場を創り、盛り上げる。

さまざまな場で、いろんな方に向けた演奏の機会をいただく。
自主企画の場合は、時期、地域、会場を自分で決めて、
表現したいテーマをもって、準備する。企画は自由自在で
あるが集客が一番の課題となる。
一方、ご依頼いただく場合は、集客の心配はない。
いろんなケースがあるが、お客さまはいる前提となる。
与えられた条件のなかで、どう表現するか?
時期や会場や時間帯、客層はもちろんであるが、その与えら
れた時間がその企画のなかでどんな位置づけであり、どのよ
うに会場を盛り上げていくか、構成をどうするか?自分を知
らない人にはどんなイメージをもっていただくと良いか?
そして、一番大切なのは、終わったときに皆さんがどんな
気持ちでいてもらえるか?である。
感動はぜひ、お届けしたいものだ。

構成は与えられた時間のなかで、一応起承転結を想定する。
AIDMAの法則も意識する。となると、衣装もどうするか?
今回のカラーは?対象やイベントの主旨、会場によって
変わる。

本番が1週間前になってくると、このようなことが
ぐるぐる頭のなかをかけめぐり、イメージトレーニングを
はじめる。

今回のご依頼は、周年から1年遅れになったが、コロナも
あけて久しぶりに集う、社内のパーティーイベントでの演奏。
そのイベント自体も従業員の皆さんと一緒に企画、準備の
お手伝いもさせていただく。

当日をイメージする。
参加者の交流がすすみ、お酒も入って、わいわい楽しく、
いい気持ちの場ができつつあるところへ、ミニコンサー
ト。どうはじめるか?どう終わるか?

音楽はその場を創る、盛り上げる役割、使命がある。
今回は、日々一生懸命お仕事をされる皆さんの労を
ねぎらい、主催したチームメンバーも、参加される従業員
さんも経営者の皆さんも、全員ほっこり笑顔になって、
ああ、いい時間だな~と英気を養ってもらえる。そんな
時間にしたい。
もしかしたら、生演奏を聴いたことがない方もおられる
かも。

ここしばらく、頭のなかでぐるぐるイメトレが続くだろう。
毎度のことながら、このカウントダウンは
心地よい緊張時間だ。

カテゴリー: Essay (Word) | 場を創り、盛り上げる。 はコメントを受け付けていません

百年時代とコミュニケーション力!

尊敬するおばあさんがいる。
母の親友でもあった方で、若い時から自営業を半世紀以上続け、
現在もデイサービスに行かれる日以外は、店番をされている。

知らない来客が、老人扱いすると、ちゃんと用事を言うようにと
しかりつけるぐらい元気で、まさにゴッドマザーである。
商売自体は、すでに次の世代にバドンタッチされているが、
とにかく店のご自身のデスクに座ること。
それは健康長寿の秘訣のひとつになっている。

この方、かおるさんと言う。
私の高校の先輩でもあるせいか、親しみと尊敬をもって
母亡きあとも、おつきあいさせていただいている。
かおるさんが通うデイサービスに時折演奏に伺っているのも
このご縁があってのことだ。

ひなまつりに、とお菓子を届けておいた。
季節の催事を楽しむことは、とても大切だ。
無事受け取ってもらったかなと気になっていたら、
しっかり電話がかかってきた。
「ありがとうね、気を遣ってもらって、悪いね・・・」
とにかく喜んでおられることが伝わってくる。
元気いっぱい、笑顔が浮かんでくる声。

100歳近くになって、自分で電話されるって、すごいこと。
自分の携帯で番号をプッシュして、話しをする。

まあ、少し言葉が重なったり、話が要ったり戻ったりする
こともあるがそんなことは、気にならず、とにかく気持ちを
伝えようと一生懸命話そうとされていう姿勢に頭が下がり、
ありがたいと思えてくる。

