約束は守る。

子どもの頃、「指切りげんまん」をよくした記憶がある。
詳細はおぼろげであるが、「嘘ついたら、針千本飲~ます」
と言って、硬く指切りをした。よく考えなくても恐ろしい
ルールである。
実際、針を飲んだ人も、飲ませた人もいないとは思うが、
この節(言葉)が怖くて、約束は果たさないといけない、
破ってはいけないと子ども心ながら恐れながら、約束を
守るように実行していた。

これはやってはいけない。
こうしなければならない。

子どもの頃に教えられたさまざまなこと。
親によって、家庭によってその教えはさまざまであるが、
約束を守るという教えは、社会からの信頼を得るための
第一歩だったと思う。

社会人になって長い時間を生きてきたが、今となっても
約束を守る、果たす人間でありたい。
嘘をつかず、実直に。とは思っている。

もしも、約束を果たせないような、困難があれば
約束をした相手に早めに素直に、きちんと伝えるべき。
うやむやに、なんとなく、約束を破ることだけは
してはいけない。

小さな約束であっても、ひとつひとつちゃんと果たしていく。

そして、無理なことは約束しない。安請け合いをしない。
そして、
一番大切なのは、自分との約束。
毎日自分と小さな約束を交わすのもいい。

ときに自分に縛りをかけることで、ほどよい緊張感と
謙虚さと、新たな意志が生まれてくる。



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永遠に語り継ぐ、伝え続ける。

長崎の原爆資料館の隣りにある、長崎原爆被爆者追悼祈念館。
とても静粛な気持ちになる、祈りの空間。
こちらには、被爆され亡くなった方々の名簿が納められている。
そこで、週末、被爆体験を朗読で読み続ける活動をされている
ボランティアの皆さんがおられることは、以前もここに書いた。
おかげで、そこから長崎への理解も深まり、そして平和への
願いもより一層強いものになった。
2月に開催した長崎コンサートでも、この活動のことをお伝え
させていただいたが、このような地道な口コミ活動が必要だと
ずっと思っている。
長崎に行ったらなるべく寄りたいと思っているが、たまたま
週末と重なり、こちらを訪ねると看板が立っていた。
あ、今日もやっておられるんだ。と一歩中に入ると、ボラン
ティアの方たちが、
「体験談聞いていかれませんか?ほんの2,3分です」
と言いながら、来訪者に声をかけられる。
「はい、聴かせていただきます」と椅子に座ると、他の
来訪者の方も着席される。
そこからボランティアの方は、被爆者から寄せられた体験談
のひとつを読まれた。この記念館に保存されている貴重な
体験談。
兄弟姉妹が被ばくして次々と亡くなり、そしてその悲しみの
なか、焼け跡で遭遇した死体があまりに惨い状態で・・・でも
自分の家族とは思わず、そのまま移動してしまい・・・。
あとでその場所から、自分の妹であったことを知り、長年
懺悔の気持ちで生きてこられた・・という話が、その情景が
目に浮かぶような語り口調で読まれる。
涙なしには聴けない・・・。

被爆者の方々から寄せられた体験談を人々に読み聞かせながら、
絶対に戦争の原爆の恐ろしさをリアルに伝え、平和の大切さを
伝え続けておられる方々。

この方たちの取り組みに、改めて頭が下がる。

朗読の合間には、被爆爆心地周辺の当時と今の写真を見せながら
被害の様子なども説明される。以前伺ったときは
なかったけれど、今回はスライドも用意されており、伝えることへの
工夫をされ続けていることを感じる。

ここで朗読された内容が、今もよりリアルなものとして浮かび
上がる。そして目の前の世界の愚かなる戦闘の報道にため息が出る。
知らない人が多い、多すぎるから過ちは続く・・・。

