久しぶりに新潟の仲間たちと、再会する機会を得た。
広報の勉強会や相談会においでいただいた方、そこで出会った方からのご紹介で
縁をいただいた方、ディナーショーの常連さん、昔からのお付き合いの方、
コロナ禍のなか知り合ったけれども、なかなかその後交流を続けられなかった方・・・・。
私は皆さんを存じ上げているけれども、それぞれは初顔合わせという方もおられ、
新鮮な久しぶりの交流の場となった。
新潟県人の多くは、昼間はおとなしく、夜は活発。特にお酒が入れば、
よくしゃべり、声もだんだん大きくなり、よく笑い、よき昭和のコミュニケーションが
復活したようなライブな感じ。
気が付けば、寝かされたお銚子の数も増え・・・そして笑いも増える。
ああ、これが新潟式、にいがたスタイルだった・・。と思い出した。
話に、お酒に夢中で、
誰も撮影をしない。そんな時間がとても新鮮にうつった。
今から思えば、記念撮影をすればよかったが、そんなことも忘れて、いい交流の時間
を過ごした。
改めて新潟の人のあたたかさ、素朴さを実感する機会ともなった。
新潟愛というか、新潟人愛。
私は、ここに暮らす、ここで生きる新潟人のハートが好きなのだ。
と改めて実感。
それぞれの心に何かいい思い出が残されていればいい。
記念撮影を忘れるほどに、お酒に?お話しに夢中になる。
それもあり。なんでも撮るより、心に残す感動を増やしたい。
どうか、また元気で再会したい。
第二の心のふるさと。
にいがた・・今日も再会を目指し、いざ出発。
記念撮影も忘れるほどに
社員が笑うと、社長も笑う。
たった数時間の研修。終わってみれば、あっという間の話。
でも、そのためには、それ以上の時間を割いてあれこれと準備も行う。
どうしたら、話をきいてもらいやすくできるか。活発な意見が
出るか、今後の仕事にどう生かせるか。
企画内容から、演出まで、いろいろ考える。
研修の仕事は、準備が大変であるが、終わってしまえば、
あっという間。そしてうまくいくと、すっきり爽快な気持ちになる。
今回の葬儀会社での社員研修。
とにかく、普段業務に追われて、個々で奮闘する場面が多いため
社内でのコミュニケーションを改めてとりづらい。それを何とかしたい
とのことで行った今回の研修。レクチャーもほどほどに、皆さんに
話し合ってもらうプログラムを多く用意した。
「もっと感謝される仕事をするために、自分たちは何をするか?」
最終的にはこの課題に対して、チームでさまざまな切り口から議論し、
企画をまとめ、プレゼンいただく流れにした。
その日くじで決まった即席チーム。すぐに打ちとけ、各チームとも
熱心にディスカッション。そして限られた時間に企画をまとめあげた。
ときに冗談を言いながら、時に笑い、時に真剣な言葉のキャッチボール・・・。
最初は沈黙ムードであった研修室が、時間が経つにつれ賑やかになる。
みなさんの表情も明るく、心からの笑顔が垣間見える。
チームで何かを作り上げるという実習は、後々活かせるテーマであれば
ある分、やりがいもあり、達成感も生まれる。
研修のラストは、チームごとのプレゼン大会。
数時間前には影も形もなかった企画が具体化された。
それを全員で聞き、質問をする。活発な意見も出た。
話す、聞く。両方が重要なプレゼン大会。
くじびきで生まれたこのチームでしか生まれなかったアイデアが
文章になり、言葉になることへの感動・・・。
しっかり伝えることで、共感も広がることも実感・・・。
思い起こせばこういった実習は、久しぶりだ。
コロナ禍ではなかなかできなかった・・・。
ライブだからこそ、対面だからこそできる、生コミュニケーションの
魅力を再認識できた。
プレゼン大会後、最後に社長からコメントをいただく。社長はプレゼン中
ずっと熱心にメモをとり、皆さんの発表を聞かれていた。
そして、この即席チームから生まれたアイデアに、提案に高い評価をいただき
今後、実現に向けて前向きなお言葉もいただけた。
みんな、やりきったいい顔になっていた。
明らかに研修前の表情とは違う、何か会社全体がひとつになった
感じだ。
研修後、
「今日の研修はいかがでしたか?」社長にたずねる。
「いやー、社員のあんな顔見たことないです。いい顔してます。」
と社長ご自身が満面の笑みで「いいね!」のポーズを返してくださる。
社員が笑うと社長も笑う。
社員の幸せを経営者は願っている。
