AIより愛あるクリエイターとして。

東京、京都それぞれの拠点に、長年おつきあいいただき、
今も時々仕事をともにするデザイナーさんがいる。
会社員時代からのおつきあいで、独立後もずっとおつきあい
いただいている。
自分の20代の頃からの様子もよくわかっていていただいて
おり、本当にありがたい仲間である。
自分の思いをカタチにしてくれる人が身近にいてくれるという
のは、プランニングする立場としては本当に心強い。

京都のデザイナーさんは起業して33年。私より5年早い。
若いときからがんばられたな!と 今も変わらず、お元気に
仕事されている様子を見聞きしながら、改めて尊敬する。
最初に当時の勤務先に営業に来られた日のことを今も覚えている。
着々と信頼を重ね、得意先を広げてこられた。
時代の変化に対応して、しなやかに仕事をされてきた。

ひとりで世間と渡り合うのは、なかなかの力がいる。
デザイン力はもちろんであるが、自分らしさを曲げない
こだわりと交渉力、ときには納得いっていなくてもやりきる
対応力。
とにかくあの頃と変わらない。いや、もっと磨かれているし、
自信もある。
二人で、いろいろ京都をモチーフにした仕事をしたなあ。

昨日京都駅で打ち合わせして、本当にありがたい存在だと
思いながら、昔一緒にやった本のことを想い出したら、
出てきた。
平安建都1200年記念出版。
自分がディレクションして、その方にデザインして
いただいた。一緒につくった本。まさに30年前の作品だ。

きっと今この仕事を一緒にしても、こんな感じのデザイン
になるのでは?
彼女の変わらない伸びやかでつややかな感性は今も変わらず。

ともに元気なうちは、生涯現役。
クリエイター同志は、話が尽きない。
仕事に向かう姿勢も 使命感も共通点が多い。

AIがデザインやコピーライティングまでする時代であるが、
自分らしさを磨きながら自分たちにしかできない仕事を。
私たちがするのは、生成ではなく、創作。である。
AIではできない、愛を込めた思いをもった唯一無二の作品を。
そんな思いを語り合える仲間がいることに感謝。

これからも、長くご一緒いただきたい。

カテゴリー: Essay (Word) | AIより愛あるクリエイターとして。 はコメントを受け付けていません

空から応援団のおかげで。

確定申告のシーズン。働いている以上、事業をしている以上、
これは納税者としての義務。
この申告をご自身でされている方もおられて偉いなあと
思いながら、自分は起業した時から、税理士をご紹介いただき、
ありがたく今日にいたっている。
そちらの話は、全部プロにお任せして、自分は本業に専念できる。
これは大変ありがたいこと。
起業以来、唯一アウトソーシングでずっとお世話になっているのは
この業務である。

計算処理を終えた税理士さんより連絡が入る。結果を教えていただき
これで申告に進むとのこと。もちろん了承する。
コロナ前と、後。
それはさほど仕事に影響していないかもしれないが、
手ごたえを感じる昨今。
それはアフターコロナだから、ではなく、きっと見守りのおかげ
だと思う。

両親がいつも応援してくれていると思っているから、
だから存分に力を出せる。
心配することが変わったから、力を発揮できる。
そんな一面もあるのではと思う。

介護をしたり、世話をしたり、いろんな心配事が多い
時もそれなりにがんばっていたが、その時代を過ぎると
吹っ切れる何かがあり、もっともっととがんばれる。
そんな気がしている。

仕事ががんばれるのは、
そういう機会をいただけるからであって、まずは
自分を使っていただける、声をかけてくださっている皆様の
おかげ。
ほんとうに、有難い限り。
それがなければ、仕事はない。
そして、そのリクエストに応えたいとする自分の気力体力。
これもなければ、続かない。

応援していただいているのは、親だけではない。
上司や先輩や かわいがっていただいた皆様にも
見守っていただいている。
年を重ねて、空の応援団が増えていくのは、寂しいことでは

