日本はポイント立国なり。

もう20年ほど前のことだったか、当時お世話になっていた女性が
「本当にポイントカードがたまって・・・。もう財布に入らないから
ポイントカード用に別のケースを作ったわ」と分厚いケースを
見せてくれたことがあり、そんなに?と驚いたことがある。
今は、そのカード自体も、かなりスマホのなかに収まっているため、
複数のポイントカードを持ち歩くことは以前よりは、減ったかも
しれないが、それでも今なお、ポイントカードはほとんどの小売り店
サービス業で健在である。

リピーター獲得には、デジタルアナログ関係なく普遍の販促手段?
よく考えたら、このポイントは、海外では見かけたことがない。
販促といえば、クーポン。これはアメリカ生まれだったと思うが、
そのとき安くなる。この簡単さが受けているのだろう。

一方、ポイントは根気がいる。真面目なお客さんでないと貯まらない。
日本人は真面目な民族。だからポイントは向いている。コツコツ
ためるのが好き、努力の人なのだ。
だから、マイナポイントはしっかり日本人の心をつかんだ販促?
と勝手に思っている。
そこで、このポイントカードは、いつから身のまわりにあったのかと
わが人生をふりかえる。
あ!わかった!夏休みのラジオ体操の出欠カードだ!!

毎日ラジオ体操に行くと押してもらったスタンプ。毎日増えて
いくのがうれしく、がんばって通った。そして全部ハンコが
並んだら、皆勤賞として何か景品や賞状をもらった記憶がある。
私たちは、小学校時代に、ポイントをためる楽しみを、努力する喜び
を学び、体得してきたのだ。
と、大げさに思えるかもしれないが、ラジオ体操の出欠表は健康
づくりのポイントカード、夏休みのお楽しみのためのポイントカード
だったのだ。

今日、どこの店に行っても、「◌ポイントお持ちですか?」「ポイントカード
お持ちですか?」と尋ねられて、ちょっと鬱陶しいときもあるが、
それだけ日本人はポイント生活が好き、性に合っているのだ。

ところで、最近急速に増えている外国人観光客・・・。
彼らがコンビニやファーストフード店に行って、レジに立っても
「◌ポイントお持ちですか?」と聞いているのだろうか?
「WHATS?」と、聞き返す人もいるかも?
と、ポイントを巡り、いろんな想像が働いたため、楽しく書いてみた。

販促と国民性の関係はなかなか面白いものだ。

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「掛け持ち」アーチストやります!

オンライン会議中に、電話の着信。
あとで気づき、折返しその方にお電話する。
母が元気な頃に大変お世話になった方で、農協の支店長さん。
いい人とは、こういう人を指すのだと自信を持って言える、そんな方だ。

なぜか、ずっと「マーサさん」と呼んでくださって、
思い起こせば、母の臨終の直前に、一番先に相談した方。
そして腕のいいカメラマンでもあり、実は私のサイトの中にその方が
撮影してくださった写真も何枚かある。
私のなかでは、信頼できる貴重な地元のキーパーソンだ。

「急ぎで相談です。今度支店で女性の集まりがあって、そのときに
マーサさんの演奏してもらえないかと思って。でも、その日は確か
岐阜新聞のコンサートの日ですよね。70名ぐらいは集まるんですけど」
との相談。その日に限って、しかも時間帯も昼の時間をご希望の
様子。でも、そこで諦めてはいけない。
「そうですね。でも、少し時間ずらしたら、両方できると思うので
岐阜新聞終わってから、そちらに移動して開始というのでもよろしければ
やらせていただきますよ!」
ということで、そのお話に乗らせていただくことに。

なんでも、その会では、母や地元の方のことを想ってつくった農協の
イメージソングも演奏させていただけるとのことなので、それは
なんとしても駆けつけなければと即決した次第。

