ラポール・コミュニケーション。

20代後半だったか、ある情報誌のネーミング案を考えているときに
調べて出てきた言葉「ラポール」。rapportと書くフランス語。当時は対話という
意味もあるから・・と広報誌にぴったりと思っていたが、改めて調べてみると
「橋をかける」という意味だったことを知る。
カウンセリングの世界でも使われる言葉で、クライアントとカウンセラーの
信頼関係をつくるということで使われるようだ。
とにかく、音がいいので、頭の片隅に残っていた。

最近、自分がやっている仕事で企業で働く方たちとの個別面談。
あるテーマに即して、いろいろ話を聞き、そのプロジェクトの現場での浸透を
確認したり、困ったことに対して対応するのが狙いであるが、それ以外に
話を聞くことで、話す人の癒しになったり、元気になったりする効果もあるようだ。

初対面の場合でも、よく話してくださる方が多い。
普段職場では話さないけれど・・といって、口が滑らかに動く人もいて、
しっかり聞いていると、時間が足りなくなったり、初対面であることを忘れて
親しくなったり・・・。笑顔で面談を結ぶことになる。
「元気にがんばってくださいね。また、お話ししましょう。」

ラポール・コミュニケーション。
自分と相手に橋をかけるということは、相手がそれを受け入れなければ、橋を
かけることにはならない。
信頼関係をつくるコミュニケーション。

日々職場でも意識次第で、それは実践できる。
相手の言動、行動をみつめ、見守り、ときには言葉をかける、手をさしのべる。
相手が自分の存在を認めてくれることで、両者を結ぶ橋は生まれる。

信頼の橋をかける。

たまたま最近行った10名ほどとの面談をやって、この言葉を久しぶりに
思い出した。
ラポール・・。いい響き。
さあ、今日からもこの橋を架けるコミュニケーションを楽しく続けよう。

カテゴリー: Essay (Word) | ラポール・コミュニケーション。 はコメントを受け付けていません

わが寄り添いに限界はなし?

今、おかげさまで日々、日替わりというか、時間わりというかわからないが、
めまぐるしく、多くの企業や、経営者、働く方のそれぞれの課題に対応させて
いただいている。
頭の中がぐるぐる観覧車のように回っているのを感じる今日この頃。
朝早くから、夜遅くまで、頑張っている人たち、頑張ろう、やり遂げようと
している人たちを見ていると、口先だけでは済まず、気が付けば、その人
の立場、気持ちになって、何度も確認しながら修正を加えたり、仕事を引き受けたり
してしまう自分がいる。
まだできる、まだいけそう。と思っているのだろう。
相談をきくと、自分には無理とは思えず、こうしたらこうなるんではないかと
アイデアが生まれてきて、じゃ、誰が?となると、やりましょうか。と言って
しまうことも多い。
口先だけの上から目線のコンサルタントはダメだと思っているし、自分には
それはできないし、第一、そんなカッコいい仕事をしているつもりも、能力もない。
ただ、それぞれの現場、現実に即して、解決・改善のために自分ができること
をお手伝いするのみ。
伴走、共生、共創・・。いろんな言葉があるけれど、寄り添うことは
心と頭と行動が伴ってこそであると思う。

ということで、毎日日替わり、時間割で寄り添う日々。
どこまで走れるか、回れるか、わからないが、できる限りやろう。と思う。
世の中には、もっと大変な仕事をされている方がたくさんおられる。
それに比べたら・・・。

