時々、20代のときに取材させていただいた花園大学の当時の学長盛永宗興さんの
言葉を思い出す。
「学生が、がんばってます、がんばってます。とよく言いますけど、東京向いて
行かないといけないのに、神戸の方向いて、がんばってます。いうんですわ。
あれは、間違ってますなあ。・・」もうお話しをお聞きして30年以上経とうと
しているのに、今だによく覚えている。笑いながらお話しになっていた様子も
くっきりと思い出す。
そう、よく人は「がんばらなくちゃ」とか「がんばろう!」と言って、自分や
周囲を鼓舞することがある。私自身もそうだ。
でも、単にがんばるでは意味がない。どっちを向いてがんばるのか、何を目指して
がんばるのか。があって、がんばる意味が、価値が出てくるのである。
やみくもにがんばっているだけでは、何の成果も結果も得られない。
と、この若き日にお聞きしたありがたい言葉を、なぜかふと思い出した。
私は、どっちに向かってがんばっているのだろう。果たして、この向きで良い
のだろうか?
この点検は、時々必要である。
自分が自分らしく、生ききるためには、無駄な回り道をしている時間も
もったいないのかもしれない。
若いときと、年を重ねてからでは残された時間も違うから、そのあたりも
よく考えなければ。
どっちを向いて走る?何を?何のためにがんばるのか?
問い直し、必要であれば方向転換をすればよい。
盛永先生は自分が出会い、直接会話させていただいたなかでもっとも
尊敬する僧侶のひとり。経営者の方もよく会いに来られていたのが
よくわかる。
いい顔をされていたな。やさしくも強い言葉であった・・。
どっちを向いてがんばってる?
時々、自らに問うてみよう。
どっちに向いて努力?
ウクライナに寄せる夏
週末に、こんな素敵な写真が届いた。
この厳しい暑さの日々に、元気を与えてくれるひまわり。
何があっても、前を向いて、空を向いて笑顔でいこう!とそんな思いになれる花。
ひまわり自体が、この暑さのなか、一生懸命咲いているではないか、育っているではないか。と暑さで負けそうになる私たちの背中を押してくれる、元気と癒しの素。
78年前の昨日、広島に原爆が投下された。じりじりと暑い朝、多くの人々が
国内外から広島に出向き、祈りをささげた。もちろん出向くことができなくても、それぞれの場所で手を合わせる人も。
広島出身の知人はこの時期になると、いつもメッセージを送ってくれる。
今、その人は広島に関する歴史資料を世界に伝えるため、自分が学んだスペイン語訳に挑戦しはじめているとのこと。この日がなかったら、この忌まわしい戦争がなかったら、その人の人生も変わっていたことだろう。
それ以外にも、広島の原爆のことを忘れてはいけないと伝え続け、そして核廃絶を訴える声は高まる。
それなのに、ウクライナの不幸は、まだ終わることなく、核の不安も・・・。
こんな日もひまわりは強く咲く。どうか暑さに負けず、弱い人間を強く、やさしく励ましてほしい。と思いながらこの写真をじっと見ている。
この週末には、このひまわり畑の横で開催される「ひまわりフェスタ」。
ひまわりの花を愛でながら、ウクライナへの思いを寄せ、そして戦争のない世の中を改めて祈りたい。
子どもの頃、映画「ひまわり」でその存在を知った、ウクライナに咲くあの広大で美しいひまわり畑は、どうなってしまっただろうか
こんなにきれいに咲く、岐阜のひまわりを見て、被害を受けている現地のことを想像している。
夏は楽しい夏休み。
それ以上に真剣に生きること、平和について考える時間にしなければと
この黄色い花を見ながら、そう思う。
このひまわりたちが、1日も長く咲き続けてくれるように願って・・・。
朝カツ、朝連はじめる。
駅前での朝カツ、朝練を始めた。といってもジョギングではなく、
カラオケに行っての歌の練習だ。
来週に迫ったお盆のコンサートでのリクエスト曲のリサーチと発声。
なかなかマンションでは大きな声は出せないし、選曲にもカラオケ
ルームは、なかなか有効な存在。久しぶりの利用だ。
今どきのカラオケ店は、モーニングサービスのごとく、朝の時間は
利用料金もお安く7時から利用できる。
コロナ禍に生まれた新サービスか?
