傾聴する経営者。

いろんな経営者にお会いしてきた。メディアに登場する著名人だけが社長ではない。
世界には、大企業から中小企業まで、会社の数だけ社長が存在する。
創業者、二代目、三代目、そしてサラリーマン社長・・。いろんな背景がある。
自分で創業した社長さんには共通する強さ、情熱を感じることが多いが、そうでなくても
ひとたび会社を背負えば、責任は重く、社長という仕事は実に大変だ。
会社の目標は経営の安定。企業の成長。それを果たすために、社長は従業員が意欲を
もって働き、同じベクトルで前進し続けることができるよう、幹部と連携しながら、
組織を支えなければならない。

自らの想いをいかに伝え続けるか、理解者を増やし、行動してもらえるか。
伝えることを重視する社長さんには多く出会ってきた。
いかに伝えるか。発信する方に注意が向く。

そんななか、会った瞬間から、傾聴する社長さんに出会った。
とにかく人の話をよく聞かれる。
あまり自分の言葉を、会話の途中で挟まない。
それは一対一になればまた違うのかもしれないが、三人いれば、まずは聞き役になる。
その姿勢は謙虚であり。表情は穏やかだ。

攻める、自ら発信する経営者が多いなか、とにかく聴く、場の空気を感じながら
それでいて存在感を現す。
そんな珍しい経営者である。
とにかく終始笑顔である。リップサービスもない。
信頼できる人という印象も強くなる。

こういった人に向き合うときは、目でしっかり会話する。
そうすると相手も応えてくださる。
言葉を多く発するだけが、コミュニケーションではない。
そんなことを改めて教えられる。

弥勒菩薩みたいな社長。
社員はそんな風に私に教えてくれた。納得する。
私もそう思った。なんだか超越的なオーラを感じたのだ。
言葉が少なくても、すとんと落ちる。心に響く。
であれば、言葉は少なくても効果はてきめんだ。

静かな社長、穏やかな社長。
新潟で出会った多くの経営者のなかには、そういったタイプの方もいた。
でも、みなさん静かに燃える炎を秘めておられた。

今回出会った経営者にも何か静かな力を感じた。
これからのおつきあいが楽しみだ。

聴く社長。
これも大切な経営者の要件かもしれない。
春は、いろんな出会いをいただく季節だ。

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AIとの付き合い方。

生成AIという言葉を聞き始めたとき、その日本語は何?と思ったが、
もう耳になじんできた。
そして、ネット検索すれば、すぐにそのAIくんが活躍してくれる。
たとえば、自分のことも、さもよく熟知しているかのように紹介
文を表示してくれる。へえ、今尾昌子さんて、そういう人なんだ。
すごいと思いながら、ちょっと後ずさりも・・・。

先日あるニュースキャスターがAIを使い、自分が話すニュースが
日本語ではなく中国語、フランス語で普通に自然に話されている実験
結果を見て、「ちょっと怖い感じがします」とコメントされていたが、
言葉だけでなく、話す表情も自然っぽくなっているので、確かに
怖くもあり、気持ち悪くもあった。

そう、気持ち悪い。心地悪いのだ。
と、こうやって毎日書いているブログも、AIは日々学習しているから、
記憶され、どこかで表現されてしまうのかもしれない。
恐ろしい。別にいいけれど。
自分の信念は見ている人が見ている、わかる人にわかる。であるから
フェイクなマーサが流れても、わかる人はわかると信じたい。

さて、執筆、作曲、演奏・・・。これらのクリエイティブな仕事は、
このAIの進化により、これから人間と競争になるとも言われている。
情報力、学習が瞬時にアウトプットにつながる。
便利この上ない、脳作業の外注である。

便利の渦に引き込まれていくと、人間はだんだん考えなくなる。
それは大変危険だ。
簡単に翻訳ツールがあるけれど、自分でどうだったか?と調べたり
考えたり、想像するプロセスが人間が行う学習。
AIが量と時間で勝負ならば、人間は考える、感情を不可できるところが
特徴だ。
AIには情熱はない。

と、日々、AIのことを考えると、これからの人間社会の行く末を
案じてしまう部分もあるが、活用すべきところは大いに使えば
いい。でも、「よく考えて」というのが前提になる。

AIにふりまわされて、人間がフェイクな情報に踊らされ、
間違った方向に進んだり、平和が脅かされることは断じて
避けなければならない。
そのための規定、ルールは当然必要なこと。

今、AIの企業が日本に進出している。
日本は国際的な著作権の保護に後れを取っている。
だから、自由にいろんな実験ができる市場。
規定が厳しいEUとは違うのだ。
進出されることを手放しで喜んでいる場合ではない。

