たまたま、を必然に。

今、企業で働く人達の個人面談を続けている。
最初は管理職から、そしてリーダー、さらに一般の社員の方との
面談。
普段、自分から話すことをあまりしないような人、人と関わりを
あまり持ちたくない人、常に受け身の人、人見知りをする人・・。
モノを作る現場で働く人たちには、そんなタイプの方も多く、
口を開いてもらうため、いろんな角度から話をすると、
マスクで口元は見えないが、目じりが下がってきて言葉も出て
くるようになる。
聞いていると、いろんな事情があって、その会社に入社されて
いることがわかる。
コロナのせいで、転職してのご縁となった方もあれば、結婚が
きっかけでの転職であったり・・・また、今ご家族が入院中で
慣れない子供の世話もしながら、家事も仕事も頑張る男性が
おられたり・・・。
皆さん、それぞれの環境でそれぞれの事情を抱えながら、
それぞれの人生を生きながら、同じ会社につとめている。
毎日がんばっている。
思えばすごいことだ。同じ時に、同じ場所で働いている
ということ。これは、たまたま…ではあるが、ご縁である。
だから、それを大切にして、お互いを大切にして、助け合って
いい仕事になるよう、そして結果、それぞれも幸せになり、
会社も成長できるようになるといいと思う。
そのために向かう方向をそろえていくことは大切だ。

たまたま・・ではあるが、必然。
今、自分の周りにいる人との出会いは、すべてそうである。
たまたま・・・知り合ったように見えているが、
見えない糸があっての繋がりである。
星の数ほどある出会いのなかで、たまたま出会えた貴重な
ご縁であるのだ。

「たまたま」に感謝したい。
今日も新たな出会いがあるだろうか。

それぞれの人生を生きているのに、交差する瞬間。
これを楽しみたい。そして、出会った以上、
相手を大切にしたい。

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聴く人、見る人、観る人。

隔月の岐阜新聞でのコンサートも、もう何年続けている
ことになるだろうか?東京暮らしのときから、通っていた記憶があるため、
7~8年は続けていることになりそうだ。
いろんなお客様に出会ってきた。
初めて来た!と喜んでおられた方が増えることは、本当にうれしい。
演奏を聴き、一緒に音旅を楽しんでいただく。
いい顔になって、皆さんお帰りになる。
ああ、今日も良かったと思う反面、演奏は毎回反省だ。
でも、お客さまがまず喜んでおられたら、成功と思えば良い。
昨日は、「今年、皆勤賞でした!」という方もおられて、
本当にありがたいと心から思った。


来られるお客さんも、いろいろだ。
あるお客さんは、目的があってコンサートに来られた。
私の演奏姿を見にこられたのだ。演奏を聴くことももちろんではあるが。
そのお客様、ついその観察に夢中になり、演奏中、スマホで撮影・・・。
思わず、ちょっとアクションが大きくなってしまい、他のお客様が??
になってしまい、こちらもドキドキしたが、そのお方、実は
絵を描くため、私を観察に来られていたのだ。

あれから2か月。
「絵がだいぶ、できたよ。いいのが描けてる」
なんと、演奏している私の姿をモデルに、作品を創っておられるのだ。
ほんとうに、描かれたんだ。

途中までできている作品を見せていただいたら、
私が立って弾いて歌っているその姿そのもの・・・。
揺れる洋服のしわや、髪の毛、指先・;・・。
グランドピアノに向かう私の姿。そんな構図の絵を見たのは
初めてだ。

「今週、先生に見せて修正入ると思うけど、いいのになると思う」
と画家さん。
そう、そのお客さまは、画家としてコンサートに来られていたのだ。

来年の展覧会に出されるとのこと。
自分の姿が絵になるなんて、うれしいこと。
私自身、楽しみだ。

コンサートに来られるお客様、人それぞれ。
ひとり一人の人生にお役に立てていたら、
五感のどこかに触れることができていたら、
それで十分。

ユニークな経験をたくさんいただいた、今年のコンサート。
もうこれでおしまい?なんだか、そうではなさそうだ・・・。
まだわからないが、まずは予定をコンプリート。

多くの方にお聴きいただき、本当に幸せな2024年。
感謝と安堵と。そして肝心の演奏の反省は次に活かすとしよう。
自分にとっては、ここが一番大切だ。

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音旅でマジックコミュニケーション

本日11月27日は、今のところ、本年最後のライブコンサートになる。
隔月続けてきた岐阜新聞社でのロビーコンサート。
毎回、新聞でも事前告知をしていただけるため、テーマや曲名を
提出するが、今回は「あったか気分!秋の音旅♪」とした。

ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの音階。
この組み合わせで西洋に倣った現代音楽
は成り立っているが、無限の組み合わせがあることがすごい!
この組み合わせでもって、いろんな楽しみが生まれるのだ。
そして、それにより心が軽くなったり、明るくあったり、うきうきしたり・・。
現実とは違う世界をたずねることができる。
まさに音楽は心の旅を誘う、マジックコミュニケーションだ。

ということで、「音旅」という表現をしてみた。
どこに行かなくても、世界に出かけることも、
今を生きていても、歴史をめぐることも
可能になる。

お客様がどこに行かれるかは自由。
行先はご自身で決めていただくとしよう。
そして私自身も、音旅に出る。

わずかの時間でも、そんな旅が提案できる。
音楽の力はすごい!
多くの笑顔に出会えることを楽しみに、旅の準備を急ぐとしよう。

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地道な仕事が、世の中を救う。

介護は、長寿社会全体での深刻な課題である。
健康であり続けることを求めたいが、いつしか自分の力だけでは
生きられなくなる。
悲しいけれど、長生きするならば、そうなる。
それが現実。そのことは親のことで学んだ。

家族がいても、この忙しい現代社会では、
日々の介護について、家族だけではカバーできず、いろんなサービスに
多くの方にお世話になり、回していくのが当たり前の世の中になっている。

私自身、介護職の方には、本当に助けられた。
知識も術も、未知の世界で、素人ではわからないことばかり。
関りをもたない頃は、
特養って何?老健って何?ケアマネって?という具合だ・・。

親を送って少し時間を経た今、当時の経験をふりかえりながら、
(といっても、何もしていないうちに終わってしまった感はあるが)
長生きする人は、回りが大変だ・・と改めて思い、みつめている。

わが妹は、介護の仕事をしている。
久しぶりに食事をしながら、話をしているなか、
自分が今通っているご家族の話題になる。
とにかく、いろんなパターンがあり、こういうケースもあるのかと
学びながらの仕事のようだ。

へえ。そんなことまでしているのかあ。
私にしてみれば、自分の仕事とはまったく世界が違うため、ただただ
頭が下がる。
まあ、仕事だからできるということもあるのだろうが・・。私に
できることは、せいぜい話や音楽で楽しんでもらうぐらい・・・。

偉いなあ。
素直にそう思えてくる。ただ、その一言に尽きる。

これから、日本の介護事情はますます大変になる。
人様の世話にならないように、人生を終えたい。
それが一番の願いであるが、
そうはいっても・・・わからない。

華やかな仕事ではなく、ほんとうに地道で、しかも心身ともに
疲れる仕事だろう。
親がお世話になったケアマネさんやヘルパーさんや、看護士の方や
・・・いろんな顔が浮かんでくる。

偉いなあ~。ただただ、感謝と尊敬。

経済を回す方にだけ目を向けるのではなく、人の命を支える仕事。
もっとこっちの光が当たってほしい。
大変だというよりも、えらい!素晴らしい1というポジティブな
見方で・・・。
こんな仕事がしたいと思ってもらえるような光の当たり方を。

こういった方たちのおかげで、個々が自由に仕事をしたり、
自分の人生を止まることなく、進めるのである。

そのことを忘れてはいけない。

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わが辞書から消す言葉。

ある小冊子を見ていた。それはキリスト教のわかりやすい
情報誌のようなもの。いろんな世界や考えに触れることは
勉強になるので、時間があればこの類の書も楽しく拝読する。
中には、心に染み入ったり、刻み込まれる言葉も多くあり、
自分はまだまだだと、向学心をかきたてられる。

そんななか、ある神父さんのエッセイにこんなくだりがあった。
「自分から変えようしない人は、『難しい』とか『仕方ない』
という言葉を発する。・・・」

確かにそう、そのとおり。そして自分の言動を振り返る。
前向きでいるつもりであるが、「これは難しいね~」とか
「仕方ないね~」と自分がそう思っているというよりも、
相手との会話上、コミュニケーションツールとしてその言葉を
使っていることがある。お!これは危険。

仕方ない・・「仕方」とは方法のこと。
本当に方法がないのか?いや、考えたら、もっと考えたら違う方法も
あるはず。
さらに、一見難しいことに見えても、それもやりようによっては必ず
乗り越えられる。
結局は、自分次第で「仕方ない」は、「仕方ある」に変わり、「難しい」は
とどまらず、「難しかった」けどできた!の達成感に変わる。