そんなことを、今回の研修からも感じることができた。
みんなが笑顔になる研修。
またまた新たな経験をいただいた。
昨日まで知らなかった世界を知ることができ、
そこで働く人たちともふれあうことができた。
仕事の内容は違えども、新たな仲間が増えた感じ。
さあ、今日から改めて、
もっと感謝される仕事を、ともにがんばっていきたい。
敬意と感謝を込める仕事。
本日は、初めての業界での研修の仕事となる。
それは、人を送る仕事に携わっている方たちへのプログラム。
美味しいものをつくる、お届けする。仕事の役に立つ情報サービスを開発する、
日頃、さまざまな業界の仕事に触れているが、
人生の最期を送る仕事をされている方たちへの取り組みは初めて。
2年前、両親の葬儀にお客、利用者、喪主としてはお世話になったが
その経験を活かし、今度は、自分がそこで働く人たちにエールを送る番だ。
突然のことに、人生初めてのことに、しかも悲しみと不安でいっぱいの
とき、どんな風に接してもらったか。
そのときのことを今、改めて思い出しながら、
今日も明日も、その現実に向き合い、誠実に対応されている皆さんに
心から感謝を込め、そして敬意をもって、今度はお役に立てる時間を
提供できたらと思う。
今日の研修のタイトルは
「感謝される仕事をするための、コミュニケーション実践講座」
ひとりひとりの力で日々現場が回っているけれど、たまには仲間同士
一緒に考えたり、意見交換をしながら、働く仲間との学び合いも
していただき、ああ、この仕事をしてよかったと思っていただける
きっかけになればと思っている。
尊厳をもって送るお手伝い。
自分にはできないことをしている人がいる。
ああ、助けられて生きている。
他の業界と違って予想できない仕事。
いつなんどき?いつでも丁寧に対応しなければならない仕事。
ほんとうに頭が下がる。
両親の最期を少し思い浮かべながら(あまり思い出すと、言葉につまりそう)
元気に今日という日を全うしたい。
偶然なのか、必然なのか。いただいた今日という機会は50代の仕上げにもふさわしく
有難いギフトである。
言いづらいことほど、優先。
人間関係をよくするには、会話もスムーズ、スマートに済ませ、
できれば、笑顔で済ませたい。問題がないのが一番。
でも、しっかり関わろうとか、相手のことを思うと、つい気になったり
そのままにしておけないこともある。
何も言わずにおけば、何もなく、そのまま時が過ぎる。
でも、
言わねば、まずい。言った方が親切。
言うことで今後、もっとよくなる。
実はそういうことが結構ある。
根がお節介なのか、どうなのかわわからないが、
とにかく気になったことは、相手の立場を考えながら
丁寧にお伝えするようにする。
先日もそんなことがあった。
何も意識していない相手に何かをお伝えすることは、
不快な思いにさせたり、信頼関係にも影響することもあるため
難しいけれど、
どうも、見ぬふりをするとか、事なかれ主義的なことは苦手なようで・・。
言ってみると意外に素直に聞いてもらえたり、相手もよく理解して
改善してくれようと努力しはじめてくれたりする。
言う方がつらい。言いづらいことを言うのは本当にしたくないこと。
でも、ときにそんな小さな勇気も必要なのだ。
昔、うるさい近所のおばさんがいてくれたように、
そういう存在は時に不可欠だと思う。
言いたくない、言わない方が楽。
そんなことが多い結果、今の世の中になっているのではと
思うことがある。
ビジネスでも、人とのかかわりにおいても、
言うべきことを丁寧に伝え、ご理解いただくこと
まさにAIDMAを忘れず、目を背けず対応したい。
想像を愉しむ、静かに考える贅沢。
これは、私が最も好きな美術館のひとつ、京都近代美術館の過去の企画展のポスター。
今年は、当館が開館60周年だそうで、なんと同い年という偶然、うれしい限り。
自分が京都に住んでから今まで、もう何度足を運んだかわからない・・・。
今も会員として、企画が変わるたびに通わせてもらっている。
サイズも企画も、ロケーションもすべて私にとって、心地よい空間である。
なぜ、美術館へ行くのが好きなのか。
雑踏の世界から脱出して、静かな空間で、1枚の、1個の作品と向き合う。
そして、その絵や写真のことを想像する。
私の場合は、それをつくった作家のことをまず思い浮かべる。
なぜ、これを作ったのだろうか?どんな思いがあるのだろうか?
