メディアの効果、役割。

メディアは権力を監視する存在である。
どこまでも客観的に中立的に社会の動向を見届けながら
権力が誤った方向に、迷走しないように社会を守る。
それが正しい役割であると信じ、その役割をみつめているが・・・。

大手メディアになればなるほど影響力が大きく、また
昨今のJ騒動や政治とのかかわりなど、課題も多く深刻で、
その存在の意義が問われている今日。
メディアを信用できないと思える人も多いだろうし、
ネット社会では、伝え手も変化し、混迷の時代にいると
いえる今・・・。

一方、メディアっていいな。ありがたいなと思える
一面もある。
地方紙はその一例である。
生活者に身近な存在として、その役割を果たしていると
思う。

大変身近な例であるが、新聞、地方紙に自分の記事が掲載
された。
新聞社に働きかけ、取材をしてもらって
記事になったことは本当にありがたかったが、どんな反応が
あるのか、ないのか、も気になる点であった。

知人に記事掲載の報告をすれば、みな一様に喜んでくれて、
コンサートへの期待のメッセージを寄せてくれる。
これも大変ありがたいが、さらにうれしかったのは、
知らない方から反応があったこと。
「岐阜新聞見たんですけど、コンサート、まだ席ありますか?」
と電話をいただいたときは、心の中でガッツポーズ!

これがメディアの役割なのだとも思った。
知らない人に、より多くの人に、知ってもらう、共感をしていただく
新たな出会いに結びつく。

地方紙の役割。地域を元気に!いきいきと!
その応援をするのが、仕事だと思う。
とても共感する。

新聞を読み、電話をかける。このアナログコミュニケーションが今も
健在ということも今回の学び。
ネット社会が主流であることは間違いがないかもしれないが、
そうでない世界にいる人がいることも大切にしたい。
ますます自動化され、人の手を離れていくコミュニケーション・・
ではなく、人と人の直接の交流を大切に。
メディアがそのきっかけになることを忘れずにいたい。

メディアの役割。とにかく社会の役に立ってほしい。
自分のためでなく、権力のためでなく、人々の役に立ってほしい。

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「掲載おめでとうございます」

9月28日付の岐阜新聞朝刊に、10月12日のコンサートのことが掲載された。
正直、取材後、どうなるかと心配していた。
いつ出るのか?本当に出るのかな?
前日に問い合わせ連絡が入った時点で、これはいけるかな?明日かな?
と手ごたえを感じ、その想像どおり、28日に掲載となった。

記事を確認すると、あまりの大きさにびっくり。
1人の取材記事なのに、こんなにスペースを割いていただき・・
良かったのかな?と思うほど・・・。貴重な紙面をいただいてしまった。

今回はリリースを書く余裕もなかったため、直談判でいこう!と
新聞社の報道局宛てに電話をし、主旨を伝え、取材依頼。
電話に出た人によっても、反応や印象は異なり、運命の分かれ道となる。

今回の場合、ベテラン記者がたまたま電話に出てくださり、話を聞いて
くださり、興味を示してもらったことから、コンサート会場での取材・
撮影となった。
ほんとうに、誰が電話に出てくれるか・・・でも、結果は異なる。

今回は、本当に運が良かった。そして私が話したほとんどのことを
うまく書き上げてくださった。なんだか新潟の記者たちのことを思い出した。
彼らも、日々取材がんばっているんだろうな。今はどうしているのかな・・と
何人かの記者の顔が浮かぶ。
もちろん、書いてくださった記者にもお礼の電話をする。
感想を述べると、電話の向こうで笑顔が見える気がした。
「そんな~。そういってもらえるとうれしいです。わざわざお電話ありがとう
ございます」お礼を伝えるのは礼儀。と、自分のセミナーで話していたことを
実践する。

さて、記事をそのままコピーして活用するのはよくないため、データを管理している
部署で手続きをし、使用許可を得て、そしてここにコピーさせてもらう。

その手続きの際に、担当の方が、電話口で、「大きく乗りましたね~。
おめでとうございます!」と言われ、驚いた。
掲載されることは、おめでたいことなんだ。なるほど。確かにうれしいし、
運が良かったとも思う。
そして、新鮮な感じ。「記事掲載おめでとう」か。ありがたい限り。