そんなわけで朝早く、ひとりカラオケルームに籠る。
朝なのでカーテンを開けると、駅前の景色が広がり不思議な気分。
街を独り占めしているような大きな気持ちにもなってくる。
昔は、カラオケといえば夜のイメージであったのに、なんと健康的。
また朝は人も少なく、のびのび開放感もある。
コンサートのテーマに合わせ、知らない曲、馴染みの曲をチェックしながら
どれならいけそうかと声を出して、決めていく。
お題は「ひまわり」。なんとこの名が付く、曲がこんなにあるとは。
と、新たな発見。
あっという間に1時間が経つ。延長はしない。
これはいろんな意味で良い。
健康にも良く、新たな世界を知るきっかけにもなり、アイデアも沸く。
定期的に通うのも悪くない。
帰り際に、思わず、来週の朝練習の予約を入れる。
練習が終わって、外に出たら、なんだかすがすがしい気持ち。
朝練が終わった感覚で、新しいメロディも沸いてきて、
気分も爽快、頭もすっきり。
ちょっとだけジムに通うサービスも最近、話題になっているが、
私にとっては、この朝カラオケがそれに代わる存在かも?
夏こそ元気に、朝カツ、朝練習しよう!
ふるさとLOVEを心に描く
岐阜駅からバスに乗り、長良川の手前「長良橋」というバス停に降り、日傘をさして
暑い暑いといいながら、3分ほど。下の写真の街並みを歩きながらポストの前で止まる。
この格子戸をあけると、10月に開催するコンサートの会場、蔵カフェ&ギャラリーが
ある。
ふるさとで、こんなタイムトリップができるとは思わなかった。
このお屋敷の現在の主人は、創業100年以上続く、提灯屋さんだそう。
決めたら即!コンサートの告知準備のため、中で打ち合わせ。数日前まで、どうしようか
と思っていた迷いから一転、やるしかない!やるんだ!と思うのみ。
ふるさとの良さは、遠く離れていた時間があったからこそ、今になってわかることや、
自分が歩んできた道につながることや、さまざまな発見、感動があり、そして感謝に
たどり着く。
打ち合わせが終わり、会場の裏手から岐阜城を見上げてみる。
ああ、この眺めはいい!いつも上を見上げると、信長のことを思う。
どんな気持ちで、城から岐阜の町を、長良川をみつめていただろうかとふたたび
タイムトリップ。
そして、濃姫のことも最近は一緒に浮かんでくるようになった。
ここにいた、ここから出た。
時間がずっとつながっていることへの不思議と、時代を経ても変わらず静かに存在する
岐阜の町への思いが交差して、ふるさと愛が湧いてくる。
鵜飼のクライマックスシーズンに、岐阜城を仰ぎながら、信長へのあこがれ、
そしてザビエルへの思いを胸に出会う人たちに、そのLOVEを伝えられたら・・・。
そんなことを考えていたら、暑さは熱さに変わり、力が湧いてきた。
そうだ、コンサートには信長夫妻や芭蕉さんもご招待しようか。両親と一緒に・・。
10月12日開催のふるさとコンサートの予約受付はまもなく開始となります。
今しばらくお待ちください。
お問い合わせはhttps://www.mahsa.jp/contact/
移動とおしゃべりと夏休み。
出張で移動が多い日々であるが、この3年間のコロナ禍の状況が
あれはいったい何だったんだ?夢だったのか?と思えてくるほどに
今、新幹線も在来線も、地下鉄もバスも・・多くの旅客を運んでいる。
あの頃の新幹線のあの貸し切り状態・・・。これでは経営が危ないと思い
ながらも、ゆったり座らせてもらっていたあの頃・・・。
不謹慎ながら、ちょっとだけ、懐かしくもある。
静かな移動が贅沢であった・・・。
今は、様相がだいぶ変わってきている。車内も駅も混雑、混雑。
とくに京都駅はスーツケース組が多く、歩くときもぶつからないように
