歌もいいけど、縦書きもいい。

先日、歌詞集をご注文いただき、お読みいただいた方から感想が
届いた。

♪詩集ありがとうございます。

じっくりと時間をかけて読みたいと思っていたら

昨晩になってしまいました(;^ω^)

お返事が遅れてすみません。

読み終えた後、マーサさんの歌声を聞きながら床に就かせていただきましたww

詩はこの縦書きな感じと行間がいいですよね♪

聞き覚えのある歌詞ですが、曲を聴いている時とは別の気持ちになります。

昔の事を思い出し、心が落ち着きました。

忙しくても、心を落ち着ける時間というのは意識してでも作った方が良いですね。

心が軽くなります。♪

と、いった内容で、いただいたメールは朝早かったおかげで、1日テンションが
上がりっぱなし。ああ、良かった、作ってよかった。とそんな気持ちになることができた。

そう、聴く行為と、読む行為は違う気持ちをもたらしてくれる。
この方は私のコンサートへもおいでいただいたことがある方であるが、
この歌詞集を読んでから、CDもお聴きいただいたようだ。

自分の言葉と音楽で、眠りについていただける。とはなんとありがたいことか。

自分がしたいことは、人々が1日元気に過ごせることのお手伝い、そして、安らかに
眠ることができるお手伝い。
元気だけでなく、安らぎもお届けできたら・・・。

自分の向かっている方向を確認できる、うれしいメッセージをいただけたこと、
本当に幸せだ。

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訪ねてくれる方たちへ。

春になってから、東京、京都、新潟で出会い、お世話になってきた人たちが
今自分が住む「日本のまんなか」に足を運んでくださる機会が増えている。
ひとつは、コロナがいったん落ち着いたこともあるだろう。
名古屋へ用事ができたついでに、せっかくなので岐阜のコンサートに行って、
と動機はそれぞれであるが、自分を思い出し、足を運んでいただけるとは
とても光栄なこと。

30年以上一緒に仕事をしてきたデザイナーさん。
家族旅行の帰り、ご自身だけ残って、会いに来てくださるとのこと。
これまで自分が話してきたふるさとの片鱗を見てほしい。知っておいて
もらえたら・・との気持ちにもなる。

今月はこれまでなかった、このような機会がいくつかある。
人に会う場合、自分が訪ねていくことの方が断然多かったわが人生であるが、
日本のまんなかは、寄りやすく、また東京や京都と違い、超観光都市ではないため、
わざわざ出かけるのは難しいが、きっかけがあれば、行ってみたい。せっかく
行くならば・・ということになるのだろう。

いずれにせよ、訪ねてもらえることはうれしい。
そういう年頃になったのか、そう声をかけていただく人との関係が
まさに家族のような存在だからなのか。

人が会うには、待っているだけでは叶わないこともある。
行けるときに、行ける方が動き、再会する。

訪ねてくれる人。ありがたい。
できる限りのおもてなしを。と思う。

訪ねる、迎える。
ああ、あの人は元気かな・・。
会いたい人には会っておきたい。

訪ねるもよし、迎えるもよし。
行き来できる健康、幸せに感謝して。

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低空飛行とピアノ音

「バリバリバリ・・・・」実家周辺で、低空飛行の飛行機をよく見かける。
実は、子供の頃から、飛行機の騒音(と書いては申し訳ないが)とともに
生活をしていた。その音のなかで育ったといっても過言ではない。
だから 両親も私も声が大きいのか?その関係はわからないけれど。

実家が自衛隊の基地が近いからだ。とくに飛行機を製造している会社も近くにあるため
そのテスト飛行など盛んにおこなわれてきた。


岐阜を離れて40年経過し、その騒音のことは、すっかり忘れていたが、このところ
足を運ぶ機会が増えているため、「ああ、こんなにうるさい環境だったのだ‥」
とあのバリバリ音を聞くと、地域の音環境を改めて知る。

とくに、4月後半は音がいつも以上に凄い日があった。手が届きそうな距離で低空飛行を
していたのだ。報道によると、あれはもしかしたらスーダンに飛んだ飛行機だった
のかも・・・。あまりにカタチが似ていたし、そこの基地から飛んだと報道もされていたため、きっとその飛行機の音を聞いたのだ。