母がわがテーマ曲のごとく喜んだ曲、そう、思えば葬儀の日に歌って送った
その曲を、他の皆さんと一緒に合唱できるならばそれはうれしい限り。
ということで、5月15日はアーチストのダブルヘッターとなる。

同じ会場でお客さんを入れ替えて1日2回というのはやったことがあるが、
違う会場で1日2回の演奏会とは、初体験。
1回目の出演のときに、どれだけスタミナを残して2回目に臨むか。
2会場ともフルパワーで臨むには。今回、いい学びの機会になりそうだ。

掛け持ちに挑戦。1日24時間、どれだけのことができるか。
とにかく自分にしかできないことを、やり続ける。
ありがたい声をかけていただけるのも、母のおかげだと思う。
新たなご縁がまた生まれることだろう。
人生、掛け持ちで楽しくなる。なんだかわくわくしてきた。

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心の地球儀を回す瞬間。

日々、目の前のことに追われていると、ついつい、前を見て動くことに
意識が集中し、俯瞰して全体を見ながら、今をみつめ、すべきことを考え
判断する・・といったことが、おろそかになることもある。

人間は、前に向いて生きる存在であるが、全体と調和して生きる存在でもある、
そして、大河の一滴としての自分がどうあるべきかを理解し、生きる存在である。
さらに、もっといえば、周囲の人が気持ちよく、幸せに生きるために何ができるか
を考え、生きる存在であったら良い。

1日はたった24時間しかなく、自分が課せられた役割を全うするために、その限られた
時間をどう過ごすか。
前を向いて追われるだけでなく、一呼吸おいて、俯瞰して自分の存在をみつめたい。
瞬間でいいから、毎日俯瞰する自分を持ちたい。

ある親しい知人は長年、毎日瞑想をされ、心を落ち着けておられる。
だからいつも穏やかで頼り甲斐もあり、話をするとその考えや言動に深さを感じる。
瞑想は俯瞰するのに、最適な方法かもしれない。

デジタル社会になり、情報が垂れ流しのなか、迷いながら生きている日々、その中を
泳いでいくだけでも精一杯という一面もあるが、
それでも、俯瞰する習慣は忘れずにいたい。

たとえば、心の地球儀をくるり回しながら、今日の自分は・・。
と思ってみるのも良いだろう。


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電卓ができた頃と今。

今、ちまたで大変話題になっている対話型AI。
学生たちは、勉強の道具のひとつとして、利用している人も多いようだ。
1日がかりで調べられていたことが、数分で答えが出るサービスであるので、
「とても便利」と言っていた。
勉強の世界に、「便利」は必要なのかも理解できなく、今どきの学生は
そんな感覚なのだと驚いた。

そのサービスを手掛けるベンチャー企業の代表はまだ30代後半。
メリットもあれば、深刻なデメリットもある。それを理解して活用すれば
いい。まるで、計算機が世の中に出た頃のように・・・。
とインタビューでそのようなことを応えており、今どきの経営者らしいとも
感じた。
一方、このAI活用に対しては、著名な実業家たちからも賛否の声が挙がっている。
今、むやみに普及を加速させるのではなく、それこそ、よく調べるべきだと。

電卓がなかった昔の頃をふと思い出した。
子どもの頃、そろばん学校へ通っていた友達もいた。
書道とそろばんはセットの習い事だった。
よみ・かき・そろばん・・そろばんは数える、計算力を養うということ。
この3つは生きていく上での基礎力として重視されていた。

ところが今は・・・
読むものはアニメや動画に、書くことは入力に、そろばんは電卓に・・・。
もっと言えば、覚えるべきことはすぐ写真に撮る・・とそんな時代。

今、電卓がないと仕事が、生活が成り立たない。
反面、電卓の普及で、暗算ができなくなってきている。
また、パソコンがないと仕事ができなくなっている。
反面、パソコンで文字を打つ頃に慣れ、文字が書けなくなってきている。
漢字は忘れ、文字が昔のように、きれいに書けない。これは深刻な問題で
今、私自身、それを取り戻さねばと思っているところだ。

