介護の現場では、通常の社会生活でも参考になることがいろいろある。
介護職員さんたちの姿勢、態度、向き合い方。高齢者への尊厳と愛情を感じる。
ある施設の管理者によると、介護をする上でのポイントは、非審判的態度で接すること。
相手の行動、言動を否定せず受容すること。
あとは皆さんを巻き込んで自分が楽しむこと。こちらが笑顔で迎え入れれば、
相手もそうなってくる。とのこと。確かに、と納得。
なんだか、日常生活でもそのまま参考になりそうだ。
受容の姿勢。
まずは、相手を受け入れること。
普段できていないことが多いかもしれない。
どんな場面でも相手を大切に思う気持ちがあれば、人間関係もうまくいく。
そして、お互いに幸せになれる。
受容でハッピーコミュニケーション。
今日限りのクリスマスプレゼント。
今年のクリスマスイブ。東海地方でも珍しく雪が積もり、ホワイトクリスマスと
なった。移動がちょっと大変で、開催できるか心配ではあったが、予定どおり
お世話になっている施設でのクリスマスコンサートが実施できた。
前半は私のコンサート。今回はクリスマスにちなんだ曲や、年末の紅白歌合戦
をイメージしてのメドレーなど、さらに私のオリジナル曲を皆さんと一緒に合唱。
ありがたいことに、この1か月余り、毎日館内でCDを流していただいているようで、
皆さん、私の曲を覚えていただいたようで、驚いた。
後半は、施設のスタッフの皆さん主催のクリスマスパーティーに私も参加。
一緒に歌ったり、乾杯(ロゼワインと称してアセロラドリンクで)したり、サンタさん
からプレゼントをもらったり、ひとりづつサンタさんと記念撮影をしたり・・・と、
大変心のこもった素敵なパーティーとなった。
皆さん「楽しかった」と喜んでおられたことがとても印象的であった。
前にも書いたが、日常のなかの非日常の重要性。
クリスマスは、まさに非日常だ。今日だからできること、今日しかできないことに
全力投球をする。
スタッフの皆さんの献身的なおもてなしに、一生懸命さに、楽しい演出に心うたれ、
そして、スタッフの皆さんが楽しんでおられることにも、感動した。
やらされている、やってあげている。ではなく 本当に自ら進んで動いておられる。
その自然な気持ち、フランクさが利用者さんにも伝わっている。
「もしも明日、今日のことを忘れてしまってもいい。と思ってやっています。
今日は今日を楽しく過ごせたらいい。人生のいい思い出になればいいけれど、
忘れてしまっても、それはそれでいい。今日やれることをやりたいと思います。」
というスタッフの声に深く共鳴した。
認知症になってしまえば、確かに覚えていない可能性も高い。
それでも、今を楽しんでもらう。
楽しむことが明日生きる力になる。
ああ、こんなクリスマスプレゼントもあるのだ。
お金をかけなくても、喜んでもらえるギフトがあるのだ。
私も記念撮影に参加させていただき、思い出の一枚に入らせてもらった。
「今日はこんなことがあったよ。」
おうちに帰って、報告される方もあるだろう。
この一枚の写真が、ご本人の記憶がなくても、楽しい思い出の証拠になる。
その日限りのクリスマスプレゼント。
忘れても、生きる力になっていれば、それでいい。
いいホワイトクリスマスイブになった。
言葉の重みと素直な心。
普段何気なく話している。言葉を多く発している。
そして、相手も聞いてくれている。理解してくれている。
と、そう思っている。
ところが、自分が発した言葉、会話が相手を傷つけたり
不快な思いにさせてしまっていることがある。
それには、自分では気づかないことが多い。
相手は、その言葉に対して疑問、疑念を感じながら、
距離をおいたり、ときにはぶつかったり・・・という
ことにも発展することもある。
相手がその疑問、疑念をストレートに言ってくれる場合は
ありがたいことだ。
黙っていられるよりも、
言ってもらえるほうがありがたい。
言葉を発することは、一見簡単なことであるが、
実は言葉は重い。相手によって、解釈や受け止め方もさまざま
であるからそのとき、その相手をしっかり見て
言葉を交すようにしたい。
当たり前のように話し続けている毎日。
その言葉は相手に対して、適切であったのか。
については、しっかり点検しなければ。
言葉には口に出す責任がある。それぐらい重いということを
もっと意識しなければ。
そして、親しき間にも・・ということもある。
そして、何かあったら。素直な心で受け止め、改めたい。
言葉と聞く力。どちらもやはり大切にしたい。
そして、言葉に慣れないように、気を付けたい。
言葉は、薄い割れ物のような存在。丁寧にあつかうべきもの。
と、そんなことを思っているうちに、今日はクリスマスイブ。
世間では、素敵な言葉がこだましますように。
カラダのサイン。
2か月ほど前。出張の移動中。新幹線のなかで急に口元がかゆくなって、
気づいたらヘルペスという病気に。
おかげで数日で完治した。
あれから、しばらく忘れていた。
今度は、おふろあがりにカラダがかゆくなり、翌日もかゆくて・・・。
皮膚科に駆け込んだら、じんましん!