とにかく、そういう環境のなか、幼きからピアノの練習を続けてきた。
そして、そんななかで育ってきたため ピアノの騒音は、飛行機の騒音に
比べたらかわいいものだ。もちろん防音対策はしてあるが、ピアノがうるさい以上に
飛行機の音がすごいため、ピアノへのクレームはなかった。
むしろ、
「今日もやっとるね」と、近所のおばさんが寄ってきたり、
「癒しになるわ」と言ってくれたり・・・。

その飛行機の音が、昔は単なる騒音であったのであるが、最近は戦争も身近に
感じるようになっており、この音のなか、ピアノを弾いていると、
戦場のピアニストを思い出してしまい、恐怖を感じる。
このバリバリ音は、自衛のための、その練習の音であるから、まだ我慢するが、
まさかここが戦地になり、このバリバリ音が響くことがないように・・。
そこから何かが降ってくるなんてことは、間違ってもないように・・・。

なぜか、最近はそういう心配もしてしまう。
平和な環境で、ピアノが弾けるなんて、幸せなこと。
考えたこともなかったのに、このところのバリバリ音で、緊張してしまう
自分がいる。

少なくとも「バリバリ」は、平和の音。ではない。
守るって、きれいごとではないのだ。

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同級生から飛んできた餅。

三年ぶりの地元のまつり。近所の神社で年男たちが餅をまく。
この一大イベントの前には、その年男の皆さんと地元の男性たちによる、恒例の神事があるが、そのときは人もまばら、しかも雨模様・・。
であったが、餅まきの時間は、回覧板などで情報がいきわたっているのだろう、その時刻が近づくにつれ、人が湧いてくるように集まってきた。
待ってましたという感じで、みなさん袋を持参。やる気満々で、驚く。

櫓の上には立派な餅が入った樽。紅白の餅がきれいに並べられている。年男たちの奉納によるありがたい餅。この「餅まき」の風習は江戸時代からあるようであり、各地域でいろんな形で受け継がれているようだ。私の地元でも、ずっと続いているが、コロナで休止、今年は久しぶりの開催となった。
爆竹が鳴り、花火が打ち上げられると、一斉に年男によって、紅白の餅が次々と撒かれ、集まった人々はその餅を受ける、拾う・・・。家族や友達の方に向かって多く投げたり、声をかけられたらそっちに向かって投げたり・・・。野球をやっている人には有利なゲームでもある。
この伝統的な地域のまつり。約半世紀ぶりに見たこの光景。
爆竹や花火の音が聞こえたとき、また櫓の上に上った年男の皆さんの姿や櫓の下で働く地元のおじさんたちの姿が見えたとき、父の元気だったころ、威勢の良かった頃の様子がくっきりと浮かんで、ぐっときた。
ああ、父も母も祭りが好きだった。地元の人と交流するのが好きだった。とくに父は祭り
になるとお酒を飲んで、気が大きくなって、翌日母に怒られていた・・・。そんなことも
思い出し、この賑わいのなか、ひとりで涙ぐみ、餅を拾うこともなく、たちすくみ・・すると餅が降ってきて、体に当たった。餅って痛いんだ~。

餅をまいていた年男の中には、同級生が何人かいた。
本当に50年近く会っていない人もいて、
声をかけることができなかったけれど、

「すっかり、いいおじさんになったんだ~」
どこかで会っても絶対にわからないなあ。
と地元に残り、地元とともに暮らす彼らのことを懐かしく、見守った。

今も昔も神事は、男のまつり。地元に残った男たちが地元を守る。
と、そんな歴史である。
代々受け継がれた伝統的な祭りを含め、さまざまな活動をその男たちが
地元に残って受け継がれていることは本当に素晴らしいと思う。
地域には地域の歴史があり、まつり、ならわしがある。
半世紀たっても ベタなこの祭りを楽しく参加する人々たちの興奮は変わらない。
すべて父も含めた、地元に生きた人たちのおかげである。

少しキャッチした餅をそのまま、妹に渡しにいこうと電車に乗った。

同級生たちが、地元を守っている。
ヨソモノの自分は何を守ってきたのかな?
いろんな思いで、この光景を焼き付けた。
みなさんが健康で、平和な1年を過ごせますように。

いやはや、それにしても、久しぶりに降ってきた餅は痛かった。

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グッドモーニング・コミュニケーション!

