ひまわりと、あじさいと。

本日7月11日。岐阜新聞でロビーコンサート。
2か月に1回のこの機会に、できれば毎回新曲を発表したい。
小品でもいいから・・・。
そんなノルマを自分に課す。
前回は、ウクライナに思いを寄せ、「ひまわり」をテーマに
即興曲を演奏した。
今回はそれを進化させ、「ひまわりエレジー(哀歌)」として、
演奏。さらにこの2か月ほどずっと気になっていた、
「紫陽花」をテーマに新曲を作成したため、それも追加。
ちょっといい作品になった。
実家の庭に咲くその花をじっとみつめながら・・・
絵はかけないが、曲はできる。
ということで、サクッと書いたステッチのような作品、
「あじさい日記」。

いろんな哀しみを癒す、ひとときになり、
また、来たる夏本番へのパワーの注入になればと思う。
あじさい日記の歌詞は、次のブログで紹介する。

毎回駆けつけてくださるお客様に、新しく足を運んでくださる
お客様に感謝して、今、自分ができる表現をお届けし、
生きるメッセージをお伝えしたい。

写真は実家の庭から運んできた一輪あじさいと、
前回のコンサートでの演奏の様子より・・・。
ひとりひとりのお客様と、同じ時間を共有できることへの
歓びと感謝を込めて。

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やっと、やっとこさのリニューアル。

グラン・ルーのスタートは、24年前。1998年9月。
そして、HPを開設したのは、その2年後2000年になってから。
それから22年、せっせと自分なりの思いを込めて、クリエイティブ
なパートナーたちのご協力を得て、なんとか止まることなく、
このホームぺージを自分のオウンドメディア(当時はそんな
表現もなかったが)として、活動を進めてきた。
時間の経過とともに、コンテンツがどうしても色あせてきたり、
情報が溜まりすぎて、どこかで何とかせねば・・とずっと考えながら、
合間合間を縫って全面リニューアルを行うことを決意。

とはいえ、どうしても日々の仕事、特にお客様の仕事が優先となり
自分のことは後回しになりがちであった・・・。
半年以上、なかなか動き出せない日が続いた。
が、開設以来、ずっとご尽力してくださった仲間の絶え間ない
ご協力をいただき、何とか、リニューアルにこぎつけた。

今回のリニューアルで一番気になったのは、
せっかくこれまで蓄積した情報をどう扱うかという点だ。
拡散ではなく、蓄積しておくことが自分の軌跡にもなると
意識するまでもなくそうしてきた故に、
器を新たにしたので、これまで発信してきた情報を断捨離します。
というわけにはいかなかったのである。
アーカイブ的な要素をどう取り入れるかは、大切な課題。

また、自分という存在をどのように社会に、世界に示すのか。
ブランディングをどうするか?
ここは客観的な視点が必要だ。
そんななか独立前から、私の生きざま、仕事ざまを長きに
わたって、見続け、応援し続けてくださっている
デザイナーの視点は、大変ありがたかった。
また昼夜を越え、試行錯誤を繰り返しながら、WEB作業を担当
してくれるスタッフの力添えも本当にありがたかった。
志も含め、四半世紀の自分の仕事や活動、動向を知っていて
くださるから、自分のことをわかってくださっているから
助けられる部分が多かった。
やっぱりビジネスには、人生には、共感できる、そして忌憚ない
コミュニケーションができるパートナーの存在と力が大きい。
技術があるから、コストが安いから・・・だけではなく、
しっかり責任をもち、コミュニケーションをとり続け、
目標に向かって一緒に前進できる人と、はじめて良い仕事が
できる。

かなりのやりとりを経て、まずはなんとか。
予定より何か月も遅れてしまったけれど、25周年に
向けてのカタチがひとつ整った。
もちろんここからがスタートだ。

というわけで、ようやくレスポンシブル対応にもなり、
スマホでも見やすくリビルドされました。
まだまだ改善しながら、更新しながら走るため、未完では
あるが、デジタルコミュニケーションは終わりがない。
ということで、
新しいグラン・ルーの公式サイト、どうぞごらんください。
今後の活動も、気にかけていただければ幸いです。

