ウェルカムミュージックの効果。


ある企業の社内イベントで、演奏の機会をいただいた。
このイベントには、企画から関わってきた。
社内コミュニケーション推進を目的とするプロジェクトで、
若手の従業員が中心となって企画、準備、実施まで担当。
毎月ミーティングを重ね、本番までのステップを歩んだ。
当日もメンバーと会場準備をしながら、いざ本番へ。

参加者が受付をして、会場に入ったときのおもてなし。
皆さんを生演奏で迎えたい。場をさらに非日常の場面
に、そして緊張をワクワクにできたら・・・。
そんな思いで、開会されるまでの30分アドリブで浮かぶ
メロディをメドレーにして、入ってくる人と挨拶を
交わしながら、弾き続けた。
このイベントの後半には、ミニコンサートの時間も
いただいていたが、まずはこのオープニングのおもてなし。
最初が肝心だ。

そろそろ開会かな。運営を仕切るリーダーと目で合図
しながら、「ではそろそろ」と、自然に演奏を終えて、
無事、開会。

その後、開催の挨拶、乾杯と続き、会は和やかに
楽しくはじまった。

次の準備をしようと思い、会場から一歩出たら、
ある従業員さんから声をかけられた。
前に会ったことがあったかな?と思いつつ
挨拶をする。
「ピアノ、うまいっすね。次から次へと違う曲を
弾いて、ピアノ見ないで会場見ながら弾いてましたね。
すごいっす。」
と、そんな会話からはじまった。
まだ入社され1年とのこと。
そんなこともあり、こういったイベントの場で
気楽に話せる人も少ないのかもしれない。
その人は学生時代にバンドをやっていたようで、
楽器が好きな様子。「ピアノ、いいっすね。
教えてるんですか?」
「いや、今は教えることはしてないけれど、
演奏活動はしてますよ」いろいろ話して、
「大変な仕事だけど、がんばっていろいろ挑戦
してね。また話しましょう」
と言い、握手。

オープングの演奏だけで、こんな出会いにつながった。
彼は、その後の会も楽しみ、最後の私のコンサートも
しっかり聴いてくれて、閉会後も、「よかったっす」
と目をきらきらさせて、挨拶に来てくれた。

何気なく流れている音楽からの出会いもあり、
心を開いて話してもらえるきっかけにもなる。

言葉のないコミュニケーション。
楽器の音色は人々の心をやわらかくする。
心を開く効果もある。

イベントのウェルカムミュージックは、やはりいい。
生のコミュニケーションはやはり、響く、伝わる。
名乗り出て良かった。

私ができる、ささやかなことで、働く皆さんが
元気に、いきいき、がんばってもらえる・・・
きっかけになれば、うれしい。
改めてそんなことを思う、お宝イベントであった。



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BON VOYAGEの春

VOYAGE(ボヤージュ)。先日の布施明のコンサート以来、
頭から消えない言葉。
旅路。飛行機ではなく、船の旅路のイメージ。
旅先で遭遇するかもしれないさまざまな危険と
背中合わせの未来への挑戦。

良い旅を!
日本でいうならば、「気を付けてね!」よりも、
長い旅を指すイメージだ。

旅立つ人が増えるこの季節。
ひとつは季節の変わり目での旅立ち。
3月は母の旅立ちもあった。
そのせいか、今ごろは、永遠の旅立ちの季節という印象も
あり、少し寂しくもある。

だから、この一方通行な旅ではなく、またいつか戻る人の
出発を見送りたい季節。

そんななか、近々、四半世紀前より交流のある、弟のような
仲間がポルトガルへ出発する。彼が20代、
私が30代の頃からのおつきあい。
なんと、最近知ったが隠れキリシタンの里、長崎の外海に
ルーツがあるそうで、その地に愛着をもっているため
余計に不思議な縁を感じる存在。