生まれてこれまで経験ががなく、じんましんは他人事と思っていたが、
今回はそういうわけにはいかず、しっかりかゆい。
思い起こせば十数年前には、帯状疱疹も経験して、あのときも困ったが、
今回もそれなりにこまった。痛いも困るが、かゆいも困る。
疲れているとそうなる。睡眠不足も原因になるそうだ。
「やばいですよ~」「危険だぞー」
と、体が教えてくれる。
このサインには素直になること。
睡眠もとって、少し休養したら1日で元に戻った。
とはいえ、まだ過信はできないが。
とにかく体が教えてくれることを、大切にしたい。
これからも、いろんなサインが出てくるころだろう。
カラダって、ほんとうにすごい。と思うと同時に、
カラダもココロもすべてつながっていることを実感する。
自分という「ひとつのいのち」を大切に、今日も元気に
はじめよう!
心の祝祭参加。
写真は7年ほど前に、ブエノスアイレスで撮影した市内の写真。
その地名のごとく、「いい空気」が町全体を包むかのような、きれいな空。
この水色は、アルゼンチンのサッカーのユニフォームの色、そして国旗の色である。
私が抱きしめたいと思うほどに、愛する町ブエノスアイレス。
今回、急に自分がその土を踏んだあの町を思い出したくて、写真を引っ張り出した。
ワールドカップの優勝が心からうれしく、どんなにブエノスアイレスの人たちが喜んで
いるだろうかと、優勝決定してから想像し続けた。そして、その想像通りに市民が、国民が
大喜びしている様子が、メディアが報じ、その祝祭の様子を見ながら、ああよかったよかったとこちらもうれしくなった。すっかり自分も参加している気分だ。
サッカーは経済的に貧しくとも、誰もがヒーローになれるスポーツ。
アメリカンドリームではなく、アルゼンチーノドリームが、今もなお生きている。
今回の勝利は、さらに子供たちのサッカー熱を熱くすることだろう。
経済破綻も珍しくないこの国、常に経済不安に包まれ、それでも人々は夢を見ながら、
元気に生きている。その原動力はサッカー熱(とタンゴ)だと思う。
今回の優勝は、ほんとうによかった。おめでとうアルゼンチン!
北半球は寒く、重苦しい戦争が国を越えて影響を及ぼしている。
一方、地球の反対側では、情熱と歓喜のクリスマスで、いい空気である。
ワインもステーキも、最高においしいことだろう。
ああ、今すぐ地球の反対側へ飛んでいきたい。
そんな気持ちをおさえつつ、ブエノスアイレスを思い出す。
経済的な貧しさは夢で打ち勝つことができる。
そんなことを教えてくれた、今回の試合。
早く戦争が終わって、世界中がスポーツでいい汗を流せるようにと心から願っている。
「あの人に似とるな。」は誉め言葉。
両親が生前お世話になったデイサービス施設に、一度は感謝を込めて
コンサートをと思っていたが、コロナの影響でなかなか実現しなかったが
1年以上経過して、やっとやっと実現。
なんと、施設で親と親しかったおじいさん、おばあさんとも再会
することになり、「ああ~」といきなり喜ばれ、盛り上がる。
覚えていてくださったんだ!
「クリスマス&ふれあいコンサート」と題して、約1時間クリスマスソング
から、童謡、オリジナル曲までたっぷりしっかり演奏するとともに
トークも。何か言えば、面白がっている。受けるのでこちらも調子にのる。
そう、皆さん楽しいことを待ち構えているのだ。刺激がほしい!