さらに、作品によって、自分が訪ねたことのない国、生きたことのない時代に
旅することもできる。
この想像の旅はとても楽しく、自由で、無限の可能性を感じる。
わかりやすい動画が主流になりつつある現在。それとは対極にある、わかりやすく
はなくても、自分で考え、答えを導くことの愉しみを知る、このことに意味を
感じている。
わかりやすい世界ではなく、自分で考える、想像する世界は貴重で、価値がある。
と信じている。
もう一つの世界を考えるきっかけを得る。それが芸術なのだと思っている。
それにしても、このポスターたち。私の青春時代も詰まっている。
中には甘酸っぱい時代も思い出しながら、
自分と京都とのかかわりも振り返る。
京都は、自分の想像力を養う拠点、自立の里なのかもしれない。
これからも、静かな時間と想像をめぐらす瞬間を求め続けたい。
即興命名、永遠の応援。
「のんべえ毎日」こんな広報誌が届いた。(写真下)
通算325号とあるから、月刊発行としても何十年も続けておられる
ことになる。
柏崎の青海川駅上にある、絶景の酒屋さんの発行によるものである。
中越沖地震で被災し、お店を再建、まさに崖っぷちからのスタート。
そんなときに、広報相談会に来ていただいたのが出会い。
最初から忘れられない母娘であった。
もう十数年のつきあいになる・・と思うと、しみじみする。
その相談会で、どうしたら知名度を上げられるか・・について、あれこれ
話をし、その後、マスコミにも何度も取り上げられるようになった。
元気に地道にがんばる母と娘が営む酒屋さんで、いつのまにかとても
打ち解けて親しくしていただいた。
「コンサルタントで、こんな人、いるんですか?先生みたいな人が」
と言ってくださったのも印象的であった。
この広報誌の相談もいただいた。で、ネーミングどうする?という話になって、
その頃、ちょうど定年後の元ビジネスマンVIPに会ったとき
「わたしなんか、もうサンデー毎日ですわ」と聞いた会話を思い出し、
「そうだ、『のんべえ毎日』というのはどうですかね?」と提案したら、
大爆笑になり、「それ、いいですね。いただいていいですか?」と言われ、即採用。
そんなことがあったな。と届いたこの広報誌を見ながらしみじみ・・・。
実は、この会報を自ら編集制作されていた名物女将さんは、昨年他界された。
コロナ禍での病との格闘であった。その半年前には、
自分の両親のことを心配いただき、本当に応援いただいた・・・
なのに、ご本人が・・・。
大好きな母娘が経営する酒店。小売店の生きる道は厳しいと嘆いておられる
ことも多かったが、それでも前向きに楽しい企画を続けて、地元、県外含め
多くのお客様に喜ばれるお店であった。
観桜会はいつのまにか、恒例イベントとなった。
女将さんがいなくなったそのお店・・・。悲しみを乗り越えて、女将さんの愛娘が
今、店長としてがんばっている。
この会報は彼女がつくったものだ。
きちんと受け継がれていることに胸が熱くなった。
「母が作るのはA3でしたが、私はA4でやっとです。」
いやいや、ボリュームよりも続けておられることに感激した。
お母さまはとても喜んでおられることだろう。
来週は、久しぶりにこの店をたずね、女将さんとの思い出をたどり、
新店長の話も聞きたいと思っている。
「のんべえ毎日」。このロゴも女将さんの作品だ。
ずっとこれからも続けてほしい。
それにしても、いい名前。このお店だから似合う。
女将さんの分までがんばってほしい。この広報誌500号目指して
がんばってほしい。
と勝手に応援している。
日本海が眼前に広がる、素敵なあのお店。
訪ねれば、思い出があふれることだろう。
おひさまもような、女将さん。
崖っぷちの人生でした?いえいえ、お見事でした。
50代仕上げの駆け込み挑戦!
