先日の陥没事故。被害に遭われた方の救出が遅れていることを思うと、心が痛い。
なぜ、そのタイミングでそんなことが起きるのか。被害の影響拡大も驚きだ。
現地の皆さんの暮らしが早く日常に戻れるように心から願う。
このことは、他人事ではない。自分の周囲でもいつ、なんどき、何が起きることやら。
見えないところで、歪みが出ている。そんなことまで考えてこなかったが、
日常生活は、見えないところで支えられている。
電気、水道、ガス、通信・・・。これらが使えて当たり前と思っているが、
そうではない。ということを改めて意識せねばと考えさせられる。
インフラの老朽化。安心安全な日本はどこへ行ったのか?
毎日、どこにでもリスクがあると思ってしまう。
ちょうど、年度末に向けて、さまざまな工事が地元の道路でも行われている。
浸水を防ぐための水道管の工事など、まさにインフラを整えるための工事が
行われている。そのこと自体はとてもありがたいが、だからといって局地的な
工事だけでは、いざといった時に間に合わないかもしれず、税金を払う側もしっかり
このことに関心をもち続けること、注意を払うことが大切だと考えさせられる。
この十数年。自分が生まれ育ってきた時代は、日本がいろんな意味で成長を遂げた
華やかな時代であった。本当にありがたく、感謝しかない。
しかし、その繁栄は永遠のものではなく、今は見直しをしなければ、次代の人が
生きられない事態になっている。
省インフラという言葉があるそうだ。
省とは省みるということ。
省エネという言葉も以前よく使われたが、見直し無駄をなくしていくこと。
インフラもそちらの方に進むべきだという考え方。なるほどと思う。
大きな新しい建造物を作ったり、ダイナミックな富の象徴のような建造に目を
向けるよりも、あるものを修繕しながら、長きにわたって使えるように工夫して
いくこと。
いけいけどんどん。の時代の反省。
もちろんいいこともあり、恩恵を受けてきたけれど、
省みて改善していくことは本当に、切実な課題。
今回の事故から、学ぶことは多すぎて・・・。
まず、足元から気を付けること。
いろんなリスクが多くなるが、自分を守れるのは自分しかいない。
省の時代。改めて考えねば。
改めて、現場からの一刻も早い救出と復旧を遠くからで申し訳ないが、
心から祈っている。
省の時代。
オンも、オフも伝わるコミュニケーション。
とくにビジネスにおいては、日々いろんな人とのコミュニケーションが前提になり
仕事が成り立つ。
もちろんプライベートでもコミュニケーションはとても大切であるが、気心知れた
人とのつきあいと、そうではない相手とのかかわり方は、まったく違う。
自分を知らない人に、自分を知ってもらうこと、理解して、好きになってもらう
こと。そこから仕事もうまく進むことになる。
仕事も結局「人」と「人」の関係性からである。
技術職であれば、パソコンに向かい考え構築していく仕事であるので、日頃人と
話をしたりすることは少ない。
コロナでさらに会議はオンラインが主流となり、対面でのコミュニケーション
機会は減少。
そんな環境で育った学生たちも、リモートでの講義が多く、学生同士での
交流も少ないまま社会人に・・・。
ということでリアルなコミュニケーションの経験が少ない若者が多い今日。
チャットやLINEでのやりとりが主流であるが、ビジネスの場面では
メール、電話、対面での対話など相手に合わせた受発信が大切であることを
ひとつづつ伝えていけたらと思っている。
世代を、環境を、業界を越え、まさにボーダレスで、オンでもオフでも
通じ合える関係が増えていけば、さらにいい変化が生まれるはず。
平和だから〇〇ができる。
Valentineが近づき、あらゆる売り場でお祭り感が高まっている。
昨日、街中を歩いていて、なんと路面店の肉屋さんでバレンタイン
商品を販売していたのは驚いたが(ハート形に切り抜いた牛肉の
ギフトセットという不思議な商品)、チョコレートだけでなく、
こんなところにまでバレンタインが浸透していることに日本の
平和ぶりを感じる。
デパートでは平日でも、チョコレート催事に行列ができている。
コロナ後、再び過熱している様子。
ここで販売されているチョコレートたちは、どれぐらいもともとの
意味どおり贈られているのだろう?
