火で幼き日を思い出す。

1月14日、地域によっては15日の場合もあるそうであるが、
旧正月の火祭りとして、今も残っている伝統行事、左義長。
たまたま戻った実家の近くの神社境内で行われていた。
地元の人たちのお世話により、毎年行われている。
やり方は地域それぞれ違うようであるが、もう40年あまり
忘れていた、今思えば、大変懐かしいお正月の締めの行事。
時間になると集められた枯れ木に着火され、地元の人たちが
もってきたしめ縄などが焚き上げられていく。

久しぶりにこの炎を見て、何ともいえない力を感じた。
水も火も土も、人々の暮らしを守ってくれている大きな存在。
でも、それぞれが脅威でもある。
畏れながら、感謝しながら、生活のなかに取り入れていく。
火には神的な力がある。
炎とは情熱、パッションでもある。
火を見ると、生へのパワーが湧いてくる。

都会暮らしではなかなか接することがない、火祭り。
田舎暮らしの方が四季を、自然の変化を、そして見えない力を
感じ、調和しながら生きているのかもしれない。

都会では人間中心の暮らし。経済はまさにそうだ。
しかし、少しそこから距離をおくと、奢りなき人としての
本来の暮らしが見えてきたりする。

この炎を見ながら、本来の生き方を考えたり、また畏れることの
大切さを考えたり・・・。そんな正月の締めの時間。

こういった行事を大切にしながら生きている地元の皆さんに
頭が下がる。
継承されていくことの大切さを、今回も感じつつ・・。



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苦手もプラスに活かして生きる。

実は手先があまり器用ではない。
例えば、裁縫などは子供の頃からまったくダメである。
布施明の「積み木の部屋」に出てくるような?
そんないいものではないが、まあ、とにかくそうだ。
だから自分でなんでも作る人を尊敬している。

人にはそれぞれ得意なこと、苦手なこと、もの、人・・・がある。
得意なことを仕事にしたり、趣味に生かしたり・・そうできたら
とてもいいが、それでも苦手なことに向き合わねばならないことも
ときにはある。
嫌なことでも避けずに通らねばならないこともある。
好きなこと、好きなもの、好きな人だけで生きていくのは
なかなかむつかしい。

いろんな仕事をするなかで、やっぱり自分のここはダメだとか
向いてないな~と自己嫌悪になりそうになることも
ときにはあるが、
そんな自分とも向き合う時間は大切だ。
謙虚になったり、勉強になったり・・するからだ。

これから、年を重ねていくと、だんだん〇〇弱者と言われる
ようなことも出てくるかもしれないが、それを黙って待っているようでは
ダメだ。
だからどんどん挑戦すること、勉強すること。
苦手なことだったことが、実は食わず嫌いで、今になって克服できたりということ
もあるかもしれない。楽しい新たな発見があるかもしれない。
とにかく、もうあかん!できない。とは絶対思わない。
もちろん、無理は禁物。
とにかく逃げずに生きると、いいことがあるはずだ。
と、最近はそんな心境のなか、今のトンネルを前進中。
出口のないトンネルはない!

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瞬間が永遠になるギフト。

約二年ぶりの約束を果たせた。
両親がお世話になっていた施設での初演奏会。新春ふれあいコンサートの開催だ。
年明け、連休も明けた平日の午後、現在こちらで暮らしておられる利用者さんとスタッフ
たち約20名の皆さんとのひとときを過ごさせていただいた。
親たちがお世話になった感謝を伝えたいとずっと思っていたが、コロナが収束せず
なかなか実現しなかったが、やっとやっとの開催。
春を待ちわびる季節の曲たちのメドレーや、世界旅行をテーマに、ふるさとをうたったオリジナル曲など・・・。約50分の演奏とトーク。クイズや手拍子など
参加していただける要素も取り入れて構成した。
最初は、会場内も静かで反応もあまりなかったが、演奏がはじまると、皆さんがどんどん元気になっていかれることがわかった。
手拍子をする人、一緒に口ずさむ人・・・。私を見る目つきもどんどん変わった。
もちろん中には夢うつつの方もおられたが、終始ノリノリの方もいらっしゃって、明らかにホーム内の空気に変化を感じた。活気が生まれてきたのだ。
利用者さんもそしてスタッフさんも仕事の手を休めながら、利用者さんに寄り添いながら
一緒に楽しんでいただいた。

