経済と社会貢献のバランス

プロだからと言って、お金を稼ぐことばかり考えるのは
違う。
自分ができることで、社会のお役に立つことを考え、
実行することが、社会人としてとても大切なことだと
思う。プロこそ経済と社会貢献を両立させなければ。

地震で困っておられる方たちの様子を知るにつれ、
何かしなくてはと思うが、大したことはできない。
東日本大震災の時と同じだ。
現地に演奏活動に出かけたのはかなり時間が経ってから。
今すぐは、そんなものは役に立たない。
食べるもの、トイレ、着るもの・・・住むところ・・。
自分がお役に立てることは、ほとんどない。

でも、でも何かしないと・・・。

そんなことで今回の配信ライブの収益はすべて
寄付に回すことにした。
それが媒体となって、少しでもお役に立てるきっかけに
なるならば、初配信をやった意味もある。
まさか、地震が起きるとは思っていなかった。

でも起きてしまった。
自分は助かった。
ではできることをやろう。
やらないと気持ちが落ち着かない。

ライブを見てくださった方から早速メッセージが届いた。
「最近、スーパーで募金したところですが、
このライブでもお役に立てるとは、うれしいです。」
こういう声こそがうれしい。

目的を見直すこと、そして切り替えて、今の状態での
ベストな選択をすること。
社会のお役に立つことを優先させること。

非常時はとくに、切り替えが必要だ。
生きさせていただいていることへの感謝を込めて
世の中に恩返しをすること。

経済はあとで良くなる。世界が整えば、うまくいく。
そう信じて、小さなことからでも、自分ができる
お役立ちをしよう。

今、できることをする。
ただ、それだけ。

元気に生きさせてもらっているだけで、十分。
仕事があるだけ、食べるもの、着るもの、住むところ
があるだけ、とても贅沢なこと。

今回のことも、親が喜んでくれているといいな。と
思う。

カテゴリー: Essay (Word) | 経済と社会貢献のバランス はコメントを受け付けていません

今すぐ、自分ができることをする。

新年を迎え、7日目。さまざまなことが先週の今日とは違う。
この数日間は、これまでの正月とは違う感覚で過ごしてきた
…そんな方も多いのではないだろうか。
先ほどニュースで、「数日ぶりにあたたかいものを食べられて幸せ」
と被災された方が、提供された湯気の立つ汁物の入ったおわん
をもって話されていたのが印象的だ。
毎日、あたたかいものを自由にいただいている自分・・・。
申し訳ない気持ちになる。

今できることをやらねば。
ひとつは今回の惨事は他人事ではないと、改めて自分の身の周りを点検すること。
防災士の知人がいつも教えてくれていることを、改めて実践しなければ。

そして、今できる被災地への支援をすること。

自分に今できることは、小さな寄付。
最近、自分の音楽活動はささやかな社会事業として位置づけられてきているが、
もっと加速させることにする。

今、配信中のライブも、もともとはウクライナや中東の人道救援のためにと
思って企画してきたが、今回の地震の被災地にも役立ちたいと思う。
いずれもささやかであるが、そちらにも気持ちをお伝えできるように。
ということで、能登の地震救援に対して寄付をさせていただくことにする。
また2月にリリースするCDも売り上げもこちらにも寄付することにする。

最近、寄付しようと思う相手が増えてきていることは、決して楽しいことでは
ない。世界が平和で無事であれば、心配することはないのに、心配することばかり。
そして他人事と思えないことが多すぎるから・・・。
だから、助け合いの精神が大切だ。お互いさまなのだ・・・。

こうしてブログを書いているときも、体が揺れているような感覚になる。
不安なまま、朝を迎え続けている・・・。

でも、今の自分にはできることがあるから、思ったことは全部やる!

ということで、12日まで公開の配信ライブの収益は能登の地震にも寄付をさせて
いただきたく、さらに一人でも多くの方に、視聴していただけたらと思う。
すでに、寄付をしたいからとチケットをご購入いただいている方もおられて、
本当にありがたい限り。

自分ができること、どんな小さなことでもいいから、やろう。もっとやろう!