確定申告のシーズン。働いている以上、事業をしている以上、
これは納税者としての義務。この申告をご自身でされている方も
おられて偉いなあと思いながら、自分は起業した時から、税理士
をご紹介いただき、ありがたく今日にいたっている。
そちらの話は、全部プロにお任せして、自分は本業に専念できる。
これは大変ありがたいこと。起業以来、唯一アウトソーシングで
ずっとお世話になっているのはこの業務である。計算処理を終えた
税理士さんより連絡が入る。結果を教えていただきこれで申告に進
むとのこと。もちろん了承する。
コロナ前と、後。それはさほど仕事に影響していないかもしれないが、
手ごたえを感じる昨今。それはアフターコロナだから、ではなく、
きっと見守りのおかげだと思う。両親がいつも応援してくれていると
思っているから、だから存分に力を出せる。

心配することが変わったから、力を発揮できる。そんな一面もあるの
ではと思う。介護をしたり、世話をしたり、いろんな心配事が多い時
もそれなりにがんばっていたが、その時代を過ぎると吹っ切れる何か
があり、もっともっととがんばれる。そんな気がしている。

仕事ががんばれるのは、そういう機会をいただけるからであって、
まずは自分を使っていただける、声をかけてくださっている皆様の
おかげ。ほんとうに、有難い限り。それがなければ、仕事はない。
そして、そのリクエストに応えたいとする自分の気力体力。
これもなければ、続かない。

応援していただいているのは、親だけではない。
上司や先輩や かわいがっていただいた皆様にも見守っていただい
ている。年を重ねて、空の応援団が増えていくのは、寂しいこと
ではあるけれど・・・。


今日は四半世紀以上にわたり、ご指導、応援いただいた
上司の命日だ。
感謝を忘れず、しっかり頂いた教えを胸に、今日もしっかり
がんばりたい。
「今尾ちゃん、がんばってますか~」
にこやかな応援が聞こえてくる。

カテゴリー: Essay (Word) | 空から応援団のおかげで。 はコメントを受け付けていません

やっぱり「アイあい」。

勉強会や研修やコンサートをやったあと、あとで何度も
振り返る。とくに今いちだったなあと思うときは、ずっと
頭の中に残っている。

ある方が
「『反省会』という言い方はよくない、反省
ではなく、ふりかえりですね。」
とよく言われるのを思い出し、そう、確かに反省すると
へこむこともあるので、ふりかえる。何度も振り返る。

うまくいくケースは、結局はお客様の顔がしっかり見えている
とき。
目線が合っているときだ。伝わっているなあと感じる。
自分を見て話しを聴いてくれている。という場合は
コミュニケーションが進む。

固定されたデスクでの研修は、制約があることもある。
講師と受講者の目線が合いづらい。
意識して前を向き続けてもらわないと、目線が合わない。
こういうケースは様子がわかりづらく、しかも
マスクなど付けていると表情もわかりづらい。
相手が見えない、見づらいコミュニケーションは
難しいことに改めて気づく。

しかし、学びも多い。
工場内で仕事をされる場合、マスクだけでなく
帽子や顔を覆う作業着で仕事をされることも多い。
お互い目しか見えない関係の日々。
この環境でのコミュニケーションもなかなか難しそうだ。
しかも現場での仕事が忙しければ、仲間と交流する時間も
とりづらい。

と、自分がその立場に立つと見えてくるものがある。

いろんな制約、環境のなかでも通じ合いたい。

まずは、お互いの存在を理解するということ。
ということは 目でのコミュニケーションだ。
いつも、お伝えしている「アイ愛コミュニケーション」
目があえば、心も通う。
それはやはり基本中の基本。

ふりかえりのなかで、いろんな方向から見直すことで
自分の至らない点や、改善点が見えてくる。
こんなもんでいい。
とは思いたくない。
やる以上は、伝えたい。と思っている。