今回目指す旅は、これは単なるトリップではなく、移住だそう。
50歳でビジネス界を引退し、次の人生の準備をしてきた。
そして、念願の旅立ちを迎える。

出発するまでに再会する予定。

これこそ、まさにBON VOYAGE。
弱者になったことがない。弱者がいやだから賢明に
努力を重ねてきたその彼が、今度は自らがマイノリティの
世界で生きてみたいそうだ。
ゼロからの出発。

こんな人生を賭けた旅は楽しそうだ。

どうせなら、夢を求める旅を。

さて、自分はこの春、どこへ向かう旅をしようか。



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すぐふりかえって前に。

お世話になっている企業のイベントに参加させていただくことが
ある。報道関係に向けて、株主向け、ときに・・・。
いろんなケースがあり、内容も規模もそれぞれであるが、開催す
るイベントが多いこともあり、その運営は大変手慣れたもので、
見ていて安心感がある。
とはいえ、毎回違う目的、対象、内容であるため、同じイベント
は二度とない。
毎回企画を立案、計画を綿密に、役割分担をして段取りどおりに
すすめる。
もちろんリハーサルも行い、ダメ出しも行う。
そして本番。
しっかり準備されているため、大きく失敗することはなく、
参加者から違和感を感じることはあまりないのでは?と思うこと
が多いが、それでも、終わり次第、すぐにふりかえりをする。
「反省会」とは言わず、「ふりかえり」である。
(自分が関わらせていただく企業では最近、『反省会』とはあま
り言わなくなっている)
ふりかえり。いいこと、改善すべきこと。スタッフ全員で出し合
う。私も参加させていただく。客観的な目で見たことをお伝えす
ることもお役に立つかもしれない。
まず、いいこと。を出すことが大切。
そして 今後のための意見。
発言する人も自分の役割を通じて感じたことを言い、聴く人も
全員チームの一員として真剣である。
この本番直後の「ふりかえり」は大変重要だ。
もちろんここで出た意見をもとに、主催者は詳細の振り返りを
して、次に生かす準備を行う。

ふりかえり。
毎日自分もやればいいかも。
今日良かったこと、もっとこうすれば良くなる。
そんなチェックタイムも、明日のために有効だ。

ふりかえり、そして前に。

試しに、今日から実践してみようかと思う。

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相棒との別れに慣れる。

15年ほど愛用してきた大きなスーツケース。
ここに写真を載せるには、あまりにおんぼろなのでやめておく。
このおんぼろくんとは、本当に長いつきあい。
なんと、ネットで購入した。到着して大きさにびっくり。

海外渡航、国内の連泊出張などで、本当にお世話になってきた。
かっこいい高級鞄であると、なかなか飛行機に預けるのも傷が
ついたり汚れたりと心配であるが、この相棒は大丈夫。
いっぱい入るし、見分けもつくし、なんといっても丈夫。
思い起こせば、ニューヨークにも、ドイツやフランスにも、
そしてブエノスアイレスにも・・・。

どれぐらい一緒に旅しただろうか。
一人旅の一番のお供は、スーツケースかもしれない。
それがないと、渡航先での滞在に困る。

このバッグは往復では入れるものが違った。
往路は着替え類と、現地で使うお土産など。
復路は使った着替え類と、現地で調達したさまざまな品。
楽譜から文具から印刷物からお菓子まで・・・・。
帰りは行きより二倍以上の重量になった。
重すぎて自力で運べず、宅配便の方にお世話になって家まで
届けてもらったこともしばしば。

本当に使い勝手が良く、何でも入るので、
下の車輪が壊れても修理して使っていた。
それぐらいの相棒であった。

しかし、先月の長崎行きの際に、さすがにもう限界・・・。
という状況になり、
遂に別れをきめた。

粗大ごみとして処分してもらう。
なぜか、当日の朝まで、やっぱりやめようかなと思うほどに
旅の思い出がぎっしり詰まったこの鞄。


でも、今朝こそは勇気をもってさよならをする。
どれほどの思い出をここに詰めてきたか。
たった1個のスーツケースとの別れがこんなに寂しいとは、
不思議なものだ。いろんな場面を思い出すのだ。

