自分の最後の仕事。

経営者の会話を思い出す。
この取り組みは自分の最後の仕事になるでしょう。
という言葉を聴いて、50代の経営者もそんなことを
考えるのだとしみじみ・・・。
そう、考えなければならない年齢、時期なのかもしれない。

自分がその役割を終えたあとにも、会社が続いて
いけるように、とそんなことを思いながら始める
新たな事業。そこには重い責任と熱き思いが重なる。
10年後、20年後、30年後・・・。
会社は社会とともに存在する。時代の変化とともに
成長発展していかねばばらない。
どんな風にバトンを渡していくのだろう。

と、そんなことを思いながら、今の仕事を
精一杯取り組む姿には、頭が下がる。
経営者とは、常に今のことだけでなく、
先のことも見据えながら生きていかねば
ならない役割。

自分の人生だけでなく、人の人生も背負っていく
この仕事・・・。
働く一人一人も、そのことを忘れずに
一緒に働く縁を大切に、前進してほしい。

と、昨日のある経営者との会話をふりかえり
改めてエールを送りたくなった。

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たまには自分に感動。

何年も聴いていなかった10年以上前にリリースした自分のアルバムを
久しぶりに聴いてみた。
ファーストアルバムは13年前の、東日本大震災の直前であった。
ひと昔前の自分の曲、演奏・・・。
若いなあ。力いっぱいだなあ。と以前の演奏をそう思った。
でも、歌詞を聴いていると、なんだかあの頃から今と変わらない
人生観、死生観をもっていたような気がしてきて、これが自分なのだ
としみじみ・・・。
もちろん40代にもなれば、立派な成人であり、いろんな経験も
して、人生を少しは語れるようになってはいるだろう。
でも、今でも、その歌詞に共感できるとは、若き日の自分の感性
に驚く。
人生に向き合う姿勢、不変なるものを表現したいという思いは当時
からもっていたのだろうか?
音楽を一度捨てて、哲学の方に進んだことも、関係あるのかもと
も思った。
いつの間にか、人は、人生は・・・をいつも意識し、生きるように
なってきた結果、それらが作品にも出ているのかとも。

人はいつ、自分の才能に気づくのだろう。
今回、改めて過去の自分の作品を聴き直すことで、
ああ、これで悔いなく人生終わることもできる。
とも思った。

時々、自分の過去を振り返り、足を止め、これまでの歩みを
かみしめたい。
そこで生まれたさまざまなアウトプットにも目を向けたい。
自分に感動できるのは、とても幸せなこと。

感動は自分の生きた時間のなかにもある。

いい曲つくったね~。と自分を褒める。
そんな自画自賛、しあわせな時だ。

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どの時代も輝いて

14日に開催する長崎でのコンサートの準備も大詰め。
と言いたいところであるが、カウントダウンになり、
やっと動き出した感じ。
一番の課題はこれに集中する時間をつくること。
これが一番難しいが、せめて移動中は音を聴いて
耳を馴らす、音程正しく声を出しやすくする。
最新のアルバムを聴いて、ついでに、過去のアルバム
も聴いてみる
実は自分の演奏を聴くのは緊張する。
ここは良くない、ここは、あそこは・・とついつい、
今さらのダメ出しをしてしまうのと、自分の声を聴く
のはどうも恥ずかしい気もして・・・。
でも、今回はなぜかすんなりと自分の演奏に耳を傾ける
ことができた。

へえ、こんな風につくっていたんだ。オーケストラみたいな
バイオリンとピアノのハーモニーに、ああ、こういった
曲をつくっていた時代があったのだ。と自分の作品に
感動する。
あのときは、ポルトガルへ行き、ザビエルたちが出航した
港まで出向き、思いを馳せてザビエルへの思いをその夜
リスボンのレストランでメロディを譜面に描いた。
と、そんな瞬間のことがくっきりと蘇ってきた。
そして、バイオリンを演奏していただい当時交流のあった
Mさんのことが急に懐かしくなり、果たしてお元気なのか?
と十年ぶりぐらいにか、メッセージを入れてみる。
まだ返事はないが・・・。

こんな風に昔のアルバムを辿りながら、昔の自分に出会い直す。
その時代、その時代で、自分なりにがんばっていたんだな。
と思うと同時に、これらの作品はすべて自分が生きた証し。