カテゴリー: Essay (Word) | 今すぐ、自分ができることをする。 はコメントを受け付けていません

今こそ「ありがたい!」をかみしめる。

改めて「ありがたい」という言葉をしっかり見る。
「有難い」と書く。そう、有ることが難しい。
あることが当たり前ではないのだ。
そのことをまず、しっかり認識し直したい。
元旦の地震から、そんなことを思っておられる方も多いのでは
ないかと思う。

たまたま、ちょっとしたお祝いにと食べ物を宅配にて
お届けした新潟の方から、昨日こんなメッセージをいただく。
・・・・・・・・・以下引用・・・

送ってくださった今尾さんに感謝、

〇〇屋さんに感謝、

配達が回ってもらえることに感謝、

材料の提供の皆様にも感謝、

台所で自分が動けたこと、

ガスがあること、水が出ること

調理器具の製造者の方、油の生産者に感謝、

一緒に食べてくれる家族に感謝。
               (ここまで)

本当にすべてがありがたい。
今日で新年も5日目になるが、被災地の状況は言葉にならないほど
大変だ。
亡くなられた方も日を追うごとに増えて、心が痛む。
心からのご冥福をお祈りしたい。

被災されている方のお役に立てることはないかと思いながら
朝からあたたかい飲み物をいただいている自分・・・。
ありがたく、そして申し訳ない気持ち。

他人事ではない。
有難い・・とかみしめて、今日を大切に生きる。
今自分がしなければならないことを、ちゃんとやる。

それに尽きる。

カテゴリー: Essay (Word) | 今こそ「ありがたい!」をかみしめる。 はコメントを受け付けていません

地に足を付けたい。

何とも言葉にしづらい、空気。重苦しい夜明け。
今年のスタートは残念ながら、どんよりしたこれまでにない
感覚が覆いかぶさっている。
スッキリはしない。

被災されている皆さまのことを思うと、こうして電気がついて
いる部屋で朝からパソコンに向かっていること自体も申し訳ない
気持ちになる。何をしていても、そんな気持ちになる。

倒壊した家屋が多いと聞く。雨も降ってきて・・・。
被害はますます増えるのだろう。

救援救護活動に出向かれている皆さまにも頭が下がる。
寒い中、冷たいなか、本当に大変な仕事だ。

新潟に住む知人は、この三が日、自宅で過ごしたというが
いつ揺れるかと思ったら、落ち着かなかったという。
ふわふわした感じであろうか・・・。

大変なときほど、地に足を付け、しっかりと一歩一歩歩きたい
のに、その地面自体が、おぼつかないのだから、
なんとも頼りない、不安な感じ。

と言っていてもはじまらないので、地面も不安定だと思って
歩き始めるしかない。
覚悟をもつということだ。
歩く以上、立っている以上、そこにいる以上、倒れる可能性は
誰にでもあるということ、いつでもありえる。
という前提を持ちながら、生きなければ。

2024年年明けの教訓は、まずここ。
地に足をつけるときも覚悟。
生きるのがしんどくなってきたことに間違いはない。
でも、そうやってしっかり意識して、一歩一歩を確認して
歩くのみ。

今のところ、自分が住む街は、地面も大丈夫そうだ。
でも過信してはいけない。

カテゴリー: Essay (Word) | 地に足を付けたい。 はコメントを受け付けていません

ちゃんと、見送る。

今回の地震、本当にお気の毒だ。まだまだ強い地震も続いている。
もし、自分が住んでいる町で起きたら・・・。と、食事の手も止まる。
そして、その惨事に加え、今度は飛行機の事故。
旅客機に乗っていた人たちは無事に脱出できたそうで良かったが、
海上保安庁の飛行機に乗っていた人たちの多くは、脱出できなかった。

ふとそのご遺族や、地震で被災しお亡くなりになったと家族や親しい方
たちのことが頭に浮かぶ。
まさか、正月にこんなことになるとは、帰らぬ人になるとは・・・。
その気持ちを思うと、たまらない気持ちになる。

