コミュニケーションが大切なときは?

ある企業で管理職研修を実施、さらにその対象を広げ、係長、主任クラスの
皆さんにも、コミュニケーションについて学んでいただく機会をいただいて
いる。
次代を担う人たちに、よりリーダーシップを発揮してもらうために、
コミュニケーション力を伸ばしていただきたい。そして全社一丸で
目標を達成するためにベクトルを合わせ、一緒に進むための、まさに、
「人づくり」の研修である。

日頃、現場で仕事をしていると、一見コミュニケーションは不要という人も
いる。さらにもともとコミュニケーションは好きではない、避けている・・と
いう人もいるなかで、どのようにその大切さをわかってもらうか?

ということで、レクチャーだけではなく、
いろんな角度から、ワークタイムを取り入れる。
まずは自己紹介から。さらには今年を漢字一文字で振り返って、発表しあう。
その人の仕事観や価値観も見えてきて、お互い興味深くなってくる。
さらに、
仕事でどんな時にコミュニケーションが大切と思うか。ということについて
チームで話し合ってもらう。
面白い答えが出てくる。
イレギュラーな事態(異レギュラーとも書くらしい)、トラブルがおきたとき、
何か新しいことをはじめるとき・・
そんなときはコミュニケーションが大切。
なるほど、普段と違う非日常の時にはコミュニケーションが必要だということ
のようだ。

でも、その時にちゃんとコミュニケーション力を発揮するには、普段からの
日頃からの積み重ねが大切なんだけど・・・。
と思いつつ、研修を進める。

わずか1時間の研修であったが、研修直後のアンケートによると
皆さん、まずはコミュニケーションの大切さや、伝えるための工夫は大切
ということはご理解いただいた様子で安堵する。

これまで、日常においてコミュニケーションにあまり意識を向けていない
人との最初の勉強会はまずまずであった。
コミュニケーションが嫌いと言っていた人も一生懸命取り組まれていたこと
や、笑顔で「ありがとうございました!」と退室されていく姿が印象的であ
った。実に真面目な人たちである。

回数を重ねることで、コミュニケーション観が変わるはず。力もついてくる。
伝わるうれしさ、仲間とつながる喜び、そして一緒に行動する達成感も必ず
体感いただけると信じている。

「コミュニケーションが大切なとき。」
素朴な問いかけではあるが、改めて考えてみると、新たな気づきもある。
そして、初めての人たちとコミュニケーションをすること自体が、
出会いであり、関係づくりの第一歩になる。
大切に育んでいきたい。

カテゴリー: Essay (Word) | コミュニケーションが大切なときは? はコメントを受け付けていません

自然に向き合うおたから時間。

両親の旅立ちに慣れたような、慣れないような・・・。
なんとも言えない感覚で、とにかく前を向いて歩き続けてきたこの1年。
ふるさとへは、頻繁に足を運び、公私ともに時間を費やしている。
都会とはまるで違う、人気のない静かな川沿いの道を歩きながら、電車を
待ちながら、ああ、ふるさとはいいな。と実感するひとときがある。
それは、自然と向き合う時間があるということだ。
たとえば、川面で戯れる水鳥の集団をみつけたり、鷺など大きな
鳥をみつけては、「あ、今日もいるんだ。今日もそこで遊んでいるんだ。
おーい。」と、思わず鳥に聞こえるはずもないのに、声をかけてみる。
すると、木々から、いろんな鳥の鳴き声がこだまする。耳を澄ませると
いろんな声だ。種類が違うと声の高さも、つややかさも全く違い、
興味が湧く。
一方、実家の庭は、枯れ葉が舞い落ちる。つい最近までは、掃いても
掃いても落ちてきて、「もう!」といらだったが、もうその葉っぱも
全部なくなった。
季節は秋から、冬へと移ろった。

と、そんな具合に、歩きながら、空を仰ぎながら、何気なく自然に接して
いる自分に気づく。
そして、遠目には、岐阜城がそびえる金華山ほか、山々も見えて、田んぼも
畑もいっぱいで・・・。

東京暮らしでは目にすることがなかった光景、都会と違う昔と変わらぬ風景。
この豊かさは、他に代えがたい。
自然と向き合うと、心が優しくなる、丸くなる。そんな感じがする。
時間の感じ方が変わるのだろう。
ではあるが、自然と向き合うと、子供のころのことが走馬灯のように
浮かんできて、両親に会いたくなる気持ちが湧いてくるのをおさえるには
もう少し時間がかかりそうだ。