今度は、文章を作成することもITを活用・・・となれば、
当然考える力、文章力、構成力が低下する・・・。
忍耐強く調べることもしなくなり、持続力や持久力も低下するだろう。
と、AIの進化とともに、人間のゆくえを改めて危惧する。

「これらの道具を使いこなして、人間はもっと創造的に生きればよい、生きられる」
とそのCEOはインタビューで話していたが、文章を考えるという想像力が必要な
創造力をまず養わずに、そこで楽をして、次の創造性に向かうとは???よくわからない。

AIとこれからの暮らし、仕事について考えなければいけない。
人間にしかできないこと、道具ではできないこと。
それをしっかり自分の強みにしていかねばならない。

便利な道具。はそろそろ要らないのではと思う。
時間がかかることは悪いことではない。とも思う今日この頃。

このことは、少し長く生きないとわからないかもしれない。
すでに、毎日、何度も検索をして生きている自分が、ちょっと情けなくもあるが、
そこで終わらず、本を読む、文字を文章を書く、アートに触れる、演奏をする・・
とにかく、人間の能力を生かす活動をもっと強化しなければと思う。

AIが私の将来にどうかかわってくるのか?
具体的にしっかり考えていく時間がやってきている。
少し距離を置きつつ、俯瞰しながら、みつめ、必要な部分は取り入れながら・・・。

便利は不要。
と、一度、そこまで生活を見つめ直す時期でもある。
電卓の普及とともに、生きてきた自分の暮らしも改めてふりかえってみたい。

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自身と自信。

レッスンをさせていただき、応援してきた方が当選した。
夜遅くの報告メールを読んで、心から安堵。
ずっと彼女とその地元応援団が日々、地元で奮闘されている姿を
想像しながら、がんばれー!とエールを送り続けていたから。
演説の原稿を一緒につくり、練習した日々を思い出し、良かったと
胸をなでおろす。選挙戦追い込み時には原稿を見ず、自分の言葉で有権者に
語りかけておられたとのこと。
素晴らしい。予想どおりだ。
本番に強い方なので大丈夫とは思っていたが、本当に
良かった。これで地域に未来に向けての新しい風が吹くだろう。

振り返れば、先週もいろんなことがあった。
心に荒波が押し寄せることもあり、どう乗り切ろうかと思ったほどで
あった。
でも、それは津波ではなく、今も無事に生きていられている。
ちょっとやそっとの波や風は常に押し寄せ、吹いてくるのが人生。

そんなとき、上に書いた候補者の方のがんばり、またいろんな苦難を
乗り越えようとしている多くの仲間のことを想えば、自分も大丈夫。
絶対にやれると思えてくる。

自分を信じること。自分がやっていることは間違っていない。いや、
正しい。と信じること。
これまで歩んできた道が間違っていないと思えるなら、それでよし。
人はそれぞれ、背景が異なり、歩んできた道が違い、また向かうべきゴールも違う
ため、同じ現象を見てもとらえ方は違う。人によっては反対に見えることもあるのだ。
そこをわかってよ!といっても、難しいこともある。
人は人。自分は自分。

だから、自分が思う道を進めばいい。
そして、考えすぎず、気持ちが楽になるように進めばよい。
生きていれば、少々の考えの違い、価値観の違いに出会うだろう。
それも承知で、自分を信じて前に進めばよい。

ありがたいことに心配をしてくださったり、応援してくださる方が
自分の周りにいてくれる。
その気持ちに感謝して、自身を信じ、自信をもって。
ぶれずに前に進むとしよう。

