何もないところから、何かを生み出すという仕事は道を探りながら
前に進む、未知の旅のようなもの。
産みの苦しみは確かにあるが、出来上がってみれば、プロセスの
瞬間瞬間もいい経験だと思えるはず。
そして、生まれた作品は、そこから新たなコミュニケーションの
はじまりになる。
何もないところから、何かを作り出す。
大変難しい仕事である。
でも、
このクリエイティブな仕事に携わることは、喜びでもある。
ひとりではカタチにすることはできない。
コンセプトがあってそれをカタチにする。
コンセプトを言葉に、そしてデザインへ、味へ、カタチへ・・・。
いろんな人の協力によって、作品や商品は生まれる。
良かったね!とお互いに喜べる日を楽しみに、
過程のコミュニケーションを大切に、進んでいきたい、
ゼロからつくる、生み出す。
事例が一番の営業ツール。
どんな営業トークが一番響くか。
それはなんと言っても、
「こんなこと できます」に加えて、
「こんなこと やりました」という事例の紹介。
今や公式サイトが営業ツールになっている以上、その事例を充実させようとする
傾向が高まっている。
仕事の相談でも、それに類する話題は増えているし、それ以外でも・・。
今年は実家の片付けにともない、これまで出会ったことがない業者さんたちと
のご縁をいただいた。
不要物の回収、クリーニングその他・・・。
これまで接点がなかっただけに、その業界の営業手法も興味深かった。
そんななかで、やはり公式サイト、ホームぺージの存在は大きい。
ある程度、必要なワードを2~3入力すれば、探している相手に出会う
ことができる。まあ、何と便利な時代。
そこで見つけたサイトで、相手のことを知る。
事例を見ると、その相手が信頼できそうかは、すぐ判断ができる。
今回作業をお願いした皆さんは、サイトでみつけた会社もあれば、ご紹介もある
が、いずれにしても自社サイトをちゃんと運用されていた。
その点も信頼のポイントである。
さて、年末といえば、お掃除の季節。
そのクリーニング屋さんから、今年お願いした作業中に撮影したいくつかの
掃除場所を事例として取り上げて良いかと言われており、
それを実際に公開したとの報告を受ける。
自分がお願いした仕事がbefore After で写真付きで紹介されている。
確かに、こんなにきれいにしてもらったんだ。
匿名であるから、別に恥ずかしくもない。
年末、この事例を見て、そこにご依頼される方が増えるといい。
こちらの事業者さん、まだ起業して日が浅いようであるが、仕事も丁寧であり、
好感をもてる。作業しながら営業ツールとしての事例づくりに励んで
いるというそのサイクルに納得する。
https://osoji-ms.com/
自分がこれまで、事例に活用されたことがなかったため、ちょっと新鮮
な出来事。
その前に、ゴミを片付ける業者さんからは、
「お宅はモノが多いですが、散らかっているわけではないので、事例には
使えませんね。」と笑って言われたことを思い出す。
そうBefore ・Afterは、差、ギャップ、インパクトある方が効果が大だ。
掲載されなくて光栄の事例もなかにはある。
これからの営業は事例が決め手となる。
デジタルツールを活かして、営業はそちらに任せ、自らはいい事例づくり
に励む。
なかなか効率よく、生産性も良いお話しだ。
業界を超え、こんな営業スタイルはますます広がるだろう。
ひとつひとつの仕事を大切に、丁寧に。が前提だ。
年末年始を心静かに。
この季節、さまざまな消費欲をかきたてるムードに背中を向けたい
自分がいる。
たとえば、大晦日や初売りの大型店舗、駅の喧騒・・・想像するだけで
気が重い。コロナ前、この時期は日本から離れた何年かもあった。
最近は海外脱出も国内旅行もしない。年末早めに買い物を済ませ、
混雑する場所、時間には近づかないことにしている。
なるべく、騒がず静かに粛々、淡々と新年の扉を開けたいのだ。
大騒ぎするような歓びも、興奮もない。
この1年、日頃走り続けた人には、この時期は本当にゆっくり休養される
ことをすすめたい。
といっても、年末年始もさまざまな恒例行事が続き、なかなかそうはできない
のが忙しい日本人のつとめかもしれないが・・・。
できる限り、1年のはじまりだからこそ、静かに自分と向き合う時間にしたい。
読む時間も撮れず本棚にストックされている本たちを手に取る時間、
モノを考え、自分の進む道を整理する時間、懐かしい人を想い出す時間・・・。
大切な方に年賀状を書く時間・・・。
普段の時間とは違う時計で新年を迎えたい。
人間、節目や区切りがあることで、何かを始められる、
一度締めることで、また走り出すことができる。
とにかく静かに過ごしたい。
そして、孤独を楽しみたい。
実は、とても贅沢な正月をおくろうとしているのかもしれない。
コミュニケーションが大切なときは?