三歩進んで二歩下がり、そしてまた一歩前に・・・。

カテゴリー: Essay (Word) | やっぱり「アイあい」。 はコメントを受け付けていません

厳しい満点。

何度やっても、これで良かった!と諸手を上げて喜べる。
勉強会でも、演奏会でもそう思えるときは、実は多くない。
それでも、音楽の場合は相手が楽しもうとしてくれているので
演奏中に表情の変化を見ることができ、一体感を感じ盛り上げて
いくことがしやすい。
企業研修のような場合は、受講される人たちの表情が厳しかったり
すると、なかなか盛り上げづらい。
もちろん内容によるので、何度やっても見直しをしていく必要が
ある。

最初の出だしがポイントだ。
つかみをどうするか?

場の空気をどうつくるか、変えるか。

コミュニケーションとはまさに双方向であることを思う。

まずは目を合わすことからであること。

会場づくりも大切だ。

とにかく何かをやったら、ふりかえる。
そうすることで恥ずかしくなったり、こうしておけばよかったと
思うことは多々あるが、そこから逃げてはいけない。
それを乗り越えていくことが成長につながる。

相手が主役。
相手にとってどうか?

何十年やっても、改善点はある。
人間だから、調子がいいときも、悪いときも。
それも受け留め、
ひとつの経験を学びに活かす。
今度はこうしよう!
と気持ちを切り替えて 次に進む。

人に何かを伝えるというのは、ものすごくパワーを要する。
お客様の反応も含め、自分の仕事をしっかり振り返る。

満点はなかなか厳しい。
相手が人間であればなおさらのこと。

一生勉強。これは間違いがない。





カテゴリー: Essay (Word) | 厳しい満点。 はコメントを受け付けていません

今朝はどこにいる?

この1週間、違う町で朝を迎えることが多い。
長崎で、東京で、そして新潟で、京都で、名古屋で。
長崎では、海と山と坂が間近に見え、太陽の光がふり
そそぐそんな優雅な、みなと町の朝。
まさに、朝からギフトをいただいた気持ちになる。

東京に泊まった翌朝は、6時すぎから東京駅に行き、
まだ人の少ない駅で都会の朝のはじまりを観察しながら
電車を待つ。
店の開店準備がこれからはじまる。早朝と深夜だけは
静かな東京駅。1時間もすれば、いつもどおりの喧騒が
はじまる。今日はどれだけ多くの利用者がこの改札を
通るのだろう。ピッピッとICカードが通される音。早朝は
音と音に間隔があるが、だんだんこの間隔も縮まっていく
のだろう。

その後、新潟で新幹線をおりたら、雪どけの朝を迎える。
キーンと冷たい空気に身が引き締まる。
積もっていなくてよかったと安堵しながら、足元に
気を付けて歩く。用心の朝時間。

そして、地元での朝は、まずは自宅で1日の準備。
朝の日課はいろいろある。
それをこなして駅に向かう。
こちらも6時すぎであれば、利用者もまばら。
これから多くの人がここから出ていき、またやってくる。

今日は、まだ静かな時間に京都に移動し、京都での朝を
迎えることになる。
新幹線から近鉄に乗り換え、気が付けば、学生や通勤客
と一緒に京都の人になっていく。

とこのように毎日、日替わりのように各地での朝を
迎え、それぞれ楽しんでいる。

いろんな朝。
そう、目を閉じれば薄暗い冬の朝のパリや、NYの
活気に満ちたストリートも浮かんでくる。

朝はいい。
今日という新たな1日がはじまる。
今日もとびきりの1日にしたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 今朝はどこにいる? はコメントを受け付けていません

創業者冥利につきる

テレビというメディアは、すでに「オールド」という冠が
付けられており、またさまざまな面から問題も指摘され、
苦境に立たされていると思うが、そのなかでも、週末など
になれば、家族だんらんの夕食時間いわゆるゴールデン
タイムにはテレビを見ながらくつろぐという家庭もある
ようだ。
先日オンエアされた番組は企業が自社商品を紹介し、
専門家がそれについてジャッジ?するというもので、
人気番組らしい。翌日、録画したものを見た。
個人的には人様の商品を他人が評価するという企画自体
あまり好きではないが、どのように取り上げられるか、
なぜこういう番組がうけるのかなという目を持ちながら
勉強させていただく。