La Grande Roue | よりよく生きる為に、生きたいために… (mahsa.jp)

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人生の閉じ方を考える

まさか?へ?ここは日本じゃないの?いつからアメリカになった?
と、周囲でそんな声が聞かれた。
まさかの政治家の銃撃。そして死去。
この時期に?こんな風に?
業界の方からは「想定外」ということかもしれない。

なぜ?ということは、わからないし、ここで取り上げる必要もないが、
今回の事件で思ったことは、

殺されて人生を終えるのだけは嫌だ!ということ。

飛行機事故も、地震もすべて避けたいが、
それでも、それは仕方ないと思える。
でも、誰かに意図的にでも、無差別にでも、
息の根を止められることだけは嫌だ。

やっぱり人間、布団の上で・・・が一番幸せな、自然な終わり方。
命が消えるように、フェイドアウトしていく終わり方がいい。

ある瞬間で、あまりにあっけなく・・。
はあまりに残酷である。

人は何か宿命のもとに生きているのだろうか?
とも思える。

衝撃的な死はドラマチックなものとなり、美化、伝説化
される傾向がある。
こういったことも含め、
世の中の動き、情報の飛び交い方をよく見なければと思う。

それにしても、日本は恐ろしい国になった。
なんともいえない週末となった。

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「誰でしたっけ?」

コロナ禍で出会った方も多い。中には、マスクしたままの姿で、
結構親しくなっているケースも。
たとえば・・・地元の食料品店で働いておられるおばあさま。
母と同い年ということを聞いて、親近感が湧き、可能なときは
足を運んできたが、
ここ1か月ほど、時間がとれず、ちょっとご無沙汰していた。

ちょうど、近くに用事ができ、ちょっと寄ってみようとお店に向かう。
道中が、あまりに暑くて、マスクなしでその人のお店のドアを開けた。
店には奥の方にその方がおられるだけ。レジの横に座っておられる。
「こんにちは~。お久しぶりです~」
元気よく挨拶しながら、中に入ろうとすると、
いつもどおりの反応ではない。初めてのお客さん相手のような反応。
「いらっしゃいませ」とは言いながらも、
「誰ですか?」という感じで、一生懸命思い出そうとされている。

あれ?まさか認知症になってしまったのではないよね?
心配になり
「たえこさん、こんにちは。まさこです。今尾です。ピアノの。
 ほら、覚えてもらってます?お久しぶりです~!」

と言っても少し怪訝なご様子。そこで、あ!と気づきすぐマスクをつけると
その瞬間で、いつもの笑顔が戻った。

「あ、わかった、わかった。マスクしてないと、誰かわからんかった」
と、いつもどおりの親しい会話が戻った。

そうか。マスクをしたまま出会った方には、目元だけの表情と髪型などで
認識していただいているが、マスクなしで、顔全体が見えるとかえって誰か
わからなくなるのだ。

マスクをしている方がわかる。
この不思議な世界。
では、ずっとサングラスをかけている人が、それを外すと誰かわからない。
というのも同じかもしれない。

この暑さ。マスクがうらめしいときも多い。
外したい、出来る限り、なしで、コロナ前と同じように
マスクなしで風を感じたい。
でも、マスクがコミュニケーションに必要。
しかもマスクがないと、誰かわからない状況。

慣れの恐ろしさに改めて驚く。

コロナ感染も少し戻ってきてしまっている様子。
残念ながら、WITHマスクの日々、
マスク・コミュニケーションは、まだまだ続きそうだ。

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まず聞く。そして考え、動く。

仕事は、社会とつながりながら自分の存在を明かしていく、示していく活動
であると考える。
自分のための仕事ではなく、相手に喜んでいただけるための取り組みが仕事。
自分だけがうれしい活動は、趣味。