見ている人は見ている。正義と愛を信じて、進むとしよう。

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ふるさとが誇る「火祭り」再開。

4月8日。4月の第二土曜は、わがふるさとで300年の歴史を有する、「手力神社の火祭り」の開催日である。奇祭ともいわれ、岐県重要無形民俗文化財として、地元の人たちが
大切に守っている祭りである。
当日、境内に各町内の行燈が高くそびえているのを見て、ああ、祭りが開催されるのだと
高揚感に包まれる。3年間、中止が続いてきただけに、地元の期待もひとしおだ。

毎回、この日のために、時間をかけて町内ごとに企画を練って、花火が仕込んである神輿をつくる。当日は神輿の町内巡行から。他爆竹をならして激しい金の音とともにその神輿で町内を巡ったあと、夕方には、神社に宮入り。この爆竹と金の音、そして神輿が去ったあとの火薬の匂いは独特で、ちょっと中国のまつりのような激しさもあり、音が町内中に響いていることで、「今日は祭りである」とハレな気持ちになる。

夕方、花火大会が開始。各町内でつくった神輿は担がれたまま、順番に着火され、そして花火が噴き出す。瞬間に神輿が火が包まれ、境内は非日常の世界に変わる。その火の粉のなか、神輿を男衆は境内を担ぎまわる。その後、行燈への着火、滝花火など他で見ない、動の花火が町民の力で奉納される。
男性たちが着用している半纏には火の粉で穴があき、やけどをする人や、命をおとされる方もおられたり・・。ダイナミックである一方、大変危険。それでも受け継がれてきた。
まるで火のなかに、いのちを奉納するような、そんな緊張感高まる、祭り。動の神事。
京都で見る雅で美しい祭りとは、まったく違う激しい祭り。爆竹を使う点は、長崎の精霊流しにも共通しており、どこか大陸文化を感じる特徴がある。(詳細はこれから調べることにする)

この祭りを見ながら18歳まで地元で育った。ふるさとを離れても、この祭りの日は、実家に帰り、爆竹と金の音に耳をふさぎながら、ふるさとに帰った幸せをしばし感じて、そして
何より父がはりきっている様子を見るのが、恒例行事であった。
地元で生まれ、育った父には、この祭りは「俺の出番」といった一大イベントであった。
あの神輿は危険であるので、素面では担げないと、皆さんある程度お酒を飲んで参加していた。とにかく地元の男衆が力をあわせて、つくる、担ぐ、そして花火を自分たちで仕込み、行う。いのちを賭けた手作りの火祭りが、今も受け継がれている。

コロナで三年中止されたこの祭りがようやく再開したことで、
ふるさとに久しぶりに本当に春が来たといえよう。

両親が生きていたら、この祭りを喜んで見ただろう。もう一度、見せたかった。
神輿を担ぐ地元の人々を見ながら、半纏姿の父の姿を思い出し、激しい金の音に紛れて
ひとり泣いた。
この祭りは、両親へのもうひとつの弔いであるかもしれないとも思いながら。

三回忌の年にこのまつりの再会。
ひとの命は限りあるが、まつりは、まだまだ続くし、続いてほしい。
いろんな数えきれない思い出を胸に、まつりを巡り、さまざまなことを想う、再開の
日であった。
地元のみなさま、大変大変お疲れ様でした。

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良きおねえちゃんで。

生きていると、理解されることもあれば、誤解されることもあり、
残念ながら、毎日がバラ色の人生ということはない。
人生山あり、谷あり。その坂をおりては、のぼりの繰り返し。

ひとりでもがいているときに、ひょんなことで救われ、元気が湧いて
くることがある。
それは年下の人とのコミュニケーションである。

最近、自分より一回り以上年下の人との交流を持つ機会が多い。
このときに、幸せな気持ちを感じる。
年下の人が、人生のこと、仕事のこと・・・あれこれ相談してくださる、
あるいは話をしてくれる、それをじっと聞きながら、時々アドバイスらしき
ことや、自分だったら・・・という話をすると、よく聞いてもらえる。