さあ、心豊かに、残り少ない今年を味わうとしよう。

カテゴリー: Essay (Word) | 自然に向き合うおたから時間。 はコメントを受け付けていません

情熱を届ける真っ赤なバラ。

この花は、この週末に開催されたイベントに送った花である。受け取っていただいた
方から感謝の気持ちとともに、写メが届いた。
最近、こうやって画像を送ってくださる方が多く、送り手としては無事届いたことを
確認できて安堵する。
今月は、ギフトの多い月であるが、相手によっては花を送る。食べ物など数に限りが
あり、シェアいただくのが難しい相手の場合、長く楽しんでいただきたい場合、また
特別な場合、自分は現地に行けないけれど・・・という場合など、さまざまな場面や
用途に向いており、お花のギフトは最適だと思っている。
12月はクリスマスもあるため、赤い花を贈ると喜んでいただける。温かい気持ちにな
れるので、寒い季節には最適だ。

この写真は、「まっかな情熱」をお伝えしたく送ったアレンジメント。
寒さに負けず、元気にあふれ、愛と情熱に満ちたイベントに、「花を添えられたら」
と思い、送ることにした。
思い起こせば、今年も多くの花をいただき、そして贈った。いろんな場面で・・・。
言葉以上の気持ちが伝わる。言葉が要らないときもある。
うれしいときも、悲しいときも、楽しいときも、寂しいときも・・・。
お花は喜怒哀楽とともに、人に寄り添ってくれるかけがえのないコミュニケーション
ツールだ。

写真のアレンジメントも大変喜んでいただけて、主人は自宅へ持ち帰り、今日も花と
ともにイベントの余韻を楽しまれることだろう。喜んでいただけることは、ほんとう
にうれしい。

カテゴリー: Essay (Word) | 情熱を届ける真っ赤なバラ。 はコメントを受け付けていません

言葉にも、心忘れることなかれ。

師走だから、忙しい。だから・・・?。
そんな日が続いている。
今週もなんとか、連日の出張も含め、予定していたことを無事終えられそう・・。

そんなときに、ある場面で自分の一言で、相手を傷つけていたことがわかった。
へ?ああ、そういうつもりではなかったのに~。
むしろ、良かれと思っての行動だったのに~。
言われてみて、気づいた。そうか~。
とにかく、お詫び、そして猛省。
自分がどういうつもりであろうが、そんなのは関係ない。

「ひとことの言葉」の重さ、を改めて感じた。

忙しいから、時間がない、心のゆとりがない、力が入ってしまう。
それではいけない。
やることが多い時期だからこそ、一つ一つ気持ちよく進めていかねば
心配りをしなければならない。

「忙しい」いう言葉は好きではない。心を亡くすと書くから。
といつも言っているのに、自分が心なくす行動をしているとは
まだまだだ。

コミュニケーションは伝えるではなく、伝わる。
伝わってこそ、信頼関係が生まれる、絆が深まる。

師走だからこそ、丁寧に大切に 一言一言を大切にかわしたい。
言葉は、ほんとうに重い。





カテゴリー: Essay (Word) | 言葉にも、心忘れることなかれ。 はコメントを受け付けていません

YES or NOT

なかなか断ることができない。
というのは、日本社会の特徴のひとつかもしれない。
とくに昭和の時代は、そんなことも多かったかもしれない。
相手のことをおもんばかり、自分の気持ちを抑えて・・・、
まあ、仕方ないか~。と、相手の誘いに従う。
仕事となれば、仕方ない。
と、そんなケースも昭和の時代は多かったかも。

アメリカ人やフランス人であったら、
自分はそれには行かない、その話には乗らない
というのは、ごく普通で、
「NO!」
とごく普通に言える社会環境、歴史があるが、
日本では、今もなお「ノーと言えない」風潮が
残っている。
ひと昔であれば、上司のことには、家長が言うことに
従うのが普通。
組織であれば、家族であれば、それがあたりまえ。
この名残が今もあるのかもしれない。

でも、今はそうではない。
嫌なとき、自分の考えと違うとき・・・いろんなケースが
あるが、ときには「断ること」も大切だ。むしろ、それがよいこともある。
その行為で、相手に伝わることもある。
もちろん、その理由をうまく伝えることも大切だ。
そこもコミュニケーション。
もっともっと、自由になったらいい、
もっともっと、自然に本音でつきあえたらいい。
と思うが、現実的には?というところだろうか。