そして、いつ自分もそうなるかわからないとも思えてくる。
いつ、何がおきるか。
今は自分たちが若かりし日に比べ、想定外と思っていたことが頻繁に
おきる世界環境になってしまっている。
いろんな要因で、アクシデントが起きる可能性が高い。

だから、毎朝家族を送り出すとき、仕事でお客様を見送るとき、
友人と別れるとき・・・。すべてSEE OFFの瞬間を大切にしたい。
それが最後になるかもしれない。
戦争に出征する若者の家族たちは、そんな思いで送り出しただろう。
ちょっとたとえが大げさかもしれないが、それでも
それが最後になる。ということもあるのだから。

見送ることを、大切にしたい。
悔いがないように接したい。

もちろん、また会える、いつもどおり帰ってくることを願いたいし、
そうでなくてはならないが・・・。

新年から続く災害、事故の報に接し、改めて、運命・宿命を思い、
そして自分が今できることを改めて考える。

今日も無事に帰ってくるように。

カテゴリー: Essay (Word) | ちゃんと、見送る。 はコメントを受け付けていません

早くも1年の教訓か・・・。

元旦でも営業しているカフェをみつけ、妹と話をしていた。
さすがのスタバは、他が閉店しているためか、大盛況だ。
あれこれ、たわいもない話をして平和な正月時間・・・。周囲には書きものをしている人、
パソコンしている人、元旦も、いや正月だからこそ、サードプレイスは必要な人もいる。

すると、どこからともなく、聞いたことがあるような、ないようなサイレンのような音が携帯から鳴り出している。自分のバックの中か?気が付けば店中のお客さんの携帯が一斉に
なっている。なんどもいえないサイレン音。こんな光景には出会ったことがない。

あ、地震。でも誰も動かない。瞬間フリーズした感じ。
なんだか慣れているような感じでもあり・・・。
お店のスタッフが、入口の自動ドアを手動に切り替えにいった。

手元の携帯で能登、新潟との地震速報を見て、すぐ知り合いの顔が浮かぶ。

日本海側に住む知人は何名もいる。
地震の経験があるから、それなりに用意はできているだろうか?
正月の団らん中の人、運転中のタクシードライバー、東京から帰省している人・・・。
日本海側の崖の上に住んでいる人もいる。

なんという正月だ。
想定外とは言わないけれど、やっとコロナも落ち着いて、みんな奮発して、
愉しみにお正月準備をしていただろうに・・・。

テレビもお正月番組をやめて、ずっと地震のニュースに・・・。
こんなときに、フェイクニュースを流し、悪事をはたらく輩もいるそうで、
許しがたい。

と、まさか、の時がこんなめだたいはずの日がだいなしに。
元旦といっても地震は休んでくれないという学び。

自然には感情がないから・・と 東日本大震災で被災された知人が言っていた
言葉がよみがえる。

つい最近、車窓から見たばかりの冬の日本海。
穏やかだったのに。

津波が早くおさまるように。
一刻も早く、復旧に向かえるように・・・。

あったかい朝を迎えて、なんだか申し訳なく思う今日。

大丈夫ですか?今日も様子を見ながら、迷惑にならないように
見守りたい。

元旦から被災された皆様へ 心からお見舞い申し上げます。
元旦から、こんな教訓・・・ちょっと早いんですけど?といっても、
自然には感情がないから・・・。

写真は穏やかだった12月の日本海(上越~柏崎間)特急白雪の車窓より。

カテゴリー: Essay (Word) | 早くも1年の教訓か・・・。 はコメントを受け付けていません

おもしろうて、おもしろうて・・の一年にする。

恒例になった?クリエイター仲間との京都でのしゃべくり
納会を経て(単なる、しゃべり納め?である)

気持ちよく年越し、新年を迎えることができた。
元旦からも通常業務のため大掃除はできていないが(言い訳)、心の掃除はまずまずか。
そんなことで、
本日より2024年の幕開け。すでに数時間が経過。
そうこうしているうちに、あっという間に1年が経ちそうだ。

