ある番組で、ダウン症の若者たちがお笑い(漫才・落語)に挑戦している姿を
見ていたら、涙があふれてきた。
にこにこ笑って、大きな声で、はきはきと・・。障がいのある自らをさらけ出し
一生懸命話している。ありのままの自分を周囲に伝えたいという思いがそのまま
出ていて、これまで接してきた仲間たちのことをふと思い出した。
みんな、自分らしくやっているかな・・・。
ひとりの人間。様々な境遇のもと、生まれ育って生きている。
心身での不調、障害もそれぞれあるが、それを自分の特徴として、生きて
いこうとしている人達は、本当に素晴らしい。
最近、とくに思うことは、自分らしく生きる。そしてどこまでも自由な発想で
生きることの大切さ。
これこそが、生きる真の意味。そう思っている。
やらされている、のではなく自分からやる。とことんやる!だからこそ、
努力もするし、成長にもつながる。
生かされている小さな命であるけれど、どうせ生きるならば、自由に
のびのびと人生を謳歌したいもの。
と、こんなことを書いていられる自分は無名だからこそ、言えるのかも
しれない。
有名になってしまえば、いつでもどこでも見られている。そして
このSNS時代、何でも書かれる、言われる・・・。
恐ろしい時代だ。
著名な選手がプライベートの幸せを求めることができない・・そんな
話題もあるようで、気の毒であるが、著名でありながらも自由に生きる。
ということはなかなかむつかしい世の中なのだろうか。
応援する方も寛容であればいいのに。と思うが、やはりなんでもネタに
したいメディアが介入し、そこにSNSが加わると、自由は侵されて
しまうのだ・・という悲劇。
と、少し話題がずれたが、有名ではない自分。
無名がいい。人の目を気にして生きることはしんどい。
知る人が知っていれば十分幸せ。
それよりも、関わる人にいい影響を与えられるように、毎日それを
やっていればいい。その積み重ねだけで十分だ。
最初に書いた、ダウン症の若者の落語、一度聴きに行きたいし、
私は音楽やコミュニケーションの力で、人々が元気に自分らしく
生きられるそんなお手伝いをしたい。
人の目を気にせず、自由な心で、自分らしく生きる。
それが一番の幸せだ。
さあ、今日はワルツの気分で楽しく・・レコーディングで録った音が
今も頭のなかで鳴り響き続けている。
自由な心で、自分らしくが一番。
鳥肌立つ音を作る神業エンジニアとの出会い
今週のレコーディングは50代の仕上げにふさわしい、本当にありがたい時間になった。
自分にはこんな才能があるのか?と勘違いさせてくれる瞬間は、その後の生きる力になる。
自信を持つ。というよりも、自らを信じるきっかけになる。
今回お世話になったスタジオ。
すでにこのブログでも触れているが、世界的にも評価の高い、ユニークで素晴らしい空間である。空間と機材。そしてそれを操る人。
今回お世話になったレコーディングエンジニア池田さんはこの写真のお方。
そして、下の写真は今回の音作りに使用いただいたミキシングコンソール。
なんとまあ、ビートルズのプロデューサーであるジョン・マーチン氏が使用されていた
ものを譲り受けたという伝説の名器である。世界にも4台しかないという希少なマシン。
世界的に著名な音楽家たちがレコーディングしたこのコンソールで、私ごときの音作りも
していただいたのだ。
そして、マイクもドイツのテレフンケン社の超高級マイク。黒人のジャズシンガーなど、表情豊かに歌うシンガーの録音に適しているものだそうで、過去の私のCDを聴いて、池田さんが、私の声ならこれを!とご自身の個人所有のこの特別なマイクを今回ご用意いただいたとの話に胸がいっぱいになった。
これだけでも本当にすごいこと!自分の実力からすれば、もったいない環境でのレコーディングである。
今回は4枚目のアルバム、配信ライブを含め、のべ30曲ほどを演奏、録音していったが、時折、池田さんが
「今の、鳥肌立ちました!」
と言ってくださる瞬間があり、この一言は私のやる気に火をつけた。
鳥肌が立つ音!アーチストとしては、狙いたい。でもそんなにしょっちゅう出る音ではない。
でも、この空間、この環境、そして自分の状態と集中力から、感動の瞬間が生まれる。
レコーディングからまる1日経過した、今朝。
たまたま坂本龍一さんのインタビュー番組を見た。
この機会というのもなんとも絶妙なタイミングである。
彼もこのスタジオを訪れたことがあったとのこと。
同じ場所で、鳥肌がたつ瞬間を体験されただろうか。
感動は、計算された計画の上に生まれるのではない。
精一杯生きた結晶として生まれてくるのだ。
と、そんなことを学んだ今回のレコーディング。
私の声や演奏を最高の音にしようと工夫いただいた神業エンジニアとの
出会いに、心から感謝。
と、まだまだ余韻がつづく・・・。
芸森スタジオについてはこちら
Geimori Studio and Cloud Lodge (geimori-st.com)
とことん挑戦!札幌初ライブ?