少し話がまわりくどくなっても、何度も同じ言葉を繰り返
されても傾聴する。
とにかく、まもなく100歳を迎える先輩と電話で
コミュニケーションできることがありがたい。
かおるさんは、字が上手で絵も描かれる、
手紙も時々いただく。
どんな思いで?と思うと、向き合っていただいている
ことがうれしくなる。
三味線も演奏されるとも聴いた。すごいなあ。

驚くべき発信力、表現力、コミュニケーション力!
見習わねば!
そのためには、止まることなく仕事を続けること、
何かをやり続けること、関心を持ち続けること、
学び続けること。
かおるさんの背中を見て、そんなことを思う、

来月はまたデイサービスに出向き、
春のお祝いコンサートをしたい。
いつまでも、いつでも、電話をしてきてほしい人。

コミュニケーション力と生きる力は比例すると
薫さんを見ていて実感する。

百年時代は、
まさに元気なコミュニケーションから!

カテゴリー: Essay (Word) | 百年時代とコミュニケーション力! はコメントを受け付けていません

定年後のスタートにエール。

30年前に、一緒に働いた後輩と、久しぶりに再会。
当時以来、ほとんど会っていなかったため、話題は途切れること
なくあっという間に二時間が経った。

ともに仕事をした日々、お世話になった人やその後会えていない
人のこと。
自身の変化、もう会えない人たちのことについて。。。、
30年という月日は長く、いろんな変化があったとしみじみ・・。
平成から令和へと時代は変わったとも。
その時から変わらないその人らしさを感じながら、ああ苦労も
してきたなあ。がんばってきたんだなあ、とその半生をともに
振り返り、改めて再会を嬉しく思った。

その後輩は最近、定年退職をした。
そして、今は4月から新たな転職先でこれまでと全く違う業界に
就職するとのこと。
そのために半年間、勉強や準備をしているときいて、
とても感心した。

定年後、引退する人は減っているかもしれないが、新たな道に
向かう人は少ないかもしれない。
自分がやってきたことを活かして、少し余裕を持って働くと
いう人が多いだろうが、後輩の場合は、新たな世界への挑戦。

今や60歳は壮年であり、まだまだ働き盛り。
自分次第で衰えることもなく、若々しく、意欲的に進むことが
できる。

「わくわくしますよ。」
とても素敵な生き方だ。

挑戦を続ける生き方。
改めて、自分もそうありたいと思った次第。

京都駅で握手をして別れる。
彼のこれから。幸多き日々であってほしいと願う。
30年ぶりであっても、変わっていない距離感が心地よかった。

一緒にタイムトリップできる仲間がいるのは幸せ。
こんな時間も限りがあるから、会わねばならない人とは
再会しておかねば。

春。挑戦をはじめる季節。身も心も軽やかにGO!

カテゴリー: Essay (Word) | 定年後のスタートにエール。 はコメントを受け付けていません

黙々、着々。

大きなことはできないけれど、何かあったら自分ができる範囲で
誰かの役に立ちたい。とは思っている。
でも、ほとんど何もできていないが。

せめてできることは、出会った人たちとのかかわりを大切に、
寄り添いの気持ちをもってできることをする。
相手のことを気にかける、声をかける、できる応援をさせて
いただく、相談にのる・・・。あくまでも相手と同じ目線で。