である。
さあ、今日も楽しく、寄り添い、少しはお役に立ち、関わる人が一歩でも二歩でも
前進できるように。

カテゴリー: Essay (Word) | わが寄り添いに限界はなし? はコメントを受け付けていません

一日でも、一時間でも、一分でも長く。

敬老の日の翌日というわけではないと思うが、母の夢を見て、目が覚めた。
夢とは本当におかしなもので、ありえそうでありえないストーリー。
目覚めたら、まばゆい光の中のワンショットのような、一場面だけがぼんやりと頭に残りながら、フェイドアウトする。でもその母の笑顔はずっと消えないまま・・・。
会いたいのに、もう会えないというのは、なんともいえない寂しさ。これは一生変わらないのだ・・とそんなことを朝思っていたのに、忙しく動き始めると、その気持ちもフェイドアウトする。
その午後、長崎の友人からメッセージが入る。久しぶりのメールである。どうされたかな?
以前よりお聞きしていたお母さまのこと。積極的な治療は終わり、これからは自宅で緩和ケアに入られる。友人もお母さまと一緒に過ごす時間を大切にするため、実家に向かっている
ところ・・という内容・・・。そうか、そんな日がきてしまったのか。
すぐ返事をした。そしてお見舞いのお花を送ろうと思った。本当はそこに駆けつけ、出前コンサートでもしたいぐらいであるが、もうそんな状況でないかもしれず、静かに過ごされる
のが一番だ。
会えるうちに、一日でも、一時間でも、一分でも・・。長く一緒にいる時間を・・・。
母の夢があったから余計に、そう思えてならず。
「悔いのないように、過ごしてくださいね。」・・・。かける言葉もむつかしい。

最近、知人・友人のお母さまが旅立たれることが続く。
自分たちが、そういう年齢になってきたこともあるのだろう。
大切な人との別れは、考えたくない。
長崎の友がお母さまと一緒に過ごされる朝、昼、夜。
神様がいるならば、彼女たちに1分でも長い時間を与えてほしい。
と、母のぼんやりとした笑顔を思い出し、改めて思う朝。

カテゴリー: Essay (Word) | 一日でも、一時間でも、一分でも長く。 はコメントを受け付けていません

いつまで記憶が?

たまたま若年性認知症の患者さんご夫妻のことをとりあげた番組を
少し見た。同世代になる人でも・・・との驚きと、他人事ではないとショックが
全身を突き抜けた。
奥さんが「まだ、私のことわかる?」と繰り返し尋ねたり、日々の経験を
思い出せるように、写真を頻繁に撮り、記録に残されているご本人の様子を
見て、人の記憶の不確かさについて考えさせられた。

昔、ある映画で「人間は忘却していく存在である」と、そんな類の言葉にふれ、
そんなはずはないと思った自分がいた。若かったのだろう。
でも、今は、多くの高齢者の方に接したり、上に書いたような若年性認知症の
方に病院で出会ったり・・・いろんな経験から、少しづつ様々な現実を受け入れる
ことができるようになった。

毎朝、目覚めると、今日の自分は大丈夫だろうか?と確認する自分がいる。
昨日の記憶と、今日やらねばならないこと・・が頭の中でつながっているか?
つながっている、ああ大丈夫だ。今日も元気にがんばろう!
と、そんな感じだ。

いつまでも、心身ともにこれまでの自分がつながって存在していけたら
良いと願っている。
ただ、記憶が途切れたときは、どうなるのだろう?
と、そんなことを考える。
が、そんな日が来るかもしれないが、今は記憶があること、一応おそらく
正常であることに感謝して、今できることを精一杯しようと思う。

写真を残したりするのも良いだろう。
私の場合は、日々の経験を歌に残すこともできるだろう。

と、記憶の大切さを改めて思った次第。

「今も、私がわかる?」
なんともいえない、確認のことば。
わかる、が前提でいるから。毎日つまらないことで喧嘩したりしてはいないか。
自分の存在が認識されていることに、まずは感謝せねば。

ああ、生きるとは・・・。なんでもありだ。なんでもありに備え、しなやかに
そして、できる限り楽しく生きていきたい。

カテゴリー: Essay (Word) | いつまで記憶が? はコメントを受け付けていません

あっちゃんからの贈り物。

出かけようとしたときに、花屋さんからのお届け物。
へ?お花?依頼主は、新潟のあっちゃん。
へえ、そんなあ、覚えていてくれたんだ。
彼女のお世話になって、今年、手のひらサイズの詞集を制作した。

25周年感謝の記念出版 いよいよ完成!受付開始 | La Grande Roue (mahsa.jp)


それも25周年事業のひとつであるが、記念日のことまで覚えていてくれたとは。
かわいらしい花は、暑さにやられないように、その日は冷房をONにしたまま
外出した。

そこに心のこもったメッセージが入っていた。
ちょっとここに書くのは恥ずかしいので省くか、本当にありがたいお言葉。
思えば、彼女とは20年近いおつきあいになる。
新潟の仕事が始まって間もなくであった。
自分が経営する自費出版の会社をもっと世の中にPRしたいとのことで
広報の勉強会に参加していただいたのがきっかけだった。
ここ!というタイミングに旬なネタがあれば、リリース書いてみては?
とすすめたのが、敬老の日に本の贈り物を・・・という内容のリリースであった。
ああ、まさにこの時期にお会いしたのだ・・・。