あと1か月しかない、50代。ちょうど1か月、30日だ。
別に毎日年を重ねていくのだから、そんなに厳密にならなくてよい
のであるが、59歳と60歳は、何かが違う?違うのか?
わからないが、とにかく今は50代という10年もの長きタームの締めを
気持ちよく終えたいとの気持ちで、ラストスパートなのだ。
10年とはdecade、ひとつの節目。
確かに40代から50代になるときも、ちょっと特別な感じがあった
と記憶する。
あれから1年。40代と50代。確かに大きく違っていた。50代は人生の後半の
入口を実感する10年だった。親との別れも、経験してしまった・・・。
大きく変わった50代、そして、そのゴールもまもなく。
だから、今は少し自分を追いこんでいる。
今月控えていること。
地域のひとりぐらしのお年寄りのためのコンサート、そのあと、
いつも伺う施設でのコンサート、久しぶりの新潟遠征、新潟の企業さんとの
感謝の再会、そしてレコーディングと撮影。25周年感謝のお礼が言えて
いない方とのお約束、そして・・・。
通常の業務もやりながら、特別プログラムをどんどん挟んでいる
この11月。
もう後がないぞ!
いや、人生は線路のように続くのかもしれないが、どこまでも
続くわけではないので、今を燃焼するしかないのだ。
駆け込み挑戦。なんだかパワーが湧いてくる。
人間最後の力は振り絞れるものだ。
叫ぶ人の心は。
電車や駅、人混みの中で、大きな声で叫ぶ人がいる。
時々、そういう場面に出会う。
先日もそんな場に居合わせた。
何が起きたのか?とどきっとする。
座席のことで、もめているのか、ひとりで叫んでいるのか。
あまり大声が続くため、そこを見ると、年配の男性が
ひとりの若者に向かって叫んでいる。
何があったのだ?
車内は凍り付いていた。
それはそうだ。大声、叫び声、怒鳴り声は恐怖である。
電車が駅に止まっている間も、その叫び声が続き、さすがに運転席にも
聴こえたのだろう。ワンマンカーで車掌がいないため、運転士さんが
現場に駆け付けた。こんなことで電車の発車時間が遅れるのは困るが
でも、そのままにしておけない。
まずは大声を出している本人に、どうしたのか?とたずね、とにかく
静かになるようにうまくとりなす。本人は運転士に駆けつけられて、
我に返ったのかおとなしくなった。
次に運転士は大声でわめかれた若者に近づき、すみませんね。と謝る。
若者は、いえいえ。という普通の感じ。
運転士の仕事も大変だ。事件になっては一大事だ。うまく収めなければ・・。
自分が悪くなくても謝る仕事は理不尽だ・・・。ともあれ、電車が運転再開となった。
この間、車内は凍り付くような沈黙であったが、運転再開となり、日常が
戻った感じ。
大声を出していた人は、若者に近寄って、詫びていたようであるが、それも
大声であり、若者は適当に流していた。
次の駅で私は電車を降りた。その若者も降りてきた。
改札出てから、
「大変だったね。大声でわめかれて。いろんな人がいるからね。」
若者はどんなに大声を出されても こらえて黙っていたのだろう。
「いえ、車内がうるさくなってしまって、申し訳なかったです。
ご心配ありがとうございます。」と笑って、去っていった。
電車でもバスでも、店の中でも、道端でも、知らない人に絡まれ、
大声でわめかれたり、暴力をふるわれたり、そんなことがある。
あってはいけないけれど、ありえる。
大声の人は
「わしは、障がい者やから、ここに座らせてくれ~」
と言っていた。席がたくさんあるのに、他の席もありますといったら
怒り出したようであった。
ちょっとしたことで事件になる。その発端は、些細な事こと。
でも、本人からすれば一大事なのだ。だから叫ぶことになる。
大声を出す人は、わかってほしい、大声を出すしかすべがないのかもしれない。
自分は生きているという証しなのかもしれない。
と思うと、大声を出されれば出されるほど、悲しくなってくる。
そう表現するしかないのか・・・。
叫び。心の叫び。苦しいものだ。
