ひとりひとりが輝く会社に。

ある企業の仕事では、経営者だけでなく、従業員さんとの個別面談の
時間もいただいている。
管理職から、係長、主任、一般社員の方まで・・・。
ひとりひとりと向き合うと、ほんとうにいろんな話が聞ける。
人は、心を開くと笑顔になって、自然に口も開いてくれるものだ。

人はそれぞれ違う人生を生きているが、たまたま縁あって同じ会社で
仕事をしている。お互いの仕事がうまくいくことによって、生産性が
上がり、結果業績も向上する。
同じ会社で働いている仲間。という一体感は大変重要である。
それぞれのいいところが活かせたら、それを周囲も認めて、活かせる
様に応援していけば、前向きないい組織へと成長していける。

ひとりひとりと向き合い、話をしていると、その人のいい部分が
見えてくるのが面白い。
話を聞きながら、相手の目指していることを一緒に探し、確認
していく、コミュニケーションのショートトリップ。

その会社の社長さんは、
「ひとりひとりが輝く会社にしたいです」といつも言われている。
その思いがひとりひとりに伝わり、
それぞれが明日に向かって成長できるように。
挑戦する人たちを応援していきたいと思う。

ひとりひとりが輝く。
そんな組織でも、社会でも一番大切なこと。
そんな組織で働けて、平和な社会で生きられることは
最高の幸せだ。

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お礼を言えているか。

今年の年賀状。確かに昨年、一昨年と比していただく枚数も減っている。
企業の年賀状廃止ももちろんあるが、それは相手の顔が見えているため、
想定内であり、問題ない。
それよりも、高齢化の影響。ここが気になっている。
ある年齢から、「今年で年賀状をやめさせていただきます」とメッセージを
添えて、卒業される方もあるが、何も連絡はなく、何十年休むことなく届いていたのに
今年はない・・という場合がとても気になっている。
あの上司は、お元気だろうか?
コロナでもしかして・・・。
なんとなく胸騒ぎがするようなこともある。

自分の場合は、毎年元旦から年賀状を書き始める。
いただいた分への返信を兼ねつつ、順番に書いていく。
毎年届いているのに、今年は・・・という方のことが気になり、
返信があればと願いを込め、そして勇気をもって筆をとる。

人生でお世話になった方には、ちゃんとお礼をお伝えしておきたい。
何も言えないまま、永遠の別れになることは、避けたいと思っている。
でも、やむを得ず、連絡が途絶えてしまうこともある。
それが心残りである。

1月は新年の歓びに夢と期待が膨らむときでもあるが、一方、新年のあいさつが
できないことが気になるときでもある。
今からでも遅くない。
気になる人には、便りをしてみよう。

年賀状はアナログ世代にとっては、大切な安否確認でもある。
それもだんだん廃れていくのだろうが、
それで関係がつながるならば、
できる限り、大切にしたいコミュニケーションツールでもある。

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存在の「共有」。

気が付けば、この約二年。親が旅立ったあとは、親と親しかった人
たちとコンタクトをとる機会が増えている。
まるで、親に会いに行くように、何か差し入れやお土産があれば、
またはおすそ分けしたいものがあれば、花一輪でも、カステラの
切れ端でも、とにかく持っていく。
母が通っていた食料品店にも、頻繁に顔を出し、少し買い物をして
世間話をする。
会えない人には、はがきを書いたりする。
すると、お礼の電話がかかってくる。
会話は少し通じづらいこともあるが、それでも問題ない。
一生懸命聴いていたら、その心がわかる。
コミュニケーションの相手はみなさん、80代から90代・・・。
親の世代と普通に、コミュニケーションしている自分がいる。

ここは、仕事の関係や自分の同世代の友人との交流とは一味違う、
自分のルーツの世界の交流だ。
一部、認知症になっている方がいたりするが、それでも会話を
続ける。声をかける。
「元気?元気にしていてね。またね!」
なぜ、親の知り合いの方たちと交流を続けているのだろうか。
それは、その人を通じて、親と会える気がするから。
会話のなかには、親とのエピソード、思い出話が必ず出てくる。
それをすることによって、親という存在が消えずにいる、共有
し続けることで、親が一緒にそこにいるような気持ちになるのだ。

存在の「共有」。
これは、大切な人がそばにいなくなっても、いると感じられる
方法かと思う。

大切な人のことを忘れないでいれば、その人は永遠に生き続ける。
今、ほんとうに、そう思っている。

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専門店を応援する!

