あとで聴いてほしい曲。

そういえば、あの人どうしているかなあ。と、
時々思い出すミュージシャンがいる。
そのひとりが、「ルビーの指輪」で昭和の良き時代に
レコード大賞に輝き、一世を風靡したあの方。
もう何十年もメディアに出ていない感じだけれど
ご存命?と思うこともあったが、77歳のお元気な
姿を歌番組で拝見し、現役であることをとてもうれしく
思い、演奏をながらリスニングしていた。
バンドマンの寺尾さんは、ポールアンカなど、アメリカ
文化が憧れだった頃のナンバーを渋く歌った後、最後に
唄った曲・・・。それは、「ルビーの指輪」ではなかった。
「寺尾聡とは、『この曲』として、亡くなった後にこの曲を
聴いてもらえたらいいな」
と言って、静かに歌い始めたのが、「航海~SASURAI~」。
あ、どこかで聴いた気がする。たぶん、CMでも使われたはず。
でも、曲をメインに聴いたのは初めて。

思わず、手を止めて、その曲を聴くことに集中。
なんだかこみ上げてくるものがあり、人生終わった後に
聴いてほしいという意味が分かるような気がした。
寺尾さんの人生は、まさにこの曲自体なのだろう。といろいろ
想像し、その人生がカッコよく浮き上がってくる気がした。

曲が終わるとき、ライブで聴いているわけではないのに、
思わず拍手したくなるほどに、画面越しであるのに
伝わってくるものがあった。

自分の人生を何で結ぶか、結びたいか、どう思い出してほしいか。
わたしの人生が終わった後、どの曲を聴いてほしいだろう。
これは、明確にしておかねばならない。

と、77歳お元気な寺尾聡さんを久しぶりに見て、フィナーレにする
曲について、考えるきっかけをもらった。

私がこの世を去ったあと、
お世話になった方に聴いてほしい曲。

まだ決め切れないけれど、これまで創ってきた作品を
ぜひ聴きながら、あんな奴だったな~、観覧車観覧車と言ってたなあ
と思い出してもらえたら、それでいいのだろう。
もちろん、まだまだ湧いてくるはず。

あとで聴いてね。
そんな風に言う日が、いつか、来る。


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ネット社会の両極で

最近はオンラインでの会議も増えてきた。
その議事録もAIに助けてもらう場面もあり、また昨日の会議では
「できないと思っていたことが、chat gptに相談したら、いいアイデア
が出てきて、最近はchat gptと共同開発しているような感じです」
という発言もあり、へえ!と驚き感心。
昨年まで生成AIという言葉自体が、まだ慣れなくて、その言葉は
わかりづらいのでは?と技術の専門家に尋ねたこともあったが、
もともと、英語で generative AI 。このgenerativeが「生成する」
という意味だから、直訳でそういう日本語になったとなれば、まあ、
そんなもんか・・。
とにかくこの生成AIが今や、創造・開発・発信の場面で進出しまくって
いる脅威。先日のアメリカの大統領選挙もそうだったし、
昨日は、応援している声優さんが、ニュースで生成AIの適切な活用を
求めて発言されており、このままじゃ、声優という職業が危なくなる
・・と危機を訴えておられ、とても心が痛んだ。
と、この生成AIとの競争、共存、共生が課題の今日。

一方、ずっとネット社会で仕事をしてきた人の中にも、もう
パソコンに触れたくないという人もいる現実もあるようだ。
これからは手書きで・・・という声も聞くことがある。

ネット社会が大前提になっているけれど、常に俯瞰して
物事をとらえないといけないと、改めて思っている。
上手く使いながら、人として大切にしたいものを優先する。

何でも人が幸せになるための道具でなければならないが、
気を付けないと、よく考える前に使われてしまい、意図してか
意図せずか、人を傷つけることも。そんなことも多い。
やってみよう!の行動にはリテラシーが求められる。

