先日、ひまわり畑の写真を送っていただき、その生育のご苦労もお聞きしながら
コンサートに向けてイメージロングを作り、演奏した。
おかげさまで大変ご好評をいただいた。
来年も使いたいとも言われている。
人と人の思いから、曲や歌詞が生まれる。
そんななか、とある新設の学校で校歌をAIで作るということがニュースになり
正直、とても複雑な気持ちになった。
キーワードを生徒や地域から集めて、その情報をAIに渡し、歌詞が生まれそれに合う曲をAIで作るそうだ。
それが話題。それがいい。それが令和の時代にふさわしいそうだ。
子どもたちが、自分の学校のことを思い浮かべて歌う曲がAIで作られた曲とは。
先生、ほんとうにそれでいいですか?
と言いたい。と思ってしまった。
お店で流すBGMなどであれば、まだしも・・・。
先日、岐阜のある町の小学校の校歌を子どもたちと一緒に演奏した。
その曲は、人間の作詞家、作曲家が作られたもの。だから、人として
感じることができる。
これがAIが作った曲ですから・・といわれたら・・・テンションが下がる。
共感がないのだ。
AIを使ったといえば最先端と思う。そのことが価値だと思う人もいるのも
理解できるが、
時と場合によると思う。そして、目的・・・。
子どもたちが、毎日歌い、育む歌は、人間がつくった方がいい。
何のためにそうするのか?
何のために校歌をつくるのか?そこからいろんな答えが見えてくるはず。
教育が間違った方向へ行く。
そんなことを思った今回の件。
AIで人が感動する。
ロボットに世話になって長生きする。
そんな世の中ならば、私は長生きしなくていい。
おかしい。おかしい。正直、そう思っている。
コミュニケーションを育み、人と人のふれあいから、人にしかできない
感動を作り続けたいと、強く思う。
AIで校歌を作る時代に。
今、ここで自分でできることは?
ハワイでの山火事。なんということか。人々が平和に暮らしていた
島があっという間に焼けてしまうなんて・・・。
ハワイが好きな人が多い日本人にとって、衝撃的なニュースだ。
今、世界では他でも山火事が増えているとのことで、カナダでも、カナリア
諸島、南米でも・・・。
消火しきれていないというから、本当に恐ろしい。
地球の温暖化も原因のひとつであろうが、山火事のせいで、さらに
CO2が増えて、ますます地球の温暖化が進んでしまうと聞き、
そんなに遠くない地球の終末を想像してしまうのは、私だけではないはず。
でも、今を生きる、そして未来に向かって生きる以上、なんとかしなければ
ならない。まだ自分が生きる間はまだしも、次代の人たちが生きられるように
しておかなくては・・・と彼らより先に生まれてきた者としての責任も感じる。
今、EUでは、EU圏内の航空機での移動を縮小する動きがあるようだ。
もちろん飛行機があれば、EU内であれば1~2時間で各国相互に行き来が
でき、日帰りもできるほど便利であるが、便が多ければ多いほど、CO2を
排出することになる。だから、近い距離なんだから飛行機ではなくできる限り電車で
移動しようという動き。
確かに、私も以前はフランクフルトとパリを電車で移動したことがあるが、3~4時間で
行けるため、わざわざ空港に行くより便利で、慣れてみると快適な移動であった。
また、電車の旅は車窓も楽しめる。
まさに今、EUでは、そっちの方向に進む動きがあると聞いて、納得する。
同じように自分が今、ここでできることを、改めて考えたい。
移動手段の選択は、上記にならい、なるべくCO2を出さない方法をとる。
歩くのが一番。これをまず貫く。(今は暑すぎて、無理はしない)
そして、無理して長生きしょうと思わないこと。
長生きするためだけに、医療や介護も含め、いろんな人に世話になり、費用もかかる。
生きるということは消費をして、ゴミも出すということになるから、
余計な消費をしないように心がける。
人生は長さではなく、中身が大事。
だから、無駄に生きないことを心がける。
そして、強欲に生きないこと。
今日も満足、ありがたい。
この気持ちを毎日持てるように丁寧に生きる。
あれも足りない、これも欲しい。と思うことは
無駄な消費、浪費につながり、心が貧しくなる。
心が満ち足りていれば、おのずとシンプルに生きられる。
とにかく自分が今、ここでできることを、もっと意識すること。
一人一人がそれを実践することで、地球も穏やかになって
くれるのでは。
と思いたいが、実は危機感が募る日々・・・。
生きているうちに ではなく、その先のことも
よく想像して、賢明なる判断をしていきたい。
それにしても、暑すぎる毎日。
山火事に遭遇している方よりは・・と思って、なんとか
しのいで、今日を生き延びよう!