あれから時は経ち、あっちゃんの会社も今年20周年を迎える。
お互いアニバーサリーだねと話していたのが今年の初め。

アニバーサリーな人から、いただいた記念日の花ギフト。
なんともありがたくうれしい。

そう、今日は偶然?敬老の日。
何を贈る?という相手は今いないけれど、この花を愛でながら、父母がにこにこ
笑っているのを頭に描く。

あっちゃんからのかわいらしいお花は、両親と一緒に楽しませていただこう。
それから、22年前に緊急着陸したアラスカで入手した、エスキモーの小物を添えて。
(911を忘れないためのグッズである)

あっちゃん、そして素敵な言葉をたくさんお寄せいただいたみなさまに心から
感謝を込めて。

あたたかい応援をいただきながら、グラン・ルーはすでに回り始めている・・・。

カテゴリー: Essay (Word) | あっちゃんからの贈り物。 はコメントを受け付けていません

おかげさまで25周年の朝に。

グラン・ルーは、フランス語 La Grande Roue のLaを
読まないオリジナルの言葉。意味は観覧車。

自分らしい生き方を模索するための脱サラ、そしてゆるやかに
はじまった、コミュニケーションクリエイター人生は、
今日で四半世紀を迎えることとなった。

悔いなき人生を・・ということでの9月17日が、独立記念日。
35歳の誕生日までの独立を予定どおり果たしたものの、
いったいどうなるのか?と手探りのまま、歩んできたこの25年。

人生は観覧車のように~パリで見た移動式の大きな観覧車を
目の前にこのフレーズが浮かび、それをマイコンセプトとして、
そのまま 変えることなく、ブレることなく歩んできた。

マイペース、マイスタイル、マイライフ。
よくそんな生き方が許されてきたとも、思う。
コミュニケーションの力で世の中が平和で、ハッピーになれば。
その思いは変わらない。

生きる環境は変わり続ける。そのなかでいかにこのまま、
人生の後半を生き抜くか。
少しは、人のお役に立てることを、もっと意識して。

笑顔と安らぎと、元気を届けられる 心の観覧車になりたい。

25年間で出会ったすべての人々に感謝したい。
そして、わがルーツにも、恩師にも、上司にも、
クライアント企業にも、応援いただける方にも、そして
家族にも・・・。
皆さまのご理解ご協力なしに、今日はなかった。
観覧車が止まる日がなかったのは、
本当に皆さまのおかげ・・・。

ほんとうに!ありがとうございます。

これからも、人生は観覧車のように。
グラン・ルーは最後の日まで、回り続けます。

グラン・ルーのロゴは、25年前にパリで見た
移動式観覧車をもとに作成されたオリジナル
デザインです。(デザイナーは25年間、
グラン・ルーを支えてくださっている、西成田
恵さんです)

25周年記念事業はまだまだ続きます。
まずは10月12日のふるさとLOVEコンサート。
(まだお席若干あります。お待ちしています)
ふるさとLOVEコンサート2023 予約受付開始 | La Grande Roue (mahsa.jp)
当日は、わがテーマソング「人生は観覧車のように」
も、演奏します。
ただいま、その日に向けて、25周年記念オリジナル
コーヒーもご用意中!
小さいながらも、自分なりのアニバーサリー!


カテゴリー: Essay (Word) | おかげさまで25周年の朝に。 はコメントを受け付けていません

それぞれの人生を知る宝の時間。

企業で働く人たちとの個人面談をさせていただく時間。
実は私にとっては、これは楽しみな仕事のひとつである。

会社全体としてその組織を見るときとはまた違う、その人
それぞれの人生が見えてくる瞬間でもあるからだ。
へえ、そんな風に生きてきたんだ。
へえ、そんな風にがんばっているんだ。
その人の仕事への向き合い方だけでなく、生き方、生き様を
知ることになり、新たな発見もある。

何かしらご縁あって、違うタイミングではあるが、同じ
会社に入社し、それぞれの部署で仕事を行う。
気が付けば、会社を担う重要な歯車になっている。
やっぱり、組織はひとつの観覧車だ。と再認識する。

「なぜ、この会社に入ったのですか?」
近かったから、派遣で最初は・・。と動機もさまざま。
仕事内容もさまざま。
長年頑張って仕事を続けているには、それぞれわけがある。
家族のために頑張っている人、気が付けば10年も経っていたという人。
「結局、人ですかね。人がいいから、この会社にいるんですね」
そんな言葉も聞こえてくる。

