毎日、かなり濃厚な長い1日を過ごしているのに、
なぜか時間が経つのが早いと感じられる。
毎日毎日違うプログラムで生きているせいなのか、新しい取り組みや
課題が日々めぐってくるからなのか。
いやいや、毎日が新鮮で楽しいからだろう。と思うことにする。
今月は、今週は、明日は、今日はと、毎日考えているから、あっという間に
1日が1週間が終わる。
また自分で計画することだと、時間の経過も、より早く感じられるはず。
やらされていることが多いと、なかなかそうは感じないかもしれない。
ともあれ、気が付けば、今年も半分終わってしまった。
少しだけこの前半を振り返る。
おかげさまで25周年の気持ちで昨年までとは違う気持ちで
スタートし、小さな歌詞集を周囲のみなさんに味わっていた
だいたり、在宅医療から刺激を受け、ひらめいた出前コンサート
のPRもぼちぼち実践に向かいつつある。違う形であっても年配の方への
演奏の機会について、お声をかけていただくことが増えてきた。
そして、おかげさまで日々の仕事も、本当に飽きることなく次々と
課題が得られ、頭もココロもおかげさまでフルネスだ。
(いっぱいいっぱいとは、言わないし、いい意味で満ち足りていると
言いたい)
でも、そこにとどまりたくないため、自分の世界を深め、広げたい。
具体的には、音楽の探求をさらに深め、もっと読書を勉強を・・・と
走りっぱなしの30代~40代とは違う自分も育っている。
内面を磨き、高めたいという欲求、探求心が沸き上がってきている
こと自体、成長のあかし?だといいが。
さあ、後半。
25周年の取り組みの山場をつくりたいと思っている。
このまま走っていってもいいけれど、気が付けば終わって
いたという1年にはしない。
今しかできないこと、今年だからこそできることがまだ
まだある。
まだアイデアも出し切っていないし、行動もまだまだ。
2023年は私にとっての大切なアニバーサリー。
50代のラストラン。そしてグランルーがさらに前に進む
ために、1日1日。自分ともう少し向かう時間をとりたい。
おかげさまで25周年の2023年の後半がはじまった。
感謝と笑顔で、自分らしく、楽しくいこう。
自分だけでなく、周囲が楽しく、幸せになるお手伝いを。
それが私にとっての幸せになるから。
人生は繰り返さない。前に進むしかない。
毎日が最終日の気持ちを忘れずに。
アニバーサリーの後半、はじまる。
肩書人生のラストラン!
今日で長年つとめてこられたお仕事から卒業される方がいる。
20年以上もお世話になってきた経営者である。
本当にあるきっかけから、おかげさまで公私ともに
長いおつきあいになっている。
昨年ぐらいから、肩書がなくなってからの生き方について
問われたり、セカンドライフについて意見交換も交わしてきた。
こういうときは、フリーランスで生きてきた私の意見も参考に
なるらしい。
私は長年、その方に
「社長だから、と思って尊敬しているのではなく、一人の人間として
尊敬し、応援し、心配しています。肩書がなくても変わらずに
おつきあいできたら、と思っています。」
と生意気にもそう言い続けてきたが、現役時代は、その言葉に耳を傾けてもらったかどうかわからないが、ようやくそのことが現実味をおびてきた。
これからの生き方について、いろいろと話す機会がありそうだ。
どんな仕事も結びがある。人はいつまでも同じではいられない。
地位や名誉があっても、潔く終わる、次にバトンを渡す。
このタイミングも重要だ。
引継ぎも断捨離も?無事終わった(であろう)今日、ご卒業される。
多くの社員やパートさんや、関係者が涙するだろう。
全国から、世界から声が届くだろう。
惜しまれての最終日になると思う。幸せだなと他人事ながら、
笑顔で想像する。
肩書人生のラストラン。
長年のご活躍、貢献に心から拍手と感謝を。
そして、これからの新たな関係に胸がおどる。
あと10年は元気に。
そのお手伝いができたらと思っている。
肩書時代を経て、ほんとうの意味で人と人の
付き合いが始まる。
そんな関係が、うれしい。
今日というラストラン。どんな気持ちで今朝を迎えておられるかな。
駆けつけることはできないが、
記念すべきご卒業日を心からの拍手でお送りしたい。
本当にお疲れ様でした。心からの感謝を込めて
聞いてくれる会社を応援しよう!