言葉は無意識に使うことで、慣れてしまい、もしかしたら自らの意識や
行動にも悪しき影響を与えているかもしれない。


今一度、「仕方ない」「難しい」を安易に使わないように。
いや、わが辞書からはこの言葉は消すことにしよう。

巷でよく聞く言葉に慣れないこと。
言葉は人の意思や行動に大きな影響を与えるから。

すべてやりようはある。不可能はない。
そう思って生きる方が、楽しいし、生きごたえがある。

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ひとりマーケティング、うれしい悩みと挑戦。

何年もいろんな事情で足踏みしていたのに、ここにきて、何かから解放
されたかのように、30代後半から日々のように、なんでもできる!と自由に動ける
自分がいる。もっとやろうとする意欲的な自分がいる。とても良きこと!

ただ、若き日はもっと世界に、もっと外に・・・と自分の行動範囲や視野を
広げることに意識が向いていたが、今は見渡せる世界の中での深堀や、
自分の軌跡の表現や、社会とのかかわりといった方向に向いている。

若き日々の経験を活かしながら、表現したい・・から、伝えたいという
気持ちになってきている。そして、伝えたあと、相手が元気に、幸せに
なってもらえたらという思いが強くなっている。
少しだけ成長したのか、よくわからないが、いつがラストになっても
悔いのないようにしておきたいと思う。

そんなか、勢いで実現した久しぶりのレコーディング。
今はそのアウトプットについて検討中。
コロナ禍で学んだことを活かし、またこのデジタル社会に対応して、
ハイブリッドなアウトプットを。
CDアルバムという形も大切に、そして配信も両方。
どうしても作品づくりとなると、カタチになるもの、
手にとって見る経験も、大切にしたいと思う。

そのCD。今回は録音した曲数も多いので、1枚にまとめるべきか、
いや2枚組にするべきか・・。
と、たとえばこんなことで悩んだりする。
記念盤とするならば、2枚組。いやいや、そうなると大げさで・・・。
コストと価格のバランス。求めやすさ・・・。いろんなことを考え、しばし
迷い悩む。

この小さな悩みは、幸せの証拠だ。
自分で考え、自分で行動し、責任をとる。
このひとりマーケティングが好きだ。自分がやりたいことを、自分で責任を
もってやる。こんなうれしい仕事、生き方はない。
もうしばらく、悩むとしよう。

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未来を生きる人の役に立ちたい。

人の親になり、一人の人間を育て、社会に送り出す。という人生。
それはそれで大変な大仕事だ。
20年以上、人によってはそれ以上の歳月をわが子に愛情をかけ、
心血を注ぐ。その人にとっては子育ては大きな人生の仕事だ。

自分の場合は、その生き方は選んでいないが、その代わりといっては
大げさではあるが、出会った若者とのご縁を大切にし、彼らが未来に
向かって生きるのに役立つことができれば・・と思っている。
企業とのかかわりのなかで、経営者との出会いを多くいただき、そこ
から社員との出会いが広がる。
管理職から、リーダー、そして一般社員へ・・・。
肩書があるなし、これは現時点での期間限定のタイトルであり、
今後そう変わっていくかは未知数だ。
今は何もタイトルがない若者のなかには、きらり光才能を持って、
周囲に磨かれるのを待っている原石もいたりする。

一人一人を面談しながら、その人の背景も含め理解を深めながら
この人がどうやったら成長しながらこの組織で働き続け続けること
ができるのか・・・について考える。
こうすればもっと輝くのではないか、ここをこうすれば個性が
生かされるのではないか・・・。
など話をするごとに、その人を知るごとにアイデアもわいてくる。

そんなことについて、本人に伝えながら、共有した時間が有意義で
あったようにつとめたいと思い、日々関わっている。

若者。
♪きみのゆく道は果てしない遠い・・・。♪
なんて、ちょっと暗い?昭和の歌があったが、
果てしなく遠いと思っていた道は、あっという間だったと
あとで気づく。
そんなことを今自分のことに置き換えて振り返る。
その道をゆく若者に、少しでも、応援団として手をふり、
背中を押し、声をかけ続けられたら・・・。
そして何かあったら、いつでもウェルカムである。