そして、元気になりました~。またがんばれます。また話し相手になってください。
などの反応があると、私もつまらないことを気にして生きていてはいけないな。と
いう大きな心をもつことができる。
彼らのおかげで、変われるのだ。
そう、姉ちゃんなんだから、しっかりしよう。元気をもって自信をもって・・。
と、そんな気持ちになれるのだ。

話せばわかってくれる人たちが多くいてくださって、応援されて・・・。
そのことで十分。
理解されなかったり、誤解されることがあったとしても、それぞれみんな
違う人生を生きているのだから、根本が違えば、分かり合えないこともある。
でも、分かり合える人の方が断然多い
だから、自信をもって前に進めばいい。

みんなの良きおねえちゃんでいられたら。私自身もとても幸せでいられる。


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なつかし台湾、今こそ。

メルケルさんと同じく尊敬する蔡英文さんのアメリカ立ち寄りの報道に接し、
久しぶりに台湾のことをしみじみと思い出した。
この3年間は、渡航もままならず、足を運ぶこともできず、お世話になった方々に
お会いすることもできないまま・・・ちょっと台湾の記憶が薄らぎかけていたところ
蔡さんの記者会見の様子を見て、いつも台湾の仲間に「加油!」(がんばって)と
いつも声をかけ続けていた十数年前のことを鮮明に思い出した。
マーケティングの勉強会仲間のこと、毎月出張で通っていた時代のこと・・・。
そこで出会った多くの台湾人、日本人の顔が次々と浮かんでくる。
もう会えない人もいて、なつかしさとともに寂しさも含め・・・。
自分の今日の成長に、台湾時代はどれだけ大きな影響を与えてくれたことだろう。
本当に多くの人たちに公私ともによくしていただいた。

ビジネスの場面で政治の話題は日本以上にタブー視される台湾では、それだけ
政治については(特に中国の関係において)、昔から複雑かつ繊細な問題であり、
その複雑さは対立感につながり、今は大変心配な段階と言える。

台湾はどうなってしまうのだろう。いつも友人たちは将来を考え、次なる新天地を
求めていた。当時からカナダや日本への永住を考え、その準備をする人も多かった。
彼らが日本以上に国際的であるのは、国が安定していないからという前提が
ある。自分が生きるステージは自分で作らねばならないのだ、。
その緊張感が生きるパワーを与えているのかもしれない。安定で平和な日本とは
大きく異なる。

とにかく、とにかく今、台湾が気になる。
あの人は、この人は元気だろうか。
蔡さんの会見を見たあと、すぐに台湾でお世話になってきた経営者に一通のメールを
送る。コロナになり、音信が途絶えてしまった。
お元気ならば良いけれど・・・。

今こそ、台湾へ。自由な台湾であり続けてほしい。
日本と台湾は本当に親しい関係だ。植民地という言葉は好きではないが、
台湾が日本の領土であった時代に、台湾は日本文化を学び、発展することができた。
だから、台湾人は日本人を今も好きでいてくれる。
ありがたい関係。憎しみあうのではなく、今も親しく助け合える貴重な国。

日本人は台湾を、アメリカに倣ってではなく、日本らしく応援していけばよい。
今こそ、台湾へ。

現地の仲間たちとコンタクトできたら、事態が急変しないうちに、駆け付けたい。
心のふるさとのひとつ。それは台湾。
台湾は、自由の国であり続けてほしい。

そうそう、鄧麗君のお墓参りも忘れずに。25周年の報告とお礼を言わなくちゃ。
ずっと感謝し、応援したい国、台湾。

当時、通訳係をしてくれた人が空港に向かう別れの際に、
「今尾さん、『再見』は、別れの言葉ではないです。また、会いましょう。」
と教えてくれたことが、くっきりと浮かんでくる。