ライブの配信。コロナ前はあまり聞いたことがなかった。
観客を呼べないため、スタジオで無観客ライブを行い、それをネットで公開
する配信というスタイルは、コロナがくれた贈り物かもしれない。
その場で楽しんでいただくことはできないが、いつでもどこからでも好きなときに
それぞれに視聴いただく配信ライブ。拍手が聞けない、相手に合わせて会話できないのは残念ではあるが・・・。
レコーディングの翌日、今回はせっかくなので
それもやってみようと新たな挑戦。
その撮影、録音時の様子を撮影してもらったものがこの写真。
ひとつはミキサー室から見た様子。ひとつは撮影時の演奏風景の様子。
いかにもという感じ。演奏している時はわからなかったが、写真を見て
こんな本格的になっていたのだと驚く。
前日の夜に初打ち合わせ。
「好きな色はなんですか?どう見せたいですか?」
等とスタッフからいろいろ質問された結果、こんな照明になった。
お客さんがいないライブは、正直やりづらい。とくにMCが難しい。
が多くの番組収録はそういうものだ。
久しぶりにラジオ番組の収録の時のことを思い出した。
本当は相手がいた方がいいのだけれど、どこでもいつでも楽しんで
もらうには、このスタイルが適している。
ということで、配信ライブは年内に公開できるよう準備。
レコーディングとライブはちょっと違う。
ライブは、生配信ではないが、基本撮り直しはしないことにした。
一度きりのライブでは、もう一度演奏し直すことはしないからだ。
ということで、どう仕上がるか?初の札幌でのライブということになる。
この3日間、目まぐるしかったが、大変貴重な経験をさせていただき、
また自分と向き合うことができた。
表現者であり続けること。
改めて自分に言い聞かせる。
それにしても、素敵なスタジオ、こんな風にも変化する。
素晴らしいスタジオでの3日間の経験は、名実ともに人生のいい
記念にもなった。アウトプットもがんばるとしよう。
初の配信ライブ、どうぞお楽しみにお待ちください。
詳細は後日アナウンスいたします!
至福のレコーディング
無事予定どおりレコーディング2日目を終えた。
結果的に収録曲は22曲にもなった。
メドレー・組曲もあったため、気が付けば予定の数を超えていた。
連日12時間、レコーディングエンジニアと相談しながら、演奏した曲を1曲ごとに聴き、
必要に応じてテイク2,テイク3・・。今回はほとんどがテイク2でなんとか
納まったが、自分の力不足でうまくいかない曲はさらに回数も増えたり、あとは少し修正
を加えながら、整えていく。緊張すると余計間違えるので、精神の安定、リラックスは欠かせないが・・・。
最近では、パソコンを駆使して、一部のパーツを生成し(まさに?)それを自分の演奏と
ミックスさせるような手法もあるようであるが、自分の場合は、基本的に自力の演奏で
仕上げたい。それがマーサ流レコーディングスタイルだ。
今回は、オリジナル曲に加え、よくライブで演奏し、ご好評をいただいているカバー曲も初収録。そしていつか録らなければと思っていた、アルゼンチンタンゴにもトライした。
そんなこんなで、気づけば22曲・・・。
今回はマイクも前回の収録から変わった、私の声質を活かし、さらにその特徴が出るものを
用意いただいた。なんでも黒人の歌手なども使う表情を良く引き出す、やさしい音を拾うそんな限定品。北海道ではここにしかなく、国内でも希少なものだそうだ。
エンジニアとは、アーチストの個性をどう生かし、最高の音作りをするかということも考えてくれる、大変大切な共創パートナーだ。
そんなマイクを通じて聴こえてくる自分の声は、自分が愛おしくなるような、そんな声だ。
声は自分から生まれる作品、アートである。自分の体から出る声は、まさに魂であり、自分の精神そのものだ。それをしっかりと感じることができ、自分を抱きしめたくなるようなそんな瞬間が何度もあった。またピアノもそうだ。憧れのスタインウェイの限定バージョン。
今回も、このピアノのあたたかくも重厚な音に助けてもらった。
素敵な空間、素晴らしい楽器、音響機材のおかげで、自分を存分に表現できる。
生きていて良かった。ここまで生きてきてよかった。とそんな気持ちにもなれるひと時。
まずは素材をそろえた。次は編集、そしてリリースに向けて、過程を進める。
最終日はライブ動画の撮影と録音。自主企画としては、初挑戦となる。
若いスタッフたちとともに、作品づくりをはじめる。
お客さんがいない空間でのライブ。まさに無観客〇〇はコロナ禍に生まれた新たな
スタイルである。
どうなることか?と思いつつも、最高の空間、スタッフだから絶対うまくいく。
と確信している。
ミューズがおりてきた!