ONな!秋にしよう!
10月12日のふるさとLOVEコンサートの受付開始となった。
おかげさまで、お問い合わせや予約をいただき始めている。
久しぶりに自主企画を実施する際の、なんともいえない
心地よい緊張感が湧いてくる。
そんななか、コンサートの情報を見た方からこんなメッセージを
いただいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・♪
岐阜ライブ盛況を祈ります!
25周年の節目に、
みなさんに
恩を送る今尾さんの姿
おん、は、
音でもあり、
温でもありますね!
今書きながらふと思いました。
今尾さんが昔のblogに
ONもoffもなく、常にONだと言っておられたことも思いだしました。
ONもおんですね。
頑張りすぎるONではなく、
自然体でフラットにONを
続けておられること
私も同じ気持ちです。
・・・・・・・・・・・♪
これを読んで、心が温かくなり、
ああ、今回の企画をこんな風に思っていただいている
とは・・・。
そう、「ON」はいろんな意味があり、まさに自分に関わりのある
音かもしれない。
さらに言えば、
KEEP ON。~やり続ける~
生きている限り、自分の決めたことをやり続ける。
それも、わが信念のひとつ。
いただいたメッセージで、小さな悩みや迷いもふっきれ
「やるぞ!やるしかない!」
との思いが満ちてきた。
ONな秋!にする。
想像したら、暑さも吹き飛ぶ!
2年前に旅立った親たちへの
ささやかな恩返し。
二人にまた喜んでもらえるように。
ふるさとLOVEコンサート、好評受付中です。
https://www.mahsa.jp/%e3%83%9e%e3%83%bc%e3%82%b5%e3%81%ae%e3%81%b5%e3%82%8b%e3%81%95%e3%81%a8love%e3%82%b3%e3%83%b3%e3%82%b5%e3%83%bc%e3%83%882023%e3%80%80%e4%ba%88%e7%b4%84%e9%96%8b%e5%a7%8b/
96歳の先輩・お友達・心族。
母が親しくしてもらった方たちとの交流をできる限り、心がけている。
その方たちには、母の代わりに1日でも元気に長生きしていただきたいから。
母が気に入っていた雑貨が出てきたので、それを土産に暑中見舞いに、
ある方のご自宅へ伺う。
その方は96歳。なんと、自宅の横にある自らが創業したお店の受付に今も、
可能な限り座って、電話番をされている。
電話も出られるし、会話も普通にできる。
もちろん仕事の詳細は、現役の皆さんがされているが、
今も、自らが長年育ててきたお店を家族とともに守っておられている。
実質的には世代交代をしているが、わが店がある。ということが生きる
張り合いになっているのだと思う。
この方は、私が顔を出すと、本当にうれしそうな笑顔で迎えてくださる。
「ちょっと、ここへ座って~」
と店の脇のテーブル席に案内され、自らも座り、話がはじまる。
母との思い出がほとんどであるが、また、伺うたびに同じ内容の話も
出てくるが、それでも本当に思い出をいつくしみ、日々を大切に生きて
おられる様子が伝わってくるので、私も聞いていて心が温かくなり、
つい長居する。
96歳になって、周囲に感謝して、日々のなかに楽しみ
をみつけて生きておられる。
そして、今でも何か挑戦することがあったら、やってみよう!