つい最近、ニューヨークでのイラストレーターの素晴らしい
取り組みを知って、感動した。
コロナでイラストの仕事が激減するなか、NYにあまたある
個人のお店の絵を描き続け、それが気が付けば200種以上にもなり、
それがこのたび1冊の本になったという話。
描かれたお店は、カフェ、レストラン、本屋さん、文具屋・・。
いわゆる町の伝統的な専門店だ。
NYにはチェーン店も多いが、実は個人経営のお店も大変多く、
そのお店にはそれぞれの想いがあふれ、個性があり、味わいが
あって、個人的には私はこの個人店が大好きだ。
移民が作ったという店も大変多く、歴史や文化も感じることが
できる。
しかし、そんなお店は大手企業のように資本力もないし、人手も
ないため、コロナ禍を生き残るのは本当に大変であった。
そのイラストレーターは、それらのお店を1枚の絵にすることで
応援しようと思ったとのこと。
1日1枚、お店の前で描き続け、ネットにもその都度アップ、
たちまちにして話題になったとのこと。
その1枚が店主を喜ばせ、勇気づけ、中にはお店にその絵を
飾っているところもあるとのこと。
自分ができることで、町を、社会を元気にする。
とくに個人のお店を応援しようとしているところが、とても
NYらしく、またとても素敵だと感動した!

今、自分自身も小さなことであっても、自分ができることで
世の中を元気にしたいとの思いで、やり始めていることがあるため、
この取り組みにはとても共感した。そして続けることの意義も
学んだ。
何事も、地道に続けるということが大切だ。

わたしの周りにも応援したい個人のお店がたくさんある。
気が付けば、そのお店の店主に手紙やメッセージや差し入れを
送ったり、ボランティアアドバイス?をしたり、いろいろ
している。上から目線のコンサルはいらないが、ほんとうの意味
での応援団は必要とされているのを痛感する。

専門店こそ、残ってほしい。残したい。
商店街も、残ってほしい。そのためには一軒一軒のお店の
存続がカギになる。

そんなこんなで今朝も、新潟の酒屋の新店長に手紙を書いたところ。
お母さんの後を継いでがんばってほしいな~。
思いを受け継ぐ専門店を、これからも応援し続けたい。
NYのイラストレーターのようなカッコいいことはできない
けれど、あくまでもマーサ流で。


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わたしは「ちゃんぽん」である?

久しぶりに、心からおいしいと思うひとときを過ごした。
長崎で、ちゃんぽんをいただいたのだ。しかも、連日。
まずもって、連日で食べること自体が、自分でも珍しいが
今回は、寒さも相まって、皿うどんではなく、ちゃんぽん!
しかも野菜たっぷりのものが無性に食べたかった。

実は長崎には、行きつけ?のお店もある。そこに行って
ちゃんぽんを食べないと始まらない!というほどに、
あまたある長崎ちゃんぽんのお店でも、結局はそこに
行きつくのだ。

ちゃんぽんを食べ始めたとき、途中、そして食べ終わったとき。
何度も何度も、「ほんとうにおいしいなあ」と心の中でつぶやく。
幸せな気持ちになっていくのがわかる。
そして、スープ以外(スープは健康上、ほとんど飲まない)
残したどんぶりを前に、「ああ、もう死んでもいいわ」と
思う。
ちゃんぽんが最期の晩餐だったら・・・。きっと元気になって
また生き直すのだろうが。
まあ、それぐらいに満足できる食事である。