「morning」ではなく、「モーニング」。
響きもよいせいか、しっかり日本語になっている。
日本の喫茶店の歴史のなかでも、ユニークなのが東海地区。
喫茶店がもっとも多いエリアで、モーニングの発祥は愛知県の一宮だったらしく、
それも昭和40年代、高度経済成長期の繊維業発達の歴史と関連していると聞き、
へえ!と驚くが納得。繊維業で朝から仕事に忙しい地元の人々の朝のサービスと
して始まったという一説があるようだ。繊維産業は衰退してしまったが、
喫茶店は成長、今に受け継がれている。
コーヒーにピーナッツが付いてくるサービスも東海地区特有のものであるが、
朝の特別サービスであるモーニングこそ、東海地区が誇る喫茶文化である。
モーニングは、そのお隣である岐阜市や名古屋市でさらに発展。
現在、人口当たり喫茶店のもっとも多いエリアは岐阜だと聞き、こちらも納得。
岐阜は喫茶店、そしてモーニング。競争も半端なく激しい。

私の幼少期はこの喫茶文化の繁栄とともにあったと記憶する。
だからか、モーニングには、人並みならぬ思い入れと多くの思い出がある。
「モーニング行こか」近所のおばちゃん、仕事中のお兄さんも、セカンドプレイス、
サードプレイスとして喫茶店をこよなく愛した。
わが家も、子供の頃から家族全員でモーニングに行くのが楽しみであった。
家でけんかしていても、喫茶店にいくだけでちょっとよそ行きになって、
普段のたわいない会話でトーストやゆでたまごを楽しむ。
楽しかった・・・。改めて思い出すと、この懐かしくてたまらない。
わがふるさとは、そんな顔をもつ町でもある。

かといって、今、私は東海地区に住んでいるが、喫茶店のモーニングには
ほとんど行かない。
むしろ、家でモーニングをつくるのが日課のひとつになっている。

フルーツの盛り合わせ、キャロットサラダ、ヨーグルト、そしてコーヒーに本日のパン。
パンは自分で焼く時間はないので、気に入ったいくつかのパン屋で買い求めたもの。
以前住んでいた東京や京都にもお気に入りのパン屋はあるので、朝のパンを求めるのは
モーニング係として大切な任務。
コーヒーも日替わり。グラン・ルーオリジナルブレンドにすることもある。
と書いていると、うちのモーニングはすごいなあ。と思う。
どんなに疲れていても、ニンジンをスライサーでカットしたり、モーニングの用意を
しながら、ランチ用のおにぎりを作ったり・・。これはこれで楽しい。
頭では仕事をしながら、手先だけ喫茶店のママになる早朝。
その「もーにんぐ」つくるのは一人前。
そう、ママは食べない。客人(家人)の分だけである。
つくるモーニングが日課。

グッドモーニング。今日から世間は連休。グッドモーニングコミュニケーション!
笑顔でいい朝をお迎えください。

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日常風景が提案のきっかけになる。

何気なく見ている日常の風景のなかに、企画のヒントがある。
今回も、改めてそんなことを実感することがあった。
録画している報道番組。民放であるため、どんなスポンサーがついているか
で番組のターゲットや、スポンサー企業の狙いが見えてくる。
そこで流れてきたあるCMが商品広告ではなく、企業広告。
しかも、かなりSDGsを意識した、自らの取り組みをしていることを伝える内容。
なかなかよくできていると思い、しっかり頭の中に刻み込む。
これだと、企業の価値が伝わるな~。正直、商品広告は、一過性であり、
残らないと思っているなか、メッセージが込められたCMは余韻があり、
記憶に残り、企業へのイメージも変わる。

そうか、こういう見せ方はいいな。あの企業でもぜひやるべきだな。
と、ずっと気になっていた自分が抱える課題の解決策が見えた気がした。
この話題を、早くクライアントの担当者に伝えなければ。
早速、対面で会う機会があったため、その例を伝え、今こそ、企業のメッセージを
伝える時期という話をした。
企画書はなし。口頭だけでの提案である。
すると、相手も興味を示してくれて、具体案の提案の機会を与えてくれる。
話してみるもんだな。やっぱり、まずは伝えることからだ。
改めて、提案とは大げさなことではなく、日常風景から、日常の会話からも
はじまることを実感。

日常風景。ここはアイデアソースの宝庫である。
大切にしよう。
ぼーっと見るだけでなく、意識して見る。
そしてひらめいたら即行動。
この仕事スタイル。もっと極めたい。