結果的には、番組で取り上げることにより、その後の
反響は大きく、結果、お店の売り上げに貢献するので
とても良い。テレビのおかげで!となるわけだ。
番組の中で取り上げられ、その商品のこだわりが、
しっかり伝わることで、新たなファンづくりに
つながることもある。という点で納得。
今なお、まだテレビには一定の影響力があるのだとも
思った。

その後、番組づくりに協力された企業の方と「見ましたよ!」
と会話した。
すると、「とにかく、創業者や長年取り組んでこられた
先輩たちの顔に泥ぬるわけにいかないので、がんばろう
と思いました。ただ、それだけです」
との答えに、感動した。

会社につとめ、長年仕事をしてこられた方が何十年
経った今も、創業者のことを思って仕事をされているとは!
そして、メディアを通じてそれを社内にも発信されているとも
思った。視聴者への影響だけでなく、社内のモチベーション
アップに貢献する取り組みだ。
自分は素晴らしい会社で働いているいう誇りを持った人は
多くおられたと思う。

イズムが生きている。
番組での取り上げられ方以上に、それに取組む社員の
皆さんの根っこにある熱き思いに触れ、だからいいものが
つくれるのだと改めて思った次第。

創業者冥利につきる。
きっと創業者は、あたたかく見守っておられることだろう。

時代が変わっても、精神を受け継ぐということは企業の
たゆまなき発展にいかに大切かということを学んだ。

どんなことにも、どんな思いで取り組むか。
やっぱり、そこだ!

イズムを大切にしたい。大切に生きたい。


カテゴリー: Essay (Word) | 創業者冥利につきる はコメントを受け付けていません

人生はミルフィーユのように。

ふと、自作の「人生は観覧車のように」の中の歌詞で
「人生はミルフィーユのように、重ねて重ねて綴っていく」
というくだりを想い出した。

ほんとうにそうだな~。20年ほど前につくった曲なのに、
今改めて、納得、実感のフレーズだ。
人生は毎日、毎時、毎分、毎秒の積み重ね。
薄い薄いミルフィーユのような時間と経験を重ねていく。

いきなり立派な形ができあがるのではなく、1枚づつ
薄い皮を重ねていくのみ。
それは地道な取り組みである。
そして、しかもその1枚はとても繊細で壊れやすい。
丁寧にそっと扱わないと壊れてしまう。

人生はときに大胆に進みたいけれど、
細心の注意をはらって、丁寧に丁寧に時間を、出会いを
重ねていくことも大切だ。
油断をしたり、傲慢になってはいけない。
力づくでは、良好な関係、理想の人生、世界はできない。

今日もさまざまな方との出会い、交わりがある。
瞬間瞬間を大切にしたい。
相手を尊重したい。

人生はミルフィーユのように。
丁寧に生きよう。

カテゴリー: Essay (Word) | 人生はミルフィーユのように。 はコメントを受け付けていません

重要文化財を守り、維持する仕事


旧香港上海銀行長崎支店記念館。ほんとうに何度前を通っても
中に入っても、長崎の歴史とロマンを感じる特別な空間だ。
大浦天主堂の坂下、そして海外からの客船を迎え入れる港の前に位置している
ということも、この建物が誕生した当時の国際都市長崎を想像させてくれる。
余韻の消えない翌日、この建物を管理するスタッフからメールをいただいた。
許可をいただいたので、以下に紹介させていただく。