という前向きスピリットも健在で、本当に素晴らしい。
この方の誕生日は1月であるが、
「次の誕生会で、何をスピーチしようかと考えて
いるけど、どんな風にしたら、楽しくなるかな?」
と相談を受ける。今は8月だから、4月以上先の話だが、
デイサービスでの毎月の誕生会を見ていて、自分のときには
と今から考えておられるというのだ。
「どうせ話すなら、皆さんにいい話ができたら」と言われる
その姿勢に拍手を送りたくなる。
実は、デイサービスのスタッフにもこの方は尊敬されている。
「あんなふうに年を取れたらいいと思える、素敵な人生の
大先輩ですね」と30代・40代の人にも支持されるのがよくわかる。
私にとっては、まさに学校の先輩でもあり、人生の先輩でもあり、
母から受け継いだ、年上の大切なお友達でもあり、そして心族。
「お母さんの分まで、1日でも長く元気に生きてね。
まず、110歳までは元気にね。」
握手を交わして、おいとまする。何度も手を振って・・・。
いくつになっても、前向きに生きられる。
そのことを教えていただき、
また、私はこの方の分まで、元気にまだまだがんばらねばと
思った次第。
これも母から受け継いだ関係。これからも大切に。
種まき人生に感謝。
お盆の過ごし方はそれぞれであるが、私の場合、今年は台風前に、
地元でのひまわりフェスタでミニコンサート。
そのイベントに向けて、新曲も書けて、お披露目することができ、
とても喜んでいただけた。サプライズができるとうれしい。
今も楽しそうに演奏を聴いておられるお客さんの顔が浮かんでくる。
ああ、いいお盆のひとときをご提供できたかな、主催者にも喜んで
喜んでいただけて、やって良かったな・・。と、台風を避けながら
この余韻とともに、静かなお盆を過ごした。
親が生きていた頃のつながりから実現したこの企画。
ふと振り返る。
親の姿は見えなくなっても、両親が生きていたころの影響を今なお
受けている。
いや、自分が何かしようとすればするほど、親のおかげを実感する。
両親がいなくなっても、その関係が残り、続き、発展していく。
もちろんすべてではないが、引き寄せられる人とはそういう関係に
なっている。ご縁とは、こういうものかとも思う今日この頃。
人の出会い、関係づくり、発展・・・人間のつながりの不思議を感じる。
親がいたからこそ、自分がいる。親は自分自身の種である。
それに加え、親がいなくなったあとにも、私が育てることができる
種を残してくれている存在。
その種が何になるのかは、まさに自分次第であるが、
親の人生とは、結局は、私のための種まき人生でもあったのかなと・・。
と地元の活動の発展については、そんなことを感じる今日この頃。
さあ、これから私は誰のために、どんな種まきをするのか?
そろそろ、考えて生きていこう。
いつでも柔軟にしなやかに。
世間のお盆休みは終わった。
台風に翻弄された方も多かったかもしれない。
なぜこの時期に、なんで?楽しみにしていたのに・・・と
つい、計画通りにいかないことに不満をもってしまうかもしれないが、
誰にぶつけることもできないこともある。
誰のせいでもない、そういうこともある。ということだ。
ある方がニュースのインタビューで
「自然には勝てませんから」と仰っていたのが印象に残る。
昨日は、名古屋駅も新幹線の突然の運転見合わせで、ごった返した様子。
前日の運休、そして運転再開に喜び、また運休?想定外が続く?