この永遠の会の取り組みは、
昨年ノーベル平和賞を受賞された被団協の活動とも重なる、
本当に心うたれる地道な活動。

写真の右下に見える黒い本には、皆さんが朗読されている被爆体験が納められている。
外に持ち出すことができない、ここだけで閲覧でき、ここだけで聴くことができる。

この永遠の会の取り組みに、心から敬意を表し、そして応援していかねばと改めて
思う。
週末、長崎に行かれる機会があったら、ぜひこちらに立ち寄ってみていただけたら。

戦後80年。実際に体験された人たちは残り少なく、その方たちが遺されたメッセージを
受け取り、伝える努力をしなければ。
長崎や広島を訪ねるときだけではなく、日頃からその思いを忘れずにいないと・・・。

読み、語り続ける。
この発信には、心からの平和への願いが籠っている。

被爆体験記の朗読「永遠の会」 – 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館

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メディアの役割改めて。


重箱の隅をつついて何になる。
そう思うことが多い。

いのちを守るジャーナリストとのおつきあい、
そこからの学びのおかげで、伝える仕事とは
本当に心して行うべき、与えられた仕事だと
思うようにしているし、自分が尊敬する方たちは
自身の命を削って、世の中がよくなるために
取材をし、表現をしている。

一方、いつまでもつまらないことを何度も
繰り返し報道する日本のメディア。
全部がそうだとは言いたくないけれど、
何のために、何度も言い続けているのだろう。
大衆が喜ぶため、何かを悪者にすることが正義
のように、その先に何を目指したいのかがわからない
情報が多いと感じてしまう。

世の中をどっちの方向に向かわせたいのか、
どんな社会にしたいのか?の理念があって、
そこに向かうために役立つ情報こそ、受け取る
人にも意味がある。
より良い方向に向かうための情報、
そのために皆が「考える」きっかけになる情報
こそが必要だ。
ワイドショー的な、無責任な発言、情報は不要。

だからそれらには触れない。

自分から意味がある、と思う情報を選び取ること。
発信する側より、受け取る側がしっかりする必要が
ある今日。

メディア。
間に立っていて、意味のある存在であってほしい。
世の中の役に立つ存在として何ができるか。
どんな仕事でも同じだ。
考えて行動したい。

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子連れで喫茶での学び。


地元の仲間と久しぶりに会う用事ができて、 
よく利用する喫茶店で待ち合わせすることに。
そこは電車の駅前で、かつ駐車場も大きくて、自動車
利用者にも使い勝手良く、待ち合わせには最適。
ただ、人気店であるため、待たされることも多いため
早めに行って席をとろうと、約束時間より少し早めに
店内に入る。すると携帯にメッセージ。
「子ども連れてきたので、キッズルームというところに
入っています。そちらにお願いします」
とのこと。そう、彼はもしかしたら、子ども連れていく
かもしれないので と言っていたので、納得。
でも、その「キッズルーム」には入ったことがなかった
ので、ちょっとドキドキしながら、案内されるままに
その部屋に向かう。
すると、店舗の3分の1を割いたほどの大きな特別
空間、そこがキッズルーム。
この店にこんな大きな個室があったとは。
店のスタッフに案内され、靴を脱いで入室する。

客席は5テーブルほど。テーブルはお子様にも
ちょうど良いローテーブル。椅子はお子様用の小さな椅子に
大人の椅子といろんなサイズの椅子が並んでいる。
メニューではお子様ランチが強調。もちろん普段のメニュー
も用意されているので、大人はいつもどおりドリンクでも
食事でも選べる。
「時間は90分となっておりますので」
と、先に言われる。つい長居する人がいるのだろう。

ということで、友人はすでにその席に座っており、
お子様(2歳男の子)は、近くにある本棚の本を移動して
遊んでいた。
「すみません。今日は子連れで!嫁さんが下の子の世話
しないといけないので」
彼が父親であることを、知ってはいたが、今回のお子様への
お世話ぶりを見て、自然にいいパパでもあるんだと実感。