昨日は素晴らしいコンサートを開催していただき、誠にありがとうございました。
今尾様の心のこもった演奏が本当にキラキラと美しく輝くひと時で、
私たちスタッフも忘れられない時間を過ごすことができました。
さっそく貴ブログを拝読させていただき、とてもあたたかな気持ちになりました。
11年ぶりに長崎でコンサートを開催してくださったことを本当に嬉しく思います。
重要文化財を維持していく意義や私たちの使命についてもあたらめて捉えることが
できました。今回のコンサートの中で今尾様からいただいた大きな贈り物に心より
感謝申し上げます。スタッフ全員で共有させていただきますね!
これからも多くの方々に親しんでいただける地域に開かれた館づくりをめざして
いく所存です。
今尾様が「心のふるさと」と大切に想ってくださる長崎の、ひとつの場所であれる
ように。またぜひ当館をお選びいただければ幸いです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これを読んで、改めてこの場所をコンサート会場に選んでよかったと思った。
ここがなければ、長崎での開催という発想にもならなかっただろう。
紹介してくださった歴史文化博物館の当時のスタッフに感謝する。

どんな立派な建物でも、時間を経れば、老朽化する。人間と同じ。
でも、こちらの記念館は121年という、人間以上の寿命を保っている。
維持するか、解体されてしまうか?
長きにわたり、必要に応じて修理をしながら、丁寧に保存して
いくには、多くの方々の意志と協力が不可欠だ。
残さねばならない!という気持ちがなければ、いずれなくなってしまう。

今回、このコンサートを行うにあたり、スタッフの皆さんのこの建物に対する
愛着を改めて感じることができた。
使用させていただくには、いろんなルールがある。ひとり一人、一組一組がそれを
守らなければ、建物の老朽化はすすむ。また避難経路なども計画された設計ではない
ため、収容人数にも制限がある。細かな取り決めを守って、使用が認められる。
他の会場とは違う緊張感をもって取り組ませていただいた。

演奏後、
「この子も喜んでいます。このピアノは弾く人によって違う音を出すんです」
と、グランドピアノを片付けながら、そんな風に語ってくれたスタッフ。
ピアノを家族のように言うのが、微笑ましかった。
「また、ぜひやってくださいね。使っていただくことでこの建物が維持できます」

そう、使わないと老朽が進む。それは、巷の空家も同じことであるが、
後世のために残しておかねばならない歴史の足跡としての文化財であれば、
なおさらのこと、うまく使い維持しながら長く保存し続ければならない。

重要文化財を守り、維持する仕事。なんと誇り高き仕事か。
細心の注意と配慮をもって。建物への敬意と愛情と、そして訪れる人々への
丁寧な対応が求められる。
長崎のホスピタリティは、わたしにとって、他の町とは一味違う深い趣がある。

今回また新たな出会いをいただいた。そして、ここで再び、そんなに間を空けずに
またやらなければ。と新たな意欲も湧いてきた。

地元の人には「ホンシャン」の愛称で呼ばれている。
また、近いうちに会いに行く。

この素敵な文化財の詳細はこちら
http://www.nmhc.jp/museum_hsb/

カテゴリー: Essay (Word) | 重要文化財を守り、維持する仕事 はコメントを受け付けていません

心きらきら、ながさきバレンタイン。

愛と平和を伝えるバレンタインコンサート。
長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館をお借りし、予定どおり開催することができ、
地元長崎の方、県外からお出かけいただいた方々にお集まりいただいた。
あの衝撃の大雪の日の開催から9年ぶりである・・・。今回は晴天好日となり、本当に
よかった。

今回は2部構成でトークを交えて演奏。
1部のテーマは「生まれて、生きて・・・。」
悲喜こもごも、さまざまな時代、場面での愛を描く世界・日本の名曲を
中心にお届け。平和な日々、平和な世界を祈って・・・
2部のテーマは「オリジナル曲を中心に ~長崎から愛する人へ」
演奏した自作曲は、
人生は観覧車のように、夜のグラン・ルー、みず・つち・ひと、
あじさい日記、そらいろ日記、黒いひまわりなどなど・・・。
とくに長崎での久しぶりの演奏ということで、長崎でうまれた「そらいろ
ワルツ」やフランシスコザビエルへの敬愛を込めた「フランチェスコの夢」
と戦争の終結を願う「黒いひまわり」には熱が入った。
長崎でぜひとも演奏したかったレパートリーである。