株主総会の季節である。
1日に何社も行かれる株主もおられるようだ。
ひと昔前は、お土産付きの総会も多く、その時は、お土産だけもらって
話を聞かずに帰ってしまうという、そんな人もいたが、最近は廃止されているところも多く、本当に会社の方針や業績についてしっかり聞きたいという熱心な方たちが来られる場になっている。
ましてや、コロナの経験から、オンラインでの参加も可能となり、遠方までわざわざ出向かなくても自宅などどこからでも参加できるという点で、会場に足を運ぶ人の数は減った。
お土産が出ないから減ったのではなく、行かなくても参加できる時代になったから、来場者が減ったのだとみている。
そんななか、暑い中、わざわざ足を運んでこられる方とは・・。
常連さんも多い。そして、必ず毎年質問をされる方も。
自分が感じたこと、意見を聞いてほしい。そう、企業の話を聞くというよりは
自分の意見を聞いてほしい、参加したいという株主が目に付く。
先日、関西の企業の総会でも、
「これを言いたくて、◌◌よりきました!」という株主も何名かいた。
その声に耳を傾け、誠実に答えてくれる。感謝であったり、謝罪であったり、
そして検討の意思であったり・・・。そのやりとりで株主の応援マインドや
投資意欲が変わることがある。お金を動かすのは人(心)である。
聞いてくれる会社、そして聞いたことを活かしてくれる会社。
そんな会社のことは、誰もが好きになり、応援したくなる。
一人一人の声を面倒くさがらずに 丁寧に対応する。
その姿勢が大変重要だ。
発言をしたあと、今日の仕事を終えたような達成感で着席されたり
帰っていかれる株主を見て、きっと帰宅後の食卓で、家族に話されたり
するんだろうな~と勝手に想像し、微笑む。
聞いてくれる人、聞いてくれる企業が好き。応援したい。
総会はそれがダイレクトにできる貴重な機会。
オンラインがさらに進化していっても、このリアルなコミュニケーションは
形は変われど、必要とされ続けるだろう。
すべてのステイクホルダーとの関係を大切にする、企業のたゆまない努力に
心から敬意とエールを送りたい。
感謝の伝え方。
出会いもあれば、別れもある。
はじまりがあれば、おしまいもある。
出会ったことだけでも、本当に感謝したい人。
そして、その人のおかげで、自分の人生が大きく変わった‥。
支えてもらった、助けていただいた・・・。
と恩人、恩師には、とくに心から感謝を伝えたい。
毎日、いろんな場面で「ありがとう」を交換しているが、
自分の存在を見守り続けてくださっている方には、
その気持ちをどう伝えたらいいのだろう。
日本には、お中元やお歳暮といった
季節のご挨拶の習慣もあるが、それに限らず、
それぞれの節目で、きちんと感謝を伝えていくことを
忘れずにいたい。
大切なのは、お互いが元気なうちに・・・である。
すでに、十分お礼も言えずにお別れとなってしまった
方もいる。そのことには悔いがある。
だから、できるうちに、思い立ったら
会いに行って、顔を見て、お礼を言うのが一番。
そして、改めて思うのは、本当に感謝したいときは
多くの言葉はいらないということ。
ただ、ただ、
「ありがとうございます」の一言だけ。
究極のコミュニケーションは、
真心を伝えるということ。
素直に伝えるということ。
それでわかる人にはわかるはず。
出会いあれば別れあり。
そして、また再会もある。
元気であれば、また会える。
節目節目に感謝しながら、
そして、自分を支えてきてくれた方に感謝したい。
「ありがとう」を心から伝える日。
「ごめんね」より「ありがとう」で。
さまざまな情報が飛び交うなか、人生のしまい方について考えさせられる
今日この頃。ああ、こんな終わり方はしたくないな・・・と残念ながら
思える事例が多い。まあ、こんな情報は見なくてもいいが、と思うが
眼を開ければ入ってくる。
これが現実、現代社会。それを知ることはある意味、大切なこと。
どんな命も生まれて、生きて、そして終わる。終わり方はさまざまだ。
生まれ方よりも、終わり方の方が多様であるかもしれない。
人生によっては、その終わり方が無残であったり、無念であったり・・。
戦争も、個別の事件、事故も同じ。
人の命が、自然ではない形で失われる、人生がある日、人の関わりに