つい、JRの窓口に駆け込んだ方も多かっただろう。
以前、台風時に九州から移動した際に急に新幹線が止まったことが
あったことを思い出す。
車掌さんに怒鳴っていた人がいた。その人のせいではないのに。
車掌さんは自分が悪くないのに、謝っておられた。ストレスのたまる仕事だ。
と、こういう事態になると、いつもお客さんのことよりも、対応に追われる
係員さんたちのことを思う。
安全に運ぶだけでなく、不満が出ないように・・・とは、とてつもなく
大変な仕事だ。
ふと、22年前のニューヨークの同時多発テロのことを久しぶりに思い出した。
予告もなく、知らぬ空港に緊急着陸したとき、どうにもならない、なるように
なる。ととっさに思った自分がいた。
無事でよかった、事故に巻き込まれず良かったと思った。
そして、人生には予定どおりにいかないこともある。ということも
学んだ。
あのとき、アラスカでの3日の足留めをくらったけれど、結果、あの3日間は
オーロラも見ることができ、生涯忘れられない経験ができた。
想定外のところにチャンスが、ラッキーがあることもある。
だから、
何があっても柔軟に、その時その時を冷静に判断し、前向きに対応していこう。
一番大切なことは、命があること、無事であること。
また、道は1本ではなく、いくつもある。
これがだめだったら、こうしよう。
そんなことも普段から考えていくようにしたい。
これしかない。と思って、自分本位にならないように。
台風での被害が、また増えているようだ。
まだまだ用心して、そして何かあっても柔軟に対応したい。
何が大事か。
命が、安全が一番大切だ。
と思えば、選択肢いくつもある。
これしかない!ということは、ない。
苦しいこそ、柔軟にしなやかに!を目指したい。
今なお、映画は世界への扉
子どものころから、映画が大好きだった。
夜9時から・・というちょっと子どもにとっては禁断的な時間帯の
放送も、余計に興味をもつ要因のひとつであった。
なんで、子供は観たらいかんの?と思いながら、親の目を盗んで
観ていた。当時は録画もできなかったため、なかなか大変であった。
ああ、淀川長治さんや、水野晴郎さん・・・。懐かしすぎる。
現実とは違う世界に旅ができるのが楽しくて、もうひとつの
世界にしばし身を置くことがうれしくて、わくわくした。
もう一人の自由な自分がいた。
もちろん音楽も読書も好きであったが、
視覚・聴覚から、瞬間に全身にずどんと入ってくるあの感覚・・・。
いきなり世界が変わるというのは、映画特有の力だ。
もちろん映画館で見る大迫力に比べれば、家で見る世界は小さいが
それでも、十分に楽しめる。
映画の世界は、初めて海外に行ったときの感覚に近い、しかも
タイムトリップもできるという、なんというマジカル!
よくぞ、神様はこのようなアートを生み出す力を人間に与えて
くださったと心から感謝する。音楽、映画についてとくにそう思う。
そして、現代を描いたものよりも、20世紀の映画こそ、自分にとっては
貴重なお宝である。生きていると過去には戻れない。
でも映画は時を戻してくれる。
そこが自分にとっては最高の魅力である。
(これは音楽も美術も同じだ。)
そんなわけで、台風下、外出もままならぬ室内での時間。
気が付くと、BSでゴッドファーザーが放送されていた。
しかも三連日で、パート1から3まで。
音楽は昔から大好きで、ライブでもよく演奏してきた。
ニーノ・ロータの名曲は大好きだ。
でも、作品自体はマフィアの話で、流血場面も多いし、
あってはならない銃社会そのものが舞台であるし、
さらに子供の頃には作品が長すぎて、見続けるのが難しかったため
何度見ても途中で断念してきた。
それなのに、今回は不思議なことに、興味が途切れず、
いろんな思いを持ちながら最後まで見続けていた。
その見事な作品にすっかりひきこまれる自分がいた。
アル・パチーノ、マーロン・ブランド、そしてロバート・デニーロ。
わが青春の入り口からずっと活躍されてきた名優たちの若いころの姿。
・そして、NYリトルイタリー、さらにシチリア・・・。
懐かしい街が次々と登場した。
この30年間、自分が出かけた町のことを思い、そこを歩いて刺激を
受けてきた自分を思い出した。
映画と自分の歩んできた道がシンクロして、何とも言えない感動が
湧いてきた。
子どもの頃には頭の中で繋げられなかったパズルが、今はちゃんと