乗り物好きの父親はすでにその子を連れて飛行機に乗って
あちこち連れていっているようで、二人旅を楽しんでいる
とか。お子様を自由に遊ばせながら、自然に世話をして
いる姿を見て、とても微笑ましくなった。
もちろんイクメンとして、育休もしっかりとって子育ても
されている。今どきの父親である。

キッズルームは客席の奥にお子様の遊びスペースが設け
られており、ちょっとした遊園地のようである。
モニターには子どもが好きなアニメが流れ、それを見ながら
子どもはしばし止まりながら、室内を走ったり、ごろごろ
したり、とにかく楽しそう。絵本を読んでいる子もいる。
遊び場の様子がわかるように、大きな鏡が付いており、
親御さんは、その鏡を見ながらお子さんが無事遊んでいるか
どうか見ながら、安心しながら大人同士のおしゃべりを楽しむ。

お料理ができれば、席に座って、ぱくぱくとお子様ランチ
を元気に食べる。フォークを使えなくても、手づかみで
食べる。パスタを手づかみにして食べる姿を見て、私に
とっては珍しいので、面白がってずっと観察。
「もうそろそろ時間です」一昔前のカラオケボックスの
ごとく、終了時間が知らされて、帰りの準備に。
あっという間の90分である。

正直、子どもさんがいると、大人の会話はとぎれとぎれに
なるため、深刻かつ真剣な話題はちょっと難しいかもしれ
ないが、まあ普段の会話であれば、何ら問題なく、
いい時間を過ごさせてもらった。

今、仕事で子ども向けのサービスについて考える機会も
あり、すでにある店舗でのお子様向けサービスの充実には
限界もあるが、店舗開発の段階から、しっかりお子様用の
遊び場を設置することは、今後、ますます大きな差別化ポイ
ントになるとも改めて認識するきっかけをいただいた。

親も子も安心して、楽しめる場所。
ちょっとだけ非日常の場を、その喫茶店はしっかり体現している。
だから、いつも混んでいる。
喫茶利用。大人の利用。大人と子供の利用。家族での利用。友達との
利用。この店には、多くの層に楽しんでもらえる用意がある。

子連れで喫茶。
車に子どもを乗せての来店。
パパと僕の、土曜の午後。

なんだか幸せな世界が見えた。
あまり接したことがなかった世界だけに、私にはとても新鮮で楽しい
ひとときでもあった。

ストレスなく、大人も子どもも健やかに過ごせる店、街がこれから
もっと増えるといい。
そういう意味では、ふるさと岐阜は時代に合った町なのかもしれない。

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「仕事が好きで」と言える人。

同世代の女性との会話。
その方は、地元の団体で約半世紀 勤務されてきた。
高校を卒業してから、就職してずっとその組織での勤務
一筋の人生だ。
最初は事務職から、支店長にまで、そしてさらに新たな役割も
与えられ、今は新たな業態の責任者として、地元の組合員への
サービス強化のため活躍中だ。
大きな組織で女性が地位を確立されるには、苦労も多かった
時代だと察する。

自分のような気ままな自由業であれば、どうにでもなるが、
伝統的な組織であれば、女性の活躍もままならぬ時代、
ご苦労も多かったであろう。しかし、そんなことを感じさ
せない明るさとガッツ、リーダーシップ。
その組合を支えているのは女性の利用者(組合員)の力で
もあり、そういった場面で利用者に寄り添い、お役に立っ
て、組織のファンづくりができたのは、その方の手腕。

定年が見えてきた今、
「これからどうするんですか?」
「さあ、どうしてもらえるか?まだまだこのままやれると
いいけれど・・・」
これまでどおり、直接利用者のお役に立つ仕事がしたいとの
こと。
組織では、定年になると裏方スタッフとして、再雇用という
ケースが多いため、望みどおりに進められるかどうか。
まずは、あと1年今までどおり、がんばるとのこと。