いろんな意味で人が人として生きていくために、
人間社会、ひとりひとりの暮らしを守るために
情報は活用されなければならない。

便利だからいい。という時代はとっくに終わっている。
下を向いてスマホを見る人たちを電車のなかで眺めながら、
みんな、上を向いて、前を向いて!と
思わず言いたくなる。

AIを自分はどうとらえ、生かす、生かさないのか。
そして、自分はどう生きるのか。
人間が学習を止めたら、終わりだ。

前にも書いたが、AIもいいけれど
AI(アイ・愛・あい)のコミュニケーションを大切に
したい。改めて!

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想人の笑顔、よみがえる朝。

あなたを想ってる長く、短く、深く・・・♪

ではじまる「想人」というオリジナル曲。
(歌詞は以下のページに記載)

La Grande Roue:Poem & Songs (mahsa.jp)

そう、本当に笑顔と、背中と懐の深さで、人生を見せてくれた
大切な人。
「想人」とは、その人のことを書いた作品だ。

今日は、そのモデル みちこさんが旅立った日。

コロナ禍で会ったため、後日知った。訃報が地元の新聞に掲載された
ということで、教えていただいた・・・。

素晴らしき経営者として、ひとりの強い女性として、
晩年は、闘病の日々が続き、大変ご苦労をされたけれど、本当に計画的に
情熱的に、生きた方。自発的に生きるお手本のような存在。
今も私の応援団でいてくださる気がする。

最近、その方の地元に仕事でお邪魔することがあるが、
きっと呼び寄せてくれているのだと、この「想人」
に出てくる「駅」を通るたび、その町にふれるたび
思いがあふれてくる。

今日は、特別に彼女との交流を懐かしみ、感謝する
1日にしよう。
仕事をする女性として、強くしなやかに生きる人として
尊敬する人。

「今日は最後のメールになります。
本当に楽しい思い出をありがとうございました。・・・」

最後に受け取ったショートメールが再び思い出される。

どうか、娘さんのご活躍を、会社のご発展をずっと
見守ってくださいね。
そして、私たち応援団のことも、時々、見ててくださいね。
がんばって生きますから。

今日は想人の旅立ちの日。

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真に優しい人。

どんな人として、一生を終えたいのだろう。
終わりよければすべてよし・・だから、最後の自分を想像することは
意味がある。
今から思っていないと、追いつかない。
母がいなくなって3年経つが、今も
「あの人は、いい人やった」
「ほんとうに、よくしてもらった」
「いつも、元気な人やった」
というお声をいただく。
ああ、そういう人として、周囲のみなさんの記憶にまだ刻まれているのだ
と思うと、母の人生は幸せだったのだなと今、改めてそう思う。

そこにいなくても、懐かしんでもらえるような人として、
人生を結んでいけたらと思う。

今、気になる人に寄り添い、気になることは行動する。
このことを大切にしたいと思う。
小さなことでもいいので、そんな行動を大切にしたいと思っている。

どんな風に見えるのかは、見えたいのかはおいといて、
今できること、しようと思ったことをするのみ。

強い人であれ、まっすぐな人であれ、賢い人であれ・・・。
周囲に対しては、真に優しい人でありたい。
寛容でありながら、厳しさもあり・・・。
と、自分への注文をたくさんつけてみる。

まだまだすぎて、まだ終われない。
もうしばらく、もがきつづけるとしよう。

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自由と責任。

人生のなかで、一度はマイノリティな環境で自分を試したい。
という思いで、海外移住しかも、大陸の最果て・・に出かけようと準備
している仲間がいる。
夫婦での決断、長年の夢とのこと。
50歳までがむしゃらにビジネスの世界で努力し、一定のゴールまで
たどり着いた。そして、これから新たな出発だそうだ。

その人と自分のやっていることのスケールは全然くらべものにならないが、
共通しているのは、「自由」をもっとも重視している点。
自由でありたい、自由に生きたい。
ここが生きる上での大前提。
そうなれるために、がむしゃらに努力する。
ときには人の何倍も仕事をすることもあるが、それは自由に生きるため、
選択できる生き方をするため。

そして、自由に生きるということは、責任をとるということと同義である。
自由に生きる以上は、社会に対して、迷惑をかけないようにするということ。
自分の行動に責任を持ちながら、自由に生きる。
自由であることには厳しさも伴うが、
この生き方が一番自分らしくいられる。