仕事。お客様のために。お客様とともに。
ここは基本のキ。
お客様が求めることをカタチにする、具体化する。
このことが使命であるならば、まずは聞くこと。
相手の思い、こだわり、これまで、これから。
それをしっかり自分の中に入れ込んで、そしてアウトプットを考える。

聞かない仕事はうまくいかない。
想像だけで仕事はできないから。
聞くことで、コミュニケーションが深まり、理解でき、そして
次に進める。

自分の発信よりも、まずはインプット。
いっぱい吸収すると、何がどうあれば見えてくる。

まずは、相手の声に耳を傾けよう。
コミュニケーションは聞くことから。

まず聞く、考える。そして最適なアウトプットを生み出す。
日々、そうありたい。


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元気と癒しを届ける。

お中元シーズン真っ盛り。
お歳暮も含め、これはどうやら日本だけのギフト慣習のようだ。
デパートもコンビニも、リアル店舗もネット販売も、
今、必死に注文をとりまくっている。

相手によって、何を送ると良いかを考える。
職場にお送りする場合、個人にお送りする場合。
環境や相手の嗜好、趣味などいろんなことも配慮しながら、
どうせ送るなら喜んでもらうのが良い。

企業にお送りするギフトは難しい。
食品類をお送りすると、不公平にならないかが気になり、
どこまでを想定するかで、予算もあり、また相手の負担になるのも
良くないため、考えてしまう。

そんななか、最近は花を送ることを選択肢に入れている。
花であれば、不公平はない。食品であれば、一口程度のもの
しか送れないし、食べたらはいおしまい。とあっけない。
でも、花であれば、多くの人が楽しめて、しばらく癒しのひとときを
過ごしていただくこともできる。

ここ2~3年、とくに花ギフトが気に入って、気が付けば注文を
している。
この季節はやはり、ひまわりの花を送るのが良い。
暑さに負けず元気にがんばろう。と思っていただけたり
暑さを忘れていただく一服の清涼剤のように感じていただけたり・・・。

花を前にすると、人の心が丸くなる。
意外と男性にも喜ばれる。会社に花。職場に花が咲いているなんて素敵だ。
仕事もきっと捗ることだろう。

そんな夏ギフト、感謝を込めて。

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前進とタイミング。

自分が与えられた課題を、ひたむきに一生懸命にやる。
これも大切なこと。仕事とはそうあるべきと思う。
そして、節目節目で、それを関係者と確認しながら、
その課題をとりまく環境の変化なども考えあわせ、
予定どおり進んでいいのか、もっと後にすべきなのか?
また、全体から見たら、それは目的に合っているのか?
状況は変わっていないか?
それぞれの立場から、意見を出し合う。
そのコミュニケーション自体、大変重要であると思う。
会議とはそういうためにあるとも思う。

全員が同じ意見でなくていい、そうでない方がいい。
それぞれの立場、見える世界から、あるべき姿について
意見を出し合えば良い。
何かが具体的に見えることにより、
そこから、今すべきこと、今進むべき道が見えてくる。

一生懸命前に進み、一度立ち止まり、進むべき方向を
見直して、さらに進みなおす。
とくに、複数の人が関わることには、途中の確認は大切だ。
それぞれが思うイメージが違うならば、違和感があるならば
それを伝え、受け入れ、その隙間を埋め、目的達成のため
の最善策をとることができる。

今が前に進むべきとき。ちょっと様子を見るとき。
いつでも、GOGOというわけではない。
効果的に進めるには、時間をおくことがよいこともある。
行動のタイミングの見極めは、大切だ。

行動した以上、目的に向かって進んできている以上、
そのこと自体が後退することはない。
常に前進しているのだ。
スムーズにいかないことほど、うまくいくことも
多い。
何事も確認。コミュニケーション。

「ちょっと、待った!」と、言える環境、聞ける
環境。これはとても大切だと思う。
あとは目的に向けて頑張っている人たちの
士気をキープし続けることのフォロー
ここがとても大切だ。