自分のために購入されている方も多いのでは・・。
とにかくお正月の次の催事「ショコラ〇〇」。
イベント名は各社違えど、一年でもっとも集客を期待できるイベント
としてすっかり定着している。
これらを見ても、本当に平和だ、平和すぎると思う。
いつまで、こんな幸せな甘い時間が続くのだろう・・・。
そう思っていたら、通販雑誌の表紙のタイトル上に
「平和だから買い物ができる」とのコピーが目に飛び込んだ。
そう、平和だから…確かにそうだ。
平和であれば・・・。子どもであれば学校にも行ける。
友達と遊ぶことができる。家族でひとりで旅ができる・・・。
そこに行くまでに平和だから自由にものが作れる、売ることが
できる、楽しく暮らすことができる、次はどうしようかと考える
ことができる・・・など、いろんなことが連なってくる。
平和であることを、意識せず毎日暮らしていることが多いが、
今改めて、平和でいられていることに感謝をして、
ひとつひとつの行動に感謝したい、丁寧に過ごしたい。
平和でない人たちが世の中にたくさんいる。
そのことを忘れてはいけない。
平和だからできる。
このことが続く一生であってほしいが・・・。
「生きててよ」
大切な人たちとの再会の時間は、心の栄養であり、生きる力になる。
昨日、仕事の合間に、久しぶりにお会いできた人たち。
いずれも四半世紀、それ以上のおつきあい。
20代。30代の自分を知っていただいている人もだんだん
指折り数えるほどになる。年々減っていく。
自分のことを変わらないね。という目線で見守り、何の遠慮もなく
何でも話しあえるのが、うれしい。何とも言えない安心感。
ひとたびお会いすれば、話題は次々と湧いてきて、あっという間に
二時間が経つ。
「あ、こんな時間。行かなくちゃ」
名残惜しいが、今日はこれで。とお開きになる。
最後に硬い握手を交わし、お互いの元気を誓う。
「生きててよ」
今回、帰り際にそう言われたのが、大変印象的であった。
そんな言葉はこれまでなかった。
生きているのが当たり前と思っていたから。
でも、これからは、そうとも限らないから、
「生きててよ」
また、ぜひ絶対に会おう。という願いを込めて。
いつが最後になるか‥と考えたくはない。
また会う。会える。その日まで、どうぞお元気で。
東京で得たご縁もいろいろあるが、どれも
大切に紡ぎ続けたい。
大好きな人たちへ、
「生きててよ」
変化を自ら楽しめる人に。
生きていく上で、変化はつきものだ。
環境が変わる、状況が変わることにより、自らも変わらなければならない。
そんなときも多くある。
ときに、変わりたくないこともあるかもしれないが、
なかなかそうはいられない。
生きるということは、変わるということ。
毎日違う時間を過ごしていること自体、変化しているようなものだ。
同じ毎日を生きているような感覚になることもあるかもしれないが、
同じ日を同じように生きるということは、決してない。
一方、時に大きな変化が外的環境からもたらされると、特に予期せぬ
ことであれば戸惑ったり、悩んだりすることもあるかもしれない。
そんな時は、そんなもんだと思うようにする。
そして、変わるチャンスをもらったのだと受けとめるようにする。
そして、どうせなら人から言われる前に、自分で変化に向き合う
ようにしたい。
昨日までラッキーな時間を重ねていても、今日はどうかはわからない。
とにかく何があってもおかしくない、どんな状況でもタフに
乗り越えられる自分でありたい。
今、時節柄、さまざまな見直しがされる時期である。
新しい人が入ってきたり、送る送られる、そんなこともある。
どんな変化がふりかかってきても、自分が主体的に変化を楽しみ
それをきっかけに成長できるようにしたい。
受け身になるより、自から発する人へ。
人からもたらされる変化より、自分から変わる方が面白い。
人生主役は自分。
周囲といい関係をつくりながら、自分らしく
変わることを楽しもう!