わかってもらいたい。わかってもらえない。
そんな積み重ねが叫びになっていくのだろうか。
声の大きさ。
ビジネスや普段のコミュニケーションでも
大勢の前でプレゼンするときなどは、
しっかり大きな声で‥と心がける。
より伝えたいからだ。
と同じように、叫ぶほどに大きな声になってしまう人も、
伝えたい、わかってほしいという願望なのだろう。
大きい声が悲劇につながらないように。
ちゃんと伝わるように、
また相手が何を言いたいのかをよく聞き分けることができるように
耳を傾ける余裕もほしい。
いろんな摩擦が起きる日々ではあるが、
理解しあえる世の中に近づきたい。心のゆとりをもって。。。
花のいのちは、永遠・・。
11月になった。もう今年もカレンダー2枚。接尾にberが付く月は牡蠣がおいしいのだと、
昔習ったけれど、自分にとっては、時の流れをより感じる月である。
10月12日のコンサートのときにいただいた、お花たち。コンサート後も楽しませていただき、あるものはドライフラワーにしたり、あるものは施設に差し上げて喜ばれたり・・・。
そのなかの、お花がギュッとつまった豪華なアレンジメントと珍しい大きな花が入った作品。いずれも両手で抱えきれないほど大きな作品。これは父母に見せてあげたいとずっと
実家の仏間に置いていた。
写真はすでに二週間が経過したときのもの。
なんと、枯れていないのだ。しっかり生きているのだ。
仏間には光が入らないため、枯れにくいのもあるが、それにしても、驚くべき生命力。
父母とともに過ごしてもらった、父の月。
10月の終わりまで、楽しませていただいた。
花のいのちは、短くない、長く持つものだと驚いた。
父母のしわざか?とも思った。
とてもありがたい10月を越え、そして11月へ。
いただいた花はいのちの応援。
さあ、新たに挑戦をはじめよう。
改めて、お花をお送りいただいた皆さまに、心から感謝をお伝えしたい。
花のいのちは永遠。人のいのちも永遠。
心に刻み、思い出す限り、いつでも会える。
想像力を働かせると・・・。
ふと思う瞬間。
家族、愛する人とのなにげないふれあいの時間。
一緒に食事をしたり、会話をしたり・・・。
こういった瞬間があることが、一番の幸せであるが、
それが当たり前と思うことが多くなりがち。
一方、世界に目を向けると、ある日突然、家族が知らないところへ
連れ去られたり、二度と会えなかったり、もっと残虐な場合は、
目の前で殺されたり・・・。
そんなことが、今、世界で起きている。
それに比べたら、日本はどれだけ平和な、平和ボケな国だろう。
と、改めて思う。
もし、自分が家族と理不尽な別れを強いられたら、ある日、
愛する人が帰らなくなったら・・・
いろんなことを想像すると、身がすくむ。
そんなことはあり得ない。と思いたいけれど、いつ何時、そんな
時が来るのかもしれない・・と
最近、そんなことを考えると、目の前のもの、愛する人たちのことを
より一層大切にしなければ、今この瞬間を大切にしなければと
思うと同時に、もっと周囲に対して優しい気持ちをもたなければと
思う。
世界中の人々が、もし優しい気持ちをもつことができたら、
武器は持たなくて済むのではないか。
そうであってほしい。
想像力を働かせる。もしも、こうだったら・・・。ああだったら。
と考えると、自分の考えや行動が変わる。
想像なしに、目の前の現実とだけ向き合っていると、いざという時に
身動きがとれないし、自分が思っている生き方ができなくなって
しまうかもしれない。
想像すること。もし・・こうだったら。
自分のことでも、世界のことでも、なんでもいいから
もっと想像力を働かせたい。
そうすれば、危機意識や緊張感も高まり、生きることへの向き合い方も
変わる。そして、周囲への感謝も芽生えてくる。
イマジネーション。相互理解にも、自分のためにも生きるために必要な
こと、そして、
それは、未来への道、夢の創造にもつながる。
より良く生きるために、もっと想像力を働かせたい。