毎日会社に通い、自分に任された仕事をする。
改めて、なぜ働いているんだろう、自分はどうなりたいんだろう?
何もなければ、そんなことは考えないかもしれない。

でも、組織の半歩外にいる自分のような存在と会話してもらうときに
ちょっと非日常の目線で、日常の自分をみつめる、ふりかえる。
そんなきっかけになれば、うれしい。

いかに部下のことを考えているか、上司と向き合っているか。
それぞれが考えて行動していることが、一人一人に向き合うことで
見えてくる。

ときに出る不満については
「それってちゃんと上司に伝えてます?」
「いやー、わかってくれていると思っていたので」
「思っていても伝わっていないこともあるかもしれないから、
 もっと自分から働きかけて話す機会を作った方がいいですよ」
心の奥にある、うやむやのままになりながら蓄積されていくストレスを
ほぐすことも大切だ。

一人ひとりと向き合うと、それぞれの人生が見えてきて、
みんながんばっているな~と、じんわり感動。
それぞれの人生を生きながら、一つの会社で力を合わせて働いている。

あっという間に時間が経つ。
「また、話しましょう。今日はありがとうございました」
「ぜひ、お願いします。ありがとうございました。」
最初はちょっと緊張していたのに、にこっと笑って終了の挨拶。
ほぐれた感じ、すっきりした感じ。あたたかい気持ちが伝わってくる。

同じ会社で働いていることって、縁で結ばれているということ。
一人一人が個性を発揮しながら、お互いを思いやり、助け合うことが
できたら、組織は一体感を増し、成長していくはず。
会社は社会のため、社員のために。

会社が、一人一人の人生に役立つ、働く人から感謝される存在に
なれたら・・・。
もちろん会社も働く人、一人一人に感謝する。

個も組織も成長する。そんな組織になってもらえたら・・。






カテゴリー: Essay (Word) | それぞれの人生を知る宝の時間。 はコメントを受け付けていません

女性活躍は数合わせから?

意識して女性を登用しないと、そういう環境がなかなかできないから
意識して女性を登用する。
さも、いいことをしているような・・・。
何割が管理職、何割が役員・・にならないと・・・。
数合わせ優先で、組織が出来上がっていくような・・。

結局、数ですか。女ならだれでもいいのですか?

といつも、こういった割り振りをする人達を見ていると
正直違和感を感じている。

今回の、必要がないように見える内閣改造も、女性の起用というのが
目玉のひとつらしい。
オトコかオンナか。といっているのは、このジェンダーレスの時代に
どうなんだろう?と強く思っている。
性別で決めなくていい。男性でも女性でもちゃんとした、適正のある人が
やればいい。その仕事をするべき人が担えばいい。それがたまたま男
だった。女だった、それ以外であってもいい。障がいを持つ方がおられてもいい。

オトコだ、オンナだと言っている以上、ジェンダーのことで悩んでいる人たちは
活躍の数に入っていないような、差別感も感じる。

何人女性とか、いいかげんやめないかな?
これこそ、男性社会の名残、自己満足のような・・・。

普通にやる気がある人が、力がある人が頑張れる世の中がいい。
女性であっても、世襲であれば、そういう人にチャンスが与えられるのであれば
これでは、公平とはいえないのでは?
祖先は努力では変えることができない。それは自分も生きてきて実感して
きている現実。

公平な世の中。
こんな社会は実現できないのだろうか?
難しそうだ。

いろんなしがらみを破って、いろんな壁を乗り越えていく逞しさ。
政治家でいえば、市川房江さんという方がおられたな~。
数合わせで選ばれていくよりも、道を切り開き、後世の人にも尊敬される・・
そんな生き方が素敵だ。
そうなれないけれど、そんな生き方を目指したい。
とても、勇気も力も必要で、難しいけれど・・。
数合わせで、出世?なんだか、変。おかしい。

と、私は思っているけれど、もちろん違う価値観の方もおられるだろう。

とにかく、自分らしく生きること。
従来の価値を突き抜けよう。もっと俯瞰して世界を見渡して、
自分にしかできないことを、やり抜こう!結果は後でついてくる。


カテゴリー: Essay (Word) | 女性活躍は数合わせから? はコメントを受け付けていません

GIVEできる環境に感謝。

以前、カテリーナというハリケーンがニューオリンズの町を襲ったという
報道に接した時、その当時出会ったばかりの知人が住んでいる町だからと、
銀行にお金を振込に行ったことがあった。
同時多発テロの後の2005年のことだった。今から18年前・・。
人災や天災が続き、何かできることはないかと思っての行動だった。
振り込み方もわからず、滞在中のNYの町で銀行をうろうろしていた自分。