「仕事が好きでね~」
と、目を輝かせ、そういわれる姿が素敵だと思った。
母も父も元気な頃、この方に大変お世話になった。
最初、「女なんかに何ができる」と言っていた父も
しばらくすると見方が変わって、ファンになった。
男だから、女だからではなく、人として仕事を真剣に
される姿を後輩たちが見て、あとに続いた。

母が亡くなった翌朝、葬儀社の安置所に一番に
駆けつけてくださった時のことを思い出す。
年度末の繁忙期、通勤前に来てくださった。
母が好きだったカルピスソーダをもって・・・。
「としこさん、としこさーん。」
と眠る母を見て泣いておられた姿を思い出す。
そんな風に、人とのかかわりを大切に経験を積まれて
きた方。
仕事が好きという言葉には、人との出会い、様々な
体験、成長が含まれているのだろう。

子育てしながら、ひたむきに仕事をされてきた
半生を想像すると、ただただ、素敵な生き方だと
思う。

仕事が好き。と言えるのは幸せなこと。
近々、この方のご依頼で運営されている
店舗でコンサートをさせていただく。
私も、仕事が好きだ。
人生そのものだから。

どうせやるなら、好き!と言えるまでがんばろう。

同世代のますますの活躍を願い、応援しながら、
自分も全力で走る!

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ウェルカムミュージックの効果。


ある企業の社内イベントで、演奏の機会をいただいた。
このイベントには、企画から関わってきた。
社内コミュニケーション推進を目的とするプロジェクトで、
若手の従業員が中心となって企画、準備、実施まで担当。
毎月ミーティングを重ね、本番までのステップを歩んだ。
当日もメンバーと会場準備をしながら、いざ本番へ。

参加者が受付をして、会場に入ったときのおもてなし。
皆さんを生演奏で迎えたい。場をさらに非日常の場面
に、そして緊張をワクワクにできたら・・・。
そんな思いで、開会されるまでの30分アドリブで浮かぶ
メロディをメドレーにして、入ってくる人と挨拶を
交わしながら、弾き続けた。
このイベントの後半には、ミニコンサートの時間も
いただいていたが、まずはこのオープニングのおもてなし。
最初が肝心だ。

そろそろ開会かな。運営を仕切るリーダーと目で合図
しながら、「ではそろそろ」と、自然に演奏を終えて、
無事、開会。

その後、開催の挨拶、乾杯と続き、会は和やかに
楽しくはじまった。

次の準備をしようと思い、会場から一歩出たら、
ある従業員さんから声をかけられた。
前に会ったことがあったかな?と思いつつ
挨拶をする。
「ピアノ、うまいっすね。次から次へと違う曲を
弾いて、ピアノ見ないで会場見ながら弾いてましたね。
すごいっす。」
と、そんな会話からはじまった。
まだ入社され1年とのこと。
そんなこともあり、こういったイベントの場で
気楽に話せる人も少ないのかもしれない。
その人は学生時代にバンドをやっていたようで、
楽器が好きな様子。「ピアノ、いいっすね。
教えてるんですか?」
「いや、今は教えることはしてないけれど、
演奏活動はしてますよ」いろいろ話して、
「大変な仕事だけど、がんばっていろいろ挑戦
してね。また話しましょう」
と言い、握手。

オープングの演奏だけで、こんな出会いにつながった。
彼は、その後の会も楽しみ、最後の私のコンサートも
しっかり聴いてくれて、閉会後も、「よかったっす」
と目をきらきらさせて、挨拶に来てくれた。

何気なく流れている音楽からの出会いもあり、
心を開いて話してもらえるきっかけにもなる。

言葉のないコミュニケーション。
楽器の音色は人々の心をやわらかくする。
心を開く効果もある。

イベントのウェルカムミュージックは、やはりいい。
生のコミュニケーションはやはり、響く、伝わる。
名乗り出て良かった。

私ができる、ささやかなことで、働く皆さんが
元気に、いきいき、がんばってもらえる・・・
きっかけになれば、うれしい。
改めてそんなことを思う、お宝イベントであった。