7~8年ぶりだろうか。
札幌市郊外にある芸森スタジオ。
その名のとおり、「芸術の森」といわれる自然豊かな地域にある素敵な空間。
スタジオに足を踏み入れたとたん、世界が一遍。瞬間に音楽だけに向き合う時間に
なる。国内外の著名なアーチストたちも作曲活動や録音に訪れているという、知る人ぞ知るこの名スタジオ。あの坂本龍一さんも応援者のひとりである。
運よく出会いをいただいてから、録音はこのスタジオで行ってきた。
都内他で録音したことはないが、私の中では、レコーディングといえば、
ここしかない。
今回は4枚目のアルバムづくりと新たな配信についての準備。
コロナ禍でライブな演奏活動ができなくなったミュージシャンは、この3年間は創作をしながら、配信という方法で愛好家とつながるなど、これまでにない経験を重ねることになったが、今はその時間を活かしながら、通常の活動に戻っているとのこと。
私の場合は、コロナを越えてというタイミングもあるが、グラン・ルー25周年の記念事業として、そして50代の締めの活動として、そして親への感謝を込めてのレコーディングである。
このスタジオは空間自体が楽器である。このスペース、素晴らしい機材。そして優秀なエンジニア、あたたかいスタッフのおもてなし。すべてが自分がもてるクリエイティブを発揮する源泉になる。
そして、ミューズが降りてくるのだ。
音楽の女神が、私の声が良く出るように、指が動くように・・・。今日も見守ってくれるに違いない。
そして、その後ろで父母が微笑んでいる。
今日は二日目。
大自然に抱かれた贅沢な聖空間で、感動づくりの仕込みを楽しむとしよう。
やり切る!走り切る!
50代ゴールまで、あと3週間を切った・・。と思うと、とにかくその節目に
向かってただひたすら走れ!と自らの背中を押したくなる。
人生のラストスパートのように・・と言ったら大げさかもしれないが。
日々の生活に、さらに新たな挑戦を加え続けて走るため、
普段以上に忙しくなる、まさに全力疾走の毎日。
でも、すぐそこにゴールがあると思えば、人間、力が湧いてくるもの。
まだまだいける、もう少しできる。
そんな気持ちで入れた新たな予定。
人間その気になれば、たいがいのことはできるのだ。
と過信することに前向きになる。
ということで、今日から久しぶりの札幌行き。
これまで4回お世話になったレコーディングスタジオへ
約10年ぶりに向かう。
ちゃんと形になるか、いや、なる。そうなるようにする。
いつも通りの準備不足、練習不足ではあるが、
まあ、なんとかする。なんとかなる。
もし人生が50代で終わりになっても、悔いを残さないように。
そう、ただやり切るのみ!