注意が必要。
まずインバウンドの利用。大きなスーツケースをもったグループの
来日観光客。まだ新幹線で大声で話す外国人の観光客は少ないが
新幹線の車内では昼間であれば車窓も楽しめるため、そちらに興味が
いくのだろう。
新幹線は比較的、静かな状況をまだ維持している。
しかし、国内のおばちゃんの観光目的のグループは、新幹線であれ、
在来線であれおしゃべりをする人が多い。
なぜ、その話題を、今ここで?と思えるが、周囲に聞こえることは
お構いなしに、話し続けている。
コロナ禍のときは、椅子を回転して向き合っての着席は禁止して
いたが、今はそれも自由となり、とにかく楽しくにぎやかな時間
をお過ごしである。
申し訳ないけれど、あまり賑やかな場合は、席を移動することに
している。
一方、最終に近い夜の新幹線は、また違う世界が見られる。
東京駅で乗車した時には駅弁を食べたり、ビールを飲んだりと
してから、眠る方が多い。トイレに立つとき座席を見ながら歩く
と、ほとんどの方がお疲れモードで寝ており、一部、動画を見て
いる方も・・・。静岡あたりは、おやすみタイムになっている方が
多く、車内は静か・・・。
最近は乗っていないが、飛行機の中も、比較的静かな空間。
そこで周囲を気にせずおしゃべりする人は少ない。
と、乗り物によって、利用層によって、時間によってにぎやか感は
違ってくる。
コロナ禍では、どの時間も、どの乗り物でも静かな空間であった。
みんな、それぞれ注意をしながら、気を遣っていた。
ある意味、とてもいいことであり、快適であった。
マスクは苦しかったけれど・・・。
さあ、コロナも落ち着いてといっても、今また感染が広がっているなかの
この夏休み。お盆休みも近づいて、わくわくモードは大変結構であるが、
公共の場で、はじけてしまうのはご用心。
そういう意味では、コロナの3年は公共空間での過ごし方について、
マナーについて、いろんなことを教えてくれていた。
お互いを考えて、予防する、配慮する行動。
この夏はいろんなことが解放されることにより、心配な状況も予想される。
楽しむのは大いに結構。
でも、周囲への気遣いは忘れずに。
元気なおばちゃんたちの大きな会話を耳にしながら、
4年ぶりの・・日常が戻ってきたことに不安も感じつつ。
まあ、日本は本当に平和ボケかも。
そんなことも、8月になると思えてしまう。
暑さを感じられるうちに。
暑いから、外出控えよう。暑いから、〇〇やめておこう。
と、危険危険といわれると、つい、行動をおさえてしまう今日この頃。
7月に入ってからの毎日の歩数が少し減少気味だ。
無理して歩かないようにしているから。
暑いのは、本当に厳しいけれど、それを感じることができるのは、
生きている証拠。と、この厳しさをポジティブに受けとめることにする。
介護の仕事をしている人に聞くと、お年寄りになると、暑さを感じなく
なるそうで、だから二人暮らしのお年寄りがお部屋で悲しい結末になる
こともありえる・・。エアコンが付いていても、切れていても、暑さを
感じないことが、原因だという。
感じない。これは、本当に大変なことだ。
コロナに感染した方からも、味覚・嗅覚がなくなったときは本当に
困ったとお聞きした。感じない。これは生きている楽しみが半減するのだ。
だから、ちょっと厳しいけれど、今のこの暑さを感じながら、
そして、生きている今のうちに、気になったことはやり進めよう。
暑さを感じられることは、つらいけど、幸せ。
人生って、結局はそんなものだろう。
現実を受け留め、そしてポジティブに前向きに、元気に!
と、あつあつの京都へ今日も向かうとしよう。
感じる幸せ、かみしめて。・・・ちょっと強がりかな?