1枚の作品として、頭の中にある世界地図とともに、年表とともに
仕上げられるのだ。
それは、自分がいろんな経験をしながら生きてきた証しかもしれない。
長いパート2を見ながら、
たまらなく、リトルイタリーに再び足を運びたくなった。
25歳のときに初めて出かけたNYがどれだけ自分に影響を与えて
くれただろう。世界は多様だよ。そんなことを教えてくれたのが
NY。そしてリトルイタリーに足を運ぶたびに、ゴッドファーザーや
ウエストサイド物語の舞台だといつも思い出していたあの頃を懐かしく
思い出す。
映画を観て、久しぶりに世界への扉がまた大きく開いた。
昨日は半径5メートルのことを書いたが、それはそれとして、
自分の中に眠る、世界へのあこがれが、映画で再発掘された。
ああ、今すぐにでも海を渡り、確かめに行きたい。
25歳で自分が感動したあの町が、今も同じように受け留める
ことができるかについて・・・。そんな気持ちになってきた。
リトルイタリー界隈を歩いていた、若き日の自分が映画を通じて
蘇ったのだ。
久しぶりにこの史上最高の名作を見ながら、半世紀以上生きて
きた自分に、新たなチャレンジ精神が芽生えた、よみがえった。
ああ、このことも大切にしよう。
元気なうちにやりたいことはやればいい、行きたいところへ行けば
いい。
半径5メートルを大切にしながら、はるか遠い海の向こうに夢を
見続けることも失くさないでいることが、とても大切だ。
今日はパート3の放送。いやはや、なかなか、さすがの超大作だ。
台風のおかげで、得られた時間に感謝。
移民についても、NYの成り立ちと歴史についても
考えさせられる映画。改めてゴッドファーザー。今日もまだ放送される。
それにしても、
若き日のロバートデニーロもアルパチーノも決まりすぎている。
半径5メートルの世界に。
人生の半分以上の長き時間、ずっと自分を見守ってくださっている方。
有難い存在だ。会社勤めを経て、定年後、新たなステージで公私ともに
充実した人生を紡いでおられる。人は肩書ではなく、「人」について
くるのだということを教えていただいた方。
私のことは、20代の会社員時代から、独立。そして今にいたるまで
ずっとその行動範囲や活動の様子を見守っていただいている。
思えば、30年以上のおつきあいになる。
私の30代、40代前半は、本当に良く飛び回っていた。
国内だけでなく、台湾、上海、ニューヨークやパリや、ローマ
・・そして、ブエノスアイレス。あまりに行動範囲も広く、頻繁に
動き回るので、その報告をするたびに、ブログを確認されるたびに
「一体、どこまで行くの?」と関心を寄せつつも、ゆくえを心配されていた。
じっとしていない、どこでも出かけてしまう。ほんとうにそんな時代であった。
ある意味、若かった。
あれから時が経ち、50代になり、拠点を名古屋に移し、コロナがあって、
親の最期に接して・・・
自分の行動にも変化が起きた。
気が付けば、自分がこれまで辿って道を戻ってきているような感じだ。
もちろん世界各地に向け、また出発したい気持ちもなくはないけれど、
それ以上に、今はふるさとや自分が住んできた町、お世話になった人々が住む場所に
愛着を感じるようになり、そこでの活動が増えてきている。
知らない人との出会いを求める以上に、お世話になってきた人への恩返しを
と思う気持ちの方が強くなった。
外へ外へ・・という時代から、中へ中へ・・。
しかも外で経たさまざまな経験や学びを生かしての、中へ中へ・・・。
「どこへ行くの?」から、「修行を経て、帰ってきました」
という感じ。
その人は言う。
「結局、半径5メートルの人に喜んでもらえる人生が一番。」
確かに、人生は結果的にそこに向かうのかなとも最近思う。
有名になることよりも、見える形で誰かの役に立つこと。手ごたえ、実感のもてる
生き方。
「結局は、最後、ひとりで死んでいくんだからさ」
そう、結局はそこ。だからそこに向かってお世話になった身近な人に感謝し、
悔いない人生にしていくのが良い。
若い時は、時々帰る場所。遠くにありて思うふるさと。
かもしれないが、親を送るという経験を経て、ふるさとの在り方は
代わり、それがきっかけで自分の行動も変わることもある。
半径5メートルどころか広範囲に影響をもたらしている台風に翻弄されながら
朝を迎えた本日は、終戦記念日。
静かに暮らしながら、平和のなかで半径5メートルの世界を大切にしながら