いろんな意味で、ラッキーすぎる今回のこと。
しっかり両親にも見せなくちゃ。と実家の仏壇の前に一部。
きっと喜んでいることだろう。
父が地元の新聞販売店に「娘のライブに、新聞記者呼んでくれ」と無理やり
記者を呼んだ、恥ずかしく、新聞販売店と記者に申し訳ないことがあった
ことも思い出す。今となっては懐かしい思い出。
父なりのメディアへのアプローチだったのだ。

それにしても、今回の記者さんの取材力と表現力、素晴らしい。
改めて記者という仕事に敬意を表したい。
やっぱりAIじゃないんだよ。生の人間が取材して、肌感覚も含め
相手を理解して表現する。
これは、人間しかできない仕事。
がんばってほしい!そして、私も人間だからこその仕事をしようと思う。

掲載、ありがとうございました!

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懺悔の火・金

火曜と金曜。この日の朝は、せわしない。
生ごみ、可燃ごみの回収日だ。
自治体によって回収されるもの、分別法は違うが、分けて出すだけではなく、
ゴミ出しによって、自分の消費生活を少しづつ見直すようになってきた。
後で食べよう、そのうち食べようと思って買い置きした食品。
食べようと思っていたのに、出張などでその機会を逸してしまって
痛み始めた野菜・・・。
いただいたのになかなか食べる機会がないまま、賞味期限が過ぎてしまった
もの・・・。
その確認と処理で火曜と金曜は早朝バタバタする。

前夜から、「明日はゴミの日だ!」と緊張感を以て翌朝に備える。
と書くと、一見大げさに見えるかもしれないが、「捨てる」という儀式は、心して行うべき行為なのだ。

トマトさん、ごめんなさい。農家さんごめんなさい。工場の人ごめんなさい。
と捨てざるを得ない食品にお詫びしながら、ゴミ袋へ・・・。
仕事で生産者さんや製造現場で働く人たちと接することも多いため、
ほんとうに申し訳ない気持ちになる。
かといって、
正直、それを自分でリサイクルする能力と余裕はないため、今のところは
ゴミ回収サービスにお世話になり続けている。

この懺悔の火・金は、二度と「もったいない買い物をしまい!」と決意する朝。
しかし、その後、仕事柄かいろんなものを見聞きしたりするうちに、
どうしてもまた冷蔵庫にものが入っていくことになる。

でも、買いだめ、買い置きはほどほとに。
それは教訓だ。
性格的なこともあるが、あるから安心・・も、ほどほどなのだ。

改めて、消費サイズをいかにコンパクトにするか。
自分の生活を見直す必要がある。
もちろん、そんな大量消費をしているわけではないが、
火・金の朝に反省をしなくてよい、ゴミが出ないように
考えた消費をしなければと思うのである。

もちろん何かを消費すればゴミは出る。
なくなることはない。
でも、まだまだ意識すれば、いかようにも減らせるのだ。
とにかく、農家さん、野菜さん、ごめんなさい。
とならないように!

と、今朝の儀式も終わり、1日がスタートする。
もったいない!日にならないようにしよう。

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利他の心で、今日も。

経営者と話をするとき、多くの方がこの言葉を口にされる。
「利他の心で」
それを聞くと、ほっとする。
利益主義、利己主義の人は、まず数字の話から入られる。
もちろん企業である以上、数字、業績は良くなければ
従業員に給料を払うことはできないが、
どんな心で仕事をするのか、どんな気持ちで相手に接するのか
によって、どの行動、結果は異なってくる。

稲盛和夫さんも何度もこの「利他の心」について話されて
きたし、偉大な人は、まずそこからだと思う。

経営者だけでなく、地球で(宇宙でも?)社会生活を営む
人は、すべて利他の心をもって生きていたい。
このスマホ社会では、人ではなく手のひらの小さな世界と
だけ向き合う人が増えている。
隣の人のことは、見えない・・。
それでは、世の中は良くならない。