自分が亡くなったあとも、このアルバムを聴いてもらえれば、
自分がどんな人間であったのか、どんな生き方をしていたか、
の片鱗は掴んでいただき、少しはなつかしく思ってもらえる
のかもしれない。

と準備をしないこの時期に、昔の自分の演奏に浸りながら
今の自分と重ねる時間。
このひとときも、大切だ。

コミュニケーションクリエイターとアーチストのスイッチが
切り替わる瞬間でもある。

さあ今日はさらに追い込みをかけるとしよう。
長崎のあの会場にいる気分で、リハーサルをする。

わが人生。決して優等生とはいえない、、むしろ不良であるが・・・
それぞれの時代で自分らしく輝いていた。
そして今のことも、あとで振り返ったときにきに、
そう感じられるといい。

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災い転じて、吉雪になって・・。

雪の影響は、今朝も続いている。
新潟や北陸をはじめ、大雪が降った地域の皆様には
心からお見舞いを申し上げたい。
物流が滞り、店の営業にも影響が出ているところも多い。
店頭に商品がない、提供できないなど、ほんとうに
人力やITの力だけではどうしようもできないこともある
ということを改めて知らされる。
早く、普段の生活に戻れるようにと、今朝も自宅や
出勤先で雪下ろしから1日をはじめる仲間たちのことを
思い、頭が下がる。
雪国の人が忍耐強い、というのは雪と共存してきた
からだと思っている。
寒さに耐え、大雪に耐え・・・。
春のおとずれを待つ・・・。
この季節は本当に過酷である。
今週の長崎コンサートにも、新潟の方から
「除雪の仕事があるので、残念ですが、行けません・・・」
との声もいただいた。
そう、除雪は冬の通常業務だ。
ましてや、週末からの雪の影響でその仕事量も増えて
いることだろう。

生前大変お世話になった新潟の方が、
雪はわたしたちに、吉をもたらすもの。
ということで、「吉雪(きっせつ)」という名の
自社ブランドを立ち上げられたという話を懐かしく
思いだす。
大雪との戦いは大変だけれども、それがもたらす
恵みも大きい。
美味しいお米、お酒、野菜・・・。
新潟の食がおいしすぎるのは、雪のおかげともいえる。

あたたかい缶コーヒーやペットボトルのお茶を
両手で包みながら、
「寒いっすね!」
と雪の日に、一緒に移動した新潟の仲間たちの
顔が浮かぶ。
雪という共通ワードで仲間意識も高まっていた気がする。

現実的にはさまざまな被害もあって、
心配も多い週明けであるが、どうぞみなさん、
元気にこの冬を乗り越えていただけるように、と
心からエールを送りたい。

雪は不思議な存在だ。
見ている分には美しく、音もなく・・・。
でも、気が付けば・・・。

いろんな教訓を得られる存在だと思う。

吉雪。今朝もその人のことを思い出す。
今朝の新潟、空から見たら、こんな感じだろうか。

雪解けの季節を待ちわびながら・・・。

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信長に聴かせるYOUR TANGO

雪が降った日の空は、厳しい寒さながらもとても美しく、そのまま日が落ち
て濃いブルーに包まれるのが心地よい。と、そこに華やかに現れた信長の像。
これは岐阜駅の広場にある金ピカ像である。そのスポットがいつのまにか、こんな豪華なステージになっていたのか。昼間は気づかなかった。
岐阜の伝統工芸品である美濃傘や提灯などが大胆にディスプレイされ、時間ごとに色が変わるライティングで、気づいた通行人が思わずここに寄って、写真を撮る。
ちょうど、好きな色に変わった瞬間にスマホを向けた1枚がこれ。

実はこの時、来週行うコンサートの構想を考えながら、自作の「NOBUNAGAの夢」を聴きながら歩いていたのだ。
信長が生きていたら、この曲を聴いてもらいたかった。何と言うだろう。
と勝手に想像しながら、歩いていたところにこのスポットに遭遇した。

最初は遠目に見ながら駅を目指していたが、思わずこの像に向かって歩き出した。
この銅像の下まで歩いていき、広場に立つ信長の前で、この曲を一緒に聴く。
「どうですか?信長さん。こんなタンゴどうですか?」
など、問いかける。音で描いた信長像が、このビジュアルにマッチ
していることを面白く感じた。
誰かが考えた信長のイメージと、私が考えた信長のイメージ。
それぞれが描いた世界が、うまくシンクロするのがとてもいい。