集中と現場力で、絶対にこの最後のヤマを乗り越えよう。
自分との約束は、守らなくてはいけない。
新たな出会い、新たな自分。新たな時代に向かう前に、
しっかり足跡だけは残していこう。
いざ、空港へ。雪の大地が待っている。
おばあちゃんの「サステナ護美箱」
下の写真は何?一見すると、新聞折り込みに入ってくるカラーチラシ
の折った束。
実はこれを広げると、写真の下にある立体物に早変わり。
広告チラシを有効活用した、使い捨ての「ごみばこ」である。
なんと、これを90歳を越えたおばあさんがデイサービスに通う
傍ら、自宅で毎日せっせと作り続けているのだそうだ。
自宅で購読している新聞のチラシだけでは足りないため、施設にも
声をかけたりして、チラシを集めながら、せっせと折り続ける。
施設の人に聞くと、デイサービスの活動で、折り紙も一緒に行うが
この利用者さんは、この折り方を習ってからハマってしまわれたのか、
とにかくずっとおり続けておられる。しかも折り目がきちんときれい
に出るように、折ったものを布団の下に敷いて圧をかけて、仕上げて
おられるという念の入れよう。
そして、作り貯めたこのゴミ箱を、デイサービスにプレゼントされる
そうだ。300個まとめて、つい最近は500個まとめて寄付された。
このゴミ箱は、施設で毎日利用されている。チラシで作ってあるため
気軽に使い捨てでき、とても重宝である。
先日、コンサートに出かけたら、「マーサさんも良かったらどうぞ」
と一束プレゼントされた。
折り込みチラシで作ったゴミ箱。すごいなあ。ひとつ作るだけでも
すごいが、300個、500個とはびっくり。
「〇〇さん、すごいね~。ありがとうね。本当に助かるわ~」
施設のスタッフが皆、この利用者さんに感謝と感激を伝えることが
この方のさらなるやりがいにつながっているのだろう。
人に喜んでもらえることがあるということは、健康長寿にもつながる。
人の役に立つことは生きがいになる。
実際、私もいただいたこのゴミ箱を使ってみたが、ちょっとしたゴミ入れ
に、携帯用にもよさそうだし、すぐ捨てることができるという点でも
大変便利。出張にも持参してみようかな。
そして不要になったチラシを再利用されているので、環境にも
優しい。こんなサステナブルな護美箱、とっても素敵だ。
いくつになっても、どんなことでも、人に喜んでいただけることを
続ける。折り紙。心を結ぶ今も昔も変わらない、素朴であたたかい
コミュニケーションツールだ。
ダブルコンサートの余韻は消えず・・・
11月11日は、中国では「独身の日」と呼び、消費キャンペーンを大々的に行う
そうであるが、日本ではある有名なお菓子の日であるそうであり、さまざまである。1が続く日だからかどうかわからないが、この日、ひとりぐらしのお年寄りの集いが開催され、そこでのミニコンサートのご依頼をいただいた。
60名ほどの対象者と、関係者で70名以上の人が集い、演奏を聴いていただいた。初めてお会いする方がほとんどであったが、さすが皆さん、元気に一人暮らしをがんばっておられるので、会場への階段の昇降はご苦労されている方もおられたが、意識はしっかり、お元気である。こちらの話にも、ビンビン反応され、手拍子もあり、あっという間に時間は過ぎた。声が良く出ていたせいか、それに驚かれた方もおられ、お客さんのノリがいいと、こちらも調子が良くなるものだとうれしく思った。
引き続き、駆けつけたのは、年に何度か呼んでいただいている地元のデイサービス。
そう前日、「待ってるよ」コールをいただいた方が利用されている施設だ。
会場に着くと、もう待ちきれないといったぐあいに皆さん椅子に座ってこちらが
準備するところもずっと見ておられる。こちらの今回のタイトルは「ピンピン元気!マーサの秋ふれあいコンサート」である。
今回は秋といえば、旅。なかなか施設に通う身になると、旅も外出も難しいが、せめて心の旅を楽しんでいただこうという企画で、各地にまつわる曲を演奏しながら、トークをさせていただき、元気に手拍子をいただき、そして一緒に歌った。私もできる限り一人一人の顔を見ながら、語り掛けるように演奏をした。そして、。あっという間に50分が過ぎ、コンサートはお開きに。心からの大きな拍手をいただいた。