今、最先端と原点回帰の両極を見ながら、
わが仕事は、くらしは、どうしていくのかと考える。
AIには創れないもの、考えられないことが湧いてくる
人間味あふれるクリエイターでありたい。と改めて。
我は人なり。人としてどうすべきか?
どこまでいっても、そこを追求し続けたい。

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見られる仕事。

ある政治家のこと。
時の人として、注目を浴び、意気揚々と話している姿に期待を持ち、
希望を見出した人も多く、ああ、なんだか日本も変わるかな。
と思った矢先に、スキャンダルで話題の人になってしまった。
涙目で謝罪をしている姿、また人前で奥さんへの謝罪のことを何度も
話している姿を見て、昨日までのヒーローとは違う印象をもってしまった。

なんだかかわいそうでもあり、カッコ悪いと思った部分もあり、
まあ、人間だからなあ。とか、昭和の大物政治家たちにもいろいろ
あったけれど、それは何かもっと違う形でささやかれていたような・・。
時代の変化も正直感じながら、そのある種気の毒なインタビューを
見ながら、結局はみんな人間だな~としみじみ・・。

もちろん政治家は公人であるので、行動もよく考えければならない。
経営者も同様であると考えるが。
でも・・・ということもあるだろうが。

とにかく心配したのは、この人大丈夫かな。
壊れないかな。というところ。

人間は多面性があると思う。
でも、やはり見られる仕事をしている人はとくに、
いつも見られている!ということを念頭におかねばならない。

人びとはなんでも面白がる。そんな話題にすぐ乗っかる。
そして、メディアは面白がらせようとネタを探しまくっている。
こういったネタを探しているメディアは何を目的にやっているのかと
思うところはあるけれど、まあ、権力の監視の一環と言いたいのかも
しれない。

いずれにせよ、人に上に立つ人は「見られている」。
政治家だけでなく、企業の経営者も然り。
前からだけでなく、後ろからも・・・。
お気をつけください。と、思わず言いたくなる。

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音は正直。

先日、久しぶりの新潟でのディナーショー。
久しぶりに共演いただくことになったゲストの尺八演奏家
の鯨岡徹さん。
スケジュールを急に入れさせていただいたので、
また対面での練習をする機会もなかったため、
当日、本番までノーリハーサルで行かねばならない状況であった。

覚悟して、6年前までの共演の様子を思い出して、あとは
以前の録音を聴いて、オンラインミーティングで確認した
ことを胸に、本番力でのりきる!と覚悟していたが、

なんと開場直前に駆けつけてくださり、20分ほどの
音合わせができた。
6年ぶりの尺八との共演。

思い起こせば、この数年、ずっとソロで活動していた私。
コロナもあり、自主公演もできず・・・。
でも、細々とできることを続けていた。
そして、今回のディナーショーでの共演。

会場全体に尺八のまっすぐな音色が響き、私のピアノ音が
それに重なる。
いい具合に、瞬時に調和が生まれる。
久しぶりになのに、息が合っている。と思った。
少し音を合わせただけで、安心する。

おかげで、本番もうまくいった。
多少の間違いがあっても、そこは、もう失敗と思わない。
観客の皆さんに、いい!と思ってもらえる世界が表現できて
いればいい。

6年ぶりの共演。
お互いに、それぞれの環境で生き延びてきた。
諦めずにやり続けてきた。
そこから生まれた音。

彼の純粋な、透明感のある音は前から好きであったが
初めて合わせた十数年前よりも、今の方がより、豊かな音に
なっている。
人のいきざま、成長は音に現れるのだろうか。
ニューヨークのトリニティ教会でのコンサートに出演したく
オーディションに誘ったことも懐かしい。
無謀な挑戦もつきあってくれた良き仲間。

「マーサ、ピアノ上手になった」
と、そういわれた。
確かにこの数年で、ピアノへの向き合い方が変わった。
40代、50代前半よりも、ピアノに近くなった。
「そう、若い時に戻ろうと思って。前よりは弾いているかな」