進む、一旦停止。そしてまた進む。
人生はその繰り返しかもしれない。
いろんな考え、いろんな感性。
聞き合うことで、みんなにとって、
「良かった!」となるように。

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運命のカップルが遺した、永遠のアート。

昨年のパリの凱旋門で開催されたアート展。
もちろん現地に行けていない。このたび、その展覧会を六本木で観ることができた。
凱旋門をラッピングするという、巨大なアート作品。
この企画を発想し、実現するまでをドラマチックに見せる展覧会。
二次元ではあるけれど、映像の力が素晴らしく、パリの現場にいるような感覚に
なることができる。

パリ祭を前に、凱旋門から伸びる放射状の道路が浮かび、この門からルーブル
に向かってLa Grande Roueが建ち、ゆっくり回転していた四半世紀前の
独立前の心境も重ねて思い出す。
パリは、自分にとって独立の背中を押した町。
そんな思いが募るメモリアルな場所で、こんな大胆な挑戦を手がけた夫妻がいた。

世界的に知られる環境アーチストのクリストと、ジャンヌ クロード。
二人はまさに同じときにこの世に生を受けた運命のカップル。(誕生年、月日が同じ)
出会ったということは、何か同じことをする。やり遂げるという使命感が二人には
あったのだろう。そのために生まれてきたのだ・・という強い信念、確信も含めて。
そして、実際この二人は、とてつもない作品を世の中に次々と誕生された。

それがラッピングアート。
町や建造物を覆ってしまうのだ。
実は20年ほど前に、このクリストの作品を撮影したポスターを東京在住のアーチスト夫妻からいただいたことがあり、この作家を始めて知った。「大空間を覆ってしまうなんて、変わっているな~。何の意味があるのかな」と思いながらも、その発想と実現力に感動していた。パリのポンヌフやニューヨークでの実験はインパクトがあったし、ドイツの議事堂ラッピングも大変話題になったとのこと。

この凱旋門アートは夫婦の数十年の夢の実現であり、
そして作家亡きあとに遺言のように、コロナ禍に実現された・・という、
あまりにも特別すぎる作品。

作品自体ももちろん素晴らしいが、この夫婦がこういったアートのジャンルを開拓し、
一緒に作り上げてきたこと自体、その創造的な人生に感動、興奮した。
言葉にならないほど、ステキなカップルだ。

フランスでいえば、サルトルとボーヴォアールも素敵で知的なカップルであったらしいが、
このクリストたちも、とても素敵だ。
夫婦ってなんだろう、カップルってなんだろう。
ともに何かを創り上げることができる、何かを生み出すことができる。
なんて素敵なこと。目指したいし、憧れである。現実とはかなり違うけれど。

もう二人ともこの世にはいない。
でも、こんな素敵な活動を世界に見せてくれた二人は永遠のアーチストだ。
意味がないことを、一生懸命やること。ここに価値を感じる。
そこに宗教も政治もないところに、純粋な力を感じる。
コラボという言葉がやたら流行っているが、究極のコラボは、夫婦によって
愛とともに実現される協働なのかもしれない。
そのなかでも、作品を生み出すカップル、そういった生き様を見せてくれる
夫婦には心から拍手をおくりたい。


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ご近所さんに電話を借りた時代。

半世紀ほど前の日本の暮らしを思い出す。
カラーテレビがやっとわが家にも登場
最初は、確かモノクロテレビでも十分に情報を得ていたし、
それはそれなりの、楽しい一家の団欒もあった。

そして、黒電話が家にも登場するまでは、確か、何か
あるとお向かいの電気屋さんに電話を借りていたような。
電話は特別な存在であった。
電話で伝えなければならない用事は重要かつ緊急のこと
だったのだろうと思う。
そんな30年代。
今と比べれば、と思うことがあるが、
あの不便さが懐かしく、そしてその頃に学ばねばと思うことも
多い。