というほどに私は、「ちゃんぽん」が好きだ。
なぜだろうか?
それは、この「ちゃんぽん文化」の由来にあるのだろう。
ちゃんぽんは、長崎ならではの和洋中なんでもありの
ごちゃまぜ文化が食になったもの。
華僑の発案で生まれた長崎の代表食。ひとつの食品である
のに、さまざまな文化が混合、融合して、独特の味わいを
生み出している。
ここに、いたく感動しているのだ。
これしかない、これしか合わない。ではなく、なんでも合わせて
みる。この発想・行動力に共感する。

よく考えれば、自分自身がちゃんぽん人間だ。
ひとりの人間であるのに、いろんな要素が入り混じっている。
でも、ひとりの人間として、なんとかコミュニケーションクリエイター
として生きている。
コミュニケーション(ちゃんぽん)の名のもとに、
マーケティングあり、広報あり、文章作成あり、作詞作曲あり、演奏あり、
講演あり・・・・。なんでもありだ。

そんなわけで、長崎が心のふるさとである理由のひとつは、
ちゃんぽん文化と自分自身の共通点にある。

とにかく、ちゃんぽんはおいしい、
長崎でも、平戸でもおいしくいただける。
その土地土地の味わいが、また格別だ。

連日いただくなんて、異例のことであるが、
それだけ、コロナ禍で、長崎ちゃんぽんに飢えていたのだろう。
また、食べたくなってきた。
もしかしたら、前世からのソウルフードのひとつなのだろうか?

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平和新聞なるもの。

長崎という町は、私にとって発見や感動が尽きない、永遠の学び舎だ。
歴史的、文化的遺産も大変豊かで、和蘭華(日本・オランダ・中国)の
ちゃんぽん文化は世界でもここしかなく、唯一無二の味わいがある。
とくに中国文化のなごりは健在で、まさに今は春節(ランタンまつり)
の準備で町が盛り上がっている。今週末からスタートのようだ。
まるで、ここは日本ではないような不思議な感覚になる。
この祭りの中心のひとつは、唐人居住区跡。
江戸時代、鎖国政策のひとつとして長崎に住む中国人の居住区を決めた
エリアのことで、今も住宅街のなかに中国文化の名残が残っている。
たまたまそこを通りがかったら、1軒のパン屋の存在に気づく。
その店先に貼ってあった手書きの小さな新聞が目に飛び込んできて、
思わず足を止めた。手作りの新聞。フランスパンをはじめてつくったお店?
お店の歴史が書いてある。これは、子供たちの文字だ。
「平和新聞」と書いてあるところに、いたく感動した。
この新聞記事を読んで、そのお店に入ってみた。
「いい新聞が貼ってありますね。あれを読んで、入ってみました。」
「そうなんですね。近所の小学生たちが作ってくれたものです。」
お店の人が笑顔で親切に答えてくれる。まさにパンの種類も、懐かしい
昭和の匂い。とくにカステラサンドはルーツであろうか?
とにかく、その子供たちが新聞のおかげで、しっかりパンを購入。

平和新聞。これは、被爆経験を有する長崎だからこそ生まれた
新聞だろう。日々のさりげない話題、ニュースこそ、平和の証しだ。
世の新聞が発信する話題は、非日常のネタが多く、平和とはかけ離れた
悲惨で悲しい内容も少なくない・・。
そんななか、長崎の子供たちがつくる「平和新聞」は、ほんとうに
素晴らしい取り組み、教材であると実感した。
DX時代とは、無縁の手書きの手作り感満載の1枚の新聞。
子どもたちがお店を取材し、書き、お店に貼ってもらっている・・・。
平和を願う長崎のみなさんの想いを、この1枚からも感じる。
またお気に入りの店が増えた。

平和新聞は、長崎発の素晴らしいコミュニケーションツールだ。
平和を学ぶ。平和を意識する。
この町を訪ねると、改めて背筋が伸びる。

長崎の悲喜こもごもの豊かな歴史から、学ぶことはまだまだ多い。
世界の平和を願い、素晴らしいランタン祭りになりますように。

※以下の写真からは、
写り込んで新聞の中身は解読できないと思いますが、その存在感だけお伝えしたく・・・。


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受け継ぐしごと、人生。

いろんな企業、事業者さんとの出会いをいただいてきた。
自分で起業し、挑戦を続けている知人も多くいる。
長いおつきあいをしているなか、途中でやめたという人は
あまりいない。みなさん、それぞれ努力して続けている。
自分が選んだ道だから、と覚悟もあってのことだろう。
自分も同じ。自分が決めた道をなんとか進み続けている。
ゼロからの出発。受け継ぐものがない気軽さはある。