ときに葛藤も内なる成長のために歓びとしよう。
自分の目指す方向に向かい、日々を楽しむ。
と、今日もそんな思いをもって、変化の旅へ。
戦後80年の節目にできること
出張先では、その土地で発行する地方紙を購入して、移動中に眺め
持ち帰っても眺めるのが日課のようになっている。
とくに、京都新聞を読むのは、楽しみのひとつ。
だんだん発行部数が減っている新聞。いつまでこの新聞文化を楽しめる
のかわからないが、紙面を広げて「眺め読む」愉しみは、今や昭和生まれ
でなければわからないのかもしれない。
一昨日、購入した京都新聞のなかに、よく見ると
「京都戦時新聞」というタイトルの新聞が別冊として織り込まれている。
思わず見間違えたのかと思ったが、昭和17年(1942年)7月8月のニュースが
わかりやすく再編集された紙面である。
「米英艦隊を壊滅 ソロモン海戦 日本の損害軽微」
との大見出しに驚く。
もし、今日本が戦争に巻き込まれていたら、毎日このような戦況が掲載される
のだろう。恐怖心を抱いた。
京都新聞が戦後80年ということで、当時の記事を再編集し、戦時中の様子を
改めて現代に生きる読者に伝え、戦争について考えるきっかけを・・・との
狙いであろう。その企画意図に共感する。
戦争はあってはならない。ということを自分事としてとらえるには、いろんな
きっかけが必要だ。
新聞社の役割として、こういった企画はぜひ続けていただきたいし、これから
各社がさまざまな取り組みを行うことだろう。
節目とは、そういう意味でとても意味がある。
自分といえば、まずは2月14日に予定している長崎でのコンサート。
平和と愛について、自分なりに考えて、表現してみたいと思っている。
集客の心配はあるけれど、そんなことよりも、
おいでいただける方に、いかにメッセージを届けることができるか。
平和への願いと、長崎への思い。
ずっと気になっている原爆資料館で知った1枚の少年の写真。
あれがずっと忘れられない。
平和がずっとここにあるように。
そんな願いをどう表現しようか。
戦後80年だからというわけではないけれど、せっかくの節目だから
自分がすべきことはしたい。
と思いながら、新聞を眺め直す。
真剣は疲れる。
ある企業で従業員さんとの個別面談。
今回は管理職。その時々で相手によっては、リーダー
であったり役は特についていなかったり。
いろんな立場の方たちとさしで向き合い、その時々の
テーマについて話を聞かせてもらったり、ときに
アドバイスや、エールを送ったり、相談にのったり・・・。
話すのがそんなに得意ではない人、気が進まない人も
あれば、話し過ぎる人もいて、本当にさまざまであるが、
実はこの時間が、私はとても好きだ。
人を知ることができる、新たな発見を得られるだけ
でなく、喜んでもらったり、応援したくなる気持ちが
湧いてくるのが嬉しかったりもする。
どんな問いかけをしても、「別に」という感じで
多くを語らない人には別の角度から違う質問をして
違う言葉が出てこないか模索したり、
問いかけをすることで、それが考えるきっかけになる
人には、一緒に考えてみる。
普段の仕事の手を止めて、ともに考える未来に向けての
時間。
将来自分はどうなっていたいのか?どうなっているのだろう?
会社はどうなっている?自分は何ができる?