アンコールもいただきながら、拍手のなかでのフィナーレ。「また来てくださいね」
皆さんにそう言っていただき、別れを惜しんだ。
親たちがそこに座っていたかも。今もいるような?と、
なんともいえない感覚を抱きながら元気に演奏とトークを続け、
涙なしで終われたことは良かった。

その夜、介護士さんからメッセージをいただいた。
「ふれあいコンサート!ありがとうございました! ご利用者様の感動する心が、溢れる笑顔から感じられ マーサさんの透きとおるお声に 仕事しながらウルッと💧涙  素敵な時間をありがとうございました❢ 認知症〜明日には記憶は無くなっておられますが、、一瞬!の感動を大切にしてあげたいと 日々思います。。  心よりお礼申し上げたく・・」
この言葉に心が震えた。そう、明日には記憶がなくなる方もおられる。もしかしたら多くの方がそうだったかもしれない。
そのことを思うと、切なくもなるが、それでも一瞬一瞬の感動を大切に、今を生きていることの証しとして、そんなお手伝いができるならば、とも思った。
瞬間が永遠になるギフト。今年からの私のテーマのひとつは、これだ。

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いのち、命。大切に。

ロシアのウクライナ侵攻が終わらない。どころか過激になっている。
人殺しが常態化している。異常事態だ。
どちらの国からも犠牲者が止まらない。
いったい首謀者は人の命を何だと思っているのだろう。
亡くなった方々、そしてそのご遺族のことを思うと、たまらない気持ちだ。
この状態に慣れてはいけない。
命をこんなことで終わらせてはいけない。

出張の帰り際に入った、一本のメール。
その方の義理のお母様(もう90歳近い)が、インフルエンザで
施設から急きょ病院に搬送されたとのこと。もう食欲もないので・・・。
でも、延命はしない。見守る、看取るとのこと・・。
そうか、ひとりのおばあさんの命も・・永遠ではない、終わりが近づいて
しまったのか・・と。自分の親のときのことを重ね合わせ、ひとりの
人生のおわりについて考える。

その帰りに、駅の近くのビルの前。通った足元に白い花束がおいてあった。
あれ?誰かが花束を落としたのか?
いや違う。そういえば、ニュースで先週、飛び降り自殺があったと報道していた。
ここで亡くなったのだ・・・。若い方だったようだ。
思わず、立ち止まり手を合わせる。

以上はすべて、人の命の話。
いろんな終わり方がある。
いつか終わるのだから、それ自体はやむを得ない。
しかし、命を大切にしない、されない終わり方は無念すぎる。
人のことも、自分のことも、いのちを大切にしたい。

若い人が未来を悲観せず、希望をもって生きられる世の中にならないと。
いのちは、一番大切だ。

いのちは、亡くなってからその大切さに気づかされる・・・。

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新年らしく、新たなご縁も。

どんな1年にしよう?とわくわく新しい気持ちで進み始めた
2023年、もう10日が過ぎてしまった。
時の流れは速すぎる!

そして、すっかり平常モード。
昨年からとりかかっていることを再開したり、新しい
取り組みに着手したりしはじめてはいるが、まだ
新しい出会いは・・・。

そんな今日、新たな出会いにわくわく。
ZOOMでは昨年からお会いしていたが、対面では初めての
面談となる。
今年はどんな人たちと一緒に新たな挑戦ができるのだろう。

緊張も抱きつつ、未知数の期待も高まる。
やっぱり新年には、新しい出会いもいいものだ。

どんな話をしようか、どんな展開にしようか。
考えているだけでも、わくわくする新年の新たなご縁。
うさぎ年。一緒にリズミカルに挑戦できる仲間を増やす。
できる限り長く、苦楽をともにしても、やっぱりいいね!と
長い信頼のおつきあいができるように。