なぜ、このことに自分はこんなに関わっているのかなと
思うこともあるが、
そのままにしておけないと思ってしまう。

人様から見たら、なんで?ということもあるかも
しれないが、周りには気になる人がいっぱいいる。

とにかく誰かを応援したり、助けたいときは
黙々と。

小さなお節介の積み重ねが、やがてはいろんな事態が変わる
きっかけになることもあるかもしれない。

目指したいのは、出会ってよかった。
知り合えてよかった。
ということ。

出会ったからには意味がある。
出会わない場合も多いのだから、

いいことこそ、黙々とやる。
そして、着々と人生のゴールに向かう。

今日も何か小さなことができたら、いい。
良かったね。ありがとう。
その対話のために、生きている。
生かされている。





カテゴリー: Essay (Word) | 黙々、着々。 はコメントを受け付けていません

山に棲む動物への心配

大船渡の山火事が、まだ鎮静しない。
消防、自衛隊による総力をあげての消火活動が続けられているにもかかわらず、
火の勢いは衰えず、その範囲を広げている。避難する人も増えている。
津波を経験された皆さんの不安はいかばかりか。
火事の報せを知ってから、たびたび知人に安否確認と応援の連絡を
していたが、雨乞いをすることぐらいしかできず、本当に申し訳
ない気持ち。

火が広がる様子を映像で見ながら、ふと、山に棲む動物のことが
気になってきた。
人間は避難している。まだ避難できる。
でも、クマやシカやタヌキや・・・・。
鳥たちは飛んで避難できただろうか?

被害の状況を耳にしながら、そんなことが心配になる。
異常気象で、熊や猿が民家に侵入したという報せをよく聞くように
なり、それはそれで地元の方には大変な問題であるが、
その動物たちは山火事という緊急事態で、どうしている?
助かっていないことが想定されるが・・・。

地球のバランスが急激に崩れてきている。
戦争を続ける人間界も、生態系も・・不安定な状況はひどくなるばかり。
自分で制御できない現実に直面することが増えてくるだろう。
対岸の火事ではなく、自分のこととして、一歩先、二歩先と
あらゆることを考えておかねばならない。

人間も動物もそれぞれが平和に安全に暮らせる社会。
当たり前と思っていた時代が懐かしくなる。

とにかく早く、大船渡の山に雨が降ってほしい。

カテゴリー: Essay (Word) | 山に棲む動物への心配 はコメントを受け付けていません

仰げば尊しの春。

3月になり、町が急に動き出した。
そんなことを感じる3月1日であった。
引っ越しのトラックもちらほら、花をもって歩く若者の姿・・・。

岐阜から名古屋へ戻る途中の駅。電車の乗り継ぎ待ちをしている
ホームで、見覚えのあるセーラー服を着ている女子高校生二人の
姿をみつけた。
とっても楽しそうに笑いながら、話している。
なつかしさのあまり、
「加納高校?」
と聞いてしまった。すると、その二人は元気に
「はい、そうです。」と答えてくれたので
「あ、後輩だね。」
と言ったら、表情がさらに柔らかくなって
「へえ。そうなんですね~」
「スカートの丈は私たちのときと違うけど、
制服見て懐かしくなったわ。昔はもっと長かったよ」
と言ったら、高校生たちは驚き、笑っていた。
「へえ、そうなんですね~」
そう、今どきの制服のスカートはミニ丈である。
そんな会話で、
一気に打ち解けた。高校生と話すのは久しぶりかもしれない。
「今日は何?」
と聞いたら、
「卒業式でした!」
「あ、今日なんだ。それはおめでとう!!」
「ありがとうございます!」
そこから、少し会話を続けた。
ひとりはもう進路も決まり、もうひとりは滑り止め(この言葉も
懐かしいが)は合格、本命はこれからということだそう。
「もう少しがんばってね。とにかく卒業おめでとう!」
気持よく分かれ、彼女たちの楽しそうな会話はその後も
続いた。

大好きな制服だったから、今も町でみつけると、嬉しくなる。

彼女らと別れた後、自分の高校の卒業のときのことを思い出した。
うーん。進路は決まっていなかったから、そんなにハッピーじゃなかった
ような。だからくっきりした思い出はない。
それよりも、わが高校時代は思い出が多すぎて、そのことを想い出したら
胸がいっぱいに。セーラー服時代の自分が次々登場してきた。
ピアノもバイトも、遊びもそれなりにやった時代。

あれから、半世紀近い。
セーラー服で自転車で通っていたあの頃。
音楽やっていたことが誇りだった時代。
そして揺れはじめていた時代。音楽?それ以外?