よって閉じられる。
このことは、本当に残念で、悲しいことだ。
できれば、その経験はしないで済むならばと願いたい。
戦争しないで、言葉でコミュニケーションで解決できるならば、
それが最もいいに決まっているが、現実は暴力が言葉を越えることがある。
一方、生きている間にいろんな苦労があっても、最後まで生き抜いて人生を
終えられることは幸せだ。だんだん老いていくことは自然で、最後は終わる。
できる限り人に迷惑をかけず、自然にきれいに‥終わりたいが、そんなことは
夢だろうか。でもそれを目指したい。
そして、
自分が人生を終えるときに「ごめんね」と言わなければならない結末は
避けたい。また言われるのもできたら、避けたい。
できたら、お互いが「ありがとう」で終わりたい。
「ごめん」の話は、できる限り元気なうちに、早めにしておきたい。
そして、後になっても悔やむことのない思い出をかみしめたい。
そのためには、地道でいい、着実でいいから、自分ができること、気にかかること
を心を込めて、毎日コツコツやるのみ。生きるのみ。
人生は、本当にコツコツに限る。
そして、あやまるべきことがあれば、後回しにせず、早めに解決し、
心平らに、すっきり毎日をいきたい。
最後は「ありがとう」を心を込めて、伝えあう。
そう人生を終えたい。
あまりに悲しい事件が多いなか、そんなことを強く思う朝。
さあ、今日も「ありがとう」を重ねよう。たとえ、今日が最後であってもいいように。
哀悼のコロッケとスコッチエッグ・・・
わが人生を振り返ると・・
ふるさと岐阜18年、京都12年、東京23年、そして名古屋6年。これで年齢とも
計算が合うはずであるが、そこに住んだ年数はこのとおり。
ということは、わが人生、東京で暮らした時間が一番長いことになる。
長さでいけば、私のふるさとは、東京の神楽坂ということになる。
名古屋へ引っ越したことを後悔する日はないが、それでも神楽坂は本当に懐かしい。
初めて自分で選んで一人暮らしを始めた京都と同じく、転勤とはいえ、
神楽坂住まいも自分で選ぶことができた。ラッキーな時代であった。
ということで、
順番と時間の長さは別として、京都も神楽坂も、自分にとっては第2の故郷。
その神楽坂でお世話になっていた方たち・・。
その中で、ずっと気になっていた方のひとり。
神楽坂では3回ほど引っ越したが、最後の住まいでお世話になった家主さん。
当時お聞きするところによると、
若い時に新潟から家族で東京に出てこられて、
とにかく働いて、都会での地盤づくりをされてきたとのこと。
ほんとうに働き者でいらっしゃった様子はその表情からもよくわかった。
そして、新潟出身とはまたご縁があるな~と驚き、新潟出張で仕入れた
いろんなものをお持ちすると喜んでおられた様子を思い出す。
また、お花も好きで、
コンサートでいただいた花もお裾分けすると、これまたお喜びで・・。
どうも最近見かけないな・・・と気になっていたのが引っ越す前あたりから。
とにかく元気で、神楽坂でよくみかけていたのであるが、見かけなくなった。
それから数年。コロナもあり、さすがにどうされたかと・・・。
先週、神楽坂を通った際に、その方のご家族が経営されているお肉屋さんに
立ち寄って、久しぶりにコロッケとスコッチエッグを購入する。
住んでいた頃は大好きだった、総菜のひとつだ。行列ができるときもある人気店。
「お久しぶりです。お元気ですか?おばあさん、どうされています?」
顔見知りであったお店の方に聞いてみる。
すると、残念な答えが返ってきてしまった・・・。
2年前に亡くなっていたとのこと。なんと自分の母親と同じ頃だ・・・。
そうなんだ。元気な頃のことを思い出すと、信じられないのと
残念なのと・・やはり、自分の親と重なった・・。
それを聞いたら、受け取ったコロッケが入った袋がずしっと重く感じられた。
その方を思い出しながら、戻ってから神楽坂のコロッケとスコッチエッグを
いただいた。数年ぶりに味わうこの味。
皆さんが上京して、ご家族ではじめた商売。そのひとつがこのコロッケか。
と思うと、なんだか胸がいっぱいになってきて、味がわからなくなって
しまった。
神楽坂での思い出は山ほどあるが、とくにこのオーナーさんの存在は