もちろんこれまでご縁をいただいてきた皆さんとも
新たな気持ちで、さらにいい関係づくりを。

一緒にぴょんぴょん。なんだかわくわくする。
うさぎ年らしく。軽快に。

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あと5年を駆け抜ける。

成人の日、まぶしい晴れ着姿の新成人たちを見ながら、
ふと自分のその頃、そして今までのことを思い返す。
あっという間の20年、30年、そして・・・。

今年はグラン・ルー設立25周年。
ということで、年賀状にもそう記載した。
正式には設立日は9月であるが、年の初めから
感謝の1年にするつもりで走りはじめた。

一方、自分はいつまで走るかについて考え始めてもいる。
生涯現役は原則であるが、同じ内容で同じペースで同じ環境で
進み続けることとは別である。

今はまず、あと5年。30周年までは全力疾走してみようと思う。
五年後までは遠いゴールではない。
そして、その後の働き方や生き方を同時に模索し、
新しいフェイズに向けていきたい。

そして、そのために今の瞬間、一番大切にしたいことに
集中したい。
同時に悩むことはしない。
ひとつづつ集中し、クリアして進み続ける。
人間的にまだ成長することができるかどうかはわからないが
そうありたい。
謙虚に誠実に、そしてぶれずに、止まらず。

さあ、目指すは30周年。
と、新成人たちの元気な笑顔を見ながら、
自分も同じ気持ちで、スタートだ!

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励まされるタイトル

何気なく、ふと口ずさむ歌。
やはり昭和生まれの作品ばかりだ。
馴染みある歌は生まれ育った時代に呼応するのだろうと思う。
「見上げてごらん夜の星を」「幸せなら手をたたこう」
「遠くへ行きたい」「365歩のマーチ」「希望」
など、懐メロと言われるモノの良さが、自分にとっても
理解できる齢になってきた。
作品は世相を反映する。この戦後、昭和40年代前後の
流行歌は社会が変化、発展していく途中に生まれ、親しまれた
もので、人々を元気、勇気づけるものが多い。
メロディも歌詞ももちろん素晴らしいが、タイトルも
この時代を反映していると改めて感心する。
奇をてらわず、わかりやすく、そのまま人のここに入り込む。
コピーであればキャッチ。
歌であれば、タイトル。
励まされるタイトル、元気が出るタイトル、ふと
心があたたまるタイトル・・・。

自分がつくってきた作品はどうだろうか?と改めて
見直しながら、今後もタイトルにはこだわりを!と
思う。

人々に元気と勇気を伝えることができる作品、メッセージを
これからも作り続けていきたい。
今年も新作増やしていこう。

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親友は何?

いろいろ頭を整理したいとき、冷やしたいとき、何も考えたく
ないとき、少し普段と違う世界に身を置きたいとき、自分に話しかけたいとき。
気分転換をする方法は人それぞれである。
コーヒー、紅茶、たばこ、ウォーキング、映画、ヨガ、スポーツ・・・。
私の場合は、コーヒーも紅茶もウォーキングも映画ももちろん
選択肢であるが、気が付けばピアノを弾くことが、一番の気分転換、
癒しの存在になっている。
改めて振り返れば、子供のころからそうだった。

親に怒られたあと、すぐにピアノに向かう。何かあったらピアノに向かう。
鍵盤の上で指を動かし、流れてくるメロディーに耳を澄ましながら
嫌なことを流していく。
さっきまで悩んでいたこと、気になっていたことも、ピアノのおかげで
違って見えてくる。
まるで、親友に話を聞いてもらったあとのような気持ちだ。
頭の中でメロディを追いかけながら、自分との対話を続ける。
そんな時間がもてることで、バランスをとることができるのかも
しれない。
1時間ほど何も考えずにショパンのノクターンや即興曲やベートーベンの
ソナタを途中つまりながら、繰り返しながら弾き続け、指先と頭をぐるぐる
めぐる。頭にはびこる雑念を音に流し、頭を切り替えて、次のライブで
演奏する曲目をさらう。だんだん前向きになってくる。