あおげば尊し。これは明治時代から歌い継がれている
アメリカ生まれの唱歌であるが、永遠の名曲だと思う。
この曲が出てくると、すがすがしい気持になる。

3月。
いろんな節目がある。卒業。いい言葉だ。
すべての卒業生へ、おめでとう。
これからはじまる新たな道への準備をする3月。

分かれていく友達との時間を、
分かれていく家族との時間を
心ゆくまで楽しんでほしい。
そして、家族の応援、親の苦労に感謝を忘れずに。


カテゴリー: Essay (Word) | 仰げば尊しの春。 はコメントを受け付けていません

かもめりぃの地が・・・。

岩手の大船渡。
お世話になっている人の会社やご自宅もあり、そんなご縁から
この町には馴染みがあった。
そして、あの東日本大震災では津波の影響で甚大な被害を受けた。
知人のご家族も津波で行方不明になったり、その後もその影響で
いろんなことがあり、皆さんのご苦労に対して、何もできない
自分がいた。
1年してから、やっとお役に立つことができると・・高齢者施設
に出向きコンサートを何度かさせていただいた。
この地への応援歌「かもめりぃ」をつくり、演奏した。
地元の新聞社さんにも取り上げていただいた・・・。
東北の町のなかでは、もっとも馴染みのある町・・・。

「自然は感情がないんですわ」
と当時、海とみておっしゃっていた知人の言葉が今も忘れられないが、
今度は山火事が町を襲っている。
その知人のご自宅は、火事現場とは離れているようではあるが、
風向きが変われば、他人事ではないと・・。
そんな危険ななか、連日炊き出しに行かれていると聞き、胸がつまる。
何かできることがあったら!
と言ったものの、今は鎮火。自分には祈るしかできない。

とにかく一刻も早く収まってほしい。
海が穏やかなあの風景を思い出し、
何とも言えない気持ちになる。

どうぞ、皆さんご無事で・・・。
地震も火事も怖い・・・。
自分の意図とは関係なく、襲ってくる。

とにかく、早く・・・。長い夜、早く明けてほしい。
現地の皆さんは眠れない日々をお過ごしだ。

消防の皆様のご尽力に頭が下がる。
一刻も早く鎮火されますように。

かもめりぃの里が・・・。

カテゴリー: Essay (Word) | かもめりぃの地が・・・。 はコメントを受け付けていません

続けられることへの感謝。

どんなことも、当たり前ではない。
と改めて思う。
何気ない日々の暮らしのなかで、
たとえば、毎朝、香り豊かなコーヒーや紅茶をいただけること。
それが美味しいと思え、静かに1日のはじまりを感じることができること。

目覚めれば日課としてやっていること、そして1日の活動を営む。
気が付けば1日が終わる。それを日々繰り返している。
もちろん毎日違う1日である。
1日を無事に過ごすということ。
やって当たり前、やれて当たり前と思うかもしれないが、
いろんなおかげがあってできるのだということを改めてかみしめたい。

仕事ももちろんそうだ。
仕事をいただけること、続けさせていただけること。
雇用されていようが、契約という関係であろうが、同じこと。
自分が社会から必要とされていることは、本当にありがたいこと。

年度末が近づくと、さまざまな取り決めを見直す時期にもなる。
普段以上に身が引き締まる。
ある企業さんから、「また1年お願いします」とありがたいお声を
いただいた。
もう20年以上になるが、まだ仕事させていただけるのだ。
と思ったら、ありがたく初心を忘れずがんばろうという気持ち
になってくる。

続けさせていただけること。
一緒に取組ませていただけること。

パートナーとしての存在を認めていただけることは
やりがいや生きがいにつながる。

当たり前のことは 何ひとつない。
事態は常に変化する。
一歩二歩先を見ながら、今日はもちろん、明日もお役に立てるよう
がんばりたい。
と思う。
明日から3月。週末ではあるが、年度末、そして春に向けての
準備がはじまり、日本中が動き出す。