終わっても椅子から立たずに、余韻に浸っておられる方、「ありがとう、ありがとう」と言って下さる方、初めて聴いたと感動され、写真撮影を求めらたり、喜んでいただけることが、心からうれしいと思った次第。
1日を振り返る。初めてお会いした方、久しぶりにお会いした方・・・。多くの笑顔が思い出される。
「ありがとう、ありがとう」
この言葉と握手のぬくもりは、今朝も残っている。
皆さんが、今朝、私の演奏や姿かたちをくっきり覚えておられるかどうかは別として、昨日のあの感動時間は、永遠のもの。
人が喜ぶことをする、待ってもらえるように生きる。
高齢者の方は、人生の先輩であり、自分の将来のお手本である。
それぞれの人生を生きてこられたことに敬意を表し、感謝を込めて
これからもやり続ける。
私ができることは、元気を与え、笑顔を増やすこと。
「ありがとう、ありがとう」・・この余韻は今朝も消えない。
心の中で、父も母も、「ありがとう、ありがとうね」と笑っている。
「待ってるよ!」のラブコール
昨日夜、携帯が鳴る。
誰だろう?と思って出ると、実家のご近所さん。
母が生前もっとも親しくしていただいた96歳の方だ。
「遅い時間にごめんね~。明日、明日楽しみに待っとるで。
頼みますわ」
と元気な声がスマホの向こうから聞こえてくる。
96歳。自分で電話をかけて、しっかり話す。すごい人だ。
しっかり明日のことも覚えていて、電話せねばと思われたのだ。
そう、今日11月11日は岐阜の2会場でコンサートを行う。
ひとつめは一人暮らしをされている方のための集いの中での
演奏。60名ほど集まるとのこと。一人暮らしをされている方
の集いの場に伺うというのは、初めてだ。
そういう人も増えてくるのだろう・・・。
少しでも楽しいひとときを、一緒に過ごせたら・・・。
そして、もうひとつは、先に書いた電話の主が待っておられる
デイサービスでのコンサート。
11月11日だから、あるメーカーのお菓子の日ともいわれるが
1はピンとも言う。だから11はぴんぴん。元気な証拠。
ということで「ピンピン元気!マーサの秋のふれあいコンサート」
というタイトルになっている。
なんだか微笑ましい。
スタッフも利用者さんも待っていてくださるとのこと。
待ってくれる人がいること。なんと幸せだろうか。
ずっと誰かに待っててもらえる人になりたい。
そうすれば、期待に応えたいとがんばれるから。
「待ってるよ!」って、最強のラブコールだ。
素敵なピンピンサタデーになるように!いざ、出発!
青海川を愛した女将さんへの祈り
鉄道ファンには人気の駅だそうだ。青海川駅。
新潟県の柏崎市にある日本海に一番近い駅。その真上にある酒屋さん。
中越沖地震で被災して、まさに崖っぷちからの再出発。お店も再建し、名実ともに再出発。
そこからのご縁である。
お店からはこの写真のような景色が見える。
この眺めが毎日見られるだけで、最高のロケーション。
酒屋の女将さんは、毎朝、その日の風景を写真に撮ってSNSにアップされていた。
まあすごいなあと感心するが、確かにこんな素敵な景色を毎日見ることができたなら、
自然とみんなに教えたくなるのだろう。習慣になるのもうなづける。
今回は女将さんの代わりに、私が撮影してみた。
この真下を電車が走っていくのだ。なんとロマンチックなこと。
このお店の女将さんのことはすでに本ブログでも何度か触れてきたが、
残念なことに、昨年、旅立ってしまった。
母と娘はいつも一緒に行動されることが多いと感じていたため、
その後、娘さんのことがずっと気になっていたが、やっとやっと訪問できた。
ご自宅のご仏前にも手を合わせることができ、笑顔の写真に何度も話しかけた。
お店に行けば、元気な終わらないおしゃべりが聞こえてきそうで、
静かな店内は女将の存在感がまだそのまま、残っている。
もしかしたら、どこかに外出されているのかなと思うほど・・・。
この景色を見ながら、改めて女将さんと娘さんとの思い出をたどった。
これからもこの美しい日本海を見るたびに、海に映る太陽の光を見るたびに、
思い出すのだろう。
元気な人ほど、あっけない感じがする。
娘さんが新店長だ。これからは彼女のことを応援する。
もちろん女将さんも見守ってくださっているから、心配はしない。
秋の晴天の日本海。女将さんの笑顔が浮かんで見えた。