今日明日のことではなく、先のことを想像する時間は
普段と違う想像力を使う。
面談後、ある人に笑いながら言われた。
「疲れますね。変な意味じゃなくて」
この面談の時間は疲れるとのこと。私と話すとパワーを吸い取られるという。
「そう?元気もらえますという人が多いけど?」
笑いながら、かわす。
最初は人見知りだったこの人も、面談を重ねるうちに、いろいろ話すように
なり、一緒に未来を向いての会話もできるようになった。
変化を感じる。
「真剣になっていると、何でも疲れるよね。」
楽しいだけではなく、パワーを放出しながらのコミュニケーションの時間。
その間に交わした言葉のいくつかが、心に刻み込まれたらそれでいい。
そう、真剣勝負は疲れる。お互いに。
そこから生まれる信頼関係を大切にしたい。
悪い終わりはない。
終わりよければすべて良し!と言われる。
確かにそのとおり。
ハッピーエンドになるようにと、日々心掛けているつもり
ではある。
でも、終わりに失敗してしまうこともある。
大変卑近な例となるが、
ある料理を試みた。
実は近年、乾物をつかった料理に興味があり、
乾物を時間をかけて戻してから料理するという
先人の知恵に学ぶ、驚きの時間。
乾物を戻すのは、モノに寄るが、そこに化学変化
も見られて大変興味深く、時間をかけて料理を
することでの楽しみもある。
ということで、今回は棒鱈に挑戦。
京料理で知られる「いもぼう」もどきを
作ってみようと思い、棒鱈を水で戻すこと
1週間。
毎日大きくなって、魚の形になってくる
のも面白く、少し癒しにもなっていた。
さて、そろそろ調理をしようと味付けを
しながら、最後に美味しい新潟の里芋を
鍋に入れて・・・。
そこで火をかけていることを忘れ・・・。
気が付いたら、鍋が真っ黒。
焦げるほどに火を入れ続けていたのだ。
もう少しで美味しい京料理もどきが
いただけると思ったら、まったくの
大失敗。
1週間もかけてきたのに、なんたること。
しばし、茫然となる。
しかし、そこで気づいてよかった。
火事にならなくてよかった。
火元から絶対に目を離してはいけない。
最後まで気を抜いてはいけない。
終わりよくなければ、努力も無駄の泡。
ではなく、
失敗して学ぶことは多い。
真っ黒になった鍋を洗い、磨きながら
今度は鍋がきれいになったことに
歓びを感じ。
前より鍋がきれいになったかも?
終わり悪くも、学びはある。
すべての行動を、教訓にして、
喜怒哀楽、成功も失敗
大きいことも、小さいことも
すべて生きる糧にして。
懲りることなく、乾物にまた挑戦
しようと思うが、しばらくは・・・。
新オフィスとモチベーション。
お世話になっている企業が事務所移転をした。
引っ越し後、初めて訪問する。引っ越しされてまた1週間も経たない。
ビフォア・アフターが気になる訪問。
地方が本社で、東京には支社、営業所をもつ会社も多いが、
職住一体型の事務所として常駐せず、出張した社員が宿泊先としても
利用するといったスタイルもあり、また最近ではリモートワークも
普及した関係で社員は毎日事務所に出社せず。必要な会議時などに
出社する。
ということで、最小限の専用ワークスペースと、自由に使える
共有スペースがあるシェアオフィスを利用する企業も増えている。
今回は後者のパターン。
専用オフィスはデスク2台が入るほどの小さな仕事場ではあるが、
広々とした共有スペースがあることで、会議はもちろん、来客を
受け入れたりいろんな交流もできる。
同じビルの中で、仕事したり、休憩したり、交流したり、自由な
過ごし方ができるという素敵な空間。
まさに今どきのオフィス、である。
そこに地方の本社から社員が出張で訪れる。
新しいオフィスに入ったとたん、「わあ、かっこいい!」と
眼を輝かす。きょろきょろと室内を見渡し、興味が尽きない。
ここで働きたいと思った社員もいたかもしれない。
「ここなら、来客もどんどん呼べるし、学生にも来てもらえます」