いつかここでも、NOBUNAGAの夢を演奏してみたい。
小さな夢がまたひとつ。

信長TANGO ライブ演奏はこちらから
https://www.mahsa.jp/creation/

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真剣に向き合う。

若い人との対話が増えている。
とくに社会人になったばかり20代の方とのやりとり。
自分に子どもがいないせいかもしれないが、
ある意味、とても新鮮であり興味がある。

この人たちが、これからどうやって一人前になっていくのだろう。
学校を出たからといって、一人前ではない。
自立して生活できるようになって、社会の一員となって何等かの
役割を担ってこそ、ひとりの大人である。

まもなく新入社員を招き入れる季節。
企業側もその受け入れに準備を整える。
手厚く交流して、内定通りに入社いただき、そこからが本番だ。
採用も大変な仕事であるが、早々に退職したいということに
ならないようケアも必要だ。
上司や周囲の人が、その人の状況、変化を見てしっかりコミュニケーション
することが大切だ。

その人ががんばって仕事を続けられるかどうかは、本人の問題もあるが
周囲の責任も大きい。
上司に何でも相談できる関係、そしてその上司も部下の悩みを聞き入れ、
解消したり、問題解決に向けてできることを一緒にしよう!と取り組む姿勢が
こそが大切だと思う。

その結果、100%思うようにならなくても、少しずつでも改善できるよう
まず自身ができることをし、周囲にも働きかけ環境を改善できるように動いて
みるなど、上司が自分のために動いてくれたということも部下にとっては
励みになったりする。

真剣に向き合えば、きっと伝わる。

真剣に聴き、真剣に一緒に考え、そしてできることをすぐ行う。

上司と部下の関係性は、組織を強くする一つの大切な節。

そこにはやはりコミュニケーションが欠かせない。





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心を込めて、魂込めて。

長崎でのコンサートが1週間後に迫ってきた。
いつもどおり、練習も、集客や演奏以外の準備もままならず
カウントダウンに突入。
ここまできたら、やるしかない!
と自分を追い込むところまで追い込む。
でも、集中できる時間がない、なんとかせねば。
本番前はいつもこんな感じ。

そんななか、小澤征爾さんが亡くなったのが2月6日と
のことで、追悼番組をやっていたのを知る。
そのなかで、「はじめて聴くお客さんにも、心を込めて
演奏すれば、必ず伝わる」と、学生たちに教えておられ
る様子を知り、思わず立ち止まる。
そうだ。どんな状況であっても、心を込めてやりとげる。
心がまっすぐであれば、かならず伝わる。
小澤さんの指揮は、全身からまさに心が透けてみえる
ような表情豊かなものだった。
アウトプットとしてのオーケストラの音色は、まさに
指揮者の心そのものを表現していた。
だから、世界中にファンが集い、弟子たちが慕った。

地元でもない、知人も少ない長崎でコンサートをやる
意味は、ここで愛と平和を自分なりに伝えることに
ある。私の気持ちを、伝えるためにやる。
ここでやりたい。このタイミングでやらねば。と
思ったのだから、それをやればいい。

お客様がたとえ、ひとりでも、百人でも、心を込める
ことは変わらない。むしろ、少なければその分、
ひとり一人に伝えることもできるかもしれない。

長崎に初めて行ったあの日。そこから出会ってきた
方々も足を運んでくださる。
これを機会に、わざわざ県外から足を運んでくださる
方もおられる。
何というしあわせなことだ。

今回はおいでいただく方皆さんに、心からのバレンタイン
の贈り物を届けたい。

そして、長崎でやってよかった。とお客様も自分も思えるように。
そのゴールをイメージしながら、
本番に向けて、そろそろ切り替えていく。

心を込める。魂を込める。
やはり、ここにいきつくのだ。

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いい仕事。

働く。「人が動く」と書く。
生きている間、元気な間、動いて何かしら社会のお役に立つ。

仕事。こちらは「事に仕える」と書く。奉仕する、お役に立つ
ということ。

一般には、これらを行うことにより、報酬をいただく。
ボランティアなど、報酬を得ることを目的としない仕事もあるが、
多くは働くことで報酬を得て、生活する。
生きていくために、働かねばならない。
だから、給料は大切だ。

どうせならば、少しでも高い収入を得たい。
これは誰もがそう思うことだろう。
でも、要求するだけではそうならない。
その報酬に見合う、期待に応えた仕事をしなければ
価値ある仕事をしなければ、と思う。