強烈で、忘れることはない。
どんなに元気な人であっても、いつか「思い出」になってしまう。
人の世の常か・・・。さみしいけれど。
これからは、コロッケやスコッチエッグをいただくことで、
思い出させていただくとしよう。
また近いうちに寄りたくなりそうだ。
そして、いただくたびに、あの元気な姿が自分の親と重なって
浮かぶことだろう。
2021年に旅立った人たち・・・。なんとも言えないご縁・・。
働き者のあっぱれな人生に、心から敬意を表し、そして
ご冥福をお祈りする。
歌い継がれ、そして未来へ・・・。
梅雨の晴れ間。朝から気温も上昇。ふるさとのJAからお声がけいただき
地域交流の新拠点、ふれあいプラザのオープニングイベントに出演。
ここで暮らす住民の皆さんと、歌の交流をさせていただく貴重な機会を
得た。
晴れ間は、まさにハレの日。田んぼや周囲の山の緑が、目に優しい。
オープニングにふさわしく、開かれた場所でということで、今回のコン
サートは雨でなければ、屋外でという設定。
私は建物の入り口に立って演奏、合唱される皆さんは私の前に。
そして客席は駐車場。テントを張ったり、椅子が並んだり・・・。
周囲は田んぼや小学校だから、大きな声を出しても大丈夫、むしろ
集客には効果的ということで、コロナ予防にも一石二鳥。
おかげさまで多くの方に集まっていただいた。
まずは、地元のご婦人たちと、当JA女性部のイメージソングを合唱。
実は私が10年前に作らせていただいた「みのり愛」という曲だ。
作ってから時を経ても、地域で歌い継がれていることに感動しながら、
一緒に歌う。
みなさん、一生懸命笑顔で、元気にハモってくださり、その歌声は田に、
空に響いた。
人前で歌うというちょっとしたハレの日は、新たな出会いと交流を生む。
さらに、地元小学校の皆さんに登場いただき、校歌を一緒に歌う。
初対面でのぶっつけ本番。土曜の休みにもかかわらず、児童の皆さんが
親御さんたちとやってきてくれた。
写真には出せないが、子供たちが元気に歌う姿を親御さんたちが一斉に
撮影しておられた光景は、まさに現代流であると実感。
きっと出演者たちの昨夜の食卓では、この話題も出たことだろう。
地元の皆さんとの合唱後は、私のミニコンサートの時間。
季節や地元にちなんだ、そして三世代で楽しんでいただける曲を
選曲、多くの手拍子もいただき、ともに歌って、弾いて、汗をかいて
笑った。
ここに掲載した写真を撮ってくださったカメラマンのTさんにも
汗をかきながらフル稼働いただいた。
時代を経て、交流のカタチは変化するが、人がいればなくなることはない。
そして、残り続けるには、変化も必要。
今回三世代の地域交流の場に、しばし同席させていただき、
地域コミュニケーションについて、つくづく考えさせられるとともに
音楽の力が、その交流に役立つことも改めて実感。
10年前に作った曲が、これからも歌い継がれたら、うれしい限り。
人は変わっても、歌い継がれることで、作品とともに「思い」は残る。
その時代に生きた人々の心は、生き続ける。
そんな仕事、活動をもっとしたい、しなければ・・・と改めて。
素敵な交流時間。
空の上から両親も喜びながら、笑顔で拍手を送ってくれていたことだろう。
そこに人がいる限り、ふれあいは続く。
蕎麦パワーで乗り切る!
ここんところ、連日動き回っている。
東京で2万歩以上歩いた翌日は、京都で14000歩ほど。
てくてく歩き、調べ、話し、打ち合わせをして・・・・。
疲れたあとに、なぜか蕎麦が食べたくなり、いただいた。
連日同じパターンとなった。
そう、ちょっと仕事で疲れたら蕎麦を食べる無意識の習慣。
会社員のときは、オフィス近所の立ち食いソバにお世話に
なっていたことも懐かしい。やけにカウンターが私には高く感じた
あの時代。あのときから蕎麦で力をもらっていたのだ。
東京で蕎麦、京都で蕎麦、新潟で蕎麦・・・。
それぞれ違う麺、出汁、同じ蕎麦でも地域で味わい方が異なり、
面白い。そしていずれもおいしい。
なぜ、疲れがとれるのか不思議であるが、なるほど、栄養たっぷり。
ポりフェノールやビタミンB1も豊富。だから、元気になれるのも
納得。
昔も今も、私には蕎麦が心身の元気フード?燃料補給にはこれ一杯?