と責任者の声。
事務所とは自分たちが仕事をする場だけでなく、交流する場でも
あると考えると、今どきのシェアオフィスは新しいワークスタイル
を提供している。
かっこいい会社で働きたい。
会社のイメージをアップさせたい。
機能的に、柔軟に仕事をしたい。
いろんな思いが叶った今回のお引越し。
コロナの影響で、オフィスの考え方も変わった。
新しいオフィスで、東京と地方の社員が集い、交流したひととき。
普段はリモートでのコミュニケーションが多いからこそ、
新オフィスでのリアルコミュニケーションは
モチベーションアップのきっかけにもなる。
働く皆さんの興奮気味なきらきら笑顔を思い出しながら、
若い人たちが、働きたいと思う環境を整えていくことは
これからの企業にとって必須条件であると確信する。
ふと、会社員時代東京に初出張した20代の頃を思い出す。
「ほら、東京のビルはね、24時間、電気がついているんだ。
夜遅くまで皆働いているんだ。東京はすごいだろ!」
と一緒に新幹線移動した上司が車窓のビル景色を見て
教えてくれたことが、今も懐かしい。
若者たちがいきいきと働けること。
そんなことを真剣に考え、取り組む企業は素晴らしい!
毎日誰もいないかもしれないオフィスに、咲き続ける三色バラと
アウフヘーベンを感じさせるトライアングルなVASEを贈る。
自分なりの応援と寄り添いの気持ちをこめて・・・。
そして、頑張る若者たちに心からのエールを送る!

バックボーンとバックグラウンド。
ひとりの人を知る。ということは、簡単なことではない。
見た目や表層的な会話だけでは、本当はわからない。
いい人に見える、気が合いそう。好感をもてるかどうかは
第一印象やその後の会話がまずは決め手。
そこで不協和音を感じるようであると、そのあと理解が
進まない。
第一印象がよければ、さらにコミュニケーションが進む。
第一印象が良くない、なぜ、そんな態度をとるのだろう?
なぜ、そんな風に周囲に誤解されるような言動なんだろう?
気になると、なぜなのか?を知りたくなる。
自分から見ると決してそうでもないのに、
第一印象が良くない、誤解されやすい。
そのままでは、もったいないと思うから、何とかできないか
と思ってしまうのだ。
無駄口を吐かず、ただ真面目に仕事をする、自分にも厳しく、
周囲にも厳しい人がいる。人の評価は気にしない。
その厳しさはどこから来るのだろう。
それは、その人の生い立ち。そしてそこから培われた人生観
から来ていることを、じっくり対話してわかってきた。
バックグラウンド。その人が生まれた環境、背景。
それはその人の人格形成や精神力に大きな影響を与える。
そして、バックボーン。
その人の背骨。生きていくなかで基本的な考え方が育つ。
自分はこうやって生きる。生きるしかない。
この背骨がしっかりしていると、人はそのように生きる。
背骨がある人とない人の違いは、行動に現れる。
その自分にも人にも厳しい人は、「人は一人でも生きて
いられるようになっておかないと。誰も助けてくれないから」
と、言う。
自立の必要性をとても強く感じているのだ。
だから、つい部下への指導も厳しくなってしまう。
それは、自立してほしいが故のその人なりの思いやりでもあるのだ。
話をよく聞くと、なぜその人が厳しいのかがわかってくる。
じっくり話せば、ひとりの人の「人となり」が見えてくる。
その人のバックグラウンド、バックボーン。
話を聞きながら、その人の、家族の人生がうまく幸せで
あるようにと心から思った。
人は生かされている。
だから、その人のためにがんばらねばと思う思いから
パワーが生まれる。
バックグラウンド、バックボーン。
ふと、自分に当てはめる。
なぜ、自分がこう生きているかの理由がそこにある。
きっと誰しもがそうだろうと思う。
それぞれの基点を大切に、そしてそれがより良い方向へ
発展できるように、努力したいと思う。