どうせやるなら、成果を生み出す仕事をしたい。
どうせやるなら、相手に喜んでもらいたい。

結果は後でついてくる。

現実には、こんな給料じゃやってられない。と転職していく
例もあるが、
ひとり一人が自分の能力や個性を活かし、
その職場で役立ち、結果満足のいく収入を得られる・・。
そんな状況になればよい。

雇用とは改めて大変難しい課題だ。
人を雇うとは、その人の生活がかかっている。
成果を上げてもらいながら、生活を支え続ける。
経営側にとっても、従業員側にとっても、いずれも
真剣勝負。
双方の理解と感謝。

どうせ仕事をするならば、一緒に未来に向かえるように。
そんな職場づくりは、やはり日ごろのコミュニケーションから。

ああ、いい仕事ができた、いい会社で働けた。
いい人に働いてもらっている。

と毎日実感できるといい。
それは受け身では実現できない。
自分からそう思えるように心得、自分から動くこと。
そう、自分から動くことが、本来の仕事。


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すべては出会うために。

わが人生は、本当に出会いに恵まれていると思う。
そして、気が付けば、出会うべして出会っている人との
関わりのなかで生きている。

自分が独立したばかりのときだったか、当時30代半ばで
今と違う勢いで猛烈に活動していた頃、当時50代後半の女性の方から
「最近名刺の整理をしているのよ。
もうこの年になると、人付き合いをそろそろ絞っていこうと思う。
たくさんの人と出会わなくていい。本当につきあいたい人との交流だけで十分」
そんな話を聞いたことを、今改めて思い出す。
人脈を広げることが大切と思っていた自分にはかなり新鮮な言葉であった。

確かに若いころは、いろんなところへ顔を出し、名刺交換をして
いわゆる「人脈づくり」活動を無意識にしていた時もあった。
サラリーマンから作家に転身したNさんからは、いつも
「今尾、死ぬまで営業だから」と言われたことも同時に思い出す。
会う人会う人にいつも、自作を紹介した手作りビラを名刺とともに渡し続けて
いたNさん。Nさんは営業しながら、書き続けた。
そう、Nさんは生涯人脈づくりを続けた。書く営業マン。あんな人は見たことが
なかった。そういう先輩に刺激を受けて私もがんばった30代。

そして、月日が経ち、当時の出会いを懐かしく思うとき、
大切な人たちとは、出会うべくして出会ったのだと確信する。
長くご縁が続いている人とのことは、とくにそうだ。

あの方との交わりがなければ、その出会いはなかった。
あの場に行ったのは、あの人に会うためだったのでは。
あの仕事をしたのは、あの方に出会うためだったのだろう。

最近、そんなことを繰り返し思う。

生きるとは、心が通い合う人との出会いを求め続けること。
この人のそばにいたい、見守りたい、一緒に仕事をしたい。
ずっと話したい。もっと会いたい。応援し続けたい・・・。
そんな人に出会うために、日々、旅しているような、わが人生。

昨日もそんなことを感じる出会いに恵まれた。

人生は観覧車のように、二回り目になって、改めて
人生は出会いのためにある。と強く思う。

多くなくていい、いい出会いは自然に現れる。

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顔が浮かんだら、即。

お世話になってきた方々の人生の先輩たち。みなさんの年齢を
思うと、70代後半から80代という方が多くて、何年か
ご無沙汰していると、お元気なのだろうか?と心配になって
くる。
そんなことで、年賀状も途絶えた方で、連絡先が分かる方に
時間があるときに、連絡をしてみる。

すぐ電話に出られ、元気な声を聴けたらうれしく、また留守電や
ショートメールに返事があれば、安心もする。
いろんなことがあって、コミュニケーションが一時中断していても
時間が経てば、物事の見え方が変わって、当時理解できなかったり、
距離を置いていたことが、変わって見えてくる。
時間とは不思議なものだ。

「今度、いつ東京に来るの?」「近いうちに、台湾へ行きますね」
と、必ず再会の話がお約束となる。
懐かしい人、愛する人たちに、今会っておかなくちゃ。

会いたいとき、会わねばと思うときに後悔しないように。

約束いっぱいの日々。絶対果たさねば。
時間のやりくりは大変だけれど、楽しみのひとつ。

顔が浮かんだら、会いに行こう!

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