わが人生。これからこのように、大切なものを順次手放して
いかねばならないだろう。
断捨離というと思い切った感じで、そんな一気には
しないけれども、
持ち続けることの大変さを考えたら、早いうちに手放して
いくのが良い。
この別れにも順番に慣れていかねば。

マイ おんぼろスーツケース。
空港で受け取るときに、無事ターンテーブルで受け取れた安堵の
瞬間を思い出す。

わが世界の旅のおとも。
思い出は永遠に。思い出はいっぱい。

ありがとうの気持ちを込めて。アディオス!

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最高のステージは、長良川左岸

鵜飼、信長の曲を創って、ほんとうによかった。
ちょっとした行動から、絶妙なタイミング、幸運に恵まれ、
その曲にもっともふさわしいステージで演奏できることに
なった。
まずは、初夏に向かう5月連休後の週末。
この写真の撮影場所あたりがステージになる。
岐阜城を見上げ、清流長良川を見下ろせる。
私がふるさとでもっとも愛する場所。
ここで、屋外コンサートをさせていただくことに。
鵜飼開きを終え、今年の鵜飼がスタートした週末連続のコンサ
ート。
外での演奏ということで、用意可能な楽器の制限や、天候への
心配はあれど、それでも「ここで演奏してください!」と言って
もらえたことは
最高にうれしかった。まさしく「やったー!」という心境だ。
長良川うかいミュージアムの皆さんと一緒に、素敵なイベントを
創りあげる。
この期間は、この左岸にマルシェも立ち並ぶそうで、その夜市も
楽しみ。盛況ぶりが今から想像できる。

人生初のふるさと川辺でのコンサート。
日も暮れ、鵜飼の始まりを待つ、そんな時間での開催となる。
主催者は「マーサさんの演奏をここで聴いたら、みんなCHILLな
気持ちになる
と思うんです~」とのこと。そう、長良川の黄昏、鵜飼のはじ
まりを待ちながら、ゆっくりまったり過ごしていただき、
そして少しだけタイムトリップも・・・。
信長さんも、芭蕉さんも浮かぶそんなひとときにしたい。

ああ、生きててよかった。久しぶりにそんな気持ちになった。
主催者との出会いに心から感謝!
昨日の長良川は、キラキラ輝いて、普段以上に美しく見えた。

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15年後の目標に。

日本のアーチストのコンサートに出かけた。
一般に知られる歌手の生ステージに行くなんて、物心ついてから
あったかなかったか?
ほとんど記憶がないが、今回はどうしても、その人が元気なうち
にと思い、なんとかチケットを入手した。
喜寿を迎えたという、布施明さんの60周年記念コンサート。
さん付けにしているのは、そのステージで彼がバンドのメンバーを
紹介する時に、「さん」付けにしていたのが印象的だったから。
呼び捨てにして、親近感を出す人も多いが、布施さんは、そんな
ところもきめ細やかに神経を使う人だということを学んだ。

さて70代後半となれば、その声の艶は?声量は?
CDや放送ではもちろん抜群の歌唱力に触れてきたし、最近も
衰えていないことを知ってはいたが、それを確かめたかった。
そして60周年という節目をどのように表現するのかと。
テーマは「VOYAGE~ボヤージ」。旅、出航。
人生は船でめぐる旅のようだということだろうか。
とにかく、久しぶりに胸を躍らせ、会場に向かった。

さて、何度も聴いてきた名曲はもちろん、「独白」なる
オリジナルのコーナーも含め、約90分余り、途切れなく
布施さんは表現豊かに歌い続け、会場を魅了した。
トークも品良く、あたたかく丁寧な話し方で、歌の間を
優しくつないだ。