今年は、昨年の25周年を受け継ぎ、創業月の9月まではまる25周年と
いうことで、このまま走り続ける。

記念事業としての4枚目のアルバムもリリースすべく準備中。
今回は、単につくって、売る。という活動を越えて、
自分がやることすべて、ひとつひとつに社会的な意味合い、地道な
あったかい広がりを求めたい。
行為・行動にもっと意味を求める。それが自分の価値につながると
思うから。


今、日本は危険な状態にあると感じている。
でも、文句や愚痴をいっているだけでは、何も変わらないから、
自分から動き出し、明るくて楽しい世界をつくりたい。

今年はどんないいことがあるだろう。
いやいや、いいことを創る、はじめるのだ。
待っていても何もない。

湧き出るアイデアも、しゃべりも、物書きも、作詞作曲も、演奏も。
とにかくコミュニケーションをいっぱい、しっかり
とって、周囲の役に立ち、そして圧倒的な何か楽しいこと、感動を生み出したいと思う。
やがて・・・の日は、必ず訪れるが、
おもしろうて、おもしろうての2024年にする。

以上が、今年の誓い。

みなさま、あけましておめでとうございます。
おひとり、おひとりにとって素敵な1年となりますように。
今年も寄り添って、一緒に濃厚で心に残る一年を共に、つくりたいと
思います。

カテゴリー: Essay (Word) | おもしろうて、おもしろうて・・の一年にする。 はコメントを受け付けていません

思わず、うっとくる。

2023年も残り20時間ほど。今年中にせねばならないことは、きっと終わらない。
年末までにすべきことのひとつは、レコーディングの準備。
年内にミックスダウンという工程を経た最終の音をチェックして、制作会社へ
戻すという作業。こればかりは落ち着いてやらないといけない仕事のため、
やっと昨日時間がとれ、しばし集中。
演奏した音をうまく調整いただいているおかげで、とてもいい。とはいえ、
もともとの演奏での反省点は多いため、自分の音は聴きづらいと思いながら
1曲づつ仕上がりを追いかけていく。
そんななか、「あじさい日記」という母のことを偲んで作った曲の順番になり、
聴きながら、視界に母親の写真が入ってきた。
思わず、うっときて、一気に涙があふれた。
この曲は、母がいなくなってから浮かんだ曲。
そう、いなくなって時間が経つのに、改めて写真でしか会えないことに
言葉にならない気持ちが湧いてきた。
そうか、CDができても、聴いてもらえないんだ。
そうか・・・。
今年は気持ちも乗って、元気いっぱいに駆け抜けてきたが、
この曲を聴きながら、母の写真というのは、堪えた。

時間は経ったのだ。
そう、もういない。そのまままた、新たな年に向かうのだ。

仕方ない。いないものは、いないんだから。

気持ちを切り替えて、次の曲のチェックに進む。

人はさまざまな経験を重ねながら、強くしなやかに生きるのだ。
いろんな思い出は、心の引き出しに大切にしまいながら、
時にそれを取り出して、懐かしみながら、
昔には戻れないことを自覚しながら、前に進むのだ。

2023年は、いろんな思いを抱きながら、一歩前に進んだ感じ。
さらに、前に前にと、わが道を切り開き続けよう。

ときには「うっ」とくる、こらえきれない自分にも
素直に向き合い、自然に自分らしく、前に進むとしよう。
今日はまず、今年の締めを京都で。いい一日に。

みなさま、本年も大変お世話になりました。
どうぞ、お元気に良い年をお迎えください。

   

カテゴリー: Essay (Word) | 思わず、うっとくる。 はコメントを受け付けていません

年末の風景とハレ。

昨日あたりから、仕事納めを経ての帰省ラッシュや買い物客の賑わいなど、
日本列島も一気に年末モードに突入。
さらに今日もそれが続くだろう。

コロナ禍の重苦しかった、言葉にできない重圧から解き放たれ、
人々は自由にかつての年末のように元気に動いている。
日頃、頑張る人たちが、自由に好きな休日を過ごせるようになったことは
本当に良かった。