ホンネとタテマエ。
まだまだ日本にはあるのかもしれない。

自分の意志、意見を自然に出せる世の中。
それでもって、お互いを尊重しながら、友好的な関係で
いられる世界。
そんな社会が私にとっては、変わらぬ理想。

カテゴリー: Essay (Word) | YES or NOT はコメントを受け付けていません

あのバタークリスマスケーキ。

子供のころのクリスマスは、ほんとうにハレの気分になる
ことができた。夢のような一大イベントであった。
子ども会では、「クリスマス会」があって、お菓子の詰め合わせや
ときには、おそらく大手パンメーカー製の小さく丸いバタークリームの
ケーキをもらえた。持ち運び用のひもが付いているパッケージで、
るんるん気分で持ち帰ったことを覚えている。

意味もわからないクリスマスソングを歌い、ゲームをしたり・・・。
子ども心に、純粋にうれしい行事はクリスマスだったかもしれない。
但し、親はそういう西洋文化には理解がなく、家ではとくにプレゼントが
なかったが、その分、叔父さんが、ブーツ型のお菓子の詰め合わせを
買ってきてくれたときは、飛び上がるぐらいうれしくて、そのブーツ
に入ったお菓子はずっと食べずに置いて、それでも食べてしまった
あと、このブーツは履けるのか?と試していたような?
それぐらい、サンタさんの存在がとても不思議であり、楽しみだったのだ。
サンタがトナカイがいたのか、いないのか?そんなことよりも、
夢の時間を楽しんでいたような気がする。
日本では、宗教に関係なく、クリスマスイベントが催事としてビジネスと
して年末商戦を飾る不動の存在となった。

今、恒例行事として各店でクリスマスケーキを販売している。
豪華でおしゃれだ。
でも、私にはあのバタークリームの小さな丸いケーキがいい。
まだあのケーキが存在するならば、ぜひとも購入したい。
と、クリスマスの賑わいを感じながら、素朴にうれしかった
昔の楽しみを懐かしく思い出す。

なんでも、これから!というものの方がうれしいのかもしれない。
普及しすぎると、どうも感動が薄らぐ。

昔の感動を、忘れずに。
あのバタークリームのケーキを切ったときの感動を。
豪華でなくていい、ハレなる時間がうれしいのだ。

ハレの日を求める気持ちは、今も昔も変わらない。
でも、昔の感動を思い出すと、大切なことも一緒に浮かび上がる。
小さなことに感動できる心。大切にしたい。

華やかよりも、素朴に。
そんな風にこの年末を過ごしたい。

カテゴリー: Essay (Word) | あのバタークリスマスケーキ。 はコメントを受け付けていません

皆さんのお力添えあっての今日。

毎日、同時にさまざまなことが動いていく。
よく考えたら、どんな小さなことひとつとっても、自分だけの力では
絶対になしえない。
いろんな方のご協力、ご支援、お気持ち・・・。いろんな力をいただいて
今日という日が成り立っている。自分という存在がある。

改めて、自分の微力さを感じ、多くの人に支えられているなと実感する
今日この頃。
感謝の気持ちを忘れずに、そして一緒に助け合って生きていく、仕事を
していくという気持ちを忘れずに。
そして、どうすればかかわる人がみんな、気持ちよく助け合えるのか
ということにも気を配り、進んでいきたい。

背景や価値観が異なっても、今同じ時間を、同じ何かを共有して
生きている。このありがたい現実を大切にしたい。

ほんとうに、皆さんのお力添えがあっての、今日。
年末になるとなのか、繁忙のせいか、余計にそんなことを思う。

感謝と謙虚を忘れず、今日もスタート!

カテゴリー: Essay (Word) | 皆さんのお力添えあっての今日。 はコメントを受け付けていません

悔しさから、悔いなき人生へ。

サッカーファンというわけではないが、朝一番で
当然気になる結果。
今朝のサッカーの結果は、残念であった。
大きな期待を背負い、選手たちが全力で戦ったが、
次へ勝ち進むことができなかった。
期待とプレッシャーのなかの戦いとは、さぞかし
ものすごい緊張で、そんななかボールをパスしながら
ゴールに向かうことができる、世界中の注目を浴びながら
チームワークを発揮すること自体が私にとっては、
ただただ尊敬である。