ある企業で管理職研修を実施、さらにその対象を広げ、係長、主任クラスの
皆さんにも、コミュニケーションについて学んでいただく機会をいただいて
いる。
次代を担う人たちに、よりリーダーシップを発揮してもらうために、
コミュニケーション力を伸ばしていただきたい。そして全社一丸で
目標を達成するためにベクトルを合わせ、一緒に進むための、まさに、
「人づくり」の研修である。
日頃、現場で仕事をしていると、一見コミュニケーションは不要という人も
いる。さらにもともとコミュニケーションは好きではない、避けている・・と
いう人もいるなかで、どのようにその大切さをわかってもらうか?
ということで、レクチャーだけではなく、
いろんな角度から、ワークタイムを取り入れる。
まずは自己紹介から。さらには今年を漢字一文字で振り返って、発表しあう。
その人の仕事観や価値観も見えてきて、お互い興味深くなってくる。
さらに、
仕事でどんな時にコミュニケーションが大切と思うか。ということについて
チームで話し合ってもらう。
面白い答えが出てくる。
イレギュラーな事態(異レギュラーとも書くらしい)、トラブルがおきたとき、
何か新しいことをはじめるとき・・
そんなときはコミュニケーションが大切。
なるほど、普段と違う非日常の時にはコミュニケーションが必要だということ
のようだ。
でも、その時にちゃんとコミュニケーション力を発揮するには、普段からの
日頃からの積み重ねが大切なんだけど・・・。
と思いつつ、研修を進める。
わずか1時間の研修であったが、研修直後のアンケートによると
皆さん、まずはコミュニケーションの大切さや、伝えるための工夫は大切
ということはご理解いただいた様子で安堵する。
これまで、日常においてコミュニケーションにあまり意識を向けていない
人との最初の勉強会はまずまずであった。
コミュニケーションが嫌いと言っていた人も一生懸命取り組まれていたこと
や、笑顔で「ありがとうございました!」と退室されていく姿が印象的であ
った。実に真面目な人たちである。
回数を重ねることで、コミュニケーション観が変わるはず。力もついてくる。
伝わるうれしさ、仲間とつながる喜び、そして一緒に行動する達成感も必ず
体感いただけると信じている。
「コミュニケーションが大切なとき。」
素朴な問いかけではあるが、改めて考えてみると、新たな気づきもある。
そして、初めての人たちとコミュニケーションをすること自体が、
出会いであり、関係づくりの第一歩になる。
大切に育んでいきたい。
自然に向き合うおたから時間。
両親の旅立ちに慣れたような、慣れないような・・・。
なんとも言えない感覚で、とにかく前を向いて歩き続けてきたこの1年。
ふるさとへは、頻繁に足を運び、公私ともに時間を費やしている。
都会とはまるで違う、人気のない静かな川沿いの道を歩きながら、電車を
待ちながら、ああ、ふるさとはいいな。と実感するひとときがある。
それは、自然と向き合う時間があるということだ。
たとえば、川面で戯れる水鳥の集団をみつけたり、鷺など大きな
鳥をみつけては、「あ、今日もいるんだ。今日もそこで遊んでいるんだ。
おーい。」と、思わず鳥に聞こえるはずもないのに、声をかけてみる。
すると、木々から、いろんな鳥の鳴き声がこだまする。耳を澄ませると
いろんな声だ。種類が違うと声の高さも、つややかさも全く違い、
興味が湧く。
一方、実家の庭は、枯れ葉が舞い落ちる。つい最近までは、掃いても
掃いても落ちてきて、「もう!」といらだったが、もうその葉っぱも
全部なくなった。
季節は秋から、冬へと移ろった。
と、そんな具合に、歩きながら、空を仰ぎながら、何気なく自然に接して
いる自分に気づく。
そして、遠目には、岐阜城がそびえる金華山ほか、山々も見えて、田んぼも
畑もいっぱいで・・・。