利他の心は、相手の存在を認め、理解し、大切にすること。
ときに手をさしのべたり、声をかけたり。
その相手がよくなるように、自分が行動すること。
みんなが、そんな心で、行動できたら、企業も町も
よくなるし、未来も安泰だ。

あたりまえのことだけれども、まだ知らない人に
この言葉は伝えていく必要がある。

と、最近出会った、新しい経営者との会話から、改めて
そんなことを思った。
新たにはじまった今日。自分もその心をもって
心新たに生きたい。

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空としあわせ。

空が青く、大きいと、とても気持ちがいい。
実家のある岐阜もそうであるが、新潟も空が大きい町。
平野で、高層マンションなどの建築物はなく、田んぼが広がり、空は大きい。
これは、一種の豊かさであると、実感する。
今でも忘れないが、台湾の仲間たちと日本縦断の駅弁リサーチツアーを
行った際、新潟にも出かけた。
新潟駅で新幹線を降り、駅の外に一歩出たとたん、
「まあ、空が大きい~」とみんな感動して、空に向かって走り出した・・。
と、そんなことがあった。
台北のようなビルがひしめき合う都会では、ましてやバイクの排気ガスなどで曇る
屋外では、きれいな空は拝めない。
だから皆、新潟のきれいな空に感動したのだ。

空は、人が幸せな気持ちになれる、そんな存在である。
無限であり、夢そのもの。
空は人類史上、ずっとこの人間社会を包み、ときに守り、ときに脅威でもあり、
人間にはどうすることもできない、手の届かぬ存在・・。

さて、その空・・。
今、住んでいるマンションの通路から見える空がだんだん小さくなりつつある。
近隣に高層マンションが建築されているからだ。
それがなかったときは、毎朝そこから空を見上げて、「今日もいい天気だ~」
と空を仰いで楽しんでいた。まさに、「わたしの空」がある気分だ。
その拝める空が小さくなると、なんとなく寂しい。

以前、東京に住んでいるときも、神楽坂上から飯田橋駅を見渡したとき、目の前に
黒っぽい巨大マンションがそびえ立ち、空が小さくなっていくことにショックを受けたことがあった。その記憶がよみがえる、
「わたしの空」は大きい方がいい。
でも、空は私だけのものでもないし、そこに家賃を払っているわけでもないし、
本当に仕方ないことであるが、空が小さいのは、残念。

人は、空がないと、生きられない・・・。息苦しい。
工事が進み、空が小さくなって、改めて空のありがたみを思っている。

空は広くて、大きくて・・・。
やっぱり、新潟や岐阜はそこが魅力だ。
と書きながら、ブエノスアイレスの空も思い出した。
ここの空も大きくて、素敵だった。
写真は、その懐かしい1枚。

さて、今日はどんな空の下、どんな出会いが?

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旅とコンサート。

なんと、10月12日のふるさとLOVEコンサートが、秋の観光旅行の
きっかけになっている。
昨日もその件で問い合わせをいただいた。気が付けば宿泊先やおすすめスポット
の案内までしている・・・。

もともとこのコンサートは、地元の人にと思って企画していたが、今回開催する場所が
岐阜市内の一番の観光地であり、また鵜飼のシーズンでありという
こともあって、「せっかくなので、鵜飼も観たいので、岐阜に一泊します」
という県外からのお客様が何組も出てきた。
この展開には、少し驚いているが、とてもうれしく思っている。

コロナ後、初めての夫婦旅行になるとの方、京都で一人暮らしをする
娘さんと合流される方、半年前に来られてもう一度コンサート聴きたいから
という方・・・。
東京、横浜、京都、新潟、岡山から・・・。各地から私のコンサートがきっかけで
岐阜に足を運び、滞在いただけるという。
岐阜に初めておいでになる方も何名もおられる。
「どんなところか、楽しみです。」
以前、新潟でコンサートをした際に岐阜から来られた方もおられた。
長崎でコンサートをしたときも、新潟から来られたご夫婦もおられた。
懐かしい各地での思い出がよみがえる。
コンサートも楽しみだけれど、観光も楽しみ。岐阜ってどんなところ?
と皆さんが、そんな風に期待してくださることもうれしい。