勝負とは相手があってのこと。ターゲットがあってのこと。
その相手の研究、対策、実践。
その命題に向かって、選手たちは日々努力を重ねたことだと
思う。でも相手も同様だ。
スポーツには勝ち負けがある。実力だけでなく運もある。
だから、結果は仕方ない。
でも、ここまでやってきた。世界の強豪を打ち負かしてきた。
この経験、事実は間違いなく誇りである。

結果の分析はとても大切だ。そして次に活かしていかねばならない。
結果が出た以上、悔いがない。ということはないかもしれない。
周囲がどんなに「よくやったよ、がんばったよ」と言ってくれても
本人にとってみれば、悔しさは晴れないかもしれない。
でも、この悔しさが、次に活かされるのだと思う。
そして、さらなる努力をして、次の戦いに挑んでいく。
こうして、人は成長、パワーアップしていくのだと思う。

このように、スポーツは人生にもいろんな学びを与えてくれる。
悔しさをバネに。そして、最終的に悔いのない人生に向けて。

監督も選手も素晴らしい経験を、日本中に与えてくれた。
色んな不安の多い昨今、夢を元気を見せてくれた。
自分たちもがんばらなくちゃ!と思える瞬間をいただいた。

毎日が小さな勝負の連続だ。
多くは自分との戦いだ。
悔しさをバネに。そして悔いない人生に向けて。
今日も、元気いっぱいキックオフ!







カテゴリー: Essay (Word) | 悔しさから、悔いなき人生へ。 はコメントを受け付けていません

年賀状見直し時代に。

デジタルコミュニケーションへのシフト、普及。そして世代交代、
さらには環境への配慮という視点から、年賀状を出す人、企業が
近年減少し続けている。
実際、お世話になっている企業の何社かでも、年賀状を今後
出さないというケースもあり、世の中の季節のあいさつの変化を
実感する今日この頃。
確かに、企業が発送する年賀状は、その規模に比例して、膨大な
用紙の消費につながる。いろんな意味でよく理解できる。
一方、毎年受け取る歓びもあり、それがなくなっていく
のは、ちょっと寂しい気もする。
しかし、企業としてはそういう姿勢を示し続けることが
大切だ。習慣の見直しは、とてもいいことだ。

企業としてはやめる。でも、個人で出す人もあるかもしれない。
もしくは紙でのあいさつはなくなっても、違う手法で挨拶する。
というケースも出てくるだろう。
それを楽しみにしたい。
同時に、自分はどうするか?は、まだ考え中、迷い中だ。

それにしても、いただいた年賀状は基本何年かは捨てないで
保存してきた。そして、何かあると何度も見直したり
してきた。
そういう1枚は実は貴重である。
相手が自分に投げかけたくれた言葉や文字が消えない。
あの時代。こんなおつきあいがあったな~。と懐かしく
思い出すことも多い。
もう会えない人の年賀状も、遺言のように大切に残している。

年賀状を受け取るのが楽しみだった正月。
まさしく昭和のお正月であるが、それはそれでとても懐かしく、
私自身は。とても気に入っている。

令和の時代の新年の迎え方。
楽しみにしながら、感謝を忘れず、その日に向かいたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 年賀状見直し時代に。 はコメントを受け付けていません

言葉のギフトは永遠に。

昨日12月3日は朝から日付が変わる時間まで、各地から、メッセージを
いただいた。
SNSをやらないため、自分の誕生日を知っている人は確実に交流がある方
のみであるが、毎日のようにやりとりをしている人から、何年もお会いして
いない人まで。新潟、東京、千葉、埼玉、愛知、京都・・・。
たまたまどうしているかなと気になってブログを見て、メールしましたという
ミラクルな方まで・・。
そして夜遅く、観覧車の動画を作ったとメールで送ってくれた方も。
「誕生日祝いが間に合わなかったので・・・」と。
体調が悪くても、忙しくても気に留めてくださり、考えてくださって・・。
感激と感動で胸がいっぱいになる。

言葉のプレゼント。いろんな方がそれぞれのメッセージを寄せてくださった。
どれも、味わい深く、私と出会ってよかったと言ってくださる方もあり、
自分の存在を認めていただける歓びを感じた。

言葉のギフトは永遠だ。
心に刻まれ、自分次第で消えることはない。

いろんな方に見守られ、支えられ・・・。
ありがたい人生だと、改めて思う。

言葉のギフト。
大事にいただき、そして丁寧に届けたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 言葉のギフトは永遠に。 はコメントを受け付けていません