生きることについて、見つめたい。
いろんな思いが入り混じる1日である。
タンゴからバラードに。
真夏の地域イベント「ひまわりフェスタ」も無事終了した。
酷暑のなか、多くの地域の親子連れの皆さんが、二世代・三世代で
集まって各種イベントを楽しんでおられた。
そんななか、私の「ふれあいミニコンサート」もオープニング、一部二部と
と連続出演。おかげさまで盛況にて終了させていただいた。
小さなお子様からシニアの方まで、熱心に演奏に耳を傾けてくださった。
今回のコンサートに向け、実は新曲をつくった。
いつもながら、本番直前に作り上げ、練習をするというスタイルであるが
今回もなんとか、間に合ったという感じ。
やはり、オープニングはそのイベントにふさわしいオリジナル曲が良い。
このブログでも何度かひまわり畑の写真を掲載したが、その写真を見て
イメージを膨らませて作った曲。
タイトルは「ひまわりスマイル」
最初は会場を盛り上げるべく、アップテンポのタンゴ調で考えていた。
さあ、手拍子もいただいて楽しく・・・と思っていた。
が、前日夕方会場の様子を写真で確認して、ああ会場は斎場だった。
タンゴはやっぱり合わないな・・・。ということで、バラード調に
変えて演奏することに変更。
ということで、本番はしっかり歌詞が伝わるように、ゆったり新曲を
演奏。
♪ひまわりが咲いたよ、今年も咲いたよ・・・♪
こんな出だしだ。
手拍子はなく、その代わり、しっかりと歌詞も聞いていただけた
様子で反響も良かった。今後もこのイベントで毎年使いたいという声も
いただき、ああ、ひまわりの花同様、イベントに花を添えることができ
たかなと安堵。
タンゴがダメなら、バラードでいこう。
マーチが合わないなら、ワルツにしよう。
と、音楽は同じメロディであっても、リズムを変えると別の曲に変身
できる。同じ素材でも、加工の仕方、味付けで別の料理になるのと同じく
音楽もアレンジ次第で、いかようにもなるところが面白い。
今回は結果、バラードにして大正解であった。
しっとり歌う、丁寧に歌詞を紡ぐという演奏は、伝わりやすい。
「語りかけるような歌ですね。」とそう言ってくださった方もいて、
うれしく思った。
そのうち、別の機会でも演奏したいと思う。
危険な暑さの中の夏イベント、本当にみなさまお疲れ様でした。
聖と俗の境界線?を考えるお盆
お盆。仏教の世界では、亡くなった方が帰ってくる期間と言われている。
そのため、日本の多くの人たちがふるさとに帰り、お墓参りにいったり先祖
を迎え、供養する習慣をもつ。
そのためにこの期間に休暇があるのだろう。
このお盆(盂蘭盆会)は、一説によると8世紀からあった(‥仏教の伝来から
はかなり後のようであるが)とか、17世紀のイエズス会が記した文書にその
記録があったということのようであるから、その歴史はあまりに長い。
ネット社会になり、ライフスタイルが変わっても今なお、お盆はお盆のまま・・。
もちろん、=夏休みという意味合いも強いのかもしれないが。
そんななか、お盆の期間中でもある、本日はなんと斎場でコンサートを行う。
正直、なかなか迷うことが多い。
お盆コンサートではなく、「ひまわりフェスタ」というイベントであるため、
本来は楽しくアップテンポで盛り上げたいが、会場の雰囲気やもともとの
用途からすると、やはり外れることはそぐわない。
かといって、寂しい感じになってしまうコンサートもよろしくない。
なるべくマイナー調は選ばないようにと選曲も考え・・・。
葬儀とは本来、聖なるものである。
自分も親をおくったときには、生涯でもう二度とないであろう、究極の
非日常体験を、この空間でさせてもらった。
人をおくる儀式とは、宗教の種類は別として、聖なるものである。
そこで、楽しいイベントを企画、実施する。ということはなかなかの挑戦だ。
衣装も音楽の種類もテンポも、トークの内容も・・・。
聖と俗の間をうまく、限りなく違和感なくまとめていかねば。
これまでにない挑戦。
これもよし。
目的は、参加される皆さんに感動をお届けすること。
聖と俗の歩み寄り、融合。どんな世界ができるだろう。
今回の企画は、両親に贈るお盆のプレゼント。
そう思ったら、やる気が湧いてくる。
ということで、新たな挑戦を楽しみたい。
ということで、ちょっと珍しいお盆になりそうだ。
ひまわり、まだ咲いているかな。なんとか一緒にがんばってほしい。