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BON VOYAGEの春

VOYAGE(ボヤージュ)。先日の布施明のコンサート以来、
頭から消えない言葉。
旅路。飛行機ではなく、船の旅路のイメージ。
旅先で遭遇するかもしれないさまざまな危険と
背中合わせの未来への挑戦。

良い旅を!
日本でいうならば、「気を付けてね!」よりも、
長い旅を指すイメージだ。

旅立つ人が増えるこの季節。
ひとつは季節の変わり目での旅立ち。
3月は母の旅立ちもあった。
そのせいか、今ごろは、永遠の旅立ちの季節という印象も
あり、少し寂しくもある。

だから、この一方通行な旅ではなく、またいつか戻る人の
出発を見送りたい季節。

そんななか、近々、四半世紀前より交流のある、弟のような
仲間がポルトガルへ出発する。彼が20代、
私が30代の頃からのおつきあい。
なんと、最近知ったが隠れキリシタンの里、長崎の外海に
ルーツがあるそうで、その地に愛着をもっているため
余計に不思議な縁を感じる存在。

今回目指す旅は、これは単なるトリップではなく、移住だそう。
50歳でビジネス界を引退し、次の人生の準備をしてきた。
そして、念願の旅立ちを迎える。

出発するまでに再会する予定。

これこそ、まさにBON VOYAGE。
弱者になったことがない。弱者がいやだから賢明に
努力を重ねてきたその彼が、今度は自らがマイノリティの
世界で生きてみたいそうだ。
ゼロからの出発。

こんな人生を賭けた旅は楽しそうだ。

どうせなら、夢を求める旅を。

さて、自分はこの春、どこへ向かう旅をしようか。



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すぐふりかえって前に。

お世話になっている企業のイベントに参加させていただくことが
ある。報道関係に向けて、株主向け、ときに・・・。
いろんなケースがあり、内容も規模もそれぞれであるが、開催す
るイベントが多いこともあり、その運営は大変手慣れたもので、
見ていて安心感がある。
とはいえ、毎回違う目的、対象、内容であるため、同じイベント
は二度とない。
毎回企画を立案、計画を綿密に、役割分担をして段取りどおりに
すすめる。
もちろんリハーサルも行い、ダメ出しも行う。
そして本番。
しっかり準備されているため、大きく失敗することはなく、
参加者から違和感を感じることはあまりないのでは?と思うこと
が多いが、それでも、終わり次第、すぐにふりかえりをする。
「反省会」とは言わず、「ふりかえり」である。
(自分が関わらせていただく企業では最近、『反省会』とはあま
り言わなくなっている)
ふりかえり。いいこと、改善すべきこと。スタッフ全員で出し合
う。私も参加させていただく。客観的な目で見たことをお伝えす
ることもお役に立つかもしれない。
まず、いいこと。を出すことが大切。
そして 今後のための意見。
発言する人も自分の役割を通じて感じたことを言い、聴く人も
全員チームの一員として真剣である。
この本番直後の「ふりかえり」は大変重要だ。
もちろんここで出た意見をもとに、主催者は詳細の振り返りを
して、次に生かす準備を行う。

ふりかえり。
毎日自分もやればいいかも。
今日良かったこと、もっとこうすれば良くなる。
そんなチェックタイムも、明日のために有効だ。

ふりかえり、そして前に。

試しに、今日から実践してみようかと思う。

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相棒との別れに慣れる。

15年ほど愛用してきた大きなスーツケース。
ここに写真を載せるには、あまりにおんぼろなのでやめておく。
このおんぼろくんとは、本当に長いつきあい。
なんと、ネットで購入した。到着して大きさにびっくり。