日々関わりをもってくださるすべての皆様への感謝を込めて
新たな心で、謙虚に前に進みたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 続けられることへの感謝。 はコメントを受け付けていません

まだまだ入る、まだまだいける。

コップ一杯の水。
これをどう見るか。と若き日から何度も教えられた。

もういっぱいだ、これ以上は入らない。
いや、隙間がある。まだ入る。

同じものを見ても、人によって、見方によって
受けとめ方と、そこからはじまる行動が変わる。

久しぶりにそれを思い出した。
コップは自分、水は情報、あるいは
水は仕事 と置き換えてみてもいい。

もういっぱいだ!と思ったとたん、あふれることを
恐れ始めたりすることを心配することもあるかも
しれない。
よく、「いっぱいいっぱいだ」と思うのはそんなとき。

でも、コップを変えれば、もっと入る。
大きめの器を探してきたり、ひとつで足りなければ
ふたつ目の器を用意したり・・・。

入るように工夫すればいいし、
果たして、水の入れ替えもときには必要かも
しれない。

コップとは器。
器が変われば、まだまだ入る。まだまだいける。

日々の多忙のなかで、器を変えたり、洗ったりする
こともせずに、いっぱいいっぱいになっている
ことはないかと自問。

水が注がれた一杯のコップを、久しぶりに
そんな風に眺めてみる。

まだまだいける。まだまだ入る。
まだまだ受け入れることができる。

と思った瞬間に、私という器が広がる気がする。

そう、心の器を変えてみると、楽になる。


カテゴリー: Essay (Word) | まだまだ入る、まだまだいける。 はコメントを受け付けていません

発信する人たちの姿勢・生き様を学ぶ

もう何年も、ジャーナリスト横村出さんの講座を受け、
伝える仕事には強い意志と、使命感が必要であることを学ばせて
いただいている。

その講座のなかで、世界で活躍するジャーナリストや作家の存在に
ついても教えていただけることが大変ありがたい。
最近は、スヴェトラーナ・アレクシェ―ビッチというベラルーシの
ノーベル文学賞作家や、ロシアのジャーナリストとして知られる
アンナ・ポリトコフルカヤといった人たちのことに関心を寄せて
いる。
戦争が招くさまざまな困難について、社会について、国について
真実をわかりやすく伝えるために、権力をも恐れず生きてきた
強き人たちである。

発信者とはどうあるべきなのか。
また、伝える仕事とは何か?何に向かうべきなのか?
について、考えさせられる。

書いてあるものを読む、作品を観る、聴く。
私たちは、求めれば良質なアウトプットに出会うことができる。
あるべき世界を描き、そこへ近づくこともできる。
意識しなければ、情報のゴミに埋没し、自分を見失うだけ。

信念をもって生きる人、ブレないで自分の道を切り開き続けて
いる人の生き様をもっと知りたいと思う。

そんなことで、最近、本屋へも出向き、刺激を受ける時間も
もつ。わずかの時間でも多くのインプットがある。
作家と売り場と読者。この関係を見られる空間でもある。
そのなかに、ネットでは得られない、偶然の出会いもある。
売りたい一心の本も多いけれど、そのなかに、きらり光る、
自分の方を向いて待っている本もある。
それを探すひとときも、勉強である。

今は、アレクシェービッチやポリトコフスカヤの言葉に触れ
(といっても訳書であるが)、彼女たちの強い意志や信念を
学びたい。

作家やジャーナリストは書いただけではその仕事を終えない。
読まれてこそ、誰かが語ってくれてこその、仕事である。
瞬間ヒットする作品よりも、長く読み継がれる作品を。

いのちを賭けて仕事をする人たちを心から尊敬する。

どうせ生きるなら、次代に役立つメッセージを遺さねば。
と、そんな気持ちにさせてくれるから。

カテゴリー: Essay (Word) | 発信する人たちの姿勢・生き様を学ぶ はコメントを受け付けていません