「とにかく、自由に生きたい」
そう思うこと自体が叶わない社会もある。
そんななか、この戦後日本に生まれ、社会全体が成長発展を目指すなか、
育ってこられたことはラッキーであった。

自由の反対は不自由。
不自由なことがあると、それを取り去ることからはじめなければならず
大変だ。
戦争があれば、自由は奪われる。恐ろしい。

まずは、五体満足でいられること。
そして、好きな生き方ができること。好きな人達と生きることができること。
好きなものを食べること、着ること。
好きなところで暮らすこと。
好きな音楽を、スポーツを楽しみ、旅をする。
それができるのは、
仕事をするからであるが、その仕事も好きな仕事、自分が選んだ仕事・・。
と改めて思えば、いったい、どこまで自由なんだ~と贅沢な人生だと
思えてくる。

でも、これでいいと満足して終わらず、これからの人生ももっと自由に
好きなように生きていきたい。
なんといっても、まずは、自由な心でいること。
ここからすべてがはじまる。

自由に生きるとは、責任を持って生きるということ。
わがままというだけでは済まない。

自由を勝ち取る人生。
今、この世界には、小さな自由さえままならない人も多くいる。
そのことを忘れず、世界が自由で平和であることを願って、
今日という日を存分に生きたい。

改めて「自由」。この二文字をじっと見る。
自らに理由をもつこと。生きる意味。と、そんな意味も浮かんでくる。

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憧れをもつ、夢を見る、動き出す。

久しぶりに同郷の方と話をする機会を得る。
東京で22年前に出会い、その後、上海への食の現地調査にも
ご一緒した方。
昨年秋のふるさとコンサートがご縁で、久しぶりの再会となった。
あっという間に2時間。20年近くのご無沙汰であったため、お互いの
その後について情報交換。
ま、ひとことで言えば、「いろいろあったのよ」。
でも、そのいろいろを乗り越え、さらにパワーアップされ、のびやかに
いきいきと人生を謳歌されている様子がわかって、とてもうれしく
思った。
「年齢は七掛け、だからまだ42歳よ」と言われ、そこはあまり
ピンとこなかったが、どんなことにも前向き、そこが若々しい。
そしてこれからの人生にテーマをもち、次代に伝えたいことに取組み
愉しみながら生きておられる姿に、感銘を受けた。
その方の場合は、きものや、書道を通じて「和文化」を若い世代に
伝えていくのがテーマだそう。
楽しみながら世の中の役に立てる、とは一番幸せなこと。

心地よい刺激を受け取りながら、私自身も今後の自分の生き方を改めて
見つめてみよう!
そんな前向きの朝。録画してあった中村紘子さんのチャイコフスキー
ピアノ協奏曲第一番の演奏を試聴し、感動。やっぱりすごい、かっこいい。
演奏は昭和56年のもの。というから、まさしく自分の高校生時代に重なる。

当時、あこがれていた中村さんの若き日の演奏ぶりを見て、感動していた。
今も同じ気持ちになる。ああなりたい、ああなりたかった。・・・
でも、過去形で終わり、夢で終わりではなく、
今からでも遅くない。と思い直す。

大勢の聴衆の前で大喝采を浴びるそんな演奏家にならなくていいから、
音楽を通じて、誰かを幸せにすること。そして、独学でいいから、
昔弾きたいと思っていた曲にどんどん挑戦すること。
音楽は聴く歓びだけでなく、自らが演奏する愉しみもある。
そして、その愉しみを少しづつ人様におすそ分けできるように進化
すればよい。

と、七掛けどころか、三掛けの18歳になった気持ちで、さあ、
これからがんばろう。と思えてきた。

憧れをもつ。夢を見て、動き出す。
待っているのではなく、自分から仕掛けていく。

人生は観覧車のように。還暦で1周目。そして今二周目がはじまったばかり。
まだまだ回る。

さあ、中村さんの演奏をもっと研究、そして練習。その時間を作らねば。
そこが課題だ。
人生欲張りに、自由に生き続けよう!