海外渡航、国内の連泊出張などで、本当にお世話になってきた。
かっこいい高級鞄であると、なかなか飛行機に預けるのも傷が
ついたり汚れたりと心配であるが、この相棒は大丈夫。
いっぱい入るし、見分けもつくし、なんといっても丈夫。
思い起こせば、ニューヨークにも、ドイツやフランスにも、
そしてブエノスアイレスにも・・・。

どれぐらい一緒に旅しただろうか。
一人旅の一番のお供は、スーツケースかもしれない。
それがないと、渡航先での滞在に困る。

このバッグは往復では入れるものが違った。
往路は着替え類と、現地で使うお土産など。
復路は使った着替え類と、現地で調達したさまざまな品。
楽譜から文具から印刷物からお菓子まで・・・・。
帰りは行きより二倍以上の重量になった。
重すぎて自力で運べず、宅配便の方にお世話になって家まで
届けてもらったこともしばしば。

本当に使い勝手が良く、何でも入るので、
下の車輪が壊れても修理して使っていた。
それぐらいの相棒であった。

しかし、先月の長崎行きの際に、さすがにもう限界・・・。
という状況になり、
遂に別れをきめた。

粗大ごみとして処分してもらう。
なぜか、当日の朝まで、やっぱりやめようかなと思うほどに
旅の思い出がぎっしり詰まったこの鞄。


でも、今朝こそは勇気をもってさよならをする。
どれほどの思い出をここに詰めてきたか。
たった1個のスーツケースとの別れがこんなに寂しいとは、
不思議なものだ。いろんな場面を思い出すのだ。

わが人生。これからこのように、大切なものを順次手放して
いかねばならないだろう。
断捨離というと思い切った感じで、そんな一気には
しないけれども、
持ち続けることの大変さを考えたら、早いうちに手放して
いくのが良い。
この別れにも順番に慣れていかねば。

マイ おんぼろスーツケース。
空港で受け取るときに、無事ターンテーブルで受け取れた安堵の
瞬間を思い出す。

わが世界の旅のおとも。
思い出は永遠に。思い出はいっぱい。

ありがとうの気持ちを込めて。アディオス!

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最高のステージは、長良川左岸

鵜飼、信長の曲を創って、ほんとうによかった。
ちょっとした行動から、絶妙なタイミング、幸運に恵まれ、
その曲にもっともふさわしいステージで演奏できることに
なった。
まずは、初夏に向かう5月連休後の週末。
この写真の撮影場所あたりがステージになる。
岐阜城を見上げ、清流長良川を見下ろせる。
私がふるさとでもっとも愛する場所。
ここで、屋外コンサートをさせていただくことに。
鵜飼開きを終え、今年の鵜飼がスタートした週末連続のコンサ
ート。
外での演奏ということで、用意可能な楽器の制限や、天候への
心配はあれど、それでも「ここで演奏してください!」と言って
もらえたことは
最高にうれしかった。まさしく「やったー!」という心境だ。
長良川うかいミュージアムの皆さんと一緒に、素敵なイベントを
創りあげる。
この期間は、この左岸にマルシェも立ち並ぶそうで、その夜市も
楽しみ。盛況ぶりが今から想像できる。

人生初のふるさと川辺でのコンサート。
日も暮れ、鵜飼の始まりを待つ、そんな時間での開催となる。
主催者は「マーサさんの演奏をここで聴いたら、みんなCHILLな
気持ちになる
と思うんです~」とのこと。そう、長良川の黄昏、鵜飼のはじ
まりを待ちながら、ゆっくりまったり過ごしていただき、
そして少しだけタイムトリップも・・・。
信長さんも、芭蕉さんも浮かぶそんなひとときにしたい。

ああ、生きててよかった。久しぶりにそんな気持ちになった。
主催者との出会いに心から感謝!
昨日の長良川は、キラキラ輝いて、普段以上に美しく見えた。

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