そして少し疲れたら、ここで今日はおしまい。と楽譜を片付ける。
前向きになりながら、心の洗濯もでき、すっきりする。
そして、ピアノの蓋を閉じながら、
「ありがとう。ずっと一緒だからね」
と黒いボディに話しかけ、そっと撫ぜる。

そう、ピアノが親友なんだ。
ずっと意識してこなかったけれど、この半世紀、ピアノが
親友だったのだ。
しばらくおきざりにしていたくせに、この数年の間にその親友と
再会し、その対話の時間に、今とても救われている。

親友は人間とは限らない。
人によってはギターのこと、愛車のことも・・・。
私の場合は、まずピアノ。
生涯の友。決して裏切らない友。いつもそこにいる。
それを、親が遺してくれたことに、心から感謝だ。
もちろん人間の親友も大切に。


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耳の痛い言葉は良薬に。

年を重ねると、だんだん嫌なことを言われなくなる。
誰しも、そんな傾向にあるのでは?
子どものころは、耳の痛いことをよく言われた。
親にはとくに言われたのだろう。具体的には覚えていないが。
あるいは、気遣いという言葉を知らない子供時代は、
何も考えず相手の悪いところを平気で言って、それが喧嘩に
なることもあったかもしれない。
言われたくないことを言われ、不快になる。
人間誰だって、耳の痛いことを言われるのは
嫌だと思う。言われたくない。

でも、時に言われることもある。
いろんな場面において。
耳にしたときには、なんとも言えない気持ちになる。
頭のなかが、しばし真っ白になることもあるかもしれない。
怒りがこみあげてくることもあるかもしれない。
人間だから、痛いことは基本、嫌なのだ。

でも、考え方を変えるとその痛さも変わる。
この言葉を良薬にしよう。と見方を変えるのだ。
何に効く薬なのか?自分の気づかないことを
教えてもらえた、あるいは自分の配慮のなさや
怠慢を教えてもらえた、そう良薬なのだ。

言いづらいことを言ってくれる人に感謝する。
もちろん、相手はそういうつもりで言っている
のではないことも多いけれど、まあ、相手のこと
はともかく、その痛い言葉は、良薬と思って
生かしていこう。

人間社会、違う価値観、違う人間同士。
なるべくお互いに痛みを感じなくて良いように
怪我がないように、
相手のことを考えながら、そして
自分のことも大切に歩きたい。


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年頭のあいさつを胸に。

年末年始の休日が終わって、多くの企業が今年の活動をはじめた。
不思議なもので、昨日までゆっくりしていた町も、急に目覚めたように
日常の情景に変わる。地元でも急に通勤や営業の車が増えている。
しっかり休んだ~。さあ、今年もがんばるぞ!と元気に出勤された方も
多いことだろう。寒さが緊張感を高めてくれているのも良い。

各企業のトップは、今年一年への期待を込めて、いろんな方法で
その思いを社員に発信する。
年頭のあいさつは大変重要だ。
自分が会社員時代、新年の社長の挨拶は、それなりに緊張感をもって
何を言われるのだろうとしっかり聴いていたことを思い出す。
社長のメッセージ。どんなことを社員に伝えるべきか。
年末年始の休み前から、考えて準備されている方もいる。

いかに社員ひとりひとりに同じ気持ちで、目標に向かい
前進してもらうか。
絶対にやり遂げなければならない。このことを全員にしっかり伝えるには。
工夫も必要だ。
普段同じことを言ってもなかなか響きづらくとも「新年」という
節目は、みなさん新しい気持ちなので、受け入れやすい。
そういう意味でも、年が変わるということは、いい転換点になる。

もちろん昨年までのことをなしにするということではなく、
いい意味でリセットしながら、心新たに力を合わせてがんばる。
それぞれが前向きに成長しようという気持ちで行動をはじめる。
そんな人が多ければ多いほど、いいスタートだ。
見た目は平常モード。
しかし、心は新しく。そして、今年は跳ねる年。
元気に新年を迎えることに喜びを感じ、1日1日をしっかりやり遂げる。
それぞれの企業の今年一年の発展を、心から応援したい。

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