コンサートに行く。これが旅のきっかけになるのはうれしい。
以前、海外に出ると、滞在中に見られるコンサートに行くということは
よく試みたが、コンサートのためにその場所へ行く、そして観光も・・・。
というのもなかなか素敵な、そして贅沢なチョイスである。

待ちに待った秋。そのいい時期に、感動のひとときをお伝えできたら。
わざわざおいでいただけることへの感謝。
地元の方にとっても、遠方からおいでいただける方にとっても、
素敵な非日常時間に、心に残る旅になるように・・・。



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清流は夜も美しく。

ふるさとコンサートを控え、準備もかねて現地に通うことが増えている。
こちらは昨夜、鵜飼のクライマックスの様子を下流に向かって右岸から撮影したもの。

昼間は清流の名にふさわしい水面の美しさを魅せる長良川。
夜はこんな風にかがり火や鵜飼い船の灯りが水面に映り、
大変幻想的で昼間とは違う世界を見せてくれる。

鵜飼のクライマックス総がらみは6隻の船が出合う。
この写真でも6隻の船のかがり火が長く映っている。
この景色は、ふるさとで最も好きなワンショットである。
静かでありながら、深く美しい。

信長も芭蕉も、そしてチャップリンもごらんになったという
このおもてなしのアート。

川岸に立ち、静かに感動しながら、コンサートへの思いも高まる。
ロマンチックなふるさと。こう表現できることが誇らしい。

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新聞記者という仕事。

新潟では何名もの新聞記者と接し、交流の機会をいただいてきた。
かなり親しくさせていただいた方もおられ、今もつながりは消えていない。
新潟の仕事が一区切りしたときも、記事にしてくださったり、こちらも取材先を
紹介したりと、持ちつ持たれつ、いい関係を育ませていただいた。

そんなこともあって、新聞記者という仕事には親しみをもっている。
地方紙、全国紙、経済紙、業界専門紙、最近ではネットニュースなどその種類も
多様になっているが、私が個人的に好きなのは地方紙だ。
とことん地元に寄り添う姿が気に入っているし、新聞不況と言われるネット社会でも
地方紙は地方に寄り添い、独自の工夫で頑張りぬいてほしいと思っている。

先日、地元地方紙の取材をうけた。
久しぶりの対面取材だ。
コロナのときは、オンラインではなくメール取材。写真もこちらからメールで
送ったこともあったが、今回は久しぶりに、会って話をきいていただく取材だ。

取材をする仕事も多くしてきたが、今回は取材をうける立場。
質問に沿って、答えていくことになるが、自分の思いもあるため、またどうしても
自分から話してしまう傾向があり、記者さんはじっと聞き、時にメモをとり、
時に録音がちゃんとできているかスマホを気にしながら・・の進行。
彼は相槌をうちながら、どういう記事にしていこうか聞きながら、考えておられるな、
とこちらも相手の様子をうかがいながら、言葉を選ぶ。
「はい、よくわかりました。では、あとは撮影を」
30~40分話をしたあと、今度はピアノに向かっている姿を撮影してもらう。
今回はこちらの宣材写真ではないため、お任せするしかない。
「いやー、向きはこっち側よりこっちがいいですが」
と言いながら、記事にする方にお任せすることにする。

記者という仕事。ネタを探し、または送られてくる情報を吟味しながら、
取材をして原稿にして、撮影をする。

いつのどの紙面への掲載になるかは記者自身もわからないとのこと。
原稿を次の工程に回したら、あとはお任せになる。
掲載される側は、どこに?いつ?とどきどきするが、記者にしたら、一つの原稿が
終わったら次の取材へ・・とどんどんこなしていかねばならぬ。
なんせ、新聞は日刊である。
そして責任ある表現をしなければならないため、細心の注意も必要だ。