子どもの頃から大ファンだったというわけではない。
もちろん親しんでいたし、尊敬もしていた。
でも、テレビの世界の人という距離感。ここ何十年も
その活動ぶりに触れることはなかった。
半年ほど前の歌番組で、変わらぬ素晴らしい歌唱力に
振れ、元気なうちに一度は生を聴きたいと思っての
今回のコンサート。
予習ということで、何度も何度もベストアルバムを聴き、
当日も聴きながら歩いて会場に向かった。
その中で一番気に入っていた曲「カルチェラタンの雪」
の演奏がはじまったときには、さすがに目頭が熱くなった。
よく、よく歌ってくれました。
雪降るパリの街角を肩寄せあって歩くカップルの姿が
くっきりと浮かんだ。
そう、布施さんの歌は、情景がくっきり浮かぶという
点が特徴で、素晴らしいところだ。

何千人という観客ひとり一人がそれぞれの歌に
自分の人生を重ねていたことだろう。

そして、
おなじみ「マイウェイ」がクライマックスで歌われた。
このとき、布施さんは衣装を白のジャケットに変え、
まさに今回のステージのテーマにマッチしたその曲を
唄い始めた。「今、船出が近づくそのときに・・・」
会場は大いに盛り上がった。

声の艶、声量。まったく衰えていない。つややかに
伸びて、聴く人の心に染み入る。
そして、その豊かな表情。
今回最上階の席であり、オペラグラスも持参していなかった
ため、顔の表情までは見えなかったが、手足動かし全身をフルに
使って歌っていたのも大変印象的。
身体から歌っていた。

ふと、フジコヘミングさんが遺した、「魂の演奏」という言葉が
蘇った。
布施さんもその世界の人だ。

心が伝わる。
愛を感じる。

今回学んだこと。

どんなことがあっても、一歩前に進む。
自分を信じて進む。

そして、相手が喜ぶことをする。
自分らしく生きる。

それがいいのだということを、
今回改めて教えてもらった。

15年後。今の布施さんの年齢になる。
そのとき、あれぐらい元気に演奏できていたら、
そうあるようにがんばらねば。
できるよ、きっと。

「平に平和に生きることができ、細くてもいいから
歌い続けることができたら・・・」
と、最後にこんな言葉を遺した布施さん。

そう、平和な世界で好きな歌を歌い、聴き・・・が
できるのが一番の幸せなこと。

さあ、15年後も生きているならば、細くてもいいから、
丁寧に自分らしく存分に生きたい、演りたい。

改めて布施明さんのますますの、素晴らしい歌を
これからも期待し、応援していきたい。

BON VOYAGE。素敵な人生の旅を。


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「にほんごでいいですよ」

JR岐阜駅からバスに乗り替え、移動しようとロータリーのバス乗り場に
着いたとき、外国人らしき若き男女が時刻表を見て、なんだか話していた。
インバウンド?観光?岐阜に来た?何か困っているのかな?と思い、
「May I Help you? 」「Where are you going ?」などと声をかけた。
すると、瞬間、どう言おうか?という顔をしたあと、
「 にほんご で いいですよ」とゆっくり言われ、
「なーんだ、話せるんだ」と三人で思わず笑顔に。
「ぎふこうえん に いこうとおもって います。このバスでいいですか?」
「ここでいいよ。もうすぐ来るかな」
同じバスを待つことになった。そこからしばしの会話。
「住んでるの?」「はい、住んでます」
このカップルはミャンマーからやってきた。
見た目20代前半に見える。
男性は、今は三重県で介護の仕事。女性は関ケ原方面の会社
で縫製の仕事をしているようだ。
「介護の仕事も、大変だね。えらいね。」
「はい、でも、たのしいです。いいひとばかりです」
「ミャンマーも大変だね、」
というと、二人とも少し憂いた表情になり、頷いた。
「ミャンマーの人は私も知り合いいたけど、皆あたたかいね。」
というと、笑顔に戻った。
「岐阜公園にいったら、お城もいいよ。あそこに(バス乗り場から
見えるところに)金ぴかの銅像立ってるよね。
あの人のお城が公園の上にあるよ。あの人が岐阜という名前を付けたの。
知ってる?オダ ノブナガという人」
「へえ。知りません。おもしろ」
とそんな会話をしているうちに、バスが来て、彼らが先に乗り込んだ。
ICカードをさっと通してバスに乗る。確かに住んでいる人だ。
同じバスに乗って10分ほど。岐阜公園が近づいてきた。
「次ですよ。」と彼らに教える。
そして、笑顔でおりていった。
「ありがとうございました!」
束の間の小さな国際交流?
勉強してミャンマーから日本にやってきて、高齢社会を支えてくれて
いる。
あどけない、純朴な感じがとても印象に残った。
20年後、30年後、世界は日本は岐阜はどうなっているのか。と思いながら。