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いいづらいとき、いいづらいことほど。

地元のある知人の戦いを見守っていた。
結果が出るまで、がんばって!なんとか当選して!と応援していたが、
蓋を開けたら残念な結果であった。
どんなショックに思われているだろうかと思うと、かける言葉が
見当たらず、二晩考えた。
でも、そのままにしておくのはいけない。ちゃんと声をかけたいと
思い、少し勇気をもってメールを送る。

とにかく
「お疲れ様でした!」の言葉と、これまでの努力への労いと
感謝の言葉・・・。
言葉を選びつつ、でもこれからもずっと応援し続けているという
気持ちを伝えた。

すぐ返事があった。そのメッセージをとても喜んでくださった
ようで、反省の言葉や、周囲の気遣いについて素直な気持ちを
述べておられた。そして、最後に「ありがとう」と結んであった。
ああ、大変だったな。でもちゃんと次に向かって進もうとされて
いるから、大丈夫だ。
メールを読んで安心し、落ち着いたら食事にでも誘おうと思った。

一方、日々の仕事の場面で。
人に何かを伝えたり、教えたりするときには、
いいことも、悪いことも、そして時には言いやすいことより、
言いづらいことを伝えなければならない。

心の中で気になっているのに、ま、いいか。言うと傷つくかなと
留めておくのは、良いことではないし、親切でもない。
と思い、一瞬嫌われ者になるかもしれないが、ちょっと
勇気をもって伝える。
丁寧に心を込めて、理由も含めて、反応を見ながら伝える。
もちろん、出だしはよく考える。
そうすると、ちゃんとわかってもらえる。

そんなこんなで、言いづらいときや、いいづらいことがある。
それを越えると新たな関係に、ステージに向かうことができる。

言わない方がいい。
本当に言わない方がいいことも、もちろん時にはあるけれど、
本当に相手のことを考えたら、伝えるのが良いことが多い。
関係を大切にしたい人こそ、歩み寄りたい。

そして、自分も言ってもらえる、声をかけてもらえる人で
ありたい。
良い人間関係は、最後はお互いの思いやり、そして「愛」・・。

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言葉は残る。

道を歩いていたり、電車移動の途中。ほんとうに何気ない瞬間に、親の言葉が
突然、よみがえることがある。
「わしだって、一生懸命生きているんだ」
こんなことを最期の方に言っていたなあ・・・。思うように動けなくなって、
もどかしかったんだろう・・・。
また、ここには書けないような、思い出すとなんとも言えない気持ちになる言葉が
いろいろと思い出される。そのたびに心が痛む。

学歴のこと、時代のこと、自分ではどうしようもない、変えられない背景。
人はそれを宿命として生きているが、まさに親たちもそうであった・・・と
折々に発していた生々しい言葉を思い出すたびに、親の葛藤を今さらながら
感じる。ああ、そうだよな。

それなのに、自分はもっと優しい言葉を返せなかったのかと少し後悔もする。
自分では果たせなかった音楽の夢を、私に託した重さも、残した言葉とともに
蘇る。いろいろ苦労をかけたのだと、子供の頃の母の働き方を思い出し、
胸がいっぱいになる。
何気ない言葉を思い出すことで、「あの頃」が全部浮かんでくるから、
不思議だ。言葉は情景を引き出し、そのときの心情を想起させる。

母が私に残した最期の言葉は
「喧嘩せなあかんから、長生きせなあかんな」であった。
そう、彼女と私の関係のすべてを言い当てている名言だ。
喧嘩するほど仲が良かった、そうだ。

今は写真を見て話しかけるしかできないけれど、毎日のように
両親の言葉がよみがえり、今だったらこんな言葉を返したのに・・と
思っているこの2年間・・。

言葉は永遠だ。
その人が見えなくなっても、残るのだ。
だから、残っても悔いのない言葉を、日々選び取っていかねばならない。

言葉は相手に影響を与える。

良くもも悪しくも、言葉は残る。
受け取った人が気持ちよく受け止め続けられるように、
あたたかい言葉を残したい。

言葉には、その人の魂が込められている。まさに言霊だ。

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手に取る喜び。

ある会社のインナーコミュニケーションのお手伝いをするなかで、
社内報の発刊を提案し、気が付けば半年以上の歳月がかかったが、
準備号を経て、創刊号の作成。予定どおり発刊にこぎつけることが
できた。
監修という役割で企画から編集までアイデアや気になる点をお伝えして、
社内のチームメンバーとミーティングを重ねての発刊。
社内報であるので、ここに画像で示すことはできないが、
A4サイズ裏表のカラー。最小限のボリュームの紙面ではあるが、
無から有への創造は素晴らしい。なかったものをつくるということは
凄いことなのだ。
タイトルも、社内公募にしようと提案し、社内から多くのアイデアが
集まる。その発表や表彰式の様子を紙面にも掲載。