音に向き合う時間がある、そんな人生は改めて幸せだ。
ピアノがあると、歌を歌うと、心が洗濯される気持ちがする。
とても気持ちいい。
そして、お客さんも気持ちいいなら、なおさらうれしい。

それにしても、いい尺八の音であった。
その道に生きる、和楽器の魅力を次世代にもしっかり
伝えようとしている彼の取り組みをあらためて、応援
していきたいと思う。

音は正直で、素直。
その演奏者の内面を表す。


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終の棲家をかんがえる。

自然災害、犯罪の増加による治安の悪化。
地球全体、ここなら絶対安心!という場所を探すのが難しくなって
いると感じる。
国という単位についても、考えさせられる。
地政学的に見たら、日本はこれからリスキーな大国やその周辺の国に
取り囲まれて、どうなっちゃうの?
と不安が募る。

かといsって、今から地球の裏側へ飛び出すというのも
現実的ではないし、自然的リスクはどこに行っても同じ。

どうせならば、好きな町で、場所で最後を迎えたい。
それが、ふるさとという人もいれば、移住先であったりする
場合もある。

ふるさとを離れて住むことを選択した人にとっては
その土地への思いがより強くなる。
近くにいれば、なんてことはないけれど、離れると
思いが募る。

好きな町で過ごし、最後を迎える。
好きとは、その町の風景、自分との相性、そこに住む人々の
価値観、そこに住んでよかったと思えることがたくさんみつかる。
それらが総じて、「好きな町」になる。
京都や、東京、新潟、長崎。そしてふるさと岐阜。それ以外も・・・。
いずれも好きな理由がそれぞれある。

大きなピアノを道連れに、さて、私のこれから、どこへ?
終の棲家。
まだまだしばらくは迷っていい。
でも、そのうち、元気なうちに、
自分なりの着地ポイントをみつけ、準備をする必要もある。

好きな町。
うきうきすること、わくわくすること、ほっとすること。
安らぎを感じること。
そこで暮らす。

そして、最後まで自立した生活を目指す。
こつこつ、働く。楽しみながら忙しく生きる。

と、終の棲家探しを楽しみながら、
でも、今日が最終日かもしれないから、
今日を楽しむとしよう。


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オフライン時代を懐かしむ。

40年前は海外に行くことが非日常であった。
海外出張は、ご褒美のように言っていた人もいた。
20代でNYに行ったとき、お餞別をくれた人もいた。
その代わりお土産も・・・。
今では信じがたいが、とても特別なことであった。

海外に行くから、その間は日常の仕事ができない。
なんていって、行く前と帰国してからが大変。
行っている間に何か起きたら、大変。
当時はメールもまだ使っていなかったから、
基本連絡がとれない。という感じであった。

それに比べたら、今はどこにいても、つながれるし、
連絡がとれる。

パソコンさえあれば、世界中どこにも行ける。
相手に迷惑をかけることもせず、時差さえ
乗り越えれば、普段通りに仕事もできる。
そんなネット普及のおかげで、私も海外に出る
機会を多くつくることができた。
ネットにつながるのも、四半世紀前に比べたら
ずいぶんと楽になった。

とはいえ、印刷物の入稿など いわゆる商品の
納品のような仕事には今も緊張が伴う。
普段から海外からのデータを受け取ってやりとり
しているのであれば心配ないが、
たまたま海外に行くタイミングでそれをやらねば
ならないという仕事はちょっとドキドキ。
もしかして、ネットが突然ネットが使えなくなったら
どうしよう。災害がおきて、相手と連絡がとれなく
なったらどうしよう。
日本にいても災害がおきるかもしれないのに、
海外にいるということを思うと、リスクをかなり
考えてしまう。