彼らの人生が、しあわせであるように、母国に平和が戻るように。
いつか、安心してふるさとに帰ることができるように。



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気にならないサポーター。

外反母趾と長年つきあっている。
靴と足の関係は難しい。
最近、新たに購入した靴が足に合わず、ネットで評価の高い
サポーターを入手して、早速装着して、新しい靴を履いて
歩き始めたが、途中から足先に痛みが走った。
時々立ち止まり、靴の紐をゆるめたり、サポーターの位置を
変えてみたり・・・。でも、やはり痛みはとれないため、
せっかくのサポーターを外した。
外反母趾とつきあうのは、なかなかむつかしい。

今回装着して痛かったそのサポーターを手にとってみつめる。
「ああ、これは確かに痛いわ。」
とても小さいサポーター。これを無理して足に付けていた。
それを足のサイズまで伸ばした分、ゴムの圧が足全体にかかる。
「支えられている!」という状態は、力のかけようによって
苦痛になるのだ。

さて、このサポーターを自分自身や仕事にもあてはめてみる。
今どきは、「伴走者」という役割が重要で、企業にとって、
経営者にとって、働く人にとってのサポーターの存在は必要。
豊かな経験を活かし、組織内で見える世界とは違う視点をもち
外から寄り添ってくれることはうれしいが、
そのアウトプットが時に強すぎたり、痛かったりするのでは、
長続きはしない。

付け具合も重要なのだ。
あまり自己主張もしてはいけない。
まずは、よく聞いて、ほどよくいい刺激やアドバイス、アイデア
を届ける。
苦にならない、気にならないコミュニケーションを心がける。

ときに、「全力で支援させていただきます」という入れ込みも
相手には負担になることもあるかもしれない。
究極は いるかいないかわからないぐらい相手と一体になっている
こと、気が付けば一人で走っている時よりも、何倍も力を発揮している。
気が付いたら、ずっと傍らにいてくれること。そんな伴走が理想か。

私自身、まさに日々、伴走をさせていただく仕事がある。
今一度、自分が痛くないサポーターであるかをふりかえりたい。
付けていても自然、じんわりきいてくる。
それが関係の長続きの秘訣かもしれない。

今回、購入した靴とサポーター。ちょっと無駄な消費になって
しまったかもしれないが、そこからの気づきは大きい。

伴走者という役割については、引き続き考えを深めていきたい。
あなたのお供。
ふと、桃太郎のお供たちが浮かんできた。

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場を創り、盛り上げる。

さまざまな場で、いろんな方に向けた演奏の機会をいただく。
自主企画の場合は、時期、地域、会場を自分で決めて、
表現したいテーマをもって、準備する。企画は自由自在で
あるが集客が一番の課題となる。
一方、ご依頼いただく場合は、集客の心配はない。
いろんなケースがあるが、お客さまはいる前提となる。
与えられた条件のなかで、どう表現するか?
時期や会場や時間帯、客層はもちろんであるが、その与えら
れた時間がその企画のなかでどんな位置づけであり、どのよ
うに会場を盛り上げていくか、構成をどうするか?自分を知
らない人にはどんなイメージをもっていただくと良いか?
そして、一番大切なのは、終わったときに皆さんがどんな
気持ちでいてもらえるか?である。
感動はぜひ、お届けしたいものだ。