親たちがお世話になった場所ということで、もしかしたら思い出して
泣いてしまうのではと思ったが、そこは自分でいうのもなんであるが、
プロ意識はあるので?涙はなし!その代わり、お客さまやスタッフが
泣いておられた様子・・・。
途中でスタッフが、なぜか母が施設に置き忘れていた小さな人形を
ピアノの前に置いて、「お父さん、お母さんも参加して見えるよ」と。
きっと施設の方も、ご苦労をかけた両親のことを思い出されたのだろう。
自分のオリジナル曲をはじめて聴く人も多かったが、ふるさとにちなんだ
曲をセレクトしたせいか、「いい曲、素晴らしい!ブラボー。」と喝采。
お年寄りってこんなに感情豊かで自由に表現されるのかと思ったぐらい、
いろんな歓声を聞かせていただいた。
アンコールもあり、そろそろ退散というときに、ひとりの利用者さんが
「あの人に似とるな。ずっとそう思って聞いていた。ジャズを弾くあの小さい
元気な人」「似とるなあ。すごいなあ。」すぐに誰のことを言っているのか
わかった。実は、これまでも何度か言われたことがあった。
こういう場合の「似とる」発言は、誉め言葉である。将来は言われる側に
ならなければならないが。
ずっとこの場所で、感謝を示さねばと思っていたことが、実現した。
もう1件お礼をしなければならない施設がある。これは新年に実行。
親が暮らし、過ごした場所。お世話になった施設には、ちゃんとお礼を
伝えなければ。やっと、それができるタイミングとなった。
どこの施設にも、非日常を求めるお年寄りが多い。
喜んで頂けて良かった。今日もたくさんの方に泣いていただいた。
笑っていただくのも、泣いていただくのも、うれしいのがこの仕事。
確かに、父も母も一緒に参加していたことと思う。
ありがとね。ありがとね。とにこにこしている、そんな顔が浮かぶ。
何事にも締めがある。ひとつひとつクリアしていこう。
マッチングは信頼から。
企業と企業、人と人、企業と人。
気が付けば、新たな取り組みをするために、ご紹介、お引き合わせを
させていただくことがある。
こうなったらいいなという思いから。まずは出会ってみないとわからない。
これは両者がその気にならないと前に進まないため、
やってみないとわからないけれど、これはいいかも!
とひらめくと、即行動してみる。そして、実を結ぶこともある。
そんなときは、ほんとうにうれしい。
マッチングという言葉。最近よく新しい言葉のように使われるが、
今にはじまったことではなく、ビジネスではごく自然な、双方向
とってのビジネスチャンス。
私の場合は、新たな化学変化が起こることが楽しみで、これは!
と思う企業にご紹介をさせていただく。但し、あくまでも相手を
見てである。
誰にでもなんでも紹介ということにはならない。
お互いの課題解決につながることが大前提であり、お互いに良かったと
ならないといけない。
マッチング。これは慎重にすべきことでもある。
また、信頼関係がなければ、成り立たない。してはいけない。
日頃からいい関係があってこそ、紹介も可能となる。
そして、紹介して終わりではない。
ずっと伴走して、うまくいくようにサポートし続けること。
成果が出たときには、ほんとうにうれしいものだ。
これからも、よき仕掛け人となれるよう、人間関係を広げ深め、
信頼されるようにつとめたい。
自分にしか浮かばないマッチングを心したい。
そのためには自分のなかに多くの引き出しをもっていること。
仕事が楽しい!は最高の人生。
介護業界で脱サラをして、コロナ禍に閉店した喫茶店を借りて
デイサービスを始めた人がいる。
いわゆる福祉施設には見えない、喫茶店の中にあるリハビリ付
デイサービス施設という、不思議な空間。
おそらく日本でも類を見ないだろう。
その喫茶店が開店営業しているときに、お客さんとして利用していて
「こんな空間で介護事業ができたらいいな」と、思っていたら、
コロナの影響でお店が閉店・・それを知って、すぐ起業を決めたという。
コロナ禍で起業するというその勇気にもまず感心するが、
運とタイミングもあったのかもしれない。
喫茶店として出来上がった空間であるので、とても快適だ。
利用者は、毎日喫茶店に来ていると思い込んでいる人もいるそうだ。
「あれ?モーニングに来ただけなのに、なんで風呂に入るんだ?」
と言われる利用者もおられるようで、なんだか微笑ましい。
デイサービスに行かされるより、喫茶店にモーニングに行く方が
楽しく、通いたくなるかもしれない。
ほんとうに不思議なことに、その店(施設)に一歩足を踏み入れた
だけで、元気のオーラを感じる。
代表はじめスタッフたちが大きな声で、利用者ひとりひとりに、
一生懸命働きかけ、楽しいコミュニケ―ションを仕掛けている。
その会話を聴いていても、とても楽しくなる。
なんで、ここまで元気に対応できるのか、そこに感動して胸が
あつくなる。
利用者さんは突然入院するかもしれない、亡くなるかもしれない。
だから、今日を元気に生きてもらうためにサポートをする。
利用者さんにとって、今日が、楽しいことをいつも考える。
明日も元気に!と思える今日になるように、瞬間瞬間に心を込める。
私はここのサービス、コミュニケーションの様子を見ていて
何か一緒にしたい、地域を元気にしたいと思うようになった。
全身全霊をひとりひとりの利用者に向け、その人たちの変化を見ながら
対話をしながら、楽しいひとときを演出し続けている。
介護してあげる。という上から目線がみじんもない。
何より、前向きに全力投球されている姿に心打たれた。
「この仕事、楽しいんですよ。やっぱり現場が好きなんです」
本当に楽しそうに、仕事をされている。それが利用者のみなさん
にも伝わるのだ。だから、リピーターが多く、人気がある。
脱サラしたのは、利益のために働くのが嫌だったとのこと。
結果はあとでついてくる。数字はあとでついてくる。
自分がやりたいことを仕事にする。
これは、本当に幸せなことだと思う。
改めて。私がやりたいことは?