ちょっとオジサン的かもしれないが、大人になればなるほど
この力を実感。
さあ、少し休んだあとは、また走り出す。
今日は早朝から、岐阜校外でミニコンサート。
地元の皆さんが待っていてくださる。
楽しく、笑顔あふれるひとときにしたい。
今日は終わったあとは、蕎麦ではなく、モーニングか?
蕎麦で力を振り絞る。
笑顔で、元気に演じるのみ。
さあ、あなたのそばへまいります!
久しぶりの大規模展示会で
コロナ禍、もっとも影響を受けた産業のひとつが展示会ビジネスかも
しれない。もちろんオンライン展示会という新しい手法も生まれたが、
やっぱりリアルには叶わない?
と、感じた久しぶりの都内での大規模展示会。
特に海外ではそうであるが展示会はビジネスのおまつり的な要素もある。
賑わい感があって、来場者もそのムードのなかで、情報収集を行い、
いい出会いを求める。
そのために、活気ある営業活動が繰り広げられる。
コロナ禍で3年間、封じ込められていた、この賑わいが国内でも戻ってきた。
今回、足を運んだのは、製造業~モノづくり~系の展示会であるが
この業界らしく、相変わらず男性の出展者、来場者が多い。
もちろん今もそう呼ぶのか?コンパニオン的な業務をしている女性は
いる。おまつりに華やかさは不可欠のようだ。
今回感じたのは、プレゼンする人の熱気だ。
オンラインではなかなか熱気は感じづらい。リアルの凄い点はここだ。
そして、話せないとダメだということも感じた。
プレゼン力がないとなかなか伝わらない。
今回、自分なりの課題が会って会場を回っていたが、改めて、成長する
会社の要因としてプレゼン力は必須であると直感。
と同時に、久しぶりの盛況ぶりで、会場をぐるぐる歩きながら、
その様子に酔った。熱気のせいかもしれない。
祭りの喧騒はそういうところがあるが、展示会も似ている。
いろんな思惑、情熱が行き来する、交雑する、そのなんともいえない
空気に負けそうになる。
きっと、久しぶりに展示会場に足を運んだ人の中には、同じことを
感じたかもしれない。
さて、大規模な展示会。リサーチには有効。大きい仕掛けをするには
適している。中小企業はこの大規模展示会をどう生かすか。
まずはリサーチ。そして、自らはどこでどう出展するか?生かすか。
そこは規模優位ではなく、確実にターゲットに出会え、選ばれやすい
場を選定するのが良い。
ところで、海外からの来場者が少ないように感じたのはなんだろう。
モノづくりのワザこそ、日本が誇るべき強みだと思ってきたが?
いずれにせよ、活気を取り戻したことはいいことだ。
瞬間でなく、この元気がずっと続くように・・・。
そして、展示会は出展後こそが、営業本番。
と、昨日名刺を渡した企業から早速何かが来るのではと
想像している。
アウフヘーベンを思い出そう!
学生時代に好きだった言葉のひとつ。
アウフヘーベン。ドイツ語でaufheben。「止揚」と日本語では書くが、あまり使わない言葉だ。
19世紀に活躍した哲学家ヘーゲルが弁証法哲学のなかで用いた言葉。
なぜか学生時代からその響きも含め印象に残り、今も、上を向きたいときに、
口に出す言葉。
物事を見るときこれは正しい、これは違うと対立させて終わりではなく、
「正・反・合」という流れで、正しいことも、そうでないこともしっかり見据えながら、合わせていく。これをやり続けることにより、より人間はより高い精神性をもつことができる。と勝手に解釈させていただいているが、この考え方は自分の目線を引き上げたいときに大変役に立つと思い続けている。
とにかく世界を俯瞰してみる、そして偏らずに世の中を見て、正しく判断する。もしくは
具体的ないろんな事象を見続け、それらをまとめて全体的な視野で物事を見る目を養うこと。
それが発展、前進への道だと理解している。
とかく小さいこと、具体的すぎることに人間の関心は流れやすい。でも、そこにいては
考える力が養われない。
今の世の中の情報の流れを見ていると、本当にどうでもいいことに目を奪われやすい。
その次元にとどまらず、目線をあげて世の中を見るようにしたい。
どうすればいい方向に向かうのか?考えるようにしたい。
上に向かって、高みを目指して生きる。
それは、理想に向かってという意味である。
ちなみに、私のなかのアウフヘーベンは三拍子。ワルツである。
正・反・合。1,2.3。精神が高まる三拍子。とても心地よい。
生涯、アウフヘーベンを忘れず、今日も上昇志向でいこう!