構成は与えられた時間のなかで、一応起承転結を想定する。
AIDMAの法則も意識する。となると、衣装もどうするか?
今回のカラーは?対象やイベントの主旨、会場によって
変わる。

本番が1週間前になってくると、このようなことが
ぐるぐる頭のなかをかけめぐり、イメージトレーニングを
はじめる。

今回のご依頼は、周年から1年遅れになったが、コロナも
あけて久しぶりに集う、社内のパーティーイベントでの演奏。
そのイベント自体も従業員の皆さんと一緒に企画、準備の
お手伝いもさせていただく。

当日をイメージする。
参加者の交流がすすみ、お酒も入って、わいわい楽しく、
いい気持ちの場ができつつあるところへ、ミニコンサー
ト。どうはじめるか?どう終わるか?

音楽はその場を創る、盛り上げる役割、使命がある。
今回は、日々一生懸命お仕事をされる皆さんの労を
ねぎらい、主催したチームメンバーも、参加される従業員
さんも経営者の皆さんも、全員ほっこり笑顔になって、
ああ、いい時間だな~と英気を養ってもらえる。そんな
時間にしたい。
もしかしたら、生演奏を聴いたことがない方もおられる
かも。

ここしばらく、頭のなかでぐるぐるイメトレが続くだろう。
毎度のことながら、このカウントダウンは
心地よい緊張時間だ。

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百年時代とコミュニケーション力!

尊敬するおばあさんがいる。
母の親友でもあった方で、若い時から自営業を半世紀以上続け、
現在もデイサービスに行かれる日以外は、店番をされている。

知らない来客が、老人扱いすると、ちゃんと用事を言うようにと
しかりつけるぐらい元気で、まさにゴッドマザーである。
商売自体は、すでに次の世代にバドンタッチされているが、
とにかく店のご自身のデスクに座ること。
それは健康長寿の秘訣のひとつになっている。

この方、かおるさんと言う。
私の高校の先輩でもあるせいか、親しみと尊敬をもって
母亡きあとも、おつきあいさせていただいている。
かおるさんが通うデイサービスに時折演奏に伺っているのも
このご縁があってのことだ。

ひなまつりに、とお菓子を届けておいた。
季節の催事を楽しむことは、とても大切だ。
無事受け取ってもらったかなと気になっていたら、
しっかり電話がかかってきた。
「ありがとうね、気を遣ってもらって、悪いね・・・」
とにかく喜んでおられることが伝わってくる。
元気いっぱい、笑顔が浮かんでくる声。

100歳近くになって、自分で電話されるって、すごいこと。
自分の携帯で番号をプッシュして、話しをする。

まあ、少し言葉が重なったり、話が要ったり戻ったりする
こともあるがそんなことは、気にならず、とにかく気持ちを
伝えようと一生懸命話そうとされていう姿勢に頭が下がり、
ありがたいと思えてくる。

少し話がまわりくどくなっても、何度も同じ言葉を繰り返
されても傾聴する。
とにかく、まもなく100歳を迎える先輩と電話で
コミュニケーションできることがありがたい。
かおるさんは、字が上手で絵も描かれる、
手紙も時々いただく。
どんな思いで?と思うと、向き合っていただいている
ことがうれしくなる。
三味線も演奏されるとも聴いた。すごいなあ。

驚くべき発信力、表現力、コミュニケーション力!
見習わねば!
そのためには、止まることなく仕事を続けること、
何かをやり続けること、関心を持ち続けること、
学び続けること。
かおるさんの背中を見て、そんなことを思う、

来月はまたデイサービスに出向き、
春のお祝いコンサートをしたい。
いつまでも、いつでも、電話をしてきてほしい人。

コミュニケーション力と生きる力は比例すると
薫さんを見ていて実感する。

百年時代は、
まさに元気なコミュニケーションから!

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