記念コンサートは父のお気に入りの名所で。
迷っていたが、決断した。
早く決めなくてはと考え続けていた25周年の記念コンサート。
開催地も含め、考えがまとまらないまま、8月に突入。
自分のことは自分がせねば、何も進まない。
8月1日には決断すると決めていたので、そのようにした。
ということで、グラン・ルー25周年記念企画、ふるさとコンサートは
10月12日(木)に開催することに決定。
父の誕生月でもあり、旅立った月でもあり、10月。
しかもふるさと岐阜にゆかりのある場所。
春に東京から岐阜に来られた親しい方を岐阜の観光地として写真の
「河原町」にご案内したら、大変ここを気に入ってくださり。また
ある方からは、「ここでコンサートやってみたら?」とご提案もいただき
・・・。この河原町は、長良川の鵜飼いの船が出る拠点でもあり、温泉
旅館もあって、ちょっといい感じの観光地・・。みずうちわの職人さん
も、ルイスフロイスゆかりのお菓子やさんも・・・。
そして、なんといっても父が「ここが一番ええところや」と自慢して
いたのが、この河原町。
ということで、この秋に、父も大好きだったこの町でコンサートを開催
しようと決断した。
詳細は8月10日には決定し、予約受付も開始する。
この河原町にある素敵な蔵カフェで行う予定。
まあ、私なりの親の三回忌イベントである。
信長と鵜飼いをテーマにしながら、独自の企画でやろう!
迷っているなら、やる!
決めたらすっきりしてきた。さあ、暑さに負けず、前に進むとしよう。
脱〇〇を、今こそ。
最近、世界で活躍する学者の話を耳にすると釘付けになってしまう。
(もちろん通訳付きであるが)
とくに、NHKで時々特集される「欲望の資本主義」。このタイトルからして、とても共感しているし、そこに登場する学者たちのコメントが本当に的を得ていると感じている。
ジャック アタリ、エマニュアル ドット、ジョセフ ステイグリッツ、ダニー ドーリング、マリアナ マッツカート、フィリップ マギヨン、、、。などなど、インタビューに出る顔ぶれが変わるたびに思わずメモをとる。まだまだ自分がいかに不勉強であるかを知るとともに、共感できる発想をしている人たちが、この世に存在していることに喜びを感じる。
ジャックアタリや、エマニュアル ドットはすでに過去に何度も名を聞き、著作にも
触れたことがあるが、経済学者としてだけでなく思想家としても、
本当に素晴らしいと感心する。
またジョセフ ステイグリッツはノーベル賞受賞の経済学者。さすがスケールが違うし、
話し方、その表情になぜか人間味があって好感をもっている。
(さすがに、学説と表情は関係ないが)
他の方々も、経済学、地理学とそれぞれの専門分野から今の世界を俯瞰し、
未来の目線から見て提言されており、いずれもシャープでクリア。
知的な人々は好感がもてる。こういう世界に身を置きたいと思う。
まだまだ不勉強な自分はもっと世界を知らねばと刺激をもらい、著作もチェック。
彼らが共通して言っていることは、もうアメリカ主導の時代ではない。ということ。
また経済をもう一度、原点から見直し、今こそ、根本的に考え直さねばならない
ということ。
20世紀後半、モノからコト、コトからトキを求めてきた消費者、
それに応えてきた企業、突き進んだ結果が、現在のモノ不足・・という皮肉な結果。
もともとは生活必需品を供給し、需要にこたえてきたはずが、いつの間にか無駄な
ぜいたく品やコトに目が奪われ、気が付いたら生活に必要なものが高くて買えない・・・
なんという結末?
また数字を挙げることだけに専念してきたこの100年。
それが豊かさだと勘違いしてきたが蓋を開けたら、格差、分断・・・。
豊かになった人はほんの一握り。
それどころか、心の豊かさも奪われて・・・。
最近の車の修理サービスの会社の一件も、
数字のみを追いかけてきた結末だったのでは?