と、そんな隣のお姉さんのような存在で、
未来を生きる若い人の応援がしたい。

子育てをされてきた世の親御さんと比べれば
何もしていないに等しいが、
せめて、そんなことぐらいで、お役に立てたらと思う・・・。


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人のことより、まず自分のこと。

ネット社会は功罪あり。
いつも、そう思っている。
使い方を間違うと、便利ではあるが、幸福とはいえない
世の中になってしまう。便利より幸せが、やさしさが優先だ。

人のことをとやかく言ったり、書き込んだり・・・。
顔の見えない無責任発言は、あってはならないこと。
と思っているが、画面を開けば必ずそういった物言いに
出会い、すぐ閉じる・・見なきゃいい。その葛藤も続く日々。

心ない行動が、人を傷つける。
人のことはどうでもいい。ほっておいてあげたらいい。
静かに見守ってあげればいい。
それでいいのに、簡単安易なツールが生まれたことで
マスコミもSNSでも
人のことをとやかく追及しがたる。興味本位に・・・。
ネタになって面白いから・・・。商売になるから・・・。
この社会、なんとかならないものか・・・。

とにかく人のことにかまっている余裕はない。
自分のことに集中して一生懸命生きるのみ。

気が付けば50代もあと10日あまり。
ほんとうにカウントダウンだ。
ますます人のことより、自分のことだ。

自分がどう生きたいか、進みたいか。
に尽きる。

人の人生のことは、人に任せて
自分が与えられたいのちを全うしよう。
皆がそう思えば、世の中は変わる・・・と
期待したい。

さあ、今日も自分の人生に集中しよう!



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ストレス解消は何で?

経営者という仕事も、雇われて働く人も、それぞれに
日々のおつとめのなかで、ストレスはたまる。
ストレスとは他者の交わり、摩擦のなかで生じる心労
であるから、社会生活をする上で、誰しも多かれ少なかれ、
それを感じながら、つきあいながら生きている。
また、多少のストレスは、行動のバネになることもあるため、
ストレスはゼロでない方が良いと、思っている。
あえて成長するためにストレスの多い場面に自らを
置く人もある。
とはいえ、毎日毎日ストレスが解消できず、ずっと
心が疲れていくのは避けたいもの。

ある人は週末に中国語と英語を思いっきり習うように
しているとのこと。前の夜に飲みすぎても早朝に
起きて、1週間分の宿題をやってレッスンに臨む。
そこでは肩書も何も関係ない、ただの学び人。
でも、一生懸命取り組む。
疲れるけれど、学んだという実感がもてて、とても
気持ちいいそうだ。

ストレス解消をすることで、普段の顔と違う自分を
楽しむ。きっとそのときは自由で幸せな状態なのだろう。

生きる上でストレスはつきものだ。
私の場合は、おかげさまで日々、多くの顔を持ちながら
生きているせいか、場面場面で気分転換もできているせいか
ストレスを悪に感じることはあまりないようだ。

一杯のコーヒーでも、音楽でも、旅でも、買い物でも・・
いろんなことで、ストレス解消はできる。
できたら、前向きなことを選ぶと、気持ちもよく
心豊かになれるかも。

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プラス発想の人を増やす歓び

いろんな企業に関わらせていただくなか、人の教育に関わらせて
いただく場面も増えてきている。人づくりはモノづくり以上に重要だ。
人がモノをつくるから・・・。人は人材ではなく、人財である。
それぞれがもっている能力を磨き、輝かせるようなお手伝いを
すること。

これは集合研修をやるだけではなかなか成果が出ないが、
何かのテーマに対して一緒に取り組むOJTは私には向いている。
成果が出やすい。
理屈だけ言っていても、で?現実は?という話になり、研修は研修
と別ものになりがちであるが、一緒に取り組むと一体感も生まれて
大変良いし、プロセスも共有できるため、どんな姿勢でどんな風に
仕事をしているのかも見てもらえるため、その点でも良いと思っている。

そんなこんなで関わる人たちが、プラス思考に変化してきたのを
見るのがうれしい今日この頃。
どうしたらできる?自分がまずやる!そんな発想、姿勢、行動が
できる人が増えてくると、周囲にもいい影響が出る。
愚痴を言っていたり、誰かのせいにしても何も始まらない。
一番よくないのは傍観者。他人事でいること。それは変えなければ
ならない。まず、自分。

やる以上は、プラス発想で自分ごととして考え、行動できる人に。
人にそう伝える以上、私自身がプラス思考でい続けなければならない。
「マーサさんに負けていられない。自分ももっとがんばる、やるしかない」
先日、久しぶりに会った人にこう言われた。
プラス思考の人を増やす。わが人生のミッションのひとつである。

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