東京暮らしでは目にすることがなかった光景、都会と違う昔と変わらぬ風景。
この豊かさは、他に代えがたい。
自然と向き合うと、心が優しくなる、丸くなる。そんな感じがする。
時間の感じ方が変わるのだろう。
ではあるが、自然と向き合うと、子供のころのことが走馬灯のように
浮かんできて、両親に会いたくなる気持ちが湧いてくるのをおさえるには
もう少し時間がかかりそうだ。
さあ、心豊かに、残り少ない今年を味わうとしよう。
情熱を届ける真っ赤なバラ。
この花は、この週末に開催されたイベントに送った花である。受け取っていただいた
方から感謝の気持ちとともに、写メが届いた。
最近、こうやって画像を送ってくださる方が多く、送り手としては無事届いたことを
確認できて安堵する。
今月は、ギフトの多い月であるが、相手によっては花を送る。食べ物など数に限りが
あり、シェアいただくのが難しい相手の場合、長く楽しんでいただきたい場合、また
特別な場合、自分は現地に行けないけれど・・・という場合など、さまざまな場面や
用途に向いており、お花のギフトは最適だと思っている。
12月はクリスマスもあるため、赤い花を贈ると喜んでいただける。温かい気持ちにな
れるので、寒い季節には最適だ。
この写真は、「まっかな情熱」をお伝えしたく送ったアレンジメント。
寒さに負けず、元気にあふれ、愛と情熱に満ちたイベントに、「花を添えられたら」
と思い、送ることにした。
思い起こせば、今年も多くの花をいただき、そして贈った。いろんな場面で・・・。
言葉以上の気持ちが伝わる。言葉が要らないときもある。
うれしいときも、悲しいときも、楽しいときも、寂しいときも・・・。
お花は喜怒哀楽とともに、人に寄り添ってくれるかけがえのないコミュニケーション
ツールだ。
写真のアレンジメントも大変喜んでいただけて、主人は自宅へ持ち帰り、今日も花と
ともにイベントの余韻を楽しまれることだろう。喜んでいただけることは、ほんとう
にうれしい。
言葉にも、心忘れることなかれ。
師走だから、忙しい。だから・・・?。
そんな日が続いている。
今週もなんとか、連日の出張も含め、予定していたことを無事終えられそう・・。
そんなときに、ある場面で自分の一言で、相手を傷つけていたことがわかった。
へ?ああ、そういうつもりではなかったのに~。
むしろ、良かれと思っての行動だったのに~。
言われてみて、気づいた。そうか~。
とにかく、お詫び、そして猛省。
自分がどういうつもりであろうが、そんなのは関係ない。
「ひとことの言葉」の重さ、を改めて感じた。
忙しいから、時間がない、心のゆとりがない、力が入ってしまう。
それではいけない。
やることが多い時期だからこそ、一つ一つ気持ちよく進めていかねば
心配りをしなければならない。
「忙しい」いう言葉は好きではない。心を亡くすと書くから。
といつも言っているのに、自分が心なくす行動をしているとは
まだまだだ。
コミュニケーションは伝えるではなく、伝わる。
伝わってこそ、信頼関係が生まれる、絆が深まる。
師走だからこそ、丁寧に大切に 一言一言を大切にかわしたい。
言葉は、ほんとうに重い。
YES or NOT
なかなか断ることができない。
というのは、日本社会の特徴のひとつかもしれない。
とくに昭和の時代は、そんなことも多かったかもしれない。
相手のことをおもんばかり、自分の気持ちを抑えて・・・、
まあ、仕方ないか~。と、相手の誘いに従う。
仕事となれば、仕方ない。
と、そんなケースも昭和の時代は多かったかも。
アメリカ人やフランス人であったら、
自分はそれには行かない、その話には乗らない
というのは、ごく普通で、
「NO!」
とごく普通に言える社会環境、歴史があるが、
日本では、今もなお「ノーと言えない」風潮が
残っている。
ひと昔であれば、上司のことには、家長が言うことに
従うのが普通。