一方、先代からその事業を受け継ぎ、それを守りながら
次代に向かうため、どう進むべきかを模索している経営者に
出会うことも多い。
若い時には、家業をそのまま受け継ぐのが嫌で、外に出て修行。
その後、いろんないきさつで戻ってきて、事業を受け継ぐ。
気が付けば今後、どうして進んでいくのか?という帰路にいる。

コロナもあって、変化の激しいこの時代。これからどうしていくべきか?
は、受け継ぐ人側にとって、大きな課題である。
先代が培ってきたものを失うわけにはいかない。維持する、発展させる。
それが受け継ぐ人の使命となる。先が読めないだけに、多くの情報を
しっかり入手しながら、正しい判断をしていかねばならない。

あるカステラ工房。もう15年近くのつきあいになる。
ふとしたきっかけから、知り合いになり、常連になり、応援団の
ひとりとして、時に家族のようにかかわり、行く末を見守っている。
100年企業である。四代目となる。彼らはこの事業をどのように継承
していくのか。何を強みとするのか。
こちらは、職人の腕が命である、この生業。
とにかく無休で、丁寧に丁寧にモノづくりを進めてきた。
おいしいことがわかった人がリピーターとして、長年愛用し続けている。
いろんな試行錯誤はあったけれど、
宣伝広告もしない、多店舗展開もしない。
そこでしか買えないという、こだわり。
商品は、いつでもそこにあり、欲しいときに食べられる。
お客は何も考えず、続いていることが当たり前と思っている。
でも、ずっと作り続ける、提供し続けるということは至難の業。

あって当たり前。
このことを守り抜く。

頭が下がる。

今、四代目となる兄弟たちのことを応援しながら、
この事業の存続、承継のことと、彼らの人生のことも
気になっている。
どうなりたいか、どうありたいか。
変えていく勇気と覚悟ももちながら、守り抜いていくということ。
この両立はなかなかむつかしい。
時々話を聞きながら、
ずっと、この美味しさができる限り長く残っていけるようにと
心から応援する。

仕事と人生。
生まれて自由に道を選べる人と、
進まねばならない道がある人。
プラスマイナスそれぞれ両面あるけれど、
ここから進む、ここから創る。
この点では同じである。
やりがいは自分で創る。
そして、お客様が相手が喜ぶことをしたい。
ここも両者とも同じである。

これからも、ご縁をいただいた企業、そこで頑張る人たちを
自分ができることで、応援し続けたい。
せっかく出会ったのだから。ずっと存在してほしいから。
そして、彼らのしごとだけでなく、人生が輝くものであってほしいから。

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支えられて、はじめてでできる。

昨日1月16日は、今年初めての岐阜新聞本社ロビーでのコンサート。
おかげさまでもう数年続いている。
両親がいなくなっても続けられるかと真剣に悩んだ瞬間もあったが、
その後も、多くのお客様にお出かけいただき、毎回、笑顔で
「ありがとう!楽しかった!!」の声をいただき、ああ今回もやって
良かった、次もがんばろう!と毎回続けることができている。
そして、続けることで力もついてきたかもしれない。

常連さんも多いため、飽きない工夫をすることも自分の勉強にも
なっている。
このコンサート。小さなイベントではあるが、これをひとつやる
にも多くの方の協力、応援があって成り立っている。
まず会場。そして新聞を使ってのPR。これは主催者である岐阜新聞社さん
に感謝である。
自分で主催するライブの場合は、会場探しもPRもすべて自分が
動かねばならない。