昨日、ふるさと岐阜の農協の直売所に寄ってみた。
ふと田舎の年末の様子に触れたくなったのだ。
営業時間開始まもないのに、駐車場はすでに満車。多くの地元の皆さんが
年末の買い物に押しかけている。今日はまだすいていると思っていたけれど、
すでに大盛況。
車がないと来られない場所にあるため、夫婦や家族で相乗りして来店する
人がほとんど。もみじマークのシールを貼った車が目立つ。
レジに並ぶ人も70代、80代に見える高齢者が多い。
日本社会の縮図のようだ。地方の町の年末は、こんな感じなのだろうか。
お餅やしめ縄、そして箱入りみかん・・・。おせちの材料以外に、こんな
商品がずらり店頭に並ぶ。
とくに箱入りみかんは、孫たちがやってくるのを迎え入れる正月のシンボルかも
しれない。こたつとみかん。日本の正月の風物詩・・・。なつかしい。

ああ、正月だと実感し、大量に買い込む人々の笑顔を見て、正月を迎える
ことができる幸せを、みんな感じていると想像する。

さらに近所の米屋さんにも立ち寄る。
米屋さんは年末、お餅の注文と販売で大忙しだ。
一年で最大の繁忙期。
車で移動できない、自転車や徒歩で買い物に来るお年寄りも対応。
大量ではなく、小分けの切り餅販売も特徴。
そこの米屋さんは、幼いころからの馴染みのお店であり、
今年も頻繁に顔を出させてもらった。
母の親友であったおばちゃんが、看板娘に会うために。
彼女は、今も元気に店頭で接客を仕切っておられる。

「忙しいですね、あと2日がんばってくださいね。」
とがんばる80代の看板娘に声をかけ、夕食のおかずを差し入れる。
大晦日まで働く。それが米屋さんや仕出し屋さんの年中行事。
これも正月の風景だ。

日頃お世話になっている皆さんが、お元気に年を越せること、これが
一番の願い。

ハレの日を楽しめるのは、元気な証拠。

平和な日本に感謝。

一方、世界に目を向けると、違うハレの日が続く国もあり、心が痛い。
早く日常が戻るように、笑顔が戻るように。

日本の年末風景を見ながら、違う世界も同時に見えて、ちょっと複雑な
今年の年末・・・。

カテゴリー: Essay (Word) | 年末の風景とハレ。 はコメントを受け付けていません

初心に帰る一枚。

なんとまあ、素敵な写真が出てきた。久しぶりに昔撮影した写真を物色していたら、
いいのをみつけ、思わず手をとめた。当時のことがよみがえる。
この写真は2007年の年末、パリのコンコルド広場にあった移動式観覧車の乗り場
看板の写真だ。このブログのヘッダーに使っている写真と同じ時に撮影したものだ。

しっかりグラン・ルーの文字のネオンが見えて、観覧車の軸も白く光ってとても
素敵だ。
今はスマホでどんどん写真を撮る日々であるが、これらをちゃんと見返しているだろうか?
録りっぱなしになってはいないだろうか?
デジカメで撮影したときは、写真をもっと大切にしていたような気がする。

そんななかで今回出てきたグラン・ルー15周年の時期に巡ったパリでの写真。
ああ、あの頃は・・・と 今より少し若かった自分の行動を振り返り、ふっと笑う。
そして、初心に立ち戻る。
私が初心に戻る。その拠点の一つは、パリの観覧車だ。
夢みる乙女とはいえないけれど、ここに来たら、人生は観覧車のように生きる。
それでいいと、自分の背中を自分で押す。
そんな気持ちになれる。
しばらく乗っていない、パリの観覧車から見えた景色が急に懐かしくなった。
年の瀬に、初心に戻ってみる瞬間も、悪くない。

カテゴリー: Essay (Word) | 初心に帰る一枚。 はコメントを受け付けていません