしながら、あとでランチ代わりにいただいてみる。
なんと、なんと、なんと!新たな美味の発見!!!
「おいしいやん。」「確かにあまじょっぱい。しかもカステラの下のザラメが
玉子の塩味とマッチしている!!」衝撃的な味わいだ!

長年カステラも食べているし、玉子サンドも何度も作り、また外でも食べているが、
この組み合わせは新鮮すぎる。
一度食べてみたら、確かにこれもあり!であるが、なかなか普通では発想できない。

やはり長崎スピリットがここにも生かされている。
ちゃんぽん文化、和華蘭文化。時代の先端をつねにいく、独自のグローカル思考の
長崎の食文化。これも尊敬すべき一例である。久しぶりに食の感動を体験!
早速、買ってきたカステラを使ってやってみようとたまごをゆでつつ、
長崎はやっぱり違うな~。と何日経っても感心している。

長崎はわが心のふるさと。
昔ながらの製法を大切に守りながら、時代とともに生きつづける「長崎堂」は
心のファミリー。
彼らと仲間たちの挑戦を、これからもずっと見守り、応援を続けたい。

と、普段あまり食ネタは書かないが、今日は長崎堂ファミリーの笑顔を思いつつ・・。



軍艦島カフェ『cafe X』がついにオープンしました!! | 軍艦島 -gunkanjima- (gunkanjima-concierge.com)

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周年を一緒につくる。

毎日毎月毎年・・・ずっと頑張り続けることは大切であるが、
節目があると、立ち止まったり、振り返ったり、周囲に感謝の気持ちが湧いて
きたり、未来が見えてきたり・・・といろんないいことがある。
周年とは、時計が1周する感覚だ。
5年かけて1周。10年かけて、15年かけて、20年かけて・・・50年かけて
一周。ぐるりとその過ぎてきた時間を辿る1年、そしてそこからまた新たな
円を描き始める1年。
そう、周年とは、まさに観覧車を回すことと同じかもしれない。
ぐるっと〇〇年。いい時間だったと一緒にふりかえる貴重な機会。
私の場合は昨年が25周年で3月までにやろうと思っていたことはひととおり
完了。
今年は、お世話になっている企業やお店で記念すべき年を迎えるところもある。
一緒に素敵な節目の時間をつくろうとしている。
社員と一緒に、社員の後ろで。
店主と一緒に、店主を支えながら・・。

迷っている方には、やろうとこちらから背中を押す。

「感謝の年です。5年後はわからないから、今年やりましょうよ」
そんなわけで、自分でできるかなと不安に思っていた店主の背中を押し
一緒に25周年のイベントを企画、実施することにした。

今年はそんなお手伝いもいくつか出て
きそうだ。
素敵な思い出づくりをともに・・・。

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