集まっていただいた皆様には、楽しんでいただき、あたたかい拍手をいただいた。

ザビエルが初めて日本を訪ねたときのように、私にとって長崎はそんな場所であった。
誰も知らない、異国のような・・・。それが今となっては心のふるさとのひとつ。
お世話になっている長崎の皆さんに聴いていただけたこと、
新潟、横浜、岐阜、愛知、山口から遠路はるばる県外からも足を運んでいただけたこと、
自分の企画に集まってもらえるとは、なんと幸せなことか。

また、長崎で気になっているド・ロ様プロジェクトや、原爆体験を語り継ぐ永遠の会など
の資料を配布し、皆さんに長崎の皆さんの活動をお伝えすることができたことも今回の
開催の意義のひとつとなった。
ド・ロ様の教えを現在に伝える活動をされている赤窄シスターにも駆けつけていただけた
こともとてもうれしかった。
この季節ならではの桃カステラ、いちごを皆さんにお届けしながら、私なりの長崎バレン
タインは無事終了。

この会場の管理スタッフからも気に入っていただき、またぜひここで続けてやってほしいと
言っていただけたことも、心強く、長崎でのご縁がまたひとつ広がったと実感する。

迷いは常にある。でもやる意義を思い、前を向いてやればいい。
ザビエルのことを久しぶりに近くに感じられたこともうれしかった。

愛と平和を今日も。
自分が生きる意義を考えるにも、よいきっかけを与えられたバレンタインコンサート。

「今尾さんの演奏は、明るいのに歌詞が切なくて・・・。でも皆さんの気持ちが引き上げられていきますね。ろうそくの明るさではなく、キラキラした明るさ・・を感じました」
と、言ってくださったスタッフの一言が、今朝も忘れられない。

「またね!」 コンサートを終えて、帰りに撮った一枚。幸せなバレンタイン、長崎での
思い出、またひとつ。

カテゴリー: Essay (Word) | 心きらきら、ながさきバレンタイン。 はコメントを受け付けていません

愛と平和を伝えるバレンタインに。

9年ぶりの長崎でのコンサート。会場の準備はおかげさまで、
ゆうべのうちに完了した。いよいよ、本日開催となる。

ザビエル縁から、気が付けば
この港町は心のふるさとのひとつになった。
一言でいえば、空と海の美しさと、歴史ある町の奥深さと、そして
人びとの優しさ。
すべてが一体となって私のなかで、ゆるぎない存在感をもつ。
悲しさと優しさと美しさがひとつになると、こういう世界になるの
かと思う町。

昨日は今日配付する資料を受け取るために国立長崎原爆死没者追悼
平和祈念館にも足を運び、隣接する原爆資料館も久しぶりに見学。
20世紀の長崎の悲しくつらい歴史に触れ、改めて今年はどういう
年であるべきかを考えさせられた。
それもあって、今日のコンサート。
愛と平和をこの長崎で願い、おいでいただける方とともに、
心豊かな時間を過ごせたらと思う。
そして、わざわざ足を運んでくださる方、応援くださっている
方に長崎を通じた、またこれからも続く、繋がり続けたい長崎縁を
今日をきっかけにまた育みはじめたい。

父母が参加した大雪となった1回目のハプニングコンサートも
懐かしく思いながら、
等身大の自分で、思いを存分に表現したい。

そして、続けること。
長崎との縁は、生きる限り途絶えることなく。

岐阜を訪ね、信長と交流し、日本の歴史を綴り伝えたルイスフロイスも、
この長崎で人生を終えた。
ザビエルとあわせてその存在に感謝し、自分らしいバレンタインに
したい。

無事会場設営もリハーサルも終えた。

おいでいただける皆さんに笑顔でお帰りいただけるように。


カテゴリー: Essay (Word) | 愛と平和を伝えるバレンタインに。 はコメントを受け付けていません