何のためにつくるのか?何のためにがんばるのか?誰のための仕事?会社?
それが見えなくなってきている今の世の中・・・。
上記の学者たちから、今、GDPはもう不要である。
という提言があり、共感する。
そんな数字での勝ち負けよりも、世界一であろうがなんであろうが、
そんなことよりもブータンのように、
幸福な暮らしを希求する方が価値がある。
また相対的な競争は意味がない。絶対的存在を目指すべき。
このことは、自分も20代からずっと思い、自分の生きざまではそれを、
貫きたいと思ってきた。
今、脱〇〇を考えていく必要があると思う。
脱GDP、脱グローバルスタンダード、脱20世紀型のマーケティング、
脱日本型のおじさん社会、脱旧式政治、脱スピード主義、脱・・・・。
いろいろある。
人のことを言っているだけでなく、自分自身も脱○○をしなければならない。
暑い夏。なぜこんなに暑くなってしまったのか。と反省しながら、脱〇〇を考えよう。
せっかくSDGsを全世界で取り組もうとしていても、この欲望の資本主義が
蔓延している以上、地球は良くならない。
だから、こんなに暑いのだ。
今日から8月。今年が最高に暑い。と信じて、なんとか元気に生き抜きたい。
そして、脱〇〇。何からいこうか。
今年の夏の宿題は?
子どもたちは夏休みに突入。
酷暑のなか、平日は家でおとなしく宿題をしたり、ゲームをしたり?
の日々であろうか?
共働きの家では、子供たちがしっかりお留守番をする。自立心を養う貴重な
期間でもあるようだ。微笑ましく頼もしい。くれぐれも熱中症には気を付けて
過ごしていただきたい。
わが子ども時代の夏を思い出す。夏休みの課題、自由研究なるものがあった。
今も同じだろうか。
低学年のときは、親と一緒に取り組んだ懐かしい思い出もある。大騒動の夏。
そして、成長とともにだんだん一人で取り組むようになって・・・。
全部は覚えていないが、印象に残る作品はなんといっても、
ベートーベンの本づくり。
小学高学年だったか、中学1年の時の作品だったか・・・。
県立図書館へ行く通った。やたら図書館の室内が涼しかったことと、図書館に
あったベートーベンの本を読み漁った?記憶がよみがえるこの季節。
この偉大なるお方のことを、よっぽど好きだったようだ。
さて、今年の夏の課題は?とあまりの暑さにそんなことも考えてみる。
夏休みではないが、外に出ることを控える時期であれば、室内
にいてできることを増やしたい。新たな自主テーマにも向かいたい。
そんななかで、浮かぶふたりの人物。
ひとりは、信長、そして今ふたたびベートーベン。
前者は、最近盛り上がった映画や先日の大河ドラマでの取り上げられ方や、
京都に通う生活のなかで、改めて気になる信長のことを、今改めて作品に
しておきたいと、自分なりの人物像をロマンチックに描きたいという
思いから。何年か前に信長の曲を毎朝書き続けた。その100曲からさらに
磨き上げたり、新たに知った部分から新曲を発想するのも良い。
最近は、京都に向いた信長に関心がある。
後者はさまざまな困難を乗り越えて生き抜いたベートーベンのことを、
今改めて学びたい。人生と作品について研究したいという思い。
障がいを乗り越えたその生きざま、そして作品・・・。生きることについて
教えてくれているベートーベンのことを、自分なりにカタチにしてみたい。
と、暑さのなか、岐阜の町を歩きながら 自分の幼き頃と、ふるさとの歴史を
重ね合わせながら、自分なりの課題が湧いてきた。
暑い夏は、自分なりの熱きテーマに没頭すると、暑さもやわらぐことだろう。
気が付けば秋になっていた。と思えるように、決めたテーマに取り組んでみる
のもよい。
リゾートもいいが、それだけが夏の過ごし方というわけでもない。
秋には実り、収穫ができるように。
しっかり夏に仕込んでおきたい。
ということで、大人の夏の宿題を楽しむとしよう。