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心にハンカチを。

この春、同世代の方の親御さんが旅立たれることが続く。
そういう年齢なのか・・と思うほどに・・・。

葬儀を済まされて間もない方にお会いする。
メールなどではお悔やみのメッセージをお伝えしていたが
何を送るといいのか・・・。
お花や線香や、それらに交換できるギフトカード、商品券・・・。
それもいいが、何か自分らしいものを。
と思っていたら、ふと、以前作った曲のフレーズが浮かんできた。
東日本大震災の後、生まれた「かもめりぃ」の一節。

♪泣いてない、今は泣いてない。
けれど、いつも 心にハンカチ・・・♪

最初泣いていたけれど、時間が経って、泣かなくなったけど
いつ泣きたくなるかわからないときは心で泣けばいい。
だから、心にハンカチをもっていよう。

とそんな解釈だ。
ということで、ハンカチを送る。
その人がもっていて安心するような、そんなハンカチを選び
贈ることを思いついた。

何年経っても泣きたいときはある。そのとき、このフレーズを思い出す。
と自分の経験も踏まえて・・・。

それにしても、親を失う悲しみは・・・消えないものだ。
悲しみの感情が消えなくても生きるすべを身につけているだけなのだ。
と、改めて・・・。だから、いつでも心にハンカチを。

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モデルデビュー IN 柳ケ瀬?

ちょっと写り込んでいるが、左にある絵に注目。このモデルは私である。
岐阜新聞のロビーコンサートで弾きながら歌っている姿を描かれたもの。
展示されているのは、岐阜の中心街、高島屋のすぐ近所にある八百屋さんの
店内。絵を描いたのは、そこの店長。
そう、最初はこの八百屋さんにお客として来ていた。今も、そうだ。
山菜やつくし・・・等、季節の地場の食材や手作り弁当が並ぶ小さな食品店。
高齢の方に人気である。看板娘も80代、お客様も同世代が多い、昭和を
思わせる味わいのあるお店。
私にとってもなんとも懐かしいレトロな品揃え、素朴な感じが気に入って、
また看板娘の妙子さんが母親と同じ世代ということでの親近感もあり、
母に会いに来るような感覚で、この3年ほど時々寄って、応援している。


そこの店長がなんと絵を描かれるとのことで、グループ展の案内を受けて
作品を見に行ったところ、なかなか精緻な作品で感心した。
店長はアーチストかあ。やるなあ。
聞いてみると、最近になって絵を習い始め、描くようになったとのこと。
年齢は60代後半か。どうやらモノを作ったりされるのが得意な方のようだ。
もちろん才能があるのだ。そうでなければ、という出来栄え。

とても作品づくりに熱心で、「次は何を書こうかと思って・・・」
毎週絵の教室に行き、先生の手ほどきを受けながら仕上げていかれるようだ。
「わたし、立ってピアノ弾いて歌うんですよ」
「へえ、変わっとるなあ。一度見に行こうかな」
それから、店長はコンサートに見学に。演奏ももちろん聴かれていたが、
主目的は、絵のモデルとして成立するかの観察である。
演奏中、何枚か撮影をされ、それから作品づくりがはじまったよう。

3か月もしないうちに、「いいのができとるよ、もうすぐできるわ」
そんな報告も受けながら、そして、昨日久しぶりにお店に行くと、なんと
絵が飾ってある。
「完成したよ~。いいのができたよ」
看板娘が誇らし気に語ってくれる。

この作品。今は、もうひとりの看板娘として、来店されるお客さんを迎えている。
立ちながら、ピアノを弾きながら歌っているマーサ。
こういう姿勢かあ。あまりいい姿勢ではないが、ライブ感は出ている。
また絵をぜひ近くでご覧いただきたいが、細かな描写が素晴らしい。
衣装の皺やピアノの木目まで、実に細かく丁寧に、描かれている。

9月の展覧会に出展されるとのこと。地域の多くの方に見てもらえる
とは、なぜか私自身もうれしい。
絵にはどんなタイトルがつくのか?
それも楽しみ。

このお店は「あざみ」さん。7月で岐阜高島屋は閉店してしまうが、
その近くにあるお店はずっと営業を続けてほしい。
長く看板娘としてお店の末永い存続を願っている。

岐阜のルノアール?はたまた、ロートレック?
あざみの店長の才能に脱帽、尊敬。
描いてくださって、ありがとうございます!

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無人販売ここまで?

新潟市内の雑貨店。外国の町をふらり訪ねるようなそんな気持ちになるお店。プロカントという生活雑貨のお店で、珍しいカテゴリーだと思うが、数年前、起業される際に広報のアドバイスをしたことがあり、それ以来応援しているが、久しぶりの訪問となった。

こんなこじゃれたお店が新潟にあることがうれしく、また公務員から転身されたオーナーの
生き方も好きで、仕事の合間にたずねるのが楽しみであったが、コロナを経て新潟出張の回数が減ったこともあり、なかなか通えない。
桜咲く、良き季節、久しぶりに寄ってみる。万代橋を歩きながら店に向かう。ちょっと旅気分になるひとときだ。