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瞬間教師、相互教師。


日々いろんな人に出会い、交流する。
その会話からいただく、さまざまな気づきや、疑問や、共感や、衝撃や・・・。
人と会うということは、化学反応であるため、いろんな結果がある。
自分の想像を越える表現や反応にも出会う。
共感、納得できる出会いはとてもありがたいが、そればかりではない。
しかし、考えようによっては、
疑問や違和感をもつ出会いにも意味がある、価値がある。

瞬間的に首をかしげたくなったり、不快に思う言葉には、
たとえ、自分には理解ができなくても、
発した人なりの背景や意図があったり、意思がある。
言葉の裏には、その人の経験、その人なりの思いがあって、
その言葉になる。

まずはその背景を想像してみる。理解しようとつとめる。
そして、自分だったらどう言うか?あるいは言わないのか?
も考える。

自分が不快に思ったり、傷つくことがあれば、
それは「良薬」と思うようにする。
そして、自分と違う考え方、生き方、そうなりたくないと
思う相手であっても、それは気づきを与えてくれる「瞬間の先生」
であると思うようにして、その存在に感謝する。
どんな人間でも、人に対すれば「師」となりうるのだ。

親は子供の頃から、反面教師であることが多かった。でも
その根底には愛があった。それはあとでしみじみわかること。
愛があるかどうかはあとでわかることも多いが、それは別としても
とにかく、反面教師は貴重な存在だ。

生きているといろんな人に出会う。
ベクトルの違う人にも多く出会う。
ずっと出会い続けるのか、縁が切れるのか。これはお互い次第
であり、今はわからないが、日々の出会い、コミュニケーションを
受け留め、学びながら生きていくことになる。
人と出会う以上、この学びは繰り返される。

その学びから、
人を傷つけない人、感謝ができる人、それが伝わる人に
なりたい。

人間関係は、生もので難しいが、お互いに「瞬間の師」である
ことを忘れずに。

人はいろんな衝撃と向き合い、傷を負いながら、癒されながら
強く、強く、たくましく育っていく。
良き「師」に出会い、自分もそうありたい。
さあ、今日はどんな師に会えるのだろう。

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書き言葉、読み言葉、伝わる言葉。

時々、企業のトップが書かれる言葉をリライトするというお手伝いもする。
経営者の言葉であるから、影響力も大きいため、心して拝見する。
その思いがちゃんと伝わるか?ターゲットは対外的であったり、社内で
あったりとさまざまである。
その原稿は、相手が読まれる場合も、聴かれる場合もある。
読まれる場合は、長く公開され、何度も読まれることがあるため、
聞かれる場合は、その瞬間が勝負であるため、
それぞれに細心の注意をもって、原稿を拝見することにしている。

ある社長さんから。私の文章は韻を踏むというか、リズム感がある、
それは作詞作曲の活動と関係があるのか?とのお言葉をいただいたが、
言葉は単に書き連ねただけでは、生きたものにならないと思っている。
書いた言葉を声を出して読んでみることで、それが流れ良い文章か
読みやすいかはわかる。
その上で修正を重ねていく。

読んでみるとつながりがどうか?伝わりやすいかわかってくる。
聞きやすいは、頭に入りやすいということ。
であるので言葉を書き連ねたら、なんども読み返すことが大切。
と、とくに公的な発信については、この点を気を付ける。


厳しい情勢のなかで、なんとか舵取りをしていこうとされている社長さんたち。
コロナでプラス、マイナスさまざまな影響を受けた現実を抱え、
従業員の暮らしを守るため、日々奔走されている。
日頃、全員としっかり話をすることは難しいが、節目節目できちんと
メッセージを伝え、共感を得て、共生していかねばならない。
そのためにも、発する言葉は重要だ。

書いたら読み返す。声を出して読み返す。
伝わるかどうか?そのために第三者の確認も、時に有効である。

トップの想い。従業員の皆さんがしっかり受けとめてくれること。
そして、一体となって目指すべき方向へ向かうこと。
そのコミュニケーションのお手伝いが少しでもできたら、うれしい。

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