オフライン時代には、海外出張先からデータを
送って印刷入稿するということはあり得なかった。
オンラインはとても便利。でもちょっと怖い。
そんなこと言っていたらクラウドはどうなんだ?
という話になるが、
今はとにかく海を越えて、無事に入稿できることを
願う。

オフラインの確実性、オンラインの利便性。
いやはや、たまに、オフライン時代が懐かしくなる
こともある。

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気が付けば、2025にならぬよう。

やっと秋らしくなってきたと、衣替えをしたばかり。
四季から二季に自然は変化。
だんだん、ゆっくり季節の移ろいを感じる、味わう。
ということが残念ながらなくなりつつある。

ある日突然、暑くなる、寒くなる。大雨になる。地震が来る。
今日も九州の大雨が気になる。お年寄りが多く住んでおられるのでは?
島での災害は・・・想像するだけで心配になる。

一方、野生の動物たちが食べ物を探して町に出てくる。
自然も大荒れ。動物たちも必死。いろんな自然界との戦いに悩まされる。

人間社会も大荒れ。
選挙も戦争も、世界の融和、平和への道のりは険しいまま。
混迷、分断、不信。

人生は観覧車のように・・・を貫きたい自分としては、
これでいいのか?と思わぬ日はない。

そんななか、自分ができることを毎日毎日を
とにかく精一杯動く、経験を積む。
意識して、いろんなことをやろうとしている。

そうこうしているうちに、2024年という1年のサイクルが
もう終盤に近付いてきている。
近所の商業施設では、今日がクリスマスイルミネーションの点灯らしい。
これで一気に、年末ムードが高まる。
なんとなく、楽しい気持ち、うかれた気持ちになるだろう。
コロナのときのあの苦しかった日々を忘れたかのように、

かつてブエノスアイレスで体感した、夏のクリスマス。
あれに近い、寒くない不思議な感覚のクリスマスが日本でも
体験できるようになってしまうかもしれない。


と、いろいろ違和感を抱きながら、
毎日を目まぐるしく生きる。
でも、
気が付けば2024年も終わり。
ではなく、今年はこれができた、まだこれができる。
と流されないで、生きた足跡を残したい。

混迷の時代。その渦に巻き込まれないように、少し俯瞰しながら
自分でしっかり立って歩き続けよう。
気が付けば、今年が終わり、になる前にできることを!


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受け入れる器と、不屈の精神。

ディナーショーが終わって知った、気になっていたことの結果。
へえ?そんな早く決まるんだった?
瞬間、目を疑った。
これは事実?フェイクじゃないのか?
と、今回こそ思ったし、仕組まれていないか?と疑ったのは
私だけか。
とにかく、昨日1日、ニュースを見たくなかった。
信じたくなかった。
そして、敗北という言葉を聞く、見るのが嫌だったし、
誇りに満ちたハリスさんが、この結果によりどうなっているか
想像するだけでも重苦しい気持になった。

一晩明けて、母校の大学で学生に向かって(後輩)に今回の
結果のスピーチをしているのを見て、胸がいっぱいになった。
静かにやわらかい、優しい表情で、
「諦めてはいけない。」
という言葉をくりかえし、そして今回の結果を受け留める
ことについても発言し、そして戦いには時間がかかるもの。
だから、未来のために諦めてはいけない。
と語っていたのが心にしみた。

大激戦、接戦という前触れもあり、どっちの結果になったときの
準備もしていたのだろう。
負けたときの準備は、想像したくないものだっただろう・・・。

ハリスさんの演説を聞き、涙を流す若者がたくさんいた。
また、彼女の演説に大きな拍手と声援が沸き上がった。
ここに思わずもらい泣きした。

もし反対の結果になっていたら、相手は暴力で攻撃してきたかも
しれない。何を破壊するかわからない。想像するだけでも怖い。
勝った、勝ったと言い誇り、歓喜にわく人たちと、
さまざまな不安と抵抗心をもちながら、結果を受け入れよう
と努力する人たち。
ここに融和は生まれるだろうか。