日本でもその前には、阪神淡路大震災、そして後にはあの東日本大震災・・・
大きな災害が日本列島を襲い、世界が応援してくれた。

最近では、地震も多く、大雨も続き、それらによる被害は頻繁に起き、
常態化している。
さらに、海外では飢餓の問題から、今回のウクライナのように
侵略戦争というおぞましい現実。それにもあまりの長さに慣れてきて
しまった。良くないことであるが・・・。
さらにリビアでの大雨、モロッコでの地震・・・・今週もさまざまな天災が
地球を襲っている。

そんな中何か自分ができることを・・と思い、ウクライナの人道危機支援には
少しでもと、昨年から支援活動を始めたが、戦争を終わる様子もなく、
いつまでこんなことをしているのか?と思うことも正直ある。
(だからといって、活動をやめることはないが)

寄付をするなら、そこ以外にも寄付しないといけないと思う事象が
本当に多く、ほんとうはすべてのことに何かをしなければならないのに、
ちょっとご縁があったとか、何か接点があったとか、心動かされるきっかけが
あったから・・とか、そんな理由から支援する先をみつけているが、
そんなことでいいのだろうか・・・。
なんだか、どこに対しても大したことができていない自分が情けない。
そんな気持ちになるほど、今、手を差し伸べなければならない人たちが
世界中に多数いる。
少しばかりの寄付をしたとて、大したお役には立てていないのであるが・・・。

いろんな災害がありすぎて・・。
自分のささやかな応援の気持ちが、ときに小さすぎて陳腐にさえ
思えることがある。

でも、人のため、自分にできることがあるだけ、幸せだ。

寄付。自分の気持ちに素直に、ここへ。と思う相手に尽くせばいい。
毎日何かしら起きている災害を知るたび、心痛く思いながら
日々暮らしている。

TAKEより、GIVEできる幸せに感謝しなければ。

カテゴリー: Essay (Word) | GIVEできる環境に感謝。 はコメントを受け付けていません

いいときも、悪いときも。

拡散してくれたり、大きく取り上げてくれたり・・マスコミや
SNSはただ広げたい人にとってはありがたい存在。
一方、広げてほしくない、取り上げてほしくないことも伝えられてしまう
ときもある。
日頃取り上げてもらうことで、知名度を上げることができている企業や
芸能人たちにとっては、マスコミを利用することは有益、有効であるが、
反面、自分たちの意図と違うから、伝えてほしくないということも
興味本位含め、大きく報道してされてしまう・・本当に厄介ということもある。
お世話になっている分、その反対のこともあるということだ。

いいときも、悪いときもマスコミ。
いいときも、悪いときもSNS。
いいときも、悪いときも口コミ。

コミュニケーションとは、本当に難しい。
メディアは人と人の間に存在する第三者であるため、
自分自身ではない。だから自分たちの意思と違うことも多く
彼らの目線で、面白おかしく、時には違った内容で伝えられてしまう。

だからこそ、日頃からの関係づくりも大切。
といっても、すべてのメディア、SNS配信者とつきあうこともできないから、
事態を見守るしかないことも多い。

一方、SNSも利用せず、マスコミも使わず・・地道にコツコツやっているような
私は、有名になることはなく一生を過ごすことになる。
そのいい面も悪い面も両方感じながら、日々生きている。

いいときも、わるいときも。
なんでもそうだ。
両面わかって、つきあうこと。

いいときばかりではない。

そして、まだ悪い方向に事態が進んでも、無責任な発信が多いから
拡散されても、時間の経過とともに拡散して、その情報は消えていくから、
静観してその時を待つというのも、マスコミとの付き合い方かもしれない。

そう、伝える方は無責任。
伝えたら終わり。

そういう人との関わり方も考えていかねばならない。

メディアたちの有り余る情報の露出を見ながら、これは・・?!と思うことが
多すぎて、心が落ち着かないのは、私だけか?
見た目の表層的な情報にのらないよう、踊らされないように。
受け手としても、賢く情報と向き合いたい。

カテゴリー: Essay (Word) | いいときも、悪いときも。 はコメントを受け付けていません