コロナもあって、オンラインミーティングが多かったことに加え、
デザインの確認もモニター越しにチェックを行ってきた。
ほんとうに便利な時代、会わなくてもこんなクリエイティブなことも
できてしまうのだ。
画面で何度も見てきた紙面・・・。
昨日、紙で受けとり、感無量。
やはり、手にとってこそ、わかる存在感がある。
新潟の企業さんが広報紙につかっていた用紙が良いとのことで、
それと同じケント紙を採用、ああ、質感も良く、これならすぐ捨てずに
長く保存しておきたいと思える。

形になったものを手にとって、五感で感じることができる歓びこそ
モノづくりの醍醐味。
画面越しだけでは、存在に触れることができない。この違いは大きい。

メンバーと一緒に、出来上がった歓びを味わいながら2号の企画を
検討しはじめる。
そう、社内報や広報誌は一度つくって終わりではなく、そこから
止まることなく、続いていけねばならない。
毎回、社員の皆さんに手にとる歓びを味わってもらえるように
歓びもつかのま、次のアクションに移る。

手に取る。このことはとても大切だ。
印刷物の存在。そのツールを介してみんながひとつになる。
そんな気もする。

デジタル時代だからこそ、アナログをふれる歓びを大切にしたい。
メンバーのみなさま、大変お疲れ様でした!

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各地でパトロール

仕事でお店回りをよくしている。お客さんとしてその店に行き、利用して
気づく点をあとで伝え、提案したりアドバイスしたり・・。
その様を見て、仕事関係の方からは、
「パトロールお疲れ様です。」
と言ってくださり、思わず笑い。なんだか、おまわりさんみたい。
巡回するから、おまわりさん。なんだか微笑ましい。
パトロールという言葉が好きになった、今日この頃。

実家にも時々足を運ぶが、その目的のひとつは防犯上のチェック。といっても
何もできないが、巡回していること自体が、抑止力になったりすることも
あるかもしれないと思い・・・。

さらに、近所に住むお年寄りで、親が仲良くしてもらってきた人の
おうちやお店にもなるべく足を運び、安否を確認する。
これも一種のパトロール。
「元気ですか?どうしてます?」
民生委員でもなんでもないけれど、気になるところは巡回し、確認し、
声をかける。

さらに、引っ越して数年。ご無沙汰の東京でお世話になった方たちのことも
気になってくる。
なんといっても23年も暮らした神楽坂。わが第二のふるさとでも
ある。
当時お世話になったお好み焼き屋のご主人。もう10年ほど前に
閉店されているが、今も細々ではあるが、やりとりは続いている。
父と同じ年齢の方であるので、親近感もある。
時間が少しできたため、電話を入れる。
「お元気ですか?ご無沙汰しています。今近くにいるので、寄っても
いいですか?顔見てすぐ帰ります」
と言って、すぐうかがう。
3年ぶりぐらいの再会であるが、お元気そうだ。お変わりなさそうだ。
よく家族のように一緒にご飯食べたこともあったな~。
「もう86歳だよ。よくこんなに長いこと生きてきたなあと思うよ。」
「神楽坂のお父さんだから、まだまだ元気でいてもらわないと」
少しだけ話して、失礼する。
これもパトロール。

歩いていてどんどんいろんな人を思い出し、その人のお住まいの近く
を通るようにする。
気になったのは、以前住んでいた部屋の大家さん。お店をされている。
寄ってみた。お元気で、久しぶりすぎてとても喜ばれた。
「今、名古屋にいるんですよ」
「へえ?そうなんだー。」
仕事の手を止めて、いろいろ話してくださった。こちら70代後半。

各地でのパトロール。
まだまだいろいろ、行かねばならないところがある。
そして、いつお別れになるかわからないから、
しっかり話して、挨拶もしておくことにする。
もちろん、またお会いする。会いに行くけれど、先はわからないから。

マーサ流パトロール。
これからも各地を巡るとしよう。

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