そして、会場には毎回、音響機材を持ち込んでいるが、そのお運びを
おじさんが毎回手伝ってくれる。
車に乗らない私にとって大変ありがたい存在。
父に代わる運搬係は、今は、父の弟であるおじさん。
演奏が終われば、機材の梱包をして、また持ち帰ってもらう。
そんな流れもいつのまにか、当たり前のようになっているが、
本当に本当にありがたい。
そして、声をかけあって会場まで足を運んでくださるお客様・・・。
いずれにしても、皆さんのおかげで、このコンサートは成り立っている。

自分ひとりでできることは何もない。
何かをする。という時には、必ずだれかのお世話になっている。
そのことを忘れてはいけない。
そして、このコンサートもみんなで創っているということを
忘れてはいけない。
空間、お客様があって、はじめて演奏を聴いていただけるのだから。
どれが欠けても演奏会は成立しない。

支えられている。
今年もおかげさまで、演奏活動も本格稼働。
さらにパワーアップ、レベルアップをして、
ひとりでも多くの方に元気と愛をお伝えしたい。


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1日何時間あれば?

仕事で知り合った、同い年の知人と久しぶりに再会。
四半世紀以上のつきあいになる。30代前半からお互いの成長?を
見守っているいい関係だ。

年のせいか、会話は健康の話題になった。
そして、睡眠の話題にも移っていく。
1日7時間ほど健康には寝るのが良いそうだ。
その人も6時間は毎日睡眠をとっているとのこと。
しっかり睡眠をとることが、健康のための最善の方法であることは理解している。
しかし、現実睡眠に6~7時間確保しようとすると、
自分の場合、今の生活のリズムとはかなり変わってくる。

ということで、時間のやりくりをもっと工夫せねばと改めて思い直す。
全力疾走で駆け抜けてきたこれまでの日々。
特に社会人になってからは、ずっとこのペース、もしかしたら加速しているかも。

「絶対寝てくださいね!」
仲間のこの忠告は、同い年だけに記憶に残る。
今も、耳元でささやかれている感じ。

とはいえ、毎日6~7時間を確保するには、毎日のプログラムの刷新を検討
していかねばならない。

やることをもっと減らす。
これが一番かもしれないが、
一方、自分にはまだやりたいこと、1日30時間あれば、もっとしたい
こともある。

元気で生き続けるために、時間のやりくりは、避けて通れない道。
毎日のプログラムも検討、改編していこう。
もちろん、ナポレオン?のように、睡眠時間が少なくてもちゃんと
生きた人もいるが。(健康長寿ではなかっただろうが・・・)

1日24時間。これは平等に与えられた人生の条件。
とにかく無駄なく、有効に過ごし
「今日も良かった!」という日を積み重ねたい。



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火で幼き日を思い出す。

1月14日、地域によっては15日の場合もあるそうであるが、
旧正月の火祭りとして、今も残っている伝統行事、左義長。
たまたま戻った実家の近くの神社境内で行われていた。
地元の人たちのお世話により、毎年行われている。
やり方は地域それぞれ違うようであるが、もう40年あまり
忘れていた、今思えば、大変懐かしいお正月の締めの行事。
時間になると集められた枯れ木に着火され、地元の人たちが
もってきたしめ縄などが焚き上げられていく。

久しぶりにこの炎を見て、何ともいえない力を感じた。
水も火も土も、人々の暮らしを守ってくれている大きな存在。
でも、それぞれが脅威でもある。
畏れながら、感謝しながら、生活のなかに取り入れていく。
火には神的な力がある。
炎とは情熱、パッションでもある。
火を見ると、生へのパワーが湧いてくる。

都会暮らしではなかなか接することがない、火祭り。
田舎暮らしの方が四季を、自然の変化を、そして見えない力を
感じ、調和しながら生きているのかもしれない。

都会では人間中心の暮らし。経済はまさにそうだ。
しかし、少しそこから距離をおくと、奢りなき人としての
本来の暮らしが見えてきたりする。

この炎を見ながら、本来の生き方を考えたり、また畏れることの
大切さを考えたり・・・。そんな正月の締めの時間。

こういった行事を大切にしながら生きている地元の皆さんに
頭が下がる。
継承されていくことの大切さを、今回も感じつつ・・。



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