組織であれば、家族であれば、それがあたりまえ。
この名残が今もあるのかもしれない。
でも、今はそうではない。
嫌なとき、自分の考えと違うとき・・・いろんなケースが
あるが、ときには「断ること」も大切だ。むしろ、それがよいこともある。
その行為で、相手に伝わることもある。
もちろん、その理由をうまく伝えることも大切だ。
そこもコミュニケーション。
もっともっと、自由になったらいい、
もっともっと、自然に本音でつきあえたらいい。
と思うが、現実的には?というところだろうか。
ホンネとタテマエ。
まだまだ日本にはあるのかもしれない。
自分の意志、意見を自然に出せる世の中。
それでもって、お互いを尊重しながら、友好的な関係で
いられる世界。
そんな社会が私にとっては、変わらぬ理想。
あのバタークリスマスケーキ。
子供のころのクリスマスは、ほんとうにハレの気分になる
ことができた。夢のような一大イベントであった。
子ども会では、「クリスマス会」があって、お菓子の詰め合わせや
ときには、おそらく大手パンメーカー製の小さく丸いバタークリームの
ケーキをもらえた。持ち運び用のひもが付いているパッケージで、
るんるん気分で持ち帰ったことを覚えている。
意味もわからないクリスマスソングを歌い、ゲームをしたり・・・。
子ども心に、純粋にうれしい行事はクリスマスだったかもしれない。
但し、親はそういう西洋文化には理解がなく、家ではとくにプレゼントが
なかったが、その分、叔父さんが、ブーツ型のお菓子の詰め合わせを
買ってきてくれたときは、飛び上がるぐらいうれしくて、そのブーツ
に入ったお菓子はずっと食べずに置いて、それでも食べてしまった
あと、このブーツは履けるのか?と試していたような?
それぐらい、サンタさんの存在がとても不思議であり、楽しみだったのだ。
サンタがトナカイがいたのか、いないのか?そんなことよりも、
夢の時間を楽しんでいたような気がする。
日本では、宗教に関係なく、クリスマスイベントが催事としてビジネスと
して年末商戦を飾る不動の存在となった。
今、恒例行事として各店でクリスマスケーキを販売している。
豪華でおしゃれだ。
でも、私にはあのバタークリームの小さな丸いケーキがいい。
まだあのケーキが存在するならば、ぜひとも購入したい。
と、クリスマスの賑わいを感じながら、素朴にうれしかった
昔の楽しみを懐かしく思い出す。
なんでも、これから!というものの方がうれしいのかもしれない。
普及しすぎると、どうも感動が薄らぐ。
昔の感動を、忘れずに。
あのバタークリームのケーキを切ったときの感動を。
豪華でなくていい、ハレなる時間がうれしいのだ。
ハレの日を求める気持ちは、今も昔も変わらない。
でも、昔の感動を思い出すと、大切なことも一緒に浮かび上がる。
小さなことに感動できる心。大切にしたい。
華やかよりも、素朴に。
そんな風にこの年末を過ごしたい。
皆さんのお力添えあっての今日。
毎日、同時にさまざまなことが動いていく。
よく考えたら、どんな小さなことひとつとっても、自分だけの力では
絶対になしえない。
いろんな方のご協力、ご支援、お気持ち・・・。いろんな力をいただいて
今日という日が成り立っている。自分という存在がある。
改めて、自分の微力さを感じ、多くの人に支えられているなと実感する
今日この頃。
感謝の気持ちを忘れずに、そして一緒に助け合って生きていく、仕事を
していくという気持ちを忘れずに。
そして、どうすればかかわる人がみんな、気持ちよく助け合えるのか
ということにも気を配り、進んでいきたい。
背景や価値観が異なっても、今同じ時間を、同じ何かを共有して
生きている。このありがたい現実を大切にしたい。
ほんとうに、皆さんのお力添えがあっての、今日。
年末になるとなのか、繁忙のせいか、余計にそんなことを思う。
感謝と謙虚を忘れず、今日もスタート!