仕事を楽しくしたい。そうなるように。
自分ができることで、周囲を元気に明るくしたい。
寒くなってきたが、ハートは熱く、今週もスタート!
非日常の存在を求める。
来週から高齢者施設でのコンサートが続く。
打ち合わせに、施設に顔を出す。
「みなさん、ほんとうに楽しみにされていますよ」
と前回の評判も含め、皆さんの期待度を肌に感じる。
「そんな大したことはできませんよ」
「いえいえ、マーサさんが来て、演奏してくださる
ということが、皆さんにとっての非日常なんですよ。
そのこと自体がとても刺激になり、とても大切なこと
なんですよ」
と施設の代表は語ってくれた。
彼と話をするなかで、こんな話題も出た。
子供のころは、何をしても珍しくて感動があって
毎日が長い。
でも年をとってくると、生活が毎日同じことの
くりかえしで何もなく終わってしまう。
日常だけしかないと、何もなくあっという間に終
わってしまう。
そんななかに、非日常の時間があると、人生に潤い
が出てくる。
自分から動き、何か新しいことができなくなる高齢。
意識しなければ、ほんとうに毎日同じことの繰り返しに
なってしまう。
人生の価値を考えたら、少しでも最後の最後まで
何か楽しいことがあれば、幸せだ。
施設で働く皆さんは、利用者にとっては、すでに日常の
存在となっており、たまにきて、何か楽しいことをして
くれる人は、非日常の存在。後者の存在も高齢者に寄り添う
には重要だと言われたら、自分ができることをと思ってしまう。
日々の暮らしは、日常のくりかえしだけではつまらない。
刺激があると、脳の活性化にもなる。
人生、非日常があるから楽しい。
そうか~。責任重大だ。
小さな非日常の存在であり続けることも、これからの
テーマになりそうだ。
人生の価値を高める、ひとときのきっかけのお役に立てたら。
皆さんとって非日常であり、そして私にとっても非日常。
ありがたい人生だと改めて思う。
ルードヴィッヒをいつも胸に。
師走だからといって、忘れてはいけない大切な日。
現地では、まだ当日のはず。
12月16日はかのベートーベンの生誕日だ。1770年ドイツのボンの実家
の屋根裏部屋で誕生した。
毎年このころになると、もうすぐだと思い出してカウントダウンしていたが
今年は気が付けば・・・であった。
ベートーベンのことは、この季節になると第九交響曲の演奏とともに
世界中で改めて賞賛されるが、全身全霊で世界精神を表現した芸術家
として時代を越えて尊敬され続け、これからもそれは変わらないだろう。
音楽の質だけではなく、その生き方にも学ぶことはたくさんある。
たとえば、人生の後半は聴覚に障害をもちながらも、作曲や演奏活動を
生涯続けたこと。この苦悩との孤独との闘いはどんなだっただろう。
強い精神力と生きること、表現することへの使命感。
ただ、ただ脱帽だ。
それに比べて、五体満足である自分は、聴覚も視覚も今のところ
健康である。そのことに慣れてしまっていると反省する。
聴けることに喜びを感じ、もっと聞かねばならない。
見えることに喜びを感じ、もっと見なければならない。
当たり前になっていることが多く、大切にしていないことも多いと
反省。
ベートーベンのことを思うと、自分なんかまだまだどころではないと
恥ずかしく、そして、また背中を押される。
そういう意味でも、生涯最も大切な先人のひとり。
改めて、ルードヴィッヒの生誕に感謝をささげたい。
写真は、若い日のベートーベンの肖像。私が小学生のころから
憧れをもったきっかけの1枚である。