ブルーのお店は、遠くからも目立つ。あったあった、近づいてみると、前なかった看板が追加されている。なんと無人販売も始めたと書いてあり、ときどき有人販売とある。一見、無人販売といえば、野菜とか販売するようになったのかな?と思ったら違っていた。

店主によると、無人の営業時間を設けているのだという。店主がその時間いなくても自由に店を見てもらい、気になるものがあったら、自由に買ってもらう。もちろん店主との会話が楽しみな方は無人のときではなく、有人営業のときに来られたらいい。
従来、営業時間は店主やスタッフはお店にいなければいけない。それがお店の決まりであるが、無人でも販売しているとなれば、必ず店主がいなくてもいい。夜も販売できるので、お客さんも自由に来店できる。
もちろんセキュリティは重要なので、カメラで撮影されているが、見る限り、ひとりで30分以上長居される方、お友達とおしゃべりしながら店内をすみずみまで見ていかれる方もおられ、店主がいないなりの楽しみ方を提供できているようだ。
新しい発想だ。新しい買い物のスタイルだ。
どうやら、ご近所の書店が無人販売をされ、それをヒントにはじめたのだそう。

確かに餃子の無人販売、冷凍食品の自販機・・と無人販売の可能性は広がっているが、
こうした雑貨店でも、十分成り立つのだ。おそらくモノを販売しているというよりは、
くつろぎの時間を提供しているという見方が合っているのだろう。
ウィンドーショッピングの続きに店内に入って、気兼ねなく・・・というのが心地よい
のかもしれない。
従来の発想を越えて、なんでもやってみる。店という世界をどのように提供するか。
知恵を出し、工夫を重ねる。さすが!
がんばっておられるなあ。

今回はこだわりの英国のジャムを購入してみたが、どうやら違う種類のジャムを持ち帰ったようで、店主が自転車で駅に向かう私を追いかけてくれて、無事にジャムを交換。
自転車で万代橋を全力疾走された?今回は、無人でなくてよかった。

海外に行かなくても小旅行を体験させてくれるお店。mietta 。みなとまち新潟にある。
長く永くお店が続くように、心から願っている。

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本気の手作りアニバーサリー稼働!

こんな素敵なチラシができあがった。
携帯メールとファックスと郵送でのやりとりと、友情、つながりでできた素晴らしい
1枚だ。先日、糸魚川に出向き、この節目を逃さず、今やれることをやってみましょう!と背中を押させていただいたこの企画。

お店が閉店するときにコンサートやってください。と冗談めかして?言われたことに対し、
閉めるときはまだ先の先。未来に向かう今こそ、お手伝いしたいから、今年こそやりましょう。25周年は今年しかないのだから!と。そんな感じでお伝えしたら、「はい!やります!」と力強い宣言。そこから一緒につくるアニバーサリーがはじまった。まずはチラシを・・・。ということで、携帯に文案をメール。最初は手書きの予定。店主の文字はとてもやさしくてあたたかい。でも、もっと良くしたいね。ということで、お友達が手伝ってくれてパソコンのチラシに変身。そこからああしたら、こうしたら・・・といつもの悪いコンサル癖?が出て、どうせやるならモードに。
店主とお友達もこちらのおせっかいに応えてくださって、だんだん形が整ってきた。

最初、単色で考えていたのが、気が付けばカラフルに。
「カラーでプリントしたらもったいないので、一色で刷るなら、色紙がいいと思いますので。紫の紙持っていますから、少し送ってみますね」とレターパックで送付。その紙を使ってなんとカラープリントいただいたのがこの画像。
うん、なかなかいい感じ。

店主のマツ子さんは、さすがの行動力で、すでにお客様の予約を取り始めて、「もう半分
埋まりました~。」すごい!「では、早く満席になると後が楽ですね。もうひと踏ん張りがんばってくださーい」マツ子さんの最初のしり込みは、どこへ行ったやら。もう今はやるしかない。やると決めたのだから。その覚悟がアクティブな行動に!

長年変わらずずっと応援してくださっているこの店主の、お店の一度きりの節目に関われることに感謝して、本番までのやり取りも大切にしたいと思う。
お店にピアノはないから、楽器も持ち込む(送り込む)。
この出前コンサートは、こんなカタチにて展開する。

思いついたら、即提案、即行動。人生の時計は止まってくれない。
ハレの日があると、それまでの日常もわくわくになる。人生、そういうものだと思う。
元気なうちに、やれるうちに、やりたいことをやるのみ。
浮かぶのは、お客様と主催者の笑顔と感動・・・。がんばる!

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