と、地元の地方紙の記者さんとの時間を過ごしながら、ふと新潟の記者のみなさんは
お元気かな・・と思い出す。

新聞不況といわれても、地方紙は元気だ。
これからも地域に寄り添い、地域のみなさんに活力を与える素敵な情報を発信
し続けてほしい。
取材を受けることで、いろいろ勉強になる。
話を聞く仕事も多いが、聞かれ上手もコミュニケーションには重要だ。

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見ても見ても、間違える。

10月12日のふるさとLOVEコンサートのチラシをもって、
あちこちでご紹介させていただいている。ゴールも見えてきた感じ。
ふと、改めてそのチラシを見て、びくっ!とした。
「あれ?あ、この番号、新潟だ~」
間違えてしまった。
コンサートの申し込み方法、ほとんどはネットからか、電話からの
問い合わせであるが、念のためファックスも記載してある。

そのファックス番号、市外局番が名古屋なので、「052」であるべき
ところ、なんと「025」となっている。
なんどもチェックしたはずが、気づかなかったようだ。

「名古屋なのに、新潟になってる!!!!」
焦った。でも、今さらどうしようもない。
チラシをおいてもらっている方やご紹介いただいている方、また自分が
直接渡す人には、その後は訂正をお断りしながら、説明している。
たまたま、新聞社の取材を受けたが、そのときにも「問い合わせ先にファックス番号って
今どき載ります?」とたずねると「いやー、ファックスは出ません。むしろ、携帯電話を
載せても大丈夫ですか?」と聞かれた。
確かにファックスをお送りになる方は、今どきはまず、ない。
だから、大丈夫だと思うものの、配付されている分がどこまでいっているかわからないため、どうしようもない。
ま、ファックスは来ていないだろう、もしも送られて方があった場合は、連絡ないけど?
と心配になって電話してくださる・・だろう。だといいな。
ということで、心配ごとがひとつ増えた。
印刷会社にいたわりには、今でもこんなことがある。
それにしても、025という番号に慣れ親しみ、よく電話も含め使ってきたから、
しみついてしまったのか・・・。
いやはや、改めて校正は重要。印刷物は心して向き合わねば。猛省。

ということで、コンサートのお問い合わせはお電話か公式サイト、メールからお願いいたします。
ふるさとLOVEコンサート2023 ご予約好評受付中! | La Grande Roue (mahsa.jp)

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ラポール・コミュニケーション。

20代後半だったか、ある情報誌のネーミング案を考えているときに
調べて出てきた言葉「ラポール」。rapportと書くフランス語。当時は対話という
意味もあるから・・と広報誌にぴったりと思っていたが、改めて調べてみると
「橋をかける」という意味だったことを知る。
カウンセリングの世界でも使われる言葉で、クライアントとカウンセラーの
信頼関係をつくるということで使われるようだ。
とにかく、音がいいので、頭の片隅に残っていた。

最近、自分がやっている仕事で企業で働く方たちとの個別面談。
あるテーマに即して、いろいろ話を聞き、そのプロジェクトの現場での浸透を
確認したり、困ったことに対して対応するのが狙いであるが、それ以外に
話を聞くことで、話す人の癒しになったり、元気になったりする効果もあるようだ。

初対面の場合でも、よく話してくださる方が多い。
普段職場では話さないけれど・・といって、口が滑らかに動く人もいて、
しっかり聞いていると、時間が足りなくなったり、初対面であることを忘れて
親しくなったり・・・。笑顔で面談を結ぶことになる。
「元気にがんばってくださいね。また、お話ししましょう。」

ラポール・コミュニケーション。
自分と相手に橋をかけるということは、相手がそれを受け入れなければ、橋を
かけることにはならない。
信頼関係をつくるコミュニケーション。

日々職場でも意識次第で、それは実践できる。
相手の言動、行動をみつめ、見守り、ときには言葉をかける、手をさしのべる。
相手が自分の存在を認めてくれることで、両者を結ぶ橋は生まれる。

信頼の橋をかける。

たまたま最近行った10名ほどとの面談をやって、この言葉を久しぶりに
思い出した。
ラポール・・。いい響き。
さあ、今日からもこの橋を架けるコミュニケーションを楽しく続けよう。

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