女性が望もうが、そうでなかろうと、自分は女性を守る。
という言葉に、嫌悪を感じる。
望まないことをしてくれなくて、結構。
女性をなんだと思っているんだろう?と、改めて。

そう思っている人は少なからずいるだろう。

ということで、誕生日ウィークに新たなアメリカを祝福する
渡航計画はいったん中止としよう。
いつか、不安なくわが永遠の憧れだったニューヨークに
再び足を踏み入れたくなる日が来るのを待つ。
今は、NO。

ハリスさんは素晴らしい。
諦めないで。諦めないで。
若者に語り掛けているが、若き日の自分に向かって言っていた
のかもしれないと想像する。
彼女が生きてきた道そのものが、諦めない生き方。

このままいくと世界は危険な状態になる。と想像する。
自分さえよければ。自分、自国主義。拝金主義。
恐ろしい。
民主主義は単なるイデオロギーのひとつではない。
これがなくては、世界の平和は維持できない。

平和な世界を心から諦めず、願い続ける。

ハリスさんに、悔いがなければそれでよし。
本当に立派な戦いぶりだったと思う。

現在を見る、未来を見る。
アメリカの若者へ、ハリス支援者の皆さんへ

諦めないで、未来に向かって走り始めよう!
不屈の精神を持ち続けて・・・。

と、太平洋の向こうの国に心から呼びかける。


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心のふるさと、幸せな人生。

無事、新潟でのディナーショーが終わった。
6年ぶりの開催。
やってみるかと決めて、ドタバタ準備から本番。
もっとここをこうすれば、伝えたかったという点もいろいろある。

でも、やってよかった!
久しぶりの会場、懐かしいお客様、信頼のパートナー、スタッフ・・・。
ああこんな時代があった、新潟はやはり心のふるさとであった・・・。

コミュニティラジオでの「愛の元気人」という番組をやらせていただいたあの時代。
6年前までの新潟時代と、その後のさまざまな変化を思い出し、
それでも変わらない、あたたかい絆、つながりを今回も感じた。

懐かしい方にも、新しい方にも同じ場で、同じ時間を楽しく過ごして
いただけたなら、それが最高。

感動の声を早速いただき、改めてよかったと思う。

ほぼぶっつけ本番の尺八との協奏も、無事着地。
これこそ、6年前よりお互い成長した面を感じた瞬間。

多くの笑い、涙。今朝も思い出す。
今日も元気にスタートしてほしい。

やっぱり、愛の元気人・・・でいなくちゃ。

東京だけじゃないんだよ。と教えてくれた新潟の存在が
改めて自分に刻まれた。

ほんとうに、しあわせなわが人生。
やれてよかった。

みなさま、ありがとうございました!!



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やりきる!ただ、それだけ。

自分が決めたことを、ちゃんとやる。やりきる。
最後まで全力で走る。
毎日、そうありたいと思っているが、
今日はとくにそう思っている。

自分の思い、行動がちゃんと相手に、ひとりひとりそれぞれに
きちんと伝わるように。

挑戦するということは、やりきることのトレーニング。
口だけでは挑戦とはいえない。
やってこそ、やりきってこそ、初めて挑戦といえる。

自分の行動は、とてもささやかなことではあるが、
大海のさざ波のような存在であるが、そこからすべては
はじまる。

今日出会う人が、全員笑顔で会い、
別れることができるように。
そのために、全力を尽くす。

決めた以上やらなければならない。
代理はいない。

そう、人生にはもともと代理はいない。

と、そんな気持ちで1日をはじめる。

名古屋~東京~新潟。
この思いを抱きながら、元気にスタート!

まずは、ころばないように、足元を見て
そして、前を見て!

きっと短くて長い1日になるだろう。
今日という日はもう来ないから、
やりきる!

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