携帯の電波障害で、約1日半、電話が使えない、環境によっては
スマホからのネット利用もできない、そんな状況となったこの週末。
偶然、わが携帯もその会社のサービスを利用しているため、電話は
使えない。
世間では、大変なことになっている。
いかにこの携帯の存在というものが、今日の世の中のインフラになっているかという
ことを改めて知らされる。

ああ、平日でなくてよかった。
今の自分には、週末はほとんど電話は必要ない。緊急時ぐらいだ。
メールが使え、ネットも使えるため、まあ、不自由はなく、なんとか
1日を過ごす。
そんななか、最初に書いた、電話がなかった時代を思い出したのだ。
「電話がなくても、生きていける」
「ま、みんな使いすぎなんだ。たまには、使わないで過ごしてみよう」
と冷静に受けとめる。

そう。みんな使いすぎ。
どうでもいいやりとり、多すぎないか?
別にいつも繋がってなくていいんじゃない?

そう、今はつながっていることが前提になって
関係がある。そんな世のなか。
だから、何かおきると不安も増大する。

ま、不便な時間も学びが多い。
多少のことは、騒がず。
もちろん緊急下にいたら、そんなことは言っていられない。

と、少し不便な環境で、昔懐かしい黒電話を思い出し、
ないならいいや!と思っていたら・・・つながった。

関係者皆様の復旧へのご苦労に感謝しながら、
繋がっていることが当たり前でない。このことを
もっと自覚しなくちゃ とも思った次第。
使いすぎに注意!


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ひまわりの種をくれた人の旅立ち

15年前の中越沖地震で被災した新潟の方。酒屋さんを営んでおられた。
店舗・家屋が倒壊し、そして再建。
「崖っぷちからの出発です。どうやって世間に知らせたらいいですか?」
と、会いに来てくださった女将さんと娘さん。
日本海が目の前に広がる素晴らしいロケーションのお店のことを
この「崖っぷちからの出発」としてPRしていこうと作戦を決め、
以後、このお店を細々ではあるが、応援し続けた。
おかげで地元紙はじめ、いろんなところに掲載され続けてきた。

細々ではあるが、ずっと応援を続けてきたのは。
崖っぷちからがんばろうとする母娘の強い意志に魅かれるものが
あったのだ。
ディナーショーにも来てくださったり、新商品ができたらすぐ相談して
くださったり、お店の広報誌を「のんべえ毎日」と名付けたら、とても
喜んでくださって採用。一緒に食事したことも何度もあった・・・。
わたしもいつしか、新潟のファミリーであると思っていた。

コロナで観光客も減って、そして老い、病との戦い・・。
そんななか、母娘は協力してがんばってこられた。
昨年は、私の両親のことを、心からお悔やみいただき、
励ましてくださった。

とにかく、元気いっぱいの女将さん。
先日、夏のDMとともに、ウクライナを応援しようと、ヒマワリの種を
送ってくださったのも、この酒屋さん。
連絡がしばし途絶えていたので、お酒の注文とともに再度連絡をしてみる。
二週間ほど返信がない。

連絡が途絶えていたことへの心配が的中してしまった。
女将さん、先月旅立たれたとの報告。

「7月会いに行きますよ」
とメールしていた2日後のことだったようで。。
容態が急変したそうだ。
私との再会も楽しみにしてくださって・・・のことだったとお聞きし、
何とも言えない気持ちになる。

ひまわりの種を、かかわる人たちに託して、おかみさんは旅立った。
ああ、もう一度、二度、三度 会いたかった。

「耳が聞こえづらくて・・・」
とそう言いながら、再会した1年前。

いろんなギフトにも挑戦していただいたり、無理もいってきた。
それをいつも楽しんで、やってくださった。

今、お店から見える美しき日本海の眺めを思い出しながら
女将さんのことを思い出している。
あの笑顔が、大きな声が、消えない。

早く、ひまわりの種をまかないと・・・。

そう、彼女がひまわりのような存在だった・・。
感謝とともに、祈りを捧げたい。
どうぞ、安らかに。そして子供さんたちを見守ってくださるように。


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